北京五輪は決して開催させてはならない  by 竹下義朗さん《アジアの街角から》 | 日本のお姉さん

北京五輪は決して開催させてはならない  by 竹下義朗さん《アジアの街角から》

ようちゃん、おすすめ記事。↓

帝国電網省 ▽▼             by 竹下義朗さん

☆ 北京五輪は決して開催させてはならない。  2008/07/18
予定では8月8日、北京五輪が開幕する訳ですが、今年に入りにわかに慌ただしくなってきたのが中国の動静です。3月のチベット族蹶起(私はこれを「第二のチベット動乱」と呼んでいる)を皮切りに、世界各地での聖火リレー妨害と北京五輪反対運動の広がり。5月12日の四川大地震。そして、6月28日には四川省の隣、貴州省で数万人規模の暴動まで起きました。
┌──────────「2008年6月30日 読売新聞」
中国貴州で数万人暴動、女子中学生強姦殺人の捜査に不満【香港=吉田健一】
29日付の香港紙・明報によると、中国貴州省甕安[おうあん]県で28日子中学生(15)が殺された強姦殺人事件の捜査に不満を持った住民数万人が警察本部などを占拠、建物や警察車両に放火するなどの騒ぎとなった。警官隊の発砲により1人が死亡したとの情報がある。新華社電は29日、事態は終息したと伝えたが、消息筋によると暴動は同日もまだ続いているという。同紙などによると、公安当局が事件の容疑者として逮捕した男2人を翌日に釈放したことが事件の発端となった。被害者の遺族が公安当局に徹底捜査を求めたが、逆に暴行され親族1人が死亡した。容疑者の1人の親が公安幹部だったため、本格捜査が行われなかったとのうわさも流れ、住民の怒りが爆発。28日午後、警察本部や地元政府庁舎などを襲撃する事態に発展した。
└──────────
┌──────────「2008年7月1日 時事ドットコム」
張本人は元警察トップ?=少女殺人隠ぺい疑惑-中国【香港1日時事】
香港紙・リンゴ日報は1日、中国貴州省甕安県で6月28日に起きた暴動について、きっかけとなった少女殺人事件をもみ消そうとしたのは同省公安庁長=警察本部長)経験者だとの説がインターネット上で流れていると伝えた。この人物の姓は「姜」とされており、貴州省の共産党政法委員会書記や公安庁長を経て、現在は省人民代表大会常務委副主任(省議会副議長)を務める姜延虎氏とみられる。党政法委は、警察、検察、裁判所などを指導している。
└──────────
貴州省で起きた少女に対する強姦殺人事件の容疑者が公安関係者の子弟であったか否かや、事件に対する公安当局の対応に対して、私はここでその真相を追求するつもりはありません。実際にいわれている事が事実であったのかも知れませんし、或いは単なるデマであったのかも知れません。しかし、事の如何[いかん]に関わらず、今回中国でも最貧省の一つに数えられる内陸部の貴州省で、数万人規模の民衆蜂起=警察本部の占拠や焼き討ちとなれば最早、単なる暴動の域を超えている)が起きたことだけは明確な事実です。ほんの十年前の中国では、民衆が警察本部を占拠したり、建物や警察車両に放火するなどは考えられなかったことです。それが、今や公然と起こっている訳で、それだけ中国が病んでおり、人民の不満も鬱積していることの証左といえるでしょう。つまり、中国共産党による一党独裁国家「中華人民共和国」は、確実に崩壊の道を歩んでいるのです。

さて、話を本題に戻すとしましょう。
8月8日開幕予定の北京五輪は本当に開催されるのか? この期に及んで何を今更いっているのか?と思われる方も多々おられると思いますが、私は中国がこのまま平穏に8月8日を迎えられるとは露とも思ってはいません。むしろ、開幕まで残り一ヶ月だからこそ、様々な事態が中国を襲うと考えています。例えば5月の四川大地震。あの地震では多くの学校が脆くも倒壊し、多数の生徒=子供達が犠牲となりました。

学校の校舎は、日本では到底考えられないような杜撰な作りで、耐震性など全く考慮されていなかったであろうことは、テレビや新聞の映像や写真をご覧になった方ならお分かりと思いますが、最愛の我が子を失った父兄達の要求にも関わらず、未だに行政側は学校の耐震対策等々に関する調査結果の公表を拒絶しています。いや、拒んでいるだけならまだましで、強硬な父兄に対して警察が身辺を監視したり、種々の圧力をかけたりといったことが行われているといいます。しかし、このようなことで子供を亡くした父兄達が温和しくする筈がありません。中国では、爆発する人口を抑制する為に、所謂「一人っ子政策」と呼ばれる産児制限を人民に課してきました。なかには政策に従わず、二人目、三人目の子供----当然、戸籍に載せる事ができない子供----所謂「黒孩子[ヘイハイズ]=闇っ子」を作る家庭もありますが、

