「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」  | 日本のお姉さん

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 

ようちゃん、おすすめ記事。↓「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
    平成20年(2008年)8月10日(日曜日)
通巻第2282号  (日曜版)
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♪岩田温『チベット大虐殺と朝日新聞』(オークラ出版)
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朝日新聞の川柳に「五輪前、どうにも邪魔な 生き仏」という投稿が採用された(08年3月20日、朝日歌壇)。
 ――無神経だなぁ。
いつぞや、「歳時記に 憂国忌という こわい季語」というのが読売川柳に採用された。昭和四十七年頃だったが、おなじようなメンタリティ、度を超すおちゃらけである。
著者の岩田氏は「ふざけすぎ」と朝日新聞に抗議の電話をかけたところ、「あれは中国を批判しているもの」と朝日の担当者は話題を巧妙にすり替えようとしたそうな。

そもそもチベットに於ける人民解放軍の大虐殺を「解放」と呼んで、中国共産党の宣伝部の役割を自ら買って出ていた朝日新聞が、鳩山前法相に投げた『死に神』そのものではないか。
そこで1945年からの朝日新聞が報じた6000件ものチベット記事を時系列にさぐって、論調がいかに変わったのかを検証したのが本書、凄い労作である。毎日大学図書館へかよって、過去60年のファイルをしらべ、スクラップを作ったというから、それだけでも歴史家の仕事である。

 以下、本書に従うと朝日は1952年GHQが占領を終えて日本から去るまでに比較的まとも、チベット問題に冷静、かつ中立的であった事実が浮き彫りになる。侵略を「中共のチベット侵入」と表記した朝日は、「中国は十八世紀以来チベットに対して宗主権を主張してきたが、それは名目上のものに過ぎなかった」(1950年11月2日)
と書いていた。「中共がチベットを制圧すると、共産主義の脅威は東南アジアからさらに中東まで及ぶことになる。ネパールやブータンのような緩衝国の地位は少なからず不安になる。千三百マイルにわたって国境を接するインドも、共産主義の浸透に対しては重大な関心」(50年10月29日社説)。
この時点までは朝日は「共産主義は悪」という前提で、中国も「中共」というタームで捉えている。
 この姿勢ががらりと変調し、北京にべったりになるのが52年から、その後の同紙の論調の凄まじき変貌ぶりに関しては述べるまでもないだろう。「侵略」と「文化破壊」を「近代化」と言いつのり、チベット人虐殺を奴隷解放のためとすり替えた。チベットの文化を守ろうとする者に分離分裂主義の策士だと言いつのり、要するに朝日のメンタリティにおいては中国共産党が是であり、チベット独立は非なのである。
どうしてそんな貧弱な発想しか出来なくなったのか、朝日新聞の思考停止ぶりについて学究的に掘り下げている。哀れを催す知的退廃だが、まだこんな新聞を読んでいる国民は、もっと哀れである。
本書はチベット問題のみならずメディアのあり方を考える意味に於いても、おおいに参考になった。
        
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 ♪(読者の声1)貴誌通巻第2281号PB氏が(読者の声1)で「。。。宮脇淳子『世界史のなかの満洲帝国』では清王朝は満蒙漢回蔵の同君連合であった」、とあります。満蒙独立運動の背景が少しわかったように思います」と書かれました。
清王朝は、元王朝、より正確には大元蒙古国の後継者を以って任じていました。これは、満州族が中原を含むシナ地域を統治・支配することの正統性を主張するために便利であったことと、当時弱体化してあまり助けにはならなかったモンゴル族ではあったが、明王朝打倒に彼らを味方につけることの有利さを満州族の指導者が認めたからです。
清王朝は満州族とモンゴル族の共同王朝であることを表向き謳っていて、ある程度モンゴル族も優遇されました。清王朝の公式の文書は満州語とモンゴル語で発行されました。漢文版も出されるようになったのは、清王朝が滅亡に近くなってからです。
また、「大元蒙古国」を「元」と呼ぶことは正確ではありません。彼らは、自らを歴代のシナ王朝のひとつであると認めていたのではありません。モンゴル帝国に属する諸国の内その嫡流のいわば宗主国がモンゴルからシナにわたる地域を領土としてきて、その宗主国の国号がたまたま「大元」であっただけです。別な例をあげれば前漢初期漢王朝はトルキスタンに臣従し、いわばトルキスタンのシナ地域における代官でありました。このとき、たまたまトルキスタンが当時「漢」と呼ばれシナをその版図の一部としていたからといって、当時のトルキスタンの王朝を「漢」と呼ぶのが不適切であるのと同様です。この点を考慮するとますます満蒙独立運動の背景がわかってきます。

