「不安」がよぎる小沢流儀の結末(岩見隆夫=政治ジャーナリスト)
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▼「不安」がよぎる小沢流儀の結末(岩見隆夫=政治ジャーナリスト)
「独断専行」こそ小沢流儀。仮に宰相になれば、小泉元首相以上の「独裁者」になるかも知れない。世論調査で「次の首相にふさわしい人」を問うと、民主党代表の小沢一郎は必ず二番手か三番手につけている。調査によってはトップに立つこともある。「小沢首相」への世間の期待値はかなり高いと見なければならない。
・「キングメーカー」志向
だが、世間の空気と実際に小沢がいまの日本にとって首相の適任者かどうかは必ずしもイコールではない。なにしろ、小沢が最初に首相に擬せられたのは、いまから二十年も前である。当時のキングメーカーだった自民党の金丸信副総裁は宇野(宗佑)後継問題が難航した時、「おまえが(総理・総裁を)やれ」と四十七歳の小沢に求めたが、小沢は、「ものには順序がある。それにいまはミーチャン、ハーチャンの時代だから、私には合わない」と断ったことがあった。以来、折にふれて首相候補に名前があがっている。いわば万年候補みたいなもので、これほど息の長い候補もめずらしい。細川護 、羽田孜両政権では小沢がキングメーカーに回った。「(首相に)なりたければ、とっくになれたんだから」ともらしたこともある。この経過を見るかぎり、小沢が一途に首相の座を求めてきたとは思えない。首相の適・不適を見極めるのに、まず肝心なことは本人に強烈な意思があるかどうかである。政界でも、「小沢は権力闘争には勝とうと執念を燃やしているが、首相になる気はもともとない。首相をつくる側に回ろうとしている」 という見方が少なくないのだ。 昨年十一月、小沢は福田康夫首相との間で自民・民主両党の大連立に動き、「小沢副総理」で福田とコンビを組むことでいったん合意しながら、民主党の総反発にあって失敗した。この時も、自民党の某長老は、
「小沢はかりに民主党政権になっても、健康上の理由から首相になれない。だから、大連立で無任所・副総理を狙い、政権の一翼を担うことによって福田を逆にコントロールしようとした」と小沢の意図を分析した。真相はもう一つはっきりしないが、そう見られても仕方ないところがあった。そこには、首相ポストにこだわらず、権力を掌握しようとする小沢の野心が読み取れる。
・政治闘争が自己目的化
小沢首相で日本はいいのか、と問われれば、第一の疑念はそうした権力闘争至上主義への不安である。闘争を最優先するあまり、政治のあるべき姿、方向性が曲げられる恐れはないか。最近のことでいえば、小沢はテロ対策特別措置法の延長が憲法違反だと強硬な方針を打ち出し、結果的に臨時国会を二度も延長、成立させるのに百二十八日という長期間を費やさなければならなかった。また、ガソリン税の暫定税率延長問題でも、民主党内に税率引き下げで妥協を図る現実的な主張があったにもかかわらず、小沢は、「こういう時は〇か百かだ」と撤廃論で押し切り、ガソリン料金の値下げ、再値上げという混乱を強いられた。 いずれも、政策選択として正当性の主張があるとしても、大連立が挫折すれば、次は福田政権を追い詰めるという権力闘争、政略優先の臭いが強い。立場が変わって、かりに小沢政権になれば、政権維持のためこんどは野党勢力とあくなき闘争を繰り広げる姿が想像され、それは日本の明るい未来や展望につながりにくく、暗い。権力に闘争はついて回る。それを否定はしない。だが、闘争が自己目的化した例は過去にもあるが、政治は混乱し、施策は二の次になり、国民は迷惑する。小沢の強引でしばしば破壊主義的な政治手法にはそうした懸念がつきまとう。国民は不満がたまるほど強いリーダーシップを求める。小泉純一郎元首相に人気が集まったのも、小泉に強いリーダーの姿を見たからだった。小泉も国民のハートをつかむ才覚に長けていた。同じ意味で、小沢の強さに国民はひかれている。小泉の「明」と小沢の「暗」の違いはあるが、「自民党政権ではできない思い切った改革を、小沢ならやってくれそうだ」という期待がある。それは当たっていないこともない。しかし、小泉もそうだったが、強さの裏にあるものが気になる。