LOVE&PEACEの行き着いた先が「地下鉄サリン」と「鯨肉窃盗」だった話。 (大日本セキュリテ | 日本のお姉さん

LOVE&PEACEの行き着いた先が「地下鉄サリン」と「鯨肉窃盗」だった話。 (大日本セキュリテ

ようちゃん、おすすめ記事。↓

LOVE&PEACEの行き着いた先が「地下鉄サリン」と「鯨肉窃盗」だった話。 (大日本セキュリティ)
最近話題の世界的な環境保護団体グリーンピースの事務局長であるこの方 (★星川 淳という男です。序にこの男は次の本を書いて、日本の国益や自然の淘汰を混乱させて、生物系の生態を狂わせようとしているし、狂牛病が蔓延し、食料不足になると、独占を考える欧米の味方をしてる、欧米人の立場からしか、鯨資源を考えない主張を展開してます。「日本はなぜ世界で一番クジラを殺すのか」 (幻冬舎新書 ほ 1-1) (新書) 星川 淳 (著) ¥ 819 (税込)

セックスカルト教団の信者だったらしいとの話があります。まぁ。私はこういうカルト教団については詳しくないので勉強がてらのエントリです。

で、そのカルト教団の教祖的存在なのがラジニーシ氏(★この男も次の本を書いています。が、仏教徒ではありません。カルトです。般若心経 (単行本) バグワン・シュリ・ラジニーシ (著), スワミ・プレム・プラブッダ (翻訳) ¥ 2,100 (税込)又「秘教の心理学 和尚 」も書いています。)

のようです。で、具体的にどういう教団で、どういう状況をさしてフリーセックスカルトと言われるのか、イメージが湧き易いのがこのエントリでしょうか。

●紫源二さん blogs.dion.ne.jp/hoshius/archives/230396.html ・シュリ・ラジネーシ・アシュラム

高二の終わりの春休み、僕はインドに行き、バグワン・シュリ・ラジネーシの弟子になった。プーナにあるラジネーシ・アシュラムには、世界各国から人種も性別も年令も越て、様々な人々が集まっていた。中でも一番多かったのがドイツ人だと言われていた。 それからアメリカ人、イギリス人、ヨーロッパのその他の国々の人々。そして、日本人。地元のインド人、黒人、中国人、東南アジアの人々もいた。とにかく人種も国籍も文化も宗教も超えて、世界のあらゆる国から、ラジネーシの思想に共感した人々がこのアシュラムに集まって来ていた。主に20代後半から30代の若者が中心で、60年代のヒッピー・ムーブメントやカウンター・カチャーの世代が主流だった。中には50年代の胆の座ったビート世代の弟子もいたし、白髪の老人もいた。17才だった僕は、その中でも、最も若いサンニャーシンの一人だった。しかし、サンニャーシンの子供たちも大勢いた。なかには、父親が誰だか解らないままアシュラムで生まれた子供たちもいるらしい。そのような子供は「アシュラム・キッズ」と呼ばれ、誰からも可愛がられていた。

ラジネーシのダルシャン(面接)を受け、サンスクリット語の名前をもらった。僕はグルの前に膝まづいた。ラジネーシの親指が、僕の額に押し当てられるのを感じた。そのとたん、僕の目はグルの目に釘付けになり、ゆっくりと語りかける彼の言葉のひとつひとつが、まるで夢の中の風景のように、僕の脳裏で、ありありと映像化されてゆくのを、僕はその時、不思議とも思わなかった。あまりにも、グル・ラジネーシの近くに寄りすぎたため、横で控えていた側近に、もっと離れろと注意された。しかし、僕はラジネーシの目に吸い込まれ、ラジネーシ本人も、僕の顔と顔がくっつきそうに近くにいることを、意にも介さない様子で、大きい目をさらに見開いたまま、お互いに瞬きもせずに見つめ合っていた。ラジネーシは、インドなまりの英語で話した。甲高くしかも静かな彼の声は、僕の中で美しい詩になり、その言葉の美しいイメージは僕の心を酔わせ、僕は我を忘れてただ聞き入った。

