「学校給食トリ肉偽装」が教えるもの (中村 忠之) 縄文塾通信
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◎「学校給食トリ肉偽装」が教えるもの (中村 忠之)
牛肉に続いてまたまたトリ肉の偽装問題が起きた。今度は給食用のトリ肉で、ブラジル産を国産(岩手)と偽って販売したというものだ。当事者の開き直っての発言もあるが、例によって各テレビ・ワイドショウのコメンテーターこぞって、非難集中したが、幸か不幸か?折しも「洞爺湖サミット」報道の陰ですぐに報道が止んだので、気付かぬ人も多かっただろうし、気付いたとしても、案外「又か!」と、いささか食傷気味というのが偽らぬところだろう。だが一寸待って欲しい。ここには「比内鶏」「飛騨牛」などとは違って、単なる「偽装問題」として処遇するだけでは収まらない重要な要素が潜んでいることに気付いてほしいのだ。
ご存じ鶏インフルエンザの影響で、チャイナ・東南アジア産が禁輸となったことで、急遽ブラジル産トリ肉輸入が増えたのだが、まず問題なのは、何故か(報道の中で)「給食用にブラジル産トリ肉では何故いけないのか」という、真っ当な疑問が取上げられないことである。安全だからこそ輸入したのではないか。学校給食自体ふんだんな予算で運営されている訳ではないのに、安全で且つ安いトリ肉が、なぜ給食に使えないのか、その理由をまず問うべきである。私がブラジル政府の人間なら、輸出ストップを武器に厳重に抗議をするだろう。摘発された業者は、開き直って「誰でもやっていることだ」と話していたが、多分多くの業者はギクリとしたのではないか。問題は「コンプライアンス」と言いながら、──今回同規程が、当該学校だけなのか地方自治体の方針なのかは不明だが──遵守されにくい法令を、一方的に業者に押しつけることこそ問われるべきではないか。これは用紙メーカに対する古紙使用義務と同根である。
仄聞したところこのブラジル産トリ肉だが、日本の輸入商社が値切る上、通関検査が厳しいため、日本を敬遠してアラブ諸国へ切り替えで激減、お蔭で国産トリ肉が暴騰したという。笑っては済まされないことだ。こうした問題を解決する唯一の方法は、「産地表示」の基準を改善して、たとえば国産○○%、XX産○○%という、一種のブレンド表示を認めるべきである。業務用もそれに準じた仕組みを認定すればよい。そうすれば(商品によってだが)「国産は高い 外国産は安い」という固定常識も払拭されるだろう。問題はその比準遵守の確実性だが、それは抜き打ちで仕入れ状況や在庫のチェックを行なえばよい。明らかな違反には高額の罰金を科し、且つ厳罰を持って報いればよい。客は自分で好みの価格のブレンドを選ぶことになる。たとえば(話が飛躍するが)火災保険にしても、日本では契約時に禁止項目を明記してあっても、保険会社は契約の前も後もほとんど現場チェックしない。
一方香港では(だけではないと思うが)、たとえば契約に当たって現場をチェックし、その後も踊り場や通路に物を置いていないかなど、違反行為を厳しくチェックして、違反者には保険金支払いをストップするなどしているため、あの密集地に拘わらず、日本よりも火災被害は少ないのだという。日本でもこうした香港方式を採っていれば、雑居ビルや店舗での火災や人身事故の被害は大幅に減少出来ただろう。ご存じかどうか、かつて日本の精肉店では、スライサー(薄切り機)を利用しての牛肉の芸術的なブレンド肉があった。ブレンド肉は大別して、「同一の牛の違った部位」「国産と外国産、あるいはグレードの違う肉質」というブレンドである。ブレンドしたものを、スライサーで薄く切ることによって、硬い肉も食べやすくなり、安く美味しい肉を提供できる上、売れにくい部位を捨てたりすることもなかった。それが産地表示、表示義務などお上の一方的な発想と、バカなオバチャン連の圧力、それに迎合するスーパーの大量販売志向によって、芸術的ともいえた技を持つ地元密着型精肉店が、次々と消え去ったのである。 いまこそ、硬直したコンプライアンス(法令遵守)という、「官制のバカの壁」を打破する時ではないか。
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◎往復メール”島と森と稲作と…” ( トラネコ&中村 忠之)
・トラネコより中村さんへ( 島と森と稲作と…)
今回の縄文塾通信の中村塾長の「緑保全のための試案」を読んで思い出したことがあります。もちろんかなり誤解や偏見など浅学は承知の上で書いてます。
