なぜタイ焼は値上げしないのか?(日経・宮嶋 康彦 )
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▼なぜタイ焼は値上げしないのか?(日経・宮嶋 康彦 )
(原料高騰どこ吹く風、強いニッポンの味)
写真仲間からメールが届いた。38歳、会社勤めの独身女性。「渋谷のデパートで戸邊(秀治)さんの米を買いました。1キロ2940円でした。高価なので躊躇しましたが、思い切って2キロ買いました。 ―中略― あらためて自分の食生活を振り返ってみると、やっぱりパンや麺類が多く、ご飯が主食とはとても言えません。
本当は、炊きたての白いご飯と味噌汁が好きなのですが、朝のあわただしい時間や疲れて帰宅したあと、米を研いだり、水に浸したり、炊きあがってから蒸らすという時間の余裕など、とてもありません。 そんなわけで、めったに食べない白いご飯だから、おいしいお米を買って、休みの日に丁寧に炊こうと思いました…」
新潟の米農家ルポに血道をあげている筆者に、“めったに食べない白いご飯”、という、良くも悪くも新鮮な、日本人の存在が浮上した。勢い込んで友人や知人に聞き込みをしてみれば、依然として米派が多いものの、朝はパン食、昼は麺類といった小麦派が、やはり多いと感じた。
・小麦文化に侵食される米文化
筆者も無類の粉もん好きである。うどんにパスタ、ラーメンにパン。安い米を常食していることもあって、食費に占める小麦の割合は、ざっと4割程度。日本人が1カ月間にパン・麺類に支出する額は4173円。それに対して米は2191円(総務省「家計調査」平成20年5月・2人以上勤労世帯)。小麦の価格は高騰し米価は下落という背景を考えても、稲作文化が小麦文化に侵食されている印象は免れない。 小麦が日本の食卓を一変させるのだろうか。ふと、好物が脳裏をよぎった。 タイ焼。 短気な性分だが、行列に並んでも買う菓子がタイ焼だ。こうばしい小豆餡の香りとパリッと焼かれた小麦の噛み応えが絶妙な取り合わせの餡菓子だ。しばらく食べないでいると、無性に欲しくなることがある。日本中のタイ焼を食べ歩き、タイ焼の本まで出版するという、熱狂的なタイ焼ファンでもある。
子供が100円玉を握りしめて、タイ焼店に走りこんでくる、そんな庶民的な光景を幸せの構図と思い込んでいる。願わくば絶滅に瀕することなく、いつまでも子供たちをいざなう庶民菓子であってほしいと念じている。
・小麦価格の高騰がタイ焼を直撃しているのでは…
しかし、タイ焼の周辺はさまざまな不安要素がある。なんといっても、小麦価格の高騰による経営悪化が心配される。日本国内で1年間に消費される小麦、およそ620万トンのうち、8割が米国とオーストラリアからの輸入である。今年は、この2大輸入国の事情によって値段が高騰することを、思い知らされた。パンや麺類、菓子など、身近な食品の値上がりも続いている。 タイ焼の主な原材料は小麦粉、小豆、砂糖。いずれも価格が不安定な品目だ。ガス、電気の料金も上がる。さぞかし、タイ焼のような、庶民の菓子はつらい目に遭っているに違いない。筆者はそう考えて、老舗のタイ焼店を訪ねてみることにした。 多くの製造業で原材料の上昇分をコスト削減で吸収するなど、涙ぐましい経営努力が続けられているご時勢、タイ焼は溺れかけているに違いない、と、おそるおそる暖簾をくぐった。 ところがドッコイ、世の中の情勢など何食わぬ顔、相変わらず鉄板の上で悠然と泳いでいる。原材料高騰の荒波にめげないばかりか、店主は「値上げはまったく考えていませんよ」と余裕の笑みさえ浮かべるのだ。
・「うちは値上げはしませんよ」
