縄文塾通信 ◎「3べた族」と「ひきこもり」 金谷 武洋
ようちゃん、おすすめ記事。↓
◎楽観的日本再建論-4 中村 忠之
★くたばれ悲観論
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伊藤洋一は、著書『日本力』の終章である<第八章くたばれ悲観論>の中で、1990年代 海外からの日本特派員の正直な疑問として、「本当に日本は不況なのか?」という疑問に遭遇し、日本中に充満する「悲観論」に疑義を呈して、いくつか反論を試みています。その中で主なものを、ごく簡略に取り上げてみますと、
1.「失われた10年」という通説に足しては、通貨の国際的価値・失業率・国際収支の黒字という当時の環境を引き合いにして、「リセッションの意味がまるで違う」と指摘しています。日本のマスコミやエコノミストたちは、何事も悲観的に書いたり論じたりする方が、読者に人気があることを知って、あえて悲観論を言挙げする感があります。
2.「変化のスピードに対する反応力の高まり」については、IMDランキングの上位から日本は消え去ったと指摘されています。このことはOECDでのいろんな調査でも同様です。いずれもトップに並ぶ国々はすべて小国ばかりであって、いわゆる先進国は殆ど日本と同ランクか、それ以下で並んでいます。
3.国の債務にだけこだわって、資産にも目を向けようとしないし、「国際収支が黒字である」ことにも触れない。
4.人口減を口にするが、それはなにも日本だけの問題ではなく、コリアの場合も日本以上に急速に少子化が進み、チャイナでも同様である。
5.格差問題・人権問題・インフラ不整備などなど、消去法で日本のライバルを消していくと、注目されているBRICsにしても、日本の敵ではない。
などなどです。日本の課題とされていることは、今後教育を取り戻せば万全であると締めくくっています。
★ 「ものづくり国家」復権を目指して
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北康利『匠の国 日本』は、その第四章(これも終章ですが)『「ものづくり国家」復権を目指して』というサブタイトルで、経済通産省事務次官北畑隆生(きたはた たつお)と対談しています。北畑事務次官は現在(2008年7月時点)でも現職ですが、先般外資系ファンドのJ・パワー株の買い占め騒動
に関して「デイトレーダーはバカで強欲で浮気~」という過激発言して物議を醸した張本人です。彼はまた6月12日の定例会見において、原油高騰の要因の一つに米先物相場への投機資金流入が挙げられていることについて、「1バレル=130ドル台で推移する現在の原油価格について、「需給で説明できるのは60ドル程度で、残りは投機資金」だとして、「何らかの規制があるべきだ」との大胆な発言をして、ここでも大きな話題を呼びました。考えようでは、今の柔(やわ)な官僚に珍しく、「ものづくりという実質経済こそ日本にふさわしい」という信念の持ち主であり、硬骨の士だという見方も出来ます。本著では著者北康利をして、近年は官僚に対する批判ばかりが大きく報じられますが、マスコミも国民も「良くやった人を褒める」ことを忘れている気がしてなりません。役所の努力に対してもきちんと評価してあげないと、頑張った人が報われません」と、至極真っ当なことを言わしめています。「日本的物づくり立国」を目指す上で、株主最優先というグローバル金融システムの有り様は、決して適切なものとは謂えません。
以下岡VS北畑という対談の要点をいくつか、やはり箇条書きに書き直して紹介しましょう。
1.日本はソフト志向に失敗した。これは1970~80年代、「脱工業化社会」へのパラダイム・シフトを強行し、ソフト・サービス・IT・知的所有権などに特化したアメリカに、この面では完全に屈服された経緯を指摘している。従って日本は、やはり「物づくり立国」への道を歩むべきだとしています。マイクロソフト・ヤフー・グーグル・ユーチューブ・アマゾンなどの活躍を見ると、日本には不適な分野だと思い知らされます。その一方で、バブル崩壊後大きく立ち後れた日本自動車業界が、アメリカのビッグ3を見る見る間に追い抜いたことを見るとわかろうというものです。
2.80~90年代にかけて、日本の技術移転でアジアの繁栄が始まった。その一方で欧米の戦略的援助や介入によって、アフリカの場合、今なお悲惨な経済状態が続いている。
3.長寿企業大国日本、NHKの『長寿企業大国にっぽん』で、二百年以上続いた企業数は、日本では三千社、ドイツが六百社、アメリカは建国以来十四社しかない。と報道されている。
