頂門の一針
ようちゃん、おすすめ記事。↓
誇るべき日本文化の美意識
━━━━━━━━━━━━加瀬 英明
このところ日本料理からアニメまで、日本文化が世界に大きな影響をおよぼしている。私は海外に出るたびに、洋食が苦手だった。オードブルとスープのあとに、魚の大きな一切れ、またまた肉の塊が乗った皿が続く。それを不(ぶ)様(ざま)な工具のようなナイフ、フォークを使って食べるから、興を削がれる。ところが、洋食もこの20年あまり新料理(ヌーボークジン)といって日本料理を真似て、小さなポーションをあしらった料理が7、8皿、供される。それまで日本以外で皿といえば、世界どこへ行っても円形のものなのに、今では四角などの変形の皿が用いられるようになった。
夏目漱石は『草枕』の主人公に、「西洋の食物で色のいいものは一つもない。サラド位だ。画家から見ると、発達せん料理だ。そこへ行くと、日本の献立は物奇麗(ものぎれい)だ。眺めたまま帰っても、御茶屋へ上 がった甲斐(かい)がある」と言わせている。ヌーボークジンは和食のよ うに、見た目にも配慮している。料理だけではない。私には何のことやらよく分からないが、若者の間で日本のマンガ、コスプレ、J(ジャパン)・ロックが流行している。日本のマンガは英語などにそのままmangaと書かれて、仲間入りしている。青い眼のマンガ作家も現われている。
日本文化の美意識や、繊細さが評価されるようになっている。幕末にヨーロッパの画家たちが、浮世絵を競って模倣するようになってから、日本文化による影響がジャポニスムと呼ばれている。ジャポニスムは、ルノワール、ピサロ、ロートレック、ドガ、モネ、ゴッホ、ゴーギャン、ムンクをはじめとする作家たちに、深奥な影響を与えた。
日本は近代建築にも、大きな影響を及ぼした。ブルーノ・タウトが伊勢 神宮の内宮を訪れて、外容と内容が一致しているのに驚いて、「稲妻に 打たれたような衝撃をうけた」と書いたのは、よく知られる。ジャポニスムの強い影響を受けた建築家として、タウト、アドルフ・ルーズや、リチャード・ジョセフ・ノイトラが有名である。ノイトラは日本を訪れて帰国すると、「私の感性と、完全に一致した。私は生涯求めてきたものに出会った」と、絶賛した。
タウトは「日本のヨーロッパへの影響は、甚大だった。ヨーロッパ建築 の簡素化に最も強い推進力を加えたのは、簡素で自由を極めた日本建築 であった」と、述べている。それまでの西洋建築は、外装(ファサード)に彫刻が施されて、デコレーションケーキのように飾りたてられていた。二十世紀に入ると新建築運動が興って、外容と内容が一致した機能的なビルが生まれるようになった。今日の虚飾を省いた、機能的な西洋家具も、日本の影響を強く受けたものだ。日本人は善悪よりも、美を尺度として生きてきた。美意識が突出して発達している。
安土桃山時代にザビエルなどのキリスト教宣教師が日本を訪れてから、明治にいたるまで、西洋人が筆を揃えたように、あらゆる階層の日本人 が正直であることに感嘆している。私たちが美をもって、生活態度を律 してきたからである。日本人は人として外を飾ることがなく、外容と内容が一致していた。そういえば、お隣の中国は、古代に紙、火薬、羅針盤を発明したが、近代世界に与えた文化的な影響が何一つない。
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「鮮人に砂糖食わすな」
