【地上げ屋の道徳教育】 日経
ようちゃん、おすすめ記事。↓【地上げ屋の道徳教育】 日経
【第4話】「続けること」でしか人を動かす力は身につかへん
バブル経済という僥倖に恵まれた小川は独立後1年で2億円以上を稼いだ。サイフには常時、200万円の現金を入れ、270万円の腕時計や300万円のネクタイチェーンなどを身に着けた小川。その姿は、まさに成金そのものだった。だが、そんな成金生活とは裏腹に、「人を説得する」という立ち退き交渉の仕事に壁を感じていた。
小川:今日も勉強会を始めるで。
サクラ&リュウジ:はーい。
小川:おい、お前ら。「忍耐と継続」っていう言葉を知っとるか?
サクラ:知ってる。聞いたことある。
小川:ほんだら、どういう意味や。言うてみ?
サクラ:それは、「何でも続ける」っていう意味やろ。
小川:それは「継続」やな。じゃ「忍耐」は?
サクラ:「耐える」っていう意味!
小川:おう、そうやな。
リュウジ:痛いけど我慢する。熱いけど我慢する。
小川:それはちょっと違うと思うけど・・・。まっ、読んで字の如しや。要するに、耐えて忍ぶっていうこと。一度決めたことは必ず続けるっていうことやな。
野球選手やサッカー選手はみな、精神力が強い。厳しい練習でも一生懸命練習してな、しんどいことがあっても我慢するやん。この間、「心の強さ」を勉強したやん。忍耐力や継続する力を身につけることで心はどんどん強くなっていく。お父ちゃんは毎日、日記をつけているし、月1回の墓参りも欠かさんやろ。これは心を強くするためにやっているんやで。
リュウジ:(うなずく)。
小川:お前らにも土日に、最低1時間は本を読ましてるやろ。リュウジなんてやっとのことで読んでるけど、大人になった時、読書の習慣がある方が圧倒的に有利や。良い小説を読めば心も豊かになるし、生きるコツも分かるかもしれへんし。
サクラ:(うなずく)。
小川:じゃあ、何で心は強くないとアカンのやろ。これ、この間の復習やで。
サクラ:心が弱かったら悪いことをしてしまうからやろ。
小川:おう、そうや。そういうことや。今日のテーマ、“忍耐と継続”という力を身につけて、どんどん心を強くするんやで。分かったか。
リュウジ:うん・・・。何となく。
小川:ほな、書けよ。
「継続とは物事を続ける力です」
「何か1つでもいいから何年も根気よく続けることによって、心はどんどん強くなります」
「忍耐とは物事を続けるために必要な力です」
「忍耐と継続という力を持てれば、欲を捨てることができます。すなわち心が強くなります」
何でお父ちゃんが「忍耐と継続」とうるさく言うか分かるか。前回にお父ちゃん、言ったやろ。丁寧に話を進めるクリーンな地上げ屋になるって。今日まで仕事を続けることができたんは、威嚇や暴力でなしに、言葉で生きてきたからだと思うとる。 ただな、立ち退き交渉と一口に言うても、言葉に魂を込めなければ借家人は立ち退きに応じてくれへん。口先だけの甘言でなく、言葉に魂を込めるには人間力を磨くしかない。そのために必要なのが「忍耐と継続」。お父ちゃん、独立後にそれを痛感したんや。 小川が地上げ屋として独り立ちしたのは、日本中がバブルに酔った1988年のこと。地価高騰という猛烈な追い風は29歳の若造をにわか成金に仕立て上げた。もっとも、派手な儲け話とは裏腹に、渋る相手をかき口説く立ち退き交渉には壁を感じ始めていた。
独立後、大阪市東住吉区にある戸建て住宅の立ち退き交渉を引き受けたことがあった。この家はある大企業の社長の生家。この社長が、物件の借地権を持っていた(編集部注:借地権とは建物の所有権のこと。土地は借り物だが、建物は自分が所有しているという状態)。それで、オレが立ち退き交渉に行くやん。でも、相手は大企業の社長。30歳ソコソコのガキでは歯が立たない。軽くあしらわれてしまう。話をするところまで行かんのや。 「立ち退き交渉に来ました」と言うても、「急にそんなこと言われてもな」で終わり。「そこを何とか」と言うても、「いや無理やで。来てもらっても困るわ」。