観光客はいらない、農業で自立する(日経) | 日本のお姉さん

観光客はいらない、農業で自立する(日経)

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▼観光客はいらない、農業で自立する(日経)
手つかずの絶景を手にし、世界遺産に隣接しながらもブレない農業国
8月5日の夕刊で、時宜を得た嬉しいニュースを読んだ。2007年度の食料自給率(カロリーベース)が、39パーセントから40パーセントに上がったというのである。それも、九州、北海道産の小麦の収穫量が増えたことが主な要因として挙げられていた。 前回紹介した竹本農場の竹本孝彰さんをはじめ、筆者が面会してきたオホーツク沿岸の農家の一人ひとりの農業への取り組みが、自給率1ポイント上昇に貢献したといえるではないか。 新聞のニュースを読みながら、農業国として自立した小清水町や清里町の風景が眼の前に展がって、わけもなく誇らしい気持ちになった。 清里町の小麦の収穫量は、2000年に7854トンだったが、2007年度は1万3374トン。ほとんど変動のない耕作面積の中で、収量はおよそ2倍に増加している。世間で公言される農業の衰退は、少なくとも、オホーツク沿岸の農業国には無縁と認識しなければならない。 データに表れた数字を見て、清里町の町長が語った言葉を思い出し、その一言ごとの確かさを改めて実感することになった。

・観光でメシを食うつもりはありません
知床という大観光地を間近にしながら、「観光客の誘致は行いません」と北海道清里町の橋場博町長は静かに語り始めた。無節操な観光客誘致作戦に汲々としている向きの胸に、ぐさりと刺さる矢のような言葉ではないか。 かといって、観光業を軽視しているわけではない。ほかに大事あってのこと。それこそが、農業である。 この清里町は、前回まで紹介してきたお隣の小清水町と同様に、揺るぎない農業国なのだ。開拓時代も今も、清里は農業が基幹産業であったし、ひとたび町を歩けば、農業のための、たとえば農道の整備ひとつをとっても、これからも農業国であり続けるだろうことが実感される。
橋場町長が言葉を継ぐ。 「今この町に暮らす人を護るのが大先決です、農業は世襲です、次世代に上手に橋渡しをしなくてはなりません、それを手伝うのが歴代町長の役目です。このあたりの農家は長いあいだ地面にへばりついて麦や芋や豆類を作ってきました、これからも、そうやって暮らすんです、少しの気のゆるみも許されない、観光客というお客さんのために何かをする時間がない、人もいない」 観光資源を持たない自治体は多い。清里町も、そうした無資源の一員なら、橋場町長の言も理解ができる。ところが、町内には希少な観光スポットになりうる自然景観がある。「裏摩周展望台」に「神の子池」「さくらの滝」、それに知床の玄関口という立地に恵まれている。括弧でくくった3カ所は10年ほど前まで、知る人ぞ知る絶景地であった。さらに20年前は、プロのカメラマンたちが、こっそり訪れては四季それぞれの風光を撮影していたものだ。そうした知り合いのカメラマンの願いは、この稀有の佳景が未来永劫に渡って、観光開発されることがないように、というものであった。それほど前述した3カ所は素晴らしい明媚な眺望と静けさを備えている。 これらの観光資源を差し置いても、橋場町長は観光は二の次、われわれは農業で食べていく、と断言するのだ。その言葉は重い。

・この美しい池を全国に知らしめてもいいのか…
橋場町長の農業への熱い思いを聞いて、なるほど、と得心した一件がある。 1982年7月のこと、1本の林道を車で登っていった。未舗装のどん詰まりに池が見えた。池から流れ下る水量の豊富なことにおどろいた。その流れを遡ると、池の全容が見える。周囲200メートル程の小さな池だった。そこで眼を奪われたのは水の色、その透明度、なんという清冽な水か、と見入った。 池の最深部から水が湧き上がっていた。水底の砂が生き物のように噴き上げられている。ものすごい規模の湧水である。のちに1日1万2000トンの清水であることが知れる。あまりにも透明度が良いために、水深5メートルほどの湧水口の周囲に、20匹ほどのオショロコマが群れているのがよく分かる。水の色はカワセミの羽の色を湧水に溶かしたような、文字どおり翡翠色。 そんな感動とは裏腹に、神の子池、とトタン板に書かれた説明板。何という素っ気なさか、と呆れた。説明によれば、摩周湖の伏流水だと書いてある。摩周湖は流入河川も流出のそれもない。この神秘の湖は、アイヌが神の存在を信じた湖である。アイヌの故事に倣って「神の子池」と命名したと書かれていた。 カメラマンとして、極めて得がたい被写体を発見した、と、胸を熱くした。2日間その地にテントを張って撮影に臨んだ。もうこれ以上は撮るものもない、と見限って、3日目に絶景を後にして、電話ボックスに入った。清里町産業課のダイヤルを回した。 大きな観光資源になりうる「神の子池」を全国に知らしめてもよいものか、多くの人が訪れるようになっても町は迷惑をこうむらないのか、もしも人気の観光地になった場合、道路や駐車場の整備が可能なのか、訊ねたのだ。

