カラダの英知を失った行政が認知症を作り出す | 日本のお姉さん

カラダの英知を失った行政が認知症を作り出す

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カラダの英知を失った行政が認知症を作り出す
建設的ビジョン提示という行政の社会的責任(3)
今日は広島への原爆投下から63年目にあたります。7月25日の深夜に広島市中区の「堀川町原爆慰霊碑」が倒されて破損する事件がありましたので、平和に関する話題、戦時行政の社会的責任などの話も準備していますが、これは来週詳しく触れることにして、今週は先週の続き、身体技芸とライフロング・クオリティ・オブ・ライフの話題をまとめておきたいと思います。 お能の観世清和さんから古来伝わる筋肉トレーニングの話を伺ったことがあります。お能という技芸は、大半が静かな動きのように見えて、実は大変な体力、とりわけ筋肉を使います。 そのため思春期に入る頃から、老境に達するまで、実に様々なトレーニング法、生涯にわたって技芸を「作り」「保持し」「老衰に備える」方法を確立しているのです。幾世代にもわたって確かめられてきたライフロング(生涯使える)の英知は、大変興味深いものです。 清和さんは能楽シテ方観世流第26世宗家、お父さんのお父さんの……と遡ったところで始祖の観阿弥、世阿弥までつながる、一生涯をかけての身体の知恵を一子相伝しているバトンの受け取り手です。 
・室町時代の筋肉トレーニング?
かつて10代だった清和さんが、舞に必要な筋力の不足を感じて、お父さんの25世宗家、観世左近さんに相談したところ、タンスの引き出しを使った腹筋運動のようなものを教えられたそうです。1959年生まれの清和さんが10代ということは1970年代、ただ筋肉をつけるだけであれば、ありとあらゆるトレーニングマシンがすでに存在していました。 ところが左近さんは、そういうものはダメだ、使ってはいけないと言う。というのも、もしそういうトレーニング機器を使いすぎると、体形自体がその機器に合ったスタイルになってしまって、世阿弥や観阿弥以来伝承している装束に袖を通した時、姿が崩れてしまう。能の家に求められる伝承は、単に技術だけではなく、身体のつくりの一の一から、きちんと伝えてゆかねばならない。そういう教えだったそうです。 タンスの引き出しを使う筋肉トレーニングの方法がいつから伝わっているものかは定かではありません。が少なくとも明治以前、江戸期からであることは間違いない。観世さんのところに伝わっているタンスや家具調度には、面や装束と同様、室町時代からのものも含まれているはずです。タンスを使ったトレーニングが室町時代から伝わるものかは定かでありませんが、能の技芸自体は17世紀初頭以後、ほとんどフォルムを変化させていないと考えられています。そこから類推すれば、足利末期から 信長、秀吉、家康あたりまでの世代が鑑賞した能楽師たちの鍛錬法が、そのまま伝わっている可能性も考えられることになります。

