軍事情報別冊 (スペイン&ラテンアメリカ講座):アフリカの声
ようちゃん、おすすめ記事。↓
軍事情報別冊 (スペイン&ラテンアメリカ講座)
孫子塾副塾長・孫子塾関西支部長
同志社大学/京都外大・スペイン語非常勤講師:米田 富彦
http://espania.okigunnji.com/2008/06/post-1.html
前回は、16世紀のスペインの時代的な背景を見て来ましたが、今回は、スペインの軍事、それに当時の日本の情勢について見て行きたいと思います。
2.16世紀スペインの軍事力
覇権抗争上、敵への対抗能力となる「軍事」の育成は、国家運営にとって必要不可欠なことです。これは、日常生活における個人レベルにおいても、やはり、他者に対して何らかの対抗力(有形無形のもの)があるのかないのか...で、要するに、「ナメられる」、「ナメられない」というような些細で卑近なことがキッカケとなって、学校や会社で一目おかれたり、異性と出会ったり、昇進したり、はたまたイジメにあったりしている訳です。
軍事がないとナメられて外交でいくら頑張ってもどうにもならないものですが、16世紀のスペインは軍事においても他に抜き出ていたのでした。スペインは、こと軍事においては、欧州や地中海などの周辺地域に限らない地球的規模での作戦域を展開し、思想・信条・宗教・人種・体制・文化などの異なる複数の敵を常に同時に対処する戦争を行っていました。恐らく史上初の「非線形的問題処理」の性格を有する大規模軍事行動を自在に操作・実践できた「国家」であったのです。ここでは、次に地政学的観点からスペインを概観しておきたいと思います。
この欧州西端の半島国家は、欧州大陸へのアクセス、及び地中海(アフリカ、トルコ)と大西洋(新大陸)へのアクセスを同時に可能とする地理的環境・条件を下部構造として、半島中央部の旧カスティリア王国の有していた大陸国家(陸軍国)的な性格と、沿岸部に面し伝統的に地中海世界と関係深い旧アラゴン王国の有していた海洋国家(海軍国)的な性格との“統合”を上部構造として、この上・下構造の調和が国家戦略的に有利に作用したこと、及び、政治-軍事-経済の “トライアッド”において、一時期において、人材的には“逸材”が輩出し、国家戦略に対しての相乗効果を発揮していたことが特筆されるのです。スペインは、一度、没落の憂き目を経験しましたが、現在でも立地条件はそのままですし、歴史的経緯から、イスラム諸国との関係は、他のヨーロッパの国々とは異なったものがあります。そして、かつての“偉業”からイスパノアメリカ(「スペイン系アメリカ」)と言う名称があるようにスペイン語、ラテン気質・文化を共有する国々が約20カ国もあるのです。
特に米国など、日本にいるだけでは、スペインとは無関係の国であるような感じしかしませんが、歴史的経緯から西海岸は、サン・フランシスコ、ロス・アンジェルス、カリフォルニア、ネバダ、テキサスなどスペイン語の地名が多く、旧スペイン領からメキシコ領、そして米国領となったものですし、人口構成も西部はスペイン人と現地人との混血が多いものです。また、米国内不法滞在のスペイン語話者は、全米にいたるところに約600万人以上もいます。そして、海洋戦略のマハンの著作を読んでいると、西海岸上陸作戦(山脈地帯があって侵攻しにくい)というよりは、カリブ海(ここもスペイン語圏です)からフロリダ(旧スペイン領)を拠点に、南部を南北戦争の北軍の逆進ルートで侵攻し、東部に上陸作戦をかけられてはたまらないのではなかろうかと思うことでありましょう。パナマ運河もあって、米国の国家戦略にとっては、特に安全保障なり、ロジスティックスなりを考えると、スペイン系世界は、本当は切っても切れない関係なのです。
ちなみに、米国の学校教育で教えられているスペイン語は、スペイン本国のス
ペイン語ではなく、ラテンアメリカで話されているスペイン語になっています。本国と旧植民地とでは、さほど大差はありませんが、興味深い事実と思います。これは、大型書店の洋書コーナーに米国製の語学図書が並んでいますので、“LANGUAGE”のところで“SPANISH”と書いてある語学書を見るとその殆どがスペイン本国のスペイン語ではないものばかりです。