「悟りは難しいものではないよ。誰でも悟ることができるのだよ。木でさえ悟るのだ。だから、そんなに悟りを難しく考えてはいけないよ。お前は、輝く星だ。すべてのものがそこに向かっている。 ありとあらゆる生命がその星に向かって輪廻転生を繰り返している。いいかい?木でさえ、悟るのだよ。木でさえ、輝くその星に向かっているんだよ。だから、ただ、ゆったりと自然でいなさい。 ここに居る間は、忙しくしてはいけない。何をやるのでも落ち着いてゆったりとしていなさい。 ん?  わかったかい? ここにいる間は、忙しくする必要はないんだよ。ゆったりと、ただ、落ち着いていなさい。」  僕は、彼が話している間中、瞬きひとつしないで師の目を見つめていた。グルも僕の目を見つめていた ラジネーシは、ゆっくりと時間をかけて、僕の新しい名前を紙の上に書き始めた。僕には永遠と思えるほど、彼はゆっくりと文字を書いてから、僕に紙を手渡した。便箋の隅に、ずいぶんと小さな、しかし、丁寧なサンスクリット語で、僕のサンニャーシン・ネームが書かれていた。ラジネーシは僕に、父のように名前を与えた。
その名前は”スワミ・アナンド・シタール”だった。その後、前かがみになって彼の写真が入っているマラ(ペンダント)を僕の首に掛けてくれた。
これで僕は、バグワン・シュリ・ラジネーシの弟子になったのだ。そして、世捨て人に・・・。

ラジネーシの弟子は、サンニャーシン(世捨て人)と呼ばれていた。サンニャーシンは、その証にオレンジ色の服を着なければならない。アシュラムでは、老若男女、人種も国籍も様々な人々が皆、オレンジ色の服を縫っていた。セックスに対してはオープンで、バグワン・シュリ・ラジネーシのアシュラムは、世間から「フリー・セックス教団」などと呼ばれていた。アシュラム内では、あちこちで男女が抱擁したり、キスしたりしていた。
初対面の相手でもアイ・コンタクトをしてお互いが気に入れば、何の言葉も理由もなくお互いに抱き合いディープ・キスを交すことも日常茶飯事だった。フリー・セックスも当然のことのように行なわれていた。当時はまだ、HIVは存在していなかった。

ラジネーシは「泣きたいときに泣き、笑いたいとき笑うがいい。踊りたいと思ったら踊りなさい。転げ回りたいと思ったら、転げ回るがいい」と、弟子達に話していた。つまり、社会的な慣習に囚われる必要はない。人間の自由な意志(それがどんなものであれ)を、個々人は何時でも何処でも自由に表現することができる。社会はそれを抑圧し続けてきた。だから、今ではすっかり自分が今何を感じ、何がしたいのか、すっかりわからなくなってしまっている。しかし、社会的な習慣に慣らされた今の自分の姿は、本来の人間の姿ではないのだ、と弟子達に教えていた。そして、人間本来の姿、自然本来のあるがままの人間には、計り知れないほどの可能性がある。だから、このアシュラムで行われている様々な瞑想、セラピー、グループ療法などはすべて、今ではすっかり忘れ去られてしまった本来あるがままの生命を取り戻すために行われているのであり、このアシュラムは、本来、人間の生命はどれだけすばらしい可能性があるのかを実証するための、一つの壮大な実験の場でもあるのだ、と語っていた。インドの熱い日差しを浴びて輝くアシュラム内の木々の緑と、その補色となる強烈なオレンジ色のローブを縫った男女が、人目を気にすることもなく自然に抱擁する姿は、17才の僕の目には、輝いて見えた。そして、このアシュラムこそ、人間の「自由」を信頼し、誰でも「愛し合うこと」を可能にする、「理想の共同体」なのだと、僕は信じて疑わなかった。

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実は、上記のラジニーシ氏の本を日本語訳しているスワミ・プレム・プラブッダなる人物の正体こそがグリーンピース事務局長・星川淳氏なのだそうです。

