「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 ■ 国際派日本人の情報ファイル■
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成20年(2008年)8月7日(木曜日)
通巻第2279号
いよいよ明日、北京五輪は準戦争状態で開幕
民を防衛体制の先兵に配置して、北京政府の思惑は奈辺に有りや
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北京オリンピック、別の視点で観戦したい。
(1)戦争状態として見ると各地の警備態勢は「内乱対応型」ではないか?各地の厳戒態勢の中味は、ボランティアという「民防」「自警団」の再組織化に成功している。競技会周辺の警官は荷物を開けさせる権利を付与されている。過剰防衛という声は庶民からは上がらず、外国メディアが異常を伝えるのみ。主要な競技会会場周辺ではX線検査と、ボディチェックがある。ライター、液体、横断幕などが回収される。これはひょっとして未来に予想される少数民族の反乱、内乱のための予行演習?
(2)民間の情報協力態勢も敷かれた
瀋陽ではタクシー運転手に「重要治安情報を提供すれば、最高50万元(約750万円)の報奨金」制度が通告された。市内だけで2万台もあるタクシー(瀋陽は700万都市)が、いきなり“パトカー”に早変わり(しかし以前からタクシーは密告制度を強要されており、北京では多くのタクシーに録音機が内蔵されているとの情報もある。合肥などのタクシーも半分は公安と連絡があるという話を聞いた)。
(3)監視カメラはオーエル『1984年』を思い出させる
北京市内で新設された防犯カメラ、実に22万台(合計30万台という)。 北京のみならず上海も青島も公共の路線バスには制服警官のほかに私服も乗り込む措置が取られている。以前から目的地によって乗客全員をヴィデオ撮影していた(とくに深セン向けの長距離バスに乗ると身分証明書の提示も求められた。今回は北京へ向かう長距離バスの全てで実行された)。
(4)学徒動員態勢も組めた
北京市内のボランティアは10万人とも22万人ともいう。
空港だけでも2200人の大学生ボランティアがいる。これは「学徒動員」さながらである。週刊朝日(8月15日号)でも小生は指摘しておいたが、空港のボランティアはヒンズー語、アラブ語など語学研修の学生が主体で空港内で外国人の案内役を買って出ている。
会場周辺も殆どが学生のボランティアで成り立っているが、ちょうど夏休み故に、この態勢が組めた。また青藻異常発生の青島では徐去作業に軍、市職員のほか、地元大学に通う大学生一万余を動員した。
(5)ホテルに電流を流し、予防戦争のごとし
サッカー会場の上海の「上海体育場」と隣接のホテル「華亭賓館」はフェンスで囲まれ、「電流注意」の表示。ほかのホテルも警備員のほうが客数より多いところがある。上海体育場の敷地内には公園もあり、レストランもあるが、一般の立ち入りが禁止され、武装警察が50メートルおきに立つ。これだけで1万5000人の軍隊が配置されている。サッカーは警察国家のもとで行われる。一番警戒を要するからだ。老舗ホテル「華亭賓館」は五輪関係者用だけしか宿泊出来ない。地下鉄駅では検査。路線バス計1600台には監視カメラが設置、下水道もカメラによる監視体制が敷かれる。げんに上海では5月、通勤ラッシュの路線バスで可燃物が炎上、3人が死亡、12人が負傷した。7月にはナイフ男が警察署を襲撃、警官ら11人を殺傷する事件が起きた。
(6)人釘人(レンティンレン)の五人組監視制度が復活?
