「無差別殺人」に手を染めたのは無職や派遣社員という人たちが突出して多いのが実情だ(株式日記と経済 | 日本のお姉さん

「無差別殺人」に手を染めたのは無職や派遣社員という人たちが突出して多いのが実情だ(株式日記と経済

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▼ 「無差別殺人」に手を染めたのは無職や派遣社員という人たちが突出して多いのが実情だ(株式日記と経済展望)
◆「だれでもよかった」無差別の連鎖、秋葉原以来すでに7件 7月29日 読売新聞
公共の場で通行人や買い物客が刃物で襲われる事件が相次いでいる。東京・八王子の駅ビルでは女性店員が殺害され、神奈川県平塚市のJR平塚駅では7人が切りつけられるなど、先月8日の東京・秋葉原の無差別殺傷事件以降、少なくとも7件の事件が発生した。「だれでもよかった」「うっぷんを晴らしたかった」。容疑者たちの供述がよく似ているのも特徴だ。警察庁は当面、街頭などに多数の制服警察官を配置することで同種事件を抑止する方針だが、警察内部からは「対策には限界がある」との声もあがっている。今月15日夜、東京都青梅市のスーパーで女性店員(53)が突然、バタフライナイフで右胸などを刺されて重傷を負った。近くに住む会社員大越粒巧容疑者(22)が間もなくナイフを持って交番に出頭、銃刀法違反の現行犯で逮捕された。大越容疑者は「仕事のことで社長に文句を言われた。誰でもいいから刺して騒ぎを起こし、社長を困らせたかった」と供述。当初は近くのコンビニエンスストアで人を刺そうとしていたが、客が多かったため断念していたことも判明、26日に殺人未遂容疑などで再逮捕された。
翌16日には茨城県東海村石神外宿の河川敷で散歩中の会社員の男性(61)と長女(25)が包丁で背中や腕を刺されて重傷を負い、付近にいた同村の無職寺島喜一容疑者(32)が殺人未遂容疑で現行犯逮捕された。寺島容疑者は被害者親子とは面識がなく、「仕事がなくてムシャクシャしていた」などと供述している。

25日には甲府市内の路上で飲食店従業員の女性(35)がペティナイフで刺される事件が発生。傷害容疑などで逮捕された調理師桜林清容疑者(37)も取り調べにこう語ったという。「上司から仕事で注意され、うっぷんを晴らすために刺した。だれでもよかった」

さらに27日、北海道名寄市の名寄短大敷地内の公園で、散歩中の男性(53)が刃物で刺された事件で、無職三浦義将容疑者(20)が銃刀法違反容疑で現行犯逮捕された。三浦容疑者は調べに対し、「腹が立って人を刺した。だれでもいいから刺そうと思った」と話し、北海道警は殺人未遂容疑で調べている。

警察庁は秋葉原事件後、全国の警察に、パトロールの強化などを通達。その後も見ず知らずの人を刃物で襲う事件が続発していることを受け、24日には繁華街に制服警察官を配置する「見せるパトロール」を徹底するよう改めて指示した。ただ、逮捕覚悟の犯行には効果が薄いのが現実。7件の事件の容疑者は過去に同種の事件を起こした前歴はなく、警察庁は今後、事件の傾向を分析し、政府の犯罪対策閣僚会議で総合的な対策を検討する方針。

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(私のコメント)
秋葉原の無差別殺人事件以来立て続けに同じような傷害事件が起きていますが、今週は毎日のように起きている。しかし事件の原因を小泉内閣の規制緩和と関連付ける見方はネットなどでは盛んですが、福田総理や町村官房長官はそのような見方はしていないようだ。毎日のように連続して起きているにもかかわらず個別的な原因があると見ているのだ。人材派遣業法の改正により製造業にも人材派遣が認められるようになり、トヨタやキヤノンなどの製造工場では非正規雇用の労働者が半数にもなった。それだけ若い人の正規雇用の道が閉ざされて派遣社員として低賃金労働から抜け出せない人が沢山増えた事は確かだ。今までは人生に絶望した若い人は車の中で集団自殺したり、トイレや風呂場での硫化水素自殺したりしていた。おとなしく自殺してくれれば死人に口なしで政府は何もしないが、秋葉原で起きたような、破れかぶれになって無差別殺人するようになり政府もようやく動き始めました。だから「株式日記」でも自殺から無差別殺人へと事件は進化していって、やがては政府要人へのテロが起きるようになるかもしれないと何度も警告してきた。しかし政府の反応は鈍くナイフの規制や警官のパトロールを増やす程度のことしかしないようだ。
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◆「ナイフ抹消するわけにいかない」八王子事件で町村長官 7月23日 産経新聞

