自民党幹事長の交代(伊吹氏から麻生氏へ)など (島田洋一) マケインの正体(オルタナティブ通信)
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▼自民党幹事長の交代(伊吹氏から麻生氏へ)など (島田洋一)
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記事を読んでいて、なるほどと思う点が色々あった。伊吹文明氏には、今年7月9日、自民党幹事長室で、拉致被害者家族会、救う会の一員として会った。あまり人の話を聞かず、よくしゃべる人だった。しかも内容が、「家族の人は感情的になってはだめですよ」とか「外務省は専門家として、よく考えて、よくやっていますよ」といったものだったので、一同いらだちを感じざるを得なかった。政府が宥和的方向に流れないよう、党からしっかり釘を刺して欲しいと、期待も込めて注文を付けると、「あなたは私の発言を知った上で、そういうことを言うんですか」「なぜみんなでそういう風に私を糾弾するんですか」などと反発してくる。こちらは、「万景峰号入港を安易に認めるべきではない」といった伊吹氏の発言をそれなりに評価していただけに、ややあっけにとられた。同席した中川昭一代議士(伊吹派会長代行)が、「いや、皆さん、幹事長の発言を評価すればこそ、こうして会いに来ておられるんですよ」と再三取りなしたが、伊吹氏の理由なき反抗、いや“理由なき警戒心”が緩むことはなかったようだ。後で、家族会のある人が、「本当に人間の小さな人ですね」と嘆息していた。
福田氏とは性格が似ていて気が合うのかも知れないが、これではとても総選挙を仕切れないだろうと思っていたところ、やはり更迭となった。麻生氏の方が、北朝鮮問題に関してはっきり政府を牽制するだろう。今回の幹事長交代はよかったと思っている。もっとも、太田公明党代表ほど、手放しで喜ぶ気にはなれないが…。公明党代表の太田昭宏も1日昼、麻生の幹事長受諾を聞き、仏頂面を一変させた。衆院廊下の赤絨毯で記者にブリーフィング(状況説明)を求められると、お笑いタレント、エド・はるみのまねをして両手の親指を突き出し、「ブリーフィング! グー! グー! グー!」と巨体をうねらせ、2回転した。20年後にこの記事を読んだ人には、太田氏が何をしたかったのか意味不明だろう。媚中派の二階俊博氏の横滑り人事(党の総務会長から経産大臣に)は、福田氏の計算違いに端を発したようだ。北京にとっては、儲けものだったろう。
・【薄氷の再出発】(中)太田代表は上機嫌で「グー!」公明の「乱」は小休止(イザ!ニュース08/8/2 22:33更新)
首相、福田康夫にとって初の内閣改造・党役員人事が一段落した1日夜、自民党幹事長に返り咲いた麻生太郎と公明党幹事長の北側一雄はさっそく都内のホテルで酒を酌み交わした。2人は同時期に政調会長を務めた縁もあり親交が深い。北側は前任の伊吹文明とソリが合わなかっただけに店を出るなり「いや~、自公で話ができるっていうのは本当にいいね!」と満面の笑みを浮かべた。公明党代表の太田昭宏も1日昼、麻生の幹事長受諾を聞き、仏頂面を一変させた。衆院廊下の赤絨毯で記者にブリーフィング(状況説明)を求められると、お笑いタレント、エド・はるみのまねをして両手の親指を突き出し、「ブリーフィング! グー! グー! グー!」と巨体をうねらせ、2回転した。公明首脳2人の機嫌の良さは安堵感の裏返しでもあった。この秋で10年目を迎える自公の連立関係は2週間前から重大な危機を迎えていたからだ。「もし麻生さんが幹事長を固辞していたら閣外協力という選択肢もあった」ある公明幹部はこう打ち明ける。もしそうなれば自民党は激しく動揺し、福田政権は「風前の灯」となったことは間違いない。そういう意味では改造は成功だったといえる。公明党の支持母体である創価学会が来年7月に予定される東京都議選を見据え、「年内解散ありき」と舵を切ったのは7月初め。同じころから公明党幹部が相次いで内閣改造に難色を示し始めた。