【我ら、文化系暴走派】 もしもあなたに臓器移植が必要になったら | 日本のお姉さん

【我ら、文化系暴走派】 もしもあなたに臓器移植が必要になったら

ようちゃん、おすすめ記事。↓【我ら、文化系暴走派】

*もしもあなたに臓器移植が必要になったら~大阪大学医学部付属病院移植医療部 福嶌教偉さん【前編】

「臓器移植」のことについて、友人や家族と話しあったことはありますか?「闇の子供たち」という映画を観ることがなかったら、ワタシは、まだしばらくは考えることもなく日々を過ごしていたと思います。子供に心臓移植を受けるために募金を集める両親の姿をニュースで目にしても、はっきりいえば、無関心でした。考えはじめたのは、映画の中に描かれている臓器売買の話がショッキングだったのと、映画に関わっている福嶌教偉(ふくしま・のりひで)さんというお医者さんに出会ったからです。1997年に臓器移植に関する法律が施行されて、10年余りが経過しました。その間、「脳死移植」が行われたのは70例です。一年平均7例という数字が多いのか少ないのか、考えはじめた当初は、実感のないものでした。国内で心臓の移植手術をした場合、数百万円で可能なものが、どうして海外で手術を受けるとなると、何十倍ものお金を必要とするのか。手術が成功した後も、募金に頼ることが家族にどんな精神的な負担を強いることになるか。日本は、高度の医療技術を有しながらも、小さな子供が移植手術を受けるには、海外に出て行かざるをえない。この矛盾はなぜ生まれるのか。そもそも、「臓器移植」とは何なのか。法によって「脳死」を人の死とすることに反対する人たちの主張に耳を傾けてみると、そこには相応の理があり、いっぽうで移植によってしか救えない命と向き合っている医師や家族のナマの声にふれると、その必要性に同調する。無関心であったぶん、ワタシは絶対的な結論がでないまま、それでも、臓器移植法の改正に奔走している医師の存在を知ってもらいたいと思いました。福嶌教偉さんは、ほぼ週に一度、伊丹空港から羽田まで飛行機を使って、上京している。いつも二つの鞄にはパソコンと資料として配るために準備した、何十人分かのコピーの束がぎっしりと詰まっている。試しに一つを持ってみると、がくんと肩が下がり、バランスを崩しかけた。「20キロはあるんじゃないですか。でも、帰りはコピーの分がなくなりますから、楽なんですよ」福嶌さんは、二つの鞄を片手に平然としている。外科医は体力があっての仕事というのは本当らしい。「いまは患者団体からすこしは出してもらっていますけど。はじめた頃は年間100万から200万は持ち出しでしたよね」度々の上京となると、往復の交通費だけでもバカにならないという。福嶌さんが勤務するのは、大阪大学医学部付属病院の移植医療部。専門は、小児の心臓外科で、臓器移植コーディネーターの育成にも関わっている。早朝に大阪を出発し、夕方にはトンボ帰り。病院でのやり残した仕事を終えてからの帰宅が慣わしになっている。東京での活動は、ある意味、業務外。勤務システム上、たとえ土曜に患者さんを診ても、超過勤務の手当ては付かない。「真夜中に緊急の手術をしても、かわりませんから」24時間、患者さんに対応し、東京に出てきたときにも、携帯で指示を欠かさない。どこまでが仕事の範囲なのかと問うと、福嶌さんはしばらく黙りこんだ。返事は、「深くは考えたことがないですね」。 1997年に臓器移植法が制定されたものの、ドナー不足の問題は変わらぬまま。脳死を「死」と認めるか否か、個人の死生観の違いもあり、施行時には「3年後に見直す」とされたものの、見直しのないままにすでに10年が経過した。


