☆☆甦れ美しい日本☆☆ | 日本のお姉さん

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◎塚本三郎の「今を斬る」 南京三十万人虐殺は嘘  
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日本で出版されている超一流の出版社でさえ、次の如き記事が堂々と書かれ、日本人はそれを信じ込まされて、今日に至っている。
共産主義の諜報活動が、如何に鋭く、徹底していたかを思い知らされる。日本人は、まず相手を責めるよりも、日本人自らが、戦後引き続き侵されて来た、見事な日本悪者論の「歪められた歴史」を正すことから始めなければならない。

日本軍、南京を占領、大虐殺二ケ月に及ぶ
一九三七年十二月三日、三日前から首都南京に総攻撃を開始していた日本軍は、この日、ついに南京を占領した。八月末に上陸した中支派遣軍と、その援軍として十一月に杭州湾に上陸した第一〇軍は、退却する中国軍を追撃し、作戦区域の制限線を突破して前進を重ねた。当初南京攻撃を考えていなかった軍中央も、現地軍からの南京攻略を求める意見に追随し、十二月一日大本営はついに南京攻略作戦を命令した。日本軍は、十日に総攻撃を命令した。日本軍は十日に総攻撃を開始し、この日南京を占領した。

この南京攻略から占領にあたって日本軍が引きおこしたのが、南京事件と呼ばれる中国人大量虐殺事件である。上海攻略の過程で予想を上回る中国軍の抵抗を受けた日本軍は、中国人に対する敵愾心を深めていた。南京攻略にいたる過程でそれが一気に爆発。一般住民、捕虜の虐殺、婦女暴行、放火、略奪など残虐行為のかぎりを尽くした。

この南京城内には、難民区に非難した二十五万人以上の住民と、日本軍に追われた敗走兵や難民が流れ込んでおり、南京城外にも二十万人前後の住民が避難していた。日本軍は、南京城内外、揚子江岸などで残兵掃討を名目に、翌年二月まで二カ月にわたって捕虜、一般住民の虐殺を続け、犠牲者は、十万~二十万人以上にのぼるといわれる。また、老女から少女までも対象とした婦女暴行は二万件に及ぶという。日本軍によって虐殺された無数の南京市民の死体が、路上や川に放置されていた。
         『日本全史』(一九九一年) 株式会社講談社

中国国民党が戦争写真という媒体を非常に巧妙に宣伝に使っているが、日本軍の暴虐行為という「虚構の宣伝」の道具は、早くから検証されている南京事件の写真だと称するものは、九十九%が偽造写真である。
東中野氏の、日本南京学会の研究の綿密な検証の結果である。
日本軍が攻撃を開始した時は、三十万人の南京市民のうち主だった指揮者は逃げて、二十万余でしかいなかった。南京を放棄する指示を出した蒋介石に対して、南京を死守すると宣言したのは唐生智司令官である。その結果、蒋介石は、南京防衛を司令官・唐生智に任せた。日本軍の攻撃を前にして、部下に何等指示することなく唐生智司令官は、いち早く逃亡してしまった。

司令官を失った国民党兵士は、大混乱となり、軍服を脱ぎ、市民から衣服を剥奪して市民になりすまして逃亡した。これを「便衣兵」と呼ぶ。
唐生智が共産主義者であったことは戦後判明した。便衣兵はもともと兵であるから、国際法上はテロリストと扱うべきである。その逃亡兵の大半は、市民から物資を略奪して逃亡し、脱ぎ捨てた軍服が路上に山と積まれていた。その混乱の中で相当の死者が出たことは想像できる。また揚子江に逃げて、溺死者が多数でたことは報道されている。それを日本軍の虐殺と宣伝する者は、当時は中共軍も、蒋介石軍も誰も居なかったし、東京裁判でも中国側は虐殺と提議していない。南京市民は、支!)軍が逃亡し、日本兵が進軍して来て治安が回復し、数日後には商店が開かれ、半年後には三十万人を超える市民となったと伝えられている。

毛沢東政権の確立による、中国人民の虐殺の犠牲は、文化大革命を中心に二千万人とも三千万人とも言われているが、真実は判らない。
自らの虐殺を帳消しにすべく、中国共産党は、政権確立後、日本軍の南京大虐殺の嘘を大々的に取り上げられるようになった。戦争直後には殆ど聞かなかったことである。

