クライン孝子の日記・今日のアフリカ | 日本のお姉さん

クライン孝子の日記・今日のアフリカ

ようちゃん、おすすめ記事。↓クライン孝子の日記

■2008/08/04 (月) 産経「正論」、小説ノンでの拙稿掲載のお知らせ
■2008/08/04 (月) 北京五輪最中に、終戦記念日ですが・・・
■ 2008/08/03 (日) 「竹島と南京」国際政治の視点から
奥中正之(1~6)なお全文はわがHP http://www.takakoklein.de
画像ダイアリーにも掲載いたしました。北京オリンピック真近しという中で、産経新聞「正論」にて
=北京五輪と中国のしたたかさ=

1)成功に面子を掛ける中国
2)東京五輪最中に原爆実験
3)洞爺湖も米中クッション
をまとめ、「正論」担当の平山氏より「今週火、水、木の中で、掲載します」との嬉しいご返事を頂きました。東京五輪は1964年、今から44年前に開催されました。私は当時IOC事務局のある帝国ホテルのフロントに勤務しておりました。高度成長突進時期で、若かったし、希望に満ちていたこともあり、帝国ホテルのロビーは何かしら華やいでいたのを記憶しております。

さても祥伝社「小説ノン」8月号
http://www.shodensha.co.jp/n-non.html
第4回「日本とドイツのそれぞれの戦後」
は「ニュルンベルグ裁判」と「東京裁判」

1)「東京裁判」と日本と戦後
2)ニュルンベルグ裁判の狙いとは?
3)終戦2年前に始まったナチス戦犯訴追計画
4)米英ソ仏、4カ国によるユダヤ人迫害
5)起訴24人、死刑12人
6)被告が受けた凄惨な拷問
7)守り通したドイツ人としての矜持
8)戦いに馴れた民族の強かさとそうでない民族のナイーブさ

次回はドイツと日本の戦後の分岐点となった情報機関についてドイツはいかにして、この機関を戦後復帰に活用したかについて、昨日、締め切りに間に合うよう、まとめ、親しい編集者角田氏あてメールでお送りしほっとしているところであります。とは半分偽りで、早速次のテーマに挑戦しております。いずれにしても、パソコンの便利さを、改めて感じているところであります。昔なら、ペン書きで、原稿用紙とにらめっこし、チェックし書き直すところでありますが、パソコンだと、その辺の苦労を手抜きすることが出来るからです。

ネットの時代に入ったので、巧妙にパクラレルこともなくなりましたし・・・(拙著「自由買い」では1ページほぼ同じ表現でパクラレタことがあります。結構著名な方がこれをやるから始末が悪い。なぜ一言、誰それの発言とか引用と断らないのか)今日ではすぐ、誰かが発見して、メールで報告してくださるから、有難いことであります。

素敵な読者の皆さんのお陰と感謝しております。有難うございます。

■2008/08/04 (月) 北京五輪最中に、終戦記念日ですが・・・

練馬区の主婦さんより
<<こんにちは、日本は暑い毎日でもうすぐ終戦記念日を迎えようとしております。本日YouTubeにて見つけた「竹島問題」で興味深い番組がありましたのでご報告いたします。
http://jp.youtube.com/watch?v=OtTkvscX4Ok
この番組は関西方面でのみ放送されているもので、

東京在住の私はこの番組をテレビで一度も拝見した事はありませんが、
YouTubeでは日本を憂いている多くの方が、こうしてアップして下さいます。わざわざ入国してくる彼ら韓国人を、日本国でパフォーマンスをする芸術家と考えれば腹も立たないのか...とも思いますが「アメリカ」のバックを受け、ますます増長していく彼らを野放しで入国させる日本国政府。ラスク書簡なんて、もうなんの意味も持たないのでしょうか?