律儀に政策に遵[したが]い、一人しか子供をもうけなかったところへ持ってきて、耐震性ゼロの校舎の倒壊で最愛の我が子を亡くしたとあっては怒り心頭、その矛先が行政へ向くことは自明の理といえます。また、被災者支援も遅々として進まず、復興もままならないとあっては、たとえ家族に犠牲者がいなかったとしても、矢張り、行政に対する不満は鬱積します。そこへもってきて来月の北京五輪です。被災者にしてみれば、到底、五輪開催どころではないという思いが強いでしょうし、そのような「お祭り」に力を入れるぐらいなら、被災者支援や復興に力を入れて欲しいと思うのは当然のことです。

このまま行政の対応が満足のいくものでないとすれば、四川省で被災者による大規模な暴動が起こるのではないか、と私は考えています。そしてその原因はほんの些細な出来事で事足ります。それは貴州省で起きた数万人規模の民衆蜂起を見ても分かることです。

また、これから本格的な台風シーズンに入っていく訳ですが、近年の異常気象による台風の大型化や発生頻度の増加に伴い、被害も年々規模が大きくなっています。例えば南支那海で発生した大型の台風が、日本の南西諸島から台湾、更に大陸へと進路をとった場合、上海や南京などの大都市を抱える長江下流域が、今年(2008年)5月2日にビルマ(私は同国軍事政権を忌み嫌う所以からミャンマーの呼称を用いない)を直撃したサイクロンによるのと同様の甚大な被害をもたらすであろうことは想像に難くありません。また、五輪開催地の北京にしても、内陸黄土地帯から飛来する黄砂被害が年々増大しており、深刻な大気汚染と相まって深刻な呼吸器疾患をもたらしています。

更に、東トルキスタン(ウイグル)過激派による五輪妨害活動(当然テロの可能性も排除できない)や、チベット独立派による再蜂起(穏健路線のダライラマとは一線を画す急進派による蹶起)の可能性も極めて高く、このまま五輪が何事もなく成功裏に終わるなどという見方はあまりにも楽天的過ぎるといわざるを得ません。寧ろ開幕が近づけば近づく程、「ぶち壊してやろう」「台無しにしてやろう」という動きもより活発化していくことでしょう。ところで、私の「予言(?)」が外はずれ、北京五輪が大成功の内に終わったとしたら、いったいどうなるのか?ーーーそれはそれで非常に恐ろしい「災厄」を我々にもたらすことになるでしょう。

時は昭和11(1936)年8月1日。
ドイツ第三帝国の首都ベルリンのメインスタジアムに於いて、観衆による「ハイルヒトラー!!」唱和の中、総統アドルフヒトラーが開会を宣言、16日間にわたる第11回夏季オリンピック大会(以後「ベルリン五輪」と略)が繰り広げられました。そしてこのベルリン五輪を通して、ヒトラー総統率いるナチスはドイツ国民の愛国心を昇華させ、国威を発揚。五輪開催から僅か3年後の昭和14(1939)年9月1日早朝、ドイツ軍によるポーランド侵攻により第二次世界大戦が勃発したのです。

注目すべきは、五輪開催を実現させた際のドイツ第三帝国の動向です。
党の政策としてユダヤ人に対する過激な排斥を繰り広げていたナチスは、ユダヤ人弾圧政策を緩和し、ヒトラー自身も人種差別発言を抑制するなどしてベルリン五輪実現の為の環境を整えました。

その政策が奏功し、実際にベルリン五輪が開催された訳ですが、ヒトラー政権を胡錦涛政権に、ナチスを中国共産党に置き換えてみればどうなるでしょう?北京五輪を成功させる為に「見せかけの言論・報道保証」を装い、ダライラマ側との直接交渉を行う。しかし、ーーーそれとて五輪が無事終了してしまえば元の木阿弥。五輪を成功させることで「中華民族」の民族意識を昇華させ国威を発揚。その後に訪れるのは、毎年二桁の伸びを示す予算によって増強してきた軍事力を背景とした、日本を含む周辺諸国に対する軍事覇権の確立=中華帝国の再現でしかありません。

