福田首相“8月退陣説”急浮上!(ゲンダイネット)
ようちゃん、おすすめ記事。↓
▼福田首相“8月退陣説”急浮上!(ゲンダイネット)
福田首相の「8月退陣説」が急浮上している。首相は7月末に内閣改造を行う予定だったが、改造を断念したという情報が飛び交っている。内閣改造を実施できなければ、そのまま退陣に追い込まれる可能性が高い。
●内閣改造やれず…
7月中旬に異例の夏休みをとった福田首相は、そこで人事構想を練り、7月末に内閣改造。8月8日に北京五輪の開会式に出席し、8月末に臨時国会を召集するスケジュールを組んでいた。
ところが、公明党がことごとく反対。北側一雄幹事長は、「内閣改造したからといって支持率が高くなる保証はない」と抵抗し、国会召集も8月ではなく9月を主張している。「改造する場合は、自公の党首会談をする必要があります。しかし、公明党の太田昭宏代表は、会おうとしない。これでは改造できない。とうとう首相は『私は改造すると言ったことは一度もない』と言いはじめています」(政界関係者)
公明党が改造に反対しているのは、福田首相に改造をやらせたら、解散に打って出る恐れがあるからだ。小泉元首相も、「改造をやる場合、首相が自分の手で解散すると思う人が多くなる」と解説している。
しかし、支持率20%の首相が選挙の顔では、自公が大敗するのは必至。そこで一気に“改造封じ”の動きが与党内に広がっているという。「そもそも『福田政権はサミットまで』が、与党内の暗黙の了解でした。とりわけ年内解散を望んでいる公明党は、秋までに不人気首相が代わることを期待していた。サミットで支持率が上昇すれば、大型改造をやって、ホップ、ステップと延命する道もあったが、支持率は無反応。自民党が内密に調査したら、サミットの舞台だった北海道でも自民党は壊滅だったといいます。調査結果を知った選対責任者の古賀誠も『福田首相に解散をさせてはいけない』と腹をくくったとされる。首相は内閣改造もやれず、退陣に追い込まれるのではないか」(国会事情通)福田首相が約束している国際行事は、北京五輪の出席くらいだ。それが終わったら、いつ辞意表明しても問題ない。すでに自民党の一部からは、民主党の代表選が行われる9月に総裁選をぶつけ、そのまま解散になだれ込むべきだ、という声が上がっている。
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福田首相の「8月退陣説」が急浮上している。首相は7月末に内閣改造を行う予定だったが、改造を断念したという情報が飛び交っている。内閣改造を実施できなければ、そのまま退陣に追い込まれる可能性が高い。
●内閣改造やれず…
7月中旬に異例の夏休みをとった福田首相は、そこで人事構想を練り、7月末に内閣改造。8月8日に北京五輪の開会式に出席し、8月末に臨時国会を召集するスケジュールを組んでいた。
ところが、公明党がことごとく反対。北側一雄幹事長は、「内閣改造したからといって支持率が高くなる保証はない」と抵抗し、国会召集も8月ではなく9月を主張している。「改造する場合は、自公の党首会談をする必要があります。しかし、公明党の太田昭宏代表は、会おうとしない。これでは改造できない。とうとう首相は『私は改造すると言ったことは一度もない』と言いはじめています」(政界関係者)
公明党が改造に反対しているのは、福田首相に改造をやらせたら、解散に打って出る恐れがあるからだ。小泉元首相も、「改造をやる場合、首相が自分の手で解散すると思う人が多くなる」と解説している。
しかし、支持率20%の首相が選挙の顔では、自公が大敗するのは必至。そこで一気に“改造封じ”の動きが与党内に広がっているという。「そもそも『福田政権はサミットまで』が、与党内の暗黙の了解でした。とりわけ年内解散を望んでいる公明党は、秋までに不人気首相が代わることを期待していた。サミットで支持率が上昇すれば、大型改造をやって、ホップ、ステップと延命する道もあったが、支持率は無反応。自民党が内密に調査したら、サミットの舞台だった北海道でも自民党は壊滅だったといいます。調査結果を知った選対責任者の古賀誠も『福田首相に解散をさせてはいけない』と腹をくくったとされる。首相は内閣改造もやれず、退陣に追い込まれるのではないか」(国会事情通)福田首相が約束している国際行事は、北京五輪の出席くらいだ。それが終わったら、いつ辞意表明しても問題ない。すでに自民党の一部からは、民主党の代表選が行われる9月に総裁選をぶつけ、そのまま解散になだれ込むべきだ、という声が上がっている。
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ようちゃん。↓
★当然!「相手の嫌がることはしない。言わない。皆仲良く、和気藹々」 ではねー。生臭いオ山の大将になりたがりの、目立ち屋家業の政治家ばかりです。こんなお題目はせせら笑いの対象です。辞めざるを得なくなるのは、なんら 不思議では ないのです。
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▼国民年金の花柳な生活
2008/07/31 (木) 冷静?