改造すれば福田首相で次期衆院選を戦い、野党に転落する確率が増すからだ。自民党は危機感が足りない」との声もにわかに強まった。この複数のベクトルは「年内に首相交代」を指していたことは明らかだった。公明党側は7月下旬から「内閣改造は首相の専権事項だ」とトーンダウンしたが、矛を収めたわけではなかった。「これ以上圧力をかけると公明党が悪者になってしまう」(公明党幹部)と判断したためであり「やるならばどうぞ」と突き放した態度に変わりはなかった。これは新閣僚の「公明党枠」の人選にも如実に表れていた。公明側が当初検討したのは国土交通相の冬柴鉄三の留任だった。先の通常国会で国交省べったりの答弁を繰り返し、党内で不評を買っていた冬柴を留任させれば「内閣を見捨てた」と受け取られることも織り込み済みだった。だが、公明党は最終的にホープの一人である政調会長、斉藤鉄夫を環境相に推した。この点からも公明党は今回の改造に「及第点」を付けたといえる。
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公明党が突如始めた政権の「揺さぶり」は改造により小休止したが、自民党ではその余波が依然続いている。1日午後の組閣本部設置から閣僚呼び込みまでの一連のセレモニーが1時間近く遅れたのは、総務会長ポストをめぐり、津島派が猛反発して調整に手間取ったこともあるが、実は閣僚の辞退者も相次いでいた。発火点は防衛相ポストだった。福田は信頼の厚い石破茂に留任を求めたが、石破は「イージス艦『あたご』と漁船の衝突事故の責任を取らせてほしい」と固辞。代わりに政調会長の谷垣禎一に打診したが、谷垣も拒否した。その後、元IT担当相の茂木敏充も浮上したが、最終的に参院議員の林芳正に落ち着いた。次期臨時国会では昨年に続き、新テロ対策特措法の延長問題が大きな争点となる。担当の防衛相は野党の集中砲火を浴びかねず、参院で問責決議を食らう可能性もある。多くの衆院議員は解散・総選挙を意識し、二の足を踏んだのだ。
農水相ポストももめた。福田は園田博之政調会長代理を起用を考えたが調整がつかず、難産の末、農水行政に縁遠い元総務庁長官、太田誠一に落ち着いた。津島派の反乱のあおりを受け、総務会長の座を追われた二階俊博の閣僚ポストもなかなか決まらなかった。このような混乱もあり、新閣僚は再任や2度目の登用が目立ち、多くの閣僚待機組の初入閣は見送られた。改造内閣の布陣は福田が頭に描いた青写真とはずいぶん違っていたようだ。2日午後0時半、新閣僚と初閣議を終えた福田は、首相官邸の大階段で恒例の記念撮影を行った。福田は直前まで経済財政担当相の与謝野馨とヒソヒソ話を続け、笑顔はほとんどなし。「自前の内閣」作りの心労からか、その左目はものもらいで大きく腫れていた。(敬称略)
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■2008/08/02 (土) 栄冠は君に輝く(国民年金の花柳な生活)
「雲は湧き 光あふれて 天高く 純白の球 今日ぞ飛ぶ 若人よ いざ‥‥」 ああ、又あの歌声が聞こえる。しかし、一寸早いな、と思ってテレビを見たら間違いなく高校野球の開会式が始まっていた。北京五輪は色々な所に影響を及ぼす。過去のオリンピックでこれほど日常生活に影を落とした大会があっただろうか。もっと距離の近いソウルの時でもこれ程ではなかった。実際、開幕まで後一週間に迫ったというのに北京のホテルは閑古鳥が鳴いているらしい。こんなオリンピックは史上初めてであろう。私は色々なスポーツをやったが、野球については球(硬球)を握った事さえない。いわば見るだけのスポーツだが、高校野球は思い入れが違う。全く関係はないのに大会歌「ああ 栄冠は君に輝く」を聞くと心が躍る。古関祐而氏の曲も良いが、加賀大介氏の歌詞が優れている。特に3番の「‥‥若人よ いざ みどり濃き 棕櫚の葉かざす 感激を 瞼に描け」は聞く度に胸が熱くなる。これ程の思いは今の高校生にはないからだ。この歌が出来たのはもう60年も前だが、その経緯を一度書いてみようと思っていた。