沖縄を必要以上に特別視する時期は終わった。 | 日本のお姉さん

沖縄を必要以上に特別視する時期は終わった。

≪ WEB 熱線 第1055号 ≫
▼▽ インド事報 ▽▼            by はぐれ雲さん

☆ WTO決裂~印・米対立の背景 ――――――――――― 2008/08/06

インドとアメリカの対立でWTO閣僚会合は決裂した。インドには絶対に譲れない線がある。===アメリカの「発展途上国の農業・農民に対する認識」を改めさせなければアメリカとは妥協しない、という腹だろう。ーーーアメリカの認識は甘い。

「インドだけが反対している」と思っていること自体、認識不足である。約11億5千万人の人口を抱えるインド、農村人口は7億5千万人、農民の約70%が2ヘクタール以下の零細農民、小作人も多い。インド政府は毎年、穀物の最低買取り価格を高めに設定、農民の収入を保護している。貧困問題・貧民問題はインドの最大の課題である。民主主義国家インドの宿命でもある。そして、農村・農民は、インドの民主主義を支える最大の有権者群である。21世紀に入り、インドで最も悲劇的であり、社会問題となったのは綿花農民の相次ぐ自殺であったといえる。綿花は伝統的な国際商品、国際市場価格に直接影響を受ける。

歴史的にインドの代表的輸出農産品であり、綿花栽培に頼る農民は未だ多い。アメリカ主導の綿花の国際価格は大幅に下落、旱魃による不作が追い討ちをかけ、多くのインド綿花栽培農民が窮地に追い込まれ、自殺が多発した。ソニア・ガンジー氏も、政権を取ったばかりの国民会議派の責任者として度々自殺者多発地域に赴き、農民支援を約束した。その後、多くの農家が多収穫が見込まれる‘アメリカ産遺伝子組み換え種子’に切り替えたが、インドの土壌・気候に合わず、更に新種の種子の栽培方法も判らず=説明書も読めない農民が多い)大打撃を受け、再び自殺者が急増している。

インドの綿花農民は、他の農作物に転作しようにも技術も資金力もない。自殺するしか為す術もない状況に追い込まれている。綿花の国際市況の低迷は、アメリカの綿花の価格にある。アメリカの農業補助金=輸出補助金が低価格に誘導している事は明らかであった。

アメリカはインドの抗議に一切耳を貸さなかった。同様の抗議は、ブラジルやアフリカ諸国からも挙がっていた。最近、綿花の国際価格は上昇しているようだが、今後どうなるか不安要素も多い。インドの綿花生産農家が何故このような状態に追い込まれたか…、理由は簡単・明瞭である。敢えて繰り返すが、綿花はインド農民にとって伝統的な輸出用農産物であり、転作はそう簡単ではない。

他方、アメリカの綿花の輸出価格が安過ぎる。アメリカ産綿花は、大規模・機械化農法であり、昨今は遺伝子組み換え種子使用で多収穫が可能になっている。当然、生産コストは圧倒的に低い。しかも、巨額な農業補助金=輸出補助金が供与されており、輸出価格は圧倒的に安くなる。いくらインドの人件費が安くても太刀打ちできる筈がない。アメリカの農民が悪い訳ではないが、政府農業補助金は余計である。アメリカの農業補助金に反発しているのはインドだけではない。綿花が主要輸出農産物である多くのアフリカ諸国の農民がインドと同じ状態にある。

今回のWTO閣僚会議で、アメリカは農業補助金の減額を表明してWTO交渉に臨んだ。補助金減額は当然だろう。昨今の農産物価格高騰でアメリカの農民は巨額な利益を享受している。それでもアメリカ政府が農業補助金を撤廃できない理由は何か? 世界はそれをアメリカに問いかけている。アメリカの政治家にとり、アメリカの農民・農村は伝統的な絶対的安定票田であることも背景にあるだろうが、それ以上に絶対に口には出さぬが、‘食糧は武器’という政治的意図もあるだろう。農業、特に穀物を支配すれば、世界を支配できる。農業国アメリカは、アメリカの農業を保護することにより、世界の農業に打撃を与え、農産物で世界をコントロールする基本戦略があったと疑わざるを得ない。結果論かも知れないが…。ーーー穀物メジャーはそう考えていただろう。