先日久しぶりに私用で東京へ行ってきました。飛行機から見る日本列島に改めて関心したのは、とにかく緑=森林が多い国土ということでした。宅地造成や工場や農地開拓で森林破壊が進んだと言われる昨今ですら、まだこんなに森林が日本に残っていることに驚きます。日本の国土はヨーロッパに比べて決して小さくはなく、たしか日本より大きな国土はウェーデン、フランス、スペインだけだと思います。しかし国土の約7割が人の住めない森林で、森林の隙間の開いたスペースといくつか点在する平野部に住宅や産業が密集しています。これは飛行機から見ると非常によく実感できます。こんな狭い国土に一億三千万人の国民がひしめき合って暮らしているのですから、日本の住宅事情や交通事情が欧米に比べて、よくないのも無理からぬことでしょう。縄文時代から後に弥生系の稲作文化が混入して以来、塾長の仰る日本人のハイブリッド化が進むわけですが、私は日本人の優秀さと和の精神は、この狭い森林の島国家でこそ育まれたものだと今回改めて思いました。つまり島嶼地域という限られた国土と、おそらく縄文時代は9割は森林だったと思われる森林に覆われた国土に、大陸や南方の島々など各地からの民族流入は、先住民と移民との間で居住空間と食料不足が、社会問題になっていたのではないだろうか?と思うのです。大陸なら争いに負けた側は土地から出て行けばいいのですが、森林の島ではそれも限られます。それに関するかどうかは不明ですが、縄文系と弥生系との間の小規模な争いの痕跡も発掘で証明されています。クリなどの木の実や果物だけでは到底おっつかないくらいの、食糧問題が当時の列島で社会問題化してきたのではないでしょうか。稲作はそんな人口増加の食糧問題の解決策ではなかったのか。より効率的に大量の主食の米を生産するシステムです。しかも労働集約し、争うことより協力することで平和と繁栄が保障される。そこから都市国家ならぬ村国家・クニが発展してきた。私は稲作や麦作は広大な平野部で適した生産方法ではないか思います。それが狭い日本に主食生産の基幹産業として根付いたのは、まさに狭き故の国土だったからと思います。また狭い居住空間と移動できない限定された島空間で、人がうまく社会や文明を築くためには、まず争いを止めて「和」の精神を必用とした。また住民が平等に暮らすためにはさまざまな生活や制度の工夫が急務となった。これらのことがハイブリッドの優秀な民族を形成する風土としての、森林の島国・日本だったのだと思います。
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・中村よりトラネコさんへ(俯瞰という視点で見た日本)
今回の縄文塾通信の中村塾長の「緑保全のための試案」を読んで思い出したことがあります。もちろんかなり誤解や偏見など浅学は承知の上で書いてます。
先日久しぶりに私用で東京へ行ってきました。飛行機から見る日本列島に改めて関心したのは、とにかく緑=森林が多い国土ということでした。宅地造成や工場や農地開拓で森林破壊が進んだと言われる昨今ですら、まだこんなに森林が日本に残っていることに驚きます。日本の国土はヨーロッパに比べて決して小さくはなく、たしか日本より大きな国土はウェーデン、フランス、スペインだけだと思います。しかし国土の約7割が人の住めない森林で、森林の隙間の開いたスペースといくつか点在する平野部に住宅や産業が密集しています。これは飛行機から見ると非常によく実感できます。こんな狭い国土に一億三千万人の国民がひしめき合って暮らしているのですから、日本の住宅事情や交通事情が欧米に比べて、よくないのも無理からぬことでしょう。縄文時代から後に弥生系の稲作文化が混入して以来、塾長の仰る日本人のハイブリッド化が進むわけですが、私は日本人の優秀さと和の精神は、この狭い森林の島国家でこそ育まれたものだと今回改めて思いました。つまり島嶼地域という限られた国土と、おそらく縄文時代は9割は森林だったと思われる森林に覆われた国土に、大陸や南方の島々など各地からの民族流入は、先住民と移民との間で居住空間と食料不足が、社会問題になっていたのではないだろうか?と思うのです。大陸なら争いに負けた側は土地から出て行けばいいのですが、森林の島ではそれも限られます。それに関するかどうかは不明ですが、縄文系と弥生系との間の小規模な争いの痕跡も発掘で証明されています。クリなどの木の実や果物だけでは到底おっつかないくらいの、食糧問題が当時の列島で社会問題化してきたのではないでしょうか。稲作はそんな人口増加の食糧問題の解決策ではなかったのか。より効率的に大量の主食の米を生産するシステムです。しかも労働集約し、争うことより協力することで平和と繁栄が保障される。そこから都市国家ならぬ村国家・クニが発展してきた。私は稲作や麦作は広大な平野部で適した生産方法ではないか思います。それが狭い日本に主食生産の基幹産業として根付いたのは、まさに狭き故の国土だったからと思います。また狭い居住空間と移動できない限定された島空間で、人がうまく社会や文明を築くためには、まず争いを止めて「和」の精神を必用とした。また住民が平等に暮らすためにはさまざまな生活や制度の工夫が急務となった。これらのことがハイブリッドの優秀な民族を形成する風土としての、森林の島国・日本だったのだと思います。
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・中村よりトラネコさんへ(島と森と稲作との、この3つが日本という国を形成した!)