━━━━━━━━━━━渡部亮次郎
小便が甘くなる糖尿病だが、砂糖を食いすぎたからなる病気ではない。
口から入れた栄養素を血肉に変化させるためのホルモン「インスリン」 が膵臓の「ランゲルハンス島」から十分に出なくなる病気である。インスリンに見向きされなかった栄養(ブドウ糖)が小便に混じって廃棄
されるから糖尿病と名づけられた。
往々にして糖尿病は甘い物の摂り過ぎと誤解している人がいる。だがそ のために糖尿病になる人は稀だ。私は少年の頃、砂糖を食べすぎたら脚 気になった。ビタミンB1欠乏症である。日露戦争当時何万の将兵がこれ で死んだ。つまり砂糖や糖分を消化するにはビタミンB1が不可欠。砂糖を食ってビタミンB1を補充しないと脚気になる理屈である。脚気は昔の病気だろ、この世から消えたと思っている向きに警告。清涼飲料水は砂糖過剰。それで最近、脚気になっている人(若者)が多いそうです。
先にどこかに書いたが、併合時代、統治する日本人は朝鮮人に砂糖を全 く与えなかった。高価だったからである。砂糖醤油にまぶした牛肉(や まと焼き)をどれほど食べたかったことか。1973年に訪韓した際、朴正権 の閣僚が述懐していた。だから1945年8月15日、日本から解放されるや、韓国の国民1人当りの砂糖消費量は一時的に世界一になったそうだ。「焼肉」は日本人が韓国で始めたものなのだ。ところで砂糖 さとう Sugarは蔗糖を主成分とする代表的な甘味料。原料は蔗糖を含む植物で、砂糖黍(さとうきび)からは甘蔗糖、テンサイ(砂糖大根)からは甜菜(てんさい)糖またはビート糖が造られる。
また、砂糖楓サトウカエデ(楓)からはカエデ糖(メープルシロップ)、サ トウヤシ(椰子)からはヤシ糖、サトウモロコシからはソルガムシュガー (バイオマス)がつくられている。紀元前327年アレクサンドロス大王の西インド遠征の折、すでにインドではサトウキビの茎から蜜を造っていた。サトウキビは、原産地と考えられるニューギニアから7世紀ごろ地中海東部に伝わったが、砂糖は薬として扱われ珍重されていた。
16世紀になって新大陸での植民地開発に伴い生産が急増、ヨーロッパ人 の食生活に大きな影響をあたえるようになる。17世紀以降、紅茶ととも に一般に普及していった。日本には754年唐僧の鑑真(がんじん)によって伝えられたとされる。室町時代に中国との貿易が盛んとなり、砂糖の輸入量も増えたが、江戸時代に砂糖が国内生産されるまでは貴重品であった。毒物と称して主人が壺に秘蔵していた〈黒うどんみりとして,うまさうなもの〉を砂糖だと知って,太郎冠者と次郎冠者が食べてしまう狂言《附子(ぶす)》の滑稽には,当時(鎌倉時代)の日本人と砂糖との関係が見事に描き出されている。
少なくとも農村でも砂糖を舐めていたのは極一部の地主だけだった。砂 糖を知らない農村の次男、三男がたちが、食べた事もない白米をたらふ く食べた事によって脚気に悩みながらロシアに勝ったのが日露戦争だっ た。こうして、砂糖に慣れ親しんだ日本人も大東亜戦争中は主産地台湾との往来もまま成らなかったため、戦後を含む数年間は砂糖とは無縁の生活を余儀なくされた。
この数年間はあらゆる店先から菓子らしい物は一切姿を消した。戦後 、2-3年して、農家にコメを供出させるエサとして白砂糖が配られて、再 び砂糖にありついたのだった。余談だが、戦時中に姿を消した物に鮭の缶詰がある。戦争が始まる前は樺太方面にサケ漁の出稼ぎが盛んだったから鮭缶は溢れていたのに、対米戦争開始と同時に姿を消し、戦後も暫くしなければお目にかかれなかった。