・21世紀も守り続けられる家訓「風姿花伝」
観世さんのお家には、祖先の手になる、様々な家訓を教える「伝書」が伝わっています。その中の1つ、世阿弥の手になる「風姿花伝」は別名「花伝書」とも呼ばれ、19世紀いっぱいまでほとんど世に知られることのない秘伝、宗家一族だけの伝承でした。 20世紀に入り、歴史地理学者の吉田東伍が『世阿弥十六部集』を刊行してから、「風姿花伝」は大変によく知られるようになりました。ご存じの読者も多いと思います。よく知られている冒頭の「年来稽古条々」は、数え年の7歳から稽古を始めること、最初は褒めるだけ、声変わりの時期の過ごさせ方、まだおぼつかない24~25歳、名実共に完成する34~35歳、老いを迎え始める44~45歳、そして自らの老いを念頭に置きながら、生きている限りは現役として舞台を務められるよう精進する50歳以後の過ごし方などを、自分の父祖や自分自身のケースを参考にしながら、子孫に向けて詳細に説いています。 先ほどのタンス鍛錬法のお話は、観世さんの坊ちゃん、三郎太君が数えの7歳になる年にご一緒した際、伺いました。観世宗家では21世紀の今日も、祖先である観阿弥、世阿弥の家訓通り、数えの7歳からお稽古を開始します。 2005年、三郎太君がお稽古を始め、初舞台を踏んでから、たった3カ月ほどで最初の大きな舞台「隅田川」の「子方」を務め終わるまで、私の「放送大学」での講義「才能教育論」の教材として使わせていただくために、張りつきでNHKエデュケーショナルに収録してもらいました。
能楽600年の歴史で、こうした経緯が(ビデオはもちろん)外部の人の目に触れるということが、かつてなかったことだそうです。「稽古を人に見られるのは恥」というのが古来の考え方とのことですが、時代の中で能が観客と遊離してしまうことを懸念しつつ、これを改め積極的に公開に踏み切られたのは清和さんの大英断でしょう(この話題は大変に面白いものです。ご興味の方は放送大学の講義ならびにテキスト『才能教育論―身体活動能力の開発』(放送大学教育振興会)をご参照ください)。 伝統的な技芸が持つ大きな利点は、1世代だけの知恵ではないということ、つまり幾世代を通じて、多くは失敗例を重ねながら、
 「どのように若い時期を過ごし」
 「どのように壮年を迎え」
 「どのように老いて」
 「でもどうすれば、生きている限りは、現役を続けられるか」
 心身のコンディションを整えさせる、その全体を子供の頃からクセをつけさせる教育がなされるのです。
・洋の東西を問わぬライフロングの知恵
お能ほど長い伝統ではありませんが、私たちの専門である西欧近代のクラシック音楽でも、150年ほどの時間、数世代をかけて作られてきた「早期教育」のノウハウがあります。 私が「大学」に呼ばれてから東京大学や東京芸術大学で携わっている研究の大半は、こうした「音楽の反射神経訓練」をより一般の目的にも適用できるよう、医学や認知科学との対応を確認し、応用面の検討を並行して進めるというものです。 音楽では「ソルフェージュ」という科目の中でトレーニングを行いますが、これを一般化して、小は本やウェブの「速読」などから、大は「破壊的マインドコントロール予防のための予防公衆情報衛生ガイドライン策定」まで、およそ広範な用途で効果を上げています。 この連載自体、その1つの応用例にほかなりません。毎回長くなってしまうのは、私の宿題でもありますが、コンスタントにある質と量の原稿類を毎週毎月入稿するのに、音楽の反射神経トレーニングを転用しています。 こうしたことは20代初めの私には不可能でした。30を過ぎて、音楽では自然に行っていた、莫大と言っていい分量の楽譜のマスター、暗譜など、各種トレーニングを、反射神経をうまく使ってIT(情報技術)機器を「弾く」、知的生産に結びつけるメソッドにまとめたのが、大変に役立ちました。 これは東京大学教養学部「情報処理」の講義演習で7年の間に2000人ほどの学生を個別指導する過程でずいぶん洗練することができました。初等的な部分については『絶対情報学』(2005、講談社)として書籍にもしていますので、これもご興味の方はご参照ください。音楽のテクニックは、日常生活に転用した時、大変に使えるものが多いです。この同じ内容を、音楽本体の部分で、自分の専門である西洋音楽と、能楽などの邦楽と垣根を越えて扱ったのが、先ほど触れた放送大学の「才能教育論」に当たります。

