地上げ屋の道徳教育【第3話】人間、手の数以上の物は持てんのや | 日本のお姉さん

地上げ屋の道徳教育【第3話】人間、手の数以上の物は持てんのや

ようちゃん、おすすめ記事。↓
【第3話】人間、手の数以上の物は持てんのや
高校卒業後、夜のミナミで働きだした小川は100万円の札束を懐に豪遊する男に出会った。夜の黒服生活に飽きを感じ始めていた小川は一獲千金を夢見て、不動産業界に入る。すぐに月100万円を超える稼ぎを実現したが、そのやり方は乱暴なもの。今でこそ、子に道徳を説く小川だが、その頃の彼は自分の欲望に負けていた。
小川:おい、今日は「人生について」っていうテーマでやるで。
サクラ:えっ、人生?
小川:おう、そうや。人生や。
リュウジ:んん?
小川:何か漠然としたテーマやけど。お前ら、人生って何だと思う? どういうことやと思う? 言うてみ?
サクラ&リュウジ:・・・・・・。
小川:サクラ、どうや。
サクラ:そんなん、生きるっていうことやろ。
小川:うん。まあええわ。ほな、リュウジはどうや。
リュウジ:うーん、一生。
小川:そやな、何か説明すんの難しいわな。そやけど、お父ちゃんが今日、このテーマを選んだ理由はな、お前らに自分の人生についてよく考えてほしいからや。そしてな、自分なりに満足のいく人生を送って、幸せになってほしいと思うからや。オレの言ってること、分かるか?
サクラ:うん。
リュウジ:それは分かる。
小川:お前らが今後、どんな人生を歩むか分からんけど、肝心なことは「幸せに生きる」ということや。そのためには、いつも「足るを知る」と思うことやで。分かるか、この「足るを知る」って言葉?
リュウジ:たるをしる?
サクラ:うん、満足しろっていうことやろ。
小川:おう、そうや。カネ儲けをして1億円を持ったところで2億円の物が欲しかったらカネは足らんやろ。足らんかったら、悩まなければならなくなる。逆にな、100万円しか持っていなくても欲しい物が50万円なら悩まなくてもいいやろ。オレの言っている意味が分かるか?
リュウジ:うん、分かる。
小川:これが、「足ることを知る」ということや。両手に物を持っていて、別の物を持とうと思うたら、どちらかを置かないと持てへんやろ。人間、手の数以上の物は持てんのや。これは、欲を捨てるということでもある。足ることを知れば、余計なことに悩まんでもすむんやで。
サクラ:うん。
小川:これは、カネだけの話じゃないで。お前ら、『はだしのゲン』を読んだろ。あのゲンと比べて、お前らは幸せか。
リュウジ:そら、そうや。
小川:そやろ。人生、生きている限りはいろんな悩みや辛いこと、しんどいことがある。そんな時は自分が不幸やと思わんと、「はだしのゲン」を思い出して、世の中には自分よりもっと、もっとしんどい目に遭っている人がたくさんおる、ということを思い出して、頑張らなアカンねんで。まあ、その代わり、生きているうちには楽しいこともたくさんあるしな。自分の心の持ち方次第で、人生は楽しくなるもんや。

サクラ:うん。
リュウジ:うん。
小川:最後に、もう1つ言っておくけど、嬉しいことの中には、「達成感」っていうのも入っているんやで。だから、いつも一生懸命に努力するということを忘れるなよ。分かったな。
サクラ:うん。
リュウジ:うん、分かってる。
小川:ようし、そしたら書けよ。
「人生とは“幸せに生きる”ということが大事です」
「幸せに生きるには、どのような時でも“足るを知る”ということが大事です」
「他に大事なことは、ひとりで生きていないということです。いつも家族や友人たちと一緒に生きていることを忘れてはだめです」
「ちゃんと自分の人生の夢や目標を持って、それを達成するために、一生懸命努力することが大事です」
「それと、他の人と共に仲良く生きることが大事です」
小川:「足るを知る」。このことを知るまでに、お父ちゃん、いろんな経験をしたんやで。
****
「借金王」。バブル時に異名を取った末野興産のマンションにフィリピン人ホステスを仲介していった小川。大成功を収めた彼は、さらなる儲けを狙って、店舗仲介に乗り出した。売りに出ている店舗を金持ちの投資家に売却すると同時に、クラブを経営したい人間にその店舗を斡旋するというビジネスである。
折しも時代はバブル前夜。小川の目論見通り、ビジネスは順調に伸びた。月の稼ぎは300万~500万円。毎晩のように高級クラブで豪遊していた小川は、店のホステスの紹介である女性と知り合う。この邂逅が、小川を地上げの世界に誘うことに。 この頃は羽振りがエエから、毎晩のようにクラブで遊んでいた。ほんで、クラブで飲んでいる時に、ホステスに「店を持ちたがっている奴はおらんか」と聞いたんや。そしたら、あるホステスが「いるよ」と言う。紹介してもらって会いに行くと、30歳そこそこの姉さんやった。 その後、いくつかの店舗を買ってもらった。代金を受け取ろうとすると、「(大阪市)西区のパパのところに行って」と。それで、言われたところに行くと、不動産屋のオッサンがいた。この女のダンナや。事情を言うと、金庫から3000万円がポンと出てきた。

