【連載】日本よ、こんな中国とつきあえるか(17) | 日本のお姉さん

【連載】日本よ、こんな中国とつきあえるか(17)

【連載】日本よ、こんな中国とつきあえるか(17)
    台湾人医師の直言  (林 建良)
第3章 台湾から見た台湾および台湾人 
2、台湾人と中国人の対日観の決定的な違い

●中国人は日本をどう見ているか?
私が日本に来て一番驚いているのは、日本人の中国人観である。日本人からよく「中国人は非常に心が広い寛大な民族で、懐も深くおおらかで、道徳心が高く、信用を大事にする」というような話を聞く。

 このような中国人観を聞くたびに驚くとともに、果たして日本人は中国人のことをどこまで知っているのだろうかと疑問に感じざるを得なかった。というのも、中国人の実態をつぶさに見ざるを得なかった台湾人からすれば、日本人の中国人観とすべてにおいて正反対だったからである。

 中国人を知るためには、中国人が日本をどう見ているのかを知ることが一つの大きな手がかりになる。その対日観を比べてみれば、中国人と台湾人の違いもよくわかるはずである。

 中国人の対日観はおおよそ次の三つの要素から成り立っている。

(1)日本に対して優越感を抱いている。
(2)日本に対して劣等感を抱いている。
(3)日本に対して被害者意識が強い。

 中国は国の名前のとおり、自分たちが世界の中心と考えている国で、中国人は、自分たちこそ四千年の歴史を持ち、中華文化というもっとも優れた文化を持っている国だと考えている。

 だから、中国人はよく「日本文化は所詮、中華文化の亜流にすぎない」と言う。日本の漢字にしても中国から伝わってきたものではないかということで、日本に対しては文化的、民族的な優越感を常に抱いている。

 このような考え方は国家にも反映され、国際舞台のあらゆる場面において、日本には中国以上の発言権を与えないよう常に企図している。

 それを象徴しているのが二〇〇五年四月の反日デモだった。中国は、日本が国連の安全保障理事会のメンバーに加入することは中国の優位性を脅かすものであり、絶対に容認できないと考えている。自分たちこそが世界の中心であると考える中国は、日本に対しても絶対的優位に立たなければならないと考え、それこそが対日観の原点なのである。

●常に先を行く日本への劣等感
では、自分たちこそ世界の中心と考えている中国が、なぜ日本に対して劣等感を抱いているのか?

 これは、中国は四千年来、周辺諸国を東夷、西戎、南蛮、北狄と分け、征服と朝貢の対象と考え、あらゆる近隣諸国に兵を出して侵略をくり返してきた。例をあげればキリがないが、最近では、一九五〇年のチベット侵略や一九七九年のベトナムへの懲罰戦争がある。

 しかし、その長い侵略の歴史のなかで一度たりとも征服できなかったのが、東夷にすぎない日本だった。しかも日本との戦争で勝利したことがなく、一八九四年の日清戦争で負け、大東亜戦争でもほぼ連戦連敗だった。

 ところが、中国は第二次世界大戦の戦勝国として国連の安全保障理事会の一員となり、確かに日本より優位に立ったかに見えた。しかし、日本は明治維新という革命を成功させ、アジアで最初に西洋国家の仲間入りを果たした国であり、大東亜戦争では負けたものの、いち早く経済を復興させて先進国入りし、世界第二位の経済大国となった国だ。

 中国は、日本に対して常に優位に立たなければならないと考えているにもかかわらず、日本は常に先を行く。そこで劣等感を抱かざるを得なくなってしまったのである。中国にとっての日本はまさに「目の上のたんこぶ」なのである。

 中国人が日本に対して被害者意識が強いことは、いわゆる「南京大虐殺」のような世紀のウソを捏造してまで被害者意識を増大させていることによく現れている。

 これは戦時賠償金を放棄した中国が、何とか別の形で日本から賠償金相当あるいはそれ以上の額面を引き出すためという現実的な要請もあったが、基本的には近現代の歴史に負うところが大きい。劣等感と出どころは同じで、戦争で負けつづけた歴史意識の産物である。

