宮崎正弘の国際ニュース・早読み | 日本のお姉さん

宮崎正弘の国際ニュース・早読み

宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
    平成20年(2008年)6月30日(月曜日)
通巻第2234号 
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飢餓と動乱と人食いの残酷な本質をもつ中国人の葬送のドラマ
埋葬した棺を七年後に取りだして骨を洗い直す風習が意味することは何か ? ( 評 宮崎正弘)
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♪樋泉克夫『死体が語る中国文化』(新潮選書)
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華僑の人脈コネクションと中国人の伝統芸能・京劇の研究では独壇場。この人の右に出る日本人学者はいない。樋泉教授の前人未踏の分野が、もう一つあった。それは中華民族の墓の研究家、もっと詳しく言えば中国人の葬儀、葬送、死体への考え方、その扱い方、葬儀の意味。敵への不寛容などを半生かけて研究した集大成。ま、驚くことばかり。そしてこんなエキサイティングな本を読むのは久しぶり。端から醍醐味が違う。しかも死体を扱うテーマゆえにだろう、文章に独特の艶がある。言い回しも京劇風。テーマにそぐわないような文章の艶もまた素養と筆力の一つだが、地政学の倉前盛通氏の文章も、やけに艶がありましたなぁ。これを仮に樋泉流文体とでも定義しよう。どんな学者やチャイナウォッチャーの書くモノより迫力が違うのである。
 
さて本論。
中国は人食いの文化が基本に横たわっている。「今、民はおおいに飢えて死に、死するも葬られず、犬猪の食するところと為る。人の相い食するに致る」(『漢書』)「城邑を攻剽し、人民は飢因し、二年の間、相い淡食いほぼ尽きる」(『三国志』)
樋泉教授、まずは古典からいくつも傍証として人々が食い合う様を引用されてのち、こう言う。「人民は戦乱に苦しみ、盗賊に襲われ奪われ、餓死者は埋葬されることなく路頭に打ち棄てられ、犬や豚に食べられ、ヒトがヒトを食べる」のだが、これぞ「猟奇小説ではなく正真正銘の正史」、まことに中国大陸は「おぞましき地獄絵図だ」。時代が落ち着き、社会が安定し、景気がよくなると、葬送が豪華になり、酒や料理も振るまわれ、喪服にはアルマニーニを特注し、町を歩いている人も葬儀に呼び込んで料理を振る舞って土産を持たせる葬儀まである。

墓の場所は、風水で決める。日本人には信じがたいことが起こる。ま、中国って何があっても驚きではないワンダーランドだから。或るとき、クルマ百台を列ねた葬送の列を評者(宮崎)も見たことがあるが、街を揺らす音量は怨霊かもしれない音響をともない、チンドン屋風の楽団、行進。。。あれは結婚式なのか、葬儀なのか。台湾では龍山寺の周りに半日ほど時間をつぶしていると必ずぶつかる。中国では派手は葬儀を湖南省の紹山という場所でみたことがある。
墓の位置だが、地運という考え方があって、日本のように景色が良いとか海が見えるとかの理由で選ばない。墓も地勢である。風水で選ばないと子孫が祟ると、あの共産主義のくにの人々が信仰をもつのは、非科学的である。けれども、それが決定的に中国的である。そうやって墓地をきめ、墓石の格好まで決める。あの世に通じる通貨も葬儀屋には必ず置いてある(本書にはその見本写真が挿入されているが『冥都銀行券』とあって、デザインは鐘麒か、閻魔大王。金額が「四億元」という、子供銀行券のような、通貨だが。。。)。

風水師がもしふさわしい場所の方角に公立公園を指定したら、平気で公園を掘って、棺をうめ墓を建てる。これは中国全土で話題となるが、潮洲市の公園にかってに建てられた墓の立ち退きをもとめて共産党委員会が立て札を立てた。が、どの墓も移転しない。調べると共産党幹部のお墓だったり。『活墓』というのは、生きている裡にこしらえておく、日本流の「寿墓」、「寿稜」だが、これまた風水によるため、な、なんと三峡ダムの記念公園にも夥しく建てられているというではないか。さすが「上に政策あれば下に対策有り」の国である。華僑には一度埋葬した棺を掘り出し、骨を洗い直して最埋葬する伝統がある。これはクーリ―(苦力貿易)でアメリカにわたって重労働のあげくに死んだ人を、仮埋葬ののち、七年後を目処に掘りかえし、骨を洗い直して、故郷へ送り届けた風習からだという。そういう専門業者が香港にたくさんいた。筆者の樋泉教授が実際に初めて目撃したのは四十年前の香港。「世界各地から送られてきた棺や遺骨はトランジットで立ち寄った香港の『死者のホテル』で小休止したのち、故郷へ戻った』と推測されるという。この異色の死体読本、葬送文化からみた中国人論であるとともに衝撃の缶詰でもある。