通常の砂糖の製法は原料から搾汁・浸出などの方法で糖液を作り、精製 ・濃縮・結晶化・分蜜・乾燥・冷却の工程をたどる。
砂糖の種類は原料によるもの以外に、製法や結晶の状態によっても分け られる。製法の違いによる種類には、糖蜜分を含む含蜜糖と糖蜜分を分 離した分蜜糖がある。黒砂糖などの含蜜糖は、糖蜜を含んでいるため色が濃く、甘みも強い。分蜜糖は糖蜜が分離され、精製されているため色が白く、日常使用されているのはほとんどが分蜜糖である。
結晶の状態による種類には、分蜜しないで夾雑物を漉してそのまま濃縮 した黒砂糖、結晶の大きいざらめ糖(白ざら糖、中ざら糖、グラニュー糖)。小さくてしっとりした車糖(上白糖、中白糖、三温糖)、加工糖(角砂糖、氷砂糖、粉砂糖、顆粒状糖、コーヒーシュガー)、液糖などがある。砂糖の主な用途は勿論、甘味料で、砂糖漬けやジャムなどは砂糖の保存性を利用したものである。また、キャンディや飴などの菓子材料としても重要である。コンビニ弁当は保存料として砂糖を多用していると関係者に聴いたことがある。
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台湾の「夏の陣」
━━━━━━━━Andy Chang
7月4日朝9時、上海から出発した厦門航空が台北の松山空港に着陸し、台湾と中国の空路直通が始まった。台湾海峡を飛び越えて航空機が中国から台湾へ飛来したのは初めてで、台湾海峡という「外堀」を埋められた台湾は、豊臣秀頼の大阪城と同じ く滅亡の道を辿り始めたのである。同じように南京から東方航空、広州から南方航空の旅客機がそれぞれ松山と桃園空港に到着し、一日で7百人あまりの中国人が台湾に着地したのである。
●呉伯雄の南京訪問
5月20日馬英九が相当に就任したが、一週間後の28日に台湾の国民党 党首・呉伯雄は南京を訪問して中国の陳雲林と会談し、数日後には両国 間の空路及び海路の直通について協議書を交わした。この協議書は台湾側の希望する貨物の直輸送については一切の討論もなく、単に中国側の主張する中国人訪問客の空路乗り入れを受け入れること、しかも2ヶ月以内に実施することなどが書かれていたのだった。協議によると台湾は全島で8ヶ所の空港を解放して中国の航空機を受け入れるとしている。つまり、5月末の協議から2か月以内で台湾は外堀を埋め立てられただけでなく、中国人の身元調査、人民元の受け入れなどの諸問題を草々と許可してしまったのである。
●中国軍の「トロイの木馬」訓練
ところで中国側の対応とはどんなものかというと、協議に明記した8ヶ 所の空港に大きな意味があった。協議が成立して台湾側の反対がなかっ たことが明白になった6月18日、中国軍は河北省の石家荘空港で、8機の 旅客機を使って「航空応急輸送訓練」と称する特殊部隊の緊急突撃訓練 を行った。この訓練には物資の輸送ではなく、軍隊の車両、落下傘兵士の突撃訓練、レーダー搭載車、通信車、偵察車などを搭載し、特殊部隊の指揮所を設立する訓練だった。つまり「トロイの木馬」のように、協議書に書かれた台湾の8ヶ所の空港に着陸して戦時指揮所を作る訓練である。一旦緩急あれば、すぐにも軍隊を台湾に派遣できる体制を整えたのである。
●呉伯雄とは呉三桂のこと?
