江戸川乱歩も驚いた!シュメール語訳古事記の謎 by 竹下義朗さん
ようちゃん、おすすめ記事。↓《Web熱戦 アジアの街角から》
▼▽ 歴史再考 ▽▼ by 竹下義朗さん
☆ 江戸川乱歩も驚いた!シュメール語訳古事記の謎 ――― 2008/07/04
原著 1998/06/18
「古事記[こじき・ふることふみ]」を皆さんはご存じでしょうか? 天武天皇の勅命により、語部[かたりべ]の稗田阿礼[ひえだのあれ]が誦習し、太安万侶[おおのやすまろ]が撰録した歴史書で、元明女帝の時代・和銅5=712)年に完成しました。
当時はまだ「仮名」がなかったので、漢字一字で一音を表す「万葉仮名」で書かれていました。ーーーこの古事記、日本語で読めるのは当然ですが、なんと遥か中東のシュメール語でも読めるというのです。というわけで、今回は謎を秘めたシュメール語訳「古事記」に触れると共に、日本とシュメールの関係について考えてみたいと思います。先ずは「百聞は一見に如かず」ということで、シュメール語訳「古事記」の一例を紹介してみたいと思います。
豊玉姫[トヨタマヒメ]の歌
┌--------「原文」
阿加陀麻波袁佐閉比迦礼杼斯良多麻能岐美何余曽比斯多布斗久阿理祁理
└--------┌--------「漢文語訳」
赤玉は 緒さへ光れど 白玉の 君が装し 貴くありけり
└--------┌--------「シュメール語訳」
aka dam,u sur gig rag.si lig dam kin gi u gush tab tuku ur,kil.
アカ ダマユ サエ ヒガ レジ シ ラジ ダマ キン ガ ユ グシ タ
ブ トク アルケル
└--------┌--------「シュメール語の日本語訳」
私の愛した夫よ、宮中の僧侶は、(あなたが)病気だから祈祷をすると布施をせがみます。私の大君よ、もっと度重ねて消息を聞かせて下さい。手紙を頂くのを心待ちに致しております。
└--------
火々出見命[ホホデミノミコト]の返歌
┌--------「原文」
意岐都登理加毛度久斯麻邇和賀韋泥斯伊毛波和須礼士余能許登碁登邇
└--------┌--------「漢文語訳」
沖つ鳥 鴨著[ど]く島に 我が率寝[ゐね]し 妹[いも]は忘れじ 世の事毎に
└--------┌--------「シュメール語訳」
uk-kin dur! gan dug sim i gi en-gia! imme-li gaz su-lug il,ni-kudda
オツキン ドル ガン ドク シム ア ガ イネジア イメ ハ ス ラジ
ユ ノクダ└--------┌--------「シュメール語の日本語訳」
水は皆清く、光り輝いている。私は酒浸りになっている。里帰りの人(豊玉姫)よ思い返しなさい。(今は)憂さ晴らしに人民の税金を高くして、酒に歓楽を求めている。
└--------どうでしょうか? 日本語(和歌)で読める文面が、シュメール語でも読めてしまうのです。もっとも、日本語訳とシュメール語訳ではまるっきり意味が違ってきますが・・・。
さて、皆さんの中には「和歌のような七五調になっていないではないか」と仰る方もおられるでしょう。ーーーしかし古事記の原文は、万葉仮名で延々と綴られているだけで、句読点も何も付いていないのです。つまり、どこで区切って読むかという指定がされていないのです。どうして、指定がなされていないのでしょうか?