最近のインタビューで、小沢は、「首相の座なんてあまり好きじゃないけれど、しょうがないということです。野党の党首になり、政権交代可能な野党をつくるというのがぼくの夢、目標だったから、その結果、政権交代となれば、ぼく自身がそれを忌避しちゃいかんということだね」と語った。政治家の道を選んだからには首相になりたい、というのが政界常識である。小沢はこの発言にあるように、そうではない。政権交代が目標であり、首相は目標ではないが、党首になったからには逃げるわけにはいかないだろう、ということだ。 こんないいかたをする実力者は小沢しかいない。しかも、パフォーマンスではなく、以前から一貫しており、本音と見ていい。
・欲しいのは「裏権力」
首相ポストに野心を燃やし、強烈なあこがれを抱く並の実力者と、小沢は一線を画している。それは小沢の強さかもしれないが、独特の権力思想と一種のニヒリズムを感じさせる。なりたくてなったのではないから、なった以上はやりたいようにやる、という小沢流儀が強く臭うのだ。これまでの歴代首相には、独断専行型もおれば全員野球型もいたが、「みんなに選ばれたのだから、みんなの話し合いのもとで」という議院内閣制下の民主的な首相のスタイルは守られてきた。少しはみ出しかけたのは小泉だけである。小沢には、さらにはみ出し、権力者の新たな型をつくりそうな気配が強い。過去の小沢の言動をたどれば明らかだ。たえず独断主義を貫き、同調しない者は側近でも遠ざけてきた。その人数、数えきれない。戦後政治の中でもそうしたやり方を通した実力者は小沢一人だった。小沢の特異性であり、強さでもあった。いいかえれば、小沢首相でいいのか、という点についての第二の疑念は、民主主義の希薄さである。実際のところ、小沢はキングメーカーのほうに魅力を感じているのではなかろうか。いまは問われれば首相就任の意思を述べざるを得ないが、仮に次の衆院選で勝っても、小沢は誰かを担ぎ、自身は裏権力に回る可能性が強い。そうだとすれば、それも不安なことである。(文中敬称略)リベラルタイム8月号特集「次期総理にもっとも近い男『小沢一郎』の是非」
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▼政策・責任は「二の次」の選挙戦術(川田鎮男=ジャーナリスト)
国会を途中退席して地方行脚し、バラ撒き政策を語る。昨年夏の参院選に象徴される選挙戦略である。
小沢を代表に据える民主党はどこへいくのか「ほとんど知られていない話だが……」と、ある民主党関係者がこんな秘話を明かす。二〇〇五年九月、郵政選挙で惨敗した責任を取って辞任した、当時の岡田克也民主党代表(現・副代表)の後任を選ぶ選挙の時のことだ。
幹事長こそ、最高ポスト
・立候補の準備を進めていた前原誠司氏(現・副代表)の元に、京都の財界人を通じて小沢一郎氏から、極秘裏にこんな提案がもたらされた。
「私(小沢氏)が幹事長を務めて、前原体制を支えたい」
前原氏やその側近グループは、提案に驚くとともに、小沢氏の真意をいぶかった。「剛腕幹事長」に支えられれば、確かに党内の基盤は強まるかもしれない。しかし、世間的には前原氏は小沢氏の操り人形と見られ、党内権力の二重構造と批判されるに違いない――。
結局、前原氏はその申し出を断り、小沢氏の支援を受けずに代表選に出馬。菅直人氏(現・代表代行)を破って代表に就任した。しかし翌年春、例の「永田メール」問題で、前原氏はあえなく辞任。皮肉なことに、その後、「小沢代表」が誕生したのは周知の通りだ。前原氏らのグループの中には「あの時、小沢氏を幹事長にしていたら、メール騒動の際にも前原体制を守ってくれたかもしれなかった」等の声も出たが、後の祭りだった。このエピソードは、「小沢氏とは何か」を考えるうえで、大きなヒントになる。小沢氏はやはりトップに立つより、ナンバー2として陰で権力を動かしたいと、考えているのではないかということだ。代表就任後も小沢氏は政権奪取はアピールしながら、必ずしも明確に「首相を目指す」とはいっていない。五月末の英紙のインタビューでも「僕が代表の時に選挙で勝ったら首相をやらざるを得ないが、あまり魅力的な話ではない」と語っている。
