今日は中国人作家「魯迅」の目を通して中国のことを考察してみたいとおもいます。(中韓を知りすぎた男 | 日本のお姉さん

今日は中国人作家「魯迅」の目を通して中国のことを考察してみたいとおもいます。(中韓を知りすぎた男

ようちゃん、おすすめ記事。↓

▼今日は中国人作家「魯迅」の目を通して中国のことを考察してみたいとおもいます。(中韓を知りすぎた男)
日本人の大きな間違いは漢文を通じて中国人を理解したつもりになってしまったことです。今の中国語と漢文がまったく関係がないということを知らずに中国人を理解することぐらい、馬鹿げた行為はありません。そこで魯迅の小説で中国人の実態に迫りたいとおもいます。

魯迅の「狂人日記」を昔 中国出張の飛行機の中で読んだ時、その内容の衝撃で中国での食事が出来なくなってしまいました。内容は5歳になった妹を兄が料理して食べてしまった話です。「妹は兄に食われてしまったのだ、母は知っていたのだろうか、俺にはわからない、母は知っていたのだろう、何も言わなかった.たぶん当たり前のことだと思っていたのだろう。」「4千年来、いつも人を食ってきた場所、今日やっとわかったのだが、おれもそこで長いあいだ暮らしてきたのだ、兄が家事をきりもりしていた、ちょうどそのとき妹は死んだのだった。彼が料理の中にまぜて、俺たちに食わせた、4千年の食人の履歴をもっているおれ、はじめはわからなかったが、いまはっきりとわかった」この小説の最後は「人を食ったことのない子供なら、まだいるかもしれない! 子供を救え・・・」で結ばれています。「人が人を食う社会」という表現は日本人なら中国社会の苛酷をいう比喩としてしか読めないが、中国歴史の中では、現実に繰り返し行われてきたことであります。魯迅は日本に留学したことによって 日本人と同じ目になっていた、そして当たり前になっていた食人文化の連鎖を断ち切るために、この小説を書いたのではないかと思われます。

魯迅の生きた時代は 長く続いた王朝は辛亥革命(1911年)によって崩壊し、社会は混乱の極みで、前途に光は感じられなかった。魯迅は日本に留学したことによって、近代文明にふれ、人間の常識と秩序を知った。自分が育ってきた社会が余りにも日本とかけ離れていたために、逆に日本を通じて自分の国である 中国を知ることになった。いま日本の大学で教授に居座っている多くの中国人教授も、この魯迅のように日本社会で暮らすことによって 知識と常識を見につけたとおもわれます。魯迅の小説の世界はまさに中国社会や中国人の本質をついています。魯迅は日本の資料で中国の儒教を深く知った、しかし自分が知っている中国はその儒教とはまったくかけ離れた世界であると知ってしまった。逆に日本の中国研究家は儒教の精神と中国人を一体化してしまった。ここに日本学者の大きな感違いが生じてしまったのです。
魯迅は中国社会を窓もない大きな鉄の部屋として書いています。「この鉄の部屋は,一つも窓がなく、どうしても打ち破ることが出来ないのだ、中には大勢の者が熟睡していて、まもなくみな窒息しようとしている。しかし昏睡したまま死んでしまうのだから、死の悲しみを感じることはない。いま君が大声でわめいて、幾人かの者を起こしてしまったら,救うことはできないのに、臨終の苦しみを受けさせることになるが、君はそれをかえって彼らにすまないことだと思わないのか」

魯迅は日本に留学して日本の目線で中国社会を振り返った時、中国人は 窓のない鉄の部屋に閉じ込められて、外の世界を知らないまま窒息死していく、しかし外の世界を知らないということは、不満も生まれない。魯迅一人が大きな声をあげて幾人かを覚醒させても、かえって苦しませるだけで、自分のしようとしていることに意味があるのだろうか!どうせ助けることが出来ないなら、鉄の部屋に窓をつけるべきでない。と悩んだにちがいない。しかし魯迅は中国社会を文学的方法でこれを改革しようとした。
魯迅が亡くなって100年余り、中国社会の鉄の部屋は、多くの窓が自然に開いた、それはテレビであり、インターネットであり携帯電話です。中国共産党は必死になって鉄の窓を閉じようとしてきた、中国国民に外の世界を見せたくない、見せることによって不満が増幅すれば中央政府に攻撃の刃が向かう。そこで自然に開いてしまった鉄の窓に 捏造された中国の歴史を見せ、偽情報を流し、21世紀は中国の世紀であると大声で叫び、国民を洗脳した。

