【「老百姓」たちのオリンピック】 日経 はりぼてだらけの北京
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【「老百姓」たちのオリンピック】 日経
はりぼてだらけの北京で、人々が見る夢は
筆者のオフィスの道路を隔てた向かい側に、建築中のホテルがある。鉄筋コンクリートの骨組みは既に最上階まで出来上がり、外壁を取り付ける作業の途中で、工事はいったん中断していた。オリンピックに備えて、7月から北京市内の建設工事が一斉に停止されたためだ。 ところが、オリンピック開幕まで数日に迫ったところで、目を疑うような光景が出現した。無人だった工事現場に数人の作業員が戻り、命綱をつけて建物にぶらさがったかと思うと、まだ外壁がなくコンクリートがむき出しの部分を、窓ガラスの柄をプリントした布で覆い始めたのだ。 建築主は、世界中から観衆が集まるオリンピックの期間中、建物を骨組みがむき出しのままでさらしておくのはみっともないと考えたのかもしれない。だが、外壁が布張りのビルはいかにも「はりぼて」で、見せかけだけをやっつけ仕事で取り繕ったことがありありとわかる。これでは、かえってもの笑いのタネになるのではないかと、他人事ながら心配になる。
・見せたくないものを隠す巨大看板
北京の街角の風景は、オリンピック開幕までの最後の1週間で大きく変わった。2週間前は幹線道路沿いだけだったオリンピックの幟や提灯が路地にまで飾られ、企業の商品を宣伝していた看板は大部分がオリンピックの看板に掛け替えられた。商店はみな軒先に五星紅旗を掲げ、お祭りムードを盛り上げている。 国家の威信をかけてオリンピック開催に臨む中国政府は、北京の街角を五輪一色に染め上げることで、首都の目覚ましい発展ぶりを世界にアピールしようとしているのだろう。 だが、対外的な見た目を気にするあまり、かえって逆効果ではと首をかしげるものも少なくない。冒頭のホテルはその極端な例だが、筆者がもう1つ気になったのが、幹線道路沿いのあちこちに出現した巨大なオリンピックの看板だ。
これらの看板の目的は、裏側にある敷地を道路から見えなくすることにある。たいていは再開発の工事現場で、古い住宅を取り壊す途中だったり、出稼ぎ労働者用の仮設住宅が建っていたりする。要するに、見せたくないものを巨大看板で隠しているわけだ。そこには布張りのホテルと同様、やっつけ仕事的な「はりぼて」感がただよう。 どうせ隠すなら、もっとさりげなくすればよさそうなものだが、当局はそうは考えなかったらしい。派手な色遣いの巨大看板は大いに目立ち、外国人である筆者などはつい「看板の裏側には何があるのだろう」と興味を引かれてしまう。 例えば上の写真の看板の裏側は、どうなっているかというと・・・今は更地になっているが(写真下)、以前は古い集合住宅が建っていた。半年ほど前に通りかかった時はまだ人が住んでおり、一部の住民が壁に取り壊し反対の張り紙をしていた。住み慣れた我が家の立ち退きを迫られた住民がこの巨大看板を見たら、自分はオリンピックの犠牲にされたのだと悲憤慷慨するのではないか。 そこで前回と同じく、北京の知人たちに聞いてみた。ほとんどが巨大看板のことは気にもとめていなかったようで、おおかたこんな反応だった。 言われてみれば看板が増えたね。でも、やっぱりオリンピックだから、街をきれいするのは当然でしょう。取り壊された建物に住んでいた人には、政府が移転先を用意したはずだし」 市内の至るところで再開発が進む北京では、古い住宅の取り壊しはオリンピックとは関係なく珍しいことではない。自分自身が立ち退きを迫られたのでもなければ、看板の裏側に何があるのか、思いを巡らす庶民はほとんどいないようだ。 そんな中、大手国有企業に勤める知識人の陳さんは違った。彼はちょっと難しい顔をしてこう答えたのである。
・まるで随の煬帝の「絲綢裹樹」