人釘人という懐かしいフレーズ、文革の時に毛沢東は五人組制度を強要し、密告させて連帯責任を取らせた。いま北京、上海などの胡同では住民がさながら「自警団」。大きな赤い「治安巡回」という腕章を蒔いている。余所者を極力排除し、外部からの闖入も目を光らせている。直訴村にいた多省からの貧困層を強制的に北京から追い出した。
(7)戦争は「農村から都市へ!」と毛沢東は呼号した
70年代までの革命路線輸出時代には『都市ゲリラ』が合い言葉だった。その都市ゲリラ対策を、毛沢東の後継政権が腐心するようになるとは、歴史のイロニーである。
以上のような視点から北京五輪を観察するのも一興。
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♪(読者の声1)貴誌2278号(読者の声2)でMC氏が、「米英は大東亜戦争の人種戦争、反殖民地戦争の面を隠蔽するために、有色人種のインド人を使って有色人種の日本を非難させようとした。その汚い狙いを看破して、パル博士はきわめて危険な環境にありながら、あえて正論を主張した。これは大変な勇気であり、非常に偉い。レーリンク氏にはそのような政治的な危険はなかった」とあります。
パール博士の偉さを私は認め、賛嘆します。しかし対外的に議論をするときの有効性というのは、全く別の観点です。また日本国内での議論でもかれの論は非常に有効です。この議論の有効性という観点が日本の論壇では閑却されてきました。これから、日本が世界のリーダーとして人類の難局に立ち向っていくにはこの観点が非常に重要です。また、生命の危険という点ではパール博士にかないませんが「政治的な危険」という観点ではレーリンク博士も同様に、おそらくパール博士以上に危険であったと考えます。私は、米国の黒人の人権獲得における貢献という点でジョン・ブラウン氏の功績とかれの真摯な行動に敬意を表しますが、現在人権問題を論ずる場合、彼の事跡を例に挙げることは有効ではありません。そのことは、いささかも彼の偉大さを損ないません。(ST生、神奈川)
宮崎正弘のコメント)ジョン・ブラウン? Who?
♪(読者の声2)国際的な抗議の声にも関わらず、中国共産党政府は周辺民族の民族自決を求める運動や国内の民主化運動を抑圧し、国威発揚の祭典として北京五輪を強行しようとしています。
我が国でも近視眼的な経済的利益を優先し、その裏から噴出しつつある多くの矛盾や我が国への主権侵害・国益侵食から眼を背け、北京五輪に加担しようとする動きが福田内閣や財界によって推進されようとしています。北京五輪を黙認することは、中国共産党政府による民族自決や人権への敵対行為を黙認し、日本が自由と人権という国際社会で通用する価値を売り渡すことにつながり、国際社会における日本国民の名誉と日本の長期的国益を傷つけることになります。
「アジア各民族の主権と人権を守る日本国民ここにあり」との気概を示す為、8月8日、北京五輪の開会式の開催時間に以下の行動を行いましょう。
8月8日夜、東京の原宿に集まれる人は以下の集会になるべく多くの方を誘って参加しましょう!
北京虐殺五輪反対国民大集会
日時 平成20年8月8日(金)午後6時30分~8時30分
♪(読者の声3)貴誌第2276に続いて、粟田朝臣真人関連文献を抜粋してみました。「海驢」さんが、『中国史の中の日本像』を引用されていますが、念のため、『旧唐書』の該当箇所の現代文を石原道博編訳・岩波文庫より、引用します。
<引用>
長安三年<大宝三年・703>その大臣朝臣真人が来て、方物を貢した。朝臣真人とは、ちょうど中国の戸部尚書のようなものである。進徳冠をかむり、その頂に花をつくり、分かれて四散させている。身には紫袍(むらさきの上衣)を着て、帛<はく>(きぬ・にしき)の腰帯をしている。真人は好んで経史(経書・史書)を読み、属文<しょくぶん>文章をつづる、作文・属辞・属稿)を解し、容止は温雅である。則天(武后)は、かれを麟徳殿に宴し、司膳卿(従五品上か)を授けて、本国に還らせた。
<引用終わり>
次ぎに、これに続く『続日本紀』の記事を抜粋します。
慶雲元年(704)十月9日 帰国の粟田朝臣真人らが、天皇に帰国の挨拶をした。十一月14日 ……正四位下の粟田朝臣真人に、大倭国の田二十町と籾一千石を賜った。遠く離れた異国に使いしたからである。
慶雲二年(705)四月22日 天皇は大極殿に出御して、正四位下の粟田朝臣真人……の三人を中納言に任命された。……
八月11日 …… また、遣唐使の粟田真人に従三位を授け、その下役たちにもそれぞれの地位に応じて位を上げ、物を与えた。……