臓器移植は政治イシューになりにくい

臓器移植は、人の死を前提にした医療だ。それだけに、論議は繊細にならざるをえない。くわえて、移植を必要とする人がまわりにいなければ、関心を持たれにくい。この原稿を書き進めているワタシ自身が無関心なひとりだった。「日本で移植を必要とする人たちは年間1万人くらい。政治家にとっては、選挙の票に結びつかないんですよね」福嶌さんは、臓器移植法を改正しようと、国会への働きかけを行ってきた。上京はそのためだ。現行法の規定では、15歳未満は脳死下の臓器の提供者になることはできない。移植を待つ幼い子供たちを国内で助ける道が事実上閉ざされた現状では、結果的に残されているのは海外での移植しかない。海外移植には1億円ちかいお金を必要とする。医療的にも、患者にとっての身体的な負担が大きく、渡航そのものに危険が伴う。またドナー不足は海外でも深刻で、これまで人道的な見地から日本の移植患者を受け入れてきた米国などでも、より厳しい受け入れ制限が考えられているという。ドナーの制限緩和をめぐっての臓器移植法の改正案は、先の国会でようやく審議が本格化し、秋の臨時国会での可決が焦点となっている。「関心のある人たちから、話が聞きたいといわれたら、行かないわけにはいかない」福嶌さんは、政党を問わず議員を訪ねては話を重ねてきた。地道な活動のいま、正念場を迎えている。

技術はあるのに制約が多すぎる

「もう4年になりますかね」福嶌さんが臓器移植法の法改正の運動に関与するようになったのは、2004年の4月にさかのぼる。衆議院議員の河野太郎氏が中心となり、法律を変えなければいけないと動きだした。関係者に対するヒアリングの場に、移植学会の理事長と出かけていったのがきっかけだ。「輸血の問題も、いまの臓器移植の問題に似ているところがあるんですよ」1930年(昭和5年)濱口雄幸首相が右翼によって狙撃され、輸血によって一命を取りとめた。輸血に関する法律がつくられたのは、この事件を経てのことである。河野太郎氏が、臓器移植法の見直しに動いたのも、父・洋平氏の肝硬変の悪化にともない、自ら生体肝移植のドナーになったことが契機だった。現役の衆院議長が国会議員である息子から肝臓を譲り受ける。これ自体がショッキングな出来事であるにもかかわらず、個人の美談へと刷りかえられてしまっている。 「こんなこと、おかしくないですか」と福嶌さんは問いかけてきた。肝臓や腎臓の場合、親族からの生体移植が可能だ。しかし、生きている人間の体内から臓器を取り出すということは、提供する側、受ける側、双方に身体的な負担が重く、苦悩の選択を強いることとなる。親兄弟ならば、逃げ場のない一種踏み絵にも等しい。「現職の国会議員がですよ、腹を掻っ捌かれて、親に肝臓をあげるということは、どう考えても異常でしょう」日本における生体肝移植は海外と比べてみると、手術数の数の多さとともに、技術レベルでは群を抜いているといわれる。背景には、脳死移植に対する厳しい制約から、やむなく生体移植を選ぶしかない、負の積み重ねがある。

生体移植はリスクが高い

「生体移植は、リスクの高い手術です。河野さんの場合でも、国会議員としての生命が絶たれるおそれもあった。自分が実際にやってみて、これは大変なことなんだ。こんなことを普通の人がやったらいかんというのが、彼の考えでもあるんですよね」

── さきほどの輸血の話ですが、いまでは、ごく一般的に治療として行われていますが、最初からそうだったわけではないんですね。

輸血は臓器移植の一つです。他人の人体にあるものを移植するわけですから。僕も、ときどき献血とかしますけど。いつもそのときに思うのは、長いこと寝転んでなぁいかんし、400mlとかとられると疲れる。こんな言い方は極端かもしれませんが、献血の大変さを思うと、死んでしまって意識がなくなってから臓器をあげるほうがいくらか楽やと思うんです。もう自分の時間を使われることもないし、シンドイこともない。生きている間にあげるというのは、輸血でも骨髄移植でも生体移植でも、大変なんですよ。とくに骨髄移植は全身麻酔をしないといけないし、ドナーになることで、大変な目にあう可能性がある。輸血にしても、合併症にならないとは言い切れない。採血のときにアレルギーでショックを起こすこともありますから。献血の際に、細かいことを聞かれるでしょう。『きょうは調子はいいですか、寝ましたか』とか。華奢な人だったら、フラッとなって、道で倒れて交通事故にあうかもしれない。つまり、生きている人がドナーになるからには、かなりのリスクがある。しかし、死んでしまった人であればリスクはないわけですよね。 もちろん、反対している人たちは『脳死』を人の死として認めるかどうかということに、問題があるんだろうけど」