第一に考えられる事は、漢文調表記だったから。
第二に考えられる事は、当時「句読点」という概念が無かったから。
第三に考えられる事は、(私はこれだと思うのですが)「あえて」区切らなかったのではないか。区切られていない文は、解釈次第で意味が変わってくる。かれたかしのことがきになる
・枯れた樫の事が気になる(かれた/かしのことが/きになる)
・彼、タカシの事が気になる(かれ/たかしのことが/きになる)
上記のように、「かれたかしのことがきになる」という文は二通りの解釈ができます。古事記の編纂についても、このレトリック(技法)が用いられたのではないでしょうか?絵画の世界でも「騙し絵」というレトリックがあります。一見すると「慈悲深い聖母」なのが、見方を変えると「嫉妬と憎悪に狂う悪魔」に見えたり・・・と。つまり古事記では、一つの文面に区切り方を変える事で、二つの意味を込めたのではないでしょうか?
では、なぜ古事記がシュメール語で解釈できるのでしょうか?
シュメール・・・この国(及び民族)は大きな謎に包まれています。彼らは、人類史上最古の文明を興しました。そして、文字=楔形文字)・文学・王政・司祭・教育制度・医学・天文学・高層建築・運河・造船・集約農業・冶金術・商工業・貿易・法制・・・と、現代文明にも匹敵するありとあらゆるものを持っていたのです。ーーーそれもなんと6千年以上も前に。
更に謎なのが、これだけのレベルを持つ文明でありながら、先行文明がなかった事です。どういうことかというと、「チンパンジーがある日突然コンピューターを作り、そして使いだした」ようなものなのです。つまり、何の前触れもなく、ある日突然シュメール文明は始まったということです。では、どうして突然シュメール文明は始まったのでしょうか?ーーーその鍵は「建国神話(史実)」に隠されていたのです。
アヌンナキ・・・シュメール神話はこう伝えています。「ニビルという星からやって来たアヌンナキという人々が人類を作り、そして地球文明=シュメール)を興した」と。とりあえずアヌンナキやニビルは割愛しますが、このシュメール神話に出てくる説話と同じものが、「記紀」=古事記・日本書紀にも登場するのです。いわゆる「天孫降臨」伝説と呼ばれるものです。これは簡単にいうと、「天(宇宙?)から来た神々が日本列島を作り、そこに降り立って日本を建国した」といった内容です。「記紀」に描かれた天孫降臨の模様は、どちらかというと寓話的ですが、「古史古伝」の雄「竹内文書」にはシュメール神話と瓜二つの説話が登場します。ーーーそしてどちらも、当時の世界を支配したといった内容なのです。
すると一つの仮説が浮かんできます。日本とシュメールは、元は同じ国家・民族だったのではないか? なにしろ、シュメール人がどういった民族(人種)だったのかということ自体、確定されていないのですから・・・日本とシュメールは同祖だった。
この突飛とも思える仮説は、なにも「神話」だけが論拠ではありません。例えば、シュメール人は民族としての「統一国家」を持ってはいませんでした。彼らは現在のイラク南部・ペルシア湾岸のデルタ地帯に、エリドゥ・ラルサ・ニップール・バドティビラ・ララク・シッパル・シュルッパグ・ラガシュ等の「都市国家」を営み、都市国家間で盟主の座を巡って覇を競い合いました。これは、明治維新以前の日本と同じ国家形態です。政治面では、水戸・尾張・薩摩・長州といった「藩」があり、対外的には「日本」という「顔」を持つ、一種の連邦制のようなものです。次に、彼らの行方です。彼らシュメール人は、北から進出してきた異民族勢力によって国を滅ぼされてしまったのです。しかし謎なのが、国を失った後の行方です。何十万・何百万というシュメール人が煙のように消えてしまう筈がありません。しかし現実に、その後の中東史には二度と登場しません。そこで考えられるのは、中東の地を去りどこかに移住したのではないかということです。そして、その「終着駅」が日本だったのではないでしょうか?