話は跳びますが(オリンピック期間中なので「飛ぶ」ではなく「跳ぶ」)、紙は朝鮮半島でシナより先に作られ始めました。ただし、量産が始まったのは、シナの方が先でしょう。
北京オリンピック開会式で紙をテーマにしたことに韓国政府が抗議しなかったのはやはり、当時韓国がシナの属国つまりシナの一部だったからなのでしょうか。そして、韓国政府が抗議しないのはひょっとしたら今でも属国だからなのでしょうか。
北京オリンピックの最初の方で、黒衣装を纏って自身の腕を筆とした人たちが紙に描いたのは、左に山々、右に大きな太陽でした。これは開催者自身が太陽のように輝く東方の君主国にとうてい敵(かな)わないと認め、敬意を表したのでしょう。これは、孔子がそもそもその国を「東方の君主国」と呼んだことでもわかりますし、その次に「和」という字を重ねて大きく表示したことからも分かります。(ST生、神奈川)

(宮崎正弘のコメント)ついでに言いますが「五輪」を中国語は常用せず、「奥運」(オゥユン)と言います。オリンピックを漢語で当てると奥林泌克、競技会は「運動会」を当てます。ですから、日本人が行って「奥運」「奥運」と言われてもぽかんとしているのは漢字のニュアンスが違いすぎるからでしょう。

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平成20年(2008年)8月11日(月曜日)
通巻第2283号 (8月10日発行)

 ロシア、グルジアへの軍事攻勢はアブハジア独立支援だけか?
  隠れた意図はジェイハン・ルートを頓挫させ、原油高騰の維持ではないのか
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 ロシアはグルジア攻撃をぬかりなく準備してきた。
 そもそもコソボ独立に反対し、されどオセチア独立に賛成し、チェチェン独立は武力で弾圧し、ユーゴスラビア解体のときに何も出来なかった恨みを晴らすかのように、グルジアをぺしゃんこになるまで軍事攻勢をかけようとしている。

 親米派のサアカシビリ政権があぶない。
 英米はこぞって即時停戦を呼びかけ、グルジアは五輪からの選手撤退を検討し、欧州のメディアは五輪そっちのけ、一面トップ・ニュースはグルジアである。ロシアは資源戦略の一環として複雑な思惑を秘めた軍事作戦を採っている。

 第一に北京五輪の虚をついた。
プーチンは何事もないかのような笑顔をつくって北京五輪の開会式へ出席し、胡錦濤やブッシュと握手し、その笑顔を変えないで、グルジア攻撃を命じていた。鉄面皮。

第二は米国が手も足も出せない窮状をしっていて、その隙に乗じた。米国はイラクで泥沼に陥ってしまい、台湾問題でも北京に譲歩するほどの外向的ていたらく、グルジアを救援するために米軍を派遣することはあり得ない。イランの核武装が着々と進んでいても英米の制裁にモスクワはまったく乗らない。この点では北京と黙契があるかのようだ。

第三にグルジアへの積年の恨みを晴らす絶好の機会なのである。
一昨年、グルジアは二百年ぶりに真の独立を恢復し、ロシア軍は撤退を余儀なくされ、その屈辱の裏返しが年初のオセチア、アブハジア両傀儡政権の事実上の承認だった。外向的に国家承認ではなく、国内国のまま既成事実をみとめ、ロシアの傀儡大統領を「元首」扱いしだした。
戦争準備は出来ていた。

基本的なプーチンの資源戦略は石油高騰を維持し、ガスのカルテルを策定し、さらにウランのカルテルを組織化し、そのためには中央アジアの資源を、ロシアを経由しないルートの建設を徹底的に妨害することにある。

西側が建設を始めたブロッコ・パイプラインに対抗してブルーストリームを並列させて同時に建設し(満鉄に平行した東清鉄道をみよ)、その拠点をベルギー、ウィーンに競わせてむしろEU内部の結束ががたがたに揺らし、ドイツへの資源供給に脅しをかけ、そしてジャイハンルートへの妨害である。ブロッコ・ルートはルーマニア、ブルガリアを巻き込み、EUの団結を削減し、バルト三国は供給を絶たれて悲鳴を挙げている。

 ジェイハンルートとは、中央アジアからアゼルバイジャンのバクー → グルジアを経由し、トルコを西から東へ横断してトルコ南岸のジェイハン港へと至る長大なパイプライン。すでに一日80万バーレルを運ぶが、トルコ内ゲリラの襲撃で五日間ほどストップしたばかりの脆弱性を秘めている。このパイプラインがグルジア領内を通過している。
 ロシアの副次的な狙いは、これであろう。
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戦争指導者として国民的スターだった東條英機は如何なる思想の持ち主だったか戦争前史から国際法の解釈の変更までを広範なパースペクティブで描く
                         評 宮崎正弘