「日本、冷静に対処」「韓国は歓迎」‥‥新聞の見出しを見て何のこっちゃ、と思ったら、竹島の帰属に関する米国の見解だった。事の起こりは米政府機関「地名委員会」が日本海の竹島の表記を「韓国領」から「主権未確定」に変更した事による。しかし、韓国政府の猛烈な抗議を受け、表記を元の「韓国領」に戻したのだ。
《米ホワイトハウス・国家安全保障会議のデニス・ワイルダー・アジア上級部長によると、ブッシュ大統領がライス国務長官に再検討を指示し、「現時点での表記変更には適切な根拠がない」との判断に至ったとしている(読売)》
「竹島」と来たら韓国のメーターは異常に跳ね上がる。近く訪韓するブッシュ大統領に抗議デモの大群が襲い掛かる事を避け、訪韓を成功させる為に配慮したのであろう。
《ワイルダー上級部長は、米政府は竹島領有権問題に関し「日韓いずれの立場にもくみしない。両国が外交的解決を図るべきだ」と述べ、米政府が竹島を韓国領と認定した訳ではないと指摘した》町村官房長官は「過度に反応する事もない}と冷静に受け止め、更に《福田首相が表記の再変更をブッシュ米大統領に働きかける可能性については、「ない」と語った》
日本政府が落ち着いているのは、韓国が如何足掻いても竹島領有の根拠は揺ぎないもので、国際司法裁判所に提訴しても必ず勝てる、という自信によるものの様だ。しかし、次のニュースを見ると揺るぎないのは韓国の方ではないかと思えて来る。「仮想敵勢力」などと他人事の様に書いてあるが、正しくは「日本」なのだ。
《韓国は30日、竹島周辺の日本海上で海軍や空軍による竹島の防衛演習を実施した。演習は仮想敵勢力が竹島周辺海域を侵犯するとの想定で行われ、駆逐艦など海軍艦艇6隻やP3C対潜哨戒機、空軍のF15K戦闘機などが参加した(読売)》
さてこれらの情報を総括してみると、この件に関する両国トップの対応は余りにも違う。韓国の大統領は先頭に立って奮闘しているというのに、我が福田首相は官邸でラムネでも飲んで昼寝しているのだろう。心は早くも北京オリンピックか。そんな暇があったら、京都のウトロ地区の事を考えてみるが良い。あの地は元々レッキとした日本の土地だった。不法占拠されたものが何時の間にか「歴史問題」に掏り替えられてしまったのだ。竹島も同じ道を歩もうとしている。優柔不断は将来に禍根を残す。
■2008/07/30 (水) 負けて良かったか(1)
Kと私とは中学入学以来の長い付き合いだが、小学校は別々だった。彼の通った小学校は明治初年に創立された古い学校で今風に言えば公民館的な役割も担っていたらしい。戦時中は度々軍関係の採用試験場として使われていたという。平和な時代の徴兵検査は7月頃に行われ、合格した者は翌年1月入隊と決まっていたが、戦争が激しくなると年1回ではなく、何回も行ったらしい。それが徴兵検査であったか如何か、Kには詳しい事は判らないが、その時6年生だったKは身体検査会場の設営や撤去作業にかり出されていた。小学生でも必要に応じて動員された時代である。子供は好奇心が強い。Kも手が空くと早速会場を「見学」した。身体検査は全員裸で行われる。身に着けているのは越中褌だけだ。その褌も最後の検査では脱がなくてはならない。一通り各種検査を終えて最後になると、そこだけは衝立の様な物で囲ってあって、囲いの外では順番を待つ若者が列を作っている。Kは反対側の隙間から衝立の中も外も見ていた。
順番を待つ中の一人が気を利かして全部脱いでしまった。すると下士官がとんで来て「誰が脱げ、と言ったか。命令のないうちに勝手な事をするなっ」と怒鳴り、列の外に引きずり出して、そこに立っている様に命じた。その人は一番最後まで全裸で立たされていた。Kが見たのはそれだけではなかった。囲いの中に一人ずつ入って受ける検査の一部始終を見た時に受けたカルチャーショックはKの頭から抜けなくなった。囲いの中には軍医と助手を務める下士官がいて、そこに入った若者は下士官の「脱げ」の命令で褌を取り、直立不動の姿勢で軍医の前に立つ。検査するのは性器である。扱いたり、握ったり‥‥詳しくは省略するが、かなり手荒な検査である。本当の目的は性器の発達状況を確認する為ではなく、性病に罹っているか如何かを診断する為である。子供のKにとっては未知の世界で、ただ好奇の対象となるだけだったが、次に見た場面では飛び上がった。青年は軍医に尻を向けて四つん這いになったのである。軍医は両手で二つの山を左右に広げ、じっと見つめた後、ピシャリと叩いて「よし、良いぞ」と言った。このシーンはそれ以来Kの頭を離れなくなった。