その後中国国内のみならず、米国においてさえ、南京虐殺が日を追って流布されている。アメリカが行なった広島、長崎の原爆投下の非人道的行為を、帳消しにしたいという思惑さえ感じられる。残念なことはその実体さえ、アメリカは何一つ検証していない。中国兵の逃亡の際の混乱に乗じての暴行、略奪は、ひとり共産主義者の独断行為に止まらない。蒋介石国民党軍が、毛沢東共産軍に追われて台湾に逃亡したとき、台湾での暴虐事件(二・八事件)は、今日なお、台湾の人達には忘れ得ぬ悪夢である。台湾の人達が恒に「本省人」「外省人」と意識的に区別するのも、大陸人の性質による戦の深い傷跡というべきであろう。

中国人指導者の特有の能力は、宣伝力の効果の大きさを活用することである。実体以上に大袈裟に虚実とりまぜて宣伝して、実体を誇張して宣伝する能力を持っている。とりわけ共産主義は、全世界に向って、相手方に潜入して、スパイ作戦を巧妙に、内部から崩壊せしめる作戦である。

前述の如く、日本の超一流の出版社でさえ、中国軍の行動と日本軍の作戦をスリ替えた諜報謀略に乗せられて報道し、何一つ検証していない。
戦後の日本のマスコミが、如何に毒されているか。それを信じて来た日本人が如何に事実を曲解して来たことか。真実はやがて露呈される。しかし、時間がかかる。六十年を経て情報公開によって知る相手国、即ちロシアやアメリカから「実はと言って真実が公開されて来た」。

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2.松永太郎  
「地球にやさしい」とは何か
    文芸春秋八月号:櫻井・松井対談「環境サミット、日本敗れたり」を読んで
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 戦後日本社会の、あらゆるとことで見られる特徴の一つは「偽善」である。「人の生命は地球より重い」とか「子供にも人権はある」とかいろいろある。そうした偽善が、社会的・政治的な建前となり、やがては法律化されて、逆に日本人に対して抑圧的に働くようになっている。偽善を建前とする全体主義社会に移行しようとしているのだ。今流行の「エコ」とか「地球に優しい」とかいう標語も、その見本みたいなものだ。「私たち一人一人ができることからはじめましょう」などという言葉をきくと、ぞっとする。
 この対談を読んで、非常に賛同したが、特に東京大学教授の松井孝典氏の言われていることは、まったくそのとおりとしか言いようがない。
 櫻井よしこ氏は、今度の洞爺湖サミットに先立って発表された「福田ヴィジョン」をさして「日本外交の敗北」と言っている。いわゆる「排出権取引制度」、すなわち日本企業から金を巻き上げて、中国その他の国の企業にわたそうというシステムを導入したからである。まったく日本に不利な制度を自分のほうから導入しようというのであるから、櫻井氏の言われるとおり「外交的敗北」であろう。
なぜ、こんな変な制度ができたのか、それは「地球温暖化は、事実であり、その原因はCO2の排出にあるので、それを制限しなければいけない」という、前提はただの仮説、結論はどこの国も信じていない建前を振りかざして「環境サミット」にしたからである。それでいて、サミットの外務官僚は「排出権取引」という言葉すら、知らなかった、というのである!(櫻井さんによる)。
これは外交以前の問題で、もし、この官僚がジョークを言っているのでなければ、なにか深刻な知性の低下が外務省に起こっているのではないか、とすら疑わせるものがある。
松井氏の言われるとおり「地球にやさしい」とか「地球愛」とか言う情緒的な言葉は、何の意味も持たない。今の問題は、地球生態系の変化によって、人間社会が存続できるかどうかにかかわっている、ということである。
この変化が続いて人間が滅びても、地球自体は存続する。「現在の人間は、一年間で本来、地球が十万年かけて循環させる量の物質を移動させている」(松井氏)ために「地球システムの中で人間社会に対する負のフィードバックが働いている」のである。要するに環境問題というのは、「地球にやさしく」などというような、なまやさしいレベルの話ではなく、人間社会が存続できるか、生存できるかどうか、という問題なのである。地球システムが変化すれば、人間など、地球の肩から、蚤のように振り落とされるだろう。地球が人間を滅ぼしにかかっているのであって、その逆ではない。なにが「地球にやさしい」のだろうか。
もし「環境サミット」に本気にしたいのであったら、それこそ、このようなグローバルで、根底的な話に持っていかなければ、外交力をまったく持たない日本政府は、常に、このような問題では、「排出権取引」のように、自国に不利な「取引」を強いられるだろう。これも問題は、戦後日本の偽善的な建前で、「国益を主張するのはいけないことだ」という朝日新聞のような標語に外務省が洗脳されていて、ぜんぜん、日本のことなど考えていないことだ。その証拠には、誘拐された国民を一人も取り返せない。自分たちの領土を自分たちの領土と教科書にすらかけない。どちらさまも、もう偽善はやめたほうがよいのではないか。