シュメール人が日本へ移住した? 本当にそんなことがあったのでしょうか?今となっては確かめようもありませんが、少なくとも満州(大陸)までの足跡は残されています。その証拠は、朝鮮版「古史古伝」の一つ「桓檀古記」の記述です。「桓檀古記」中「三聖紀全 下巻」より「古記に云ふ、
┌--------
波奈留山が下[もと]に桓仁氏の国有り。天海以東の地は亦、波奈留国と称す。其地広さ南北五万里、東西二万余里也。総言すれば桓国(韓国)也。分言すれば、
則[すなは]ち卑離国、養雲国、寇莫汗国、勾茶川国、一群国、虞婁国(一に畢那国と云ふ)、客賢汗国、勾牟額国、売勾余国(一に稷臼多国と云ふ)、斯納阿国、鮮稗国(一に琢韋国と称す。或ひは通古斯国と云ふ)、須密爾国、合はせて十二国也。
天海は今、七世に伝へ、年を歴[へ]ること共に三千三百一年、或ひは六万三千一百十二年と云ふ。未だ孰[いず]れか是なるを知らず。
└--------
と。」(原漢文、以下略)この中に登場する「須密爾国(スミル)」こそが、シュメール[スメル Sumer]のことなのです。ーーーしかし、これでも、「シュメール人が日本に移住したなどと信じられるか!?」と仰る方もおありでしょう。そんな方の為に、更に証拠をお出ししましょう。なんと、古代日本とシュメールの国名は同じだったのです。古代日本 :葦原之中津国(アシハラノナカツクニ)シュメール:Ki-En-Gi-Ra(キ・エンギ=「葦原之中津国」の意味)どうでしょう? 両者の国名は同じ意味を持っていたのです。一般に「シュメール」と呼ばれていますが、シュメール人自身は自分達の国を「キ・エンギ(葦原之中津国)」と呼んでいました。「シュメール」というのは周辺民族側の呼び方で、「ニッポン」を「ジャパン」などというのと同じな訳です。
以上、日本とシュメールの関係について、本当に簡単にみてきましたが、如何だったでしょうか? もし、日本とシュメールが同祖であり、シュメール人が祖国滅亡後、日本列島に大挙移住したというのなら、『古事記』がシュメール語で読めても、ちっとも不思議ではないのです。また、現代日本語と平安時代日本語では、外国語同士というぐらいギャップがありましたし、----我々が古代日本にタイムスリップしたら、全く言葉が通じない----日本語自体、多くの外国語を吸収・昇華発展してきた訳ですし=「テレビ」など今では立派な日本語)シュメール語が現代日本語に埋没=吸収してしまったとしても、何ら不思議ではないのです。 = この稿おわり =
┌―――――――――――───────────┘
│●│ お寄せいただきましたご意見や感想。
└─┘ ┌──────────「hideおじさん」
中華民国国民党は、何をとち狂ったのか?尖閣諸島は「中華民国の領土」といい、挙句に「戦争も辞さない」などと発言する人間も現れるなど、首をかしげてしまいます。戦後、GHQも尖閣諸島は日本の領土として認めており、当時の地主であった古賀善次氏=尖閣諸島を開拓し日本の領土となるよう働いた古賀辰四郎氏の長男)に、射爆場として利用する為、年間1万ドルの借地料支払っていたという事実もあります。尖閣が米軍の射爆場であるというのは蒋介石も知っていたことですから、それはとりも直さず尖閣は中華民国の領土では無いという認識であったと考えるのが普通です。
個人的な考えは、尖閣諸島は中華民国の固有の領土という認識ではなく、大陸との対話の中で、国民党と中国とで、尖閣を利用してゆさぶりを掛けるということではなかろうかと思っています。中国側としては、先日の東シナ海ガス開発で日本に譲歩したとされることを牽制する意味があり、国民党は、領土に訴えて台湾住民の意識を国民党に向けるという意味合いがあるのではと推察します。ただ、ことはどうあれ、尖閣諸島は日本の領土であることに間違いないのですから、歴史に沿った主張をおおいにすべきだと思います。余談ですが現在、尖閣諸島は、後継者の居なかった古賀氏から、友人であった同じく埼玉在住の栗原国起氏に所有権が譲られ、平成14年に日本政府は年間3千万で栗原家より借り入れています。
└──────────
┌──────────「歯軋りゴマメさん」
OJIN さん、興味深い記事を毎度有難うござりまする。6/27の竹下さんの尖閣諸島のお話、その詳細さには感服の限り。個人所有の島々まであるとは、ホントに驚きじゃった。ところで日本政府は、竹下さんが述べておられるような尖閣諸島の情況を中国側にキチンと伝えておるのじゃろか? 外務省のチャイナ茶坊主グループや、それと一緒になってるセンセ方も多いとのことで、どうにも心許ない次第。
暫く前じゃったが、ライス国務長官が東シナ海の問題については中国にフリーハンドを与えるような発言をしていた記憶があり、非常に心配なところ。スプラトリー諸島に味を占めて尖閣諸島にも手を延ばしてきた時、“どげん”に対処すべきか? 竹下さん、hideおじさん、教えて下され~~そうだ!エンリケ航海王子=「軍事情報」主宰者)さんにも聞いてみよう!