しかも、話の最中にもひっきりなしに秘書からメモが届く。けんもほろろ。はじめの面会は15分で終わってしもうた。 この社長の家は立ち退き交渉をしていた4軒の戸建ての真ん中。ほかの3つの地上げは終わっている。この物件の立ち退き交渉が終わらないと、マンション用地として成立しない。スポンサーが大赤字になってまう。だから、オレも必死や。その後は毎日電話。本社の前で会社が終わる時間までウロウロしとった。 オレらの仕事は、底地を持っている大家の依頼を受けて立ち退き交渉をすること。当然、請負業務やから期日や予算がある。1回でも失敗すると信用を失う。結局、この案件は気合いと粘りで何とかしたけど、この頃は毎日がプレッシャーの連続やった。人を説得するという作業に壁を感じていた。
・内から滲み出るパワーが人を揺り動かす
オヤジが死んだのはそんな時やった。1991年3月、53歳で死んだ。オレは長男だから葬式やら何やら全部を仕切る。その時に会った坊主が妙に印象に残った。この坊さんと話していると、心が妙に落ち着いた。確かに、坊さんには人を安心させる何かがある。 何で坊さんが信頼されるのか。話す言葉に説得力があるのか。あれやこれや考えてみると、腹の底から滲み出るパワーではないんか、と感じた。 当たり前やけど、借家人のところでオレが説得するのと、(元総理の)中曽根さんが説得するのでは全然違う。これは、人間の格の差や。立ち退きは当事者にとっては死活問題。小手先の会話で口説き落とせるものやない。オノレに人間としての魅力がなければ、誰も立ち退きには応じてくれへん。 腹から滲み出る力は年とともに磨かれるものかもしれん。でも、仕事を続けるために、すぐにでも身につけなアカン。30歳のガキがそんな力を身につけるには何をしたらエエのか。いろいろと悩んだ揚げ句、「忍耐と継続」とオレは結論づけた。坊さんの中身を作っているのは継続した修行。物事を継続するには忍耐力がなければアカンやろ。
・実際、何かを続けるいうんは大切なことや。
昔、オレの実家の3軒隣にある宗教の信者がおった。毎朝7時と夜7時に、ポクポクと木魚の音が鳴り出して勤行が始まる。宗教のおかげで健康になったとその人は言うとったけど、毎朝毎晩、背筋伸ばして勤行をしていれば誰でも健康になる。朝の勤行のために夜更かししないやろし、風邪ひかんように努力もする。極端な話、毎朝「ドラえもん」の歌を歌っても健康になるで。 まあ、それはいいとして、18年経った今もオレは毎日の日記を欠かさない。それに、月1回、往復2時間かけて墓参りに行く。一時期、週の半分を東京で過ごしていた時も墓参りは続けた。つまらないことかもしれへんけど、「忍耐と継続」という力を身につけたかったからや。 内から滲み出る人間の力。それを身につけたかったオレは知覧にも通った。 鹿児島県南九州市知覧町――。薩摩半島の南部にあるこの街は、特別攻撃隊(特攻隊)の出撃基地があったことで知られている。太平洋戦争末期、敗色濃厚となった日本軍は、連合軍艦隊に体当たりする戦略を取った。そして、数多くの若者がこの街を飛び立ち、命を落とした。 現在、知覧町の知覧特攻平和会館には、彼らの遺品や関係資料が展示されている。死の間際、母や子供に残した手紙はどれも、死を覚悟した人間の本物の言葉で溢れている。小川は毎年1回、平和会館を訪れる。それが、この20年の習慣という。 オヤジの葬式のすぐ後だったと思うんやけど、ある日、大阪・心斎橋にある雑居ビルの地上げがテレビで放送されていた。立ち退きを拒否するラーメン店に、ある地上げ屋が放水車で水をぶっかけていたんや。「何をしてるんですか」。リポーターの質問に、この地上げ屋はこんなセリフを吐いた。 「ワシら、命かけてんねん」。その光景を見ていて無性に腹が立った。「水かけて命をかけるとはどういうことや。命をかけるっていうんは水かけることと違うやろ、このボケっ!」って。オレ自身、立ち退き交渉に壁を感じていたから腹が立ったんやろうな。その後、別のニュース番組で、知覧の特攻平和会館が放送されていた。そこでは、特攻隊員の遺書が紹介されとった。