対馬まで侵略の魔の手をのばす韓国 (外交と安全保障をクロフネが・・) | 日本のお姉さん

対馬まで侵略の魔の手をのばす韓国 (外交と安全保障をクロフネが・・)

ようちゃん、おすすめ記事。↓

▼対馬まで侵略の魔の手をのばす韓国 (外交と安全保障をクロフネが・・)
狂牛病で国が二つに割れていた韓国が竹島問題をネタにして、まんまと国民の統一に成功している。それを象徴するような、しかも信じられないようなことが起こっている。韓国の与野党国会議員50人が共同で”対馬返還要求決議案”を発議し、「対馬も韓国領土であり日本は返還するように」と主張し出した。

参考記事 ●対馬も韓国領?話題呼ぶ「返還要求決議案」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080727-00000930-san-int
【ソウル=黒田勝弘】韓国では日本の中学社会科学習指導要領の解説書に竹島(韓国名・独島)をめぐる日韓の領有権対立を記述したことが「ケシカラン」として“独島反日”が続いているが、その中で与野党国会議員50人による「日本の対馬も韓国の領土だ」とする「対馬返還要求決議案」が発議され、話題になっている。対馬(長崎県対馬市、人口約5万人)は九州の北にある島で韓国南端の釜山から約50キロと近く、朝鮮半島とは昔から関係が深い。「対馬も韓国のモノ」というのは、竹島問題にかかわる日本に対する嫌がらせ的な対日報復心理として近年、ユーモア的によくいわれる。先年、地方の馬山市議会が島根県議会の「竹島の日」条例に対する“報復”として「対馬の日」を制定したことがあり、今回も「独島死守」を叫ぶ韓国人団体が対馬に出かけ、対馬市庁前で「対馬も韓国領土」と書かれた横断幕を掲げデモする様子がマスコミに大きく紹介されている。しかし多数の国会議員が大まじめで国会決議案を発議するなどというのは初めて。正式上程は不明だが、ただ韓国内でも「正当な独島領有権主張までいいかげんに思われる」と批判の声は聞かれる。決議案によると、李朝時代の韓国の文献にそう出ているとか、対馬の住民の遺伝子が韓国人と一致するとか、李承晩・初代大統領が「対馬は昔からわが国に朝貢していたわが国の領土だ」と述べたことがあるとか、1949年の第1回国会に「対馬返還建議案」が提出されたことがある、などとしている。