└──────────
▼┌──────────「hideおじさんから」
有り難くもご指名がございましたので、個人的な意見を述べさせて頂きたいと思います。
まず最初に、「日本は領土意識が希薄過ぎる」ということがいえます。戦後教育のせいとばかりはいえないでしょうが、「国家とは」という基本的なことを義務教育でも高等教育のなかでも避けてきてしまっています。そこに住む人がいて、その人たちの権利が存在し、そして、住む場所がある、たったこれだけで、何の難しさもないのに、国民の多くは無関心、結局政治家も「領土は票にならない」ということか真剣にならない。
一度戦争に負けただけで、まるで「羹に懲りて膾を吹く」ように
・「領土」と言っただけで、どこか「右翼」の話のような雰囲気があり、
・「国家」と言うだけで「軍国主義」と同義語のようにとられ、さらには
・「隣国といえでも言うべきことは言え」というと「軍靴の音が聞こえる」
ーーーなどとヒステリックに叫ぶ連中がいる。私からすると「頼むから耳鼻科に行ってくれ!」と叫びたくなります。領土問題に限らず「自分のことは自分でする」という意識を国民全体が持たなければならないでしょう。それが基本だと考えます。前置きが長くなってしまいましたが、東シナ海については、アメリカが何とかしてくれるなど、甘い考えは捨てることです。アメリカにしてみれば、北朝鮮の拉致問題と同様に、所詮「他人事」です。中国からすれば、日本の言い分があっても「馬耳東風」でしょう。外務省のHPを見るととりあえず主張はしているようですが、どうもインパクトに欠けます。政治家さんとすれば、ちっぽけな島のことより目先の利益が優先なのかもしれません。
尖閣を考えると、中国が具体的な行動を起こしたときでは「遅い」です。アメリカに頼んだところで「話し合いをして」というのが精々でしょう。領土問題というのは、基本的に当該国の問題であるのですから、双方で解決すべきことというのが国際的慣例です。ですから、好き好んで首を突っ込むほどアメリカもお人好しではありません。尖閣が、いくら日本の領土であるという証拠があっても、歴史的な事実があっても、スプラトリーの例もあるように日本の主張など「屁のつっぱり」にもなりません。ーーー残念ながら国際社会では「結果が全て」です。ですから、今からでも「結果」を残しておくことが何より有効な防衛手段となると考えます。右翼が作った小さな灯台が非常に良く効いていることからも、物理的な「モノ」を残すことを提案したいと思います。
1.歴史保存として戦前の「カツオ工場」の跡地の調査・整備。
2.安全航海の名目のもと、近代的灯台を設ける。
3.尖閣近海、沿岸での遊魚漁を解禁する。
4.「3」にともない、避難場所=港)の整備。
5.気象観測所(無人で可)の建設。
6.環境調査で尖閣、及びその周辺の自然状況のデータを収集。
カツオ工場の歴史的価値は別として、なにより「日本のもの」を調査するという口実を作ることが重要だと考えます。灯台も、近隣は文句を言うでしょうが、「日本が身銭を切って各国の船舶の安全航行をサポートしているのだ」と理屈を言えます。環境調査も「環境問題を考える上で重要」といえますし、それに伴い気象観測所を設け、調査データは各国に提供する。なにより、日本が先に先に動かなければなりません。何か言われれば、日本は地球温暖化の問題を非常に憂慮しているから調査している、それのどこが悪いと開き直りましょう。屁理屈だろうがなんだろうが、やった者勝ちである以上、その土地に「実効」の印をつけることが領土問題では非常に有効だと思います。中国の嫌がらせを心配する向きもあります。現地に進出している日本企業に影響があるといいますが、一部は当っていると思います。ただ、冷静に現在の中国と日本の貿易の中身を見てみましょう。中国の経済は、日本の資本財を輸入することで成り立っているといえますからどちらが我慢できるかでしょう。多くの問題を抱えている中国としては、日本の技術と金は不可欠です。使えるものは何でも使いましょう。毅然とした態度がとれるかどうか、それにかかっていると思います。