町村信孝官房長官は23日午前の記者会見で、東京都八王子市で起きた無差別殺傷事件について、「(凶器は)どこの家庭にでもあるような包丁で、これを規制するのはちょっと考えられない。世の中からナイフのたぐいを一切抹消するわけにはいかない」と述べ、無差別殺傷事件対策としての刃物規制には限界があるとの考えを示した。その上で「(人の命の大切さの教育など)地道なことをしっかりやっていかないとなかなか問題への答えは出てこない」と強調した。また「フリーターの人が事件を起こすと、やっぱりフリーターが悪いんだと、わかりやすいから理屈を付ける。世の中からフリーターがいなくなれば一切こういう事件が起きないかといえば、そういうわけにはいかない」とも述べた。
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(私のコメント)
無差別殺人事件が起きた原因が非正規雇用労働者が増えた原因だとすると政府は小泉内閣の過ちを認めたことになるので、個別的な原因で起きていると言いたいのだろう。しかしこのまま放置していれば無差別殺傷事件は、これからも起き続けることになるだけだ。安倍内閣でも小泉改革の修正は行なわれず参院選挙では「改革続行」などとやってしまったから大敗してしまった。自民党は国民世論の流れが全く見えなくなっているのだろう。しかしネットなどを見れば世論の流れは大体掴める筈ですが、自民党などにとって見ればマスコミやネットは利用するものであり、世論は広告代理店に任せればどうにでも動かせると見ているようだ。小泉内閣では成功したからだ。小泉内閣は終始高い支持率を維持しましたが、発足当初の90%もの高い支持率は異常だった。小泉総理自身のキャラクターによるものでしょうが、「株式日記」では小泉内閣の経済政策に終始反対し続けてきた。構造改革すれば景気は良くなるというが、景気が良くなったのは大企業のみだった。その歪みが今出てきているのだ。冷血漢の小泉首相は「75歳以上は早く死んでくれ法案」を強行採決で可決して、人材派遣法も大企業に有利に改正されて格差社会を形成してしまった。老人や負け組の若い人は早く自殺してくれたほうがいいとでも思っているのだろう。だからテロに走って無差別殺人を犯す加藤のような若者が出てくるのは必然だ。
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◆新自由主義構造改革とのたたかい① 2006年2月 大門みきし

日本で政府の政策はどう進められているかというと、今は全く様変わりしていて、経団連がいろいろな意見書・提言を小泉内閣に出します、医療の構造改革をやれとか、人材派遣を自由にしろとか、規制改革の要望をつぎつぎに出します。問題は、二つのとんでもない会議が小泉内閣の下で出来ました。一つは「経済財政諮問会議」、もう一つは「規制改革民間開放推進会議」です。「経済財政諮問会議」の中には、民間委員といって4人の学者・研究者と財界代表が入っています。これはただの諮問委員会議ではありません、小泉さんが引き取って「やりましょう」となります。直接その会議で決められたことがすぐ閣議決定をされて、法改正とか予算案に入り込む、ダイレクトに財界の要求が入る仕組みになっています。「規制改革民間開放推進会議」の方も同じで、これには規制改革で儲かる民間の代表が入っています。それが直接閣議決定になる。他の省庁とか自民党の派閥とか族議員か何もものを言えない世界、異常な財界いいなりの政策決定の仕組みが小泉内閣によって作られているということです。アメリカはアメリカで直接、内閣の政策に関与するようになっています。

今の国会がどうなっているかというと、総選挙の後、国会も様変わりいたしました。自民党は「構造改革政党」に純粋化いたしました。したがって構造改革がものすごいスピードで押し寄せているということです。自民党の中には抵抗勢力といわれる人たちがいましたが、私がおります参議院がその牙城だったのですが、そういう人たちが現場に戻って、この4年2ヶ月構造改革で徹底的に痛めつけられてきましたから、地元の声を受けて、やっぱりこの構造改革「ちょっとやり過ぎだ」あるいは「いい加減にしろ」と思ってきたわけです。切れちゃったのがあの郵政民営化です。そこまでやるのか、特に地方出身の議員が怒ったわけです。何も問題が起こっていないものを、財界アメリカの意図ということで解体してしまうのかというところで切れてしまったわけで、参議院でそういう人たちの造反があって否決されたわけです。
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(私のコメント)
小泉首相の狂気が最高潮に達したのが9.11総選挙ですが、まさに日本全体が小泉チルドレン化して、自民党は300議席もの大勝利をおさめた。ネットにも小泉信者のブログが多数出現しましたが、今では多くが休眠ブログになっている。自民党もいまさら小泉改革を否定するわけにも行かず、歪みが表面化しても動きが鈍いのは仕方のないことなのだろう。