国際的にはまったくナンセンスな話だが、日韓対立となると韓国世論には竹島・独島問題のように自己中心的な一方的情報しか与えられない。すでに対馬観光の韓国人たちは「対馬は韓国領」と公然と言っているとの話も伝わっている。韓国では誰でも知っている大衆歌謡「独島はわれらの地」の作者は最近、マスコミとのインタビューで、歌詞にある「対馬は日本の地」という部分を「対馬もわれわれの地」とあらためるべきかもしれないと語っている。今後、韓国社会では「対馬も韓国領」というあらたな“思い込み”が広がりそうだ。今回の韓国の“独島反日運動”は2週間になるが、これまで日本大使館前での抗議デモは延べ約4500人、投げられた卵は約230個。まとまったものでは米国産牛肉反対デモの流れの約1700人が最大で、あとは反日・民族団体など小規模のもので大きな混乱は起きていない。反米や北朝鮮問題と違って、反日ではいつものように全マスコミ世論が一致するため、韓国社会は政府ともども久しぶりに「国論の統一」を楽しんでいる。「反日デモなど一応ヤマは越した」(治安当局筋)というが、政治・外交的には振り上げたコブシの下ろしどころがまだ課題として残っている。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この愚行の下地になったのが、韓国与党・ハンナラ党の許泰烈最高委員による妄言である。その”根拠”とは「ある遺伝子が対馬住民のほぼ100%韓国人と同じ」「朝鮮王朝初期まで対馬島主を韓国政府が任命していた」であるそうだ。
ーーーーーーーーーーー
参考記事 ●「対馬も韓国領」ハンナラ党で強硬発言が続出
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080716-00000041-yonh-kr
【ソウル16日聯合】ハンナラ党が、日本の中学校新学習指導要領解説書への独島領有権明記を一斉に糾弾しながら、さらに姿勢を硬化させている。指導部内では対馬も韓国領だとする主張まで出ている。許泰烈(ホ・テヨル)最高委員は16日、汝矣島の党本部で開かれた最高委員会議で、常に独島は韓国領だと主張しながら同じ対応をしているのは残念だとし「対馬も韓国領だと対応していくことが歴史の流れから見て意味のあることだ」と主張した。許最高委員は、対馬を韓国領とする歴史的資料は多いとし、李承晩(イ・スンマン)元大統領も対馬が韓国領だと主張したと述べた。また、B型肝炎遺伝子から抽出されるタンパク質が、対馬住民のほぼ100%が韓国人と同じだと説明したほか、朝鮮王朝初期まで対馬島主を韓国政府が任命していたことなどを指摘した。一方、李明博(イ・ミョンバク)大統領が北海道洞爺湖サミット会場のホテルで、福田康夫首相から日本の独島問題明記を通知され、「今は困る。待ってほしい」と求めたとする日本・読売新聞の報道と関連し、鄭夢準(チョン・モンジュン)最高委員は、「日本メディアは国益のために政府と歩調を合わせるだけでなく、談合までしているのではとの印象も受ける」と述べた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
日韓双方が参加するネット掲示板でも「対馬は韓国のもの」と妄想を垂れ流す韓国人は前からいた。だが、国会議員による正式な決議となると話は違う。福田政権はすみやかに李明博に、韓国政府としての真意を照会しなければならない。そこで「対馬は日本領土である」という公式回答と韓国政府スポークスマンによる韓国マスコミへの公式発表が得られないなら、駐韓大使の無期限召還を含む制裁措置を講じなければならない。「『対馬は日本のもの』と回答するが、それは秘密にしておいてくれ」と韓国政府がいつものように甘ったれた要請をしてくるかもしれないが、これまたいつものごとく日本側が情に流されてそんなことを受け入れたら、福田首相は子孫に新たな国境紛争の火種を押しつけることになる。

火種がまだ小さいうちに根こそぎ消火しておく必要がある。李明博政権が「対馬は日本領であるのは疑い無い」と国民の前で発表して倒れるなら、倒れるが良い。日本の”識者”のなかには、「ノムヒョンとバックにいる韓国の左翼勢力はクレージーとしかいいようがないが、ハンナラ党のような保守勢力はマトモなのだから日本は協力すべきだ」などと言う人がいたし、ある外務省幹部も「ノムヒョン政権が倒れて李明博が大統領になった。これでようやくまともな外交ができる」と言ったそうだが、いつになったら日本人は韓国人というものを理解するようになるのかとタメ息が出てくる。

「対馬は韓国のもの」と言い出した連中は、その韓国の保守勢力なのである。日本人が少なくとも外交分野において、義理と人情という極めてアジア的でウエットな感情をきれいさっぱり捨て去って、冷徹に対処できていれば、特定アジアとの外交問題なんてとっくの昔に片付いている。いつまで同じところを堂々めぐりするつもりだろうか。私はもう飽きた。さて、竹島はもちろん対馬も日本の領土であるのは言うまでも無いが、ここで対馬の歴史をさらっとおさらいしておきたい。多くの日本人は、自分たちの国土とその歴史への関心が低いからである。韓国では、古代からの人とモノの流れは朝鮮半島→日本しかないことになっているがそんなことは無い。縄文時代からすでに倭人(当時の日本列島人)は、九州から朝鮮半島南部に渡っていた。対馬も含めた九州北部と半島南部は、佐賀県腰岳から産出する黒曜石を使った、一つの石器文化圏だったのである。半島南部からも縄文土器が多数出土しているが、韓国ではほとんど知られていない。