私もなんどか上空から日本をじっくり見た記憶があります。高度成長期以降、バブル崩壊以前でしたから、森と共にゴルフ場の異常なくらいの多さに驚いたものです。ご存じのように少し前まで、縄文草創期は、今から一万二千年前ころだと言われていました。それでも稀有の古さですのに、最近の時代測定技術の進歩で一万六千年前まで遡ることがわかってきました。ヴュルム氷河期終了時寒冷期ヤンガードリアス(18000年前ごろ)以降、温暖化の進行によって日本湖が日本海となり、流入した暖流と寒流が北陸から東北に掛けて、高い湿度と大雪をもたらしたことで、日本の森林化が進みました。現在でさえ67%という森林カバー率ですから、縄文草創期から早期に掛けて、仰有るように90%に達したとしても不思議ではありません。おそらく当時の縄文人は、森を相手に悪戦苦闘したことでしょう。 考古学者の小山修三によれば、縄文人の人口は、なべて10万人から30万人、平均すれば15万人程度だったそうです。というといかにも少なそうですが、当時の世界的生活環境からすると、これえは(山地の多さも加わり)世界的に見て高い人口密度だったことになります。三内丸山文明が花開いた6000~5500年前頃は、いわゆる温暖化によって、世界3大(メソポタミア・エジプト・インダス)文明が発祥した時期と重なりますが、その時期に青森でアク抜きの必要がないクリが大量に採れたことが大きな要素になりました。実は今よりも2℃ほど高かったこの文明発祥の時期を、ヒプシ・サーマル(高温期)、あるいはクライマティック・オプティマム(気候最適期)と呼んでいますが、それまで氷河に覆われていたヨーロッパにとってまさに待望の時期だったことでしょう。それが今、「温暖化」と言って大きな問題になっているのは、なんとも不思議であり、また皮肉なことでしょうか。
閑話休題。他の文明発祥の地と同じく三内丸山文明も4500年前ころはじまった寒冷化によって消滅しました。多分寒冷化に伴って人口を大幅に減少させたとしても、弥生到来までにはまだ1000年以上のタイムラグがあります。弥生の民はいまから3000年前から、1000年間に亘って幾度となく大陸より(金属器と水田稲作を持って渡来しました。 ご指摘のように、縄文人と弥生人相互間に、小さな争いはあったかも知れません。ただ私は、「争いという痕跡」は一種の「状況証拠」であって、案外「弥生VS縄文」と言うよりも、「弥生VS<弥生×縄文>」という仮説を採っています。弥生の民の渡来後、すぐに争いが発生したことは、弥生とはいうものの、彼らは幾つものの異民族たちの集団だったということの証左であり、違った弥生と結合した縄文人同士が、弥生人間の闘争に巻き込まれたとしても決して不思議ではありません。この<弥生×縄文>ですが、「(前期)弥生×縄文=国津神」であって、最終的に大和王朝を形成したのが、後期渡来の太陽信仰族=「(後期)弥生×縄文=天津神」だという発想です。勿論この時期になると、縄文とは言えすでに前・中期弥生との混血がなされていたはずです。大切な事ですが、縄文人の受けた被害ですが、おそらく弥生との争いよりも、むしろ彼らに付随した病原菌による被害が大きかったかも知れません。ただ幸運だったのは、南北新大陸でのネイティヴ・アメリカン(インディアン・インディオ)の場合と違って、渡来者が狩猟→遊牧民ではなく、農耕主体の民だったため、結果として家畜由来の病原菌による被害は、最小限に止まったのではないでしょうか。つづまるところ、縄文人だけの人口ではクリ・ドングリでもよかった。ただ弥生という人たちが増えてくればそうはいかない。加えてグルメ?な縄文人は、「コメを食べることで、もう後戻りが出来なくなった」のではと考えられませんか。大陸から孤絶した島という環境、それに豊かな森を育む温暖な気候、それにコメという地力を奪わず、しかも連作可能な最高の穀物、という3つの恵みの中にあって始めて、ハイブリッド日本人が誕生し、発展を遂げていったのでしょう。