チベット人と一緒に抗議活動を行った日本人は拘束され、外国人が日本へ入国し、日本政府への抗議活動を行っても罰せられない「優しい国 日本」このままオランダの地へ評定を委ねなければ、米島 勉氏のおっしゃるとおり、イス取りゲームで終わってしまします。

8月に入りました。子どもと遊就館で映画を見て参ります>>

TU氏より
<<クラインさん、何時も心を揺さぶる記事を有難う。最近の世状にはほとほと日本の将来が心配です。もうすぐ北京の地に日の丸が上がりましょうが、あの感激は八十才近くの私には戦前・戦中も含めて懐かしいものです。戦後、本当に色々あったが、六十年も過ぎた今日、再び国民の敬意を込めて、日本人と生まれた感謝も込めて、各戸に日の丸を祝祭日にでも掲揚する運動を、外国生活をして故国の良さをよく知っておられるクラインさんからでも起して頂きたい。やはり日の丸は日本人の心そのものを表現し尽くしていますよね。(TU生)

柳は緑 花は紅 ・ 租にして野だが卑ではない  >>

■2008/08/03 (日) 「竹島と南京」国際政治の視点から 奥中正之(6)
領土問題は国家主権の枢要部分であり、「寸土を失う国はやがて全土を失う」という歴史の教訓があり、竹島問題は我が国益がかかった重要案件だと考える。

南京大虐殺問題は日本人のプライドや国家の尊厳にかかわることであり、これまた我々の国益に関わる重大な事案ということになる。

ならば、「南京大虐殺があった」という中国の主張に対して、たとえ「南京大虐殺はあったのではなかろうか」と心中思っても、つまり日本はクロだと思っても、大局的には国益を守るために、また個人の立場に立てば、過去の日本人の名誉に関わることは自分自身の名誉さらには子供や孫たちの名誉に関わることなので、韓国に学んで、「我々はシロだ」と声高に反論主張する手もあろう。

しかしやはり南京大虐殺はなかったことを確認し、日本はシロだと確信した上で「シロはシロ」だと主張する方が精神衛生上もよいのではなかろうか。中世において、宗教及び政治上の権威により天動説が絶対的な学説として確立し、多くの人々はそのように信じていた。しかしガリレオは天動説に迷わず、冷静に事実に基づいて判断し、コペルニクスの地動説を信じた。このガリレオの顰に倣い、今一度白紙の原点に立ち返って、伝聞を排し南京攻略戦の事実について確認することを
お勧めしたい。(完)

参考資料:東京裁判日本の弁明「却下未提出弁護側資料」抜粋
     ・・・小堀桂一郎編 講談社学術文庫
     秘録東京裁判・・・清瀬一郎著 中央文庫
     パール判事の日本無罪論・・・田中正明著 小学館文庫
     世界がさばく東京裁判・・・佐藤和男監修 ジュピタ
―出版
南京「事件」研究の最前線 平成二十年版[最終完結版]・・・東中野
修道編著 展転社
南京事件証拠写真を検証する・・・東中野修道/小林   進/福永慎次郎 
                     著 草思社
    
     近現代史の必須知識・・・渡部昇一監修 PHP
     日中歴史の真実 別冊正論08
     映画「南京の真実」・・・水島総脚本・編集・監督
     反日で生きのびる中国・・・鳥居民著 草思社
     反日に狂う中国 友好とおもねる日本・・・金文学著 
祥伝社
     
その他
■2008/08/03 (日) 「竹島と南京」国際政治の視点から 奥中正之(5)
その二:
南京大虐殺記念館を中国は愛国教育拠点と称している。日本軍の残虐性を強調することで人民の反日精神を強化して団結せしめ、その結果として共産党一党独裁支配の安定を図るものと考える方々も居られる。

中国共産党が権力を奪取した後、大躍進政策の誤りにより
何千万の人民を餓死せしめ、また文化大革命とは名ばかりの内戦まがいの権力闘争によりこれまた数千万の人民が死亡するという大災難を中国共産党は自国民に与えてきた。

