原爆の投下と広島の石にある「文句」  ・ 斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」vol.43 | 日本のお姉さん

原爆の投下と広島の石にある「文句」  ・ 斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」vol.43

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原爆の投下と広島の石にある「文句」
                 No.360 平成20年 8月 5日(火)
                        西 村 眞 悟

八月になれば、原爆の犠牲者への追悼、そしてソビエト軍の満州から朝鮮半島への雪崩れ込みと樺太・千島占領への悔しさ、さらに十五日の全戦没者への慰霊の思いが続いてくる。八月は暑さのなかで、お盆のご先祖をお迎えする風習とかさなり、独特の思いが大気に流れてくるように思える。その思いとは、生きるものの思いというより亡くなった方々の思いである。
 
そこで、原爆記念日を迎えるに当たり、改めていつも思うことを記しておきたい。私は、原爆の犠牲者を心から追悼する。しかし、広島の原爆公園にある、「過ちは繰り返しませんから」という追悼の文句はしらじらしい。私は気にくわない。嫌いである。
えらそうなことを言うな、まるで貴方たちの生きた頃は馬鹿ばかりで過ちを犯していましたが、私たちは賢く振る舞いますと言っているようではないか。また、原爆を落としたのが日本人だったとでも言うのか。この文章の主語は誰であろうか。落としたのはアメリカではないか。その証拠に、アメリカでは、原爆を広島に落としたB29を未だに大事に磨き上げて展示している。そのB29の前に「アメリカ人は過ちは繰り返しません」と書いているなら分かる。しかし、落とされた広島に主語不明でこの文句を書いている感覚が分からない。一体天下の公園に、誰がこの文句を書いたのであろうか。

敵をとるという思い。この思いを素直に懐き表明した上で、恩讐の彼方に昇華させるという慰霊ではいけないのであろうか。曾我兄弟また忠臣蔵の話、古来我が国では、敵討ちは武士の美談であったではないか。
また、非戦闘員がいる住宅密集地に爆弾を投下したB29搭乗員を処刑したことにより、戦犯として絞首刑に処せられた岡田 資中将の裁判闘争記録である「明日への遺言」をみると、アメリカ軍でも敵討ちは違法とはされていない。岡田中将の戦犯裁判において、アメリカ軍の日本本土爆撃の実態が明らかになってからのアメリカ軍の判事また検察官は、岡田中将の命を救うために、B29搭乗員殺害は「処刑」ではなく「敵討ち」だと彼が証言することを願っていた。

そこで、私が元兵士から聞いた原爆被災者の直接の声を思い出す。原爆投下の直後、広島に入った部隊があった。その部隊の兵士は、おびただしい被災者の死骸と生きているが道ばたにうずくまっている人々の群れをみる。そのうずくまっている人々は、彼にこう言った。「兵隊さん、敵をとってください、敵をとってください」 敵をとって欲しい、これは被爆者の自然の願いであった。この事実に目をつぶって追悼はない。

我が国を取り巻く国々は、みな核保有国である。とりわけ、中国は我が国に向けて東風21という核弾頭ミサイルを実戦配備している。北朝鮮も核をもっており「東京を火の海にする」と脅迫したことがあった。
そこで自問しよう。
 核を落とすなら敵をとると思う日本人と、
 落とされれば「過ちを繰り返した」と思う日本人と、
どちらが落としやすいであろうか。
 
決まっているではないか。落とされれば、自分が悪かったから過ちを繰り返したと思う日本人には、良心の躊躇なくしかも仕返しの恐怖もなく落とせる。落とされた日本人自身が言っているように、悪いのは日本人であり落とす側は悪くない正義だと言えるからである。しかもこのような日本人が、敵を討ちに来る心配もない。
 
それに対して、敵をとりにくる日本人には落とせない。何故なら落とせば自分も敵をとられて死ぬからである。
 
そもそも、精神的にも敵を討つ体勢があること。核抑止力とはこういうことである。相互確証破壊、つまり、やったら確実にやり返す、だから双方とも核は使えない。きれいごとではなく、これが核戦争が抑止されてきた前提である。

