軍事情報の本の紹介
ようちゃん、おすすめ記事。↓軍事情報
◎◎ 本の紹介 ◎◎
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■『やっぱり有り得なかった 南京大虐殺』
一般的な書評は内容紹介が主と思いますが、本著の本質は対外プロパガンダへの試み」と私は捉えました。ですから大事な読者様に対し、内容云々をグダグダ書くことはしません。
ぜひとも作り手の立場に立ち、この試みをどう捉え、自分ならどうするか?自分なら今後どう実践するか?どう実践してゆくか?という読み方をして欲しいです。世界最高水準にあるわが劇画・マンガは、対外プロパガンダの面でも、わが国最強の武器となるはずです。
本著は、まさに「プロパガンダ(国家宣伝活動)の教科書」といえる内容となっています。プロパガンダ(国家宣伝活動)という言葉はもちろんほめ言葉です。国際社会には正義も悪もありません。自国の言い分がとおるか通らないかのみです。それ以外の価値観はありません。国際社会の単位は国なので、国家は自国の言い分を通すためにありとあらゆる手段を弄する必要があります。やり方がきれい汚いといっている段階で退場です。
手段のひとつがプロパガンダ(国家宣伝活動)で、「ウソや誇大表現を嫌う」わが国民性の弱点がモロに出ている部分です。しかしこの分野で卓越しないと、祖国の未来は他国の言いなりになるしか選択肢はありません。後でも紹介しますが、これは「国民の堪忍袋の緒が切れる」という事態をうみ、とても危険です。「したたか」「しぶとい」は国際社会においてはほめ言葉です。「正直」「ウソをつかない」は、国際社会では嘲笑の言葉です。
個人の美徳と国家の美徳は正反対とみて差し支えありません。それを許容できる懐を持つのが、成熟した国民ではないでしょうか。本著の劇画は世界標準です。だから意味があります。わが国の劇画は極端にレベル高すぎです。
あわせて、極端にセリフが少ないです。少ないセリフを翻訳し、特ア諸国や世界中にばら撒く本です。その昔エモやん(元投手の江本さん)は「ベンチがアホやから野球できひん」という至極真っ当な意見具申を行い(苦笑)、タイガースを退団しました。その言葉を拝借すれば、「政府がアホやから民間でやるしかあらへん」というところでしょう。
本著作成の裏話がまえがきでかかれているので、対外行動関係者は熟読すべきでしょう。予算がなくても、やる気さえあれば個人レベルでココまでできるんです。この本のテーマは南京大虐殺ですが、細かいテーマごとに同種の作品をラインナップして欲しいですね。そしてそれはできます。絶対に。本著は素晴らしい試みであり、次に続くプロジェクトのスタート地点ともいえます。
もう一度言います。世界に向けてわがマンガ・劇画をプロパガンダとして活用することは、国益にかないます。これは大いに進める必要のある事業です。ポニョ(でしたか)を世界に出すと同時に、本作品も世界デビューさせるべきでしょう。
本著の真の標的は、無知な外国の一般人で、海外世論形成への働きかけにある、と見ました。翻訳が待たれます。激オススメです。
『やっぱり有り得なかった 南京大虐殺』原作:兵頭二十八
作画:小崎剛 発行:マガジン・マガジン発行日 2008/8/10
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■『苺と骨』
戦争が好きな人などこの世に一人もいません。戦争が最も嫌いなのは軍人です。覚悟はしているけれど一番戦争を憎み、嫌っているのが軍人です。その度合は一般国民の比ではありません。
しかし、国際常識に乗っ取った備えをきちんととっていないと、自分がやりたくなくてもやらざるをえない状況にはめられてゆきます。それを阻止するためには、国家の軍事機能確保、平時の軍事力整備、対外関係トラブルを国際常識にのっとった形で初期段階で火消しすること、が必須です。しかしわが国は、「戦争嫌い」という感情だけが大手を振ってまかり通り、その感情は、平和に名を借りた祖国弱体化工作に思うがままに利用されています。わが国は、戦争に国民を巻き込まないために最大の保険・保障となる、軍事機能確保・軍事力整備にいまだ手をつけられないままでいます。