中国で協議書にサインをして戻ってきた呉伯雄を、馬英九は任務を果た した将軍のように歓迎した。そして呉伯雄は空港で馬英九に対し「大任 を果たすことが出来て嬉しい」と得意顔で報告したのである。その実、今回の協議は完全に中国側の主導で行われ、台湾が側の希望した条件、例えば物資の直輸送、中国の台湾に対する政治抑圧の軽減、WHO参加への許可などは一切なかった。つまり呉伯雄は中国側の示した無条件降伏の文書にサインしたようなものである。
国民党は2000年の選挙で民進党に負けて政権を台湾人政党に奪取され たのを非常に恨み、8年後に政権を取り戻したときは「復辟」と称して歓 呼の声を上げた。そして中国を訪問した呉伯雄は国民党が国父と崇める孫文の墓に参拝して「国を取り戻しました」と涙ながらに報告したのである。つまり台湾人は中国人ではない、中華民国は台湾国ではない、台湾人の独立は許さないと国民党は明確に認めているのである。
呉伯雄が中国と交わした協議書は、たとえ中国の軍隊を導入してでも台 湾を台湾人に任せないという国民党の決心である。台湾人である呉伯雄が門戸を解放して中国人の出入を許可したのは、明朝の呉三桂が満州と中国の境界にあった山海関を開いて満州族のドルゴン(多爾袞、ヌルハチの14子。睿親王)の軍隊を入れ、李自成の内乱を平定したが、結果として明朝の滅亡に至った故事と同じである。
●台湾人に責任転嫁した馬英九
馬英九は呉伯雄を中国に派遣して門戸開放と言う実質的には全面降伏の 協議書にサインさせたが、ここに馬英九の陰険さがあると筆者は見る。
呉伯雄は台湾人である。協議にサインしたのは台湾人であり、蒋系中国 人の責任ではない。呉伯雄は国民党の党首であって中華民国の総統であ る馬英九の責任にはならない。
台湾を中国に売り渡した「呉三桂」売国奴は呉伯雄であって馬英九では ない。台湾人に責任転嫁をしたのである。
復辟を果たして中華民国が再生したが、その直後に呉伯雄が中国で協議 書にサインして中国に全面降伏したのである。復辟で中華民国を再生し た1週間後に中華人民共和国に降伏したのは国民党の党首であり、台湾 人の呉伯雄であって馬英九ではない。更に興味のあることは、表に出ないけれども台湾では「馬英九の黒幕軍師」と呼ばれる男がいて、名は愛新覚羅・金溥聡という、清王朝の後裔である。漢民族が台湾族を征服した。蒋系中国人が台湾人を征服して復辟を果たし、毛系中国人が蒋系中国人を征服して台湾侵略の起訴を固めた。その蒋系中国人の軍師は清王朝の後裔だった。
●馬英九と胡錦濤の真意
台湾では既に滅亡の道を辿り始めたが、失意中の台湾人は何も出来ない し対策もない。台湾人の民間団体や民進党の党首などがいろいろと馬英 九を批判する発言しているが、馬英九政権は雑音に構わず統一路線を突 っ走っている。
蒋系中国人は台湾人に政権を引き渡すようなことは2度と起こらぬよう に急速な統一を意図している。政権を失った台湾人がどのように抗議し ても単なるガス抜きに終わってしまう。馬英九政府と国民党の意図には少しズレがあるように見えるが、その実彼らはすべて中国人であり、摩擦があるように見せかけても同じ路線を辿ることに違いはない。馬英九は何を考えているのかというと、国民党が政権を維持して、香港モデルで50年の台湾統治を確保することである。この50年の間に台湾を食いつぶして外国に移住し、残りは中国に引き渡すつもりである。
しかし胡錦濤の意図は馬英九と違い任期内に台湾統一を果たすつもりで ある。中国は国内でいろいろな問題を抱えているが、中国人とは誰も信 じない闘争の世界であるから、下手をすると毛沢東と林彪のような政権 闘争ともなりかねない。トウ小平は3度も失脚したが奇跡的に3度も復 帰を遂げた。中国人は親子でさえ信じない、ましてや胡錦濤が馬英九を信じることなどありえないのである。胡錦濤にしてみれば地位を確保するためには早急に台湾統一を果たすことであると思われる。馬英九は幼稚な台湾人を騙して政権を取ったが、次に待っているのは胡錦濤が馬英九を騙して台湾を乗っ取ることである。(在米台湾人 地球物理学者)
モラル欠如の「偽装屋」ばかり
━━━━━━━━━━━━━━平井 修一