いや過去だけの話ではなくて、「権力は腐敗する。絶対権力は
絶対に腐敗する」という歴史家の警句通り、中国共産党一党独裁に
よる絶対権力は著しく腐敗し、人民に対して絶対的な力で
君臨し搾取している。

特に十五億人中八億人乃至は十億人とも言われる農民を取り仕切る農村部の共産党末端組織は公安を私兵化して農民に対し生殺与奪の権を掌握し、共産党幹部が私腹を肥やすために農民に対して苛斂誅求をほしいままにしていると伝えられている。

この圧政に対する人民怨嗟の鬱積はかつての各王朝末期にも類似していると言われている。過去のみか現在進行中の人民怨嗟の累積を外敵日本に振り向けるというのは中国共産党政権にとっては大変な国益である。
その三:中国から来た、毒入り餃子を食べ続ければ死ぬ。しかし、死ぬのは、食べた人だけである。では、中国から来る『南京大虐殺』を放置し続ければどうなるのか。日本民族が死ぬのだ。即ち、青年から日本人の誇りと自信が奪われ、日本という共同体に帰属する意識がもてない砂粒のような存在に陥れられる。」という厳しい見方をとられる方々も居られる。国家として迷走したかつての清朝末期における中国人のありさまを孫文は嘆いて「中国人は砂粒のようなもので、一人ひとりがばらばらで纏まらない」と書いている。

日本人がかつての中国人のようになれば、日本という国が衰亡すること目に見えている。太平洋の覇権を米国と二分して確保したいと考える中国、さらにはアジアにおける盟主としての地位を確保したい中国、それらの中国にとって日本の衰亡は大きな国益だと考えられる。
 

■2008/08/03 (日) 「竹島と南京」国際政治の視点から 奥中正之(4)
関係資料を読み進めると、南京陥落後約十一ヶ月の間に三百回近く開かれた国民党政府による外国人記者会見において、国民党政府は当然のこととして日本軍の暴虐・残虐性を世界に向かって宣伝しているが、しかしそれらの記者会見で一度も「南京大虐殺」について触れられていないことや、戦後訪中した社会党議員が毛沢東に対して、中国侵略を謝罪したところ、彼は「謝る必要はない。日本軍のお蔭で我々は蒋介石との権力闘争に勝利し、政権を奪取できたのです」とにこやかに答えて、「南京大虐殺」は話題にもしていない。ことなどが分かった。

南京大虐殺は東京裁判で突然持ち出され、予期してもいなかった日本側弁護士たちは大いに驚き慌てたと伝えられている。また中国が南京大虐殺を言い出したのは一九八十年以降とのことである。
 「南京大虐殺」がもし事実でないのならば、何故中国はかくも執拗に且つ国を挙げて「南京大虐殺」を取り上げて日本を責める
のか?国際政治の視点から考察すれば、中国の国益に叶うからであろう。「何が中国の国益なのか?」についていくつかの見方を紹介したい;
その一:東京裁判で罪の意識を刷り込まれた日本人は南京大虐殺で責められると申し訳ない気持ちに駆られて多額の援助資金を中国に貢ぐことに躊躇しない。これは中国にとっては大きなメリットであるとの見方がある。対中経済支援は過去二十四年間に総計三兆円になる。この援助が間接的に中国の軍事力増強に役に立ったと考えられる。また中国は一方で日本から援助を受けながら、一方ではアフリカ諸国に対して経済援助を行い、アフリカでの資源確保に役立てている。

■2008/08/03 (日) 「竹島と南京」国際政治の視点から 奥中正之(3)

三)日本軍が南京を占領後、外国の関係者(外交官やジャーナリスト)が南京に戻ってくるまでの間は一ヶ月くらいしかなかった。すると、約三十日間に三十万人を殺すとなると、毎日一万人を殺しさらにその死体を処理しなければならない。これは大作業であり、事前に綿密な計画がたてられ、その計画に従って膨大な人員・武器・設備を集中投入して効率よく作業を進めなければならない。しかし、南京攻略後直ちに他の地に転戦し、国民党軍と戦わなければならなかった日本軍にそのような余力があったのか?(四)国際法上裁判ではなく政治ショーであった東京裁判で、元中支派遣軍司令官の松井石根被告は、南京大虐殺の罪で絞首刑になっている。