20歳前後の若者が、「明日には確実に死ぬ」という極限状況の中で遺書を書いている。この遺書こそ、命をかけた魂の叫びと違うか。この人たちの万分の1でも「命をかける重み」を感じることができないか。そう思ったオレは翌週、特攻平和会館に飛んだ。 凄かった。想像していたよりも遙かに凄かった。 館内に入って、最初の遺書を読み始めた瞬間からぶちのめされた。1枚1枚の遺書には、その人の人生が凝縮されていた。一文字、一文字に命をかけた魂の叫びがあった。一番、若くして飛び立った人は17歳やった。17歳で国を想い、国を背負い、家族のために自らの命を犠牲にする。 オレは何て甘ちゃんの人生を送っとんねん――。最初から最後まで、涙が止まらんかった。リュウジが4歳の時、知覧に連れていった。字も読めんのに、雰囲気で分かったんやろう。オンオン泣いておった。今でも毎年、社員を連れて知覧に行く。それで、どれだけ言葉に魂がこもったんか、うまく言えへんけど。
・仕事の下手なヤツは端折った会話しかしない
言葉を磨く。壁にぶち当たってから、常にこのことを意識してきた。例えば、刑法や民法の判例集や。これを読むと、会話の勉強になるんや。 例えば、殺人事件の凶器になったグラスがあったとするやろ。刑法の判例集には、これでもかというほど具体的に書いてある。半径2.5センチ、長さ20センチのガラスでできた透明の寸胴の――という具合や。読めばパッと凶器のイメージが浮かぶ。立ちのき交渉の相手は素人。この「具体的」というのが大切なんや。 前に相手のところに行って、「おばあちゃん、次に来る時までに謄本を用意しといて」と言った社員がおった。次に行ってみると、このおばあちゃん、登記簿謄本やなくて戸籍謄本を用意していた。それでコイツ、「おばあちゃん、何で戸籍謄本なのよ」と言ったが、素人にとって謄本といえば戸籍謄本に決まっとる。具体的に言わないコイツが悪い。 仕事の下手なヤツほど、端折った会話しかしない。「キュウリ買うて来い」と言う時、幼稚園児と大学生では説明の仕方が違う。幼稚園児に説明する場合は、キュウリの形状や特徴、お店までの行き方、お釣りを取り忘れないこと・・・。全部説明しなきゃアカンやろ。大学生なら「キュウリ買うて来い」で終わりや。 婆さんがスーツ着た地上げ屋の話を一から十まで聞くわけないやん。園児に諭すように分かりやすく伝えないと伝わらへんて。「凶器のグラス」のように、具体的に説明していかんと立ち退き交渉も相手のハラに落ちない。立ち退き交渉は言葉が命なんや。 判例集以外では、松本清張の『小説帝銀事件』が参考になったで。ほかにも、言葉を覚えるためにクロスワードパズルもよくやった。1つの言葉で伝わらなければ、「ああ、分かりにくかったか。じゃあ、こういう言い方ならどうや」と説明の仕方を変えられるやろ。比喩力をつけるためやな。 あとは詰め将棋。交渉事は相手の先を読むインスピレーションが重要や。訪問した時の空気を察知したり、相手の返事を聞いて反応を見たり。それによって、話し方や進め方を変えていく。まあ、この話は別の機会にな。
****
小川:最後の方は話が少し脱線したけど、地上げの世界で顧客に評価されるようになったんは、言葉を磨くということを続けてきたからやと思うとる。「忍耐と継続」という力がなければ何事もうまくいかへん。お前らもこの2つの力を身につけて、精進しないとアカンで。次のテーマは「不合理なこと」。世の中、理不尽なことばかりやからな。
【第4話】「続けること」でしか人を動かす力は身につかへん
バブル経済という僥倖に恵まれた小川は独立後1年で2億円以上を稼いだ。サイフには常時、200万円の現金を入れ、270万円の腕時計や300万円のネクタイチェーンなどを身に着けた小川。その姿は、まさに成金そのものだった。だが、そんな成金生活とは裏腹に、「人を説得する」という立ち退き交渉の仕事に壁を感じていた。
小川:今日も勉強会を始めるで。
サクラ&リュウジ:はーい。
小川:おい、お前ら。「忍耐と継続」っていう言葉を知っとるか?
