竹島逆流の“海難審判”…半島問題生んだ米占領期 (東アジアの黙示録) | 日本のお姉さん

竹島逆流の“海難審判”…半島問題生んだ米占領期 (東アジアの黙示録)

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▼竹島逆流の“海難審判”…半島問題生んだ米占領期 (東アジアの黙示録)
「竹島は無主の島」とした誤記訂正を今度はブッシュが場当たり的政治決着で覆した。米政府は「中立」と主張するが、あの時、そこは“米軍の海”だった。日米韓戦後史の闇再び。「誰が何と言おうとウリの…」国を挙げての逆上暴走が続く中、7月29日、韓国首相の韓昇洙(ハン・ハンス)が、島根県の竹島に不法上陸した。現職の首相が竹島に足を踏み入れたのは、これが初めてのケースで、文化体育相と国土海洋相の2閣僚も同行した。

ヘリで竹島に上陸した韓昇洙らは、竹島占領部隊や不法居住を続ける夫婦を激励。「東海のわが領土 独島」などと記された小さな標石を設置して自己満足に浸った。死に物狂いの哀れなパフォーマンスである。敢えて自国の主張を書き込まねばならない程、竹島実効支配に不安定要素が多い現状を浮き彫りにしている。「他人が(竹島を)自分の息子だと言っても、私たちに戸籍があるので奪うことはできない」

韓昇洙ら現職閣僚の集団上陸は、内閣の前日の動きを受け、付け焼き刃的に決定したものだった。柳明桓(ユ・ミョンファン)外交通商相は28日、初めてとなる竹島特別会議を開催。竹島の韓国実効支配を認めているか否か、各国政府の表現を調査する方針を打ち出した。
即ち、外交圧力をかける準備だ。続いて、7月30日、韓国軍は竹島周辺海域で“防御訓練”をスタートさせた。この威圧行動は1995年から年2回程度のペースで行われてきたが、韓国軍は、今回初めて事前に伝え、訓練風景もメディアに公開した。演習は、国籍不明(=日本)の不審船が竹島領海に入ったことを想定し、この仮想勢力(=日本)を公海上まで退去させるというシナリオだ。韓国メディアによると、史上最大規模の演習で、初めて韓国空軍の最新鋭機F-15Kを投入。3000㌧級の駆逐艦など海軍艦艇6隻やP3C対潜哨戒機、対潜ヘリも加わった。大規模な演習は「竹島周辺海域=紛争地域」というイメージを他国に決定付ける。竹島防御訓練は、その意気込みとは裏腹に、竹島海域を紛争地域と見なした米地名委員会の「誤記訂正」を補完する意味を持っていたのだが…

【重大な領土問題で朝令暮改の愚】「現時点では、変更には正当な根拠がない」
日本時間7月31日午前、米NSC(家安全保障会議)のワイルダー・アジア担当上級部長は、一転、韓国の猛抗議を受け入れたことを明らかにした。
極めてデリケートな領土問題では、あり得ない朝令暮改である。米国の「地名委員会」は先週、竹島の帰属先を「韓国領」から「主権未指定」に変更した。Webサイト上の表記変更が確認されたのは7月25日午後だったという。この「地名委員会」は、米地質調査所が事務局で、CIAやペンタゴン、国務省のスタッフで構成。小さな機関だが、米連邦政府が使う地名の標準化を一手に引き受けている。

韓国が卒倒した表記変更について米国側は、政府の方針転換ではないとしていた。米国務省のガイエゴス副報道官代理は28日、あくまでも地名委員会の判断とした上で、こう説明している。「米国の政策変更を意味するものではなく、政策の一貫性を確実にするための措置だ」
そもそも米地名委員会の表記に誤りがあったと言うのだ。米政府は、中立的な立場を取り、領有権問題で日韓いずれの立場も支持しない…ところが、地名委員会のWebサイトには偏った表現が踊っていたのだ。ガイエゴス副報道官代理は、更に、これまで米国は竹島を韓国領と認めていた訳ではない、とも強調。表記変更は「あくまでも米国の中立性と整合性を持たせるため」と訴えた。

しかし、僅か2日後、再度の表記変更で“整合性”は放棄された。【北指定解除に続く“日本売り”…】「韓国・公海」の併記。
既に米地名委員会HPのサーチでは、7日前の状態に戻っていることも確認された。韓国側が要求していた「原状回復」の丸呑みである。しかし、28日の表記変更に、韓国メディアは激高しながらも、半ば諦めムードだった…「撤回問題について、完全に行き詰まりの状況に置かれてしまった。国民感情を考慮すれば、米国に対しては当然修正を要求したいところだが、米国がこれに応じるとは考えられないからだ」
参照:朝鮮日報7月30日『ブッシュ大統領来韓前の解決望む韓国政府』
そして、怒りの矛先は、李泰植(イ・テシク)駐米大使にも向けられ、更迭論も浮上。だが、韓国政府サイドは猛然とプレッシャーをかけたようだ。