ちなみに、語学ですが、言語によっては、旧宗主国、旧植民地というような歴史から鑑みて、本国の言葉を学んだ方が無難な場合もあります。シチュエーションによっては、対人的な効果が上がったり下がったりするので、覚えておいてください。
スペインは、大航海時代のパイオニアとして、また、無敵艦隊のあった国として、“海洋国家スペイン”のイメージばかりが先走るものです。が、本来、海洋国家とは、海洋を隔てた対岸での覇権というものを志向するのであって、そこには強力な陸戦能力が必要不可欠となります。
このようなことは、要するに、自国の海外権益や商圏が拡大することですから、海外権益や商圏の拡大とは正比例して、当然、それに伴うシーレーンの保障の問題も起きて来るものなのです。戦略とは、兵站とシステムになっています。これは、海洋戦略で有名なアルフレッド・セイヤー・マハンの著作をご覧になっていただきたいと思います。日本も特に南極資源の確保やラテンアメリカの国々との交易が国家的な兵站維持の問題(所謂、ストラテジーとロジスティクスの相関性の問題となってきます)になれば、日本は、今は近海に納まっていますが、太平洋やインド洋などの外洋に出て行く「海の時代」を新たに迎えることになりましょう。
イサベル女王とフェルナンド王が亡くなると、王女フアナの嫁ぎ先がハプスブルク系の家柄であったことから、この両王の孫にあたる人物が次のスペイン国王となりました。この孫こそスペイン国王として即位したカルロス1世(神聖ローマ帝国のカール5世)です。この時代の“ハプスブルク系スペイン”では、保有領土が欧州中央(神聖ローマ帝国・フランドル・オーストリア・イタリア・ボヘミア等)にも拡大し、また、欧州流の戦争方法が極めて効果的に発揮されたアメリカ大陸もその大半が領土となっていましたが、戦いにおいては、オスマン・トルコを相手とした地中海覇権を巡る海戦のみならず、イタリア半島やドイツなどにおいて陸戦も展開されていました。
この時代、スペイン海軍は、“アルマーダ(装甲されたという意味)”という呼称が、スペイン陸軍は、“テルシオ(三分の一の意味。設立は、イエズス会創立と同じ1534年)”という呼称が「代名詞」となり、最近の日本でも歴史に興味のある方々の中で定着を見せています。
結果的に16世紀のスペインは、海洋国家・大陸国家の両面を兼ね備える、今でいうならば、アメリカ合衆国のような大国となっていたのでした。
では、次に、スペインを見た後で、当時の日本を見て行きたいと思います。(つづく)
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:アフリカの声
今日のアフリカは、日本では報道されないアフリカの情報を、政治、経済、文化に渡っ
て幅広く、いち早くお伝えします。クリック1つで世界の見方が変わります。
ジュンヌ・アフリック・コムより
ガボン・リーブル・ヴィルの海岸で、すでに砂に埋もれ、あるいは波にさらわれた14
人の”移民”の遺体が発見されました。彼らはエルドラドを探していましたが、そこで見つけたのは死でした。
「沖で小舟が沈んでしまい、海岸を目指したきたのでしょう」
海岸に落ちていた黒いビニール袋の中には、リーヴル・ヴィルでの新生活のために用
意したものが詰め込まれていました。新しい靴、カチンコ(?)折りたたんだシャツ、すでに結んだ赤いネクタイ、歯ブラシ、ガーナのピーターの持ち物ですが、今は遺体の1つです。
出発の前に聖書に助言を求めたのでしょうか、旧約聖書の地図が開かれています。
船はナイジェリアのカラバールから来ている。沿岸警備隊は「パトロールはしている
が、全部はカバー出来ないから」という。
ガボンは人口130万に対してすでに400000人の移民を受け入れています。
***
週末ベルギーの首都ブルッセルでは恒例の「コーヒー色」コンサートが開催されまし
た。ベルギーで活動しているシエラ・レオネ出身のバイカマラや、コンゴのバロジが
オープンな雰囲気の中で歌いました。
ところで「イギリスはジンバブエのことに口を挟む権利はまったくない」(100回首を
くくれとも言っていた)というジンバブエのムガベ大統領は、シャルム・エル・シェ
イクのアフリカ連合会議で記者の質問には1言も答えなかったのですが、大統領報道
官は、記者の一人を叩いて「大統領に向かってその態度はないだろ!あんたは白人だ
ろ。」みたいなことを言っていました。