「正直者の頭(こうべ)に神宿る」と言われてきた。真面目に正直にや っていれば神様は悪いようにはなさらないよ、という意味だろう。近年 は「不正直者の頭にカネ宿る」という輩が急増しているようである。
商売は「安く仕入れて高く売る」のが基本だろうが、一攫千金を狙い、 ワーストランキング1位の中共産ウナギをベストランキング1位の愛知県 三河一色産として売りさばこうとしたウナギ輸入販売会社「魚秀」の社 長のような、法律以前のモラル欠如の「偽装屋」が多すぎないか。
真面目にやって大儲けするのならおめでたいが、お客様を騙して儲ける なんざ、商人の面汚し、一族の恥、町の不名誉である。
「社会に役立つ生き方」は小生のような凡夫凡婦にはできないまでも、 「恥ずかしくない生き方をする」というのは日本人の最低限のモラルで ある。恥という字をご存知ない」人々が次から次へ現れるのは、家庭や学校、社会において道徳教育が欠如しているからではないか。
なにを教えるのか。信念をもって一所懸命に努力する。熱意をもってこ とにあたる。勤労の尊さ。勤勉の大切さ。創意工夫で挑戦する心。助け 合い、他者を慈しみ、社会に奉仕する。
兄弟姉妹仲よく、親孝行に努める。倹約、もったいないの心。健康の大 切さ。師弟愛、友情は人生の宝。反省し、感謝する謙虚さ。人には誠実 と寛大で対せ。礼儀と公衆道徳。愛国心は人を人たらしめる背骨の如し。
教育勅語には、教育の目的が簡潔に記されている。
爾臣民 父母ニ孝ニ 兄弟ニ友ニ 夫婦相和シ 朋友相信シ 恭儉己レ ヲ持シ 博愛衆ニ及ホシ 學ヲ修メ 業ヲ習ヒ 以テ智能ヲ啓發シ 徳 器ヲ成就シ 進テ公益ヲ廣メ 世務ヲ開キ 常ニ國憲ヲ重シ 國法ニ遵 ヒ 一旦緩急アレハ 義勇公ニ奉シ 以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
この教育はかつては「修身」という授業で教えられていた。祖先や同時 代の人々の優れた事跡を紹介し、子供たちに感動を与え、このような先 達をモデルとしてあなたも人生を送りなさい、と教え導いたのである。
日本が世界から尊敬される人材を輩出したのは、こうした教育の賜物だった。人を人たらしめる修身教育、道徳教育は、読み書きソロバン以上に優先すべき教育ではないか。一日も早い復活を望む。
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話 の 福 袋
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◎「国籍」「父」求め日本へ、比の日系2世ら16人
【マニラ=稲垣収一】フィリピンに戦前に移住した日本人男性と現地女 性の間に生まれた日系2世ら16人が15日、身元不明の父親の情報を求め て来日する。昨年10月、東京家裁がこうした2世に対し、日本国籍取得を初めて容認して以降、集団来日は初めて。比人母を持つ「ジャピーノ」と呼ばれる子供たちに対しても、最高裁が6月に国籍取得に道を開く判決を出しており、在比日系人の間では、世代を超えた日本国籍取得の期待が高まっている。
来日する2世の1人、マニラ首都圏ケソン市在住のグロリア・マンガオ さん(76)は昨年10月、国籍取得に必要な「就籍」を東京家裁に申し立 てた。同家裁が、父親の身元(戸籍)が不明な2世に対し、初めて間接 証拠での就籍許可を出した直後のことだ。
父親は戦前、大工として比中部西ネグロス州に移住。戦時中は軍の通訳 として働いたが、敗戦で捕虜となり、捕虜収容所で会ったのが最後とな った。反日意識の強かった比社会で、マンガオさんが日本人であることを示す証拠を保持するのは困難で、父親の証拠も兄や姉の出生記録に残った「東京出身、フジ・ヒノ」との記載だけだった。来日を控え、マンガオさんは「命あるうちに日本人と認められたい」と訴える。
7月6日3時28分配信 読売新聞
◎<ニッポン密着>76歳孤独死、8カ月後の今も家賃 UR、主なき 口座から
◇身寄りなく、URは「放置」--足立の旧公団住宅