しかし判決は多くの伝聞証拠に依拠して行われたのである。三十万人もの大量殺戮を一ヶ月という短期間に効率よく実行するには入念なる事前計画の策定と人員の動員計画が必要なのは常識的に明らかである。しかしそれらを裏付ける証拠は東京裁判において提出されていない。東京裁判のねらいは、戦場における日本軍隊の残虐性を世界中に宣伝し、日本国民の脳裏に拭いがたい罪悪感を烙印すると同時に、東京大空襲や広島・長崎への原爆投下というアメリカ側の残虐性を消し去るところにあったと考えられている。

その東京裁判において南京大虐殺の事前計画が証拠として
提出されなかったという事実と中国の主張との乖離に私は強い
違和感を覚えるのである。

つまり一庶民の素朴な疑問が基本として先ずあり。前述の竹島問題で明らかなように国際政治においては、国益がかかれば「クロをシロだ」と堂々と主張する国があるという現実論に私は立っている。韓国が日本の立場ならば、自国並びに自国民の名誉がかかる国益上の重要案件だけに、「大虐殺など絶対になかった。南京大虐殺はでっちあげだ」と声を上げて主張するだろう。

しかし伝統的に正直を旨とする日本人として南京大虐殺はなかったという確信を持ってその旨を世界に発信する方がわが民族性に整合すると考え、私の疑問を裏付けてくれる資料を渉猟した。

■2008/08/03 (日) 「竹島と南京」国際政治の視点から 奥中正之(2)
領有権を巡り主張の対立があり決着がつかない場合には国際裁判所に提訴して決着を図るのが国際慣習であるが、日本の誘いに対して韓国は自信がないのか応じてこない。当事国双方の合意がない限り国際裁判所への提訴は出来ない。歴史的にも法的にも日本領土であることが明白な竹島領有権に関して、不法占拠の既成事実を保持しながら、国際世論を洗脳しつつ、韓国領有を国際社会が認知することを韓国は狙っているとしか考えようがない。国際政治において両国の主張が真っ向から対立し解決の目途が立たない時には軍事力の行使を最後の選択肢として国家が保有しているのが世界の常識である。

フォークランド諸島の領有権対立をめぐるアルゼンチンと英国夫々の軍事力行使がその実例である。しかし日本はその選択肢をアメリカによって放棄させられたままである。そのことを韓国はいいように利用している。それだけに日本は韓国に対して相手の不法性を明確に主張し続け、
国際社会の理解を深め、且つ自国民に領土問題の現実を正しく理解・認識させる努力を怠ってはならない。

韓国側の国益擁護努力に比し、日本側の対応はいかにも甘い。韓国は四歳の子供にも「独島は韓国のもの」というウソを事実だと偽って教える力の入れようである。事実・実態がかくも明確な竹島領有権問題に関しても、相手国の国益が関わると「クロをシロだ」と言いくるめようとする自己主張が相手国から強烈に発せられる。ところで、今から半世紀以上も前に事実としてあったと中国が主張する「南京大虐殺」について、この竹島問題を契機に改めて原点に戻って考えてみたい。

中国は日本軍が南京で三十万人の中国人を虐殺したと主張し、国際社会にもその旨をアピールし続けている。南京大虐殺記念館は巨額の国家予算を投入して拡張され、これを世界遺産に登録しようと中国は努力している。しかし私の常識の判断回路は中国の主張にどうしても抵抗を感じてしまうのだ。

(一)一九三七年十二月に日本軍が南京を攻略した時、南京の人口は二十万人だったと伝えられている。そこで三十万人も殺せるのか?
(二)日本軍が南京を占領後、短期間に南京の人口は二十五万人に増加したと報告されている。三十万人もの大虐殺が実行された無人の地獄に二十五万人もの中国人が短期間に集まるのか?