「いくらなんでもやりすぎだし、意味のないことにお金を使いすぎだと思うね。まるで随の煬帝の『絲綢裹樹』の故事にそっくりだよ」 煬帝(ようだい)は随王朝(紀元581~618年)の二代目皇帝で、日本の聖徳太子が遣隋使に託して「日出ずる処の天子…」で始まる親書を送った相手として有名だ。隋の初代文帝は、後漢の滅亡後に分裂した中国を再統一し、強大な帝国を築いた。ところが、それを受け継いだ煬帝は、大運河の建設や度重なる戦争に膨大な国富と民力を浪費した。その結果、各地で民衆の反乱が相次ぎ、随は建国からわずか37年で滅びてしまった。 「絲綢裹樹」とは、そんな煬帝の浪費ぶりを伝えるエピソードの1つだ。煬帝は随の都、長安(現在の西安)にやってくる外国の使節団に自国の繁栄ぶりを見せつけるため、使節団が通る道沿いの木々を美しい絹の布で飾った。ところが、これを見たある外国の使節は、煬帝に対してこう上奏した。 「貴国には着る物にもこと欠く貧しい人々がいるのに、ぜいたくな絹の衣をなぜ木々に着せるのですか」
・実態以上の見せかけの繁栄
中国は改革開放後の30年間で、確かに目覚ましい発展を遂げた。それでも、昨年の国民1人当たりGDP(国内総生産)は2310ドル(IMF予測値、約25万円)と、日本の15分の1強にすぎない。農村部はもちろん、北京のような大都会にも貧しい人々がたくさんいる。にもかかわらず、政府は余計なお金を使って街角を過剰に飾り立て、実態以上の見せかけの繁栄を作り出していると、陳さんは嘆く。 「こんなことは中国自身のためにならない。千数百年の歴史を経てなお、同じ誤りを繰り返していると思うと、暗い気持ちになります」 巨大看板の表面には「同一個世界、同一個夢想(ひとつの世界、ひとつの夢)」という北京オリンピックの統一スローガンが書かれている。街中を看板で埋め尽くした当局者は、さぞかし誇らしい気分に違いない。 だが、北京の老百姓(普通の庶民)たちの多くは、日々の生活で精一杯で、看板のことなど気にしていない。一方、中には陳さんのように溜息をついている人もいる。
待望のオリンピックは今夜(2008年8月8日午後8時8分)、いよいよ開幕する。だが、はりぼてだらけの北京の街で人々が見る夢は、決してひとつではないのである。
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【世界鑑測 北村豊の「中国・キタムラリポート」】 日経
北京五輪で指定された中国「4つの悪習」【1】所構わず痰を吐き【2】順番を守らない【3】気ままな喫煙… そして?
四害”が北京オリンピックを契機に“新四害”(=「新しい四つの害」)となって復活したのである・・・。
北京で開催される第29回夏季オリンピック競技大会、通称「北京オリンピック」がいよいよ今夜、2008年8月8日の午後8時に開幕し、オリンピック史上最大の世界205カ国・地域の代表が参加して、24日夜の閉会式まで熱い闘いを繰り広げる。 北京オリンピックは1964年の東京、1988年のソウルに続く、アジアにおける3回目のオリンピックであるが、中国にとっては「百年の夢の実現」(=“百年夢圓”)であると同時に、中国が国威を発揚し、世界に冠たる「真の大国」として飛躍するための跳躍台として位置づけられている。 ちょうど100年前の1908年に第4回夏季オリンピックが英国のロンドンで開催された。当該オリンピックの開催地は本来ならイタリアのローマであったが、1906年にイタリアのヴェスヴィオ火山が噴火し、その被害がローマにも及んだことから、急遽ロンドンが開催地となったものだった。
・オリンピックの3質問
当時の中国は清朝の末期で、清国政府は国力が衰えて弱体化していた。ロンドンオリンピックが終了した後、その清国政府に対して天津の“南開中学堂”(後の南開大学)がオリンピックに関して次のような3つの質問を提起したという:
[1] 中国はいつになったらオリンピックに代表選手を派遣することができるのか?
[2] 中国はいつになったらオリンピックに代表団を派遣することができるのか?
[3] 中国はいつになったらオリンピックを開催することができるのか?