・カラダとココロの知を喪失した社会・行政
洋の東西を超えて、5歳6歳という幼時の発達期から、80、90という老境まで、人間の生涯を見越して訓練や対策を立てた方が、無策の行き当たりばったりでいくより、結果が良いのは当たり前のこと。 先週引いた伝統工芸の老巨匠の例など、因果性について説明が不足していて誤解があったかもしれませんが、どのような職種でも短命で亡くなる方はおられます。中年以後ガンなどを発症される方、最近は脳梗塞などもある。ただ、子供の頃から生涯を見越したトレーニングをしている人で高齢に達している古典的な職掌の人には、アルツハイマーなどの発症が極めて少なく、職場である自宅で本当に亡くなる直前まで仕事している人が多いのは経験的には事実です。先週の例は漆芸の増村紀一郎教授から伺ったものですが、統計など取れればいいだろうと言い始めた頃に、科研費の研究期間が終わってしまって、そのままになっています。 「後期高齢者」対策などの政策を見ていて、私がとみに思うのは、今日の先進国行政ほど、人間の生涯を通じての生命と身体、および精神衛生に関する知恵を欠いた政策を濫発している地域も時代もないのではないか、ということにほかなりません。 分かり易く書けば現代の日本ではカラダもココロもなき物として医療行政などで予算配分を決定している。極論すれば、今の欧米型先進国ではカラダもココロも死んでいるのが前提になっている。安全な範囲で言っても、そうした具体的な知を社会が喪失したまま、文化教育、社会福祉などの政策が立てられ、税金はぐるぐる回されるけれど、何かの中身が決定的に喪失してゆく。そのことばかり、一貫して指摘しているわけです。
変な通り魔事件があちこちで増え、詳細が分かりませんがカナダでもヒドい事件があったようですが、こうした現象は生み出されるべくして生み出されている側面があるように、私には思われてなりません。 封建期の日本の各種の制度には長短がいろいろあります。しかし、事このような身体技芸の伝統については、学ぶべきところが本当に多々あります。 環境との共生に日本の伝統的な「里山」や「入会地」の発想が役立つことがある。そうした知恵を転用した環境政策が立てられることがある。これと全く同様に、心身の衛生健康管理と生涯を通じて高いクオリティー・オブ・ライフを実現してゆくノウハウを、東西の伝統的な身体技芸を参照しながら追求する仕事を私自身10年来続けています。 いろいろな審議会などでも話すのですが、これが面白いほど、最初はまったく理解してもらえない。ちょっと説明すると、何かに気づいてもらえることが多いですが、浅く聞き流されて誤解されたりすることも多く、およそピント外れな反応が返ってくることも珍しくない。 でも、そういう素頓狂な反応自体が大変に参考になっています。というのも、それが現代の日本で「カラダ」や「ココロ」を巡る英知がいかに死んでいるか、もっとも如実に示している一つの証拠になっているからです。 とりわけ厚生労働行政などで、医師会その他の既得権益擁護などもあるでしょうが、もっと身体の現実に即応した形で大きな軌道修正がなされることを、常々願っています。 特にそれを痛感したのは介護を通じてでした。私は2002年から2004年まで、親が亡くなる前の2年間、自分自身で介護をしたのですが、医療現場を含め制度の形骸化や空文化をイヤというほど知ることになりました。一言で言うなら、カラダとココロの英知を失った行政と社会システムの死角が1世代以上続くことで、認知症をはじめとする高齢者の症状を生み出している。人災としての側面を強く認識しました。これについてはまた回を改めて、詳しくお話ししたいと思います。 1945年8月から63年目の夏を迎えています。灰燼の中から日本を復興させた先人の努力はたいへんなものでしたし、その恩恵の上に私たちは今日の生活を送っています。しかしその過程で決定的に失ってしまった知恵も存在している。極く微量でも、人間も社会も生きてゆくうえで必要不可欠な、ビタミンやミネラルのような要素を、私の仕事では一貫して取り扱うようにしています。

・年を取ると、身体も子供に戻る?
面白いもので、人間は年を取るとだんだん幼児に近づく部分があるらしい。小さな時に身につけたものが、60、70と年を経るにつれて、身体所作の表面に現れやすくなるという話を伺ったことがあります。 2006年の秋だったと思いますが、能楽ワキ方下掛寶生流の12世宗家である寶生閑先生に全国大学体育連合(大体連)関東支部のシンポジウムにご登壇いただいたことがありました。 この席上だったか、事前の打ち合わせか、終わった後か、定かに記憶していないのですが、大変興味深いお話を閑先生から伺いました。 お能は600年にわたって専門の「家」に伝承されてきた技芸ですが、第2次世界大戦後は各大学の謡曲研究会などで習っていた一般学生で、趣味が昂じて「弟子にしてほしい」と入門を志願する人が増えているそうです。そういう人が100人いれば100人断られる。でも、1000人ほどいれば1人2人入門を許可される場合もあるそうで、20を過ぎてから入門して、現在プロの能楽師として活動している人もおられるそうです。 そういう、1代で名を成した人は、大変な努力家ばかりで立派な芸を持っていることが多いそうです。ところが彼らが50、60を過ぎてだんだん老い始めると、いろいろ問題が出てくることがあるという。 人間、弱ってくると地金が出てくるのだというのです。20歳を過ぎてから、思いを持って飛び込んできた能の世界、壮年期は資質を上回る努力で仕事ができたけれど、老いてからはコントロールの力が落ちて、子供の頃からの運動がそのまま出てきてしまうことがある、極端な場合、身体のシルエットから変わってしまうこともあるという。こうなると、能舞台で舞うのにはちょっと問題が出てきてしまう。座ったままの地謡であればまだしも、動いてしまうとどうも…という場合があるという。考えさせられるお話です。