「闇の子供たち」に関わって、福嶌さんは、阪本順治監督の映画「闇の子供たち」に取材協力をしている。原作は、梁石日の同名小説で、出版当初から映像化は無理だといわれてきた。「亡国のイージス」「魂萌え!」を撮ってきた阪本順治監督にとっても、「これはフィクションではあるけれども、映画の中のことと逃げるつもりはない」と語る意欲作だ。

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「闇の子供たち」 (C)2008 映画「闇の子供たち」製作委員会

(阪本順治監督、配給:ゴー・シネマ)

8/2(土)よりシネマライズほか全国順次ロードショー

南部浩行(江口洋介)はタイ駐在の新聞記者。臓器密売に関する取材を開始した南部は、日本人の子供がタイで心臓移植手術を受けるらしいとの情報を得る。一方、バンコクのNGO団体で活動を始めた音羽恵子(宮崎あおい)は幼児売春という悲惨な現実に直面。取材中に出会った音羽と南部

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は、人身売買のからんだ臓器移植手術を阻止しようと手を尽くすが……

映画では、いま尚横行するアジアでの日本人が絡んだ児童売買春や、アンダーグラウンドで語られる臓器密売の様子が描かれている。映画はエンターテインメント作品であるとともに、シリアスな問題提起を含んでもいる。


―― 試写の会場に何度も足を運ばれている姿をお見かけしました。今回、お話を伺いたいと思ったのは、通常の映画協力にしては異例だと思い、これは福嶌さんのほうにも映画に関わろうとする理由があるのだろうと思ったのと、映画の業界人がたくさん集まる中での、福嶌さんの居方に興味をそそられたからです。「僕がこの映画に関わったのは、一つには映画がひとに与えるインパクトの問題ですよね。僕自身、映画が好きで、脚本、監督、俳優さん、どれも一流の人たちが関わられている映画だけに、これが及ぼす影響は大きいと思ったんです。映画では、子供の心臓移植が描かれていますから、見たひとに誤った情報を与えることがあってはいけない。それは法改正にとって困るということもありますが、いちばんには、これまで海外に行って移植を受けた子供たちに与える影響です。自分も同じようなことをしたんじゃないかと思う。贖罪の意識を持ちはしないか。そのことが怖い。ただでさえ、親は努力して募金を集めて、海外に行ったわけですから。『あんたはみんなに助けてもらったのよ』というのを肌で感じて生きている。そのうえ、ドナーが不幸なことになったということであるなら、子供たちはもう逃げる道がなくなってしまう。その子供は自殺するかもしれない」誤解されたくないから脚本も書き換えたこんな印象的な場面がある。心臓移植以外に助ける手立てのない子供をもつ日本人家族。両親は、斡旋者を通じてタイで手術を受けさせようとする。しかし、犯罪組織が関与し、タイの子供の心臓が生きたまま使われようとしていた。それを新聞記者やNPOのボランティアが暴いていく。両親はそのからくりを告げられ、激しく動揺する。「命の提供のされ方が大切なんです」と、福嶌さんは念をおす。脳死となったドナーからの臓器提供には、それによって誰かを助けたいという善意。それは正しい法律にのっとったものだということが大前提になっていないと、心臓移植の場合は命をもらうのに等しいことだけに、移植を受けた人たちは生きていけないという。「だから描写の部分で、誤解を生みたくなかったというのが映画に関わったいちばんの理由ですね」映画の企画段階で、福嶌さんに取材協力を請うたのは、阪本順治監督の映画のほとんどを手がけてきた映画プロデューサーの椎井友紀子氏だ。タイが舞台で、日本の子供に心臓移植をする。福嶌さんは、はじめは概略もつかめず、突拍子もない話だと思ったという。「そのときに椎井さんが言うには、タイの子供たちが置かれている悲惨さも出したいんだけれども、間違った情報を伝えるのはいやだから意見を聞かせてほしい。それで、子供の心臓移植に関する現状を資料とともに説明しながら話をしたんです。脚本に書かれているものと食い違っているところがある。そこは直してもいいと即答されたので、これはきっちりタッグを組んで、間違いがないように伝えることがお互いにとっていいことだし、映画館で封切られるまで一緒にやらないと意味がないと思ったんです。映画のパンフレットの隅っこにでも、『こんなことが実際に起こってはいけない』というようなことを書かせてもらえないか。映画館にドナーの意思表示カードを置かしてもらえないかとか。映画としてショッキングだったで、終わりではなくて、子供たちの移植の道が閉ざされてしまうと、映画のようなことが起こらないとも言い切れない。そうなってはいけないと思うからこそ、考えてほしいんです」負担の大きい海外渡航試写のたび、見た人がどんな感想を口にするのか。気にかかるというだけでなく、知っておかなければいけないと思ったという。福嶌さんが最初の脚本に手を加えたのは、8箇所。顕著なのは、心臓移植のため、タイに渡航する少年が飛行機を使い、入国する場面だ。「最初のシナリオでは、飛行機から降り立って、自分で歩けるような軽症だったので、それはないだろうと。こんな格好で車椅子に乗せられて、吸入器を使ってというふうに絵を描きました」