筆者の職業はカメラマンだが、タイ焼の写真は撮らない。それぞれの店で形や大きさ、うろこの数の違いなどを“魚拓”で採取する。ただ、鉄板で一度に複数を焼くタイプではなく、タイ焼誕生当時の形態をそのまま遺す“天然物”だけを“魚拓”に採ってきた。 天然物はハシ物といい、大きな植木鋏のような焼き型で1個ずつを焼いていく。ハシは1丁2キログラム強、 細長い火床(昔は炭、今はガス)に10丁ばかり並べて端から順に焼いていく。重労働であり非効率。そのため次々に姿を消し、天然物を焼く店は、今では国内に30軒を数えるほどに激減した。 ハシは木型職人と鋳物師の意匠であり、以前は埼玉県川口市の鋳物工場で盛んに作られていた。しかし今日では関係する職人もほとんどいなくなり、現在、1丁のハシをこしらえる価格は往時の10倍から15倍、6万円以上の掛かりになる。 ルポを始めたころは、やがて消える絶滅危惧種の庶民菓子、と思われた。ところが近ごろ、タイ焼の世界に新しい動きが出てきた。1丁焼きの天然物は付加価値が高いとされて、わざわざ高価なハシを造り、タイ焼店のオープンが続いている。筆者に開店を知らせる案内はこの2年で5店舗。どの店も順調な滑り出しをみせた。 そこへ原材料、光熱費の値上がりだ。さぞかし苦しい経営を強いられているのでは、と連絡を取ってみた。しかし、どこからも悲鳴は聞こえてこない。「ぼちぼち商売させてもろうてます」「どうにかこうにか順調です」「値上げは考えていません」と危機感がない。タイ焼はそれほどオイシイのか、と邪推したくなる。 「うちは値上げはしませんよ」と訪問理由を話し終わる前に、察しの良い浪花家総本家の4代目、神戸正守社長(50)は断言した。 「庶民の駄菓子ですから、子供が100円玉を握りしめて買いに来られる菓子だからこそ、世の中の不況と無縁でいられるんです」
・2度のオイルショック、バブル崩壊も生き抜いた
浪花家総本家の開店は明治42(1909)年。以来、タイ焼を焼き続けて99年、大阪出身の神戸清次郎が興した家業は、年商1億2000万円の大店に成長、昨年は1億8000万円をかけて、東京・麻布十番の店舗兼住居の建替えも果たした。 開店当初のタイ焼の値段は、アンパンと同じで1個1銭だったという。今もアンパンとほぼ同額の150円。依然として“庶民のおやつ”の価格を維持している。4代目社長が言う。 「小麦粉に関していえば、タイ焼1個当たりの量はわずかなものです。うちは生地に卵や飴の類いも使いませんし、小豆は昨年、値上がりに備えて年間使用する量をいっぺんに購入したんですよ。600万円ほどかかりましたけどね」 小豆は一昨年から、一大産地の北海道十勝地方で豊作が続き値段が下がっていた。その機を逃さず“一気買い”に出たというわけだ。4代目の思惑どおり、小豆の価格は今年に入って再び値上がりに転じた。冷凍ギョーザ事件以降、中国産食品の輸入が一時期ストップしたために、国内産小豆の需要が高まったことが背景にある。 2度のオイルショックもバブル崩壊時もタイ焼が「酸欠になることはありませんでしたね」と4代目社長は振り返る。 いったいなぜ、タイ焼は世情に翻弄されないのか。経営手法に特別な秘密でもあるのだろうか、その内情を話してもらった。
・課長や部長が課員をねぎらおうと買っていった
話を聞いていくうちに、わが国に固有の文化、つまり“めでたい”ハレの文化が、商品にゆるぎない価値として寄り添っていることが解る。タイ焼は餡菓子。餡子の小豆は古来、魔除けの効力があると信じられてきた。外見、中身、共に御めでたい菓子なのだ。 「タイ焼はもともと、うちの初代が、商売するんなら、何か、めでたい物にしようじゃないか、と始めたと聞いています。本物の鯛は食べられなくとも、せめて尾頭付きの餡菓子を、というわけで、もともと不況にはめっぽう強い」