 その歴史意識と、日本が隣国でなかったら中国はもっと発展していたはずだという責任転嫁の心理が、被害者意識として結実したものと考えられる。

 有り体に言えば、悪いのは加害者(日本)であって、被害者(中国)は悪くない。加害者が被害者に金を出すのは当たり前だと考えること自体、中国の被害者意識であり、弱者の論理なのである。

●反日思想なのに日本に来たがる中国人
このように中国人は、日本に対して優越感と劣等感と被害者意識という矛盾する三つの意識を併せ持っている。

 中国には日本を表現する言葉の一つに「小日本」(シャウズーべン)という言葉がある。今でもよく使われているが、「小さい日本」「ちっぽけな日本」「チビの日本」という日本を蔑んだ言葉だ。大中国としての優越感にあふれた言葉である。

 それともう一つは「日本鬼子」(ズーべンクエズ)という言葉である。中国人からすれば日本人は「鬼」のような存在ということで、軽蔑よりも恐怖感を表した言葉である。これはまさに優越感と劣等感と被害者意識が混じり合った言葉と言えるだろう。

 しかし、ほとんどの中国人は日本人と会ったこともなければ見たこともない。それにもかかわらず、中国より先んじて先進国の仲間入りを果たした日本の存在自体を許せないと考えるのが中国なのである。だから、中国の反日意識は日中戦争とは関係ないと私は見ている。もし日本が中国より遅れている国であれば、おそらくなんの問題も起こらなかっただろう。

 中国はまわりの国をすべて軽蔑している。しかし、中国のなかに反日思想が蔓延しているという話は聞くが、反露思想や反韓思想あるいは反越思想や反印思想が蔓延したことがあるとは聞いたことがない。つまり、中国からすれば、このような国々は遅れている国という認識であり、それに比べて日本だけが先進国として中国の上位にあるということで、中国にとっては許すことができないのである。要は、中国の妬みなのである。

 また、中国では「美国」と呼ぶアメリカに対して、国策として「打倒美帝」(米国帝国主義を打倒せよ)という国家による反米政策はあったものの、民間では反米思想が蔓延したという話もあまり聞いたことがない。これは日本よりも先を行くアメリカなので、嫉妬する対象ともなりえないほどの格差を意識しているからだろう。

 では、反日思想を抱く中国人だから日本を大嫌いかというと、決してそうではない。中国人は実利を大切に考える民族である。そこで、日本のような先進国で暮らせるとなれば、平気で国を捨てて日本にやって来る。法務省の統計によると、日本国籍を取得している外国人でもっとも多いのは「韓国・朝鮮」で、次に多いのが中国人であり、年間、四〇〇〇人以上の中国人が日本に帰化している。その「韓国・朝鮮」とはほとんどが在日の二世や三世のことで、生活の基盤はそもそも日本にあることを強調しておきたい。

 日本に対して最大の反感を抱いているのが中国人であり、日本人になろうと一所懸命なのも中国人なのである。

 これに関連して、残留孤児についても触れておきたい。
 幼いころ中国に取り残された残留孤児には日本人の血が流れている。外見上は中国人と何ら変わらないものの、ほとんどの残留孤児は母国日本に行きたいと願っている。私自身も残留孤児の家族と付き合いがあり、その思いはよく理解できる。

 そして、残留孤児が帰国すると、その家族五、六人が一緒に来日することになる。そのなかには子供の配偶者もいて、それは中国人だ。その中国人が反日思想にどっぷり浸かっていたとしても、ほとんど例外なく日本での永住を希望し、一緒に来日するのである。ここにも、中国人の非常に実利的な本質が現れている。

 この残留孤児のなかには書類を偽造して来日している人もいると仄聞する。あってはならないことだが、それもまた実利に重きを置く中国人ならではの発想と言えるだろう。

●靖国問題でわかる台湾と中国の違い
台湾人は中国人ではない。台湾人は五〇年間、日本人と一緒に暮らしてきた民族であり、またその子孫である。中国人より日本人の本当の姿を知っている。