・ひっそりとした絶景ポイント
しかし、こちらばかりが熱くなっているだけで、役場の職員は冷静。笑いながら受け答えしていた。その答えは、「どうぞご自由に」あるいは「それほどのものじゃないと思いますけど」という冷めたものだった。もちろん、観光開発の計画はない、と…。 とりあえず、神の子池の紹介は3~4年放っておいた。その数年間は、四季折々の姿をフィルムに定着させることに専念した。焦ることはない、そのうち、『みずうみ』と題して写真集の出版を企画しようと考えた。ところが、気持ちは次第に変化した。やはり、この池は、このままそっとしておいたほうがいいかもしれない、と思うようになった。なぜなら、神の子池には、相変わらず観光開発の手が入る気配すらなかったからだ。いまも、『みずうみ』の出版は見合わせたままだ。 清里町に撮影のために通うようになり、他にも、素晴らしい観光資源の発見があった。「さくらの滝」がそれで、初夏にはサクラマスの滝登りが見られる。滝壺には数えきれないサクラマスが群れ、難所越えをうかがっている。およそ3メートルの高さの滝を、50センチ以上の体長をもつサクラマスが、次々にジャンプする模様は、北海道の自然の奥深さを見せつける。一日中ながめていても飽きない。 ところが、ここにも観光施設は何もない。道も舗装されていなければ、案内板すら掲げられていない。ただ「熊出没注意」とあるだけだ。 「裏摩周展望台」は、近ごろになって観光バスも進入するようになったが、この絶景ポイントでさえ昔からの売店が一軒あるばかりだ。いつ訪れてもひっそりしている。

・「観光よりも、町が元気な姿になることが先決」橋場町長が言う。
「神の子池には、売店のひとつもありません、あなたが行かれた26年前と何も変わっていないはずです、林道は舗装されないままですよ。私は(町長)3期目になりますが、歴代は農業の自立を最優先してきたんです、あなたが写真を撮っていた四半世紀に、この町は農業の基盤整備に全力を傾けてきました、町内の農道を見てください、舗装されていない道を見つけるのが困難でしょう、観光に金をつぎ込む暇はなかったんです」 たしかに、農道のどんな細い道も舗装が行き届いている。こんな畔のような農道までも、と言いたくなるような細い道でも、農機具の出し入れが配慮されて舗装整備されている。 清里町の農家は現在240戸。最盛期は1000戸に届きそうだったという。この、農家の減少は、「自然淘汰といえるでしょう」と語ったのは、町内神威在住の古老、河西定男氏だ。橋場町長とはふるい友人である。 「今は平均して40ヘクタールの規模で北海道らしい農業が行われていますが、もともと(開拓時代)この町の農家は5ヘクタールから始まった、皆、血の滲むような努力をしてきて、けっきょく強い農家が残ったということです、小麦も豆もバクチ的な要素があって、フタを開けるまで豊凶は分からない、天候を読めない農家から淘汰されていきました、しかし、そうして離農していく人たちから、後に残る者は大きな財産をもらうんですよ、失敗の教訓を置き土産にするわけですから、賢い農家はますます強くなる」  ふたたび橋場町長が語る。 「まあ、神の子池もさくらの滝も、自然はそう簡単には変わりませんから、いつか、観光に力を入れるようなときが来ると想定しても、弱った町にお客はきませんよ、訪れてくれた人に元気になってもらう町でないといけません、そのためには今、未知の観光事業に手を出すことより、地場産業の農業で、しっかり自立しなくてはいけません」 自給率が1ポイント上昇したことについて、清里町で話を聞いた農家に電話をかけて感想を求めた。かれらは総じて「実感はない」「必死に耕作してきただけ」「自給率より今日から始まる小麦の刈り入れが大事」などと答えた。世間が騒ぐ数字に踊らされることなく、自分たちの本分を忘れない。開拓から100年、農家の底力が言葉に宿っている。 橋場博町長の「観光客はいらない」という発言の真意は、まだまだ、来客をもてなす余裕はない、という譬えなのかもしれない。 (次号につづく)
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