日本列島と半島を行き来する縄文人にとって、対馬は重要な中継地点だった。西ではキリストが生まれたころ、つまり弥生時代中~後期になると、日本列島と半島南部にいくつもの小規模なクニができていた。対馬もそうした小さいクニのひとつであり、中国の正史である三国志・魏志東夷伝・倭人条に対馬国の記述が見える。
「始度一海千余里 至対馬国 其大官曰卑狗 副曰卑奴母離。所居絶島 方可四百余里。土地山険 多深林 道路如禽鹿径。有千余戸。無良田 食海物自活 乗船南北市糴。」

それによると、対馬の大官を卑狗(ヒコ)といい、副官は卑奴母離(ヒナモリ)といったという。当時の対馬で話されていた言葉の音に中国人がムリヤリ漢字を当てはめた(それも対馬人を見下して悪い意味の漢字を当てはめた)ものだろうが、ヒコと読むならミマキイリヒコ(崇神天皇の和風諡号)にも見られる”彦”で、立派な大人という意味であろうし、ヒナモリは鄙守、集落の守護職・長(おさ)という意味であろう。また、魏志・韓伝ではなく倭人伝に対馬の記述があることから、第三者である中国人も対馬を倭人が住む地域と認識していたことがわかる。

同じく三国志・魏志東夷伝・弁辰(半島東南部)条に、弁辰地域から鉄が産出し、そこで韓人・ワイ人・倭人が鉄を取っていたという記述があるように、当時の朝鮮半島南部は日本列島に住んでいた人たちにとり重要な、鉄の利権がからむ地域であり、倭人が半島南部に多く渡っていた。当時の鉄は貴重で、インゴットにして貨幣の代わりにもなった。半島南部地域では、倭人の習俗が韓人に影響を与え、刺青を彫る韓人が多かったという記述が、三国志など中国のいくつかの正史に見える。

3世紀から4世紀になり、日本や朝鮮半島である程度まとまった広さを持つ古代国家形成の動きが出てくる。大和朝廷によって日本が一応統一されたのもそのころであるが、十数個のクニに分かれていた半島東部(辰韓)を騎馬民族が征服、新羅がたてられると、倭人が持つ半島の鉄鉱山利権が脅かされたのであろう、倭国と新羅との関係がきわめて険悪なものとなる。高麗時代に編纂された正史である三国史記・新羅本記には、倭国と新羅の間の熾烈な戦いが記録されている。(韓国ではその内容がほとんど知られていない。漢字が読めないからだろうが)そこには倭国の兵が新羅に上陸し、その王都・金城(現在の慶州)を何度も包囲攻撃したという記録が残っており、新羅がかなり劣勢だったことがわかる。

例えば新羅・脱解王17年条には、倭国の軍隊が木出島(ウルサン沖の回島か)を占領したとあるし、祇摩王11年条には、倭国が攻めてくるという噂だけで王都がパニックになり、新羅人が先を争って野山に隠れたという記述がある。于老という新羅の貴族が倭国の外交使節に向かって、倭の大王(天皇)を新羅王の奴隷にしてやるなどと、ぜんぜん笑えないジョークを飛ばしたため外交問題に発展、両国が戦争になったこともあったという。(今も昔も変わらない)沾解王3年条に、倭国軍によって于老が殺害されたとの記述があるが、これは有名な話だったらしく、日本書紀の神功皇后元年条にも于老の外交的非礼の話が出てくる。

そしてここでも対馬の記述がある。
実聖王7年(西暦408年)条に、新羅側は倭国軍の半島攻撃拠点が対馬にあるのを知ったとある。だが新羅はもともと劣勢なうえに、騎馬民族出身だけに水上戦が不得意でどうすることもできなかった。新羅・儒礼王が、先手を打って倭国を何とか攻められないものかと下問したのだが、舒弗邯(新羅宮廷官位の第一位)の弘権が、我が軍は水上戦に不慣れで倭攻略は無理でございますと諫言したという記述がある。以上、対馬が古来から日本固有の領土であったことは疑い無く、一度だって半島の支配下に入ったことさえない。

