縄文塾通信 <8月号-3(330号)>  | 日本のお姉さん

縄文塾通信 <8月号-3(330号)> 

*ようちゃん、おすすめ記事。↓

縄文塾通信 <8月号-3(330号)> 
◎「竹島と南京」国際政治の視点から  奥中 正之

次世代の日本を背負う子供たちに「竹島は日本の領土である」旨の事実を教えるのかどうかが、政府が決断すべき事項としてクローズアップしていた。渡海文科相はじめ文科省はその方向で決断し、福田首相の裁断に委ねた。「友人のいやがることはしない」ことを政治信条としているらしい福田首相は韓国のいやがる決断を自らは行わなかった。そして「竹島はわが国固有の領土」と領有権を明示することを避け、「竹島の領有権をめぐり日韓の間で主張の相違がある」ことを子供たちに教えるという一歩後退した教育方針が官邸主導で確定されるのを黙認した。
「我が国固有の領土である竹島が韓国に不法占拠されている」というのが日本政府の公式見解である。それならば。なぜ次世代を託す子供たちにその事実を明確に教えようとしないのか。また韓国に対してそのことを堂々と主張し、国際世論を味方につけるための国際広報をしっかりとやらないのか。日本政府の腰の引けた対応には大いなる疑問が残る。領土問題という「原則」を重視し、安易な妥協は避けなければならない事案に関しては、相手が主張すればそれに押されぬ返しの主張が国際政治には必要であり、欠くことのできない鉄則である。ちなみに、韓国側の対応は、日本政府の遠慮がちな対応にもかかわらず、怒りをあらわに表明し、大使を早速本国に召還している。一方アメリカの大手新聞ニューヨークタイムズ紙に「独島(竹島の韓国側呼称)は韓国固有の領土である」旨の全面広告を出した。領有権を巡り主張の対立があり決着がつかない場合には国際裁判所に提訴して決着を図るのが国際慣習であるが、日本の誘いに対して韓国は自信がないのか応じてこない。当事国双方の合意がない限り国際裁判所への提訴は出来ない。歴史的にも法的にも日本領土であることが明白な竹島領有権に関して、不法占拠の既成事実を保持しながら、国際世論を洗脳しつつ、韓国領有を国際社会が認知することを韓国は狙っているとしか考えようがない。国際政治において両国の主張が真っ向から対立し解決の目途が立たない時には軍事力の行使を最後の選択肢として国家が保有しているのが世界の常識である。フォークランド諸島の領有権対立をめぐるアルゼンチンと英国夫々の軍事力行使がその実例である。しかし日本はその選択肢をアメリカによって放棄させられたままである。そのことを韓国はいいように利用している。

それだけに日本は韓国に対して相手の不法性を明確に主張し続け、国際社会の理解を深め、且つ自国民に領土問題の現実を正しく理解・認識させる努力を怠ってはならない。韓国側の国益擁護努力に比し、日本側の対応はいかにも甘い。韓国は四歳の子供にも「独島は韓国のもの」というウソを事実だと偽って教える力の入れようである。事実・実態がかくも明確な竹島領有権問題に関しても、相手国の国益が関わると「クロをシロだ」と言いくるめようとする自己主張が相手国から強烈に発せられる。ところで、今から半世紀以上も前に事実としてあったと中国が主張する「南京大虐殺」について、この竹島問題を契機に改めて原点に戻って考えてみたい。中国は日本軍が南京で三十万人の中国人を虐殺したと主張し、国際社会にもその旨をアピールし続けている。南京大虐殺記念館は巨額の国家予算を投入して拡張され、これを世界遺産に登録しようと中国は努力している。しかし私の常識の判断回路は中国の主張にどうしても抵抗を感じてしまうのだ。

(一)一九三七年十二月に日本軍が南京を攻略した時、南京の人口は二十万人だったと伝えられている。そこで三十万人も殺せるのか?

(二)日本軍が南京を占領後、短期間に南京の人口は二十五万人に増加したと報告されている。三十万人もの大虐殺が実行された無人の地獄に二十五万人もの中国人が短期間に集まるのか?