それが証拠に、バブル崩壊直後、タイ焼はよく売れたという実績がある。温かくて甘く、さらにめでたいタイ焼は、いつも弱者の味方だったらしい。 「大会社の課長や部長さんが30、50個と買ってくれたんです。明日は(会社が)どうなるかも分からない状況があったでしょ、そんな折だったから、課員をねぎらおうってね。タイ焼は鯛型のめでたさと庶民に愛されてきたという歴史が、人の気持ちを和ませるんでしょうね。親父(3代目)とも話すんですけど、これがサンマやサバでは、景気付けをしよう、という気分にはならなかったかもしれませんね」社長の父親、3代目の神戸守一さんは自他共に認める“ミスター・タイ焼”。「およげ!たいやきくん」のモデルになったという“おじさん”だ。いまも毎日店に出て、客と話をすることが何より楽しいという85歳。その3代目がしみじみ話す。 「場所です。なんといっても店舗の場所がよかった。麻布十番という街は芸能人が多くてマニアックな街でしてね、そんな客筋もよかった。それから伝統的な手法で焼き続けた品物が支持された。なんといっても物が良くなくっちゃ話になりませんから。この3点が成功の鍵だった」
・1日4000個を焼き上げる
小柄な体格、きゃしゃな首にぶら下げた卵大のタイ焼のネックレスは純金製。タイ焼への敬愛を不変の鉱物で表現している。現役時代は蝶ネクタイを結びコック帽をかぶるといった奇抜なユニホーム姿で焼台の前に立っていた。話しかけると、ちょび髭と丸い眼鏡の顔を上げて、いかにもお人好しといった笑顔で応えてくれた。 4代目に家業を任せてから5年、現在はタイ焼を焼くことはなくなった。浪花家のオールドファンからは、もう一度あの姿が見たい、という声が多く聞かれる。考えてみれば、3代目がかたくなに守り続けたユニホーム姿のパフォーマンスも、今日の成功の要因だったことに気づかされる。 マスコミの取材は引きもきらない。テレビ、ラジオ、新聞、雑誌の撮影、インタビューは1週間と途切れたことがない。おかげでタイ焼の“おじさん”像はますます確立されていくことになり、全国に、タイ焼普及の大きな牽引力にもなった。 浪花家では1日4000個を焼き上げることも珍しくない。デパートやイベントなど、大口の注文もたびたび入る。従業員は正社員とパートを合わせて12人。焼き方を担当する者はおよそ2時間、焼きだけに集中する。それが終われば10分ほど休憩し、今度は餡子の煮方に回る。店内で食べる客の接待係をすれば、店頭で販売係にもなる。 単純な計算だが、150円のタイ焼を4000個焼けば1日の売り上げは60万円。タイ焼1個の原価は20円から30円程度といわれている。原材料の小麦粉は価格の安い粉が使用される。「パンやケーキをこしらえる上等の粉(強力粉)はタイ焼には向かないんです、粘って、焼き型にくっついちゃう」というので、薄力粉が主流となっている。
・創業以来、十勝産小豆を使った自家製餡子を使用
浪花家は1袋(30キロ)およそ5700円の米国産小麦粉を常用。「価格と品質がひじょうに安定している」という理由からだ。 タイ焼店によっては、餡子を精餡所から購入するケースもある。また、中国から練り餡の状態で輸入される餡子を使う店もある。中国産の加工餡は、なんといっても値段が安い。しかし、浪花家では創業以来、一貫して、十勝産小豆の自家製餡子を使ってきた。 「その日、売れるだけを煮ますから無駄が出ないんです。加工餡子はかならず増減のロスが出る。言葉にすれば簡単ですが、このロスは経営にはかなりこたえるはず」 タイ焼が誕生した明治42年から、99年間この方、焼き型を変えず、小麦粉で自家製の小豆餡をくるんだタイ焼を焼き続けてきた、その不変の法則が、筆者が推量した“特別な経営手法”といえるのかも知れない。 召集令状が届いた日、再興を胸にタイ焼きの道具を埋めたのちに“ミスター・タイ焼”と称されるまでになる3代目は、若いころから「タイ焼で家が建つ」と自信を口にし続けていたと言う。