・技芸を伝える社会システム
ちなみに、能楽は伝統的に男性の世界ですが、現在伝統を受け継いでいる中には多数の女性能楽師がおられることも記しておきたいと思います。能の家に生まれて、子供の頃からたたき上げられた、多くの女性能楽師が頑張っています。東京芸術大学音楽学部には能楽専攻がありますが、ほぼすべての男子学生は学部卒業後すぐに世に出てゆきます。折からの「大学院重点化」の文部科学政策がありますので、現在、芸大大学院能楽専攻に在籍しているのはほぼすべて女性で、様々な測定機器を併用する私たちとの共同研究も、多くの女性能楽師の協力で成り立っている。 「能」を舞台で演じるのは、主としてプロの仕事ですが、面や装束を着けない「仕舞」や謡曲などは室町~江戸期からアマチュアの稽古事として普及していました。最近私は見かけなくなりましたが、私たちが20代の頃、結婚式で新郎新婦の親類縁者が「高砂」などをウナル風景は普通だったと思います。こういうお稽古、ゴルフで言えば「レッスンプロ」として人材の層ができており、女性も大活躍している。あくまでノンプロとして、お稽古を重ねて発表会があり…という、お弟子さんを束ねる「家元制度」は、能に限らずいけばな、お茶、お琴や三味線、日本舞踊など、古典芸能全般に見かけるものです。 「家元制度」には長短様々な特徴がありますが、多くの人が自分でもプレイに参加しながら、プロの芸の「見巧者」にもなって、技芸が広まり、保持されていくというのは面白いところと思います。現代に例を取ろうとすると、私はどうしても、まず「ゴルフ」を想起してしまいます、 そういう「自分もやる」「スコアを伸ばしたり技術力をアップしたいと思うノンプロ・アマチュアがたくさんいる」という状況が、「文化」というレッテルを張られたものの多くには、あまり見かけないように思います。ここでは技芸を伝える社会システムが、社会自体にもどのように価値還元しているか、その全体を見ることが、本来は大変に重要です。

・落語とジャズと即興性
そういえば、読者の方から立川談志師匠の例を出していただき、大変嬉しく拝見しました。私は落語に詳しいわけではありませんが、土曜深夜に新宿末広亭へ二つ目の芸を見に行くような生活は長く続けています(今年のヒットは何と言っても春風亭栄助の真打昇進でしょう)。 談志師匠の論点を、もし音楽に繋げるとすれば、クラシックよりむしろジャズが近いように思っています。全国のライブスポットやジャズ喫茶など、心ある席亭さんや個人主催者がサポートして、熱心なファンが火を絶やさないようにしている。私の義理の従兄弟で、整形外科医の小川隆夫はジャズジャーナリストとしても長年にわたって仕事をしている人物ですが、彼の活動などを見ていると、「ジャズ」は「寄席」と似ているように思われてなりません。両者に共通するのは、客席とやり取りのある即興性、と思います。 もしこれを日本の技芸で考えるなら、同じ民衆芸能でも歌舞伎などは「音羽屋!」など屋号の声掛けすら形式化しており会場とのインタープレイや即興性による触れ幅は小さいものに留まります。さらに能はかなり性質が異なっている。 また、「音楽」とか「文化」という言葉で考えるより、興行や専門家の生計がどういう経済で成立しているか、財布の所在や社会的な成り立ちに、やはり異同があります。 西欧のクラシック音楽でも、オペラブッファと呼ばれる喜歌劇と、重厚な構えのシンフォニーやヴァーグナーの巨大な楽劇とでは、いろいろな要素が大きく違っていて一概には言えません。一音楽家としての私自身は、むしろ「お能」に近い形で音楽の仕事をしており、社会との接点という意味では正直、限界を感じることの方が多い。 そこで一音楽家としても新しい窓を開きたいというのが、このコラムを書き始めた1つの動機にもなっています。

・身体の英知を広く社会に役立てる
ちなみに、かつて慶応義塾大学で開講していた「日本伝統音楽論」というコマでは、私は一貫して「寄席芸」などの歌舞音曲、「色物」を取り上げました。端唄小唄といったもの以上に、戦後の歌謡漫談や、ショパン猪狩の「東京コミックショウ」(ご存じですか?)のような20世紀の生み出した「至芸」を、ライブとメディア芸の観点から学生たちと共に考えました。ポピュラーな文化とハイカルチャーは別ものですが、そこに優劣をつけても、私のような立場では生産的なことはありません。 ただ間違いなく言えることは、今日例えば野球やサッカー、ゴルフやカラオケが獲得しているほどの「能動的な顧客」を、ジャズもお能も落語も、そしてクラシックに分類される様々な音楽も、持ってはいないという事実です。 そこで「市場原理に敗れるモノは消えて当然」という合理的な判断が過ぎることで、どういう問題が起きてくるか「CSR解体新書」のタイトルで50週ほど考えてきたわけです。この20年来、ミュージアムカルチャーを行政からの補助金にもっぱら頼って保持しよう、などという論旨とは正反対の仕事ばかりしてきましたので、ケーススタディーは自分自身のものも含め、テンコ盛りで持っています。このコラムではそうした具体例をご紹介しながら、政策あるいは経営などへの一般化を念頭に、建設的な方向性を考えてゆきたいと思っているわけです。 (つづく)
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