■2008/08/03 (日) 「竹島と南京」国際政治の視点から 奥中正之(1)
「竹島と南京」 国際政治の視点から 奥中 正之
次世代の日本を背負う子供たちに「竹島は日本の領土である」旨の事実を教えるのかどうかが、政府が決断すべき事項としてクローズアップしていた。渡海文科相はじめ文科省はその方向で決断し、福田首相の裁断に委ねた。「友人のいやがることはしない」ことを政治信条としているらしい福田首相は韓国のいやがる決断を自らは行わなかった。

そして「竹島はわが国固有の領土」と領有権を明示することを避け「竹島の領有権をめぐり日韓の間で主張の相違がある」ことを子供たちに教えるという一歩後退した教育方針が官邸主導で確定されるのを黙認した。我が国固有の領土である竹島が韓国に不法占拠されている」というのが日本政府の公式見解である。それならば,なぜ次世代を託す子供たちにその事実を明確に教えようとしないのか。また韓国に対してそのことを堂々と主張し、国際世論を味方につけるための国際広報をしっかりとやらないのか。

日本政府の腰の引けた対応には大いなる疑問が残る。領土問題という「原則」を重視し、安易な妥協は避けなければならない事案に関しては、相手が主張すればそれに押されぬ返しの主張が国際政治には必要であり、欠くことのできない鉄則である。ちなみに、韓国側の対応は、日本政府の遠慮がちな対応にもかかわらず、怒りをあらわに表明し、大使を早速本国に召還している。

一方アメリカの大手新聞ニューヨークタイムズ紙に「独島(竹島の韓国側呼称)は韓国固有の領土である」旨の全面広告を出した。


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今日のアフリカは、日本では報道されないアフリカの情報を、政治、経済、文化に渡って幅広く、いち早くお伝えします。クリック1つで世界の見方が変わります。

政治家、ミュージシャン、ファンらが日曜日キンシャサで、コンゴルンバの父、パパ・ウェンドに別れを告げた。7月28日に83歳を迎えていた彼は多くの歌と60人の子供を残した。 キンシャサの殉教広場に安置されたコンゴの著名なアーティスト、パパ・ウェンドの遺体は、多くの人たちに迎えられた。「ウェンドは、現代の音楽界に偉業を築いた。この10年はとても素晴らしい作品を作ってきた」と、文化大臣は述べた。「彼は国家の遺産で並はずれた芸術家だった」と、キンシャサ市長は続けた。ファンたちは彼のイラストのついたT-シャツをきて、歌のフレーズが流れるたびに涙を流した。「ウェンドの音楽は世代から世代を横切った。彼の歌詞は聖書の一節のように我々の心の中で繰り返される。」

50年代アフリカにラテン・キューバのリズムを取り入れたウェンドのルンバは、国内外でヒットした。特に“マリー・ルイーズ”(1952)は、カトリック教会と悶着を起こし、一時“波紋”になった。異なった政体下でほとんど忘れ去られていたが、1998年ローラン・デレ・カビラ大統領(2001年暗殺された)によって“墓から引き出された”。深い皺とまなざしのミュージシャンは船のメカニシャンとして長い間コンゴ川を旅していた。2007年に「オンザ・ルンバ・リバー」として映画化されている。

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悲しくも平和な日曜日ですが、アフリカの角ソマリアでは、モガディッシオで爆弾が爆発し、市内を清掃中の女性達14人が死亡し、40人以上が負傷しました。犯行声明は出されていませんが、イスラム過激派と見られています。ソマリアでは、首相の公金横領とモガディッシオ市長の免職に抗議して閣僚の2/3が辞任したばかりでした。

また、アルジェリアのティジ・ウズでも警視庁を狙った自動車自爆テロがあり、警察官4人を含む25人が死亡しました。マグレブのアルカイダの犯行とみられています。ケニヤではアメリカ大使館爆破に関与したとされつアルカイダのメンバーが逮捕されました。