口べたで討論は苦手。今度の通常国会でも福田康夫首相との党首討論は一回だけ。特に国会の最終盤で首相に対する参院の問責決議を可決した結果、予定していた党首討論が見送られたことに対し、党内からも強い批判が出た。「年中、国会答弁が迫られる首相の仕事に果たしてたえられるのか」というわけだ。自民党時代から小沢氏をよく知るベテラン議員によれば、小沢氏は自民党時代から「幹事長こそ、政治の最高ポスト」と考えていたという。それは小沢氏を我子のように寵愛した故・田中角栄元首相から引き継がれたものだという。そして、この議員はいう。「権力を握って、何かの政策を実現したいのではなく、要するに権力を握りたいだけではないかと思う時がある。ナンバー2なら最終的に責任を取らなくて済むし。もちろん、そこには自分の体力への不安もあるのかもしれない」党の資金と選挙の公認権を握るのが幹事長である。それは民主党においても同じだ。先に記した前原氏への提案も、それを目指したものだったのだろう。
・「プラグマティスト」
「幹事長こそ」というこだわりは、選挙へのこだわりでもある。小沢氏は代表になっても、候補者の公認といった選挙への実権は手放さなかった。むしろ、表舞台の演説等は菅代表代行や鳩山由紀夫幹事長らに任せ、いまも本人は「実質・幹事長」「実質・選挙対策委員長」と考えているとさえ思えるほどだ。
小沢氏に近い議員が話す。「小沢さんは若いころに自民党の選挙の実務責任者である総務局長も経験し、これも田中角栄氏から引き継いだ『選挙のプロ』だという自負がある。そんな小沢さんからすれば、いままでの民主党は、政権を取った後にどんな政策を実行するのか、そればかり考えていて、肝心の選挙でどう勝つかが、まったくおざなりになっていた。政策論ばかりを口にする民主党議員は甘っちょろいと不満に感じていたはずだ」
小沢氏が党所属議員に口をすっぱくいうのは、「ともかく地元を回れ」の一点である。風頼みでは当選できない。最後の勝負は後援会等を組織。この点で民主党議員は、自民党に比べて圧倒的に弱い。もっと有り体にいえば、「政策論等をえらそうにぶつ前に、地元を回って支持者に頭を下げろ」ということだ。
小沢氏が昨年、夏の参院選で、日本労働組合総連合会幹部と連れだって全国各地を回ったのは、連合の政策に理解を示したのではなく、民主党内で組織らしい組織といえば、連合しかないと考えたからだという。これまた「プラグマティスト(実用主義)」と呼ばれるゆえんだ。
・国会そっちのけ
だが、「まず選挙」「政策より、組織」という路線は両刃の剣でもある。小沢氏に批判的なある党内の若手は、こう不満を漏らす。
「小沢さんの手法や発想は昔の自民党そのもの。自民党も小泉純一郎政権を経て組織ばかりでは勝てないことを学んだし、有権者の意識も変化している。自民党幹事長時代から小沢さんは変わってないのではないか」小沢氏は昨春、ある記者会見でこういい放った。「あの分厚いマニフェストでは、だれも読まない。おれも読まなかった」民主党はいち早くマニフェスト選挙の重要性を訴え、岡田代表の時代には、極めて綿密なマニフェストを作成した。そこでは年金等、社会保障制度の改革のためには、消費税率の引き上げもやむを得ないとの考えも堂々と示していた。それが「政権担当能力」を示し、支持獲得につながったという思いが、多くの民主党議員にはある。ところが、小沢氏はマニフェストにさして関心を示さず、ましてや消費税率に関しては「選挙前に増税を口にするのは愚の骨頂」とばかりに取り合わない。マスコミが「財源論が曖昧だ」と批判しても、「国のかたちを変える」の一点張り。対決姿勢こそ野党の役割と、かつて批判してきたはずの旧社会党のような抵抗戦術に終始している。昨夏の参院選にせよ、今年の衆院山口二区補選や沖縄県議選にせよ、確かに選挙にこだわる小沢氏は、民主党を勝利に導いてきた。しかし、衆院選は首相を選ぶ選挙でもある。自ら表舞台に立とうともせず、「俺のまねをしてみろ」とばかりに国会そっちのけで地方回りを繰り返す党首で、衆院選を乗り切れるのか。九月の民主党代表選は、そんな「小沢問題」に一定の結論をつける代表選となる。
リベラルタイム8月号特集「次期総理にもっとも近い男『小沢一郎』の是非」
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