本著を出された青林堂さんは、「GARO」で有名な出版社です。
青林堂といえば劇画、という印象がありますが、最近は、靖国の本や戦争に関連する本を精力的に出版されるようになりました。特に、『日本人なら知っておきたい靖國問題』は歴史に残る名著で、靖国に関心ある方は全てが一読すべき内容といえましょう。そんな青林堂さんですが、今年の夏はメインの劇画分野で、「女性の視点から見た大東亜戦争悲話」を発表されました。
独特の劇画タッチにシビレル方も多いと思います。帝国海軍軍人と結婚したある女性の、大東亜戦争前後の人生をつづった内容ですが、同世代の親族を持つ私には、人ごとと思えないところも多々あり、身につまされる内容でした。それにしても、最後のセリフ「人間をこんな異常心理に追い詰め狂気に駆り立てるものは、いったい何者なのかということでした」は非常に重いです。
不思議なはなしですが、期を一にしたかのように、尊敬する大先輩から
「前の戦のときと同じように、近い将来、国民の堪忍袋の緒が切れるときが来るのではないか?そして、政府はまたもや泥縄対処するのではないか?とのお話を伺いました。このように質問と答えがほぼ同時にやってきた経験はめったにありません。単なる偶然とは思えません。本著に、編集者・作者・体験者の魂がこもっていたからなのでしょう。
わが国を代表する劇画の出版社が、メインの劇画分野で戦争をテーマに勝負をかけてこられたことは、実にうれしいことです。これから先も、軍事・戦争をテーマにした様々な作品やコラボを仕掛けてゆかれることと存じます。青林堂さんの今後の出版活動がとても楽しみです。多くの方に目を通していただきたいですね。オススメです。
『苺と骨』
著:武野繁泰 発行:青林堂発行日 2008/7/24
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次回もお楽しみに
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<ケンスケ2>
コラム#2607「ネオ儒教論の展開(その2)」を読みました。
経済官僚達が、いかにして人民解放軍を統制するのかということですね。いかなる理論武装によるのかと言うことですね。今は瞬間風速的経済成長の継続によって,かろうじてその支持を取り付け、毎年のような軍事予算の拡大で軍幹部をつなぎ止めているだけですから。金の切れ目が縁の切れ目になる可能性は大ですよね。安定的なシステムに移行しないと、資本がいつ逃げ出すかも知れませんから。
<太田>
ちょっと違うんだなあ。中国共産党=人民解放軍であり、シビリアンによる軍の統制という観念は中共にはないのではないでしょうか。中共の最高権力者は党中央軍事委委員長(コラム#1003)であり、この人物が国家中央軍事委員長を兼ね、更に同じ人物が共産党総書記(昔は主席)を兼ね、更に更に国家主席を兼ねる場合がある、と考えるべきなのです。トウ小平も江沢民も、ほぼこの逆順にポストを手放して行き、最後まで手放さなかったのは党中央軍事委委員長のポストであったことがその裏付けです。
<ケンスケ2>
コラム#2714を読みました。社会の共通語としての基礎学力というものについて,国民の合意が失われています。
この国がこれからどちらに向かうのかという国家の基本戦略抜きでは、教育の基本方針も定まりません。その無重力状態の中に,ここ20年近くも,子供達を放置してきたのです。彼らがオタクとして、特定分野に深い知識を持つ一方、共通語が通じなくなっていると言うことです。いまやこんな事は知っているだろうという前提で、話しかけることは出来ません。テレビに出ているお馬鹿タレント達は、そのことを象徴しているのです。彼らは決して基礎的能力に於いてバカではありません。