 それでは、台湾人と中国人の対日観の違いはどこにあるのか? それは日本の優れた文化や文明を、同じアジアの一員として素直に認められるかどうかということにある。つまり寛容の心があるかないかということである。

 台湾人の対日観は、中国人のような屈折したものではなく、日本が台湾の先生であることを素直に認めていることに基づく。そして、日本人の美学や日本文化を謙虚に学ぼうとしているところに特色がある。

 その象徴的な人物が李登輝前総統であり、「老台北」こと蔡焜燦氏だ。李前総統は、日本の「わび」や「さび」といった文化や美学、日本に残されているサムライ精神、武士道精神を非常に高く評価している。松尾芭蕉の「奥の細道」をたどってみたいという思いも、実際に歩いて日本文化を実感したいからで、このような思いは台湾人に共通していると言ってよいだろう。

 蔡焜燦氏にしても、その思いは同じで、著書である『台湾人と日本精神』という表題からもそれが見てとれる。そのなかで「われわれ台湾人にとって、また台湾という国家にとって、威風堂々たる日本がアジアのリーダーとなってもらわなければ困るのである」と書き記している。

 台湾人はこのようにきわめて高く日本を評価し、尊敬できる民族として日本を位置づけ、日本文化は学ぶべきであると強く意識しているのである。

 さらに、台湾人と中国人の違いは、日本人の死生観や心の問題に理解があるかどうかに顕著に現れている。そのよい例が靖国神社に対する考え方だ。

 中国は、日本の靖国神社は軍国主義の象徴だと言って非難している。しかし台湾人は、李登輝前総統も靖国神社に参拝したいと表明しているし、蔡焜燦氏をはじめ、戦時中、高座海軍工廠で戦闘機の生産に携わった台湾少年工出身者など多くの台湾人が来日のたびに参拝している。

 しかし、同じ台湾人で原住民出身の立法委員(国会議員)である高金素梅が靖国に祀られている台湾出身戦歿者の御霊を台湾に持ち帰ろうとしたり、訴訟を起こしている。これはどういうことかというと、父親が中国人で、母親が台湾原住民の彼女の背後には中国が存在し、彼女自身も台湾にある中国人団体の代表をつとめている。つまり、彼女の行動はまさに中国人の考え方に基づいた行動であり、決して台湾人の考え方ではないということだ。

 この高金素梅と靖国問題に関しては後述するが、台湾人と中国人の対日観の決定的な違いは、まさに靖国神社への対応となって現れてきているのである。
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【李登輝元総統】琉球大学で講演!

日本李登輝友の会メールマガジン「日台共栄」より転載

李登輝元総統が9月23日に沖縄・琉球大学で講演!

   テーマは「日本文化」

          メルマガ「日台共栄」編集長 柚原 正敬

昨晩、李登輝元総統が9月に沖縄の琉球大学で講演されるというニュースが駆け巡った。読売新聞が最初に報道したようだ。

5月11日の本誌で、八田與一技師の墓前祭を終えた石川県金沢市の「八田技師夫妻を慕い台湾と友好の会」(中川外司・世話人代表)が淡水に李前総統を訪問した折の5月9日、石田寛人・金沢学院大学長が李元総統に年内の同大での講演を依頼したところ、李元総統が「承知しました」と答え、その時期について「もみじのころ、九月か十月」と表明されたことを北國新聞の記事を引用して紹介した。

 大方がその予定で進むだろうと期待していたところ、何と予想もしない沖縄ご講演のニュースだ。琉球大学といえば、もちろん国立大学法人だ。報道では主催がどこなのかが不明なので、琉球大学が主催者なのか、単に会場だけなのかは明確でない。