であればこそ、私は断固、北京五輪の開催に反対している訳です。

幾度となく言ってきたことですが、私は中国が北京五輪を無事迎えることはできないと考えています。しかしその「予言」が外れ、中国が何事もなかったかの如く五輪を開催できる状況であったとしても、決して開催させてはならないのです。それはベルリン五輪前後の「歴史」が物語っている、五輪終了後に訪れるであろう「災厄」を避ける為にも。また、我々が決して同じ轍を踏まない為にも。= この稿おわり =
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▼▽ 只今、考え中… ▽▼             by RAM さん

☆ 司法問題について考える(憲法裁判所論1) ――― 2008/07/11

yahoo!の「憲法改正板」で、護憲派諸氏と一ヶ月ほど意見交換を行いました。そこで出た話を総括すると、「憲法は、時代・社会情勢に応じて変えるけれど、決まった法に対しての違反は許さない」というのと、「違憲の疑いのある法令に目を瞑ってでも、憲法だけは変えない」というふうに分類できると感じました。後者は、とても日本的ではあるが世界のどこでも通用はしません。ーーー陽明学と朱子学の違いにも似ていますね。「9条問題」と「司法問題」を天秤にかければ、迷わず司法問題に重きを置きます。

具体的には「憲法裁判所」の設置を強く求めます。
憲法裁判所ができて、法令が流動化すれば、国民の関心が間違いなく高まり、結果、政治への無関心も減り、改めて「立法」「行政」「憲法等の法令」について国民の多数がまともに考えるようになることが期待できるからです。現在、日本に憲法裁判所がないのは、憲法81条にて特別裁判所の設置を禁止しており、憲法裁判所は明らかにこれの違反であるとされているからです。

憲法訴訟を取り扱う裁判所として、世界的には司法裁判所型と、憲法裁判所型があります。前者は日・米がそうで、具体的に何らかの事件が起きた後でなければ憲法判断はされません。欧州では後者が主流で、法令が成立(国会通過)した段階で、憲法判断を示せます。

では、司法審査型の、何が問題なのでしょうか?
司法審査制度下では、違憲を問う訴訟であっても、年間数千件の他の訴訟と同じに扱われます。詐欺や窃盗のような刑事訴訟や、慰謝料請求のような民事訴訟と同じなのです。

故に、膨大な数の訴訟の中に埋没し、結審までには相当な時間がかかります。最高裁で違憲が確定するまでに20年以上かかっても、おかしくありません。その間、当然、違憲状態は続行されます。例えば「テロ特措法」でも「憲法違反だ」といった最大反対者、裁決を欠席までした最大野党の党首である小沢氏が、それなら「違憲訴訟」を起こしたでしょうか? していませんね。例え勝てるとしても無駄だからです。

時間的に、結審して違憲判断がでる頃には、問題は済んでしまっているでしょう。これは、原告と具体的事件を必要要件とし、損害賠償を提訴の建前とせざるを得ない「司法審査制度」の限界です。また、3審制の限界でもあります。1審制での「憲法審査制度」を導入しない限り解決できません。

日本と同じ司法審査型の米国は、違憲審査が日本よりはスムースです。なぜなら裁判官一人当たりの訴訟密度が、日本の1/40ぐらいだからです。GHQが現憲法を日本に持たせたときは「憲法裁判所」の明確な概念を彼ら自身が理解していなかったので、自国と同じ制度でOKと考えたのでしょう。しかし欧州諸国が「憲法裁判所」を持ち始めると、その有益性が認識され始めました。

これについては、東大教授から最高裁判事に転身した伊藤正己氏が『裁判官と学者の間(有斐閣1993年)』で、従来の自説を撤回して支持するほどです。憲法裁判所ができると、当然、憲法論議が、国民の間でも活発になります。その分、政治への関心が高まり、目も厳しくなります。それでなお、違憲判断のでた法令については、国民の間ではその法律と憲法自体とどちらを改めるべきかの論議が起きます。

欧州での度々の憲法改訂は、こうして発生しています。当然、暮らしのための道具としての憲法は、改良を加えられるほど使いやすく進化するというわけです。その為には、憲法の軟性化も必要になるかも知れませんね。ちなみに、現在の裁判制度での司法審査制では何故いけないかについては、最高裁自身の判決(左派社会党が警察予備隊令を違憲無効と提訴した裁判)において次のようなことを述べています。
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現行制度の下においては、特定の者の具体的な法律関係につき紛争の存する場合においてのみ裁判所に判断を求めることができるのであり、裁判所がかような具体的事件を離れて抽象的に法律命令等の合憲性の判断を有するとの見解には、憲法上及び法令上何らの根拠も存しない。(1952/10/8)
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皆様のご意見をお待ちしています。= つづく =
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▼▽ インド徒然 ▽▼             by はぐれ雲さん