いまさら白人、黒人のレベルで議論したってと思いますが、恨みの深さは計り知れな
いのでしょうか?それにしてもなにも野党に暴力をふるうことなどないのに。
同志社大学/京都外大・スペイン語非常勤講師:米田 富彦
http://
前回は、16世紀のスペインの時代的な背景を見て来ましたが、今回は、スペインの軍事、それに当時の日本の情勢について見て行きたいと思います。
2.16世紀スペインの軍事力
覇権抗争上、敵への対抗能力となる「軍事」の育成は、国家運営にとって必要不可欠なことです。これは、日常生活における個人レベルにおいても、やはり、他者に対して何らかの対抗力(有形無形のもの)があるのかないのか...で、要するに、「ナメられる」、「ナメられない」というような些細で卑近なことがキッカケとなって、学校や会社で一目おかれたり、異性と出会ったり、昇進したり、はたまたイジメにあったりしている訳です。
軍事がないとナメられて外交でいくら頑張ってもどうにもならないものですが、16世紀のスペインは軍事においても他に抜き出ていたのでした。スペインは、こと軍事においては、欧州や地中海などの周辺地域に限らない地球的規模での作戦域を展開し、思想・信条・宗教・人種・体制・文化などの異なる複数の敵を常に同時に対処する戦争を行っていました。恐らく史上初の「非線形的問題処理」の性格を有する大規模軍事行動を自在に操作・実践できた「国家」であったのです。ここでは、次に地政学的観点からスペインを概観しておきたいと思います。
この欧州西端の半島国家は、欧州大陸へのアクセス、及び地中海(アフリカ、トルコ)と大西洋(新大陸)へのアクセスを同時に可能とする地理的環境・条件を下部構造として、半島中央部の旧カスティリア王国の有していた大陸国家(陸軍国)的な性格と、沿岸部に面し伝統的に地中海世界と関係深い旧アラゴン王国の有していた海洋国家(海軍国)的な性格との“統合”を上部構造として、この上・下構造の調和が国家戦略的に有利に作用したこと、及び、政治-軍事-経済の “トライアッド”において、一時期において、人材的には“逸材”が輩出し、国家戦略に対しての相乗効果を発揮していたことが特筆されるのです。スペインは、一度、没落の憂き目を経験しましたが、現在でも立地条件はそのままですし、歴史的経緯から、イスラム諸国との関係は、他のヨーロッパの国々とは異なったものがあります。そして、かつての“偉業”からイスパノアメリカ(「スペイン系アメリカ」)と言う名称があるようにスペイン語、ラテン気質・文化を共有する国々が約20カ国もあるのです。
特に米国など、日本にいるだけでは、スペインとは無関係の国であるような感じしかしませんが、歴史的経緯から西海岸は、サン・フランシスコ、ロス・アンジェルス、カリフォルニア、ネバダ、テキサスなどスペイン語の地名が多く、旧スペイン領からメキシコ領、そして米国領となったものですし、人口構成も西部はスペイン人と現地人との混血が多いものです。また、米国内不法滞在のスペイン語話者は、全米にいたるところに約600万人以上もいます。そして、海洋戦略のマハンの著作を読んでいると、西海岸上陸作戦(山脈地帯があって侵攻しにくい)というよりは、カリブ海(ここもスペイン語圏です)からフロリダ(旧スペイン領)を拠点に、南部を南北戦争の北軍の逆進ルートで侵攻し、東部に上陸作戦をかけられてはたまらないのではなかろうかと思うことでありましょう。パナマ運河もあって、米国の国家戦略にとっては、特に安全保障なり、ロジスティックスなりを考えると、スペイン系世界は、本当は切っても切れない関係なのです。
ちなみに、米国の学校教育で教えられているスペイン語は、スペイン本国のス
ペイン語ではなく、ラテンアメリカで話されているスペイン語になっています。本国と旧植民地とでは、さほど大差はありませんが、興味深い事実と思います。これは、大型書店の洋書コーナーに米国製の語学図書が並んでいますので、“LANGUAGE”のところで“SPANISH”と書いてある語学書を見るとその殆どがスペイン本国のスペイン語ではないものばかりです。
ちなみに、語学ですが、言語によっては、旧宗主国、旧植民地というような歴史から鑑みて、本国の言葉を学んだ方が無難な場合もあります。シチュエーションによっては、対人的な効果が上がったり下がったりするので、覚えておいてください。
スペインは、大航海時代のパイオニアとして、また、無敵艦隊のあった国として、“海洋国家スペイン”のイメージばかりが先走るものです。が、本来、海洋国家とは、海洋を隔てた対岸での覇権というものを志向するのであって、そこには強力な陸戦能力が必要不可欠となります。
このようなことは、要するに、自国の海外権益や商圏が拡大することですから、海外権益や商圏の拡大とは正比例して、当然、それに伴うシーレーンの保障の問題も起きて来るものなのです。戦略とは、兵站とシステムになっています。これは、海洋戦略で有名なアルフレッド・セイヤー・マハンの著作をご覧になっていただきたいと思います。日本も特に南極資源の確保やラテンアメリカの国々との交易が国家的な兵站維持の問題(所謂、ストラテジーとロジスティクスの相関性の問題となってきます)になれば、日本は、今は近海に納まっていますが、太平洋やインド洋などの外洋に出て行く「海の時代」を新たに迎えることになりましょう。
イサベル女王とフェルナンド王が亡くなると、王女フアナの嫁ぎ先がハプスブルク系の家柄であったことから、この両王の孫にあたる人物が次のスペイン国王となりました。この孫こそスペイン国王として即位したカルロス1世(神聖ローマ帝国のカール5世)です。この時代の“ハプスブルク系スペイン”では、保有領土が欧州中央(神聖ローマ帝国・フランドル・オーストリア・イタリア・ボヘミア等)にも拡大し、また、欧州流の戦争方法が極めて効果的に発揮されたアメリカ大陸もその大半が領土となっていましたが、戦いにおいては、オスマン・トルコを相手とした地中海覇権を巡る海戦のみならず、イタリア半島やドイツなどにおいて陸戦も展開されていました。
この時代、スペイン海軍は、“アルマーダ(装甲されたという意味)”という呼称が、スペイン陸軍は、“テルシオ(三分の一の意味。設立は、イエズス会創立と同じ1534年)”という呼称が「代名詞」となり、最近の日本でも歴史に興味のある方々の中で定着を見せています。
結果的に16世紀のスペインは、海洋国家・大陸国家の両面を兼ね備える、今でいうならば、アメリカ合衆国のような大国となっていたのでした。
では、次に、スペインを見た後で、当時の日本を見て行きたいと思います。(つづく)
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:アフリカの声
今日のアフリカは、日本では報道されないアフリカの情報を、政治、経済、文化に渡っ
て幅広く、いち早くお伝えします。クリック1つで世界の見方が変わります。
ジュンヌ・アフリック・コムより
ガボン・リーブル・ヴィルの海岸で、すでに砂に埋もれ、あるいは波にさらわれた14
人の”移民”の遺体が発見されました。彼らはエルドラドを探していましたが、そこで見つけたのは死でした。
「沖で小舟が沈んでしまい、海岸を目指したきたのでしょう」
海岸に落ちていた黒いビニール袋の中には、リーヴル・ヴィルでの新生活のために用
意したものが詰め込まれていました。新しい靴、カチンコ(?)折りたたんだシャツ、すでに結んだ赤いネクタイ、歯ブラシ、ガーナのピーターの持ち物ですが、今は遺体の1つです。
出発の前に聖書に助言を求めたのでしょうか、旧約聖書の地図が開かれています。
船はナイジェリアのカラバールから来ている。沿岸警備隊は「パトロールはしている
が、全部はカバー出来ないから」という。
ガボンは人口130万に対してすでに400000人の移民を受け入れています。
***
週末ベルギーの首都ブルッセルでは恒例の「コーヒー色」コンサートが開催されまし
た。ベルギーで活動しているシエラ・レオネ出身のバイカマラや、コンゴのバロジが
オープンな雰囲気の中で歌いました。
ところで「イギリスはジンバブエのことに口を挟む権利はまったくない」(100回首を
くくれとも言っていた)というジンバブエのムガベ大統領は、シャルム・エル・シェ
イクのアフリカ連合会議で記者の質問には1言も答えなかったのですが、大統領報道
官は、記者の一人を叩いて「大統領に向かってその態度はないだろ!あんたは白人だ
ろ。」みたいなことを言っていました。
いまさら白人、黒人のレベルで議論したってと思いますが、恨みの深さは計り知れな
いのでしょうか?それにしてもなにも野党に暴力をふるうことなどないのに。