戦後、農業補助金付の安価なアメリカ産穀物が世界中に流れることにより、世界の農業は変質せざるを得なかった。安価なアメリカ産穀物=穀物市場価格に影響され、発展途上国の農民は最低収入を強いられ、穀物から商品作物への転換を余儀なくされた。

いくら大型化・機械化しても、アメリカの価格には勝てない。穀物生産を断念し穀物輸入に依存するようになった。典型的な例はフィリッピンやインドネシア、エジプトだろう。国家食糧安保上、大問題である。最近の食糧価格高騰でその実態が鮮明に見えるようになり始めてきた。食糧不足というより、世界の農業構造の問題だろう。

インドは自衛手段として、小麦・米の輸出規制を実施し国内価格安定化に必死である。幸いにして食料不足状態ではない。それ以上に、穀物高騰の原因はアメリカ=バイオエタノール)にあると強く非難している。
「これ以上アメリカの好き勝手にさせない」という思いは強い筈である。インドの怒りは綿花ばかりではない。先日のブッシュ大統領の無知な発言。「インド人の穀物消費が増え始めたのが穀物価格高騰の一因」との発言に、インド人が激怒した。「アメリカ人は何も判っていない」「傲慢だ」と猛烈に抗議しアメリカに対する反感を露にした。ーーーそして印米原子力協力協定…。

マンモハン・シン内閣信任決議が下院で採決された背景には、「協定はアメリカの介入を許すことになるのでは」というインド人の素朴な危惧があった。マンモハン・シン内閣が承認されたのは、国民会議派が「インドは決してアメリカの言いなりにはならない」「内政干渉はさせない」「独自路線を行く」と強い意思表明をした為だろう。WTO閣僚会議では、その強い姿勢を具体的に示す必要があった筈である。WTOで、インドは激しくアメリカに噛み付いた。

アメリカは「インドだけが問題」と思っているようだが、中国も同調、発展途上国もインドに同調している。インドは第3国のリーダー格として、絶対に妥協できない。少なくとも7億5千万人の農村・農民を守る責任がある。農村・農民はインド政治家の重要な票田であり、農民はインド民主主義を支える母体である。ーーーアメリカの誤算、それはインドを代表とする発展途上国の農業に関する無知からきているようだ。

アメリカ産農産物供与・支援だけでは貧困問題は解決しない。重要なことは、発展途上国の農業の発展にある。世界の農産物・穀物の収穫が増えれば、アメリカにとり穀物輸出量が減り生産過剰になるかも知れないが、その時には穀物をバイオエタノール用の原料に切り替えればよい。

最近の農産物の価格上昇で、世界各国各様、農業政策を見失っている感じもする。発展途上国の農業育成の絶好の機会だろう。アメリカの世界戦略は転換期にきている。アメリカ流発想法を打破する代表に‘大国’として認知されつつあるインドが台頭し始めたのは歓迎すべきことだろう。日本…、農民は何人いるのだろうか?
専業農家は30万人以下? 農業に携わらない農協職員の数のほうが多いともいわれている。そのコストの大半は日本の農民が負担している。国の農水予算の一部も補助金として流れている筈である。国民の税金である。日本は根本的に農業政策・食糧安保を見直すべきだろう。セーフガードのパーセント云々で悩む以前の大問題である。

自民も民主も同じ穴の狢、同じ票田、そうであれば思い切った策が打てるだろうに…。農民票が減っても同じ穴の狢、農業改革には絶好の機会と思うのだが・・・日本の政治家にそんな意識はないようだが・・・ = この稿おわ
り =
▼▽ わたしの主張 ▽▼           by やせ我慢さん

☆ 偽善者たちの自己陶酔月間が始まった  ―――――2008/08/06

八月は私の生まれ月です。だから夏は大好きですし、一番元気が出る季節でもあります。ところが一方で、八月は嫌な季節でもあります。ーーーなぜなら日本中の偽善者と嘘つき達がテレビや新聞をにぎわすからです。平和、平和と声高に叫び、戦争経験者や遺族を利用して自分の欲を満たそうとする連中です。それが自分の思想の為なのか、あるいは自己陶酔の快感なのか、なんらかのメリットの為なのかは人それぞれでしょうが、いずれにしても醜い姿に違いはありません。議員・学者・教師などの責任ある立場の人たちは無論、タレントからそのへんのオバサンまで、誰も彼もがしたり顔で嘘を語るのです。曰く、平和は尊い、だからいかなる理由があっても戦争・暴力を否定すると。