└──────────
▼┌──────────「編集部から」
竹下義朗さ~~ん、やっぱりメールは戻ってきてしまいます~~~。
ーーー妨害か?祟られてる? ‥‥‥ のかな~? ‥‥‥
└──────────
┌―――――――――――――――――――――――――┘
▽ 竹下義朗さんは「帝国電網省」という超有名なウェブサイトを主宰されておられます。―→ http://
大変立派なサイトなんですが、サヨク系の方々からは「トンデモ系=とんでもない信用ならない主張をする」と謗[そし]られるほうでも有名でございます。「帝国電網省」の凄いところは、英語バージョンのページがあり「歴史再考」の記事で、外国人に知らせたほうがいいと思われるものについては、英文にして掲載していることです。たくさんの題目がありますが、卑近な例では「従軍慰安婦問題」や「南京大虐殺問題」などです。我々は日本語では主張していますが、英語ではしておりません。しかし、世界中に訴えるべき主張は、やっぱり英語でやったほうが効果があるわけで、そのご努力には頭が下がります。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
▼▽ 只今、考え中… ▽▼ by RAM さん
☆ 内閣=行政について考える(1) ―――― 2008/07/04
内閣総理大臣は国会議員でなければならないと定められています。(67条)また、国務大臣の過半数も国会議員でなければいけません。(68条)
この規定は、文民統制の必然から生まれたものであったのでしょうが、現在では合理的根拠を持っていないと考えます。人間には、向き不向きというものがあります。国会=立法)のために選ばれた人が、必ずしも内閣=行政)に向くとは思えません。このことは、戦後60年かけて立証されてきました。その結果、お飾りの大臣を存続させるために官僚組織が強大化し、今のようなおかしな政府が出来上がってしまいました。また、大臣がコロコロ変わることから、施策の一貫性が失われたり、外国からの信頼が薄かったりしています。そして最大の欠点は、内閣総理大臣に最大議席を持つ政党党首が、議員でありながら兼任することから、党務と政務が混じり合い、真にこの国に有効な政策をとれない、という問題です。
先ず、分けましょう。同一人が、立法と行政の両方に身分を持つことは、どう考えても弊害のほうが大きくなります。米国の大統領は議員ではありません。各長官もです。ーーー三権分立を考えるなら当然のシステムのはずです。
「内閣総理大臣及び国務大臣は、その他の公的身分を有しない」
この条文が、文民であることを保障しつつ、立法府から独立できることになるでしょう。これにより、内閣独自の活動が可能になり、ひいては首相としてのリーダーシップを発揮させ得る第一歩になると考えます。この、67条68条で定められた議院内閣制を否定する考え方は、総理大臣や閣僚には専従者になってもらって、行政の効率を高めるためです。勿論、選出対象には国会議員も含めばよいでしょう。そして、就任と同時に自動的に国会議員のほうを辞職する形でよいと思います。国会議員も閣僚も、広義の公務員であり、公務員が二重身分を持つほうが本来おかしいのです。さて、その選出の仕方ですが、これが一番意見の分かれるところでしょう。
閣僚は総理大臣の任命ですから問題は少ないでしょう。その、総理大臣を選ぶのに、現在の間接選挙ではなく、直接選挙をすべしという意見も随分とあります。これは一長一短で、結論を出しにくい問題です。
先ず、直接選挙のメリットは、何でしょう。
┌--------
1.国民が候補者本位で選べる。