これは後に「オリンピックの3質問」(=“奥運三問”)と呼ばれるもので、簡単に実現できそうに思えたが、実際には3つの課題の実現には100年を要したのである。 すなわち、1932年の第10回ロサンゼルス大会に陸上短距離の劉長春が最初の中国代表として参加、1952年の第15回ヘルシンキ大会に40人からなる中国代表団が初参加、そして、2008年に北京オリンピックの開催に至るのだ。 100年前の1908年に、中国の有名な愛国教育家で、1919年から30年間の長きにわたって天津の南開大学校長を務めた張伯苓は、清国政府代表として米国で開催された漁業関係の会議に参加したが、その後欧州へ渡って教育状況を視察した。 折しもロンドンでは第4回夏季オリンピックが開催されていたので、張伯苓は幸運にもオリンピックを見る機会に恵まれた。欧米出張から帰国した張伯苓は、オリンピックを実地に見た経験を踏まえて、「オリンピックを開催する日、その時こそ我が中華が飛躍する時だ」と予言したが、まさにその予言通り、中国は北京オリンピックを開催しようとしており、そのオリンピック開催によってさらなる飛躍の時を迎えている(ちなみに、張伯苓は中国の“オリンピックの先駆者”として尊敬されている)。
・思い入れの強さが仇になり・・・
100年の時を経てようやく実現した北京オリンピックに中国は国中が沸き返り、2001年7月に北京が第29回夏季オリンピックの開催地として決定してから今日までの7年間に万全を期して準備してきた成果をすべて投入することで、北京オリンピックを成功させようと全力を尽くしている。 しかし、当事者たる中国政府の「オリンピックの成功」や「国威の発揚」への思い入れが強すぎることから、中国国外における聖火リレー、外国メディアに対する報道規制、人権抑圧など、多くの問題で世界と軋轢を生じさせているのが実情である。 中国政府の思い入れの強さがかえって仇となり、逆効果をもたらしている事例は、このような政治色の強い高次元の話ばかりではなく、オリンピック会場となる北京の市民に直結する話も多い。オリンピックを迎える北京市民の側ではどのような事態が起こっていたのだろうか。
・430万以上配布された「北京市民向け外国人と交流するためのマナー本」
2001年にオリンピックの招致に成功した北京市は、北京市民がオリンピック期間中に来訪する外国人客と交流する際に、非礼な振る舞いをして恥をかかないようにと、2004年に“首都精神文明建設委員会”が編集した「正しいマナー普及読本」(=“文明礼儀普及読本”)を出版した。 この読本は、2007年春頃からだと思うが、北京市の役所、地域社会、農村、企業、学校などで展示されると同時に無料配布され、2008年7月末時点では、既に北京市の430万市民の家庭には無料配布が完了していたという。 一方、同委員会では、読本の配布に合わせてマナー専門家による講師団を組織し、役所、学校、企業、工場などを巡回してのマナー講習会を1000回以上、ボランティアを組織しての宣伝活動を5000カ所で実施し、通算では500万人以上がマナー教育を受けた由。また、メディア、インターネット、携帯電話、公共広告、ポスターなど、様々な方法でマナーの普及活動を展開したという。 オリンピック期間中には世界中から少なくとも40万人の外国人客が北京を訪問するものと予想されている。この「正しいマナー普及読本」は、ホストとしてこれら外国人客を迎え入れる北京市民に求められる上品な立ち居振る舞いや知っておくべき外国の風俗習慣を紹介している。 例えば、「公共の場所にはパジャマにサンダル履きという格好で出入りしない」という社会常識から始まって、「黒革靴には白ソックスを履かない」という一般常識、さらには「年配の女性はヒールがあまり高くない靴を選ぶべき」という注意事項まで、その内容は多岐にわたっている。
・外国人客に聞いてはいけない8つの質問
特に目を引くのは、「外国人客にしてはいけない8つの質問」(=“与外賓八不問”)である。その禁じられた質問とは、(1) 収入支出、(2) 年齢の大小、(3) 恋愛・結婚、(4) 身体の健康、(5) 自宅住所、(6) 個人の経歴、(7) 信仰・政治的見解、(8) 職業の8項目である。
