ソルジェニーツィン氏の訃報に接して (島田洋一) 異形インフレと韓国経済 (新世紀のビッグ | 日本のお姉さん

ソルジェニーツィン氏の訃報に接して (島田洋一) 異形インフレと韓国経済 (新世紀のビッグ

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▼ソルジェニーツィン氏の訃報に接して (島田洋一)
ソビエト全体主義と戦った自由の闘士アレクサンドル・ソルジェニーツィンが亡くなった。謹んで哀悼の意を表したい。あまりに有名なため、ソ連当局は彼を殺すことができず、1974年、市民権を剥奪した上で国外追放とした。翌年の訪米時、ソ連を刺激することを恐れたキッシンジャー国務長官の進言を入れ、ジェラルド・フォード大統領は、ソルジェニーツィンとの面会を忌避した。保守派はこれに激しく反発し、フォードが1976年、共和党の大統領予備選で、現職でありながらロナルド・レーガンにぎりぎりまで追い上げられ、本戦でジミー・カーターに敗れる大きな要因となった。フォードが面会を避けたのは、ソルジェニーツィンが、キッシンジャー流のデタント(緊張緩和)政策を厳しく批判したためでもある。アメリカは、デタントと称して食糧やテクノロジーを供与することで、ソビエト体制を延命させているというのがソルジェニーツィンの論難であった。ライス・ヒル路線も一種のデタントだが、フォードの情けない誤りを繰り返していると言わざるを得ない。ライス氏はロシアの専門家だが、ソルジェニーツィンの軌跡から、何ものも学ばなかったようだ。マルクス主義は根本的に非人間的、非道徳的だと主張するソルジェニーツィンは、西側の左翼リベラル派からも煙たがられた。1981年1月のレーガン政権発足で状況は大きく変わり、1985年に登場したゴルバチョフ政権は、『収容所群島』などソルジェニーツィンの著作をソ連国内でも解禁した。ところで、中山恭子・拉致問題担当大臣には、ぜひ、北朝鮮版ソルジェニーツィンともいうべき脱北者キム・ソンミン氏(韓国から対北放送を続けている)らとの面会を、強く福田首相に促してもらいたい。ブッシュは、横田早紀江さん親子と面会の際、キム・ソンミン氏とも会っている。中山氏を拉致担当大臣にしたのが、はたして氏が言うとおり、「拉致問題解決に向けた福田首相の強い思いの表れ」かどうか、そうした行動を通じて証明されるだろう。
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『近事片々:シェー!
http://mainichi.jp/select/opinion/kinji/news/20080804k0000e070066000c.html
週刊少年サンデーの懸賞に応募し、サイン入り色紙が届いた遠い記憶がよみがえる。おそ松くん、チビ太、イヤミ。ヒーロー満載の色紙はいつまでも宝物だった。漫画家の赤塚不二夫さん逝く。色紙はとうに色あせても、ギャグは永遠に不滅。「シェー!」ほどのサプライズはなかった内閣改造でも、泣き笑いさまざま。自派議員が党三役から漏れ「ニャロメ!」と押し込んだ派閥も。福田康夫首相は「二度としたくない」とこぼしたようだが、麻生太郎幹事長誕生に動いた森喜朗元首相は「これでいいのだ!」ですね。上りエスカレーターが突然逆走する事故。「レレレのレー?」とギャグってる場合じゃない。』

『ショートメール:匿名という安全地帯 /静岡
http://mainichi.jp/area/shizuoka/news/20080731ddlk22070155000c.html
インターネット掲示板での事件予告が流行している。秋葉原の事件以降、有名人を名指ししたり、無差別殺人を予告して逮捕される事件が続いている。「ユーモアのつもり」「むしゃくしゃして」と理由はあろうが、匿名という安全地帯にいる甘えが背景にあるのは間違いない。自分の名前をネット検索したことがあるだろうか。例えば私の名前なら3000件ほど関連ページが出てくる。記事や報道姿勢への賛否両論もあるが、そのほとんどが匿名によってなされているのが気になる。これまで報道した事件について、誰かが匿名で記事と一緒に事実と違うことを書き込み、その内容を基に別の誰かが匿名で実名の加害者や被害者を批判するものがあった。匿名で中傷のような質問を会社にメールしてくる人もいる。批判や中傷という行為をするなら、自分への批判も受け止めるという意味で実名を記すべきだ。名前は単なる記号ではなく、誰かを傷つけることへの責任の所在を表す。【稲生陽】』