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3.松永太郎  
本の紹介 「東京裁判の教訓」 保坂正康   朝日新書
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 この本は「東京裁判に否定的な見解(を持つ論者)」を攻撃する主旨で書かれたものと思われる。政治家や言論界だけでなく、私のような一般大衆にいたるまで「東京裁判に否定的な見解」を抱く人は、多くなってきているからである。
 「東京裁判否定論」に対して、戦時中は軍部、戦争直後はGHQと、それが主導する東京裁判を鐘と太鼓ではやしたてた朝日や毎日系列のマス・メディアや、それと肝胆相照らすサヨク・アカデミズムの戦略は、東京裁判の正当性を真正面から主張する、ということではなく 1.「戦後日本は、東京裁判の判決を受け入れることから出発した」(だから文句言うな!)、2.今の保守派といわれる人の中にも、東京裁判の意義を認めている人もいる、というものである。
この2の流れに乗ろうとしたのが、中島岳志・北海道大学准教授である。かれは「パール判決書は日本を無罪にしたわけではない」という主旨らしい本を出した。「保守派」という言葉もあいまいだが、中島准教授は、自分で保守派と言っているそうである。薄らサヨクが保守派を名乗るご時勢なのである。
 この本も、その2の流れの中にある。急いで出した跡が歴然である(論旨不明瞭、文章めちゃくちゃ)。
保坂氏は、もう売り出す必要はない「歴史家」だろうが、なぜか言うことがいつも奇妙に「朝日的」である。この本も「朝日新書」であり、東京裁判を鐘と太鼓ではやした当時の「朝日新聞」がしばしば引用されている。
後でも触れるが、読むに耐えない醜悪な、そうした記事の一つ(自分たち新聞の責任をほっかぶりにして日本人を罪人にしようという<一億総懺悔!))を、保坂氏は、「当時としてきわめて重要な指摘」と持ち上げている(p239)。もって、この本の程度が知れる。そもそも文意の取れない文章が、多すぎる本である。なぜ、そうなったのか。
保坂氏は、それをもって「A級戦犯」として訴追され、あげく絞首刑にまでされた罪状の最大のものである「共同謀議」は「なりたたない」としているのである(p19)。さらに「東京裁判は、勝者の復讐裁判であった」としている。「この国にあっては、東京裁判は勝者の復讐裁判であったにしろ、多くの史実を明らかにしている」(p201)という、意味のとりにくい文章に、それが表れている。そのあとに「戦勝国が敗戦国に報復という形でその罪を問うているのだということが明らかになった」(p202)ともある。
つまり保坂氏は、「東京裁判に否定的な見解」を持っているのである!それでいながら「東京裁判に否定的な見解」を攻撃しようとするので、この本は全体的に、統合失調症的な文章に満ちている。たとえば「東京裁判は勝者の復讐裁判であった」と書きながら、「勝者の報復裁判というレッテルを貼るのはあまり意味がない」(p252)と、たった今、自分で貼ったレッテルを自分ではがしているのである。
この論理矛盾をなんとか解消するために保坂氏が言い張るのは、一つは「それが歴史だったから意義はあった」(意味不明)、というものである。もう一つは「日本人の知らなかった事実が明らかになった」(「真相はこうだ!」)というものである。連合国側に都合の良いような「事実」だけ、と歴史家なら言ってもらいたい。あと一つは、保坂氏自身のA級戦犯にされた人たちへの、強い憎悪に近い感情である。カテゴリーの異なるいろんなことを一緒くたにしているので、まったく意味が通らなくなっているのである。
保坂氏はこう言っている。「もともと日本国内には東京裁判に否定的な見解を持つ論者が少なくないし、その主張はついには東京裁判史観などという造語を作り出すに至っている」と。
東京裁判の「起訴状」は、冒頭、起訴理由に、1928年から1945年までの日本の対内対外政策が、軍閥(軍国主義者))による侵略であった、と書いている。はっきりと二十年近くもの日本の歴史を裁いているのである。これが「史観(歴史に対する見方)」でなくてなんだろうか。当時の朝日新聞は「そういう軍閥に追随した日本人も免罪できない」(p239)と書き、保坂氏は、「それをきわめて重要な指摘」と指摘している。まったく冗談ではない。
私は、東京裁判(史観)は、日本および日本人を悪者にした、またメディアがそれを信奉し、チャイナやコリアが、今でも、それを外交カードにしている、という意味で、とんでもないものだと思っている。起訴状にあるように、東京裁判史観とは、戦前の日本が、植民地主義、帝国主義で軍国主義であり、平和に対する罪、文明に対する罪を犯した、とても悪い国だった、というものである。こうした史観が、日本社会にもたらす精神的な害毒は計り知れないものがある。しかも朝日をはじめとするマス・メディアも保坂氏のような「歴史家」も、どっぷりそれに浸っているのである。自分の国が悪いことをした、という歴史観が、これだけはびこっている国も珍しいであろう。
東京裁判がいかに不当であるか、めちゃくちゃなものかは、起訴理由にある共同謀議という言葉に表れている。もともとの英語はConspiracyである。別の訳語で言えば「陰謀」である。
保坂氏は、こう書いている。「この共同謀議を用いれば、日本の政治、軍事指導者が何らかの形での世界支配を目的にして満州事変以後のさまざまな戦争を画策したというのであり、そこにはそれぞれの間に合意があったとして裁くことができるのである」。
この主語不明、意味不明の文章を見よ。いったい、これが「歴史家」の書く文章だろうか。そもそも、なんで「できる」のか、さっぱりわからない。共同謀議を用いる、とは、その法概念を応用すれば、であろうが、「世界支配」を目的にしてとは、いったい何か。ロスチャイルドは世界支配の陰謀をたくらんだ、ユダヤ人は世界支配の陰謀をたくらんだ、というオカルト・トンデモ陰謀論と、どこが違うのか。
東京裁判は、オカルト陰謀論にたった裁判であり、そのオカルトをいまだに、「一蹴するわけにはいかなかった」と言って信奉しているのが、今の日本の(もちろん一部だが大勢力の)歴史家、メディア、政治家たちなのである。日本の行く末も知れる、というものである。
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◎関西零細企業経営のオッサン 悔し涙を流すの記 (17)      
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またまた子供達の話で恐縮です。
なんせ我家の倅と同じような世代の事となると、何よりも気になってしまうのだ。
つい先日山口県の中学2年の14歳少年が百均で買ったナイフで高速バスの運転手を脅しバスジャックして逮捕された、と言うニュースがテレビや新聞で報道され、今もマスコミで識者達のコメントがかしましい。