♪福富健一『東條英機 天皇を守り通した男』(講談社)
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 ▽東條英機に対する再評価は、戦後一貫してなされてきたが、極めて少数派だった。半藤一利や司馬遼太郎などの一知半解組の歪んだ解釈が『文藝春秋』などでさえ、しばしは主流だった。評者(宮崎)が記憶する限りでこれまでの東條への前向きの評価は、昭和四十二、三年頃にでた土屋道雄氏の『人間 東條英機』(育誠社)、作家の佐藤早苗さんが遺族のメモを丹念に拾った労作(『東條英機の妻 勝子の生涯』(河出書房新社)と『東條英機「わが無念」獄中日記』(光文社))の二冊を読んだくらい。
後者は雑誌『宝石』に分載されていたおりに、編集担当者から聞いたところでは、面会の度に差し入れた本の行間をびっしりと東條さんは獄中でメモを書いていたという。

ほかに東京裁判の関連図書の中では必ず東條さんは論じられてきたが、保坂氏の論考などいただけない評価が日本の論壇を牛耳り、いまも東條英機の歴史的評価は遅れている。作家は誰も取り上げようとしない。
 まだまだ一方的に悪人扱いなのだ。
さて本書は東條さんに人間的スポットを当てる。ご先祖盛岡藩の逸話から始まり、西南戦争に従軍、乃木希典が東條の父親の上司であった。
伝記風なのも当然だが、大東亜戦争の裏面史を暗号解読、インテリジェンス、外交などから広範に考察し直し、さらには東京裁判で、突如飛び出してきた「平和に対する罪」「人道に対する罪」という法律概念が、いかにして生まれたかの裏面史を書き込んでいる。力作である。

 時代的熱気と背景を同時代的に活写するのはなかなか難しい
東條は「らい王のように自己の個性を超越し、権力者というより国民的スターとしてスポットライトを全身に浴び、自国の歴史と一体となった。東條の『東亜解放』や『大東亜共栄圏』の演説に日本中が酔いしれた。東條とムッソリーニに対する大衆の喝采が消えたとき、英雄伝説はラフマニノフのピアノ協奏曲の魂を震わす悲しい調べのように、孤独な権力者の荘厳な悲劇」となった。しかし、と福富氏は続ける。「東條のメタモルフォーゼのドラマは日本の現代史であり、東條を喝采し、戦後は逆に奈落に落とした、日本人自身のメタモルフォーゼのドラマでもあると言えよう。東條の物語は、日本人を映す鏡であり、日本人のメタモルフォーゼの叙事詩なのである」。

▼弁護士清瀬一郎の登場と国民服の東條
東京裁判で東條の主任弁護士は清貧のひと、清瀬一郎であった。
清瀬は京都帝国大学法学部を首席で卒業し、ベルリンで特許法を学び、大正九年からは衆議院議員として活躍した。『清瀬は長い裁判の日々を古びて擦り切れた背広と、古い大きな兵隊靴で市ヶ谷法廷に通い続けた。(中略)どこか遠くをみつめるその姿には、凜とした男の生き様があふれている。貧しさのなかにも明らかにダンディズムがある』。

こうして「死をためらうことなく受け入れる国民服の東條、擦り切れた背広の清瀬、すでに過去のものとなった日本で、二人は東京裁判という徹底的に不利な戦場で新たな戦いを続け」たのであった。開廷三日目に清瀬はウェッブ裁判長に管轄権の動議をだして、ウェッブ裁判長に管轄権はなく、ましてや『平和に対する罪』や『人道に対する罪』を裁く権限はあろうか、と東京裁判を全否定した。東京裁判は冒頭からもめて動議が連発され、そのたびに日本側の主張は却下された。結局、東京裁判は連合国の復讐劇でしかなかった。

東條は寡黙だが、裁判では堂々と日本の立場を主張した。狼狽し自己弁護におろおろした何人かの戦争指導者に比べると、東條は最後まで死を恐れていなかった。日本を守り通すための論理を淡々とのべたのである。これから本格的に見直される人物である。
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♪(読者の声1)国民集会】「1000万人移民」にNO! 
-あなたの隣に“毒ギョーザ”をつくる人たちが住みつきます-
 
