虚飾と自己陶酔に満ちた北京五輪の開会式セレモニーの意味を読み解く。(じじ放談)
ようちゃん、おすすめ記事。↓
▼虚飾と自己陶酔に満ちた北京五輪の開会式セレモニーの意味を読み解く。(じじ放談)
中国共産党胡錦涛指導部にとって北京五輪は6年前の政権発足直後から「最大の政治的イベント」と位置づけられてきた。北京五輪を成功させることは、共産党王朝の正当性を13億人民大衆に誇示できる唯一にして最大の場と位置づけられてきた。
北京五輪の開会式セレモニーは共産党王朝胡錦涛政権が全身全霊を賭けて取り組んだ成果といってよい。その意味で、開会式セレモニーは、共産党王朝の思想・信条を最も顕現しているはずだ。
中国共産党は党規約に「マルクス・レーニン主義と毛沢東思想」を掲げる共産主義政党ということになっている。北朝鮮、ベトナム、キューバ、ベネズエラ等、社会主義政権を自認する各国は、「共産主義国家の盟主である中国は、北京五輪で共産主義の偉大さを喧伝する」と期待し想定していたはずである。だが、彼らの期待は見事に裏切られた。北京五輪セレモニーでは「共産主義の共の字」も現れなかった。そればかりか「大中華主義」という大国意識丸出しの演出に終始した。北朝鮮の金正日首領も「がっかりした」であろう。金正日も「予想はしていた」であろうが、現実となって眼前に出現したからさぞ「虚脱感に襲われた」のではあるまいか。
(北京五輪の開会式セレモニーの特徴を検討してみたい。)
第1.米ロ日仏を初め各国首脳を招聘して共産党王朝の威光を示すことができた。
中国歴代王朝が近隣の服属国家からの「朝貢」を歓迎したのは、「王朝の威光があまねく周辺諸国を照らし、周辺諸国は中国王朝の徳を慕って朝貢してきた」という宣伝効果を狙っていたとされる。朝貢国は多ければ多いほど王朝の偉大さを人民大衆に示すことができるから、歴代王朝が盛大な儀式に拘ったのも無理はない。胡錦涛皇帝も同じ感覚であったろう。邪馬台国の女王卑弥呼が「親魏倭王」という破格の冠位を授与された件につき中西輝正は「軍事政略上の意図があったのではないか」と指摘しているが、そればかりではあるまい。東海の小島より艱難辛苦、万里の波頭を乗り越えて「魏の皇帝陛下の徳を慕って朝貢した事実」について、魏王朝側は「宣伝効果があるとみなした」と見るべきであろう。だから魏王朝側は偉大なる宣伝効果に見合う「格別な厚遇」で処遇したと見るべきではなかろうか。今回の北京五輪の開会式に各国首脳を招聘した件につき、英国とドイツは欠席した。フランスのサルコジ大統領は「チベット人大虐殺で欠席する予定」であったところ、中国に進出しているフランス系「スーパー」への不買運動を仕掛けられ「商いを優先する」立場に追い込まれた。中国共産党が下級党員に指示して煽動した「不買運動」の疑いが濃厚である。サルコジは中国共産党の「不買運動」という圧力に屈した。中国の経済支援を受けているアフリカ諸国、中国との貿易で稼いでいる米露仏ほかは「お義理」で付き合わされた。喜々として出席したのは「我が福田康夫だけ」ではなかろうか。それも、自衛隊の軍用機で北京に乗り込んだから「中国軍の特別待遇」が目につく。
第2.中国共産党は「伝統回帰路線」に転向したのか?
毛沢東が発動した「文化大革命」は伝統を破壊した暴力であった。あらゆる宗教は窒息寸前に追い込まれた。共産主義が唱えた「宗教はアヘンである」という理論を実践した。共産主義者毛沢東としては「言行一致」の精神を貫いただけであろう。不可解なことは一つもない。北京五輪の開会式セレモニーは最初に「伝統的な紙漉き作業」を大写した。羅針盤も見せた。中国が世界に先駆け発明した歴史的業績を誇示した。伝統文化を否定した中国共産党が「中国の伝統文化の継承者」を名乗った。天安門には現在でも毛沢東の肖像画を掲げているのに矛盾は感じないのであろうか。胡錦涛ほか現指導部の「言行不一致ぶり」は目に余るものがある。「破廉恥な所業」というほかはない。次に、孔子の門下生らしき古代の服装をした大軍団が登場。威風堂々の演技を披露した。「中国は儒教国家である」と指摘したハンチントンの「文明の衝突」を彷彿とせるシーンである。中国共産党は海外100か国以上に「孔子学院」なる中国文化広報宣伝施設を設けているから、「儒教を政治的に悪用している」と考えられない訳でもない。中国共産党は、共産主義を捨て「儒教国家」に生れ変わったのであろうか?そうであれば「共産党独裁」という政治制度は廃止すべきである。だが、腐敗、汚職並びに職権乱用で利権を独占している共産党指導部とその一族は特権を保持するために「建前としての共産党独裁政権」を必要としている。毛沢東の肖像画を掲げ続ける所以だ。共産党独裁政治に対する中国人民大衆の怒りは天をも貫く勢いにある。当局の発表でも年間8万件を超える暴動が発生している。「中国共産党を美化する洗脳教育を施された」中国人民大衆は、中国共産党の悪政に辟易している。大紀元日本のウエブサイトが報じる中国共産党並びに同関連組織からの離脱表明者が、この3年8か月間で4100万人を超えた(8月11日現在)。中国共産党は内部から崩壊している。もはや誰も「共産主義」を信じるものはいない。