── 渡航の際には、担当医が付いていかなければいけないんですよね。

医者が付いていかないで済むような人は、移植がいらないんですよ。飛行機の中で、死んでしまうこともありますから。極端な言い方をすると、日本の病院でICU(集中治療室)にいる人を、飛行機に乗せるのに等しい。移植を待つ間、そうした人を一年、日本では三年はもたさないといけないんです」

飛行中は、気圧が下がる。気圧に依存して酸素を取りこんでいるので、酸素濃度の低下とともに、肺の血圧が上がるように人間の身体はできている。

心臓の悪い子は、もともと肺の血圧が高く、肺に血がたまりやすい。高度が高くなるだけで、心臓にとっての負担がかかるため、酸素吸入を必要とする。医師がいちばん恐れるのは、飛行機の離陸時。しかも、乗務員から、計器がおかしくなるからとモニターを止めるように求められるんです」こうした海外渡航による手術は、それだけで身体への負担が大きい。そのため向こうに着いた翌日に亡くなることもあるという。

話を中断し、福嶌さんは携帯電話を取り出した。「この子は、移植を待っていて、海外に行くのを準備していたんですけど」差し出された携帯電話の待ち受け画面には、子供の写真が載っていた。10歳に満たないくらいの男の子が、頭に節分の鬼のお面をつけ、ベッドに寝転んで、笑っている。「この日にショックを起こして、その後の治療の甲斐なく20日後に亡くなったんです。普通の顔しているでしょう。こんな子が死んでしまう。想像つきます?」

福嶌さんが、法改正に熱をいれるのも、日々、患者の子供を目にしているから。「この子なんか半年ばかり、1日500ccの水を飲むのを我慢してたんだけど、それでも心不全が治らなくて、どんどん悪くなる。地獄やわね」(後編に続く)

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【我ら、文化系暴走派】

「闇の子供たち」が映す臓器移植の課題~大阪大学医学部付属病院移植医療部 福嶌教偉さん【後編】

臓器移植という方法を持ち得なかったならばいざしらず、その道を歩みはじめてしまった以上、後戻りは現実には不可能だろう・・。

タイでの幼児買売春と臓器密売をテーマとした映画「闇の子供たち」。この作品に取材協力をした福嶌教偉さんは、現役医師として、臓器移植法改正に精力的に取り組んできた。映画と現実との違い、そして今後の臓器移植のあり方について、引き続き話をうかがった。(前回からの紹介)


── 映画では、子供の心臓移植とともに、臓器売買の問題を描いていますが、現実にはない、これは映画のフィクション部分というのは、どこなんでしょうか。

まずはタイで、日本人が心臓移植を受けた例はないということですよね。次に、心臓移植を受けようと思っている子供の両親が、よその子供を殺してまで自分の子供を助けたい、精神的にそう思っている人は、一人もいないということです。親だから、子供をなんとしても助けたいという思いはあっても、みんな我慢して死んでいっている。人を殺してまで、生きたい、生かしたいという親はいません。もう一つ、心臓移植はリスクが高すぎて、儲けということでは成立しないかもしれない。というのも、心臓移植をしようと思ったら、心臓を止めている間に人工心肺の器械を動かしていないといけないし、手術するためにはたくさんの人がいる。腎臓移植なら、ある程度うまい人がいたら、助手と二人で手術をすますことができる。でも心臓の手術はぜったい少人数ではできませんから。それはありえない」心臓麻酔の専門医と、人工心肺の器械をまわすのに1人、手術医が3人と看護婦という具合に計算していくと、エキスパートが8人は揃わないと心臓移植は行えないという。「8人を口止めして、儲けも出そうなんて考えたら、ビジネスとして儲からへん。それに、見つかったときには心臓だったら死刑でしょう。タイの外科医といえばエリートの人たちです。その人たちがいくらなんでも、そんな危ないことに手を貸すとは思えない。映画では、なんらかの事情があってということにしているけれど、そこは医療の現場にいる者の目からすると、映画のフィクションといえるでしょう」