自民党の外国人材交流推進議員連盟(中川秀直会長)がぶち上げた「50年間で1000万人の移民受け入れ」は日本国家の解体に直結するもので、まさに「亡国の底なし沼」に足を踏み入れたといって過言ではない。なぜ「移民」を受け入れてはならないのか、専門家・運動家・政治家が様々な角度からこの問題に切り込む。「移民」は断じて受け入れてはならない。

【と き】平成20年9月3日(水)午後7時開会[6時半開場]
【ところ】文京シビックセンター小ホール[定員371名・予約不要]
     東京メトロ丸ノ内線「後楽園」駅4B、5番出口徒歩3分
     東京メトロ南北線「後楽園」駅5番出口徒歩3分
     都営三田線、大江戸線「春日」駅徒歩3分
     JR「水道橋」駅徒歩8分
【入場無料】(カンパ箱あり)
【登壇者】加瀬英明(外交評論家)、村田春樹(外国人参政権に反対する会)、平田文昭(アジア太平洋人権協議会代表)、笹井宏次朗(元サンパウロ新聞社会部長)、三輪和雄(日本世論の会会長)、有志国会議員・地方議員
【主 催】「1000万人移民」にNO!国民集会実行委員会
     千代田区平河町2-16-5-302 高池法律事務所気付
     連絡先080(5086)2965(藤本)
        090(7725)6256(福永)

(宮崎正弘のコメント)移民、労働不足、そして“明日のドイツ化”する日本。それこそ恐怖の未来図です。ドイツは外国人労働者の全人口比率20%、ついにゲルマン民族のアイデンティティを失い、迂闊にも左翼の暗躍に気づかす、多国籍というより無国籍国家に変貌したように。

♪(読者の声2)朝日新聞のチベット問題の報道姿勢転換について、「この(中立だった)姿勢ががらりと変調し、北京にべったりになるのが52年から、その後の同紙の論調の凄まじき変貌ぶりに関しては述べるまでもないだろう。」ト事実を記されているのは、その通りなのでしょう。なぜかの理由は、書評を見る限りではわかりません。52年もどの月からなのかを示してくれるとありがたいのですが。小生の推察では、52年5月以後と思います。その根拠は、主権回よってGHQによる検閲が無くなったからです。従って、それ以前の冷静な判断も、検閲の範囲内のもので、自前の解説報道とは思えませんね。ただし、この印象は以後の激変から見てのものです。(SJ生)

(宮崎正弘のコメント)おそらくそうでしょうが、朝日社内の人事の暗闘も絡んでいるように思えます。緒方竹虎の勢力が、社主や社内左派との対立へ。今西光男『占領期の朝日新聞と戦争責任』(朝日新聞社)にこのあたりのことが詳しく検証されています。この本、随分前に小紙でも書評しました。
   
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平成20年(2008年)8月11日(月曜日)弐
通巻第2284号 臨時増刊

 NYタイムズが「ロシアvsグルジア」は全面戦争の様相と警告
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10日付けNYタイムズは、北京五輪から一転してカフカスへ視点を転じた。米国は自由民主、親米政権のグルジアに味方すべきであり、ロシアは面戦争の準備をしている様相だ、とつたえた。カフカスが風雲急を告げている。
  
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 暗黒のカフカスの南に希望はあるのか
    世界資源戦争の要衝でなにがおきているかを活写
                     評 宮崎正弘

♪廣瀬陽子『コーカサス 国際関係の十字路』(集英社新書)
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 ▽このタイミングに書店に並んでいる。
カフカスの南に関して日本人は関心の埒外、遠い遠いワンダーランド。ところがチェチェン独立戦争のおりに日本のテレビが相当数チェンチェンに取材に入り、ロシアの汚い遣り方を暴いた。
直近はロシアとグルジアとの戦闘、にわかにカフカスの南に関心が高まる(といっても一般市民は関心さえないが。。。。)。

アゼルバイジャンの首都、バクーは石油基地として、国際政治学や資源の専門家には知られていたが、ここは世紀のスパイ=ゾルゲの出身地でもある。世紀のホロコーストをやってのけたスターリンはグルジア人。
世界一と定評のあるコニャックはアルメニア産。こうしてみると幾ばくかの繋がりがあることが分かる。

本書は上記三カ国(グルジア、アゼルバイジャン、アルメニア)の簡潔な歴史を叙しつつも、ロシアとの関連、民族問題に焦点を絞り込み、同時に資源との絡み、すなわち中央アジア、トルコ、EUそして米国との関連を大局的見地から繋げていく。