☆ ムンバイにモンスーン~今年のインド農業は豊作 ― 2008/07/18

ムンバイに早々モンスーンが到達、ムンバイの市民はホッとしている。
インドを知らない人は何のことか判らないだろう。モンスーン到達は国のお祭りに近い重要事である。ムンバイの気候は、気温は一年を通じて摂氏20~33度、乾季と雨季に明確に二分され、通常6月10日にモンスーン季=雨季)に入り、10月第一週にモンスーンが開ける。約4ヶ月弱の雨季である。

何故だか分からぬが‘モンスーン入り’と‘モンスーン明け’の日に限り、決まったように雷鳴が号砲のように轟く。稲妻は真横に疾る。

今年のモンスーン入りは6月7日で例年より3日早い。
ムンバイの人々は満面の笑みを浮かべている。何故ならモンスーン明けの10月初旬から6月初旬までほとんど雨が降らない。お陰で町中が埃だらけ、待ちに待った雨。雨はムンバイに溜まった埃を綺麗に洗い流してくれる。

最高気温も多少下がり、過ごし易くなる。
それ以上に、「雨はインドに富をもたらす自然の恵み」であることをインド人は皆知っているからだ。ムンバイの雨は降り出すと止まらない。
3日ぐらい降り続くことも多い。経験した最大の豪雨は約20時間で約950mm=2005年07月26日、ーーー想像を絶する。雨は上から降らない。雨は横から振る。風が強く傘は無用の長物となる。

アパートの雨漏りは、天井からでなく横の漆喰の壁から水が‘じわっ’と浸み込み滴り落ちてくる。当然‘黒カビ’が繁茂する。ムンバイはロンドンの古い建物に似て、黒ずんだレンガ造りの古い建物が多い。そのムードをかもし出している主犯は‘黒カビ’である。兎に角、ムンバイのモンスーン季は想像を絶する季節、ムンバイに住んだ者しか判らない苦労や笑い話、ハプニングに絶えない季節でもある――――。

ーーーそのムンバイの郊外に、超近代化の嵐が吹き始めている。
6年前の今頃は印パ核戦争の危機、山場は丁度6月1日~13日。
日本人はほとんどがインド国外退避、小生は逃げ遅れ?ーーーオベロイホテルのバーでワールド・カップを見ながら暇を潰していた。日本がロシアに勝ち、インド中が沸いた!黄色人種が白人に勝ったと…。

核戦争の危機? インド人はそんな危機感など毛頭感じていなかった。
モンスーンがいつか来るのと同様、印パ緊張もいつか政治的に決着する、それが当然、と落ち着いていた。長い歴史の中で育まれたインド人の世界観・宇宙観を感じた時でもあった。ーーー当たり前といえば当たり前だが…。世界のどこかで政治紛争が起こり、マスコミが大騒ぎしようと、時間は悠々と流れ、流れるようにしか流れない。想像する万一の悲劇になる可能性はまさに‘万一’であり、人間の理性が大悲劇を起こさせない、インド人はそれが‘当然の人間世界’とでも思っている風であった。

政治紛争ーーー‘あたふた’してもはじまらない。悠然と構え、慌てず、時の流れを見ることが一番大切。それとも、流れに流されるしかない?…。インド人の‘No Problem’の世界観だろうか…。
ムンバイがあるマハラシュトラ州、インド最大の砂糖黍の産地であり、インド第2の綿花と大豆の産地である。水分を多量に含んだモンスーンの雲は、ムンバイをスタートし、徐々にインド国内、北東の方向に向かって動き、7月中旬にはインド全土をモンスーンの雲で覆うようになる。

今年は平年並みの雨量が見込まれ、インド人は‘今年の農業は安泰’と安堵している。農業が良ければ、インドの人口の三分の二以上を占める農村が潤い、インド流に表現すれば、「石鹸からバイクまで」の工業製品の消費が増加し、強いてはインド全体の経済の活性化に繋がる。インフレーション対策で悪戦苦闘しているインド政府に‘暫しの安らぎ’を与える、とインド紙は報道していた。

それほどまでにモンスーンはインド経済にとって重要な生命線であり、自然の恵みであり、時に自然の恐怖でもある。余談だが、モンスーン入りしてから当分は、木の下や軒の下で雨宿りすると大変なことになる。ーーー8ヶ月以上積もりに積もった、埃を含んだ雨垂れに見舞われる。服が泥玉模様、雨宿りをする場所は十分上に何があるか注意する必要がある。モンスーン入り当初は、インド人は傘もささずにずぶ濡れで雨を楽しむ。

