オリンピック柔道観戦記 (奥山篤信 )今日の中国事情 その3(関西零細企業経営のオッサン)  | 日本のお姉さん

オリンピック柔道観戦記 (奥山篤信 )今日の中国事情 その3(関西零細企業経営のオッサン) 


よみがえれ美しい日本!(続き)-2.奥山篤信  
 オリンピック柔道観戦記
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選手を馬に譬えては失礼になるが、パドックの馬の状態を見て馬券を買うのが、競馬道のプロだが、選手もその顔色・目つきと体の動きを観ればメダルを取れるか否かなど簡単にわかる。谷亮子選手は、最初から顔が冴えなかった。試合運びもその通りで銅メダルを取ったものの、動きに切れがなく消極的であった。これでは絶対に金メダルは無理である。体力の衰えに自己のプライドがついていけないのである。勿論それでも銅メダルは立派ではあるが。あのオリンピック三連覇の野村忠宏選手に代わって登場した平岡拓晃選手など、どう見ても勝てないのが最初からわかる。脅えが顔にでているのである。小野卓志・金丸雄介・泉浩・鈴木桂治選手もしかりである。それに比べ平成生まれの中村美里選手は火の玉小僧のような闘志と負けん気が体中から発散していた。うかつな動作で判定まけしたが、それは経験不足からであって、そのあとの見事な敗者からの復活、銅メダルである。「金メダルでないと意味がない」この選手は間違いなく将来大物になると確信している。そして内柴正人選手、顔つきが群を抜いて素晴らしかった、絶対に金メダルを確信したがその通りとなった。この選手はアテネの金メダル以降の4年間、国際大会での優勝はなく、昨年4月の全日本選抜で敗れ、同年の世界選手権代表から外され試合後は柔道着の上着を脱ぎ捨て体育館の外へ飛び出したという。その苦難のなかで愛する家族が柔道に引き戻したのである。妻・あかりさんが柔道整復師の資格を取るための勉強を開始、それは将来愛する夫とともに柔道の道場を経営する目的である。家業や育児の後夜遅くまで机に向かう妻の横顔に発奮したのである。妻のために、長男のために「全力で息子にいい所を見せたい」、「家族のために金メダルと取る!」まさに家庭での男の役割を全うするために決意したのだ。金メダルを獲得し「柔道が僕の仕事なんで、精いっぱいやりました。」に彼のすべてが凝縮されている。

浅田次郎の「壬生義士伝」の吉村貫一郎が極貧の盛岡藩を脱藩し新撰組に入隊する。それは尊王攘夷などとはかかわりなく、家族を養うためだけであった。映画「シンデレラマン」のブラドックも同様、貧困のなかで、怪我のまま協会違反のボクシングを続け、その日の食いぶちを稼いだ。日本の再生のために必要なのは、いわゆる鳴り物入りの「日の丸愛国心」ではなく、家族が、夫の父権のもと、男女がそれぞれの役割を果たす家族中心のまとまりとその原動力なのである。そして谷本歩実選手の見事なオール一本である。谷本も生き生きと目が輝き、絶対に負ける顔をしていなかった。一本こそ芸術であると語る、一本にこだわる谷本もアテネ以来のスランプがあった。谷本の恩師が一本主義であり、彼女もそれを追い続けた。アテネの立ち技でのオール一本に比べ、今回彼女の試合ぶりは、抑え込み寝技一本が三試合続いた。寝技といっても彼女の技は柔道らしい力ではなく技の抑え込みである。立ち技一本に拘った谷本がスランプを通じて、学び取った生まれ変わったような技である。そして最後にあの「柔が力に勝る」柔道の本髄を地でいく、内またでの相手の力を利用しての見事な美技であった。「うれしいの言葉に尽きる。今までたくさんの人に支えてもらった。ここまで来られたのも、わたし1人の力じゃない。一本を取る柔道をわたしは教えてもらったので、それを貫いた。(連覇は)ビックリです」谷本とて妹をはじめ家族の絆に支えられたのである。試合直後のこのさわやかな感想、感激に涙する日本人は多かったであろう。