ということは、広島の公園にある、「過ちは繰り返しませんから」という文句は、核抑止力を自ら放棄して、日本人には核を落としやすいですよ、と核保有国に発信していることになるではないか。敗戦ぼけ!もほどほどにしてほしい。まさに、あの文句自体が、この厳しい国際社会のなかで我が国に再び惨禍を繰り返させる「過ち」である。「過ちを繰り返させない」為に、あの文句を刻んだ石の撤去を望む。

ところで、以下は、知っておいてもよいエピソード。数年前に、拉致被害者救出への協力を要請しに、赤坂のアメリカ大使館を訪問した。そこで通された大きな客間には、立派なクラシックな戦艦の模型が飾られていた。側によってその船名を見ると「サスケハナ」と書かれてあった。
そして、「なーるほどなー」と感心した。「サスケハナ」とは嘉永六年六月三日、浦賀に臨戦態勢をとって侵入してきたぺりー提督率いるアメリカ艦隊の旗艦である。ペリーは、アメリカ大統領の我が国に「開国と通商」を迫る国書を持参してきた。
そして驚いて接触してきた幕府の役人に対し、如何なる事態になってもこの国書を幕府に受領させる、もし戦闘中に降伏するならばこの旗を掲げよと「白旗」を渡したのである。当時の欧米諸国が、力で非西洋国を屈服させるときの常套手段である。この屈辱が、我が国が独立自尊のために富国強兵路線を進むバネとなった。従って、石原莞爾将軍は、昭和二十年の我が国敗戦後に始まった東京裁判の証人にアメリカ軍から喚問されたときに、「証人を喚問するならば、まずペリーを喚問すべきだ」と発言したのである。
まさに、このペリーが乗船していた旗艦の模型をアメリカは、今も駐日大使館の客間に飾っている。アメリカ人とは、なかなか歴史を忘れず覚えているもんだと感心した。そして、ひょっとしたら、広島に原爆を落としたB29「エノラ・ゲイ」の模型もぶら下げているのではないかとその部屋を見回した。無邪気な(情緒のない)アメリカ人ならやりかねない。
 
とは言え、やはり、このアメリカのように、日本人もさりげなく歴史を忘れていないよ、と示すことも必要であろう。我が国で言えば、ワシントンの駐米日本大使館の客間に、原爆投下直後の広島の写真を掲げ、写真の下に「兵隊さん、敵をとってください」という被爆直後の被災者の声を書いておくのもよい。   (了)

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 斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」vol.43
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 1 神々のいない、西尾幹二先生の東宮批判

今号も、月刊「WiLL」誌上で展開されている西尾幹二先生の東宮批判を取り上げます。今回は6月号の論考を読もうと思います。西尾先生の論考には、3つのポイントがあるように思います。信仰、皇位、徳の3つです。

まず信仰です。論考は、天皇の存在は日本国民にとって信仰問題である、という指摘から始まっています。信仰の問題だからこそ、歴史や伝統の意識が時代の進展とともに薄くなるにつれ、無関心という最大の敵に直面するとも説明しています。先生の指摘それ自体は間違いではありませんが、先生のいう「信仰」とは、あくまで国民の視点で皇室制度の意義を説明する人間の側の論理にとどまります。別ないい方をすると、先生の解説には神々の意思が欠落しています。

先生は、日本の神話は荒唐無稽な作り話だとみんな思っている。これこそが天皇の存立の基盤を危うくしている根本問題である、といいます。天皇は神話とつながり続けているが、天孫降臨神話のほかに王権の根拠を持たない基盤の弱さ、とも指摘しています。

しかし先生の論考には、神話以上に重要な、生きて働きたもう神々の存在への言及がありません。先生が指摘するように、皇位は世襲ですが、世襲たる皇位は皇祖神の神意に基づくことを先生は見落としています。
皇位が皇祖神の神意に基づき、世襲によるのであれば、先生が指摘するように、天皇統治は徳治主義とは無縁です。