・「出て行け」。言われた通りにペンキで落書き
「何やこのオッサン」。そう思うたから「何をされているんですか」と聞いた。すると、地上げ屋やった。不動産を仲介するよりも、土地を触る方が儲かる(編集部注:土地の売買を手がけること)。もっとステップアップしたいと思うてたから、月給5万円でオッサンの会社に就職することに決めた。1987年の話や。
修業を始めてすぐ、オッサンがオレに命じた。「ペンキで落書きしてこい」と。オッサンの会社が底地を持っている文化住宅(編集部注:木造2階建てのアパート)があった。その中になかなか出ていかへん入居者がおった。そいつに嫌がらせをしろというんや。 借地借家法で借家人の権利が守られているなんてその頃はまだ知らんやん。大家が出ていけ言うとるのに出ていかへん方が悪いと思うとった。「出ていけ」。言われた通りにペンキで書いたらテレビカメラが出てきた。「何してるんですか」と記者が聞くから言うてやった。「嫌がらせしてんねん」。 その光景がそのまま、夕方のニュース番組で流れた。ちょうど、地上げ屋が社会問題になり始めていた頃やったからなぁ。「小川さん家の宇満雄くん、テレビに出とるで」と実家の近所で話題になってもうた。しかも、地上げ屋のオッサン、そのニュースをビデオにとって、来るヤツみんなに見せんの。「コイツ、うちの特攻隊長や」って。アホやで。 オッサンのところで修業を始めて2~3カ月も経つと、立ち退き交渉が二進も三進もいかずに凝っている案件がいくつもあることに気づいた。その時に思うたんや。この仕事のポイントは出ないヤツを口説き落とすこと。その時に避けて通れないのが焦げ付きとヤクザやと。困難やハードルは高いほど自分が成長する。これがオレの哲学。だからオッサンに頼んだ。焦げ付き案件とヤクザ案件だけをやらせてほしいと。 実際に焦げ付きの現場を見てみると、威嚇しているから話が進まないという案件が多かった。
オッサンは相手を威嚇して立ち退きのハンコをつかせるというやり方や。でも、「一寸の虫にも五分の魂」って言うやろ。ハマれば早いが、一度もつれると、絶対に前には進まん。そんな姿を見ていたから、オッサンを反面教師に、クリーンな地上げ屋になろうと思うた。 実際に、銀行員のように丁寧に話をすれば、少しずつやけども話が進む。しこった案件で立ち退き交渉をやってみたが、丁寧にやった方が結果的に手っ取り早いと分かった。クリーンな地上げ屋。なんか矛盾してると思うかもしれへんけど、それを目標にしたんや。 ヤクザのことも学んだ。 「ヤクザにはものを頼まん方がエエ」ミナミでの地上げでのこと。柄の悪いヤツが出てきて、代紋を切ってきた。つまりヤクザということや。話し合いをすることになって、オッサンと2人でミナミの日航ホテルに行った。このオッサン、立ち退き交渉の始めはいつも「カネでどうでっか」と切り出すのに、この時は何も聞かない。 ヤクザとオッサン、ともにしゃべらないまま15分が過ぎ、「また席を改めましょ」と別れてもうた。理由が分からへんから、「何でなん」と聞くと、オッサンは言った。「横の席に4人おったろ」と。そう言えば、確かにいた。 向こうからしたら、オッサンの素性は分からへん。どこぞの組と関係があるのかも知れへん。そう思うたヤクザ側がダミーを立て、隣でやりとりを聞いていたんやな。横におったのは、恐らく貫目の上(地位の高い)の人間や。この時、立ち退き交渉ではヤクザに頼まず、身一つで行くことが重要と知った。 ヤクザにものを頼むと、余計にややこしくなんねん。 例えば、オレが立ち退き交渉にヤクザを使ったとするやろ。交渉相手に反目する組がついていたら立ち退き交渉どころではなくなるわな。仮にヤクザが同じ“組”でもやっぱりややこしい。ヤクザは貫目を気にする。交渉の過程で凄味を利かせて、相手の貫目が上やったら目も当てられん。下手したら、自分の指が飛んでまう。どちらにしても、ヤクザにはものを頼まん方がエエ。