何度も言いますが、私はテロを肯定はしない。しかし絶対的な弱者を徹底的に追い詰めてしまえば窮鼠猫をかむでテロに走る者が出てきてしまったのだ。イラクでは女性の自爆テロが頻発していますが、夫や子供がアメリカ軍に殺されてしまえば、自暴自棄になった女性の自爆テロリストが出てくる。アメリカのやり方を真似ていれば日本もアメリカのようにテロの脅威に怯えて生活するようになってしまうだろう。
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なんだか、左翼の人のコラムみたいですね (船橋)

2008-07-30 17:10:08

私は原因が派遣法にあるとはどうしても思えない。社会への反抗の形ってのは時代が変われば形は変わるけど、でも一定数必ずある。
さかのぼれば学生運動だってそうだったし、
われわれが中学生の頃は校舎の窓ガラスを割ることがそうだった。その後、校内暴力、家庭内暴力、ひきこもり、と形をかえて、ぐるり一回り回ってまたストリートに戻ってきただけのことだと思う。百歩譲って、派遣法のせいだとしても、街の人々を傷つけるのは意気地なしの卑怯者であるから、それを擁護しては絶対にいけない。文句があれば上司に言えばいいし、それでもだめなら政治活動をすればいい。最悪、自分が政治家になればいい。もう「お上が悪いからたまらんねー」で済んでる時代は終わってて、もし世の中が悪いとしたら、それは投票を間違った自分の責任だったり、投票する人がいないというなら、立候補をしていない自分の責任だと思う。いま事件を起こしてるようなやつはほんとにだめなやつなんだから、そういうのを法律で保護して正社員にし、一生雇用を保証したら、その同僚になった人たちはたまったもんじゃないですよ。


株式日記(TORA)批判! / 2008-07-30 21:54:10 (TORAの意見は浅はかである!派遣そのものに問題無し!)

2008-07-30 22:08:59

本当に、株式日記と経済展望のTORAはモウロクしているとしか思えないですね。 なにがなんでも旧守派気取って構造改革を推し進めた小泉内閣や市場の規制緩和および終身雇用制の崩壊による派遣制度の導入へと非難の矛先を向ける。経済政策で問題があったことは、マクロ経済面である金融政策と財政政策における落ち度であり、小泉純一郎元総理よりも竹中財務大臣に非難を向けるべきであります。小泉内閣の構造改革がすべて間違っているわけではありません。 むしろ、終身雇用制度を崩壊させて派遣社員制度を導入することは、雇用側にも労働者側にも非常に多大なメリットをもたらします。 詳しくは派遣(ハケン)が悪いのではない! 悪いのは日本社会である! 商業経済Biz-Econ / 2008-06-16 09:11:25を閲読くださいませ!
http://blog.goo.ne.jp/ablgoo347/e/68ad3a698908f00862392391390ce7c5