慶雲三年(706)三月2日 遣唐副使で従五位下の巨勢朝臣邑治<こせのあそん・おおじ>らが唐国から帰ってきた。
五月26日 讃岐国那賀<なか>郡錦部刀良<にしごりべの とら>・陸奥国信太<しのだ>郡の壬生五百足<みぶ・いおたり>・筑後国山門<やまと>郡の許勢部形見<こせべ・かたみ>らに、それぞれ衣を一襲<かさね>と塩・籾をたまわった。昔、百済を救うために派兵した時(白村江の戦)、官軍は不利で、唐軍の捕虜となり、賤民の官戸とされ四十年あまりを経て、ようやく解放された。刀良らはここに至って、わが国の使者粟田朝臣真人らに会い、かれらについて帰朝した。その勤めの苦労を憐れんで、この賜り物があったのである。
<抜粋終わり>
遠山美都男氏の『白村江』(講談社現代文庫)には、「たしか、麟徳殿での宴のおりであったと思うが、宮廷に属し使役されている奴(官戸)のなかに、一般の奴たちとはどこか面差しや挙措が異なる者が数名いることに気づいた随員がいて、そのことを吾<粟田真人のこと。>に告げた。/気になって後日、随員の一人にその素性を調べさせてみると、何とかれらは同邦の人で」、錦部刀良らであることが分かった、と書かれていますが、この記述の典籍根拠は分かりませんでした。刀良らは、副使巨勢朝臣邑治の船で帰ったと記していますが、『続日本紀』の抜粋から、それは明らかでしょう。(TK生 埼玉)
(宮崎正弘のコメント)古代史のミステリーゾーンでもありますね。興味津々の世界です。♪
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♪(サイト情報)米国防総省は7月31日、2008年国防戦略報告を発表した。同報告書は、米国の外交政策が外交や国際援助などの「ソフトパワー」に、より大きな重点を置く必要があることを強調した。
(1)2008 National Defense Strategy、U.S. Department of Defense, June 2008.
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(2.) 国防総省の解説記事
http://
(3)国務省国際情報プログラム局の解説記事
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■ 国際派日本人の情報ファイル■
誤ったメッセージをまわりの国々に与えてはならない( 丸山公紀)
産経紙7月28日付けによれば、わが国の新しい中学社会科学 習指導要領の解説書に竹島を明記したことに端を発した、いわ ゆる「竹島問題」は、ついに韓国与野党国会議員50人による 「日本の対馬も韓国の領土だ」とする「対馬返還要求決議案」 が発議されるまでに発展したいう。
竹島が韓国にとって国家主権の発動の象徴として、引くに引 けない状態になっていることは事実であるものの、歴史的には 当然であるが、そして現在も日本国民が生活している地域すら 自国の領土と大真面目に決議案として国会で発議している動き は、一体、この国には「悪乗り」して、自制がきかないことほ ど常識がないのかと思ってしまう。法的根拠さえこじつけ、国 会で決議されてしまえば、全てが正統であるという主張が逆に 国際的には竹島の領有権主張すらも「ごり押し」であることを 証明してしまうにもかかわらずに、この動きを韓国政府はとめ ることができるか否か、疑わしい。
確かに対馬は韓国南端の釜山から約50キロと九州・長崎より 近く、地場産業が特別あるわけでもなく、主力の観光業もその 観光客が日本人より韓国人良好客の方が多いことを考えれば、 韓国によって生かされている島といっても過言ではない。国、 県が対馬市への援助を本腰で入れなければ、住民の心は韓国の 方を向かざるを得ないのは無理からぬことである。
竹島といい、今回の対馬の問題であろうと、わが国政府は他 国からのメッセージに対して一つ一つ、論駁しなければならな い。現に竹島は1952年に沿岸水域の主権を示す「李承晩ライン」 を設定した際に、わが国の領有権を主張すべきであったにもか かわらず、怠ったために54年には警備隊を常駐し実効支配を許 してしまった。
従って、対馬も韓国領だとする決議がなされる前にもこそ、 わが国政府は警告を発しなければならない。そして何よりも、 わが国の対応を見ているのは中国政府である。
その意味では軽率な韓国議会の動きであっても、わが国は誤っ たメッセージをまわりの国々に与えない手立てこそ考えなけれ ばならない。