サクラ:知ってる。聞いたことある。
小川:ほんだら、どういう意味や。言うてみ?
サクラ:それは、「何でも続ける」っていう意味やろ。
小川:それは「継続」やな。じゃ「忍耐」は?
サクラ:「耐える」っていう意味!
小川:おう、そうやな。
リュウジ:痛いけど我慢する。熱いけど我慢する。
小川:それはちょっと違うと思うけど・・・。まっ、読んで字の如しや。要するに、耐えて忍ぶっていうこと。一度決めたことは必ず続けるっていうことやな。
野球選手やサッカー選手はみな、精神力が強い。厳しい練習でも一生懸命練習してな、しんどいことがあっても我慢するやん。この間、「心の強さ」を勉強したやん。忍耐力や継続する力を身につけることで心はどんどん強くなっていく。お父ちゃんは毎日、日記をつけているし、月1回の墓参りも欠かさんやろ。これは心を強くするためにやっているんやで。
リュウジ:(うなずく)。
小川:お前らにも土日に、最低1時間は本を読ましてるやろ。リュウジなんてやっとのことで読んでるけど、大人になった時、読書の習慣がある方が圧倒的に有利や。良い小説を読めば心も豊かになるし、生きるコツも分かるかもしれへんし。
サクラ:(うなずく)。
小川:じゃあ、何で心は強くないとアカンのやろ。これ、この間の復習やで。
サクラ:心が弱かったら悪いことをしてしまうからやろ。
小川:おう、そうや。そういうことや。今日のテーマ、“忍耐と継続”という力を身につけて、どんどん心を強くするんやで。分かったか。
リュウジ:うん・・・。何となく。
小川:ほな、書けよ。
「継続とは物事を続ける力です」
「何か1つでもいいから何年も根気よく続けることによって、心はどんどん強くなります」
「忍耐とは物事を続けるために必要な力です」
「忍耐と継続という力を持てれば、欲を捨てることができます。すなわち心が強くなります」
何でお父ちゃんが「忍耐と継続」とうるさく言うか分かるか。前回にお父ちゃん、言ったやろ。丁寧に話を進めるクリーンな地上げ屋になるって。今日まで仕事を続けることができたんは、威嚇や暴力でなしに、言葉で生きてきたからだと思うとる。 ただな、立ち退き交渉と一口に言うても、言葉に魂を込めなければ借家人は立ち退きに応じてくれへん。口先だけの甘言でなく、言葉に魂を込めるには人間力を磨くしかない。そのために必要なのが「忍耐と継続」。お父ちゃん、独立後にそれを痛感したんや。 小川が地上げ屋として独り立ちしたのは、日本中がバブルに酔った1988年のこと。地価高騰という猛烈な追い風は29歳の若造をにわか成金に仕立て上げた。もっとも、派手な儲け話とは裏腹に、渋る相手をかき口説く立ち退き交渉には壁を感じ始めていた。
独立後、大阪市東住吉区にある戸建て住宅の立ち退き交渉を引き受けたことがあった。この家はある大企業の社長の生家。この社長が、物件の借地権を持っていた(編集部注:借地権とは建物の所有権のこと。土地は借り物だが、建物は自分が所有しているという状態)。それで、オレが立ち退き交渉に行くやん。でも、相手は大企業の社長。30歳ソコソコのガキでは歯が立たない。軽くあしらわれてしまう。話をするところまで行かんのや。 「立ち退き交渉に来ました」と言うても、「急にそんなこと言われてもな」で終わり。「そこを何とか」と言うても、「いや無理やで。来てもらっても困るわ」。しかも、話の最中にもひっきりなしに秘書からメモが届く。けんもほろろ。はじめの面会は15分で終わってしもうた。 この社長の家は立ち退き交渉をしていた4軒の戸建ての真ん中。ほかの3つの地上げは終わっている。この物件の立ち退き交渉が終わらないと、マンション用地として成立しない。スポンサーが大赤字になってまう。だから、オレも必死や。その後は毎日電話。本社の前で会社が終わる時間までウロウロしとった。 オレらの仕事は、底地を持っている大家の依頼を受けて立ち退き交渉をすること。当然、請負業務やから期日や予算がある。1回でも失敗すると信用を失う。結局、この案件は気合いと粘りで何とかしたけど、この頃は毎日がプレッシャーの連続やった。人を説得するという作業に壁を感じていた。