2.政党色が薄くなる可能性が出る。
3.「民意」が直接反映される。
└--------
このあたりに集約されそうです。
では、デメリットはというと、
┌--------
1.人気投票のようになってしまう。
2.内閣と国会の「ねじれ現象」が起きる可能性がある。
3.資金力のある候補が有利になる。
4.憲法上、天皇が国家元首と明記されていなければ、日本の国体は共和制に
なるという解釈が成立する。(天皇より公選首相のほうが上位に立つ)
└--------
などが挙げられます。
次に、現状のような間接選挙の場合のメリットは、
┌--------
1.選挙にかかる費用が安い。(国家、候補者とも)
2.政党のバックアップがあるので、次回の総選挙まではねじれが起きない。
└--------
同じくデメリットは、
┌--------
1.その人物を選んだのではないという思いを持つ国民ができる。
2.政党のヒモ付きになり、政策が拘束される。
└--------
などではないでしょうか。
わたしは、大きく分けてこの程度しか思いつきません。読者の皆様に「こんなのもある」というのをお教え頂きたく思います。皆様のご意見をお待ちしています。 = つづく =
お寄せいただきましたご意見や感想。
└─┘
┌──────────「愛国人さん」50代@男性
正におっしゃるとおりです。が、残念なことに、国際法を無視し、日本を2度と立ち上がれなくする目的で制定された日本国憲法を守る限り、日本は破滅の道を歩むしかない。目的を達成させるために作られた法に従う限り、その目的とする方向へ進むのはあたりまえである。ーーー国際法に従えば、日本国憲法は無効である。
└──────────
▼┌──────────「RAM さんから」
現憲法成立の可否については、法理解釈では色々な説があります。そのまま是認する説、明治憲法支持説、中には昭和21年元旦の詔勅を根拠に「五箇条のご誓文」有効説など、ですね。わたしは、国民が、SF条約成立(進駐軍撤退)後も改訂することなく現在まで持ち続けたことによる「追認成立」説を採っています。民主主義の原理からいえば一番穏健かな、と考えています。但し、中身を肯定するものではありません。
└──────────
┌──────────「1国民さん」
現在のように政党が幅を効かす参議院は、もはやその存在意義を失っている。廃止するべきである。
└──────────
▼┌──────────「RAM さんから」
仰るように、現状のままなら存在意義は薄いでしょう。もう一度二院制の原点に立ち返るべきと考えます。只、日本国民の「熱しやすく冷めやすい」性向を考えると、一院制では不安が残るのも事実です。
└──────────
┌──────────「情色海岸線さん」
私は流れのことは言っていません。「千数百年、関西の都市部に居続けている一族の者から見れば、今の都市部は地方出身者に制圧された」これは、差別的ニュアンスを感じます。
└──────────
▼┌──────────「RAM さんから」
そのような意味では言っていません。只、在来者と、新来者の利害が対立するのは何処へ行っても同じですね。都市在住者が地方生活をしようとしても受け入れてもらえないケースも多いでしょう。その逆のほうが遙かに簡単です。その結果、人口は常に都市に流れ続けています。まだたどり着いていませんが憲法には「地方自治」の項目があり、そこで考察する予定ですが、わたしは地方分権推進論者です。人口の都市集中を否定的に見ています。