ところが、先生は「天皇は徳が高いに越したことはないが、道徳とか人格とかいった人間尺度の問題から解放することがむしろ本来のあり方とされる」といいつつ、「皇太子ご夫妻」とりわけ皇位を継承するわけでもない妃殿下に徳を求めようとしています。まったくの矛盾です。

さらに先生は、「意識して努力して近づこうとしない限り、伝統はするりとすり抜けてどこかへ落ちてしまう」として、皇后陛下の「伝統的な徳」を例示し、妃殿下にも「国母」になっていただくための努力を要求し、論理矛盾を拡大させています。

先生は「ほとんどすべてを失った戦後の皇室が伝統を回復したのは、この意識的な努力のおかげであった。皇后陛下のお果たしになった役割の大きさは筆舌に尽くしがたい」「昭和天皇亡き後、平成の時代に、皇室を、そしてこの国を持ちこたえさせてこられたのもこの方のおかげである」と力説しています。

しかし皇后は皇后です。皇后が皇位を継承するわけではありません。皇室の伝統でもっとも重要なのは祭祀であり、天皇の祈りです。天皇はつねに人が見ないところで「国平らかに、民安かれ」と祈っている。「国民と共感共苦する」どころか、命を共有しようとされる。先生のいう「徳」とはその結果です。

むろん先生が祭祀の重要性を理解していないわけではありません。むしろ、皇室の内部に異種の思想が根付き、増殖し、排除できなくなってしまう事態を恐れ、皇太子妃殿下が宮中三殿に「いっさい立ち入らない」のはそのことと関連があるとお考えのようです。

しかし以前にも指摘しましたが、妃殿下の拝礼がないのではなく、昭和50年代に側近の越権行為によって、皇太子妃のみならず、皇后、皇太子の御代拝の制度が廃止され、いまなお回復されていないところに問題があります。「国難」は妃殿下の「傲慢(ごうまん)」の罪に由来する、と断じる、先生の批判は、君臣の別をわきまえない身のほど知らずであると同時に、論理的にも誤りです。
                 
  2 トンガ国王のキリスト教式戴冠式と伝統的即位式
日本の皇太子殿下やタイのシリントン王女、イギリスのグロスター公爵夫人などが参列して、トンガ国王ツポウ5世の戴冠式が8月1日、行われました。

40年間、この国を治めた前国王ツポウ4世が2006年に亡くなり、王位を継承したツポウ5世の戴冠式は、翌年に行われる予定でしたが、政情不安定のため延期されていました。

トンガ語で「南」という意味のトンガは、南太平洋に浮かぶ唯一の王国で、ポリネシアでもっとも古い歴史を持っています。ポリネシア人が作った王国のうち、ハワイもタヒチも欧米の植民地となりましたが、トンガが植民地化されたことはありません。

今回の戴冠式がキリスト教会でキリスト教形式で行われているのは、19世紀にトンガの3つの王朝を統一したツポウ1世がキリスト教に改宗し、以来、国内で急速にキリスト教が広まり、西洋化が進んだという歴史が背景にあります。

いまではトンガ国民のほとんどがキリスト教徒といわれ、どんな小さな村にも教会があるそうです。イギリス国教会の司祭ジョン・ウェスレーがはじめた宗教復興運動に起源を持つメソジスト派(ウェスレイアン)がもっとも多く、トンガ王家もこの教会に属しています。トンガはキリスト教伝道が世界でもっとも成功した国といわれているのだそうです。

キリスト教化はトンガの伝統的宗教世界を破壊することにもなったのですが、トンガ王室は伝統文化の維持にも尽力しています。そのことは教会での戴冠式のあとに、カバ・ドリンキングというトンガ独特の伝統儀礼による即位式が行われることからも分かります。

コショウ科の植物の根を砕いて、水でとき、絞った液汁をヤシのコップで回し飲みするのですが、トンガの建国神話に描かれた死と再生のドラマの象徴的再現ともいわれます。神聖なカバ儀礼を通過することによって、新国王は王の名を正式に獲得し、真の国王となるのです。