都市再生機構(UR、旧日本住宅公団)の賃貸住宅団地で、居住者が孤 独死した後も、URが家賃を金融機関口座から引き落とし続けているこ とが分かった。部屋も死亡時の状態のままにされている。URは「退去手続きや残された財産管理の引き受け手がないためのやむを得ない措置」としているが、違法性を指摘する専門家もいる。居住者の高齢化などで孤独死が急増している状況の中、法的な整備を求める声が出ている。
東京都足立区の花畑(はなはた)団地(2725戸)で昨年10月、福岡県出 身の76歳の男性が自室で病死し、1週間後に見つかった。既に8カ月以上が経過し、男性の身寄りも分からないにもかかわらず、URは男性の口座から毎月3万円前後の家賃の引き落としを続けている。さらに、「居室は維持したまま身寄りを探している」(UR関係者)として、男性の部屋は遺体発見当時のままにされている。しかし、孤独死があったことを知る同じ棟の居住者は「部屋がなんでそのままなのか」と不審そうに話す。
1964年に入居が始まった花畑団地は老朽化が著しいため、URは新たな 入居募集をせず、一部を取り壊して再開発する方針を決めている。
UR東日本支社総務企画部は「死亡後も家賃の引き落としが続くケース はある。期間は個別の事情で異なるが、長期間に及ぶ場合は一部を遺族 に戻したり、国庫に入れる」としている。
URは全国で約1800団地77万戸の賃貸住宅を管理。URが統計を取り始 めた99年度の孤独死は207人だったが、毎年増え続け、最新の06年度では 517人で2・5倍に膨らんでいる。今回の問題について、経済アナリストの森永卓郎さんは「民営化してURになる前の日本住宅公団は居住者に親身で、考えられない対応だ。利益確保のため意図的に放置したと見られても仕方がない」と批判する。
羽衣国際大の岸本幸臣教授(住居学)は、「入居者が亡くなった時点で、民法上の賃貸借契約は解約されたと解釈すべきで、その後の家賃徴収は違法だ。しかし、親族が見つからずに荷物が搬出されない場合はURも対処に迷うだろう。身内のない独居老人が亡くなるケースは今後、増える可能性があり、民法上問題が出ない対処方法を法的に整備する必要がある」と指摘している。7月6日11時17分配信 毎日新聞
◎九州・山口地方が梅雨明け 降水量は平年上回る
福岡管区気象台と鹿児島地方気象台は6日、九州北部(山口県を含む)と九州南部がそれぞれ梅雨明けしたとみられると発表した。平年に比べ北部は12日、南部は7日早い梅雨明け。昨年に比べても北部が17日、南部は12日早い。
両気象台によると、6日の九州地方は北部、南部とも高気圧に覆われて おおむね晴れている。今後1週間も一時的に曇る日はあるものの、晴れ の日が多い見込み。
九州北部の梅雨入りは6月10日で、南部は5月28日。両地域とも期間は 平年よりも短かったが、梅雨前線の活動が活発だったため、期間中の降 水量は福岡で394・0ミリ(平年278・8ミリ)、熊本835・0ミリ(同440・8ミリ)、鹿児島784・0ミリ(同540・0ミリ)と、多くの地点で平年を上回った。2008/07/06 12:29 【共同通信】
◎岡山県産マスカット 原油高で出荷大幅遅れ
岡山県特産のマスカットの出荷が今シーズンは大幅に遅れている。ボイラー燃料の重油が高騰し、ハウス加温を控える傾向が強まったのが影響した。全農県本部の調べでは、出荷量は6月末現在で前年同期と比べ17・6%少なく、落ち込み幅は過去10年で最も大きい。山陽新聞(2008年7月6日 )
◎華やか日中友好の館 函館中華会館 4年ぶり公開
【函館】中国・清朝の建築様式を伝える国内最古の建物、函館中華会館 (函館市大町)が5日、4年ぶりに一般公開された。日中関係の悪化で 公開が中断していたが、今回は四川大地震の被災者支援という目的で8 月16日まで開館。入館料収入の半分を被災者に寄付する。
会館は日中貿易で財を築いた華僑が1910年、商業神の関羽を祭る「関帝 廟(かんていびょう)」として建築した。れんが造りの外側とは対照的 に、内部は祭壇を中心に精巧な彫刻、金箔(きんぱく)などの装飾が施 されている。
管理する社団法人函館中華会館の陳上梅・理事長(79)は「会館は日 中友好の場。ここを活用し、被災地の力になりたい」と話す。開館は正 午-午後4時半。入館料は大人600円、高校生300円、小中学生200円。