しょぼ!たった3,000件(笑)で自慢げ(プ)。「三橋貴明」でさえ軽く15,000を超えるというのに。どんだけ売れていないんですか(笑)

『ショートメール:「テラワロス」? /静岡
http://mainichi.jp/area/shizuoka/news/20080717ddlk22070186000c.html
「テラワロス」。インターネット掲示板サイト「2ちゃんねる」などで使われているネット用語だ。「テラ」は国際単位系における接頭辞で「1兆倍」、「ワロス」は「笑えた」という意味で、合わせると「すごく笑えた」となるそうだ。東京・秋葉原で先月8日に発生し、17人が死傷した無差別殺傷事件。私は事件発生直後から、容疑者が派遣社員として働いていた裾野市の自動車工場などを取材した。工場を携帯電話のカメラ機能で撮影する20代の専門学校に通う女性がいた。静岡市から御殿場市に買い物に向かう途中工場に寄ったという。「自分が不細工だからって秋葉原にトラックで突っ込むって、なんか笑える」と話した。容疑者の自宅マンション前で取材していた後輩の記者によると、夜に若い男性が車に乗ってやって来て、容疑者の部屋を女性と同じように携帯で撮影した後、「テラワロス」と叫んで帰って行ったそうだ。17人が死傷した事件を「笑える」と言い切れるのは何なのか。事件はひどいが、それを見つめる人の目も怖い。「モラルの崩壊」という言葉を肌で感じた。【浜中慎哉】』

もうこんな阿呆な新聞社を「報道機関」などと呼ぶとも憚られるような、知性の欠片も感じられない毎日変態新聞の屑記事を三連発でお送りしました。と言うか、これ、本当に実在の新聞社が報道した記事か?(まあ、そうなんですが) まるで夕刊ゲンダイ並に低俗な記事のオンパレードですね。ゲンダイに変態記事を庇ってもらったことだし、いっそ合併するというのはいかがでしょうか。どうせ、誰も気がつきません。毎日変態新聞社という「権力」に守られつつ、他者を中傷する記事を書きまくりながら、「文句があるなら実名で書け」と権力を持たない一般市民を批判する屑「稲生陽」。ぜひ、君は住所氏名を公表して記事を書いてください、稲生陽。ついでに家族、特に(毎日変態新聞の記事によると)売春している女子高生の娘や、コインランドリーで身体を売っている奥さんの実名と顔写真も公開しましょう。偉そうなこと書いているんだから、当然できますよね。浜中慎哉。「テラワロス」などという死語を実際に口にするのは、60億人を超える地球上の人類の中で、あんたの後輩だけです。しかし「後輩から聞いた伝聞」をネタに、よくもまあ他人を中傷する記事が書けますね。浜中慎哉、知っていますか? 毎日変態新聞に勤めているOLは、みんな売春婦で、新大久保や鶯谷で立ちんぼしているそうです。是非とも、この「伝聞」を元に、記事書いてください。あと、赤塚不二夫という偉大な漫画家の死を嘲笑しないで下さい。穢れます。
この毎日変態新聞社に比較すると、中共の犬である日本経済新聞さえもまともに見えてくるから、困ったものです。特に本日の日経新聞の朝刊には、非常に良質な記事が複数載っていたため、幾つか要点をご紹介しましょう。