日本という高低差のある土地での水田稲作は、神や獣の棲む聖なる森山と、人の棲む地域の間に一種の緩衝地であり、且つ相互の交流の場「里山」という依り代を形成してきました。言い換えると、自然と人界との境界にある人為的「ハイブリッド場」が里山だと言えるかもしれません。問題は今、世界でも珍しい「里山文化」が崩壊の危機にさらされていることです。まず江戸時代以降の人口増加によって、里山から棚田へという環境破壊が始まり、その後高度成長以降の農村疲弊、プロパンなど新エネルギーの普及によって、一転里山と棚田の双方の崩壊が始まったのです。いまハイブリッド日本人に科せられた最大の課題の一つが、「里山復活」だといっても過言ではないでしょう。
PS:日本人の特性は、廊下に座って庭や借景を眺める「座瞰?(ドッグズ・アイ?)」だったと言えます。一方西洋の文明の有り様は、俯瞰(バーズ・アイ)、いわば「景色VS景観」の違いとでも言ったところでしょうか。今後日本人に求められるのは、座瞰という「主客同一という静の視座・視点」に加えて、バーズ・アイという「(客観的)動の視座・視点」なのでしょう。
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牛肉に続いてまたまたトリ肉の偽装問題が起きた。今度は給食用のトリ肉で、ブラジル産を国産(岩手)と偽って販売したというものだ。当事者の開き直っての発言もあるが、例によって各テレビ・ワイドショウのコメンテーターこぞって、非難集中したが、幸か不幸か?折しも「洞爺湖サミット」報道の陰ですぐに報道が止んだので、気付かぬ人も多かっただろうし、気付いたとしても、案外「又か!」と、いささか食傷気味というのが偽らぬところだろう。だが一寸待って欲しい。ここには「比内鶏」「飛騨牛」などとは違って、単なる「偽装問題」として処遇するだけでは収まらない重要な要素が潜んでいることに気付いてほしいのだ。
ご存じ鶏インフルエンザの影響で、チャイナ・東南アジア産が禁輸となったことで、急遽ブラジル産トリ肉輸入が増えたのだが、まず問題なのは、何故か(報道の中で)「給食用にブラジル産トリ肉では何故いけないのか」という、真っ当な疑問が取上げられないことである。安全だからこそ輸入したのではないか。学校給食自体ふんだんな予算で運営されている訳ではないのに、安全で且つ安いトリ肉が、なぜ給食に使えないのか、その理由をまず問うべきである。私がブラジル政府の人間なら、輸出ストップを武器に厳重に抗議をするだろう。摘発された業者は、開き直って「誰でもやっていることだ」と話していたが、多分多くの業者はギクリとしたのではないか。問題は「コンプライアンス」と言いながら、──今回同規程が、当該学校だけなのか地方自治体の方針なのかは不明だが──遵守されにくい法令を、一方的に業者に押しつけることこそ問われるべきではないか。これは用紙メーカに対する古紙使用義務と同根である。
仄聞したところこのブラジル産トリ肉だが、日本の輸入商社が値切る上、通関検査が厳しいため、日本を敬遠してアラブ諸国へ切り替えで激減、お蔭で国産トリ肉が暴騰したという。笑っては済まされないことだ。こうした問題を解決する唯一の方法は、「産地表示」の基準を改善して、たとえば国産○○%、XX産○○%という、一種のブレンド表示を認めるべきである。業務用もそれに準じた仕組みを認定すればよい。そうすれば(商品によってだが)「国産は高い 外国産は安い」という固定常識も払拭されるだろう。問題はその比準遵守の確実性だが、それは抜き打ちで仕入れ状況や在庫のチェックを行なえばよい。明らかな違反には高額の罰金を科し、且つ厳罰を持って報いればよい。客は自分で好みの価格のブレンドを選ぶことになる。たとえば(話が飛躍するが)火災保険にしても、日本では契約時に禁止項目を明記してあっても、保険会社は契約の前も後もほとんど現場チェックしない。