 焦眉の急はパイプラインだ。
廣瀬陽子(静岡県立大学準教授)は言う。「(直接西側とをむすぶパイプラインは)予算70億ドルの壮大なものである。エルズルムからはすでにトルコの国内供給用のパイプラインが延びているが、さらに国際輸送向けのパイプラインを新設しようというわけである。ルートは、トルコ、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、オーストリアを結ぶもので、その距離は3300キロ」。ところが「ロシアが様々な手段で計画を妨害している上に、ガスの供給量の問題が生じるなど、プロジェクトが停滞し、2008年4月に、建設開始が2010年、輸送開始は早くても2013年にとなることがあきらかになった」(本書23p)

▼ロシアは陰に陽に妨害
その本格的妨害が、オセチアを巡るグルジアとロシアとの軍事衝突である。本書では、じつに意外な事実が記されていて参考になった。親米自由派のサアカシビリはグルジア国民の待望のもとに産まれて、EU入りを目指し、またNATOに加盟しようとアフガニスタン、イラクへ派兵し、米国から大いなる得点を稼いできた。米国マスコミを見る限りは「評判の良い政治家」だった。
 
ところが著者が現地で突撃取材の結果、サアカシビリの人気は最低、独裁化して政敵を次々と更迭し、失脚させ、ロシアとは余計な摩擦を引き起こす。以前より暮らし向きは悪くなったとあからさまにサアカシビリを批判しているというではないか。ガムサフルディア初代大統領は詩人にして民族派だった。暗殺されて後をついだシェワルナゼは元ソ連外相にしてペレストロイカの実践者だった。が、シェワルナゼの施政もうまくいかず親米派のサアカシビリにとってかわられた。

僅か三年前、キルギスでも民主政治家、清廉を唱われたアカーエフ大統領が眷属もろとも腐敗し、独裁権力となり、国民から追われた。以下は評者の推理。いずこも同じ秋の夕暮れ、国民の目をそらすために、おそらくサアカシビリは無謀な戦端をオセチアとのあいだに開いたのかもしれない。ロシアがそれを待っていたという図式になる。
        
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 ♪((((( 樋泉克夫のコラム )))))
 知道中国 毛沢東

■ 「一つの世界」、「一つの夢」を掲げた北京五輪開会式の模様をTVで覗いてみた。人類共通の「一つの世界」「一つの夢」というより、飽くまでも中国人にとっての「一つの世界」「一つの夢」というのが第一印象。中国における視聴率98%という数字が、その傍証だ。
■産経新聞(8月10日)によれば、総合演出を担当した張芸謀は「10本の映画と撮るより疲れた」が、「世界のすべての人が百点満点と評価すべきではないか」と、まさに”自画自賛”。だとするなら、北京五輪は、張にとっても「一つの世界」「一つの夢」ということになりそうだ。
だが、あの大仰な衣装の群集とレーザー光線と空中浮遊をみせられると、最近の彼の映画をより大仕掛けにしただけではないかとも思える。
彼はまた、「今回の開会式をひと言で表すとロマン」と説明し、「世界の人に中国のロマンを感じる演出を心がけた」とも。
だが思う。ロマンをいうなら、毛沢東の大長征もまたロマンもロマン、大ロマンではなかったか、と。
だから、あの夜の壮大なアトラクションの終幕近くに紅軍を登場させ「ハンニバルもなしえなかった」大長征のシーンを再現し、会場全体の照明を落とす。漆黒の闇に覆われれた「鳥の巣」全体を沈黙が支配する。やがて地鳴りのように「毛主席万歳、毛主席万歳」の喚声。微かな光度のレーザー光線がトラック中央に当てられる。喚声の高まりと共に、トラック中央に巨大な毛沢東の立像が浮かび上がる。
と、その足元に四方八方から紅衛兵に扮した若者が雲霞のように集まってくる。もちろん薄緑の軍服に軍帽、腰には太い皮ベルト。手には真っ赤なビニール表紙の毛沢東語録。「毛主席万歳、毛主席万歳」が鳥の巣に反響し、巨大な音に柱となって北京の夜空を揺るがす。
紅衛兵はトラックを埋め尽くすだけではなく、鳥の巣をも十重二十重に包む。レーザー光線は極彩色に変化し、真っ白な毛沢東の立像も、それに合わせて千変万化する。喚声と光の演舞が最高潮に達したとき、再び会場全体の照明が落とされ、喚声は次第に低くなる。漆黒の闇のなかで微かな「毛主席万歳」。次の瞬間、照明が灯ると、トラックには何もない。誰もいない・・・。
■こうだったら「一つの世界」「一つの夢」をお笑いと共に共有できたはずです・・・残念至極。(ひいずみ・かつお氏は愛知県立大学教授。華僑と京劇の研究者として知られる)。
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