いかなる理由があっても戦争や暴力を否定する…、
これほど嘘と偽善と無責任にまみれた言葉を私は知りません。戦争や暴力の本質とは何かといえば、力によって相手を屈服させることであり、人を殺すかどうかは二義的な要素に過ぎません。普通に社会で生きていれば、そうした事を経験したり、自分自身が行ったりしたことのない人がいるでしょうか?? 企業間の争いも、夫婦の喧嘩まで戦争に喩えられるのは、その本質が同じだからです。生きていく以上、個人だって国家だって、自己の利益や安全を守る為に戦います。個人レベルですら、正当な防衛行為であれば殺人が許される場合もあるのです。テレビやメディアの前で、戦争や暴力を否定する人たちは、そうやって人前に出られる立場を勝ち取る為に、戦ってこなかったのでしょうか?? いやそれどころか、平和を訴える団体の中に、数百人を殺してきた極左殺人集団の人たちがいるのは一体なんの冗談でしょう??

※ 反戦と平和を願う行進に、なぜ殺人集団がいるのか??
現実の中での体験や事実に基づかず、綺麗な言葉だけを並べて公然と嘘をつきその美しい言葉に自己陶酔する彼らほど、醜いものを私は知りません。本来は社会から尊敬され、社会のお手本といわれるべき人たちが、そうしたことを言うという異常な状況をとても正視できません。ところが、平和とか戦争反対という錦の御旗の前には、ほとんどの人が口を閉ざしています。どこか胡散臭いと思っても、その立場や周りの反応を恐れて避けようとするのでしょう。でもここで、ちょっと言いたい事を言ってみましょう。(※ 一部不快な表現がありますのでご注意下さい)そうしないと、いつの間にか一つの考え方しかないように信じてしまうからです。取り上げるのは、夏の定番「核兵器廃絶」「平和憲法」「沖縄の劇」です。

―― 日本は世界唯一の被爆国
はっきり言います。それがどうしたんだ?と。勿論原爆によって亡くなられた方々、そしてその遺族の方々を侮辱するつもりはありません。但しそれは、東京や大阪、日本各地での空襲で亡くなった方々や、あるいは外地で亡くなった方々と同様という意味でです。つまり、原爆によって亡くなったことが特別なことだとは思いませんし、他の死者よりも優先されるべきものだったとも思いません。確かに、歴史上で唯一の核による被災でした。その意味で、科学的・軍事的には、特別の意味を持つでしょう。

しかし、その悲惨さにおいて、他の戦争による死と比べ、特別なものだとは思いません。被爆直後の悲惨な状況や死、そして被爆後一ヶ月程度で死んでいった人たち。彼らと、各地の空襲で焼かれた人たちと、何が違うのでしょう。いわゆる放射能の後遺症も、どの程度のものだったのかよく分かりません。50年、100年は人が住めないだろうといわれた広島は、被爆後数年で人々が普通に暮らし始めています。

もちろん、被爆や胎内被爆によって、何年も後になって症状に苦しんだり、亡くなっている人がいるのは知っています。確かに悲惨ですが、それは枯葉剤の後遺症で苦しむ人たちや、残された地雷で今も手足を失い死んでいる東南アジアの子供たちと、それほど違う悲惨さでしょうか。また、政治的に特別な意味を持つ体験だとも思いません。被爆地広島が、あるいは日本が幾ら叫んでも、世界の核戦略に何一つ影響を与えてきませんでした。有体に言えば、日本人の核兵器に対する異常なアレルギーは一種のプロパガンダだったと思います。もう、被爆体験を錦の御旗にするのは止めましょう。強力な兵器によって多数の日本人が殺された、それ以上でも以下でもないのだと捉えるべきではないでしょうか。