臓器は石油じゃない

── 映画では、手術を待つ子供の母親が「タイでの移植には生きた子供の臓器が使われる。手術を断念してほしい、そうでなければ人の命を金で買うことになる」と、NPOの女性から詰め寄られ、思わず母親が「あなたは息子に死ねと言うのですか」と激してしまう場面があります。

「あそこは僕も悩んだんだけど。あのお母さんが、ある意味、感情的には母親らしいのかもしれない。自分の子供のことでまわりが目に入らなくなっているわけですから。でも、僕としては、ちがう言い方をしてほしかったなぁというのはあります。すくなくとも、僕が目にしてきたお母さんたちは、違っていましたから。ただ、そのかわりといってはなんですが、父親役の佐藤浩市さんがあそこで語る台詞は、僕が書きくわえたものを生かしてもらいました」

 タイで自分の子供が移植を受けるのは、前提として「正規のルール」に従ったものだと信じるからだと父親は言い、「石油じゃないんだぜ。よその国に頼るなんて、オレだってしたくなかったよ」と苦悩をぶちまけている。その後も監督やプロデューサーとの交流は深まり、企画の進展とともにシナリオが書き換えられていく過程にも、福嶌さんは触れることができた。身近に映画づくりの一端を体験するなか、チームワークということでは、外科の手術と映画づくりには通じるものがあるという。「外科もチームでやっていますからね。誰と組むのかで同じ手術もぜんぜん違う」福嶌さんの専門は、小児の心臓手術。前の日の検査をみて、こういうふうに手術をしようとプランニングし、スタッフに納得させる。それに心臓を止めるまでに、わからないことがある。心臓を長い時間は止められないので、手術は迅速を要する。言葉は適切じゃないかもしれないけれど、限られた時間のなかで、一つの作品を作り上げるようなもので。そういう意味では、映画に通じるところがある。チアノーゼといって身体の中に酸素が少ない子供の手術だと、紫色をしていた顔色が、病室に帰ってきたときにはピンク色なんです」このとき、治してもらったということを、親も実感する。外科医のやりがいは、目に見える成果がすぐにでるところにある。


・外科医を選んだ理由

福嶌さんは、本来は外科医を志したわけではなかった。「もともとは研究したかったんですよ。日本でいちばん最初の心臓移植だった和田移植があったのが、小学6年生のときでした。そのとき夏休みで、テレビで見ていたんです」 最初は移植医に対して、マスメディアは神様のように賞賛した。しかし、移植を受けた人が亡くなったとたん、メディアも世論も、非難の嵐へと逆転した。そのとき福嶌さんは、こう考えたという。「ドナーがなくても救うことができたのなら、こういう騒動もなかったんだろうな」臓器は作れないものか。自分の細胞から臓器を作って、それで移植をしないですむのならどんなに素晴らしいことか。そのための研究をしようと理学部への進学を考えた。

「あとになって、医学部の中にもそういう研究をしている人がいるということを知るんですけどね。当時は知らなかった。それで中学に入って、親にそういう話をしたら、『おまえ、理学部なんかで食べられへん。医学部にしとけ』と言われた。だから、医学部にしたのはある意味、不純なんですけどね」医学部の中にも基礎医学なら、そうした研究も可能だと知って進路を決めた。しかし、大学三年のとき、基礎医学の実習を重ねるうちに、研究が研究のためのものでしかない現実に、福嶌さんは疑問を抱くようになる。研究よりも、患者さんを診ようと決断した。