報道で知ったのは、彼は切れやすい所も有るが学級委員でクラスの人気者。クラスメートの女子に横恋慕していて、彼女にちょっかいを出したら煩さがられて彼女が親に相談し、親が学校に相談し... 此処までは宜しい。恋愛が何たるかも全くわからないで、しかし可愛いあの娘が何とも気になる。その娘はその娘で他に憧れの男子でも居るのか、そんな少年が全く迷惑でつい親に相談したまで。

そんな幼い中学生の姿が微笑ましいだけだ。
一方、学校は事の進展防止の為、早速担当教師と学年主任教師の二人で少年の家庭を訪れ一部始終を両親に話し、両親に善処を依頼。両親は教師が自宅を訪問するほどの事態に怒り爆発、我が子である少年を痛烈に罵倒し詰った。その結果親にも見離されたと悲観した少年は親への復習の積りで世間を騒がす行動に出た... 

此れが何とも許し難い現代大人社会の幼稚さである。マニュアル世代の度し難さである。
大体、教師が二人も揃って何故いきなり少年の両親に報告するのだ。
こらこら、幾ら好きでも相手にその気が無いときは諦めてそっとしておくのが、カッコいい男の子だぜ。
こう言って諭してやれば、何も少年の家に押しかける必要も無いだろう。
逆上して子供を罵倒する親も大馬鹿で、まさか自分達はやるせない思春期も経ずに成長した訳でも有るまいに。

要するに親も教師も簡単な教育さえ放棄しているのがこの切ない事件の全てに思える。
多分、教育は教科書の内容を子供に理解させ憶えさせる事だけで、それ以上は殆どの教師や親の手に余るのだろう。
かくして、一人のごく当り前の少年が思い詰めて暴走し、凶悪犯のレッテルを貼られ、社会にああでも無い、こうでも無いといじくり回されてこれから長い茨の路を歩むことを強いられる事になってしまった。

ほんの少し大人が愛情を示して、打ち解けて話を聞いて指導してやればこんな突拍子も無いバスジャックなどには絶対にならなかった筈だ。そう思うと可哀想でならない。
世は少子化対策が緊急の大事であり、あれこれ対策が国民の関心を集めている。
然し今既に居るこんな幼い少年の気持ちも本気で判ってやろうとしないのなら、この社会に子供の数が減少一途なのもよく判る。
誰でも同じと思うが、僕は身の回りで一番厳しかった大人を一番懐かしく思い出す。中学校でも一番厳しく叱ってくれた先生が一番懐かしい。それは反発されても少年に自分達の信じる正義を教えようとする気持ちが子供心に伝わって居たからだと思う。 
了。  2008.07.18
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