■2008/07/30 (水) 負けて良かったか(2)
それ以来Kは人には言えない秘密を抱えて悶々とした日々を送る事になった。徴兵検査には必ず「あの検査」がある。嫌だなと思った。何とか検査を受けずに済ませる方法はないかと考えたが妙案は浮かばない。日本男児たるもの何時か必ずその日が来る。その時からKは徴兵拒否者になり、「あれ」を思い出す度にため息をついていた。Kは敗戦で軍隊がなくなった時、「負けて良かった」と心から喜んだのである。「負けて良かった」という言葉はよく耳にする。若し、あの戦争に勝っていたら、軍の独裁は長く続き、国民は全体主義の社会で不自由な生活を強いられているだろうというのだ。戦争末期の暗黒の世界が平時でも続くとしたら誰でも嫌である。
若し戦争に勝っていたら、又は戦争をしていなければ、戦前の制度はそのまま残ったであろう。正直言って、自由な世界を見てしまった我々世代は戦前の社会生活には耐えられないと思う。この国は外部から何か大きな力が加わらないと社会の変革は望めない。だから「戦争に負けた事は良かった」という理屈になるのだが、これは実は知らず知らずに戦争を肯定しているのだ。歴史の流れの中で時代と共に社会は変わって行く。思想も変わる。大正デモクラシーの時代にはかなり自由があったし、帝国憲法も解釈次第でかなり自由だ。逆に、行政のあり方は明治以来少しも変わっていない事を考えると「負けて良かった」論は随分あやしい論議だ。システムは変わっておらず、変わったのは個人の意識だけである。根幹は戦前と少しも変わっていない。そう考えると「負けて良かった」などとは言えなくなる。
★当然!「相手の嫌がることはしない。言わない。皆仲良く、和気藹々」 ではねー。生臭いオ山の大将になりたがりの、目立ち屋家業の政治家ばかりです。こんなお題目はせせら笑いの対象です。辞めざるを得なくなるのは、なんら 不思議では ないのです。
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▼国民年金の花柳な生活
2008/07/31 (木) 冷静?
「日本、冷静に対処」「韓国は歓迎」‥‥新聞の見出しを見て何のこっちゃ、と思ったら、竹島の帰属に関する米国の見解だった。事の起こりは米政府機関「地名委員会」が日本海の竹島の表記を「韓国領」から「主権未確定」に変更した事による。しかし、韓国政府の猛烈な抗議を受け、表記を元の「韓国領」に戻したのだ。
《米ホワイトハウス・国家安全保障会議のデニス・ワイルダー・アジア上級部長によると、ブッシュ大統領がライス国務長官に再検討を指示し、「現時点での表記変更には適切な根拠がない」との判断に至ったとしている(読売)》
「竹島」と来たら韓国のメーターは異常に跳ね上がる。近く訪韓するブッシュ大統領に抗議デモの大群が襲い掛かる事を避け、訪韓を成功させる為に配慮したのであろう。
《ワイルダー上級部長は、米政府は竹島領有権問題に関し「日韓いずれの立場にもくみしない。両国が外交的解決を図るべきだ」と述べ、米政府が竹島を韓国領と認定した訳ではないと指摘した》町村官房長官は「過度に反応する事もない}と冷静に受け止め、更に《福田首相が表記の再変更をブッシュ米大統領に働きかける可能性については、「ない」と語った》
日本政府が落ち着いているのは、韓国が如何足掻いても竹島領有の根拠は揺ぎないもので、国際司法裁判所に提訴しても必ず勝てる、という自信によるものの様だ。しかし、次のニュースを見ると揺るぎないのは韓国の方ではないかと思えて来る。「仮想敵勢力」などと他人事の様に書いてあるが、正しくは「日本」なのだ。
《韓国は30日、竹島周辺の日本海上で海軍や空軍による竹島の防衛演習を実施した。演習は仮想敵勢力が竹島周辺海域を侵犯するとの想定で行われ、駆逐艦など海軍艦艇6隻やP3C対潜哨戒機、空軍のF15K戦闘機などが参加した(読売)》