何度も言いますが、日本の市場移行やハケンの責任ではないのです。 上記に記してある社会混乱は、市場経済の責任ではなく、もっと日本社会の根底に根付いた陰湿な社会的歪でしょう。 一応参考に社会学者の宮台真司・首都文学東京教授の文献を以下引用いたします。『MIYADAI.com Blog』引用:映画『国道20号線』について長い文章を書きました。
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■『国道20号線』には古き良き時代がある。まだ地元の不良少年たちがつるむことができた時代。それも地域のヤクザな大人たちにケツ持ちしてもらえた時代。だから、映画が酷薄な現実を描いていながらも、私には、「パラダイス感」や「居場所感」が感じられるのである。
■『自動車絶望工場―ある季節工の日記』(74年)の著者で、昨今はワーキングプアを積極的に取材する鎌田慧氏と話す機会があった。私は「絶望工場の季節工と、現在のワーキングプア、どちらがキツイか」と尋ねた。物理的にはかつてだが、精神的には現在だと氏は答えた。
■かつての季節工や出稼ぎは、昨今のワーキングプアよりも身体的にはキツイ仕事をしていた。だが彼らには帰る場所があり、仕送りする場所があり、そこで働くことに一定の意味が付随した。昨今では、帰る場所も仕送りする場所もなく、意味の空白に見舞われている、と。
■この意味の空白は、「自分たちがそこから来た場所」が消えてしまったことに由来する。それが消えたのは、地域共同体の空洞化のせいである。こうした彼らは、苦難に耐えた後に帰る場所、あるいはどうにも苦難に耐えきれなくなって逃げ帰る場所をも、失ってしまった。
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■思えば、私が80年代後半に話を聞いた地方都市や地方郊外の「壊れた子」たちは、あれから二十年経った現在、三十歳代の後半から四十歳前後になっている。子供がいれば中高生だろう。あの頃の「壊れた子」たちを今から思い出すと、共通の特徴があったことに気づく。
■それを一口でいえば「本当はマトモだったからこそ、壊れてしまった」という感じである。だから、涙ながらに不幸や悩みを吐露した。取材方法も、当たり障りのない話から入り、今までで一番楽しかったこと、一番苦しかったことを聞いていく、という段取りが有効だった。
■一見するとスレッカラシの「壊れた子」たちは、「期待水準」が低くても(現実に期待していなくても)、「願望水準」が高かった(心の底には自分としての自分の望みがあった)。だから彼らは、こちらのやり方次第では、堰を切ったように話し出し、止まらなかった。
■彼ら彼女らの子供にあたる、昨今の「壊れた子」たちは、もっと「壊れて」しまったように感じる。現実に対する「期待水準」のみならず、心の奥底に潜むはずの「願望水準」まで下がってしまったように感じる。現に全く喋ってくれない。私はフィールドワークをやめた。
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* 一部割愛 *

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■先日、私がサブカルチャー史の授業を担当する学生たちに、授業の中で『理由なき暴行』のDVDを見せた。カネもなく女もいない予備校生と大学生と旋盤工の三人組。昨今のワーキングプアと似た境遇が描かれている。そこで彼らに問うた。「今と、どこが違うか」と。
■むろん学生たちには瞭然だった。かつての惨めな若者たちは、にもかかわらず、否、だからこそ、たむろできた。だからこそ、どこまでも酷薄な現実が描かれているにもかかわらず、映画はどこかしら甘美な青春映画の匂いを――「パラダイス」感を、漂わせていたのである。
■この「パラダイス」感は、私がフィードワークを始めた二十二年前にはまだはっきり触知でき、フィールドワークをやめた十年前に消えたものだ。もう忘れていた「あの頃」の風景が、『国道20号線』のスクリーンに不意に映し出され、私は取り乱してしまったのである。
■そこには映画が描く世界があるのではなかった。映画に描かれた〈世界〉がとりもなおさず自分の〈世界〉だ――そう感じる体験があった。或いは、普段は忘却したままの自分が生きる〈世界〉のことを、映画が告げ知らせてくれる。辛ければ辛いほど、それは福音である。
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(小生のコメント)
やはり、社会行動論の視点からみれば社会構造のみを糾弾することに矛盾を感じ、より個人の意識レベルの変化に迫っています。 ミクロ経済における市場経済の変化への批判は、時代の流れとして受け止め、そして社会に影響を及ぼす個人の意識こそが若者を狂気の沙汰に陥れると見ることの方が合理的会見といえるでしょう。 むろん、時代が変化する過渡期に社会問題が彷彿することはやむをえないのかもしれない。 しかし、ここまで尋常沙汰になるほどの狂気が渦巻いているのであれば、原因の根本は昔から序所に進行していた社会腐食であり、構造そのものの変化はあまり重要な原因ではないと見るのが合理的です。ハケンの若者だってそれなりに信念をもって苦労すれば、それなりに彼等の努力も報われ、同僚や社会においての友好関係が築かれ、やがて新たなるスキルを得る機会も得られることでしょう。 問題は、元来日本に横たわる悪しき性格である、日本人の陰湿性による排他的な共同体、そして白気世代から現代の若年層に至る社交性やパブリックマナーの質の低下などがハケンの若者に対する偏見や差別を煽り立てているわけです。 そして、ハケンの若者本人も、そういう差別や偏見に立ち向かうだけの不屈な精神に将来への夢、そして彼等を見守る親戚や恩師がいれば十分に戦っていけるはず。 これは、社会構造よりも、そういう陰湿な大衆の心理、そして個人の意識改革が重要な鍵となることは、株式日記と経済展望のTORAなどの旧守派にはわからないのであろう…。
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