チベットやウイグルに突然侵入して、領土拡張を図り、これらはもともと中国の領土であると内外に宣伝した。国民を統一させるために常に外に敵を作る必要があった。その第一の標的は日本である。北京詣でにいそしむ日本の政治家を 
鉄の窓(テレビ)から国民に見せて卑屈な笑顔で我々要人の前でひれ伏せている日本の政治家は、みな中国に恐れをなしているぞ、どうだ 中国は強いぞ、いくらでも日本をこづきまわせるぞ、と国民に誇示した。魯迅は鉄の部屋に窓をこしらえて、外の世界を、真実を見せようとした、中国共産党は開いてしまった窓から国民に中国中心の虚の世界を見せた。魯迅の推測どおり、鉄の窓から真実を垣間見ても、苦しみが深くなっただけ、だった。魯迅は日本で暮らし、日本語をマスターすることによって、常識のある近代人になった。そして日本で深めた中国の精神的支柱であった儒教的な考えの欺瞞性を暴こうとした。儒教を説くその口で 人は人を食べてきたのが、中国の歴史である。この小説の最後の言葉、「人を食ったことのない子供なら、まだいるかも知れない、子供を救え・・・。」という言葉は絶望的な思いから発しているとおもわれます。辛亥革命前後の混乱期に敢然とペンを執って立ち上がり、中国人を人間に導こうとした魯迅の苦悩と不屈の精神は、中国人を覚醒さすこともなく歴史の彼方に追いやられてしまいました。中国人が精神的近代人になれるのは、この後 長い長い年月が必要です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・スリランカの話
スリランカの首都コロンボに、
1960年代に毛沢東が当時のバンダラナイケ首相に贈った巨大会議場があります。当時は非同盟諸国の絆ということで、中国が盛んにアジア・アフリカ諸国に友好を呼びかけていたそうで、この会議場も「友好の印」として中国の資金で建てられたものです。ところが、言葉とは裏腹に、中国はスリランカの農村部に密かに浸透して反政府ゲリラ組織JVCを支援し、朝鮮戦争を経験したベテラン軍人を送り込んで、1970年代に入ると遂にJVCに武装蜂起させるに至りました。内戦ののち、ようやくJVCは中国と手を切って合法政党に転身し、現在は連立与党の一角を占めるに至っています。 このことがあるので、スリランカでは中国といえば二枚舌、というイメージが定着しているそうです。 1970年代にスリランカ初代大統領に就任して共産革命を目指すJVCとも戦ったジャヤワルダナは、サンフランシスコ講和会議で日本擁護に尽力し昭和天皇の大葬にも自ら希望して出席した超親日派です。コロンボの巨大会議場は、対した需要があるわけでもなく、今は一階フロアと庭園がバザール会場として使われている程度です。ジャヤワルダナが大統領に就任したお祝いに、大統領の希望もあって日本政府は無償援助でコロンボに市民向けの大病院を作りました。こちらは今も連日満員状態でコロンボ市民に親しまれています。2008/08/01(金) 15:27:40| URL| とおりすがり #vpn7elk. [編集]

・中国はすごく立派
な「抗日記念館」を地方都市にまで建てています。入場料無料にもかかわらず地元住民には人気がなくガラガラ状態のようです。さぞお金をかけたであろう立派な抗日記念館を折角ですから見てあげてください。【爺砲弾】時事放談さんの7月29日の記事です。 2008/08/01(金) 15:50:49| URL| 通行人  #- [編集]

・食人に反応
ネットに流れた、食人の男性は、「自称芸術家」の大道芸人だそうです。 そして、胎児などを料理して食べたのは、事実のようですね。
人間の胎児を料理して食すという行為の目的が、芸術・芸人の芸だとしても、それが、少しでも嫌悪の軽減の役に立つとは思えませがね。
かえって、
そんなおぞましい事が、芸だ芸術だと考えられる社会が中国という国だとおぞましさが増します。 2008/08/01(金) 16:00:44| URL| とん #- [編集]