※ もう一つ、核兵器の恐怖としていわれるのが、全面戦争になると人類の破滅だという点です。しかし、これは日本の動向に関わらずその事実は変わりません。

―― 平和憲法の力で日本は平和に
嘘をやめよ!繰り返し繰り返し、教師によって誘導された小学生から、被爆や空襲体験者まで利用して行われているプロパガンダです。事実や歴史を無視し、死者を蔑ろにしてまでも日本を武装解除したいという人たちの存在を、ただただ嫌悪するだけです。今年も、さっそくこんな報道があったようです。この森さんという方が、どういう意図でこうした発言をしたのかわかりませんが、報道する側の意図は明らかです。
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【長崎】「戦後、日本人は1人も戦争で死んでいないし、誰も殺していない。これは平和憲法の力」 平和式典の被爆者代表の森さん
2008/08/02付 西日本新聞朝刊=
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/38595
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このような発言を切り取り、見出しにすえる新聞社にとって、或いはその言葉に頷く人たちにとって、シベリア抑留や李承晩ラインで殺された人たちや、朝鮮戦争の掃海作業で亡くなった人たち、拉致に伴って死んだ人たち、占領下やそれ以後に米兵によって遊びで殺された人たちなどは、いったいどのような評価なのでしょう。彼らは、事故や病気で亡くなったのではありません。

彼らの死は、敗戦国に力で自分たちの望みを押し付けてきた他国によってもたらされたのです。ーーー先に書いた私の定義でいえば、正に戦争という行為によって、戦後も日本人が殺されてきたのです。しかし、敗戦国日本には、彼らを守る力も、報復する力も無かったのです。これでも、平和憲法によって日本人が守られてきたというのでしょうか。また、大戦後から戦争をしていない国がいくつかありますが、それらの国々が憲法9条のようなものを持っているとは聞いたことがありません。平気で嘘を語り、同胞の死を無視しする人たちと、それを得意げに報道するメディア、本当に、醜さに目を背けたくなります。

―― 沖縄の声を聞け
沖縄の犠牲に対して、日本と日本人はどのように報いてきたか知るべきです。沖縄については以下のエントリーで詳しく書きました。一部を抜粋しますが、要は、日本と日本人は、沖縄に対して可能な限りの厚遇をしてきたということです。沖縄の特殊性といわれる3つの犠牲に対して、経済的には充分な補償をしていると思います。また、民間人犠牲者につていは、沖縄の悲劇と東京大空襲の悲劇に違いがあるとは思いません。一部極左や左翼勢力は、日本人の沖縄に対する贖罪意識を利用してきました。だからこそ事実を知り、あまりにも沖縄を特別視するのは、もう止めるべき時期が来ていると思います。

※沖縄とそれを取り巻く問題について
まず、沖縄県選出の衆議院議員 下地幹郎のサイトから引用します。
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沖縄県が、他の都道府県と違って特別な立場であることは、大きく次の三つの要因によって語られます。
1.日本で唯一の地上戦が行われ、20万人余の尊い命が失われた。
2.二つ目は、戦後27年間にわたり、アメリカの施政権下におかれた。
3.日米安保条約に基づく多くの米軍基地の負担を背負わされた。
一方、沖縄の本土復帰後、日本政府は沖縄振興開発特別措置法に基づいて、毎年約3千億円、復帰後35年間に、7兆5千億円を沖縄に投入しました。その当時の沖縄県の普通予算は、昭和50年度で1千5百億円です。つまり、毎年、普通予算の二倍の資金が通常の交付税や税収以外に投入されたのです。当時の国の一般会計の約1.4%です。これは莫大な額です。

昭和50年の沖縄県民が約100万人ですから、一人頭なら年に30万円、五人家族なら150万円に相当します。ーーー昭和50年の150万です。日本人は、高度成長期で必死に働き税金を収めていました。もちろん県の予算として使われたわけですが。ちなみに、沖縄県の平成18年度一般会計当初予算規模は5958億円ですから、その二倍の1兆2千億円が別途入ってくるようなものです。

その他にも、各種の優遇税制や政策がおこなわれています。また現在も、毎年100億、10年で1千億の予算が組まれています。メディアはほとんど報じませんが、日本は=つまり国民は)充分ではないかもしれないが、出来る限りの優遇を沖縄に対してしているのです。----それらのお金が効果的に使われたかどうかは別の問題----
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以上、特に核と沖縄については、まるでタブーのようになっているのでかなり強く書いてみました。批判や反論もあろうかと思います。
・核兵器への、事実以上の恐怖や嫌悪感は作られた意識だ。
・沖縄を必要以上に特別視する時期は終わった。