中国の被害者意識とはなにか―― アメリカ人学者の指摘(2)(3)(4)(古森義久) | 日本のお姉さん

中国の被害者意識とはなにか―― アメリカ人学者の指摘(2)(3)(4)(古森義久)

▼中国のナショナリズムは政治加工品か――アメリカ人学者の指摘(1…古森義久)アメリカ側の専門家二人の見解を雑誌SAPIO最近号に書きました。その内容を紹介します。 過激な高まりをことあるごとにみせつける中国のナショナリズムをアメリカはどうみているのか。程度の差こそあれ、どの国の国民の間でも聞かれる「国を愛する」とか「国を誇りに思う」という自然発生的な言葉でこの中国のナショナリズムもくくれるのか。政府当局により政治的に加工され、利用されてはいないのか。こうした諸点を米側がどう認識しているのかを知るためのきわめて有益な機会を得た。


ごく最近の六月十八日、アメリカの中国専門家たちの間でも中国のナショナリズム研究ではともにすぐれた実績を残し、知名度の高い二人がアメリカ議会で証言をしたのである。議会の超党派の政策諮問機関「米中経済安保調査委員会」が開いた公聴会での証言だった。公聴会全体のテーマは「中国当局によるメディア管理」だったが、そのなかに「中国のナショナリズムと国営メディアへのその関係」というセッションがあり、その場で二人の中国ナショナリズム研究の権威が報告をしたのだった。この証言者の一人はプリンストン大学のペリー・リンク教授だった。リンク教授は一九七六年にハーバード大学で博士号を取得したベテラン学者で、中国の現代の文化や文学、そして社会を専門に研究してきた。一九八九年の天安門事件以降は中国の民主化運動にもかかわり、人権やナショナリズム関連の諸問題をとくに調査の対象としてきた。最近では中国当局の天安門事件での民主派弾圧決定の経緯を記した内部文書をアメリカ側で「天安門ペーパー」として公表した実績もある。著書も多く、全米でも最高ランクに位置づけられる中国研究学者である。もう一人の証言者はオクラホマ大学「米中問題研究所」のピーター・グリース所長だった。グリース所長は少年時代の数年間をアメリカ外交官だった父とともに北京で過ごし、地元の学校に通った経歴から中国語がとくに堪能である。一九九九年にカリフォルニア大学で「中国のナショナリズムの研究」論文により博士号を取得した。その後、オハイオ州立大学、コロラダ大学の助教授を経て、二〇〇六年からオクラホマ大学准教授、同時にオックラホマ大学付属の「米中問題研究所」の所長となった。中国のナショナリズムを専門に研究する気鋭の学者で、著書には「中国の新ナショナリズム」などがある。




さてこの二人が同公聴会で述べた証言や同時に提出した報告書を基に、中国のナショナリズムに関する二人の見解を紹介しよう。


まずナショナリズム一般について、リンク氏が解説した。「どの国でも普通、国民の間で『自国への愛』や『自国への誇り』は当然視されるが、中国の場合、その表現は現実の心情の表明よりも中国共産党の政治目標の達成を優先基準としてきた。そこから生まれるナショナリズムには一般に自国の前向きな特徴に重点をおいたポジティブな側面と、かつて自国が諸外国の犠牲者、被害者になったことを清算しようとするネガティブな側面とがあるが、中国の場合はネガティブな側面のほうがずっと強い」「ネガティブな側面」というのは過去の歴史にさかのぼっての諸外国への恨みや憎しみとか、現代の中国への国際的批判を逆手にとっての諸外国への怒りや憤りが主体となってくる、というのだ。リンク氏はそのうえで中国のナショナリズムはいま国民の九八%ほどを占める「漢族」の意識と大幅に重なり合っていることを強調した。(つづく)


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▼中国の被害者意識とはなにか―― アメリカ人学者の指摘(2)(古森義久)


グリース部長も中国のナショナリズムが「漢民族の血」が基盤となることを力説しながら、次のように説明した。「ナショナリズムとは一般に国民が自国に対して抱く帰属と愛着や支援、誇りなどの意識だといえるが、中国の場合、非常に特殊で、民族文化、とくに漢民族の血のつながりが基盤となる。この点、民主主義とか人権という政治理念、イデオロギーが基盤となるアメリカのナショナリズムとは基本的に異なる。中国の場合、文化面では自国の古い文明への誇りがナショナリズムの一つの核ともなる」