一方香港では(だけではないと思うが)、たとえば契約に当たって現場をチェックし、その後も踊り場や通路に物を置いていないかなど、違反行為を厳しくチェックして、違反者には保険金支払いをストップするなどしているため、あの密集地に拘わらず、日本よりも火災被害は少ないのだという。日本でもこうした香港方式を採っていれば、雑居ビルや店舗での火災や人身事故の被害は大幅に減少出来ただろう。ご存じかどうか、かつて日本の精肉店では、スライサー(薄切り機)を利用しての牛肉の芸術的なブレンド肉があった。ブレンド肉は大別して、「同一の牛の違った部位」「国産と外国産、あるいはグレードの違う肉質」というブレンドである。ブレンドしたものを、スライサーで薄く切ることによって、硬い肉も食べやすくなり、安く美味しい肉を提供できる上、売れにくい部位を捨てたりすることもなかった。それが産地表示、表示義務などお上の一方的な発想と、バカなオバチャン連の圧力、それに迎合するスーパーの大量販売志向によって、芸術的ともいえた技を持つ地元密着型精肉店が、次々と消え去ったのである。 いまこそ、硬直したコンプライアンス(法令遵守)という、「官制のバカの壁」を打破する時ではないか。
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◎往復メール”島と森と稲作と…” ( トラネコ&中村 忠之)
・トラネコより中村さんへ( 島と森と稲作と…)
今回の縄文塾通信の中村塾長の「緑保全のための試案」を読んで思い出したことがあります。もちろんかなり誤解や偏見など浅学は承知の上で書いてます。
先日久しぶりに私用で東京へ行ってきました。飛行機から見る日本列島に改めて関心したのは、とにかく緑=森林が多い国土ということでした。宅地造成や工場や農地開拓で森林破壊が進んだと言われる昨今ですら、まだこんなに森林が日本に残っていることに驚きます。日本の国土はヨーロッパに比べて決して小さくはなく、たしか日本より大きな国土はウェーデン、フランス、スペインだけだと思います。しかし国土の約7割が人の住めない森林で、森林の隙間の開いたスペースといくつか点在する平野部に住宅や産業が密集しています。これは飛行機から見ると非常によく実感できます。こんな狭い国土に一億三千万人の国民がひしめき合って暮らしているのですから、日本の住宅事情や交通事情が欧米に比べて、よくないのも無理からぬことでしょう。縄文時代から後に弥生系の稲作文化が混入して以来、塾長の仰る日本人のハイブリッド化が進むわけですが、私は日本人の優秀さと和の精神は、この狭い森林の島国家でこそ育まれたものだと今回改めて思いました。つまり島嶼地域という限られた国土と、おそらく縄文時代は9割は森林だったと思われる森林に覆われた国土に、大陸や南方の島々など各地からの民族流入は、先住民と移民との間で居住空間と食料不足が、社会問題になっていたのではないだろうか?と思うのです。大陸なら争いに負けた側は土地から出て行けばいいのですが、森林の島ではそれも限られます。それに関するかどうかは不明ですが、縄文系と弥生系との間の小規模な争いの痕跡も発掘で証明されています。クリなどの木の実や果物だけでは到底おっつかないくらいの、食糧問題が当時の列島で社会問題化してきたのではないでしょうか。稲作はそんな人口増加の食糧問題の解決策ではなかったのか。より効率的に大量の主食の米を生産するシステムです。