・内から滲み出るパワーが人を揺り動かす
オヤジが死んだのはそんな時やった。1991年3月、53歳で死んだ。オレは長男だから葬式やら何やら全部を仕切る。その時に会った坊主が妙に印象に残った。この坊さんと話していると、心が妙に落ち着いた。確かに、坊さんには人を安心させる何かがある。 何で坊さんが信頼されるのか。話す言葉に説得力があるのか。あれやこれや考えてみると、腹の底から滲み出るパワーではないんか、と感じた。 当たり前やけど、借家人のところでオレが説得するのと、(元総理の)中曽根さんが説得するのでは全然違う。これは、人間の格の差や。立ち退きは当事者にとっては死活問題。小手先の会話で口説き落とせるものやない。オノレに人間としての魅力がなければ、誰も立ち退きには応じてくれへん。 腹から滲み出る力は年とともに磨かれるものかもしれん。でも、仕事を続けるために、すぐにでも身につけなアカン。30歳のガキがそんな力を身につけるには何をしたらエエのか。いろいろと悩んだ揚げ句、「忍耐と継続」とオレは結論づけた。坊さんの中身を作っているのは継続した修行。物事を継続するには忍耐力がなければアカンやろ。
・実際、何かを続けるいうんは大切なことや。
昔、オレの実家の3軒隣にある宗教の信者がおった。毎朝7時と夜7時に、ポクポクと木魚の音が鳴り出して勤行が始まる。宗教のおかげで健康になったとその人は言うとったけど、毎朝毎晩、背筋伸ばして勤行をしていれば誰でも健康になる。朝の勤行のために夜更かししないやろし、風邪ひかんように努力もする。極端な話、毎朝「ドラえもん」の歌を歌っても健康になるで。 まあ、それはいいとして、18年経った今もオレは毎日の日記を欠かさない。それに、月1回、往復2時間かけて墓参りに行く。一時期、週の半分を東京で過ごしていた時も墓参りは続けた。つまらないことかもしれへんけど、「忍耐と継続」という力を身につけたかったからや。 内から滲み出る人間の力。それを身につけたかったオレは知覧にも通った。 鹿児島県南九州市知覧町――。薩摩半島の南部にあるこの街は、特別攻撃隊(特攻隊)の出撃基地があったことで知られている。太平洋戦争末期、敗色濃厚となった日本軍は、連合軍艦隊に体当たりする戦略を取った。そして、数多くの若者がこの街を飛び立ち、命を落とした。 現在、知覧町の知覧特攻平和会館には、彼らの遺品や関係資料が展示されている。死の間際、母や子供に残した手紙はどれも、死を覚悟した人間の本物の言葉で溢れている。小川は毎年1回、平和会館を訪れる。それが、この20年の習慣という。 オヤジの葬式のすぐ後だったと思うんやけど、ある日、大阪・心斎橋にある雑居ビルの地上げがテレビで放送されていた。立ち退きを拒否するラーメン店に、ある地上げ屋が放水車で水をぶっかけていたんや。「何をしてるんですか」。リポーターの質問に、この地上げ屋はこんなセリフを吐いた。 「ワシら、命かけてんねん」。その光景を見ていて無性に腹が立った。「水かけて命をかけるとはどういうことや。命をかけるっていうんは水かけることと違うやろ、このボケっ!」って。