リンク氏はこうした背景を踏まえて最近の中国ナショナリズムの注目すべき特徴をあげた。

日本にとっても重大な意味を持つ考察である。中国の二十一世紀のナショナリズムはそれがきわめて敵意に満ち、幼児っぽい単刀直入の率直さで表現される点で、ふかしぎだといえる。『十三億の同胞の感情が傷つけられた』『屈辱を受けての燃えるような憎しみ』というような極端な表現が多いのだ。被害者意識、犠牲者意識から生まれたこの種の言辞は毛沢東時代にも存在したが、市場経済、インターネットのいまの時代になぜまた復活してきたのか」この疑問に対し、リンク氏は中国共産党が一九九〇年代なかばから始めた「愛国教育」の影響が大きい、と説明した。共産党の独裁かつ永続的な統治の正当性を人民に説くために、かつてはマルクス主義や社会主義や毛沢東主義を強調すればよかった。ところがそのいずれもが説得力も魅力も失った。そのうえに天安門事件での同胞の殺戮で共産党はますます統治の正当性を説く根拠を減らしてしまった。そこで時の江沢民政権が考え出したのはナショナリズムの煽動であり、強化だった。



中国は過去の栄光を諸外国に蹂躙され、搾取され、虐待されてきた。だがいまや中国共産党の統治と指導の下に中国人民はその栄光を取り戻そうとしている――こんな訴えこそが愛国教育の主眼であり、ナショナリズム植えつけの目的だというのである。つまりは人民を共産党の支配の下に従い、しかも団結させておくための手段がナショナリズムの煽動だというわけだ。その煽動の先頭に立つのが共産党中央宣伝部である。(つづく)


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▼中国は歴史に直面していない――アメリカ人学者の指摘(3) (古森義久)

リンク氏によれば、中国共産党はこういう趣旨のナショナリズムの拡散に、教科書、博物館、新聞、テレビ、映画、そして政治指導者の演説などを総動員した。「輝ける歴史と伝統を持つ中国は近年、日本、ヨーロッパ、アメリカなどによって屈辱を受けてきたことを忘れてはならない」という政治メッセージが出発点だという。そうなると、その帰結は明白である。日本こそがそのメッセージが煽る怒りや憎しみの最大対象となるわけだ。戦争の歴史に依拠する反日ナショナリズムである。しかしこの反日ナショナリズムは、中国人民の感情から自然に頭をもたげたというよりも、共産党の政策として加工されて提示され、拡大されていったというわけである。


この側面に関連してリンク氏は興味ある実例をあげた。

「アメリカの著名な中国研究学者のF・W・モート氏が第二次大戦終結直後に南京を訪れた際、日本軍の残虐行為については話をいろいろ聞いたが、地元住民の間に憤慨からの報復感情がほぼ皆無なのに驚いた。政治指導者でも蒋介石が『以徳報怨』という表現日本を許すと言明した。毛沢東も権力の座にあった二十七年間、南京虐殺はまったく無視した。言及したことも、被害者を見舞ったことも、ただの一度もない。だが彼の後継者たちがこの眠ったままの問題を煽り立てることの政治的便宜を考えついたのだ。その結果、後から毛沢東の書が南京虐殺記念館に飾られることになった」


南京事件もつまりは中国側が最近になって政治的便宜性のために、新たに掘り出して、ナショナリズム高揚の材料とした、というのである。リンク氏はそのうえでひとつのエピソードを語った。「アメリカを訪れた中国共産党幹部たちが南京虐殺を持ち出し、日本が『歴史に直面していない』と非難したので、私は彼らに告げた。『中国側こそ毛沢東主導の大躍進で千万単位の自国民が殺されたのに、その歴史には直面していないではないか』と」(つづく)


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▼中国の反日感情は永続する――アメリカ人学者の指摘(4)(完) (古森義久)




グリース所長も中国のナショナリズムの政治加工部分を認めながらも、一般国民から自然に発生する部分も重視すべきだと述べた。

「中国のナショナリズムを共産党による上からのトップダウンだけの現象とみるのは間違いだ。いまでは中国の一般国民のレベルでも諸外国に反発するナショナリズムが定着し、ボトムアップ、つまり下から上に動いて、政府当局を逆に動かし、抑えるケースが増えている。共産党はナショナリズムを煽ることはできても抑えることができないことがあるのだ。小泉純一郎首相のころ、中国側では政府が最初に反小泉キャンペーンを展開したが、その結果、一般の小泉嫌いが極端になってしまい、政府代表が小泉首相と会談してもよい、会談したいと考えるようになっても、一般の反小泉感情の激しさのために、会談ができなくなってしまったのだ」


グリース所長はさらに中国ナショナリズムの日本にとっての特別の意味を語った。

「不運なことに中国の対日政策形成ではナショナリズムが主要な要因のひとつとなってしまった。これは日中両国にとっても、北東アジアの平和や安定にとっても好ましいことではない。中国側では、日本はそもそも中国文化の長年の受益者なのに恩義を忘れ、中国への侵略を続けたという歴史解釈が宣伝された。日本側の残虐性や不公正ばかりが強調され、一般中国人の怒りを煽り、現代の反日感情の基礎となっていった。この感情は永続性が強い。同じナショナリズムの心情でも中国側の対日感情は他の外国への感情とはとても異なるのだ」リンク、グリース両氏ともが総括として強調したのは、中国自体にとっても、政府がこの種の排外的なナショナリズムに動かされて外交政策を形成することは、きわめて危険だという点だった。(終わり)