しかも労働集約し、争うことより協力することで平和と繁栄が保障される。そこから都市国家ならぬ村国家・クニが発展してきた。私は稲作や麦作は広大な平野部で適した生産方法ではないか思います。それが狭い日本に主食生産の基幹産業として根付いたのは、まさに狭き故の国土だったからと思います。また狭い居住空間と移動できない限定された島空間で、人がうまく社会や文明を築くためには、まず争いを止めて「和」の精神を必用とした。また住民が平等に暮らすためにはさまざまな生活や制度の工夫が急務となった。これらのことがハイブリッドの優秀な民族を形成する風土としての、森林の島国・日本だったのだと思います。
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・中村よりトラネコさんへ(俯瞰という視点で見た日本)
今回の縄文塾通信の中村塾長の「緑保全のための試案」を読んで思い出したことがあります。もちろんかなり誤解や偏見など浅学は承知の上で書いてます。
先日久しぶりに私用で東京へ行ってきました。飛行機から見る日本列島に改めて関心したのは、とにかく緑=森林が多い国土ということでした。宅地造成や工場や農地開拓で森林破壊が進んだと言われる昨今ですら、まだこんなに森林が日本に残っていることに驚きます。日本の国土はヨーロッパに比べて決して小さくはなく、たしか日本より大きな国土はウェーデン、フランス、スペインだけだと思います。しかし国土の約7割が人の住めない森林で、森林の隙間の開いたスペースといくつか点在する平野部に住宅や産業が密集しています。これは飛行機から見ると非常によく実感できます。こんな狭い国土に一億三千万人の国民がひしめき合って暮らしているのですから、日本の住宅事情や交通事情が欧米に比べて、よくないのも無理からぬことでしょう。縄文時代から後に弥生系の稲作文化が混入して以来、塾長の仰る日本人のハイブリッド化が進むわけですが、私は日本人の優秀さと和の精神は、この狭い森林の島国家でこそ育まれたものだと今回改めて思いました。つまり島嶼地域という限られた国土と、おそらく縄文時代は9割は森林だったと思われる森林に覆われた国土に、大陸や南方の島々など各地からの民族流入は、先住民と移民との間で居住空間と食料不足が、社会問題になっていたのではないだろうか?と思うのです。大陸なら争いに負けた側は土地から出て行けばいいのですが、森林の島ではそれも限られます。それに関するかどうかは不明ですが、縄文系と弥生系との間の小規模な争いの痕跡も発掘で証明されています。クリなどの木の実や果物だけでは到底おっつかないくらいの、食糧問題が当時の列島で社会問題化してきたのではないでしょうか。稲作はそんな人口増加の食糧問題の解決策ではなかったのか。より効率的に大量の主食の米を生産するシステムです。しかも労働集約し、争うことより協力することで平和と繁栄が保障される。そこから都市国家ならぬ村国家・クニが発展してきた。私は稲作や麦作は広大な平野部で適した生産方法ではないか思います。それが狭い日本に主食生産の基幹産業として根付いたのは、まさに狭き故の国土だったからと思います。また狭い居住空間と移動できない限定された島空間で、人がうまく社会や文明を築くためには、まず争いを止めて「和」の精神を必用とした。また住民が平等に暮らすためにはさまざまな生活や制度の工夫が急務となった。これらのことがハイブリッドの優秀な民族を形成する風土としての、森林の島国・日本だったのだと思います。
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・中村よりトラネコさんへ(島と森と稲作との、この3つが日本という国を形成した!)