しかし、例え会場であったとしても国立大学で開かれる意義は小さくない。なぜなら、母校の京都大学で李登輝元総統の講演会が開かれてもおかしくないからだ。確かに昨年6月6日、総務省及び文部科学省の設立認可を受けた公立大学法人である秋田・国際教養大学で講演されているので国立大学法人での可能性も開けた。それが琉球大で開かれるとなると確実性が増したことになり、母校・京都大学での講演が完全に視野に入ることになる。もし琉球大学が主催者であればなおさらのことで、琉球大で講演される意義の決して小さくない。

講演の詳細が分かり次第、本誌でもお伝えしていくが、いったい沖縄でどのような「日本文化」に関する講演をされるのか興味津々だ。馬英九政権や日台関係についても言及されるかもしれない。また、共同通信が伝えるように「尖閣諸島や中台問題に言及するか」も気になるところだ。

この講演は見逃せない。本土からも多くの関係者が駆けつけるのではないかと思う。今から楽しみである。

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【また中国に配慮】もう一つの情報隠蔽の試み
         永山英樹

福田政権が、毒餃子事件が中国国内でも発生していた事実を隠蔽したのは、まさに福田首相の「相手の嫌がることをあえてする必要はない。配慮しなければならない」と言う対中国外交の「指針」どおりだが、またもう一つ別の情報隠蔽が試みられたようだ。

現在、台湾の王金平立法院長(国会議長)が奈良で開かれるアジア太平洋国会議員連合(APPU)の総会に出席のため、約二十人の立法委員(議員)とともに来日している。国民党政権の中国傾斜に対する日米の懸念を払拭するため、または尖閣問題での反日騒動で持たれた日本側の警戒心を取り除くため、米国、日本と立て続けに訪問している王氏は、同党の台湾人勢力の大実力者。北京五輪開会式への出席ではなく日本訪問を選んだことも、日本重視の姿勢の現われではないかとも、台湾では注目されている。

その王氏が五輪開会式の行われる昨八日、APPU総会の議長を務める麻生太郎自民党幹事長を自民党本部に訪ねた。旧知の間柄である両者は抱き合って再会を喜び、対談は予定時間を大きく上回る四十分に及んだ。

ところが王氏に同行した台湾のメディア関係者たちは自民党から写真撮影を拒否され、他の場所で待たされたと言う。説明によると中国から抗議が来ていたらしい。

中国から見れば麻生氏は中国にはっきりとモノを言う親台派政治家の代表格。そのため昨年の自民党総裁選挙で福田氏に敗れたときには、台湾では失望の声が聞かれたが、中国はホッと胸をなでおろしたに違いない。

ところがその麻生氏に王氏が会い、日台関係の強化と言う安全保障の問題について話し合うとなれば、中国としては黙っていられなかったことだろう。そこでその意向を受けて自民党は狼狽し、この対談の事実を何としてでも隠蔽しようとしたのではないかと思われるが、そのようなものはいまさら不可能だ。同党は外国の記者たちの前で、自ら媚中の醜態を曝け出してしまったのだ。

後にこの話を聞いた王氏は不満気に、「私が日本へ来ていることは中国も了解している。気にすることはない」と言ったとか。


一方麻生氏は「写真撮影など別にかまわない」と言ったそうだ。そしてその結果、王氏とともに入室した同行者が、メディアのために両者を撮影したと言うことだ。下の写真がそれである。台湾のメディア関係者たちは、このような麻生氏を賞賛していたそうだ。たとえば「麻生氏は中国をまったく恐れていない」「福田政権の次は麻生政権がいい」と言ったような。ここまで聞かされれば、おそらく日本国民の多くも、彼らと同じ思いを抱くことだろう。

福田政権も今回の件と同様、将来批判を浴びることになることをも忘れるほど必死になり、中国国内の毒餃子事件隠蔽を試みたのだろうか。それはどであれあの一件は、庶民一般に至るまで、「中国への配慮は国民への背信、国家への裏切り」であることを、とてもわかりやすく教えるものだった。

国民の次の課題は、「裏切り者政権」の存在は許してはいけないことだと知ることだ。