◆「海を渡った自衛官─異文化との出会い─」 | 日本のお姉さん

◆「海を渡った自衛官─異文化との出会い─」

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◆「海を渡った自衛官─異文化との出会い─」vol.11
国際戦略コラム (イラク復興支援軍-2)
油断せず 助け合って まごころ支援
  イラク復興支援群第3次群長 松村五郎陸将補(当時1佐)
              2004年7月28日~同年12月18日

■第3次イラク派遣群と松村将補
2004(平成16)年7月、東北方面隊の隊員を基幹とする第3次隊はイラク、サマーワで任務につきました。指揮官は第9師団第21普通科連隊長松村五郎1佐でした。

私は、新聞に載った1佐の写真に違和感を覚えました。なぜなら、制服の両襟には戦車の正面図に天馬(ペガサス)の翼のマークがついていたからです。戦車隊か、偵察隊で育った人だろうに、機甲科幹部が普通科(歩兵)連隊の指揮をとるのだろうかというのが私の疑問でした。親しい方の同期だったので、さっそく紹介していただき、お目にかかりました。松村将補は、身長176センチ、体重も80キロあまりの偉丈夫でした。知性の高い人によく見られる、含羞(がんしゅう)に富んだお人柄です。お話をされながら、いつも、頬を赤く染められていました。その穏やかで控え目な話しぶりには、将補のお人柄がよく表れてもいたと思えます。

ただし、指揮官の心得や、当時の心境などについての話題になると、厳しい視線を瞬間、飛ばされたことが今も鮮明によみがえります。私が尊敬する陸自の高級幹部のお一人です。現在は、朝霞にある東部方面隊総監部の幕僚副長を務めておられます。これから指揮官の話が続きます。部隊を率いる。その責任感、その厳しい環境を少しでも描けたらと思います。近い将来、陸曹、陸士のみなさんのお話も登場します。「勇将の下に、弱卒なし」という言葉がありますが、それを実感できるお話がたくさん出てきます。(荒木肇)

▼ロケット弾が撃ちこまれた
10月のある日、その真夜中だった。パーン、シュシュシュといった、ロケット弾特有の飛翔音がした。

「撃たれた!」と、テントの中で執務中だった松村1佐にはすぐに分かった。みんな無事か、どう対処するか、一瞬のうちに、頭の中ではさまざまな思いがかけめぐった。ロケット弾は空き地に着弾。しかし、幸いなことに不発だった。次の弾は約10秒後に着弾した。それは荷物用のコンテナを貫通していた。

「あの、これは、語弊がありますけれど、それと、誤解されては困るのですが、撃たれて、ああ、これで、部隊も、自分も一人前だなと思いました。やはり、身近に実弾の下をくぐったというか、その経験は大きなものです」

部下は十分、落ち着いていたという。手順どおりにすべては行なわれ、警備、警戒などの対応態勢がすぐにとられた。各所から「異状なし」の報告があがってきた。それは、積み上げてきた自衛隊の日頃の教育の成果だったし、事前訓練のおかげだった。松村将補は、言葉を選びながら、当時の気持ちを淡々と語ってくれた。

誰一人として部下を失いたくない。指揮官は絶対に、損耗率をゼロに抑えなくてはならない。だが、列国の軍隊なら、損害予想がゼロの行動計画はありえない。もちろん、アメリカ軍に留学した経験もある松村1佐が、そういった軍隊の常識を知らないわけはない。でも、自衛隊はそういう、世界の常識を超えた軍隊である。

「あれが、耐弾化をしてある宿泊用コンテナではなく、残業用のテントの中に落ちてきて爆発していたら。たいへんなことになるところでした。それからは、宿営地全体の耐弾化をもっと真剣に……と反省しました」

ところで、第3次隊になると、さすがにわが国のマスコミは取材に手を抜きだした。あの番匠1佐の第1次隊や、今浦1佐の第2次隊の時とちがっていた。もう、日本人の記者は誰一人いなかった。報道各社が現地で雇ったイラク人の助手たちが、取材し、写真を撮り、原稿を日本に送っていたのだ。