「昭和の初めころは『浪花家』の赤暖簾を掲げる店が150軒を上回っていたんです。それほどタイ焼は皆さんに愛された」 昭和18年、3代目の神戸守一さんに召集令状が届いた日、タイ焼の道具を土に埋めたのだという。「これさえあれば、戦地から戻っても、また家を再興できる」と確信があった、と力強く話すのだ。
「いやあ、それが証拠に、復員してからの商売は笑いが止まらなかった。阿佐ヶ谷の闇市から店を始めてね、みんな甘いものに飢えてたんだよ。あんまり売れるもんだから、サッカリンを使って甘味にしたり、生地に色粉をつけたり、ズルしたこともあったっけなあ…それでも飛ぶように売れた」 3代目の思惑どおり、家はたちまち再建された。麹町に一軒構えることができたのだ。そればかりか、商売が軌道に乗るにつれて、店舗を阿佐ヶ谷から四谷、さらに高円寺に移し、現在の麻布十番へ回遊を果たした。
・予約制を取り入れてさらに商売繁盛
「昔はね、タイ焼は団子や大福餅よりも下の下の駄菓子と言われたけどね、虎屋の前社長がね、皮がパリッとしていて餡子が特にすばらしい、と評価してくれたね、嬉しかったよ」 浪花家のタイ焼は確かに美味しい。皮は煎餅のように薄く、パリッと焼きあがっている。そこが職人の真骨頂だ。皮はぎりぎりの薄さにもかかわらず餡子がはみ出ることがない。 浪花家のタイ焼が大好物だった映画監督の山本嘉次郎は「単衣の着流し風情」と形容した。小豆のつぶ餡は甘すぎず、上品な食味が特徴だ。筆者のように「食べたくなったら居ても立ってもおられない」というファンは少なくない。ただし、近ごろの待ち時間には閉口する。 筆者がたまに思い立って浪花家にタイ焼を求めに行くと「1時間ほどお待ちいただきます」というのはざらで、2時間待ちを宣告されることもある。 「お電話で予約していただければ、待ち時間は無くて済みます」 というので、賢い浪花家ファンは電話をかけて受け取りの時間を指定する。この「予約制」導入というアイデアも商売繁盛の下支えになった。 「ふつうなら、1時間待ちのタイ焼はそっぽを向かれるところでした。以前は店先に交通の妨げになるほど行列ができて大変だったんですよ。その行列の中から、順番を待ちきれない客が、1人、2人と抜けていくんです。もったいない光景でしたよ」 なんとか、行列を離脱する客を引き止める手段はないか…。ふと、4代目にひらめきが訪れた。「その辺を散歩してきませんか、個数をおっしゃっていただければ、焼いておきますよ」と、とっさの機転が、予約制という商売につながったのだ。
・B級だからこそのしぶとい強さ
高級を売り物にすれば流行り廃りが必ず訪れる。B級の食べもんは強い。なんといっても競争相手がいないから、ぎりぎりのコスト削減や価格破壊がおこらない。新商品の開発費もかからない。 安価な小麦粉を使用し、小豆は値の安いときにまとめ買いをする。店内にイートイン・スペースを造り、短気な客も逃がさないように焼きたてのタイ焼(600円・タイ焼1個に飲み物付き)を食べてもらう。電話予約を受ける。そこに筆者は、初代・神戸清次郎に始まった浪花商人のド根性の系譜を見た。99年のあいだ、タイ焼一品で商売をしてきた凄みを実感した。 浪花家総本家が使用する小麦粉をてのひらに頂戴する。米国産の粉だ。舌先で舐めてみても、わずかに穀物の香りがするものの味は素っ気なく、言葉では表現できかねる。米は食べる人が味を判定できるが、小麦の良し悪しは製粉業者が決めるのだ。 稲作文化に浸潤しようとする小麦とは、いったい何物か、来週は国内有数の良質小麦を作る小麦農家を、北海道オホーツク沿岸の町に訪ねる。 (※編集部注:フォトアルバムで紹介した「はなや」は当初上田市と表記しましたが、正しくは須坂市ですので訂正しました)