オッサンのところで立ち退き交渉のイロハを学んだ小川は1988年11月、29歳の時に地上げ屋として独り立ちした。時すでにバブル一色。日経平均株価は3万円の大台を突破。川崎市の助役に未公開株を譲渡したリクルート事件も明るみに出るなど、バブルが発する腐臭が漂い始めた時期である。 この頃はめちゃくちゃ儲かった。10戸の借家人がいるアパートを立ち退かせるのにフィーが3000万円。立ち退きにかかる費用は別や。デベロッパーや建売業者は予算がナンボでもあったんやな。独立1年で稼いだカネは2億5000万円。サイフには毎日、200万円を入れて歩いたで。「ミナミで飲む時は100万円入ってないと不安や」。この一言から5年。夢を叶えた。 当時のカッコはすごいで。スーツは1着50万円の「ミラショーン」。左手には「ピアジェ」の時計。全面にダイヤモンドを散りばめたこの時計は270万円や。右手にもダイヤモンドを散りばめた100万円のブレスレット。左手の薬指には1カラットのダイヤの指輪(150万円)。ネクタイチェーンは3カラットのダイヤモンド(300万円)。ベルトのバックルは「ダンヒル」。これは、ダイヤモンドとサファイア、18金であしらってあった。 まだ続くで。靴はイタリアの高級ブランド「ア・テストーニ」。オーストリッチのサイフには、四隅のワンポイントとして18金と0.5カラットのダイヤモンドがついとった。極めつきはボールペン。全体は24金製でペン差しのところがダイヤモンドでできている。全身ダイヤモンド。もちろん、髪形はパンチパーマ。これが、30歳の時や。どや、すごいやろ(笑)。

・「オレの力は泡でしかなかった」
「狂乱地価」という僥倖に恵まれた小川。独立後、わずか2年で6億円を稼ぎ出した。1200万円のBMW750を乗り回し、常時200万円を持ち歩く。その姿は世間が抱く地上げ屋そのまま。カネを儲ける――。その一念でのし上がった姿は、子に道徳を説く今とはまるで別人である。 これを読んでる皆さんは、小川はやっぱりとんでもないヤツや、そう思うとるやろ。確かに、あの頃は成金そのものやった。カネが入りだすと、次から次へと何かが欲しくなる。稼げば稼ぐほど、欲望に囚われていく。じゃなきゃ、金ぴかの服や時計、アホみたいに買わんわな。まあ、手の数以上の物を欲しがったということや。 実際、この後すぐにバブルが崩壊して手痛い目に遭うた。独立後、数年で何億円も稼いだ。このカネがオレの力やと確信しとった。だが、その力は結局、泡(バブル)でしかなかった。不動産投資で多額の借金をこさえたオレは、数年前までRCC(整理回収機構)に借金を返していたんやで。 まあ、お前らと離ればなれで暮らしたり、第1話で話した顔の同じ4人兄弟に出会ったり、いろいろあったおかげでオレの自身の生き方も大分、変わった。この10年でほんとに変わった。当時の金ぴか、今はどこにもあらへん。みんな誰かにあげてしもうた。その代わり、お前らと暮らせるようになった。それが一番の幸せや。 次のテーマは、オレの座右の銘でもある「忍耐と継続」。オレは地上げの力を鍛える、言葉を磨くという一点では誰よりも努力してきた。次回はそのことを話そうか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー