☆甦れ美しい日本☆
ようちゃん、おすすめ記事。↓☆☆甦れ美しい日本☆☆
◎塚本三郎の「今を斬る」 天変地異は天の裁き
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天変地異の激発と思われる昨今。中国の地震や、ミャンマーの天災サイクロンから、今度は日本の東北地方にも大地震の被害が及んだ。地震による被害だけではない。六月の下旬と云うのに、日本の朝、晩の冷え込みもまた異常である。日中はさすがに夏の暑さであるが、一日の寒暖の差によって、カゼをひく病人が続出している。気象の異常は、天然現象だから仕方がない。用心することが大切だと識で言う。今日の科学時代には、地震の予知警報まで出されている。それでもなお、われわれが大自然の中に生かされている生きものならば、自然現象と人間活動とは無関係ではない。
日本人は農耕民族
日本列島は、春、夏、秋、冬、四季折々に太陽の光、風のおとずれ、そして優しい雨が、この島に降りそそいでいる。その光と、風と、雨の、強弱に合わせて、耕し、蒔き、植え、施肥を与え、雑草を除き、おいしい実りの秋に収穫し、貯えて、厳しい冬に休息をとる。
寒暖の差も、雨の大小も、風の強弱も、時として、受ける身の我々にとっては、幸、不幸に分かれる。暖を求める時に冷たい時候となり、雨を求める時、かんばつとなり、時には暴風雨になったら、結果は逆となる。
我々の生活は、平常時を基準とし、それに合わせて、準備している。足らざるも、過ぎたるも、好ましくない。それを克服すると自負して来た人間は、克服ではなく、自然の配慮に順応して来たと受け止めたい。人間は大自然を克服するのではなく、従うことによってのみ、従えることが出来る。大自然の中に活かされているものの宿命ではないか。
対する他民族で、反対の極限に「狩猟民族」が居る。文明国を自負した欧米人の多くはこれに属するとみる。彼等は現在、地上に在るものを獲って生活する。肉食人種とも呼ぶ。野に生きる動物を獲るが、四ツ足の動物には、奇策を施す。動物を追うのに、逃げ道をわざわざ造り、その逃げ道の先に落し穴を掘って追い込み、穴に落として獲る。
つまり相手を騙す。生きる為の止むを得ない手段と心得る。騙すよりも、騙される方が悪いと考えるのが彼等の常識か。それを政治に用い適者生存と呼んで恥じない国が在る。例えばロシアのスターリンは、自己の権力欲の為に「平等」の名目で、自国民を犠牲にすること数限りなく。ドイツのヒトラーは、全欧州を第二次大戦の動乱に巻き込み、中国の毛沢東は、一千万人を超える自国民を、「文化大革命」の名で虐殺して恥じなかった。騙すことは、天の命に逆らう最悪の所業であり、卑怯な人間と心得る。その卑怯な人種が栄えているやに誤解する。そこに人間の悲劇が在る。
釈迦は説く
原始時代に生きた先祖は、自然現象を神の為せる業と崇めた。
仏教では、天変地異を仏の業(わざ)と信じた。特に釈迦個人の修行体験は、集団へと修行が拡がり、その弟子たちの修行体験が語り伝えられて約三百年間。人間の魂及び行動と大自然の動きは、一体不可分のものと信じて編成されたものを「経典」と呼んでいる。経典によれば、人心の変化と、為政者の行なう施政は、善政も、悪政もそれなりに、悉く天の裁きを受ける。天候は天の啓示の顕われであると示している。
仏教の経典を信じた修行者日蓮は、当時、引き続き日本に起きて来た、天変地異の現象を経典に照らし、七難を憂いて、鎌倉幕府に忠告提言したのが「立正安国論」である。かく考察すれば、近年続発している、中国やミャンマー、そして日本にもたらしている天変地異は、まさしく「天の啓示」と受け止めるべきではないか。
立正安国論の大要
旅客来って嘆いて曰く、近年より近日に至るまで、天変地夭飢饉疫癘(レイ)遍く天下に満ち、広く地上に迸(ハビコ)る。牛馬髟に斃(タオ)れ骸骨地に充れり 死を招く輩既に大半を超え、之を悲しまざる族(ヤカラ)敢えて一人も無し。
然りと雖も唯肝胆を摧(クダ)くのみにして、いよいよ飢疫に逼(セマ)る。乞客目に溢れ死人眼に満てり。経文を開きたるに、世皆正に背き、人悉く悪に帰す。故に善神は国を捨てて相去り、聖人は所を辞して還らず。是を以って、魔来りて災起り難起る。言わずんばあるべからず、恐れずんばあるべからず。
金光明経に云はく。其の国土に於いて此の経有りと雖も、未だ曽つて流布せず、捨離の心を生じて、聴聞せんことを楽(ネガ)はず、また供養し、尊重し讃歎せず。遂に我等及び餘の眷属(ケンゾク)無量の諸天をして、此の甚深の妙法を聞くことを得ず。
大集経に云はく、仏法実に隠没せば、鬚髪爪(シュホッソウ)皆長く諸法もまた忘失せん。その時に、虚空の中に大なる声あって地を震ひ、一切皆遍動せんこと、猶水上輪の如くならん。城壁破れ落ち下り、屋宇悉く破れ折れ、樹林根枝葉華葉菓盡きん。
仁王経に云はく、国土乱れん時は、先ず鬼神乱る。鬼神乱るるが故に、万民乱る。賊来って国を劫(オビヤ)かし百姓亡喪し、臣君太子王子百官、共に是非を生ぜん。七難の内、六難今盛にして一難未だ現ぜず、所以(イワユル)、四方の賊来って国を侵す難なり。二十八宿星道日月時を失ひ度を失ひ。多く賊起ること有らん。若し、王の福盡きん時には、一切の聖人皆為に捨去せん。若し一切の聖人去る時は七難必ず起らん。
薬師経に云はく、殺帝利、灌頂王等の災難起らん時には所謂、人衆疾疫の難、他国侵!)の難、自壊!)逆の難、星宿変化の難、日月薄!)の難、非時風雨の難、過時不雨の難あり。法華経に云はく、悪の中の比丘は、邪智にして心諂曲(テンゴク)に、未だ得ざるを、これ得たりと謂(オモ)ひ、我慢の心充満せん。利養に貪著するが故に、白衣のために法を説いて、世に恭敬せられんこと、六通の羅漢の如くならん。薬師経に云はく、七難の内五難忽に起って二難猶残れり、所以(イワユル)他国侵!)の難、自壊叛逆の難也、所以、兵革の災也。
所詮、天下泰平に国土安穏ならんことは、君臣の楽(ネガ)う所也。夫れ国は法に依って而して昌へ、法は人に因って而して貴し。国亡び人滅せば、仏を誰か崇む可き、法をば誰か信ず可けん!)。先ず国家を祈って須(スベカラ)く仏法を立つべし。若し災を消し難を止むるに、術有らば聞かんと欲す。
続発する天変地異
五月下旬に、北京など十八の都市で摂氏三十五度以上の猛暑を記録し、連日、北京はサウナ日が続いている。かと言えば、その三日後には、ハルピンでは摂氏0度で雪が降る。そして広東省では、台風で十二万人が避難し、五十六名が行方不明。
貴州、湖南、江西省各地で、気温が一気に摂氏八度も下降し洪水発生で六十三人死亡、五百五十億円の損害。河南省で、街路樹千本余が根こそぎ暴風雨で倒れた。マイクロバス炎上のテロ。死者七十人の列車事故。等々報道されない小さな事故の続発、
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天変地異の激発と思われる昨今。中国の地震や、ミャンマーの天災サイクロンから、今度は日本の東北地方にも大地震の被害が及んだ。地震による被害だけではない。六月の下旬と云うのに、日本の朝、晩の冷え込みもまた異常である。日中はさすがに夏の暑さであるが、一日の寒暖の差によって、カゼをひく病人が続出している。気象の異常は、天然現象だから仕方がない。用心することが大切だと識で言う。今日の科学時代には、地震の予知警報まで出されている。それでもなお、われわれが大自然の中に生かされている生きものならば、自然現象と人間活動とは無関係ではない。
日本人は農耕民族
日本列島は、春、夏、秋、冬、四季折々に太陽の光、風のおとずれ、そして優しい雨が、この島に降りそそいでいる。その光と、風と、雨の、強弱に合わせて、耕し、蒔き、植え、施肥を与え、雑草を除き、おいしい実りの秋に収穫し、貯えて、厳しい冬に休息をとる。
寒暖の差も、雨の大小も、風の強弱も、時として、受ける身の我々にとっては、幸、不幸に分かれる。暖を求める時に冷たい時候となり、雨を求める時、かんばつとなり、時には暴風雨になったら、結果は逆となる。
我々の生活は、平常時を基準とし、それに合わせて、準備している。足らざるも、過ぎたるも、好ましくない。それを克服すると自負して来た人間は、克服ではなく、自然の配慮に順応して来たと受け止めたい。人間は大自然を克服するのではなく、従うことによってのみ、従えることが出来る。大自然の中に活かされているものの宿命ではないか。
対する他民族で、反対の極限に「狩猟民族」が居る。文明国を自負した欧米人の多くはこれに属するとみる。彼等は現在、地上に在るものを獲って生活する。肉食人種とも呼ぶ。野に生きる動物を獲るが、四ツ足の動物には、奇策を施す。動物を追うのに、逃げ道をわざわざ造り、その逃げ道の先に落し穴を掘って追い込み、穴に落として獲る。
つまり相手を騙す。生きる為の止むを得ない手段と心得る。騙すよりも、騙される方が悪いと考えるのが彼等の常識か。それを政治に用い適者生存と呼んで恥じない国が在る。例えばロシアのスターリンは、自己の権力欲の為に「平等」の名目で、自国民を犠牲にすること数限りなく。ドイツのヒトラーは、全欧州を第二次大戦の動乱に巻き込み、中国の毛沢東は、一千万人を超える自国民を、「文化大革命」の名で虐殺して恥じなかった。騙すことは、天の命に逆らう最悪の所業であり、卑怯な人間と心得る。その卑怯な人種が栄えているやに誤解する。そこに人間の悲劇が在る。
釈迦は説く
原始時代に生きた先祖は、自然現象を神の為せる業と崇めた。
仏教では、天変地異を仏の業(わざ)と信じた。特に釈迦個人の修行体験は、集団へと修行が拡がり、その弟子たちの修行体験が語り伝えられて約三百年間。人間の魂及び行動と大自然の動きは、一体不可分のものと信じて編成されたものを「経典」と呼んでいる。経典によれば、人心の変化と、為政者の行なう施政は、善政も、悪政もそれなりに、悉く天の裁きを受ける。天候は天の啓示の顕われであると示している。
仏教の経典を信じた修行者日蓮は、当時、引き続き日本に起きて来た、天変地異の現象を経典に照らし、七難を憂いて、鎌倉幕府に忠告提言したのが「立正安国論」である。かく考察すれば、近年続発している、中国やミャンマー、そして日本にもたらしている天変地異は、まさしく「天の啓示」と受け止めるべきではないか。
立正安国論の大要
旅客来って嘆いて曰く、近年より近日に至るまで、天変地夭飢饉疫癘(レイ)遍く天下に満ち、広く地上に迸(ハビコ)る。牛馬髟に斃(タオ)れ骸骨地に充れり 死を招く輩既に大半を超え、之を悲しまざる族(ヤカラ)敢えて一人も無し。
然りと雖も唯肝胆を摧(クダ)くのみにして、いよいよ飢疫に逼(セマ)る。乞客目に溢れ死人眼に満てり。経文を開きたるに、世皆正に背き、人悉く悪に帰す。故に善神は国を捨てて相去り、聖人は所を辞して還らず。是を以って、魔来りて災起り難起る。言わずんばあるべからず、恐れずんばあるべからず。
金光明経に云はく。其の国土に於いて此の経有りと雖も、未だ曽つて流布せず、捨離の心を生じて、聴聞せんことを楽(ネガ)はず、また供養し、尊重し讃歎せず。遂に我等及び餘の眷属(ケンゾク)無量の諸天をして、此の甚深の妙法を聞くことを得ず。
大集経に云はく、仏法実に隠没せば、鬚髪爪(シュホッソウ)皆長く諸法もまた忘失せん。その時に、虚空の中に大なる声あって地を震ひ、一切皆遍動せんこと、猶水上輪の如くならん。城壁破れ落ち下り、屋宇悉く破れ折れ、樹林根枝葉華葉菓盡きん。
仁王経に云はく、国土乱れん時は、先ず鬼神乱る。鬼神乱るるが故に、万民乱る。賊来って国を劫(オビヤ)かし百姓亡喪し、臣君太子王子百官、共に是非を生ぜん。七難の内、六難今盛にして一難未だ現ぜず、所以(イワユル)、四方の賊来って国を侵す難なり。二十八宿星道日月時を失ひ度を失ひ。多く賊起ること有らん。若し、王の福盡きん時には、一切の聖人皆為に捨去せん。若し一切の聖人去る時は七難必ず起らん。
薬師経に云はく、殺帝利、灌頂王等の災難起らん時には所謂、人衆疾疫の難、他国侵!)の難、自壊!)逆の難、星宿変化の難、日月薄!)の難、非時風雨の難、過時不雨の難あり。法華経に云はく、悪の中の比丘は、邪智にして心諂曲(テンゴク)に、未だ得ざるを、これ得たりと謂(オモ)ひ、我慢の心充満せん。利養に貪著するが故に、白衣のために法を説いて、世に恭敬せられんこと、六通の羅漢の如くならん。薬師経に云はく、七難の内五難忽に起って二難猶残れり、所以(イワユル)他国侵!)の難、自壊叛逆の難也、所以、兵革の災也。
所詮、天下泰平に国土安穏ならんことは、君臣の楽(ネガ)う所也。夫れ国は法に依って而して昌へ、法は人に因って而して貴し。国亡び人滅せば、仏を誰か崇む可き、法をば誰か信ず可けん!)。先ず国家を祈って須(スベカラ)く仏法を立つべし。若し災を消し難を止むるに、術有らば聞かんと欲す。
続発する天変地異
五月下旬に、北京など十八の都市で摂氏三十五度以上の猛暑を記録し、連日、北京はサウナ日が続いている。かと言えば、その三日後には、ハルピンでは摂氏0度で雪が降る。そして広東省では、台風で十二万人が避難し、五十六名が行方不明。
貴州、湖南、江西省各地で、気温が一気に摂氏八度も下降し洪水発生で六十三人死亡、五百五十億円の損害。河南省で、街路樹千本余が根こそぎ暴風雨で倒れた。マイクロバス炎上のテロ。死者七十人の列車事故。等々報道されない小さな事故の続発、
!)山の二十四万人の死者は、数年後に政府が公表したのみで実体は不明、春節の大雪。四川省の震度八の大震災、死者約十万人、被災者約一千万人。毒餃子事件等々。
異変は中国ばかりではない。ミャンマーを襲ったサイクロンと津波は、数万人の死者、数十万人の被災と伝えても、軍政は、他国の救援さえ断っているから、実体は悲惨を極めているとみられる。本年六月下旬、ワシントンから友人の手紙が届いた。ここは六月なのに摂氏四十三度という異例の暑さで、夕方になると激しい雷雨が舗道を洗います。十一月の大統領選挙でオバマ氏が勝つことがあれば、アメリカが、政局異常気象に見舞われるということで、日本にとって悪夢になることでしょう、と。政治評論家・加瀬英明の言である。
阪神・淡路大震災の時は、村山富市首相の就任直後であった。
自民党政権の宮沢内閣が分断され、細川、小沢両氏によって、久し振りに政権が反自民党に移った。その、細川内閣における小沢幹事長の手法は永く続かず、内部分裂となる。自民党が、その機に乗じて社会党首村山富市氏を首相に迎えることに成功して、漸く政権に戻った。けれど、その直後に大地震が起った。
村山氏は、自衛隊の出動を躊躇して、災害による犠牲者の拡大を阻止出来なかった。野党暮らしの出来ない自民党は、「理も非もなく」、政権に戻りたくて、社会党左派と呼ばれた村山氏を担いで、政権を奪取した。その邪道を、天は許さなかったのではないか。
戦後最大の天災と呼ぶ、阪神・淡路大震災は、死者六千余名となった。而もその半数は崩壊した建物の下敷となり、やがて襲った、火災による焼死と思われる。灼熱地獄であった。自衛隊に、本格的出動命令が下されていれば、自衛隊の持っている「機動力と工業機械力」で、相当数が救助出来たのに、と当時の自衛隊幹部は、口惜しさに涙していた。
あれは人災であって、天災ではないと、他国からの非難を浴びた。(英報道機関)
異変は中国ばかりではない。ミャンマーを襲ったサイクロンと津波は、数万人の死者、数十万人の被災と伝えても、軍政は、他国の救援さえ断っているから、実体は悲惨を極めているとみられる。本年六月下旬、ワシントンから友人の手紙が届いた。ここは六月なのに摂氏四十三度という異例の暑さで、夕方になると激しい雷雨が舗道を洗います。十一月の大統領選挙でオバマ氏が勝つことがあれば、アメリカが、政局異常気象に見舞われるということで、日本にとって悪夢になることでしょう、と。政治評論家・加瀬英明の言である。
阪神・淡路大震災の時は、村山富市首相の就任直後であった。
自民党政権の宮沢内閣が分断され、細川、小沢両氏によって、久し振りに政権が反自民党に移った。その、細川内閣における小沢幹事長の手法は永く続かず、内部分裂となる。自民党が、その機に乗じて社会党首村山富市氏を首相に迎えることに成功して、漸く政権に戻った。けれど、その直後に大地震が起った。
村山氏は、自衛隊の出動を躊躇して、災害による犠牲者の拡大を阻止出来なかった。野党暮らしの出来ない自民党は、「理も非もなく」、政権に戻りたくて、社会党左派と呼ばれた村山氏を担いで、政権を奪取した。その邪道を、天は許さなかったのではないか。
戦後最大の天災と呼ぶ、阪神・淡路大震災は、死者六千余名となった。而もその半数は崩壊した建物の下敷となり、やがて襲った、火災による焼死と思われる。灼熱地獄であった。自衛隊に、本格的出動命令が下されていれば、自衛隊の持っている「機動力と工業機械力」で、相当数が救助出来たのに、と当時の自衛隊幹部は、口惜しさに涙していた。
あれは人災であって、天災ではないと、他国からの非難を浴びた。(英報道機関)
岩手・宮城の大震災で、山々の崩壊による被害は、道路を寸断している。国内に於ける凶悪犯罪の続発で、世界一治安の良い日本社会が失われつつあり、人心の悪化と為政者の堕落は、眼を覆うばかり。報道されているのは国会での権力争奪のみ。近隣諸国の政権の変動は、一刻も止まることなく、中国も、ロシアも、韓国も、台湾も、その国のトップが交代し、今年末には、アメリカの大統領も交代する。
日本のみが、真空国会と評され、与党も野党も「権力の争奪」のみで、国家と国民の前途に対する責任を放棄している。日本国家の損失は、単に経済面のみならず、アジアの指導国としての信用の喪失は、計り知れないものがある。この人心の乱れと政治の異常事態に、天が一大警鐘を鳴らしていることに、福田首相は一刻も早く気付くべきである。日本こそ、大自然の中に生かされた民族である。
近年、エネルギー不足を補う為、食糧のトウモロコシ等を、エネルギーに利用する風潮から、世界的に食糧不足が警鐘されて来た。日本は以前から「米の生産」を制限し、減反奨励金まで出して来た。この天の恵みに反した日本の農政に、否応なく反省の時が来た。
農耕民族も、狩猟民族も、同じ天が下に棲んでいる。生きる為に智慧を働かせることは悪ではない。されど、天の恵に反して生きることは、やがて、天の裁きを受けざるを得ない。人間は、自然を克服するのではなく、自然に従ってこそ人間の生きる道がある。
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日本のみが、真空国会と評され、与党も野党も「権力の争奪」のみで、国家と国民の前途に対する責任を放棄している。日本国家の損失は、単に経済面のみならず、アジアの指導国としての信用の喪失は、計り知れないものがある。この人心の乱れと政治の異常事態に、天が一大警鐘を鳴らしていることに、福田首相は一刻も早く気付くべきである。日本こそ、大自然の中に生かされた民族である。
近年、エネルギー不足を補う為、食糧のトウモロコシ等を、エネルギーに利用する風潮から、世界的に食糧不足が警鐘されて来た。日本は以前から「米の生産」を制限し、減反奨励金まで出して来た。この天の恵みに反した日本の農政に、否応なく反省の時が来た。
農耕民族も、狩猟民族も、同じ天が下に棲んでいる。生きる為に智慧を働かせることは悪ではない。されど、天の恵に反して生きることは、やがて、天の裁きを受けざるを得ない。人間は、自然を克服するのではなく、自然に従ってこそ人間の生きる道がある。
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日本のお姉さん。↓
仏教徒は、やはり、いろんな災害は天の警告だと
受け止めるのですね。いろんな災害は人間が
地球を汚した結果だと思うけど。でも地球が
そんなに汚れていない昔でも、災害はあったわけです。
縄文時代の日本人が、南米に渡った形跡があるそうです。
その当時は火山が噴火して空が暗くなって火山灰が
降って食物が無くて、困っていたので舟に乗って新天地を
目指した縄文人がいたのです。しかし、どの時代から
日本人と呼ぶ?縄文人と弥生時代の人間は同じ時期に
共存していたという話しもある。縄文人やアイヌは日本人では
なく、朝鮮から来た強い民族を日本人と呼ぶのか?
日本という島に住んでいるのはみんな日本人と呼んで
いいのでは?チュウゴク人だって、民族は変わっているけど
4000年の歴史とか言っているよ。本当は今のチュウゴクは
たかだか60年の歴史しかない毛沢東が作った独裁国家。
やっている内容は昔と変わら無い。
逆らう者は殺し、少数民族は潰して根絶やしに。チュウゴクは
古代と同じ事をしている国なのだよ。
エジプトだって、昔、ピラミッドを作った民族はスーダンに
追いやられているヌビア族らしいよ。今のエジプト人は
ヨーロッパ人とアラブ人の混血だ。顔も性格も変わってきている。
民族が違うのだ。日本という島の中でも、民族はどんどん
変わってきている。1000万人もチュウゴク人を移民として
受け入れたら、日本人はチュウゴク人に乗っ取られるだろう。
彼らはもう60万2000人もいて、在日韓国・朝鮮人は60万人
を切ったのだ。チュウゴク人は生きるのに必死で人脈を作るのに
一生懸命だから、あっさりした性格の日本人は負ける。
ただでさえ、在日や同和に団結力や組織力で負けていて
税金をどんどん使われているのに。
新しい日本を作る新しい日本人は、日本の自然を守るだろうか?
今の日本人は、相当日本の自然を壊してきたけど、それでも
チュウゴクよりマシなのだ。チュウゴク人は万里の長城の石を
勝手に運んで自分の家を作ってしまうし、砂漠からミイラを
掘り出したら、ミイラが着ていた生地を売ってしまう。日本では
考えられないことだ。
日本人は遺跡や建造物を大事にするから、昔の物がずっと
残っている。
これから日本に住んで日本人となる連中は、ずっと日本を
守ってくれるだろうか?日本の自然と文化と日本の領土を守る
日本人になるように、自分の子供や外国人を育て上げないと
これからの日本は、チュウゴクのように汚くなってしまうよ。
日本にチュウゴク人が増えたら日本もチュウゴクになるだろう。
チュウゴク人はイスラム教徒と同じで、外国に出ても、
ほとんどは、その国になじもうとしないから。
日本は宗教の自由があるし言論の自由があるから、本当に
いい国だ。チュウゴクでは、共産党政府に逆らうと拉致されて
臓器を抜かれて殺されます。宗教家も殺される。チベット仏教の
僧侶も、ほとんど殺されて、今いるのは共産党に入っている
ニセの僧侶がほとんどで政府から給料をもらって生きているのが
多いそうです。キリスト教会の牧師や神父も共産党員で
説教する内容も制限されている。つまり、チュウゴクの教会は
外国に見せるためのカタチだけの教会なのです。
そういう国に日本がなってしまったら悲劇だ。
日本は絶対にチュウゴクに支配されてはいけない。日本が
チュウゴクのように自由の無い国になってしまうのは、日本の
国体が滅びたということですからね。クリスチャンは迫害される。
牧師に、そんな時代になったらどうしましょうと聞いて見たら、
「そうなったら、クリスチャンは迫害されて殺されるでしょうが、
日本人が真剣に生きるようになり、人生について考えるように
なって、よけいイエス・キリストを信じる日本人が増えるでしょう
し、クリスチャンも必死に伝道するから、そうなったら
そうなったでよけいいのかもしれませんね。」と言われた。
確かに、バブルの時は、日本人の根性は腐っていたが、
今は就職難で若者が真剣に就職先を探す時代になり、
若者が真面目になってきた。経済的に停滞して厳しい時代に
なって、日本人が醜くなくなるなら、貧乏になるのもいいこと
なのかもしれない。バブルの時のテレビ番組の内容は
ひどかった。女の子が走りながら服を脱いでいって、
パンストと下着だけで走ったら100万円もらえるというような
ひどいテレビ番組があったのだ。その後、番組制作責任者の
たけしが事故にあってからは、たけしは真面目になって
そんなひどい番組を作らなくなった。たけしが事故にあったのは
いいことだったのだと思う。バブルの時は、金があることが
普通で、金が神さまになっていて、中学生がブランド物の
カバンを買うために道で売春をしていたのだ。歌舞伎町では
チュウゴク人マフィアが縄張りを広げて好き放題していた。
今は、日本全体が貧乏になったし、東京都もチュウゴク人
マフィアを取り締まるようになったので、当時のチュウゴク人
は他に移ったようだ。
今の日本は貧乏になったが、バブルの時のような腐った
日本人は減ってきた。
そのかわり会社が倒産して仕事を失った中年男性が
希望も失って自殺したり、普通の会社に就職できなくて
派遣会社に取り込まれて、いつクビになるか分からないような
不安な生活を送った末に、無差別に他人を殺す愚か者が
出てきたりするが、愚かな者や犯罪者はどの時代にでもいる。
仕事を失っても自殺をしないで、次の仕事を見つけて生きている
人もたくさんいる。今では、若い女性は結婚しても退職しないで
働く。男性一人の収入で子供を育てるのは困難で、主婦でも
パートに出る人が増えている。バブルの時代は主婦はパートの
お金を家に入れずに浪費していたが、今ではみんな真剣に
働いて家族を養っている。だんだん日本が変わってきている。
わたしは、バブル時代が異常な時代だったのだと思っている。
今まで、ちゃんと政治が行われていなかったツケが今の
日本人に回ってきたのだと思っている。
日本人みんなが目を醒まして普通の国になろうと
決めたらいいと思う。
鏡を見て自分の悲惨な状況を見たら、嘆くだけで終わらずに、
汚れた顔を洗ったり、乱れた髪をといたり、汚い体をフロで
洗ったりして自分を美しく変えていけばいいでしょう。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◎エルネオス」2008年7月号巻頭言
紺谷典子の「賢者に備えあり」
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財務省と日銀総裁 本当の問題点
一九九八年の予算委員会における、公明党の坂口力氏の指摘は重大である。「憲法が、予算を作成するのは内閣としているのに、大蔵省設置法では大蔵省の権限とされているのは、おかしい」、「財政法が、立法府、司法府、会計検査院の予算は、内閣が調整をするとしているのに、大蔵省が査定している」と。
三権分立どころか、議会制民主主義さえ疑わしい。当時は橋本行革の只中で、「財金分離」など大蔵省改革が盛んに議論されていた。しかし、大蔵省が権限を持ちすぎているとの坂口氏の問題提起は、橋本行革においても、その後も、真剣に討議されていない。
省庁再編で財務省設置法に代わると、「権限を有する」の文字は法文から消えた。マスコミも注目しなかった坂口発言を強い危機感で受け止めたのは大蔵省だったのだ。文字が消えたことで、権限はなお安泰になったと言うべきだろう。予算のシーズンになると国会議員が財務省に陳情すると言われるほどの強大な権限は、税も支配し続けている。
小渕政権の「恒久減税」が、いつの間にか「一時的な景気対策」とされ、不況のさなかの増税(定率減税の廃止)が断行された。急を要したため一時的に定率という減税法がとられたが、減税自体は恒久だったはずである。減税が一時的な景気対策だと言うなら、なぜ恒久減税と呼ばれたのかという当然の疑問を誰も持たないほど、財務省の世論誘導は完璧だった。「恒久減税」が「恒久的減税」と言われ始めた段階で、布石は打たれていたのだ。
歳入と歳出だけではない。国の資産と負債を管理するのも財務省である。財務省は、飴だけでなく強力な鞭も持っている。国税審査権に加え、金融庁を通して金融検査権、証券検査権を手中にする。企業に巨額の制裁金を課すことができる公正取引委員会の委員長も財務省次官の天下りポストだ。
その権限によって、永田町・霞が関から地方や経済界、マスコミまで意のままに操る。検察もまた予算で動くから、財務省(旧大蔵省)の幹部は収賄容疑でも逮捕されない。経済財政諮問会議ができて財務省の権限が弱まったと報じられるが、それが事実ではないことを、多くの関係者は知っているはずだ。世界に例のない「財務省支配」の中で持ちあがったのが、日銀総裁人事である。大蔵省と日銀が交代で総裁を務める「たすきがけ人事」は、十年前の大蔵省の過剰接待疑惑で幕を閉じたが、その復活が財務省の悲願であったろうことは想像に難くない。
「天下りというだけで有能な人材を排斥して良いのか」の意見は、財務省支配の問題の重大性をまったく認識していない。仮にどれほど有能でも、これ以上財務省の天下りポストと権限を強化してはならないのだ。財務省が、これだけ強大な権限を行使しながら、結果責任を一切負っていないからである。巨額の財政赤字を招いても、悪いのは政治であり地方行政だ。金融不安を引き起こしても、銀行の経営責任を追及し国民の自己責任を主張しただけで、自らの行政責任・監督責任については知らぬ顔である。自らの権限拡大のため、国民生活を犠牲にしてまで財政の健全化を優先する財務省の方針は、生活の安定と安心を奪い、医療崩壊まで招いている。