「だから、目立つような、危険なこと、マイナスのイメージを伝えることの記事が中心になりますよね。現地雇いのイラク人助手にしてみれば、自分たちの必要性を日本の本社にアピールしなくてはなりません。だから、私たちの地道な復興支援活動や、文化交流に努力したことなどが本国で報道されることは、ほとんどありませんでした。危険なことや、宿営地にロケット弾が撃ちこまれたことなどの記事だけが日本でニュースになっていました」

イラクの人々は誇り高かった。今でこそ、戦乱の中で貧しく、暮らしはひどい状況にある。でも、ここは本来、世界最古の文明の発祥の地なのだ、私たちはその子孫なのだという誇りをもっていた。それは、代々の大人たちが、子どもたちへ教え続けてきた民族の伝承でもあったのだろう。

小学校の竣工式のときです。児童代表の女の子が、わたしたちへの謝辞を述べてくれました。その中で、日本の自衛隊が、文明を取りもどしてくれたという一節がありました。わたしたちは、世界で報道されているような、遅れた国の人間ではない。もともとは文明人なのだという訴えがこもっていたと思います。思わず、目頭が熱くなりました」

アメリカ人よりも、イラク人の方が義理人情という考え方では日本に近いと感じたという。仕事上のトラブルは、予想していたほどではなかった。来客には、口にあった現地のお茶を出すために、「チャイ係」という職務も作った。東北地方の部隊らしい、「ねぷた」を見せたり、秋田の竿灯も披露したりした。「油断せず、助け合って、まごころ支援」とは、松村群長が毎朝、隊員に唱和させた合い言葉である。

ここは何が起きるか分からない戦場だ、油断をするな。お互いが不満を持たず、文句を言わず、助け合ってこそ任務は達成できる。そして、現地の人々を差別したり、いたずらに警戒しすぎたりせずに、日本人らしいきめ細かい、まごころで支援しようという教えでもあった。


▼異文化といえば、「針と糸」
自衛隊に入隊されて、これは異文化だなと感じられたのは、どういうことだったでしょうかという質問をした。すぐに、幹部候補生学校に入ったときの「針と糸」でしたという答えが返ってきた。

大学を卒業して、一般幹部候補生として入隊した松村将補にとって、階級章や名札を、針と糸で作業服に縫いつけたり、ズボンの裾をあげたりするのは、まるで異文化だったというのだ。まあ、暮らしぶりもともかく、自衛隊というそれまでの生活からみた異文化への適応には時間がかかりましたと将補は笑った。

松村将補は埼玉県一の進学校から東大の理科・類に進んだ。3年からは工学部原子力工学科で学ぶ。学科は広い分野から成り立っていた。そこで国際関係論や、戦略論に興味をもった。

「研究者になるのもどうかなあという思いがありました。わが国の歴史や現状を見わたしますと、外交などで弱いのは軍事です。ふつうの公務員になるのもいいなと思ったのですが、いや、自分は制服を着て、地道に現場から行こうと考えました」

好きで選んだといっても、やはり、幹候校はつらかったらしい。軍事問題には関心があったけれど、軍事オタクであったわけではない。特に、武器やメカについては、何も知らなかったといっていい。運動にしたってそうだ。山歩きくらいしか学生時代にはしたことがない。走れ、走れの毎日。合理的に組みあげられている体力錬成、それは、きつかったですよと将補は苦笑いをうかべている。

一般幹部候補生というのは、技術科や、医科・歯科、看護などの専門職候補生に対しての「一般」である。旧軍の言葉でいえば、一般兵科ということになる。このとき、同期生は防大からの約200人と、一般大学などから同120人だった。