むろん、胡錦涛や温家宝も「共産主義を信じていない」はずだ。だから、中国最大の歴史的事業である北京五輪の開会式セレモニーで「儒教と伝統文化」を柱にすえて宣伝したのだ。「共産主義」を捨て「伝統文化と儒教主義」に転換したのだ。
第3.多民族国家の融和を宣伝してみせる中国共産党
56民族の民族衣装で行列させただけであるから準備は簡単であったろう。カネも手間もかかっていない。チベット、ウイグルを初め少数民族の暴動が多発しているから「急ごしらえ」で挿入したものかもしれぬ。国際社会の目をくらますつもりであったのではないか。北京五輪が始まった後、東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)では爆弾テロが頻発している。我が国の新聞記者も取材中、公安警察に暴行を受け拘留されている。米国人の観光客が北京で刺殺された。犯人は「共産党中央に直訴すべく北京で4年間も我慢し絶望した地方出身者」とされる。広東省では「繊維産業の大規模な倒産で北京五輪どころではない」という雰囲気なのだという。少数民族だけでなく漢族においても「北京五輪どころではない。明日の飯が食えるかどうか」という切羽つまった状態にあるようだ。
第4.宇宙飛行士の映像
旧ソビエトの宇宙飛行士の映像か?と間違えるほど酷似しているので、例によって「パクったのか?」と感じた次第である。ロシア製の最新鋭戦闘機を模造し安価で外国に輸出している件につき、ロシア軍が激怒していると報じられている。人口衛星技術を模倣しても不思議ではない。北京から天津までの新幹線はドイツと日本の技術を導入したものであるが、中国共産党はこれを「国産」と偽り、中国国民に説明している。13億人民大衆を騙すことを平気で行う。おそらく13億人民大衆も「国産」と信じているものはおるまい。「ウソも100回いうと真実になる」というのは一面の真理ではあるが、いつも通用できる論理ではない。狼少年ではないが「いつもウソをついている」と誰も信用しなくなる。中国共産党の宣伝も13億人民大衆にとっては「またウソをついている」と受け止められているのではないか。いつもウソをついていると、例え「真実」を話しても誰も信用しない。
第5、「宇宙船地球号」の模型
炭酸ガス排出削減に最も不熱心で、汚染物質を垂れ流している中国。中国の主要河川のほとんどは飲料水に適さないといわれるほど環境汚染を蔓延させている中国。我が国にも「酸性雨」や「オゾン物質」で被害を与えている中国。「お前にだけは言われたくない」という言葉がある。地球環境を問題とするのならばまず「中国国内の環境汚染」を除去すべく尽力したら如何であろうか。世界の首脳を集めて説教する立場ではあるまい。厚かましいにもほどがある。
第6.「和」という標語
胡錦涛・温家宝の6年間で、中国国内の貧富の格差はさらに顕著になった。20歳代の女性が2兆円の財産を持っているかと思えば、「その日暮らしの、明日の飯にも困窮する」人民大衆が何億人もいる。干ばつと化学物質に汚染された河川だらけで飲料水の確保に難渋している人民大衆が何百万人、何千万人もいる。胡錦涛は「和諧社会の実現」なるスローガンを党規約に盛り込んだが、現実は格差が拡大するばかりである。インフレの高進と北京五輪用の公共事業が終わったから国内需要は大きく減少する。米国経済の失速に伴い輸出産業も打撃を受け失速、倒産が相次ぐ。中国の不動産バブルが崩壊し始めた。上海株式市場は高値の40%に暴落した。底値が見えない。株価と住宅価格はさらに暴落するのではないか。我が国のバブル崩壊では最高値の20%程度まで下落して底値をつけた。上海市場の株価が6000台の高値から1000前後に暴落しても不思議ではない。11日付け上海市場(終値)は2470である。中国経済は内憂外患という状態にある。バブル崩壊、繊維産業を中心とする輸出関連産業の不振とインフレが共存する典型的なスタグフレーションになりつつある。結果、近未来の中国では「食うに食えない人民大衆が数億人」という異常事態が発生しても不思議ではない。「中国の格差は益々拡大する」と考えてよい。「食えない人民大衆」の怒りは爆発する。「赤い帽子をかぶった一部の資本家(共産党幹部の一族)」は大不況の中で益々肥え太る。加えて、国家税収が激減する中で軍は「軍事予算の大幅増額」を強要するから矛盾は益々激化する。共産党幹部とその一族と13億人民大衆の対立と矛盾は「敵対的矛盾」に転化する。中国共産党独裁政権は「打倒すべき敵」となる。東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)の暴動を初め、昨今の暴動の特徴は「政府や公安施設」を標的にすることが多くなった。共産党指導部と虐げられた人民大衆の対立が「敵対的矛盾」に転換した証拠である。