(三)日本軍が南京を占領後、外国の関係者(外交官やジャーナリスト)が南京に戻ってくるまでの間は一ヶ月くらいしかなかった。すると、約三十日間に三十万人を殺すとなると、毎日一万人を殺しさらにその死体を処理しなければならない。これは大作業であり、事前に綿密な計画がたてられ、その計画に従って膨大な人員・武器・設備を集中投入して効率よく作業を進めなければならない。しかし、南京攻略後直ちに他の地に転戦し、国民党軍と戦わなければならなかった日本軍にそのような余力があったのか?

(四)国際法上裁判ではなく政治ショーであった東京裁判で、元中支派遣軍司令官の松井石根被告は、南京大虐殺の罪で絞首刑になっている。しかし判決は多くの伝聞証拠に依拠して行われたのである。三十万人もの大量殺戮を一ヶ月という短期間に効率よく実行するには入念なる事前計画の策定と人員の動員計画が必要なのは常識的に明らかである。しかしそれらを裏付ける証拠は東京裁判において提出されていない。東京裁判のねらいは、戦場における日本軍隊の残虐性を世界中に宣伝し、日本国民の脳裏に拭いがたい罪悪感を烙印すると同時に、東京大空襲や広島・長崎への原爆投下というアメリカ側の残虐性を消し去るところにあったと考えられている。その東京裁判において南京大虐殺の事前計画が証拠として提出されなかったという事実と中国の主張との乖離に私は強い違和感を覚えるのである。つまり一庶民の素朴な疑問が基本として先ずあり。前述の竹島問題で明らかなように国際政治においては、国益がかかれば「クロをシロだ」と堂々と主張する国があるという現実論に私は立っている。韓国が日本の立場ならば、自国並びに自国民の名誉がかかる国益上の重要案件だけに、「大虐殺など絶対になかった。南京大虐殺はでっちあげだ」と声を上げて主張するだろう。しかし伝統的に正直を旨とする日本人として南京大虐殺はなかったという確信を持ってその旨を世界に発信する方がわが民族性に整合すると考え、私の疑問を裏付けてくれる資料を渉猟した。

関係資料を読み進めると、南京陥落後約十一ヶ月の間に三百回近く開かれた国民党政府による外国人記者会見において、国民党政府は当然のこととして日本軍の暴虐・残虐性を世界に向かって宣伝しているが、しかしそれらの記者会見で一度も「南京大虐殺」について触れられていないことや、戦後訪中した社会党議員が毛沢東に対して、中国侵略を謝罪したところ、彼は「謝る必要はない。
日本軍のお蔭で我々は蒋介石との権力闘争に勝利し、政権を奪取できたのです」とにこやかに答えて、「南京大虐殺」は話題にもしていない。ことなどが分かった。南京大虐殺は東京裁判で突然持ち出され、予期してもいなかった日本側弁護士たちは大いに驚き慌てたと伝えられている。また中国が南京大虐殺を言い出したのは一九八十年以降とのことである。「南京大虐殺」がもし事実でないのならば、何故中国はかくも執拗に且つ国を挙げて「南京大虐殺」を取り上げて日本を責めるのか?国際政治の視点から考察すれば、中国の国益に叶うからであろう。「何が中国の国益なのか?」についていくつかの見方を紹介したい;

その一:
東京裁判で罪の意識を刷り込まれた日本人は南京大虐殺で責められると申し訳ない気持ちに駆られて多額の援助資金を中国に貢ぐことに躊躇しない。これは中国にとっては大きなメリットであるとの見方がある。対中経済支援は過去二十四年間に総計三兆円になる。この援助が間接的に中国の軍事力増強に役に立ったと考えられる。また中国は一方で日本から援助を受けながら、一方ではアフリカ諸国に対して経済援助を行い、アフリカでの資源確保に役立てている。

その二:
南京大虐殺記念館を中国は愛国教育拠点と称している。日本軍の残虐性を強調することで人民の反日精神を強化して団結せしめ、その結果として共産党一党独裁支配の安定を図るものと考える方々も居られる。中国共産党が権力を奪取した後、大躍進政策の誤りにより何千万の人民を餓死せしめ、また文化大革命とは名ばかりの内戦まがいの権力闘争によりこれまた数千万の人民が死亡するという大災難を中国共産党は自国民に与えてきた。いや過去だけの話ではなくて、「権力は腐敗する。絶対権力は絶対に腐敗する」という歴史家の警句通り、中国共産党一党独裁による絶対権力は著しく腐敗し、人民に対して絶対的な力で君臨し搾取している。特に十五億人中八億人乃至は十億人とも言われる農民を取り仕切る農村部の共産党末端組織は公安を私兵化して農民に対し生殺与奪の権を掌握し、共産党幹部が私腹を肥やすために農民に対して苛斂誅求をほしいままにしていると伝えられている。この圧政に対する人民怨嗟の鬱積はかつての各王朝末期にも類似していると言われている。過去のみか現在進行中の人民怨嗟の累積を外敵日本に振り向けるというのは中国共産党政権にとっては大変な国益である。