北海道新聞 (07/06 07:19)
◎コンビニ弁当大苦戦中 この7年間で利用が約半分
コンビニ弁当がこの7年間で利用が半減しているとの調査結果が出て、注 目を集めている。最近は、弁当専門店のほか、スーパー、デパ地下など も力を入れており、競争が激化している。コンビニ弁当はどうなるのか。
■弁当店やスーパー、デパ地下など競合が多くなってきた
「コンビニそのものの売り上げが落ちています。その結果が表れたの ではないでしょうか」
コンビニ弁当利用のインターネット調査を行ったマイボイスコムの広報担当者は、結果についてこう話す。それによると、週に1回以上コンビニ弁当を利用すると答えた人は、2008年6月1~5日の調査で17.7%。
これは、2001年7月の調査の30.1%に比べほぼ半減している。また、利用 しないと答えた人は、37.4%で、2001年時の20.9%に比べ倍増した。総 じて、利用は7年間で大幅に減っていることになる。
これは消費者調査だが、売り上げにも影響が出ている。
日本フランチャイズチェーン協会の08年1月21日発表によると、07年のコ ンビニの売上高は、既存店ベースで前年比1.0%減となり、8年連続で減 少した。
そして、平均客単価は1.1%減って9年連続でマイナスになり、その主な 原因として、弁当販売の不調が挙げられている。08年5月は、食費を抑え るための外食から切り替えなどの理由から、弁当などが増加に転じたも のの、わずか2.5%だ。弁当はコンビニの主力商品だけに、売上高と直結 しているようだ。
なぜ消費者離れが進んだのか。
外食産業総合調査研究センターでは、次のように分析する。
「弁当は、持ち帰り弁当店やスーパー、デパ地下でも売っており、競合 が多くなってきたからではないですか。例えば、コンビニでは弁当を温めないといけませんが、持ち帰り弁当店なら温かいままに出せます。また、スーパーなどでは、おいしいお総菜も売っており、こうした影響が出ていると思います」
「ほっともっと」弁当店チェーンを展開するプレナスも、競争激化があ るとみる。「私どもでは店舗当たりの販売数に大幅な変動はないので、 中食市場がしぼんでいることはない」としながらも、「すかいらーくが 宅配したり、配達の弁当が増えたりと、外食が参入したあおりを受けた 可能性があります」と指摘する。
■セブンイレブンは「売り上げは堅調」
もちろん、コンビニ業界も手をこまねいているわけではない。
中には、店内調理した総菜やご飯の「できたて」を売りにする一部店舗 もある。J-CASTニュース07年5月13日付記事では、スリーエフ神奈川県庁 前店が店内で作った総菜20種類から選んでもらう弁当を販売したりする などの例が紹介されている。
マイボイスコム調査によると、消費者には、健康志向と高級志向が強い。あったらいい弁当として、「血液さらさら弁当」「ビストロスマップ弁当」などが挙げられている。
こうしたニーズに応え、セブン-イレブンでは08年5月12日から、「ヨン 様弁当」とも呼ばれる2500円の高矢禮(ゴシレ)弁当の予約を開始。ファンらから注文が殺到して、増産までして販売した。また、地域の特産物を使った弁当も充実させ、差別化を図っている。
セブン-イレブンは、前出の調査で、よく食べる、おいしいと思うコンビ ニ弁当で、それぞれ6割強、4割強の圧倒的な支持を集めてトップになっ た。セブン-イレブン・ジャパンの広報担当者は、「私どもでは、お弁当 の売り上げが特に落ちていることはなく、堅調に推移しています」と話 す。
ただ、「できたて弁当」については、販売しているのは一部の店で、コ ストや設備・サービス面でクリアすべき問題が多いとされる。また、消 費者志向に合わせた弁当にしても、他業態が、同じような工夫をしてい る。前出のプレナスでは、「私どもは、地域によって弁当のメニューを変えたり、味を変えたりしています。たくさん食べたい、メタボに気をつけたい、といったいろいろな嗜好性に対応するようにしています」と明かす。人口減少や高齢化の影響でも市場が伸び悩んでおり、限られたパイを巡って競争が激しいことは確かだ。7月6日12時35分配信 J-CASTニュース