しかし小学生程度の共通語も通じないのです。良いことなのかも知れませんが、コミュニケーションはいよいよ困難になり、気持ちが通じずに切れてしまうと言う事故(事件??)も更に多発するでしょうね。
<太田>
議論を混乱させるのかとお叱りを受けるかもしれませんが、米国の教育省OBが次のようなことを言っています。計算方法や比較方法に疑問符がつきますが、ご一読下さい。
「・・・1964年に学齢児童を対象に初めて世界で一斉に学力テストが行われた。米国の生徒の成績はビリから二番目だった。もし学力テストの成績が低いと国の経済に悪い影響を与えるという理論が正しいとすれば、今日の米国経済は、成績の良かった国々に比べて遅れをとっていたはずだ。
ところが1964年にテストを受けた世代が過去何十年か世界を切り盛りしてきた結果は、米国のパーフォーマンスが飛び抜けている。私の調査によれば、米国の経済は4人家族ごとに、成績の良かった国と比較して毎年44,000米ドル多い富を生み出している。これらの諸国の1992年から2002年にかけての経済成長率は2.6%だが、米国の3.3%には全く及ばない。成績の悪かった米国の生徒達は世界の最もよく引用される科学論文の63%、OECDの新技術特許の38%を生み出している。米国の特許の数は毎年6.6%増えているが、EUは5.1%増、日本は4.1%増にとどまっている。これはできそこないの学校制度の産物であるとは言えない。1960年代の米公立学校という、世界で空前かつ最高の学校制度の産物なのであり、これらの学校(及び当時の父兄)はわれわれの範例であるべきなのだ。・・・」(http://
基礎学力も重要だが、これからの時代、もっと重要なのは創造力だ、ということなのかもしれません。少なくともこの両者は二律背反関係にある、とは言えないように思います。
さて、以下、ご報告です。共著のゲラに引き続き、昨日、単独著のゲラに手を入れたものを出版社サイドに返送しました。後は、それぞれが出版されるのを待つばかりです。なお、共著のタイトルは、既にお伝えしたように『属国の防衛革命』ですが、単独著の方のタイトルは、お盆明けに確定する見込みです。
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Jiangは、儒教を英国の国教会やスエーデンの福音ルーテル派のような中共の国家宗教としつつ、英国やスエーデン同様、中共も宗教の自由を認めるべきだとする。そして彼は、台湾で出版された著書の中で、3院制の議会を提唱している。一つ目は民衆から選挙によって選ばれる議員、二つ目は儒教等が科る科挙に合格した者たる議員、三つ目は孔子の子孫達から任命される議員、によってそれぞれ構成される。 一つ目の議院は英国の下院に相当し、三つ目の議院は英国の上院に相当すると考えれば、Jiangの主張の独自性は二つめの議院の導入にあると言えるかもしれない(注4)。
(注4)公務員試験を優等で通った者は議員になれる、ということだと考えれば、これは意外に普遍性のある政治制度だと言えるかもしれない。ただし、試験に儒教が科される点については普遍性はない。(太田)
(3)新儒教主義採用の論理的帰結
本当に中共が新儒教主義を採用するとなれば、中国共産党はまずもって中国儒教党へと名前を変更しなければなるまい。そして、その論理的帰結は次のようなものになる。
孔子は為政者は力によってではなく、徳を自ら実践することによって治めよと説いた。ただし孟子は、軍事力を懲罰的戦役のために用いることは許されるとした。懲罰的戦役とは要するに今で言う人道的介入のことであって、人々を甚だしい窮乏から救うための軍事力の行使を指す。そうだとすると、天安門事件の時のような軍事力の行使はもとより、台湾に軍事侵攻し流血の惨事を引き起こして併合したり、そういうことをすると台湾を脅して併合したりするのも許されないことになる。また、儒教においては、為政者は科挙の成績のみによって選抜されるべきだとされている。一方、現在の中共では官僚は基本的に試験の成績によって選抜されるが、その試験科目の中には「共産主義」政治哲学も含まれており、これは同調性(confromity)のテストであって政治的能力のテストとは言い難い。