まぁ。いずれにしてもピンとこないですねぇ。倒錯した乱交セックスにうつつを抜かし、「これが愛と平和だ」と言っていた人物が突如、暴力的なまでの環境保護運動に身を委ねるという事が....。まぁ。反社会的な事においては共通していますが。そういえば、ラジニーシ氏の教えはオウム真理教にも影響を与えているそうです。ラジニーシ氏の教えは日本において、「地下鉄サリン事件」と「鯨肉窃盗事件」として実を結んだようです。
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ようちゃんの意見。↓
★思わぬ、所から、正体が暴露されたモノですねー。マメに何でも 見て回ってる大日本セキュリティさんの 好奇心に喝采です♪。 これは快挙です。
オームが終息かと 思っていたら、生き残りや残党は 共産党の分派を同じで、 何処にでも潜り込むのですねー。
今読んでる、韓国人の書いた(北朝鮮から、脱北し、ドイツへ行き、其処から韓国へ 入り、韓国国籍になった、著者 :黄 晳暎  岩波書店 ¥2,500
2004年4月27日 「客人」と言う 本がある。故郷への旅の途中で次々と現れる亡霊たち.彼らが呟くのは,半世紀前,朝鮮半島で起きた凄惨な戦争の生々しい姿である.それは軍同士の戦いであっただけでなく,隣人同士の殺しあいでもあった―.亡命して渡り歩いたピョンヤン,ニューヨーク,ベルリンで実在の人物に取材して,ソウルの獄中で構想した,韓国最高の作家(文化日報)が描く鎮魂の書.韓国のベストセラー. それは南北米中の軍同士の戦いであっただけでなく、村人同士、隣人同士の血で血を洗う殺し合いでもあった―ピョンヤン、ニューヨーク、ベルリンで実在の人物に取材し、ソウルの獄中で構想した、衝撃の小説作品。 「1950年10月17日から12月7日までの52日間、侵入してきた米軍は3万5038人の罪のない一般の住民をもっとも残虐な野獣的な方法で殺戮する(略)空気穴からガソリンを撒いて焼き殺したとか、多くの女性たちを近くの温泉に連れて行って強姦した後、庭の池に追い込んでから手榴弾を投げて爆殺したとか(略)」しかし驚くべきことに、ここでの虐殺は米軍の北上と南下の期中、キリスト教青年団を中核とする反共右翼勢力の手によって恣行されたものであったのだ。(略)北側はこの恐るべき信川での虐殺を同族によるものだということを隠し、あえてそれを米軍の仕業にしたというのが真相である思われるが……
そして、この住民を虐殺したのは、今も米軍兵とされてるが、実際は、カソリック教徒右翼だった。その理由は、 日本が引き上げた後は、 北朝鮮では、急激に左翼・マルキシズムが吹き荒れ、 今までの上流・中流家庭は、農地や借家を取り上げられて、逆に底辺階級へ突き落とされた。 其処へ米軍が仁川上陸して、 中国軍や北朝鮮軍を北へ 追い上げて掃討作戦を展開し始めた。 その機会を、虐げられたいた、北朝鮮カソリック教徒達が、 かっての小作人であった者が。農地をもらったり、借家人が取り立てられて、上の階級へ上がりよい職に就いてたりしてたのに、 米軍が北上したのを好機として。平壌郊外のある農村で、 一斉に住民虐殺を開始した。 今でも米軍虐殺記念館が 建立されてるが、 真っ赤な嘘・作り話である事。 著者が海外での、この虐殺事件の生き残りの数人に、出会って証言をとり、実証してるし、米軍の戦争の記録の公開文書が、(30年の期限が終わり、誰でも読めるようになり、この時期の米軍の兵士や師団は、この虐殺村には 行けない地域で戦闘したり 駐留していた事実も判明した。客人とは朝鮮半島にやって来た、2つの悪魔。キリスト教とマルキシズムの2つの西から来た災厄だという事です。この2つの客人が朝鮮戦争の悲劇を生み出した「西病の 中の災厄の客人」だという事です。お客様には帰って行って貰いたいという事です。 日本にも戦後、創価学会。オーム真理教と言う、西から来たカルト教団の悪魔と、マルクス主義の左翼には手を焼いている
実に何時までもシツコク祟る カルトは怖いですねー。
(訳者あとがきより)
著者は韓国政府の許可を得ずに北朝鮮にわたったことで、後日逮捕された。『第三次辺境10号』(影書房発売)で、日本の作家井上光晴氏と対談している。そこで、韓国軍兵士としてベトナム戦争に参戦させられたことが原体験になっていることを語っている。朝鮮戦争によって、敗戦国日本の経済は復興できた。日本人の幸運さと朝鮮人の不運の歴史の中で、あらためて戦争とは何か、軍隊とはなにかを内戦の悲劇を通じて考えさせられた。
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日本のお姉さんの意見。↓

朝鮮半島の人がクリスチャンになったと聞いても

あの人たちは、すぐにカルト化して別の異端の集団になるから

信じられないです。朝鮮半島のキリスト教徒は、実際には

聖書を信じていないと思う。戦争当時の朝鮮半島では

みんな、生き延びるために昼間は米軍の味方のフリをして

夜は北朝鮮の味方のフリをして同民族で恐ろしい殺し合いを

していたそうです。それをみんな米軍のせいにしているのです。

生き延びるためにはウソも平気だし、裏切りも平気なのです。

極限状態になったら、普段から道徳心の無い人はそうなるのは

仕方がないかあ。