・スリランカの話2
ブログ主様はバンダラナイケ前大統領の拝謁を受けた経験がある方なのですね。バンダラナイケ女氏はスリランカの2大政党の一つP.A.(人民戦線)の設立者バンダラナイケ故首相の娘。確かテロで片目を失明されているんでしたね。私もスリランカは大好きです。日本にいると災害や内戦などの危ない情報ばかり伝わってくるのが残念ですが。2008/08/01(金) 16:14:29| URL| とおりすがり #vpn7elk. [編集]
・日本がいて良かったね。
アジアに日本がいて、本当に良かったですね。中国人らが、日本に留学したり、住んだりする事によって、『本来の人間のあるべき姿』にふれる事が出来たのではないでしょうか?しかしながら・・・、日本に触れて、中国との違いを肌で感じ、石平氏のように、日本人以上に日本を愛してくれる人がいる一方、
中国の救いようのない情けない姿に、愕然とし、日本人に対し、『妬み』『嫉み』『僻み』というマイナス思考へと転じる中国人もいることでしょう。←コレがほとんどかもしれませんが・・・・。 2008/08/01(金) 17:00:50| URL| 椿 #- [編集]

・とおりすがりさんへ
スリランカ(セイロン)といえば、紅茶かウィッキーさん、ヘミングウェーを思い浮かべます。しかし、保守派としてはスリランカ人女性の、クマラスワミをどうしても思い浮かべます。
国連を代表して、従軍慰安婦を調査するとして日本にも来ましたが、秦郁彦氏の話などは、全てネグってしまい、朝鮮人の嘘話だけをまとめ、国連へ提出しました。国連で Take note だったとはいえ、慰安婦問題の世界への広がりは、此処が出発点でした。私はあらゆる外国が信用できません。 2008/08/01(金) 19:46:02| URL| 八目山人 #vH5Gy4JE [編集]

・悪い冗談
安倍氏の「美しい国」を再読して次の記述が目に付きました。アメリカ議会である専門化が安倍氏に語った言葉です。「中国を冷静に、かつ客観的に判断することはなかなかむづかしい。特に中国専門家にとっては尚更だ。なぜなら、中国は悠久の歴史と文化をもつ、極めてチャーミングな国だからだ。エドガー・スノーばかりではない。多くの専門家は恋に落ちる。」ここのブログの読者にとって、中国と恋に落ちるなんてありえない、悪い冗談。世界でも賢明な多くの人たちは中国に対する幻想を捨て、幻滅の域に達しているのではないでしょうか?2008/08/01(金) 23:32:16| URL| 日本人 #- [編集]

・胸がズキズキ痛い
「すぐに死ねるのならまだいい。」などともと思った。 チベットや法輪功などの 宗教者になされていることを考えれば。他人の痛みがわからない。自分が本当に痛みを感じた人なら、できない行為のはずだ。体の一部を切り取られた者の後の苦しみの人生。若い女性だって手足を切られたら、どうやって生きる。その時の悲しみや衝撃は・・・自分に当てはめて考えられないのだろうか・・どうして人はそんなことができるのだろう。中に宿っているものは、もはや人の姿ではないだろう。胸がつぶれる思いだ。どうすることもできない・・・現在・・も続いている。2008/08/01(金) 23:57:58| URL| うさたま #ncVW9ZjY [編集
ーーーーーーーーーーーーーーーー



飢餓の娘|著・ 虹 影/関根 謙| 翻訳単行本|■定価: 2,730円(税込) ■発売年月日: 2004年9月24日
1960年代の中国の長江流域での、下層階級の家庭で育った著者の実体験を元に、小説にした。しかし
普通に胎児の調理法などが詳細に記述されてる。間引きした胎児は 立派な食材だったことが赤裸々に綴られています。飢餓地獄の歴史的考察もされています。又「マルコおいちゃんのシナにつける薬」というブログにも古来から人食いが普通の習俗だった事が記録されています。中国の街は。城壁で囲まれていて、人々は城塀の囲いの中で暮した。これが戦争が起きて、長引いて篭城になると、兵士たちは、普通に城内の人々を食べていたのです。