情報インフラの面でこれだけ国内格差が縮まったら、首都機能の分散を手始めに、地方への人・金・権限などの再拡散を図ることで他のインフラも拡散し、地方が成長すると同時に都市も余裕ができると考えています。「情色海岸線さん」は、都市在住者を否定的にご覧のようですが、都市在住者自身も否定的に見ているのです。あとからあとから人が増えることで、地価が騰がり、それに起因して諸物価が騰がり、自然が減り、相対的な人間関係が希薄になり、と、最近の都市生活は実に暮らしにくくなっています。それなのにそこで得られた税金を地方交付税やふるさと納税、各種補助金という形で地方に厚く再配分されています。それなら、権限も、人も、同じように再配分されて然るべき、と考えます。
└──────────
┌──────────「RAM さん」
都市と地方の人口について、もう少し続けます。今回の岩手県の地震を見て、12年前に体験した阪神大震災を思い出さざるを得ません。わたしも被災しました。
規模だけで見ると今回のほうが大きいようです。しかし、犠牲者の数は二桁以上違います。これは人口密度に負う部分が大きいと思います。逆に、東京で起きていたなら、神戸の数倍の方が被災することでしょう。この面一つをとっても、人口集中は抑制すべきです。
過疎・過密がいわれて久しいですが、一向に歯止めがかからない中に、地方分権のたち後れがあるのは否定できません。もう中央集権でなければいけない時代は終わりました。
これからの緩やかな成長、或いは衰退の歯止めには、この狭い国土全体のポテンシャルを上手く使う必要を感じます。その為の、地方分権です。人も金も、権限もインフラも、できるだけ国土の全域に散らばらせるべきと考えます。そうすれば、少子化の歯止めにもなる可能性が出てきます。参議院選出案に、地方推薦枠を儲けたのもその考えの延長です。
└──────────
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
▽ 感想やご意見をお待ちしています。 ojindesu@hotmail.com
http://
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
▼▽ インド徒然 ▽▼ by はぐれ雲さん
☆ インドは3人種混合国家~アーリア民族は白人種 ――― 2008/07/04
ある人からインド人は「美人が多いか?少ないか?」という質問を受けた。
美的感覚や好みに個人差がありなんともいえないが、個人的感覚では日本と比べ圧倒的に多いと思う。清潔か清潔でないか、肥満かスリムかは別として…。
だが、インドをひち言で表現することは難しい。インドは多様性・多面性のある小宇宙である。
インド人は人種的には大体3種類に分類される。
インダス・ガンジス文明を発祥させた原住民と、その流れを汲むドラビタ族。肌の色は褐色で、鼻は低く、身長も低く比較的小柄である。インダス・ガンジス文明の継承者であり、頭脳が優れているといわれている。南インドに多い。
次に、ミャンマーやネパールからインドに移動してきたモンゴロイド族。ベンガル地方に多い。ムガール帝国時代にもモンゴル族が多数流れてきたが、彼らもモンゴロイド族である。体型も顔も東アジア人に良く似ている。肌の色は、黄色…褐色と黄色の中間である。因みにムガールはモンゴルが訛った名称。
そして3番目は、未だ正確には分かっていないが、いわゆるアーリア民族。今から約3500年前にインドに南下してきた。
この3種族がインドの主流3人種である。
アーリア民族に関しての日本人の知識は薄い。アーリア人の総称をアーリア民族と表現することはあるが、アーリア族という特別の人種は存在しない。語学的にはインド・ヨーロッパ語族のインド・イラン語派に分類される。人種的には白人である。
コーカサスから中央アジアの広範囲に住んでいた民族で、今から約3500年アフガニスタン経由やイラン方面からインダス・ガンジス河地域に移動してきた民族。彼らは、原住民・ドラビタ族を支配し奴隷とした。一部ドラビタ族は南インドに逃げて行った。今でも北インドと南インドの仲が悪い原因はこの時代から始まったもので、文化も大分異なる。