4.中小企業が支える日本のものづくり、日本の企業の内、中小企業数が95%以上を占める。多くの中小企業は、必ずしも最新の機械に頼らなくても、素晴らしい製品を造り出す技術を持っている。
5.お金を出さない日本の「ものづくり表彰制度」経済産業省では「ものづくり日本大賞」という表彰制度を行っているが、これには一切物品による表彰はないが、それでも受賞者は最高の名誉として喜んで技術研鑽に専念している。
6.産学連携で人を育てる、職人としての達人が、ものづくり大学院の院生になれる仕組みが行なわれ、教授になる道さえ開かれようとしている。
などなど我々が見逃しがちな「ものづくり日本」の現状を取り上げながら、“日本式経営法と職人による「ものづくり」が日本を救う!”と結んでいます。
「♪ 上を向いて歩こう!」ではないが、下を見るときりがない。ここはグローバルな視野に立ち、いろんな分野での公平な「比較」によって、日本のただしい位置づけを正確に見極めようではありませんか。<完>
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◎誇るべき日本の富 おおなだ
前回、「悲観論を排す日本国の財政」で財務省試案の日本国政府の連結財務諸表について述べた。簡単におさらいしておくと、資産840兆円 負債1100兆円、資産・負債差額△260兆円で、この資産・負債差額は企業会計でいう債務超過ではない。そして、他の先進国と比べて決して劣る諸表ではなく、公会計は現金主義の単式簿記で富の蓄積を表せないしまた基本的に富の蓄積場所ではないことも述べた。要するに、財務省試案の連結貸借対照表を企業会計のそれと同じとすると間違うのである。真の貸借対照表は別にある。
★公会計では見えないもの
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上記の理由で公会計では、いくつかの日本の繁栄振りは表せない。例えば、2007年3月国連大学世界開発経済研究所が、世界の個人資産に関する調査を発表した。これによると1位は日本で国民一人当り18万1千ドル(約2000万円)であり、主要先進国では4位として米国が続き一人当り14万4ドル(約1500円)で以外や米国を圧倒している。その上、資産格差に関するジニ係数も主要先進国では最も少ない。おまけに個人金融資産だけで1550兆円もあり他国を圧する。おかげでオイルマネーだけではなく日本の個人金融資産の動向も世界から注目を浴びている。また昨11月、日本の社会経済生産性本部の発表によると、国民の豊かさについて日本は世界7位とはいえ主要先進国では依然として1位である。
★フローからみた日本の繁栄
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まず国民総所得GNI(GDP+所得収支)から眺めよう。実は不良債権処理で苦しんでいた2001年の510兆円を境目に順調に拡大し続け今や565兆円にまで達している。しかも期間中、先進国の中で最も景気の下振れが少なかったという。特に目立つのが海外投資のリターンである所得収支の大きさである。因みに財務省公表の平成19年度によると貿易収支は12.3兆円で例年並みだが所得収支は何と16.3兆円で貿易黒字を4兆円も上回る。GDP比3%の巨額で他の主要国に例をみない。しかもこの4年の伸びは大きい。昨年既に、アナリストの石橋貴明氏が貿易収支、所得収支共に10兆円を越えたことは歴史上例がないと述べていた。もっとも、長年海外投資を続けたスイスの所得収支はGDP比としては10%もある。とはいえ、最盛期の米国の所得収支がGDP比3%だったことを思えば今の日本の所得収支の大きさが理解できる。さらに、平成18年度には特許収支が5475億円で各国に対して黒字になり、来年あたりは1兆円越すともいわれている。正確を期すると国際収支統計において、特許収支は海外旅行等サービス収支の一項目でサービス収支としては平成19年度は2兆4千億の赤字である。この赤字故に、貿易・サービス収支の黒字は10兆円に届かない。しかし、アジアを中心に海外からの観光旅行者も増えつつあり、特許収支増加の趨勢からして同黒字が10兆円越すのは近い。因みに、よく貿易・サービス収支と貿易収支が混同されるので気をつけたい。要するに日本は成熟国家になったわけで、いたずらに規模の大きさを求めなくてよい段階に入ったということでもある。このことは人口減に直面している我々はよく承知しておく必要がある。
★ストックからみた日本の繁栄