その三:
「中国から来た、毒入り餃子を食べ続ければ死ぬ。しかし、死ぬのは、食べた人だけである。では、中国から来る『南京大虐殺』を放置し続ければどうなるのか。日本民族が死ぬのだ。即ち、青年から日本人の誇りと自信が奪われ、日本という共同体に帰属する意識がもてない砂粒のような存在に陥れられる。」という厳しい見方をとられる方々も居られる。

国家として迷走したかつての清朝末期における中国人のありさまを孫文は嘆いて「中国人は砂粒のようなもので、一人ひとりがばらばらで纏まらない」と書いている。日本人がかつての中国人のようになれば、日本という国が衰亡すること目に見えている。太平洋の覇権を米国と二分して確保したいと考える中国、さらにはアジアにおける盟主としての地位を確保したい中国、それらの中国にとって日本の衰亡は大きな国益だと考えられる。領土問題は国家主権の枢要部分であり、「寸土を失う国はやがて全土を失う」という歴史の教訓があり、竹島問題は我が国益がかかった重要案件だと考える。南京大虐殺問題は日本人のプライドや国家の尊厳にかかわることであり、これまた我々の国益に関わる重大な事案ということになる。ならば、「南京大虐殺があった」という中国の主張に対して、たとえ「南京大虐殺はあったのではなかろうか」と心中思っても、つまり日本はクロだと思っても、大局的には国益を守るために、また個人の立場に立てば、過去の日本人の名誉に関わることは自分自身の名誉さらには子供や孫たちの名誉に関わることなので、韓国に学んで、「我々はシロだ」と声高に反論主張する手もあろう。しかしやはり南京大虐殺はなかったことを確認し、日本はシロだと確信した上で「シロはシロ」だと主張する方が精神衛生上もよいのではなかろうか。

中世において、宗教及び政治上の権威により天動説が絶対的な学説として確立し、多くの人々はそのように信じていた。しかしガリレオは天動説に迷わず、冷静に事実に基づいて判断し、コペルニクスの地動説を信じた。このガリレオの顰に倣い、今一度白紙の原点に立ち返って、伝聞を排し南京攻略戦の事実について確認すること
をお勧めしたい。   (完)
*************************************************