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反 響
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1)6日朝の6チャンネルにおける寺島実郎氏がこのようなことを言っ ておられた。悲しいかな同感なのである。昨年9月に7年振りで訪れたアメリカは、住宅着工の不振、自動車(国産車)の売れ行き低下に悩む、先が案じられる国と化していた。何故そうなったかの説明は不要だろうが、その陥穽に嵌ったきり一向に脱出できていない。ドル安などは改善の方向性さえ見出していないようだ。
その威信低下はこの経済面だけに止まらない。政治面では到底褒めよ うがない失政を続けている大統領はマイナス貢献を続けている。イラク問題然り、環境保護対策然り、中国・北朝鮮対策然りで、最早何処にでも此処にでもある国と言っても誤りではないと断言できそうだ。
特に"never forget abduction issue"発言に象徴されるように外交面で の失敗は数限りない。我がマスコミは「任期切れ前に何か実績を残そう との意図から、北朝鮮のテロ支援国指定を解除しようとした」と言うが、北を支援することが外交上のポイントになるというわけが解らない。
明らかに中国に阿るで悪ければ、アジアの同盟先を何処かに変更しよう としていると言って貰いたい。その前に、北朝鮮は大方のまともな人が読んでいたように、あるべき形の申告をしてきた様子がなく、この期に及んでまた何らかの難癖をつけているではないか。その常套手段すらも読めないのかなと言いたくなる。この有様では、アメリカは単にG8の一国に過ぎないのではないか?それが何を意味するかを我が国の総理大臣以下が、良くお解りであって欲しいものだ。私の懸念は、仮令お解りでも適切な手を打てないだろうことだ。何しろ、年金一つまともに処理できないのだから。
その昔、日大アメリカンフットボール部“フェニックス”の黄金時代を 築いた鬼監督故・篠竹幹夫氏は、低迷し始めたフェニックスを自ら形容 して「うちが弱くなったのではない。うちはずっと同じところにいるだ
けだ。他校が強くなっただけだ」と喝破された。これはそのまま現在のアメリカに当て嵌まるのではないか!俗な表現に「赤ん坊も3年経てば3歳になる」というのがあるが、世界の各国は懸命に努力して成長し、何時かはアメリカに追いつき追い越して見せようとしていたと思う。それが実現してしまっただけではないか?
何だか我が国も勝手に自分だけが優越感に浸って、NIESだのBRICSだのと 見下していた?国が、新興勢力なるが故に最新式の設備を導入して、古 き良き時代の博物館にでも入れたいような設備で生産するしかない先進 国を追い抜いているのだ。例えば韓国などのIT化は我が国を遙かに凌駕していると警告していた識者もいた。産油国でしかないと思っていた国が、今や有り余る資金の持って行きどころがないほど豊になり、世界を脅かす存在になっているではないか。
これを称してグローバリゼーションなどと言いたいのだろうが、今や我 が国もアメリカも他人様の批評などしていられる立場ではないのではな いか。私は昔から、と言うか90年代初めから「駕籠に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」説を唱えてきた。
その国の政治・経済が発展を続ける限り、遠からぬ将来草鞋作り以外の 世界があると知れば、人は担ぐ方に回りたくなるだろう。その先には駕 籠に乗ろうとなるだろう。駕籠に乗れば乗ったで、竹駕籠よりも檜の駕籠(こんなものがあるのかな?)が欲しくなるだろう。と思って周りを見れば、最早草鞋もなく、担ぎ手もいない世界に住んでいることになるのだ。第一、我が国は今でも担いでいるのか乗っているのかも解らないような曖昧模糊とした立場におかれていないか?同盟国と信じてきたアメリカの威信低下などと他人事のように言える身分か、良く考えてみなければならないのではないか? 前田正晶