最初の赴任地は、北海道上富良野の第2戦車大隊。駅前にポツンと1つ電灯が点いていた寂しい風景が思い出される。ちょうど、74式戦車が装備され始めた頃になる。大型免許を取り、装甲車で装軌車(キャタピラー)の操縦をし、戦車乗りになった。

防大の指導官にもなった。27歳で、5つくらい年下の学生とつき合うことになった。当直のときなどは、よく学生たちと話し合った。いい思い出が、いっぱいありますという。部隊でも若い隊員たちや陸曹諸官との交流があったが、防大の学生たちからもいっぱい学ぶことができた。得をしたなと思ったのは、指導官だから、学生の見学や実習に、引率者として陸海空の部隊や機関にいっしょに出かけられたことだった。

「これは、今、統合幕僚監部(お話を聞いた時点では、運用部運用第2課長だった)にいますが、役に立っていますね。一般大学出身者は、防大の4年間の経験がありませんから、海・空自衛隊のことをなかなか見られないのです」

富士教導団の戦車教導隊に転属。ケンタッキー州、フォート・ノックスの米陸軍機甲学校に留学。CGS(幹部学校・指揮幕僚課程)を出て、外務省に出向。その後、北海道第7師団(機甲師団)第73戦車連隊で中隊長を務める。その後は、統幕、陸幕勤務が続く。

「普(歩兵)・特(砲兵)・機(戦車)の共同運用ということで、機甲科職種の人間が普通科連隊長になることは、さして珍しいことではありません。その逆は、ありませんけれど。戦車連隊長は、戦車の車長でもありますから、操縦も射撃もできませんと」そこで、秋田にある第21普通科連隊長に上番(陸自では、職務に就くことを上番、ポストから去ることを下番という)したということだ。

▼隊員自らが、危機を乗り越えてくれた。
8月の初めになった。気温は毎日、50℃をこえた。現地で活動を初めてほぼ1カ月。疲れは出てくるし、当初の緊張もゆるんでくる。不平不満も出始めた。お互いの関係も、ギスギスしてきた頃、イントラネットの掲示板に危険な兆候が現れた。

この匿名の書きこみが許されたブログは、松村群長のアイデアだった。口が重く、感情表現が上手とはいえない東北人が主体の部隊である。だから、こうした仕組みが大切ではないかと考えた。同時に、指揮官である自分も、隊員の本音がチェックできればという思いで始めたものだった。

「9月になると、殺伐な内容が出てきました。他人を中傷したり、不公平感をむき出しにしたりして、部署によって損をさせられているというようなものでした」

活動期間は、まだ2カ月余りも残っている。どう対処したものかと、悩んでいると、隊員自身から前向きな投書がされるようになった。選ばれてここに来たという誇りをもとう、600人が助け合わなくてどうするといった内容だった。隊員自身が自然修正をしてくれるのだなあと松村群長は感動した。一皮むけたといっていい状態になった。水の不足を指摘された給水隊員は、腹を立てるより、夜まで働いた。それに対して、すぐに、感謝の言葉が書きこまれた。炊事委員からは水の節約を呼びかける声が出た。10月に入ると、みなの表情がひどく明るくなった。隊員はいい、自衛官は素晴らしい、群長は胸が熱くなったという。

▼オランダ軍のこと
「オランダ軍はなかなか優秀な軍隊でした。警備のやり方がアメリカ軍と違います。アメリカ軍はサマーワ市内を通過するときも、傍若無人というか、まあ、彼らを囲む状況もそれだけ大変なのですが、乱暴なものです」

イラクの車輌を無理矢理どかしてしまう。威嚇射撃までする。銃を市民に向けたまま、乱暴な運転で通り過ぎるのがいつものことだった。それに対して、オランダ軍は立て看板を作ったそうだ。『ここは、イラクです。イラク人を尊重して、もっと丁寧に接しましょう』というものだった。松村将補は、そうしたオランダ軍に敬意をもったが、どうにも理解できないこともあった。