アーリアという言葉の意味は、「高貴な人々」という意味である。彼らは紀元前からプライドが高い。プライドが高いせいか、独自の文化を維持し奴隷=原住民・ドラビタ族)との差別を明確にしようとした。奴隷との混血を避ける為に作られた制度がカースト制である。ーーーそのお陰で純血を保っている。
アーリアの名称は、後に「イラン」に変わる。イラン人もインド・イラン語族に属し、人種的には白人である。インドとパキスタンのアーリア民族とイラン人、元は同民族である。
しかし、アーリア民族、どうも、アーリア人→アーリアン→エイリアンのほうが合っているような感じがする。ーーー宇宙よりの闖入者…。
余り知られていないが、ジプシーという名称は、当時ヨーロッパにいた連中がつけた呼び方で、「エジプトからやってきた移動型民族」の意味である。エジプト→エジプシャンがジプシーに訛ったとされる。
このジプシーの主流は、インドからエジプトに移動した、北インド、パンジャブやラジャスタンに住んでいたロマ=ロマニ系に由来する移動型民族)とされる。現在ではジプシーという呼び方は偏見と差別を感じさせるので、ジプシー全体をロマと呼んでいるようだ。人種的には白人である。
アーリア民族は、混血を極力避ける。従い、インドにいてアーリア系とドラビタ系、モンゴロイド系は明確に区別できる。
例えば、極度に混血を嫌い、自分の文化を尊重し、独立独歩の道を歩んでいるシーク族(ターバン族)などは典型的なアーリア民族。顔は薄い褐色で、少々日に焼けた白人の肌の色に近い。薄い小麦色といったほうが近いかも知れない。
体型は大柄で、胸は豊満である。鼻筋は通って高く、目の輪郭がハッキリしていて大きい。殆ど二重であり、目の色は様々、黒・褐色・青・緑・灰色など、人により様々である。
濃緑色の目の人には滅多にお目にかからないが、中央アジアがオリジンであろうか…不思議な色合いである。様々な色素が混じっているようだ。
シーク族の女性は圧倒的に美形である。シーク族に限らず、他のアーリア系の女性も同様、美形が多い。もっとも、鼻筋が通り、目がはっきりして大きく、二重で、口が上品なら、皆美形に見えるだろう。しかも、若い頃はスリムで足が長い。Gパンが良く似合う。歌とダンスが大好きな民族、目の表現や素振りの中に、インド風の艶っぽさがある。男尊女卑の国だからであろうか…。
インドのアーリア民族は、ミス・ワールドやミス・ユニバースを何回も受賞している。アーリア民族は北インドに多い。特にインド映画のメッカ、ムンバイでは多くの美形女優を輩出している。問題は、肥満を美形とする文化、子沢山を夢見る女性、上流家庭は使用人を使う生活習慣、女性は家事もせず運動も余りしない。ーーー結婚すると、殆どの女性は肥満体になる。
上流家庭でなくとも美形は沢山いる。ただ、清潔感と肥満という観点、そして性格…、インド人はプライドが高く、自己主張も強く、自説を譲らず、口数も多い。インド人の特徴を川柳で表現すれば…インド人の大きいもの男女共通である。「目・鼻・胸 腹・尻・態度 自己主張」
もちろん、モンゴロイド系にもドラビタ系にも美形はいる。日本人の美形率と
同じぐらいいるだろう。ーーー好みにもよるがーーー = この稿おわり =
┌―――――――――――――――――――┘
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃▼▽ あとがき ▽▼
┃
ーーー中国に対する皆様の好き嫌いアンケートをお願いしています。
・愛中
・親中
・媚屈中
・是々非々
・嫌中
・反中
・無関心
毎月リセットされます。6月が終り7月度がスタートいたしました。
ヨロシク!⇒ http://
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
・ではまた、ホントに愉快な月曜日号!で、お会いいたしましょう!(^o^)丿