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内閣府統計局が公表した日本の平成18年暦年末貸借対照表(官、民統合)は下記の通りである。非金融資産2500兆円、金融資産6060兆円 資産合計8560兆円 負債5850兆円 よって正味資産(国富)2710兆円統計局に確認したところでは215兆円もある対外純資産を含まないという。もっとも数字の羅列だけでは、どの程度大きいか分からない。そこで、慶応大学産業研究所の野村浩二教授が試みた2000年度の日米の国富比較を参考にすると、GDP大国米国の88%もの国富を有していた。正確を期すと、教授は比較便宜上名目値を採用されており、また統計局は生産有形固定資産を過少評価しているとの見解の持ち主で、統計局と異なり対外資産を含めて算出しておられる。では購買力平価ではどうかといった難しい議論を抜きにしても、6年の間にこの関係が劇的に変化したとは考えずらいから、国富2710兆円とういう数字がいかに巨大かは感覚として分かる。さらに財務省速報値の平成19年度の対外純資産250兆円は、2位ドイツの2.5倍という途方もない大きさである。因みに米国は△300兆円である。大田弘子経済財政政策担当大臣の「もはや日本の経済は一流とはいえない」はストック面からすると全くの見当はずれとなる。もっとも大臣は構造改革の迅速性を訴えたのが本音のようだが。昭和20年の廃墟の中からよくぞここまでと感嘆するより他はない。もっともバブルが弾け土地資産だけでも600兆円、或いはそれ以上失った次期もあったがもともと泡だったから惜しくはない。
★潜在的ストック
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我が国土の特徴は、その7割が森林で国土は全て海に面する。先の国富にはこの森林も漁場もカウントされているし、ささやかに地下資源も計上されている。しかしながら、森と海の資源として主に木と魚を見るのは狭すぎると思われる。高度工業製品の命ともいうべきレアメタルが森の下に、或いは海に潜む。現に東北地方には黒鉱ベルトという亜鉛、アンチモンなどの豊富な鉱床がるし、海水にはマンガン他多くのレアメタルがある。今は精製や採掘のコスト面で眠っているが、この急騰する資源高のなかでやがてコストや技術が追いつくだろう。さらに、最近話題になりだしたが未来の有力エネルギー資源メタンハドレードが日本近海底にある。北野幸伯氏の「メタンハイドレードが日本を救う」によれば日本近海低には世界最大の埋蔵量があり、2016年には実用化の見通しという。ノルウエイの繁栄が北海油田と無関係では無いと同様、日本は資源として別途大きな富を加える可能性は高い。
★財では表せない潜在的ストック
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我々は太古の昔から「森」に神聖さを観た。今も普通に杜の神社にお参りする。昨今、自然との共生が尊ばれているが、その保水性だけでなく「森」に潜む精神性の価値は思う以上に高いはずだ。国土面積は同じでも、ドイツは日本の真逆で7割が平坦地である。従ってドイツの自然美はその平坦な広がりにある。一方、日本の自然美の基本は四季折々の山肌の色の変わりである。そして、その奥に神を観じ日本文化の基調をなした。森林面積割合が大きい事それ自体が我々には有難い資産でもある。
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◎「3べた族」と「ひきこもり」 金谷 武洋
前回の「ぶん殴る」の語源は「ぶち殴る」、「ぶち」は動詞「ぶつ」だと書いた。「ぶつ」は江戸時代、上方の「打つ」に対する東国の表現だったことも分かってこの話は終ったつもりでいたのだが、どうやら続編を書く必要が出て来た。というのは先月、駆け足で日本へ行ってきたからである。その間、見るとは無しに電車や駅前での若者の生態を観察する機会があり、「打つ」に関する考察がさらに深まった。今回久し振りに再会した落合章子さんも以前モントリオール・ブレテン紙の「日本便り」に書いてらしたが、最近の日本は若者の行動がちょっと変だ。どう表現したらいいのだろう。上手い言葉は無いものか、と旅行中色々考えた。そして帰路の大平洋上空でふと浮かんだのが「3べた族」という言葉である。最初の「べた」は「口べた」。これは今始まったことではないのかも知れないが、仲間とペチャクチャおしゃべりはするが、他人ときちんと話が出来ない。こちらがせっかくサービスで面白い話をしたつもりでも一向に乗って来ない。多くは他人には関心がないという表情である。活発な議論などあまり期待出来ない。一方、仲間とはおしゃべりだけでなく、せっせとケータイを使ってメールを交信する。