さてこれらの情報を総括してみると、この件に関する両国トップの対応は余りにも違う。韓国の大統領は先頭に立って奮闘しているというのに、我が福田首相は官邸でラムネでも飲んで昼寝しているのだろう。心は早くも北京オリンピックか。そんな暇があったら、京都のウトロ地区の事を考えてみるが良い。あの地は元々レッキとした日本の土地だった。不法占拠されたものが何時の間にか「歴史問題」に掏り替えられてしまったのだ。竹島も同じ道を歩もうとしている。優柔不断は将来に禍根を残す。
■2008/07/30 (水) 負けて良かったか(1)
Kと私とは中学入学以来の長い付き合いだが、小学校は別々だった。彼の通った小学校は明治初年に創立された古い学校で今風に言えば公民館的な役割も担っていたらしい。戦時中は度々軍関係の採用試験場として使われていたという。平和な時代の徴兵検査は7月頃に行われ、合格した者は翌年1月入隊と決まっていたが、戦争が激しくなると年1回ではなく、何回も行ったらしい。それが徴兵検査であったか如何か、Kには詳しい事は判らないが、その時6年生だったKは身体検査会場の設営や撤去作業にかり出されていた。小学生でも必要に応じて動員された時代である。子供は好奇心が強い。Kも手が空くと早速会場を「見学」した。身体検査は全員裸で行われる。身に着けているのは越中褌だけだ。その褌も最後の検査では脱がなくてはならない。一通り各種検査を終えて最後になると、そこだけは衝立の様な物で囲ってあって、囲いの外では順番を待つ若者が列を作っている。Kは反対側の隙間から衝立の中も外も見ていた。
順番を待つ中の一人が気を利かして全部脱いでしまった。すると下士官がとんで来て「誰が脱げ、と言ったか。命令のないうちに勝手な事をするなっ」と怒鳴り、列の外に引きずり出して、そこに立っている様に命じた。その人は一番最後まで全裸で立たされていた。Kが見たのはそれだけではなかった。囲いの中に一人ずつ入って受ける検査の一部始終を見た時に受けたカルチャーショックはKの頭から抜けなくなった。囲いの中には軍医と助手を務める下士官がいて、そこに入った若者は下士官の「脱げ」の命令で褌を取り、直立不動の姿勢で軍医の前に立つ。検査するのは性器である。扱いたり、握ったり‥‥詳しくは省略するが、かなり手荒な検査である。本当の目的は性器の発達状況を確認する為ではなく、性病に罹っているか如何かを診断する為である。子供のKにとっては未知の世界で、ただ好奇の対象となるだけだったが、次に見た場面では飛び上がった。青年は軍医に尻を向けて四つん這いになったのである。軍医は両手で二つの山を左右に広げ、じっと見つめた後、ピシャリと叩いて「よし、良いぞ」と言った。このシーンはそれ以来Kの頭を離れなくなった。
■2008/07/30 (水) 負けて良かったか(2)
それ以来Kは人には言えない秘密を抱えて悶々とした日々を送る事になった。徴兵検査には必ず「あの検査」がある。嫌だなと思った。何とか検査を受けずに済ませる方法はないかと考えたが妙案は浮かばない。日本男児たるもの何時か必ずその日が来る。その時からKは徴兵拒否者になり、「あれ」を思い出す度にため息をついていた。Kは敗戦で軍隊がなくなった時、「負けて良かった」と心から喜んだのである。「負けて良かった」という言葉はよく耳にする。若し、あの戦争に勝っていたら、軍の独裁は長く続き、国民は全体主義の社会で不自由な生活を強いられているだろうというのだ。戦争末期の暗黒の世界が平時でも続くとしたら誰でも嫌である。
若し戦争に勝っていたら、又は戦争をしていなければ、戦前の制度はそのまま残ったであろう。正直言って、自由な世界を見てしまった我々世代は戦前の社会生活には耐えられないと思う。この国は外部から何か大きな力が加わらないと社会の変革は望めない。だから「戦争に負けた事は良かった」という理屈になるのだが、これは実は知らず知らずに戦争を肯定しているのだ。歴史の流れの中で時代と共に社会は変わって行く。思想も変わる。大正デモクラシーの時代にはかなり自由があったし、帝国憲法も解釈次第でかなり自由だ。逆に、行政のあり方は明治以来少しも変わっていない事を考えると「負けて良かった」論は随分あやしい論議だ。システムは変わっておらず、変わったのは個人の意識だけである。根幹は戦前と少しも変わっていない。そう考えると「負けて良かった」などとは言えなくなる。