米東部時間30日、李大使はホワイトハウスでブッシュ大統領と直談判。そこで、ライス国務長官に検討を指示するとの言質を取り付けた。韓国政府が抗議の対象としていたのは、米国務省とNSCだ。「地名委員会の決定は政治的考慮を伴わない専門家によって下された」NSC関係者は、そう弁明していたが、再度の変更は完全な政治取り引きである。ブッシュ大統領の訪韓を前にして、米国は竹島を再び韓国に“譲った”のだ。

我が国の領土問題が、場当たり的に処理されたのである。【弱腰以下…首相官邸は音無しの構え】北朝鮮のテロ支援国家指定解除に続くダブルパンチで、またしても煮え湯を飲まされた格好だ。ブッシュ政権による政治決定は、 米韓FTA協議や狂牛病騒ぎといった火種を抱える中、韓国に大幅譲歩したものだ。それは李明博にとってミラクルな事態だが、今度は我が国が猛然と抗議する必要がある。しかし…残念ながら、福田政権は微動だにしないだろう。内閣改造で頭がいっぱいだ。この期に及んで、自国の領土問題よりも自己保身が大事…しかも、米国の再変更に怒りの声をあげる野党も存在しない。国家として体を為していないのだ。町村官房長官は再変更の報道を受け、31日午前の会見で、抗議しない方針を明らかにした。1回目の変更で韓国が沸騰していた29日の会見とほぼ同じ表現だった。

「米政府の1機関がやることに、あまり過度に反応することはない」前回は我が国に有利な表記変更だったが、今回は様相が違う。重大な領土問題。そして政府見解と真っ向対立するものだ。結局は何の外交努力もしない「冷静な対処」では、済まされない。米地名委員会は、町村官房長官が言うような「米政府の一機関」ではない。米国は竹島問題を生み出した当事者でもあるのだ。

【米軍占領期に生まれた半島問題】
米国は竹島問題について「中立的」とのスタンスを再三表明している。だが竹島問題は、江戸時代や日韓併合時に遡るものではなく、昭和27年1月の李承晩ライン設定によって発生した。サンフランシスコ講和条約の発効直前。我が国が主権を回復する前の米占領時代で、領土交渉の能力はなく、手足がもがれていた。微力な海保はあったが、海自の前身=海上警備隊が発足する前だ。そして、当時の日本海は穏やかな状況ではなかった。昭和25年6月に始まった朝鮮戦争の渦中である。激しい戦闘は26年7月で終わり、延々と休戦協議が続いていたのだが、米韓の軍事力は一体化していた。
米国は竹島問題で「中立」と言い切れる立場にはない。当時の日本海南部海域はまさに“米軍の海”だったのだ。日米韓が複雑に絡み合う中での竹島問題発生…。そこが他のエリアの島領有問題と決定的に違う点である。竹島以外にも日米韓が関係した島があった…当時、“米軍の海”を渡って我が国に不法入国するケースが続出した。朝鮮半島最南部・済州島の住民だ。一部で知られているように、在日半島人の多くが済州島人である。我が国の朝鮮半島保護スタートから済州島人の不法越境が絶えなかったが、戦後になって違法入国した事例も数多い。済州島事件が起きた昭和23年から約10年で20数万人も島民が減少した。
参照: 朝日新聞3月29日『拷問・戦争・独裁逃れ…在日女性60年ぶり済州島に帰郷へ』(魚拓)
その何割かが遥か海を越えて九州地方などに不法上陸した。単純な難民問題なのだが、海域を支配していた米占領軍は見逃し続けたようだ。当時の韓国政府も脱出状況を把握しているが、詳細は明かされていない。日韓、そして米軍が絡んだ暗部だ。我が国が一方的に不利益を被り、半世紀以上を経た今も、巨大な歪みを残す。現在に連なる我が国の半島問題の殆どは占領期に起きている。竹島問題とは、島の領有権論争に留まらず、昭和20年代の米軍占領下に起きた特異な二重占領ケースであることを忘れてはならない。それは、日米韓3国に股がる“封印された戦後史”の一断片でもあるのだ。それらに光をあてて解き明かすことが急務だ。未だに膿み続ける古傷を放置していれば、いずれ致命傷になりかねない。〆