韓国の国会議員が「朝鮮王朝初期まで対馬島主を韓国政府が任命していた」と言っている。おそらく嘉吉条約のことを言っているのであろうが、元寇つまりモンゴルと朝鮮半島の連合軍による日本侵略によって、対馬を含む九州北部は大変な損害をこうむった。勝ちいくさだったとは言え、モンゴルや半島の兵と戦った武士に褒美となる新領地は与えられなかったし、戦費は武士の自腹だった。困窮した武士たちは朝鮮半島や中国での海賊行為に手を染めていくことになるがそれが倭寇である。そして対馬や松浦・五島列島は倭寇の根拠地となった。

”北虜南倭”と言われるように、中国や朝鮮半島の王朝を衰退させる原因のひとつとなった倭寇。嘉吉条約には、倭寇の軍事力にさんざん苦しめられた朝鮮が、米の全く取れない対馬に食糧米を与え朝鮮との独占貿易権を認めて収入源を増やせば、倭寇をなくすことができるだろうという、朝鮮側の利益確保の意味あいがあった。元寇の賠償という考え方もできるだろう。

ただ、倭寇に屈して米を与えたと認めるのは朝鮮王朝のメンツにかかわるので、対馬の実力者・宗氏に朝鮮から官位を与えてそれを名目に「米を下賜」し、「朝貢貿易を許可した」のである。東アジアにおける朝貢貿易とは、朝貢する方(対馬)よりも朝貢される方(朝鮮)が「徳の大きさ」を見せるために気前良くふるまわなければならない。よって朝貢貿易で儲かるのは対馬である。どちらが実際の立場が上かは明白であろう。同じようなことが中国の歴史でも起こっている。セン淵の盟がそれである。軍事力の弱い宋は、軍事力に勝る騎馬民族がたてた北方の国・遼の脅威を受けていた。そこで宋と遼の間にセン淵の盟が結ばれ、国境線を現状維持とするかわりに宋が遼に対し、毎年絹20万疋・銀10万両を歳幣として贈与することが約束された。宋は遼に宝物を貢いで平和を買ったわけだが、実質的な上下関係とは正反対に、名目上は宋が兄、遼が弟とされた。対馬と朝鮮王朝の関係と全く同じである。

朝貢された方のものというなら、朝貢どころか王子を人質として倭国に送って臣下の礼をとった新羅・百済も日本固有の領土である。実際、人材不毛の地・朝鮮半島なんて、土下座されたっていらないが。竹島と付属の領海・経済水域だけ返せ。「対馬住民と韓国人の遺伝子が同じだから」に至ってはワケがわからない。それが正しいのならば「遺伝子が同じだから韓国は対馬のもの」と主張することだってできる。「韓国系アメリカ移民の遺伝子が同じだから、韓国はアメリカのもの」でも通用することになる。近世までの朝鮮半島の古文書はほとんど漢字で書かれているが、現代韓国人は自分の名前ぐらいしか漢字が読めない。

日本で言えば、日本人が明治時代より前の古文書をまったく読めないのと一緒で、韓国人の歴史的知識なんて空想歴史小説も同然でまったくお話にならない。韓国側は、前述した三国史記に記述されている于山国こそ竹島(独島)のことと言っているが、とんだ自爆である。三国史記はすべて漢字で書かれているが、于山国またの名を鬱陵というとハッキリ書かれているのである。
三国史記・新羅本記
「智證麻于十三年夏六月条于山国征服、歳以土宜為貢、于山国、在溟州東海島、或名鬱陵島

う~ん、壮絶な自爆。福田政権は、後世に禍根を残さないよう、これ以上の外交的失態は許されない。竹島はもちろん対馬も日本固有の領土であると李明博政権に明言させるべきである。内閣改造をするなら高村外相・藪中次官を更迭し、もっと日本の国益のことを考えて、しっかりと自己主張できる人物を外交の第一線にすえなくてはいけない。韓国が対馬侵略の意思をあらわにしたのも、
福田政権が学習指導要領に「竹島は日本固有の領土」と明記せず、韓国にいらぬ配慮をしたせいである。こちらが竹島で一歩引いたから、相手が対馬で一歩踏み出してきたのだ。