電車でも街の中でも「親指族」の多いこと。好奇心溢れる筆者は一体若者らがどんなやり取りをしているのか、電車の混んでいるのをいいことに肩ごしに覗いてみたが、「今、何してる?」など全くたわいのない「会話」でがっかり。今別れたばかりの友達とおしゃべりを続けるケースも多いようだ。次なる「べた」は「べた靴」。靴のかかとを踏みつぶして歩くのである。最近はやや下火と聞くが女子高生ならこれにルーズソックスだったのだろう。そして第3の「べた」は「地べた」。駅のプラットフォームなどで「地べた」に文字通り坐りこむ。ベターっと坐って一向に平気なのである。坐りこんでおしゃべり仲間とたわいのない話をしている。女子高生数人で周りをガードして中の一人が着替えることもあるとか。「3べた族」には女子が多いようだ。仲間との「べたべた」関係を加えると「べた」はさらに2つ増える。「5べた族」と言うべきか。面白いのは、これと並行している様に思える「ひきこもり」現象だ。こちらは男子に多い。100万人という数字に驚いていたら、300万人と伝えるニュースもあった。今や日本では大変な社会問題となっている。正高信男という気鋭のサル学者が書いた「ケータイを持ったサル」(中公新書)という実に面白い本がある。それによれば、果たして「ケータイ族」と「ひきこもり族」は現象として繋がっているらしい。それは「親から自立して一人立ちするのを拒否する」という点で共通なのだ、と。成程ケータイでの交信も気の合った仲間といつも繋がっていたいという気持ちの現れなのだろう。「ひきこもり」現象も「ケータイ族」も、忙しすぎる父親が不在の家庭で、子供中心主義、偏差値至上主義の母親に育てられた(多くは一人っ子の)必然的結果である、と正高信男は喝破している。現代日本人、特に若者は着実に「サルに退化」しつつある、というのがこのサル学者の下す恐ろしい診断なのだ。いやはや。それに反対する議論を、日本でそうした光景を目撃したばかりの私は持てないでいる。もっとも、まともな若者だって大勢いる。今回15年振りに再会したモントリオール日本語補習校の教え子も5人全員がそうだった。両親と一緒とは言えカナダにまで「可愛い子には旅をさせ」られた帰国子女は、その異文化体験のお陰で「3べた族」や「ひきこもり族」にならない可能性が高いのだろうか。
(感動的だった同窓会のアルバムはこちら:能島智美さん、ありがとう!:
http://jp.y42.photos.yahoo.co.jp/bc/lalalakanaya/lst2?.tok=bcQTiXSBA95uilrM&.dir=/%a3%b1%a3%b5%c7%af%a4%d6%a4%ea%a4%ce%c6%b1%c1%eb%b2%f113OCT2003&.src=ph
話を「打つ」に戻そう。昔の日本では、危ない仕事や旅に出る時に家人が呪力を頼んでよく火打ち石を打ち鳴らした。テレビの「銭形平次」などでご存知の「切り火」である。「丸谷才一の日本語相談」にもあるように「打つ」という動詞の奥には古代的な感情があった。その為に古語では他の動詞に「打ち」が付くと「ぱっと/威勢よく」その他の気配を示す接頭語となった。「田子の浦ゆ打ち出でて見れば…」の「打ち出で」などがその典型だが、接頭語の「打ち」は和服の「打掛」や「打ち明ける・打ち合わせる」などに今でも残っている。また、基本三母音(a/i/u)の違いだけだから「ウタ・ウチ・ウツ」には共通の意味がある。呪力を頼んで詠まれたのがウタ(歌/和歌)という訳だ。では、ウチ(内/家)とはどういう空間であったか。他者(敵)と対峙する前に「おマイさん、気をつけて」と石をウチ鳴らし宗教的な儀式をして出て来る場所であったからこそ「ウチ」と言ったのではなかったか、と膝を打ったのは日航機機上である。敵が入るならば武器を取っての「迎え討ち(ウチ)」もウチだった。現代日本の多くの若者は、他者を迎えウツどころか、他者と向き合うことも出来るかどうか。ウチ(家)の中の両親さえ他人であると警戒して部屋に籠れば男子に多い「ひきこもり」となり、その逆に、物理的にはウチを出ても、本来はウチの中でしか許されなかった行動(スリッパの様なべた靴/室内での様な地べた坐り/電車内での化粧/下着の様な服装)を見せるなら女子に多い「3べた族」となる。心理的にはウチの中にいるのだ。「ひきこもり」と「3べた」の間で百万人単位の若者が棲息しているのが現代日本かと思うと誠に寒心に堪えない。奇跡と言われた高度経済成長、その高いツケを払う時がきたのかも。
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