モンスーン前の野原は、草も枯れ果て茶色一色である。お陰で牛はやせ細っている。その為ミルクの生産量も大幅に減る。雨が降ると一斉に草が芽生え、牛も歓喜、すぐ体調回復しミルクの出も良くなる。インドの風物詩でもある。未だモンスーン=自然に大きく影響されるインド。
~~~これもインドの実態である。

= この稿おわり =
~~~~~

日本のお姉さん。↓

OJINにメールを送っても全然届かなくなったから

原稿を送るのを止めた。ベトナムは今、インフレも

すごくて、株の値下がりも酷くてインフラはあいかわらず

整っていなくて社会主義だからベトナムでの外資系

企業は大変だろうけど、それでもチュウゴクよりも

未来はあると思う。チュウゴクの10年前の様子らしい。

10年あれば、かなり発展するでしょう。日本も戦後10年で

すでに復興していたようだ。

ベトナムの記事を最後に何も記事を送っていない。

チュウゴクのチベット人の災難にあまり興奮して、

いったいどうなってるのか、ネットで調べ物ばかりしていた。

そうこうするうちに、チュウゴクの四川省で地震が起きた。

神さまは、見ているのかなと思った。思ったけれど、

黙っていた。地震が起きて苦しんでいるのは、チベット族

ではないか。重慶などの街には移住してきた漢人が

ほとんどだと思うが、重慶は別に被害を受けていない。

四川省では核施設がたくさんあって、被害を受けたもよう。

日本が攻撃しなくても、勝手に地震で自然に核施設が

つぶれてくれてよかった、、、。と、言っても世界中からの

見舞金を使って、すぐに復興すると思うけどね。

一般市民は、まだ仮設住宅にすんでいるし、自分たちで

作った小屋に住んでいる。でも、たくましく生きている。

チュウゴクは、オリンピックを無事に終わらせるのに必死で

メディア規制やネット規制や東トルキスタン人やチベット人を

先に逮捕してオリンピックの間はずっと監獄に閉じ込める気で

いる。青島(チンタオ)では、変な病気が流行っている。

チュウゴク政府の人間は、とにかく今は早くオリンピックを

終わらせたいという気持ちで一杯なのでしょう。

それがすんだら、また宗教家や思想家に対して厳しく

弾圧したりすると思うから見ていて。チュウゴク人たちが

なんだかチュウゴク共産党の独裁ぶりに嫌気が来ている

ような気がする。でも、チュウゴク人は死なないように

生きているから、命をかけて革命を起こすような人は

出てこないだろう。日本だって、もう孫文を助けたように

チュウゴクの革命家を助けるなんてことはしないですから。

日本は、もうそんなことを考える余裕は無い。自分たちが

アメリカの属国になっちゃっているから。

金がある内はのほほんとしていても良かったが、国民の

金が無くなってきているのに、日本政府は何にも

しないんだもの。漁民はあまりの重油の高さに困って

しまってストをしているのに、日本政府には対策なし。

政治家には期待できない。だったら、本当に日本人全員が

荒波を乗り越えて日本を新しい航海に導いてくれるような

能力のある人物を見つけて選挙で当選させないといけない。

そして、アメリカの大統領の選挙のように、国民が

1000円か2000円ずつ献金し、新しい党を応援できたら

いいのになあ。ただの夢ですが。

クリスチャンを弾圧して教会をつぶしたり、宗教家を

迫害する不自由な国になるのは困りますが、日本が

チュウゴクにのっとられたら遅かれ早かれ不自由な国に

なるので、それぐらいなら、右翼にでも支配してもらいたい。

でも天皇を神として拝ませるのだけは止めて欲しい。

賢いチュウゴク人は、家族をなんとしてでも外国に住まわせ

て外国の国籍をとらせようと必死。今のところ、日本政府は

積極的にチュウゴク人の留学生を受け入れて、

しかも卒業生を日本にとどまりやすくしているから、

移民を受け入れているようなものだ。

と、いうわけで、チュウゴク人は続々やってきている。

一般のチュウゴク人にとっては、チュウゴク人でいることは

それだけで不幸せなことなのだ。ただし、共産党幹部の子は

金が余ってしょうがないって感じらしい。上海人は、一般の

女の子でも金回りがいいらしいが、それは上海市の幹部

たちの経済の運営の仕方がチュウゴク政府よりも上手い

からだろう。