第7、人間性軽視の「2008年8月8日午後8時」の開会式
「縁起の良い開会式」という縁起かつぎで設定された2008年8月8日午後8時という開会式は最悪の環境であった。「鳥の巣ドーム」は30度を超える温度と高湿度で、熱中症患者が500人以上も出たという。招待された外国首脳も正装で4時間も待たされたから「息も絶え絶え」であったに違いない。それよりも可哀想なのは、各国選手団を歓迎すべく動員された美女軍団である。彼女らは4時間もドーム内で雰囲気を盛り上げる演技を行わされた。胡錦涛皇帝陛下の面前であるから「用足し」にも行けず、悪戦苦闘、我慢できず「垂れ流した」美女も大勢いたのではあるまいか。
第8.マスゲームについて
共産主義国家は「マスゲーム」が大好きである。金正日首領様の「お気に入り」でもある。大きな行事があると必ず「マスゲーム」が披露される。結果、小中学生は学業そっちのけで、「マスゲームの練習」で鍛えられる。北京五輪のマスゲームは金正日が「まっさお」となる位見事なものであった。おそらく、体育関係の学校で美貌に秀でた青年男女を集め「北京五輪の開会式要員」として公務員待遇で雇用し、朝から晩まで何年間も練習に注力させたのではあるまいか。数年間の厳しい練習の成果を「開会式での10分間のマスゲームで吐き出す」使命を与えられていたのではあるまいか。「国家の威信は諸君の双肩にかかっている」とかの美辞麗句で騙して、厳しい訓練を課したのであろう。あれほど条件反射で行動できるまで身体に覚え込ませるには、単調な動作を何千・何万回も反復する訓練が必要である。彼らの青春は「単調な動作の反復」の日々であったと推測できる。将来性ある有為な青年男女の貴重な年月が、北京五輪の開会式のマスゲームを成功させるだけの目的で浪費された。開会式が終われば、これまでの努力は「無」になる。学業や職歴であれば「個人の資産」として身につくが、マスゲームで個人の資産になるものは皆無だ。彼らは「貴重な青春の有意義な時間」を奪われた。
第9.色褪せた「北京五輪」
中国国内での相次ぐ暴動とテロは「平和の祭典」を台無しにするものである。東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)のゲリラも、共産党北京政府に打撃を与える目的を持って各種の爆弾闘争を展開している。「数十名の犠牲者を出す覚悟」で実行している爆弾テロであろう。さらに、開会式当日の8日、グルジア軍とロシア軍が戦争状態に突入した。ロシアやグルジアだけでなく、ヨーロッパ諸国の経済に甚大な影響を及ぼすおそれがあるからオリンピックどころではなくなった。早速、フランスの外相がグルジアとロシアの仲介に乗り出したのもフランスのあせりを示している。国連安保理は常任理事国であるロシアが一方の当事者であるから機能しない。国連は常任理事国5か国が談合する場に過ぎない。常任理事国を制裁したり拘束する権限は国連には与えられていない。ということで、当面、世界の耳目は「ロシアとグルジアの戦争」に集まらざるをえない。ブッシュ米大統領が「同盟国であるグルジアを見捨てることはない」と断言したから、ロシアとの話し合いが円滑に進むとは思えない。想定どおりではあるが、ロシアは「グルジア大統領の交代」を主張し始めた。「親欧米大統領とは話し合いはできない」という訳である。
第10.北京五輪はどうなる?
各種競技は予定通り進行中である。それにしても100平で北島康介選手が世界新記録で金メダルをとったことは慶賀にたえない。日章旗が中央で掲揚され君が代も吹奏された。NHKが莫大な放映権料を支払い北京五輪の映像を流し続けてくれるから「家」にいても観戦できる。電気料金以外の「カネがかかない」のが喜ばしい。もっとも、「命がけで北京や天津に出かける」日本人もいるから「やめとけば」というつもりはない。何事も「自由意思」「自己決定」の世界である。他人がいろいろ苦言を呈したり、注意を喚起する必要はあるまい。我が国は自由主義国家である。マスゲームで動員される危険もない。すべて「自己責任」で身を処すことになっている。北京五輪に出場した我が国の選手が健闘してくれることを期待する。彼らは日本国代表として奮闘している。幸運にも3位以内になれば、表彰式で日章旗が掲揚される。金メダルをとれば「君が代」が吹奏される。彼らが「個人の資格」で参加しているという意識であっても、又は家族・親族・職場の同僚の励ましだけで参加しているとしても、彼らが日本国の代表としてオリンピックに出場している事実は変わらない。北京五輪は中国共産党の日頃の「悪しき行状」のせいで盛り上がりに欠けるものとなった。北京五輪の成功を祈る気持はないが、日本国代表として奮闘している選手諸君の健闘は讃えたい。
問題多き北京五輪ではあるが、選手諸君に責任はない。選手を送り出した我が国の責任でもない。