── なぜ、そのとき外科医を選ばれたのですか。

「目の前に倒れている人がいて、それを助けられないとしたら絶対、自分は悔しいと思うだろうと思ったんです。医療のほとんどのことができるのが、外科なんですよね。それが外科を選んだいちばんの理由です。 もう一つは、自分に向いていると思ったから。チーム医療ができない人間は、外科医になれませんから。どんなに技術が優れていても、目の前にいる人間が信用できないとダメなんです。 サッカーでも、どんな一流選手であっても、アシストを信用しますよね。『俺がなんでもやったるぞぉ』というのは、ダメ。あるいは、じっくり考えすぎて、動こうしないのもダメで。外科というのは、徒党を組んで動くタイプじゃないといけないんです」大学の恩師の勧めもあり、心臓外科を選び、最初の心臓外科の病院では小児を受け持った。しかし、壁に突き当たった。通常の手術では治せない子供がいることを、現場で実感したのだ。臓器移植をしないですむように医者になった「拡張型心筋症の子とか、先天性心疾患で、治したくても治せない子供がいる。簡単にいえば、12歳のときから26歳まで、15年間経っても医療は進んでなくて、再生なんて何もできてない。いますぐに求められているのは、そのとき移植かなと思った」それでも、福嶌さんが12歳の夏に抱いた膨らんだ思いは、40年経った現在も変わってはいない。「だから僕は、移植をしないで済むようにするために医者になりたいと思ったんですよ、実は」神戸が震災に見舞われたときに彼は、率先してボランティアで行くことを志願した。神戸は、かつて勤務した地でもあった。ふだんは温厚な福嶌さんが、憤ったことがある。市役所の一階の暖房が止められていた。そのフロアにいた福嶌さんに、「先生、なんでそんなところにいるんですか。上がってください」と声がかけられた。当時、ホームレスの人たちが被災者の中に紛れ込んでいるからと一階部分だけ、暖房を停止させていたらしい。その1階には、たくさんの被災者が毛布にくるまって生活していたんですよ。上の階の市役所の役人の部屋では暖房が効いて、食べ物も十分にありました」どうして自分たちだけがぬくぬくとしていられるのか。特権意識が理解できず、誘いを断ったときの、自分に向けられた怪訝な目が忘れられないという。「医療不信」とよくいわれるが、医療技術もさることながら、緊急の際にどれだけ最善を尽くしてもらえたか。このお医者さんになら、身をまかせてもいい。いつ患者になるかしれない側からすれば、現場での関係が築かれているか否かが、脳死移植の前提にあるように思える。「脳死移植」に危惧を抱く人たちが少なくないのも、観念的な「脳死論議」よりも、医療過誤などの信頼しがたい医療の現状を耳にする機会が多すぎることが、背景にあるように思えてならない。ドナーの家族の幸福を考えなければいけない「いま、ドナー提供をしたために地元で、子供の臓器を売ったと言われたり、人間じゃないとか、いっぱいひどいことを言われ、身の狭い思いをしている人がおられるんですよ」福嶌さんは、自分の子供の臓器を提供したことが、はっきり人に言えるような環境作りをしないことには、脳死移植は進まないという。

「しかし、それを解決することが、いまの国ではできない。もっともっと移植提供について考えてもらわないと。それは売買だとか、エゴではなくて、ほかの人のためを思って、どこかで自分の子供の心臓が生き続けてほしいとか、そういう純粋な気持ちから行われるものだということをわかってほしい」福嶌さんが、移植医でありながら異色に映るのは、法改正を訴えながらも、ドナーの家族に対するケアを法律に盛り込まねばならいと考えている点だ。ドナーの家族が不幸になったのでは、臓器移植の根底が崩れると福嶌さんはいう。現場を抱える医者でありながら、多忙な中をやりくりして、法改正の運動に関わっている理由を再度問うと、こんな答えが返ってきた。「法律が出来て、今度、法律にあった制度をつくるというときに、ドナーの家族のことも考えないといけない。いま、こんだけ中心で関わったら、僕の言うことにちょっとは耳を傾けてくれるやろうから」法律の改正が実現すれば、実施までの一年間いろんな見直しが必要となる。「ドナーファミリーに対する心のケアのための予算をとるとか。カウンセリングのシステムをつくる。そのための人材も必要にもなってくるでしょうし。そういう制度的な見直しを国に訴えていきたいと思っている。僕は、実は、この法律がどうのこうのという前に、現状をなんとかしてくれと役所に頼みに行ったんですよ。ドナー家族が、子供の臓器を売ったと非難され苦しんだりしている。というのも、臓器移植について一般的にまだまだ知られていない。臓器提供が無償であることさえ理解されていないのが現状です。だけど、行政としては、移植例は少ないし、予算もないから何も出来ない。そのときに、『法律でも変わったらな』と言われたんです。それが、行動を起すきっかけになったんですよね」脳死は「人の死」か?