私もなんどか上空から日本をじっくり見た記憶があります。高度成長期以降、バブル崩壊以前でしたから、森と共にゴルフ場の異常なくらいの多さに驚いたものです。ご存じのように少し前まで、縄文草創期は、今から一万二千年前ころだと言われていました。それでも稀有の古さですのに、最近の時代測定技術の進歩で一万六千年前まで遡ることがわかってきました。ヴュルム氷河期終了時寒冷期ヤンガードリアス(18000年前ごろ)以降、温暖化の進行によって日本湖が日本海となり、流入した暖流と寒流が北陸から東北に掛けて、高い湿度と大雪をもたらしたことで、日本の森林化が進みました。現在でさえ67%という森林カバー率ですから、縄文草創期から早期に掛けて、仰有るように90%に達したとしても不思議ではありません。おそらく当時の縄文人は、森を相手に悪戦苦闘したことでしょう。 考古学者の小山修三によれば、縄文人の人口は、なべて10万人から30万人、平均すれば15万人程度だったそうです。というといかにも少なそうですが、当時の世界的生活環境からすると、これえは(山地の多さも加わり)世界的に見て高い人口密度だったことになります。三内丸山文明が花開いた6000~5500年前頃は、いわゆる温暖化によって、世界3大(メソポタミア・エジプト・インダス)文明が発祥した時期と重なりますが、その時期に青森でアク抜きの必要がないクリが大量に採れたことが大きな要素になりました。実は今よりも2℃ほど高かったこの文明発祥の時期を、ヒプシ・サーマル(高温期)、あるいはクライマティック・オプティマム(気候最適期)と呼んでいますが、それまで氷河に覆われていたヨーロッパにとってまさに待望の時期だったことでしょう。それが今、「温暖化」と言って大きな問題になっているのは、なんとも不思議であり、また皮肉なことでしょうか。
閑話休題。他の文明発祥の地と同じく三内丸山文明も4500年前ころはじまった寒冷化によって消滅しました。多分寒冷化に伴って人口を大幅に減少させたとしても、弥生到来までにはまだ1000年以上のタイムラグがあります。弥生の民はいまから3000年前から、1000年間に亘って幾度となく大陸より(金属器と水田稲作を持って渡来しました。 ご指摘のように、縄文人と弥生人相互間に、小さな争いはあったかも知れません。ただ私は、「争いという痕跡」は一種の「状況証拠」であって、案外「弥生VS縄文」と言うよりも、「弥生VS<弥生×縄文>」という仮説を採っています。弥生の民の渡来後、すぐに争いが発生したことは、弥生とはいうものの、彼らは幾つものの異民族たちの集団だったということの証左であり、違った弥生と結合した縄文人同士が、弥生人間の闘争に巻き込まれたとしても決して不思議ではありません。この<弥生×縄文>ですが、「(前期)弥生×縄文=国津神」であって、最終的に大和王朝を形成したのが、後期渡来の太陽信仰族=「(後期)弥生×縄文=天津神」だという発想です。勿論この時期になると、縄文とは言えすでに前・中期弥生との混血がなされていたはずです。大切な事ですが、縄文人の受けた被害ですが、おそらく弥生との争いよりも、むしろ彼らに付随した病原菌による被害が大きかったかも知れません。ただ幸運だったのは、南北新大陸でのネイティヴ・アメリカン(インディアン・インディオ)の場合と違って、渡来者が狩猟→遊牧民ではなく、農耕主体の民だったため、結果として家畜由来の病原菌による被害は、最小限に止まったのではないでしょうか。つづまるところ、縄文人だけの人口ではクリ・ドングリでもよかった。ただ弥生という人たちが増えてくればそうはいかない。加えてグルメ?な縄文人は、「コメを食べることで、もう後戻りが出来なくなった」のではと考えられませんか。大陸から孤絶した島という環境、それに豊かな森を育む温暖な気候、それにコメという地力を奪わず、しかも連作可能な最高の穀物、という3つの恵みの中にあって始めて、ハイブリッド日本人が誕生し、発展を遂げていったのでしょう。
日本という高低差のある土地での水田稲作は、神や獣の棲む聖なる森山と、人の棲む地域の間に一種の緩衝地であり、且つ相互の交流の場「里山」という依り代を形成してきました。言い換えると、自然と人界との境界にある人為的「ハイブリッド場」が里山だと言えるかもしれません。問題は今、世界でも珍しい「里山文化」が崩壊の危機にさらされていることです。まず江戸時代以降の人口増加によって、里山から棚田へという環境破壊が始まり、その後高度成長以降の農村疲弊、プロパンなど新エネルギーの普及によって、一転里山と棚田の双方の崩壊が始まったのです。いまハイブリッド日本人に科せられた最大の課題の一つが、「里山復活」だといっても過言ではないでしょう。
PS:日本人の特性は、廊下に座って庭や借景を眺める「座瞰?(ドッグズ・アイ?)」だったと言えます。一方西洋の文明の有り様は、俯瞰(バーズ・アイ)、いわば「景色VS景観」の違いとでも言ったところでしょうか。今後日本人に求められるのは、座瞰という「主客同一という静の視座・視点」に加えて、バーズ・アイという「(客観的)動の視座・視点」なのでしょう。
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