それもそのはずであって、現在の中共では官僚は政策の執行者に過ぎず、過去において科挙に通った人々のように政策立案者たることまでは期待されていないのだ。現在政策立案を行っているのは中国共産党であり、中国共産党の党員になるのも幹部になるのも、試験によるものではない。その中国共産党の胡錦涛以下の現在の最高幹部のほとんど全員が理学や工学の教育しか受けていない(コラム#2579)ことも、人文教育を重視する儒教に照らせば問題だろう(注5)。
(注5)6月10日、中国共産主義青年団(共青団)の最高ポストの第1書記に陸昊氏(41)が選出(任期5年)された。胡錦濤国家主席や胡耀邦元総書記も共青団第1書記を歴任した。2013年に首相に就任するとみられる李克強副首相(53。北京大経済学博士)、40代の周強・湖南省長(48。西南政法大法学修士)、胡春華・ 河北省長(45。北京大中国文学士)も共青団第1書記出身だ。こういう中、更に北京大経済学部修士課程出身の陸氏が第1書記に選出された(http://
(6月10日アクセス)
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もちろん、中共は現在の人的・思想的鎖国状況も打破しなければならない。孔子は、「朋あり、遠方より来たれり。うれしからずや」と述べているではないか。昔の支那には、外の世界に対して開かれていた時代が何度もあった。五輪開催を契機に、中共は儒教的精神に則り、開国へと明確に舵を切るべきだろう。幸い、中共には既にシンガポールなどよりはるかに大学における学問の自由が存在する。
私は、北京大学と並ぶ中共の最高学府である清華大学の人文社会系の初めての外国人教師(政治学)となった人間だが、同大学の学生達は保守的で排外主義的なナショナリスト達であるどころか、彼らに議論をさせると政府批判一色になってしまって、たびたび私自身が政府の肩を持つ形で議論に介入せざるをえなくなるくらいだ。
また中共の学生達が、カネの亡者で利己的な者ばかりだという神話も、今度の四川省大震災の時の彼らの言動によって雲散霧消したのではないか。中共は新儒教主義を採用した言ってもよいが、だからといって、新儒教主義、というか儒教が自由民主主義と相容れないとは言い切れない。すなわち、新儒教主義を掲げつつ、中共が実質的に自由民主主義定着への道を歩んでいく可能性もないとは言い切れない。
3 感想
私はカネに関してのみ開国をして、ひたすら高度経済成長路線をつっぱしっている中共というファシスト国家の今後について、ダニエル・ベルほど楽観的にはなれません。
自由民主主義こそ人類にとって究極かつ最善の選択であると固く信じている点でも私はベルとはちょっと違うようです。いずれにせよ、私はベルほどではありませんが、新儒教主義を掲げるという中共の壮大な実験は、大躍進とか文化大革命といった中共の過去の不毛な壮大な実験とは違って、それなりの意義は認めています。
ベルとは違って、私は新儒教主義は中共の自由民主主義化の障害となると考えますが、新儒教主義を掲げることによって、中共というファシスト国家が、対外侵略に乗り出さず、混沌化や内戦化をも免れる可能性が増し、中共の人々が長期的な安定と経済的繁栄を享受し、その結果として、意図しない形で中共の自由民主主義化が実現することだってありうると私は考えるからです。
本当は、中共が北部と南部とチベット地区という3つの地区に分かれ、北部が遊牧民の伝統に回帰する形で回り道することなく自由民主主義化を追求し、南部が新儒教主義を掲げ、チベット地区等が世俗化したチベット仏教に則りゆるやかに自由民主主義化を追求する、という形でこの三つの地域が互いに競い合いつつ平和裏に新三国志が展開していく、というシナリオが最も望ましいのですが、そうも行きますまい。
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