上野雅恵は妹が谷本歩実に最終戦で勝ったのに代表から外されたという怨念がある。妹のために闘うという意地があった。上野も第一線から金メダルが確実であるという風格があった。彼女もアテネ五輪後は決して恵まれていなかった。3連覇に臨んだ05年世界選手権で敗退。復調してきた06年12月には試合中に左ひじ内側側副靱帯(じんたい)損傷の重傷を負い、07年世界選手権代表からも落選した。「生きているか死んでいるか分からない状況だった」最悪の状態に陥った。「北京五輪までは何があってもやる」と、自分を奮い立たせ、信念を貫いた。二人の妹のためにも。塚田真希は優勢にもかかわらず残り18秒に中国選手に逆転一本、奇跡のこの逆転、よりによって中国の国家高揚に役立たせてしまった悔しさがあるが、塚田を責めるのも気の毒であろう。石井慧は修道僧のような面構え、いまどきの若者にない落ち着きのある顔で楽しみにしていたが、見事世界で最も強い100キロ超(昔の無差別)を制してくれてうれしく思った。
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関西零細企業経営のオッサン 悔し涙を流すの記 (19)      
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今日の中国事情 その3              2002.08.12

不快で不健全な類の偽造ラベルと偽の混ぜ物の製造に関して、首都は其の中心であり、計画的な偽造を商売にしている。不正行為は何処かのスラムや薄汚い巣窟でこっそり行われているのでなく、白昼窓を開け放して堂々と行われており、印刷機がイギリス政府国税庁のスタンプや著名博士の署名、「プレストンレモン砂糖」や美味しそうな「ラーモニー」印の肉の缶詰のラベル、「イーグル」印、パス社の「レッドダイヤモンド」ラベル等を偽造しているのが見える。これで英語の綴りが正確なら偽造も完璧なのであるが、幸い必ずしもそこまで細かく気を遣ってはいないらしい。然し運の悪い被害者にはそれでも充分に本物そっくりであり、全国到る所でまがい物の食用品や飲料や医療品が売られている。お陰で何でもない病気を命取りに変えてしまっている。これらは大げさに聞えるかも知れないが、実際私自身あの清涼飲料の逸品である「プレストンシュガーオブレモンズ」と信じて買った、石鹸とレモンオイルと砂糖の混ぜ物を飲んで酷い目に遭ったのである。他にも某世界的香水メーカーになりたくてたまらない香水屋がリンメルやファリナの空き瓶に吐き気を催す香水をせっせと詰め、口金やシールまで器用に真似しているし、高級な「ペアーズ石鹸」は一滴で肌を傷める混合物である。同じ工場ではリコリスや糖蜜の粕で色付けした国産ビールをせっせと樽からギネスの瓶に詰め替えている男達の姿を想像できるというものである。はたして、こういったまがい物を工業の進歩の印と見なして良いものだろうか。以上は御馴染みの英国人女性旅行家I.L.バード女史が今から約130年前中国ならぬ日本滞在中に江戸から変わったばかりの東京について描いたくだりの一節である。(講談社:バードの日本紀行下巻からの抜粋)僕はこの部分をなんとも尻のこそばい思いで、然し次第に吹き出しながら読み終えたのであります。これはまさに今や私を含め日本国民全員が見たり、聞いたり、読んだりして信じている中国の姿と全く同じじゃ有りませんか。たった今まで私はこう思い続けていたのです。矢張りシナ人はこうなんだ。これがシナ人の本質なんだ、と。それが今は、他人をとやかく言う前に先ず己の何たるかをわきまえないと恥をかくだけじゃ済まないなこれは、と自戒を強いられているのであります。
バード女史は当時の日本の伝統的文化、生活風習、人情全てを高く評価しており、彼女が接した日本人達の物腰、威厳、品格、親切心などが言葉で表せないぐらい素晴らしいと述べていると同時に、維新後10年余りで成し遂げた近代化の水準に驚嘆し、一方で上記のくだりに有るような批判と疑問を呈してもいる訳です。この際、日本や中国に限らず何処の国でも発展過程では同様の現象が見られたに違いない、と思うのが正しいかもしれないし、少しは気が楽にもなるでしょう。日本はこの時代を経てオリンピックを開催するまでに90年近く掛った。一方中国ではこの時代とオリンピックがまさに同時平行的に行われている。それ程未熟なまま急ピッチで近代化を進めているのだ。まー、大目に見るかこの部分は。当分そう思うしかないのだ。因みにバード女史は日本人の品格と親切心を称えた後、こう締めくくっている。日本人の持つ遠い将来の礼節も現在の礼節と同じ物であってほしいと心から願っています、と。我々こそ今、彼女に合わせる顔があるのだろうか。了。

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今から130年前の日本と、今のチュウゴクは

同じ状態のようだ。するとチュウゴクは、

日本よりも130年も遅れているっていうことか。

130年前でも、バード女史は、日本人の品格と

親切心を称えていたようだが、

今のチュウゴク人の品格と親切心はどうなのか。

by日本のお姉さん