オレ自身、立ち退き交渉に壁を感じていたから腹が立ったんやろうな。その後、別のニュース番組で、知覧の特攻平和会館が放送されていた。そこでは、特攻隊員の遺書が紹介されとった。20歳前後の若者が、「明日には確実に死ぬ」という極限状況の中で遺書を書いている。この遺書こそ、命をかけた魂の叫びと違うか。この人たちの万分の1でも「命をかける重み」を感じることができないか。そう思ったオレは翌週、特攻平和会館に飛んだ。 凄かった。想像していたよりも遙かに凄かった。 館内に入って、最初の遺書を読み始めた瞬間からぶちのめされた。1枚1枚の遺書には、その人の人生が凝縮されていた。一文字、一文字に命をかけた魂の叫びがあった。一番、若くして飛び立った人は17歳やった。17歳で国を想い、国を背負い、家族のために自らの命を犠牲にする。 オレは何て甘ちゃんの人生を送っとんねん――。最初から最後まで、涙が止まらんかった。リュウジが4歳の時、知覧に連れていった。字も読めんのに、雰囲気で分かったんやろう。オンオン泣いておった。今でも毎年、社員を連れて知覧に行く。それで、どれだけ言葉に魂がこもったんか、うまく言えへんけど。
・仕事の下手なヤツは端折った会話しかしない
言葉を磨く。壁にぶち当たってから、常にこのことを意識してきた。例えば、刑法や民法の判例集や。これを読むと、会話の勉強になるんや。 例えば、殺人事件の凶器になったグラスがあったとするやろ。刑法の判例集には、これでもかというほど具体的に書いてある。半径2.5センチ、長さ20センチのガラスでできた透明の寸胴の――という具合や。読めばパッと凶器のイメージが浮かぶ。立ちのき交渉の相手は素人。この「具体的」というのが大切なんや。 前に相手のところに行って、「おばあちゃん、次に来る時までに謄本を用意しといて」と言った社員がおった。次に行ってみると、このおばあちゃん、登記簿謄本やなくて戸籍謄本を用意していた。それでコイツ、「おばあちゃん、何で戸籍謄本なのよ」と言ったが、素人にとって謄本といえば戸籍謄本に決まっとる。具体的に言わないコイツが悪い。 仕事の下手なヤツほど、端折った会話しかしない。「キュウリ買うて来い」と言う時、幼稚園児と大学生では説明の仕方が違う。幼稚園児に説明する場合は、キュウリの形状や特徴、お店までの行き方、お釣りを取り忘れないこと・・・。全部説明しなきゃアカンやろ。大学生なら「キュウリ買うて来い」で終わりや。 婆さんがスーツ着た地上げ屋の話を一から十まで聞くわけないやん。園児に諭すように分かりやすく伝えないと伝わらへんて。「凶器のグラス」のように、具体的に説明していかんと立ち退き交渉も相手のハラに落ちない。立ち退き交渉は言葉が命なんや。 判例集以外では、松本清張の『小説帝銀事件』が参考になったで。ほかにも、言葉を覚えるためにクロスワードパズルもよくやった。1つの言葉で伝わらなければ、「ああ、分かりにくかったか。じゃあ、こういう言い方ならどうや」と説明の仕方を変えられるやろ。比喩力をつけるためやな。 あとは詰め将棋。交渉事は相手の先を読むインスピレーションが重要や。訪問した時の空気を察知したり、相手の返事を聞いて反応を見たり。それによって、話し方や進め方を変えていく。まあ、この話は別の機会にな。
****
小川:最後の方は話が少し脱線したけど、地上げの世界で顧客に評価されるようになったんは、言葉を磨くということを続けてきたからやと思うとる。「忍耐と継続」という力がなければ何事もうまくいかへん。お前らもこの2つの力を身につけて、精進しないとアカンで。次のテーマは「不合理なこと」。世の中、理不尽なことばかりやからな。