『長引く市場波乱(上) 異形インフレ -バブル崩壊と膨張 並存- (日本経済新聞 2008年8月4日朝刊一面)巨大マネーが世界の市場を揺らしている。米住宅バブルの生成・崩壊と金融緩和。余剰資金は商品市場で別のバブルを作り出した。サブプライム・ショックから一年、バブルの崩壊と膨張が並存する。世界は新たな難題に直面した。(後略)』この記事の中で日経新聞は、コモディティ(資源や食糧)のインフレと不動産デフレが同時に進行する奇妙な光景につい「人類が経験したことのない異形インフレ(野村総合研究所リチャード・クー主任研究員)」と評しています。異形インフレ。不動産バブルから様々なデリバティブ商品にマネーが流入し、レバレッジが拡大していたところでサブプライムローン問題が勃発し、レバレッジが一気に崩壊。リスク商品を嫌ったマネーが食糧や資源に雪崩れ込んでインフレーションを引き起こした、現在の異常な経済環境を的確に表現していると言えるでしょう。投資家の「質への逃避」により資源マネーは肥大化していますが、結果的世界経済は、サブプライムローン問題も収束していない状況で、原油価格急落によるマネー逆流リスクも抱えて込んでしまったわけです。つまり、今のところ資源国マネーが何とか主要国の債権市場を買い支えていますが、この状況で資源価格が急落すると、主要国の債券市場が崩壊しかねないということです。かといって、原油高が続くと資源効率の低い新興経済諸国は大ダメージを受け、主要先進国も無傷ではすみません。原油高も地獄、原油安も地獄、というわけです。

『ウォン安、韓国にひずみ 物価高、消費は萎縮 外需頼み、企業格差 (日本経済新聞 2008年8月4日朝刊国際面)
韓国経済に通貨ウォン下落のひずみが広がっている。原油や穀物高騰による輸入インフレを増幅し、内需の柱である個人消費や建設投資の足を引っ張り始めた。輸出企業の業績は好調だが、今年の経常収支は十一年ぶりに赤字が確実。それが海外マネーの「韓国売り」に拍車をかけ、更なるウォン安と物価高を呼ぶ悪循環に陥る懸念もある。(後略)』
後略以降は、本ブログにお越しになられている方々にとっては周知の事実、アシアナの危機や不動産バブルの崩壊、住宅在庫の積み上がりや民間消費の四年ぶりのマイナス(08年第2四半期)などの話が続きます。中でも驚いたのは、国内総生産(GDP)に占める輸出の割合が65%と、過去最大の水準にまで高まった、と書かれている点です。元データを見ていないので本当なのかどうか確信が持てませんが(何しろ、数字が読めない日経新聞だし)、もしも本当だとすると驚くべき数値です。幾ら韓国が外需依存度(輸出÷GDP)が高いからと言っても、昨年はせいぜい38%程度でした。(これでも相当高い)それが65%に達するとなると、真の意味で超外需依存国「韓国」の誕生です。この状況でアメリカやら日本やら中国に喧嘩を売っているのですから、もはや国ごと自殺直行しているようなものだと思います。本日のドルウォンも、韓銀の介入むなしくウォン安方向で終わりました。(添付参照)何と言いますか、確かに「ダイナミック」なことだけは認めざるを得ませんね、この国は。よっ!ダイナミック・コリア!

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▼敵を取ってくれ!(佐藤守)

毎年8月になると、広島・長崎の原爆記念日が話題になる。式典は、広島の原爆記念碑に刻まれた文面「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」が基本になっているようだが、本当にそれでいいのだろうか?犠牲者数もいろいろあって、例えば当時の広島には35万人がいたと推定されているが、犠牲者数は30万人と新聞は書いている。それに対して「水増しだ!南京虐殺の30万を薄める日本政府の陰謀だ!」という反論もあって、なかなか決まらないようだが、各種研究では14万人±1万人が妥当か?といわれているようである。数字の確度はともかく、犠牲者を慰霊するのに「過ちは繰り返しませぬから」という“精神”が、犠牲者を本当に供養することになるのかどうか、極めて疑わしい。そう思っていると、今日の産経新聞27面に興味ある記事が出ていた。