しかし、実は公的年金の財政危機も、医療保険の財政危機も事実ではない。強大な権限を行使し、情報を壟断して世論を誘導し、日本経済と国民生活を破壊した財務省の責任はきわめて重い。結果責任を負わない強大な権限を拡大して、これ以上、国民生活を危うくしてはならない。財務省の権限を縮小・分散し、責任を明確にすることこそ、真の政治改革であり行政改革であろう。(エコノミスト 紺谷典子)
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一九九八年の予算委員会における、公明党の坂口力氏の指摘は重大である。「憲法が、予算を作成するのは内閣としているのに、大蔵省設置法では大蔵省の権限とされているのは、おかしい」、「財政法が、立法府、司法府、会計検査院の予算は、内閣が調整をするとしているのに、大蔵省が査定している」と。
三権分立どころか、議会制民主主義さえ疑わしい。当時は橋本行革の只中で、「財金分離」など大蔵省改革が盛んに議論されていた。しかし、大蔵省が権限を持ちすぎているとの坂口氏の問題提起は、橋本行革においても、その後も、真剣に討議されていない。
省庁再編で財務省設置法に代わると、「権限を有する」の文字は法文から消えた。マスコミも注目しなかった坂口発言を強い危機感で受け止めたのは大蔵省だったのだ。文字が消えたことで、権限はなお安泰になったと言うべきだろう。予算のシーズンになると国会議員が財務省に陳情すると言われるほどの強大な権限は、税も支配し続けている。
小渕政権の「恒久減税」が、いつの間にか「一時的な景気対策」とされ、不況のさなかの増税(定率減税の廃止)が断行された。急を要したため一時的に定率という減税法がとられたが、減税自体は恒久だったはずである。減税が一時的な景気対策だと言うなら、なぜ恒久減税と呼ばれたのかという当然の疑問を誰も持たないほど、財務省の世論誘導は完璧だった。「恒久減税」が「恒久的減税」と言われ始めた段階で、布石は打たれていたのだ。
歳入と歳出だけではない。国の資産と負債を管理するのも財務省である。財務省は、飴だけでなく強力な鞭も持っている。国税審査権に加え、金融庁を通して金融検査権、証券検査権を手中にする。企業に巨額の制裁金を課すことができる公正取引委員会の委員長も財務省次官の天下りポストだ。
その権限によって、永田町・霞が関から地方や経済界、マスコミまで意のままに操る。検察もまた予算で動くから、財務省(旧大蔵省)の幹部は収賄容疑でも逮捕されない。経済財政諮問会議ができて財務省の権限が弱まったと報じられるが、それが事実ではないことを、多くの関係者は知っているはずだ。世界に例のない「財務省支配」の中で持ちあがったのが、日銀総裁人事である。大蔵省と日銀が交代で総裁を務める「たすきがけ人事」は、十年前の大蔵省の過剰接待疑惑で幕を閉じたが、その復活が財務省の悲願であったろうことは想像に難くない。
「天下りというだけで有能な人材を排斥して良いのか」の意見は、財務省支配の問題の重大性をまったく認識していない。仮にどれほど有能でも、これ以上財務省の天下りポストと権限を強化してはならないのだ。財務省が、これだけ強大な権限を行使しながら、結果責任を一切負っていないからである。巨額の財政赤字を招いても、悪いのは政治であり地方行政だ。金融不安を引き起こしても、銀行の経営責任を追及し国民の自己責任を主張しただけで、自らの行政責任・監督責任については知らぬ顔である。自らの権限拡大のため、国民生活を犠牲にしてまで財政の健全化を優先する財務省の方針は、生活の安定と安心を奪い、医療崩壊まで招いている。
しかし、実は公的年金の財政危機も、医療保険の財政危機も事実ではない。強大な権限を行使し、情報を壟断して世論を誘導し、日本経済と国民生活を破壊した財務省の責任はきわめて重い。結果責任を負わない強大な権限を拡大して、これ以上、国民生活を危うくしてはならない。財務省の権限を縮小・分散し、責任を明確にすることこそ、真の政治改革であり行政改革であろう。(エコノミスト 紺谷典子)
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