規律がゆるいとしか思えなかった。向こうのキャンプを訪れて、オランダ軍の大隊長と肩を並べて歩いていた時のことだ。すれ違うオランダ兵は、誰一人、挙手の敬礼もしない。まるで、無視をする。キャンプの中の整頓の様子もだらしなかった。不思議な感覚だった。これで、オランダ軍の能力が低いわけではない。そういうことを気にしない、そういう文化なんだろうという結論しか出なかった。

▼肝がすわった
自分が指揮している隊員の損傷は、口先だけでなく自分がすべて責任を負うということが身にしみた。9師団から連れて行った500人の隊員を、何がなんでも無事に連れて帰らなければならない。何かが起きたとき、自分がどうするか、自分が何をすべきか、突きつめて考える習慣がつきました……と松村将補は温顔で語る。

ベストを尽くすということが、どういうことかも考えた。一瞬一瞬が大切なこと、あるがままに今の事態や状況を受け入れること、つまり、肝がすわったと言うべきでしょうかと、話を締めくくってくれた。

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 国際戦略コラム NO.2992   

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         ドル信認問題へ発展
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昨日のロンドン市場、東京市場の株安を受けて、ニューヨーク市場 は、プライムやオルトAの住宅ローンを多く持つ地銀の売りで下落 が続いている。         Fより

昨日バーナンキFRB議長の議会証言を聞いたが、景気よりインフ レ抑止を重視すると発言している。とうとう、株式市場から米国債 や円・ユーロの国債市場に投機資金が逃げ始めている。このため、
円が大幅高になり、商品市場、特に原油価格も下落して、投機資金 の行き場が限られてきている。米ドル市場からの回避が現実化して きた。日本円の価値が上がるが、それを今日の東京市場はどう反応
するかが見ものである。日本国債規模は6兆ドルであり、米国国債 の5兆ドルに匹敵する規模にある。

住宅ローンの焦げ付き拡大の連想として、S&Lや地銀の破綻を市 場は心配し始めている。住宅金融大手インディマック・バンクコー プは預金を引き出す顧客であふれたという情報は、大きな心配を米
国民に与えている。地銀は60%以上を住宅ローンに貸し出してい る。この住宅ローンの焦げ付きは銀行の存続に大きな影響を与える。

このような状況で、バーナンキFRB議長、ポールソン財務長官の 選択は狭まられている。米景気よりドルの基軸通貨制度を守ること を優先するしかない状態になった。湾岸諸国、特にサウジはドル下 落が続けば、ドルとのペッグ制を見直すと言われている。

この対応を即座にしないと米国は、その原油とのリンクを切られて 、基軸通貨制度は即死するので、ドル下落を止めるために、利上げ を志向するしかない状態になっている。銀行間取引のインターバン
ク市場でプレミアム金利が付いているために、利下げの効果が出て いない。そのために、バーナンキFRB議長もドルを守る観点に立 ち始めたように感じる。
さあ、どうなりましか??
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米金融不安、地銀に波及 株価軒並み大幅安

 【ニューヨーク=発田真人】米株式市場で地銀、貯蓄組合など地 域金融機関の経営不安が広がっている。カリフォルニア州の地銀、 インディマック・バンコープが先週末、破綻したのをきっかけに地 銀株は14日、軒並み大幅安となった。米政府は米連邦住宅抵当公社 (ファニーメイ)など政府系住宅公社の支援を表明し金融危機回避 の姿勢を打ち出したが、地銀の経営悪化が米金融システム動揺の火 種として残る可能性もある。

 14日の米株式市場では米連邦預金保険公社(FDIC)がインデ ィマックに業務停止を命じ、管理下に置いたのを受けて、他にも破 綻する地銀が出るとのうわさが飛び交い、売り圧力が高まった。オ ハイオ州の地銀ナショナル・シティの株価は一時3ドルを下回り24年 ぶりの安値を付けた。貯蓄組合最大手ワシントン・ミューチュアル は過去最大の下げ率を記録し、3ドル台前半で取引を終えた。
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