【「老百姓」たちのオリンピック】 気に入らないねぇ――タクシードライバーの本音
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【「老百姓」たちのオリンピック】
(1)気に入らないねぇ――タクシードライバーの本音
オリンピック開幕が間近に迫った北京。準備が最終段階に入った7月中旬頃から、街角の風景が大きく変わり始めた。市内の幹線道路沿いには五輪のロゴをあしらった色とりどりの幟や真っ赤な提灯が飾られ、華やかな雰囲気を演出している。その一方、地下鉄の出入口や大通りの交差点にはテロ警戒の武装警察官の姿が目立ち、ものものしい空気が漂う。そんな北京の風景に、8月1日、またひとつ新しい変化が加わった。市内を走る数万台のタクシーの運転手がこの日一斉に、同じデザインの制服に衣替えしたのだ。
・制服を着ないと罰金200元
新しい制服は黄色い半袖のワイシャツに紺色のズボン。堅苦しさはないものの、これまでタクシー運転手の服装がてんでばらばらだったことを思うと、何だか急に引き締まったように感じる。 この制服はワイシャツ2枚とズボン1本が無料で支給される。ドライバーたちは自腹が痛むわけではないし、むしろオリンピックに向けて面目を一新したかような、ちょっと誇らしい気持ちもあるのではないか――。そう考えて、顔なじみのドライバーの張さんに聞いてみた。 すると張さんは、浮かない顔をしてこう言うのだ。 「気に入らないねぇ。政府の指示で急ごしらえしたせいか、サイズの合う制服が足りなくなって、オレのズボンなんてぶかぶかだよ。なのに理不尽なのは、オリンピック開催中に制服を着ないで運転しているのを見つかったら、ドライバーは罰金を200元(約3200円)も取られるんだ。それも、市政府の運輸管理局の連中が路上でチェックするって言うんだから…」 張さんはさらにこう続けた。 「テレビで競技を見るのは楽しみだけど、まあ、オレたち北京のタクシードライバーにとって、オリンピックの恩恵は全然ないなぁ」 この言葉は、ちょっと意外だった。と言うのも、半年前には同じ張さんが、こう笑顔で話していたからだ。 「オリンピックになれば、自家用車の走行が制限されて渋滞がなくなるし、外国から観光客がたくさん来る。オレたちはきっと恩恵にあずかれるよ」 今北京で起きていることを冷静に観察すると、張さんの不満は確かにもっともだと思える。市内では7月20日から、自家用車はナンバープレートの末尾が偶数なら偶数日、奇数なら奇数日しか走行できなくなった。その結果、通りを走る車の数は目に見えて減ったが、幹線道路では(規制前よりはましだが)依然渋滞が続いている。 原因は、同じく7月20日から導入された「オリンピック専用車線」。選手団が移動に使うバスや警備車両など特別な許可を受けた車以外は、タクシーや路線バスを含めて一般車は通行できない。幹線道路では車線が1つ減ったのと同じで、それがナンバープレート規制の効果を減殺してしまった。
・ボランティアは政府の指令で
それでも、お客さんが増えて水揚げが上がれば、張さんの不満も小さかったはずだ。ところが、チベット暴動や四川大地震の影響で外国人観光客が減少。そこに雲南省のバス爆破テロが追い打ちをかけた。北京のホテルでは、オリンピック開幕式が行われる8月8日の前後を除けば、予約が満室のところはほとんどないという。 それだけではない。都市の美観改善や治安維持を理由に、北京市政府は建物や道路の建設工事を一時中断し、地方出身の出稼ぎ労働者を帰省させた。さらに、大規模な会議の開催や結婚式まで規制した。大気汚染を防ぐため、市内の製鉄所や工場も操業を休止したり、稼働率を下げたりしている。オリンピック期間中はずっと夏休みという国有企業も少なくない。その結果、中国人のタクシー利用者まで減ってしまったのだ。
オリンピックとは直接関係ないが、国際的な原油高騰の影響で、ガソリンの公定価格も6月下旬に16%引き上げられた。北京のタクシードライバーの賃金体系は、会社に毎月一定の金額を支払い、残りの稼ぎは自分の働き次第というもの。週末も休みなしで走り続けても、月の手取りは3000元(約4万8000円)程度にしかならない。ガソリン代はドライバーの負担なので、値上がりすればその分収入が減ってしまう。
張さんにとっては、まさに踏んだり蹴ったり。とはいえ、1人にしか意見を聞かないのは公平さを欠くだろう。そこで、やはり顔なじみの王さんにも聞いてみた。
「オレも気に入らないねぇ。だってオリンピックは本来、みんなで楽しむ祭典だろ。ところが、政府はそれを“政治化”してしまった。これを見てくれよ」 そう言って、王さんは腕に巻いた赤い腕章を指さした。そこには「北京奥運志願者」の文字。日本語に訳すと「北京オリンピック・ボランティア」である。 王さんが運転するタクシーは、一般のタクシーとは違う黒塗りの中型車。料金は一般のタクシーと同じだが、全国人民代表大会(国会に相当)など国家的なイベントが開催される際には、政府に借り上げられてVIPの送迎を担当する。王さんのタクシーはオリンピックにも徴用され、ある国の選手団の専用車を務めることになった。 すると、上からの指令でボランティアの腕章を着用するように求められたという。 「ボランティアって、自分で志願してするものだろ。志願してないのに腕章を巻くのは、どうにも気分が悪い。政治家はオレたち『老百姓』に、こんなことを強制すべきじゃないよ」。そう王さんはぼやく。
・地べたから見るオリンピック
「老百姓」と書いて「ラオバイシン」と読む。日本語の「庶民」の意味だが、無辜で善良な人々というニュアンスがある。張さんや王さんのような北京の老百姓にとって、地元で開催されるオリンピックは人生で二度とないであろう心躍るイベントだ。 だがオリンピックは、中国政府が威信をかけた国家事業という一面も持つ。オリンピックを純粋に楽しみたい老百姓たちと、対外的な面子のために強権発動も厭わない政府。その間には埋めがたい溝が横たわり、北京の街角に映し出されているように見える。 筆者もまた、北京で暮らす生活者の1人である。外国人である以上、北京の老百姓そのものにはなれないが、これから始まるオリンピックを、なるべく地べたに近い視点から観察してみたい。読者のみなさまにも、おつきあいいただければ幸甚です。
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