筆者の経験でも、好奇心の強い北京市民は、自分が知りたいことがあれば、相手が誰であろうと質問することに物怖じもしなければ躊躇もしない。「年齢は、子供は何人、それは男か女か、家はどこ、仕事は、年収は」というのが基本質問、さらに進めば、他人の持ち物を指して、「値段はいくらか、どこで買ったか」と来る。これで終わればよいのだが、「それは高い、自分のはそれより物が良いのに安かった」とまで言い出すから、相手が気分を害することも少なくない。 こうした質問攻めの対象に中国人・外国人の区別はないが、あくまで中国語の会話が成り立つことが前提となる。もともと外国語が話せる北京市民は少数だし、このような質問をすることができるだけの会話力を持つ人の数はもっと限定されるから、わざわざ「外国人客に対する質問禁止の8項目」などというものを提起しなくてもよさそうに思える。 それをあえて提起して規制しようとするから、この力み過ぎが外国メディアには滑稽に映る。実際に、北京市政府東城区共産党委員会の宣伝部が2008年7月末に“渉外交流有微笑”(=「外国人との交流には微笑みあり」)という表題のポスターを張り出したが、これが海外メディアに取り上げられて話題となった。ポスターには、「微笑みは北京で最も良い名刺、微笑みは全世界で通用する儀礼」と書かれ、 その次に上述した「外国人客に対する質問禁止の8項目」が堂々と書かれていたのである。
ところで、中国では1958年から“除四害”(=「4害駆除」)の通達が出されて国民運動が実施された。“四害”(=「4つの害」)とは、鼠、雀、蝿、蚊を指し、7年以内にこれらを基本的に駆除せよというのが通達の内容だった。もっとも、1960年になると雀は益鳥であると認定されて名誉が回復され、代わりに南京虫が“四害”に加えられたが、その後南京虫はゴキブリにその座を明け渡した。とにかく、通達が出された当初は国を挙げて駆除活動が盛んに行われたのだが、その後は徐々に下火となり、いつの間にか立ち消えとなった。
・新しい四害
この“四害”が北京オリンピックを契機に“新四害”(=「新しい4つの害」)となって復活したのである。今回提起された“新四害”は、(1) 所構わぬ痰(たん)吐き、(2)順番を守らぬ割り込み、(3)気ままな喫煙、(4)罵倒語(ばとうご)である。
これら“新四害”は、2007年3月にオリンピック期間中に厳しく取り締まらねばならない悪習として認定された。北京市では、2006年の初めに公共の場所で痰を吐いた場合には最高50元(約750円)までの罰金を課す規定(罰金を払えない時は周囲の清掃が課せられる)が制定されて実施に移されているし、地下鉄やバスに乗車する際に整列して順番を守り、割り込みをやめようとの呼びかけがなされている。また、喫煙場所を限定する措置も実施されている。
問題は(4)の罵倒語である。罵倒語とは、激しくののしる、すなわち罵倒する際に使う言葉である。罵倒語は、日本語なら「バカヤロー」とか「コンチキショウ」程度にとどまるが、これが中国語になると“他媽的”(発音:タマーダ)に代表される相当に激しく、汚い言葉になる。
2006年12月にカタールのドーハで開催された第15回アジア競技大会、通称「ドーハ・アジア大会」のバドミントンの試合で、中国人応援団がこの種の罵倒語を盛んに用いて周囲の観衆からブーイングを浴びた経緯があり、中国政府としては北京オリンピックで「恥」の上塗りをしないためには、何としても罵倒語を規制する必要に迫られたということだろう。ただし、実際の競技で熱くなったら、そんな規制など忘れて、“他媽的”が会場のあちこちで連発される可能性は否定できないと思うのだが。 奥運(アオユン)、加油(ジャーヨウ)、中国(チョングオ)、加油(ジャーヨウ)http://
最後に、中国政府が決めた「統一的な応援を行うための手振りと掛け声」を紹介する。2008年6月4日、北京オリンピック委員会、教育部などは、オリンピック会場で統一的な応援を行うために創出した手振りと掛け声を発表した。これなら罵倒語なしで、健全で礼儀正しい応援ができるというもの。テレビ中継の中で、中国人応援団が図1~4にあるような手振りで“奥運(アオユン)、加油(ジャーヨウ)、中国(チョングオ)、加油(ジャーヨウ)”とやっているのを見たら、「オリンピック、頑張れ、中国、頑張れ」と言っていると思ってください。 北京オリンピックが世界最大のスポーツの祭典として、その大会スローガンである“One World, One Dream”(=“同一个世界 同一个梦想”=「ひとつの世界、ひとつの夢」)を実現し、中国政府が恐れるテロなどの事件も発生することなく、成功裏に閉幕することを期待したい。“奥運、加油、中国、加油”。
(北村豊=住友商事総合研究所 中国専任シニアアナリスト)