あの日、広島の陸軍司令部に向かっていて被爆した山本達雄氏(平成16年に88歳で没)の体験談である。終戦後も軍務処理のため広島に留まった達雄は、遺体を焼き、川に流し続ける日々を送った。『死にたい』。治まることのない苦痛を訴える人の口を、静かにふさいだこともあった。『<兵隊さん、この敵は必ずとってくれ>といってくる人もいたそうです。父が<分かった>というと、その人たちは安心して死んでいったそうです』と達雄氏の次男、拓道氏(58)が述懐している。

9月半ば、復員命令が出た後で達雄氏は、市内で書店を開いていた叔父の遺品探しをしている。全てが灰と化していた中、地下室でまだ燃え続ける小さな炎を見つけた達雄氏は、カイロにその残り火を移し、故郷の星野村まで持ち帰った。彼はその火を決して絶やさなかったが、昭和41年に新聞記者に溜まった思いをぶっつけたという。<父にとって、叔父の供養の火であり、原爆でなくなった人々を弔う火であり、恒久平和を願う火であり、怨念の火でした>「戦争を忌み嫌い、平和を望みながらも『敵を取ってくれ』と苦しみながら死んでいった人たちが忘れられなかった。『いつかこの火でアメリカを焼き払ってやる』。そうわめく時もあったという」「80歳を過ぎた達雄に向かって、知人が『火は村が維持してくれるから安心して死ねるだろう』と言ったとき、『俺はそんな薄情な男じゃない。敵を討つと広島でたくさんの人と約束したんだ』と怒鳴ったという」晩年は記事によると「人間同士が殺しあうような愚かなことは、もうそろそろやめないかん」と言って息を引き取ったそうだが、戦後60年も経ったのだから、被爆直後の感情が薄れていた事は理解できる。しかし、何と無くこう付け加えなければ“現代日本社会の雰囲気にマッチしない”から記事に「敢えて?」付け加えたような風にも受け取れる。

何はともあれ、6歳の時に終戦を迎え『陛下の終戦の言葉』を、ラジオの前に正座して両親や近所の人たちと聞いた体験がある私としては、陛下の言葉の意味は不明だったが『戦争に負けたこと、大人たちが悔しがったこと』は覚えている。母は「これからが大変、賠償金を払い終えるまでは臥薪嘗胆・・・」と言った。戦には負けたが「これで平和になった」と喜んだという方々の戦後神話はいささか疑問に思っていた。当時の大人たちは「いつか見ておれ、必ず敵を取ってやる!」そんな悔しさで陛下のお言葉を聞いていたのだ、と私は幼心に受け止めている。

原爆記念碑に「安らかに眠って下さい」と書くのは分かる。しかし、「二度と過ちは繰り返しませぬから」と書いた“日本人?”の神経が分からない。山本達雄氏に、「敵を取ってくれ!」と頼んで死んでいった方々のように、怨み骨髄に達して死んでいった方々の方が多かったに違いない、と私は思っている。戦後、「タマ抜き」された日本の男達は完全にその「敵討ちの精神」を失ってしまった。そして「二度と過ちは繰り返しません」などと、いかにも「平和主義者ぶって」、実は「偽善だらけで甘えん坊!女々しく」生きる“野郎達”が目に付くようになった。

山本氏に「敵討ちを頼んで死んでいった」方々に、戦後生き残ったわれわれはどう言い訳をすべきか?少なくとも犠牲者の中には「二度と繰り返しませぬ」と云う意味不明な「聖者のような」碑の言葉を、心穏やかならざる気持ちで見つめている方の方が多いのではないか?当時の惨劇直後の地獄絵図から、私には犠牲者の無念、悔しさが想像できる。今、黄泉の世界で、当時「敵を取ってくれ」と頼まれた犠牲者達に囲まれた山本達雄氏は、彼らに対して戦後日本の現状をどう説明しているのだろうか?そして戦没者の多くが、それをどんな気持ちで聞いているのだろうか?「戦争の惨劇後世に」というこの特集記事のタイトルは、その意味で全くミスマッチであると思う。むしろ「敵討ちはどうなったか?・・・原爆犠牲者の叫び」とする方が内容にマッチしていたのではないか?記事を書いた加田智之記者のオリジナル原稿と、見出しを決めたデスクの心境を聞いてみたい気がする。
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