◎8月6日8時15分のあのとき   ∞∞ai∞∞

私は、被爆三世です。 今日は、私にとってとても大切な日です。 今ではもう60年以上経ってしまって、時間や日時を忘れている人も多いけれど・・・ 私には、決して忘れることのできない日です。私は、被爆三世で、このことが意味するのは・・・ 原爆がなかったら私はここにいない、ということです。
*********
あの日、爆心地から少し離れた場所で待ち合わせをしていた。 普段は遠く離れた島で軍のための仕事をしてる。 その日は休みをもらって、うきうきとした気分で待ち合わせ場所で待っていた。8時15分 !
急にぴかっと光った。 それから、電線がしゃーっと溶けていくのを見た。 次の瞬間には、身体は宙を舞っていた。 気がつくと、寝かされて手当てをされていた。 死ぬ一歩手前までいった。周りでは、バタバタと人が死んでいった。 次は自分の番か、と思っていると、奇跡的に回復した。
********* *********
普段は、田舎に住んでいる。市内までは、約2時間。 あの人に会うために、前日から市内にいる親戚を頼って出てきた。 おなかには、あの人の子どもがいる。 明日、そのことを伝えよう。彼はなんと言うだろう。きっと喜んでくれるはず・・・。朝、市内電車に乗って、待ち合わせ場所へといそぐ。 空襲警報があったから少し遅れてしまった。 電車はゴトゴトと進む。 8時15分 !・・・・
********* *********
奇跡的に生き残った直後、市内へ探しに行く。 焼け野原になってしまった広島市内を歩いて、探す・・・ 一切が燃えてしまった・・・ 何も見つからない・・・ 見つかったのは・・・彼女の名前の入った定期入れだけ。再婚したのち・・・ 妻には黙って何回も探しに、市内に入った。 でも、何も見つからなかった。 彼女は産業会館(現原爆ドーム)の横の市電で即死したようだった。
*********
私のおじいちゃんは、そのときに、新婚さんでした。 今、私が住んでる町の最寄のJR駅で被爆。 そのあと、私の本当のおばあちゃんとなる人と結婚しました。 でも、おばあちゃんには結婚したい恋人がいました。その人との結婚は叶わず、お母さんに命ぜられるままに結婚しました。 何故かというと、おじいちゃんは四男だったにも関わらず、上の兄は全員戦死したから。 名前を継がなければならなかった。四男は「死なん」と当時は言われていたそうですが、まさにそうなったわけです。 おばあちゃんは、孫の私が言うのもなんですが、ものすごく綺麗な人でした。 昔の写真を見ると本当に美しく、まるで女優さんのようです。断腸の思いで、嫁いできたことだと思います。 でも・・・ 悲しい哉。 私が今ここにいるのは、そのおかげなのです。 そうして、二人が結婚し、末っ子の長男として父が産まれてきて・・・私の母と出逢い、結婚し・・・私が産まれました。 私にとっては、すでに原爆は「イイ・ワルイ」の問題ではありません。 なくてはならなかったものなのです。 善悪で判断することは、もはや出来ません。原爆投下それ自体は、出来事に過ぎません。 もう起こってしまった過去の出来事であり、それが現代につながっています。 でも。 おばあちゃんやおじいちゃんと同じ思いを他の人達にさせたくありません。原爆がなければ、おじいちゃんは新婚の妻から妊娠の喜びを聞いたことでしょう。 おばあちゃんは最愛の人と結婚したことでしょう。 全く違う人生がそこにはあったはずです。二人が亡くなった今では、私はそれを推察することしかできません。 このお話だって、私が2歳になるころに亡くなった祖父から聞いたわけではありません。 祖母から聞いたわけでもありません。私の父は、原爆というものを小学校の夏休み帳を見るまで知らなかったそう。 まして、自分が被爆二世だということも高校生まで知らなかったそうです。 私も自分が高校生になるまで、被爆三世だと知りませんでした。

原爆が投下されたのは、アメリカが戦後の世界を懸念したからです。 すでに、ロシアとの間でポーランドの領土をどうわけるかで相当もめていました。 そのために、第三次世界大戦をどうしても避けたかったのです。ロシアをけん制するため、アメリカの力を見せ付けておく必要がありました。 ロスアラモスで原爆の研究をしていた科学者のほとんどが原爆投下に反対でした。 署名が集められましたが、最高司令官の手に渡ったのは、原爆が投下されて後でした。それは、預けた相手が渡さなかったからです。 また、科学者の中には 「世界がこの凶器の危険性を実感し、使わないためには実戦で使う必要がある。」 と、考えていた人達もいました。もう客観的な出来事でしかありません。 今では、イイ・ワルイでかたずけられるような問題ではありません。 第三次世界大戦になる代わりに、冷戦が起こりました。実戦で使ったがために、他の国々をけん制する力がありません。
でも、きっとヒロシマであの日、使われなかったとしても、どこかで使われたはずです。



これから先のことを考えるのが、一番の道だと願っています。 私たちは、決してあの日の出来事を忘れません。 けれども、恨みは持っていないんです。 同じ思いをさせたくない、それだけ。 だから、原爆の日を何かのお祭りのように扱うのはやめてください。 ただただひたすら、平和を祈る日にしてください。 そして、その気持ちをともし続けて下さい。 家族と仲良くすることが、平和への一歩です。 どこか知らない他人のために働くことは簡単なことです。 けれども、隣人を愛することは、それよりももっと難しいことです。 だからこそ、その難しさにトライして下さい。
被爆三世として祈ります。 どうぞ、もう原爆のことは歴史にして下さい。 これから先の未来を見据えて下さい。 そして、祈りの気持ちを、平和のともし火を心に持って下さい。 本当にごめんなさい。 私はあなたを許します。 私はあなたを愛します。
*********************************************