しかし、今日の朝日新聞別冊「BE」にはエピソードが載っているではないか。何事も早い者勝ちである。新聞の後を追っても仕方がないので中止した。多くの人は私が朝日新聞を読んでいる事を不思議に思うだろう。それほど嫌な新聞なら読まなければ良いと。読むのは複数年契約による割引料金である事も理由の一つだが、何と言ってもこの新聞を読んでいたらネタに困らないというメリットがあるからだ。先日来、他のメディアでも取り上げられた「素粒子問題」で犯罪被害者の会が《本社回答に「納得」》したという記事が載っている。もう、アホらしくなって「納得」した事にしたというのが真相だろう。《「死に神」という鳩山法相に向けた表現が犯罪被害者遺族の方々にどのような気持ちを起こさせるかについては、思いが至りませんでした。犯罪被害者遺族の方々だけでなく、どのような人にどんな思いを起こさせるかについても、考えが及んでいませんでした。》《出稿の責任者である論説副主幹は「自らの不明を恥じるしかありません」と述べています。弊社としても同様に受け止めています。》だとさ。不明を恥じるなら「筆を折る」のがその道で生きる者の掟なのだが、御存じではない様だ。
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▼アメリカ共和党大統領候補マケインの正体(オルタナティブ通信)
アメリカは人類を数万回、絶滅させる事の出来る大量の核兵器を持ち、2008年現在も人類を絶滅の危機に陥れ続けている。この米国の核兵器開発の中心組織・アメリカ原子力委員会AECは、1948年、建国直後のイスラエルを核武装させる計画の下、動き出していた。過去、IAEA国際原子力機関等を舞台に、アメリカは「表面上」執拗に「核拡散」を阻止しようとして来た。しかし、その「核拡散」を実行して来たのは実は、「アメリカ自身」であった。このアメリカ政府機関AECの中心メンバーは、「環境保護でノーベル賞を受賞した」アル・ゴアの父と、その同僚であり、後に「核兵器の密売人」として世界に悪名を売るザルマン・シャピロ博士、そしてフレデリック・フォーシャー博士、レナド・ペプコーウィッツ博士と言った人物達であった。父アル・ゴアは、同年、イスラエルの核兵器製造の中核であるアイゼンベルグ社に、核兵器製造技術を「密売・横流し」する目的で、民間企業であるカイザーエンジニアリング社を創立し、そこに米国政府の核兵器製造技術を「持ち出し」蓄積し始める。カイザーエンジニアリング社には、「核兵器の密売人」シャビロ博士を始め、合衆国保健研究所NIH、空軍、海軍の「有志」が集まり、後に、レーガン政権の国務長官として第一次イラク戦争(1991年)を実行するジョージ・シュルツが取締役のイスに座った。このカイザーエンジニアリング社の「事業提携」先が、イスラエルの核兵器研究所=ワイツマン研究所であった。世界最大の核兵器原料製造企業アライド・ケミカルの経営者でもあった父アル・ゴアと、後のイラク戦争の「仕掛け人」シュルツは、ワイツマン研究所を通じ、アイゼンベルグ社に核技術と資金を提供していた。
このアイゼンベルグ社が、2008年現在、北朝鮮の核兵器製造を「担当している」。シュルツは若き日、日本の広島・長崎に投下された原爆を製造したローレンス・リバモア研究所で、日本に投下する原爆開発委員会の中心メンバーであった。日本の広島・長崎に投下された原爆は、シュルツ達の「手によって製造されていた」。シュルツは、後にブッシュ大統領一族の建設企業で、サウジアラビアの石油開発を独占するベクテルの重役となる。このベクテルの子会社がビン・ラディン社であり、その経営一族の一人が「テロリスト」ウサマ・ビン・ラディンである(*注1)。このシュルツ直属の部下であり、長年シュルツのスピーチライターを勤めてきたロバート・ケーガンが、2008年現在の、共和党次期大統領候補マケインのボス=政策ブレーンである。
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