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♪R・J・ラムル『中国の民衆殺戮』(発売 星雲社)
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義和団から天安門まで数千万の民衆が殺戮されて、中国のおける残虐はスターリンやナチスよりも多い。凄まじく残酷でもある。
それらを清王朝末期から軍閥時代、国共内戦、革命後の『大躍進』時代、文革までの夥しい残酷な死を冷徹に列挙し、客観的データを羅列して研究したのが本書だ。本書では大虐殺を「ジェノサイド」とは言わず、独特の「デモサイド」(民衆殺戮)と呼び替え、これらの記録をハワイ大学名誉教授のRJラムル氏が研究し、1991年に米国で出版した。
なぜか、十七年後の日本で翻訳版がでた。本書は、中国の残忍性をあばく意味で研究家にとって参考にはなるうが、第一級史料ではない。アメリカ人の視点で日本の中国の於ける残虐行為にも言及しているが、国民党の嘘宣伝を鵜呑みにした「三光」やら「南京大虐殺」を俎上に乗せるに至っては噴飯モノである。もし日本に関しても記述するなら米国の広島、長崎、東京大空襲に代表される、およそ百万の無辜の民を虐殺した、その米国の残酷さにも言及し、謝罪があるべきだろう。
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♪落合道夫『スターリンの国際戦略から見る大東亜戦争と日本人の課題』(東京近代史研究所)
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この本は読みやすくわかりやすく、近代史の謎を箇条書き網羅の入門編にもなっている。たとえば「西安事件」に関して、みよう。あと一歩のところまで、毛沢東ゲリラを追い詰めていた蒋介石が西安郊外の華清池で寝ていると、裏切りにあって、張学良、楊虎城の部隊に襲われた。蒋介石は裏山の崖を逃げる。しかし反乱部隊の計画は周到、結局、蒋介石は反乱分部隊に拘束され、宋美齢が暗躍し、助命され、一転して国民党は共産党と握手し、第二次国共合作は抗日へと向かった。以後、蒋介石は張学良を許さず、湖南省の山奥にある鳳凰山へ監禁し、台湾へも同道して監禁し、とうとう最後にハワイへ移住を許した。事件から半世紀もあとに、産経新聞のインタビューに答えた張学良だが、その回想的証言はどれほどの信憑性があるか?

評者(宮崎)は、五月に湖南省鳳凰まで足を伸ばしたついでに、さらに山奥の、バスで三時間以上かかったが、鳳凰山に廃寺のように残る鳳凰寺へ行ってみた。中国人でさえ滅多に来ない山のなか、急な階段を百段ほど登攀して、朽ち果てそうな山門をくぐると朱のはげ落ちた、廃屋のようなぼろぼろの寺があった。階段がぎしっと軋む音をたてて、床が抜け落ちそう。二階の一番奥に張学良が寝ていたという寝室があるが、廊下の板が腐りかけ、ぎしぎしと厭な音を立てた。ここにも張学良は、一年八が月間も幽閉された。なるほど山奥も山奥、これじゃ逃げようという気もうせるほどの辺境だった。一方の楊虎城は重慶の歌楽山で処刑された。さて西安事件は、結局スターリンの命令で行われ、蒋介石が妥協したのはモスクワに人質に取られていた息子、蒋経国の帰国という条件だった。本書はあらゆる事件を時系列に網羅的に、しかし簡潔にすべてを解説し、その背景にあった、想像を絶するほど大胆なスターリンの謀略を傍証する。

▼なお本書は一般書店では売られていない。希望者は送料込み 3440円
郵便振込み 00140-0-373193 東京近代史研究所
〒番号、住所、氏名、電話。本の題名を一緒に書き添えて申し込む。

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♪(読者の声1)ちょっと初歩的質問で気が引けたのですが、今月号の『WILL』で先生の論文を拝読しました。
面白かったのですが、気になったのは中味ではなく、題名です。最初の貴誌の予告では「豆腐経済」となっていましたが、雑誌の目次も本文のなかにも、「おから経済」「おからビル」となっています。
「豆腐」のイメージは壊れやすい、「おから」のイメージはカス、です。中国経済のイメージとして、どちらを想定されて先生は書かれたのでしょうか?(GY生、京都)

(宮!)正弘のコメント)うっかり見落としていました。小生は原稿では、「豆腐」と書きました。内情を申せば、初稿ゲラを終えると、著者は再校ゲラを見ません。念校を取るまで見るのは単行本の時だけです。雑誌がでても、読むのは稀で、なぜなら原稿段階で十回以上は推敲し、ゲラでも読みますから、実際に活字になるときは読み直さないのです。
 で、今回の『WILL』の場合も、初稿は「豆腐」で著者責了としてFAXで戻しております。以後のプロセスで「おから」と換わったのでしょう。おそらく編集部がマスコミに通用する語彙に親切に替えてくれた、のでしょうね。しかし、「おからビル」としてしまうと、イメージが異なります。この雑誌のみならず、日本のメディアが「おからビル」と表現しているのは、辞書で調べ、『豆腐』の翻訳を「おから」の訳語そのまま当てはめた可能性がありますね。「おから」は有用な食べ物ですから、「おからビル」「おから工事」と表現すると、不法工事、手抜き工事の連想が出来ません。ぐしゃっと崩れる「豆腐経済」、柱のない「豆腐ビル」の表現でなければならず、原文は、というより中国の報道は殆どが「豆腐」と表現しております。御指摘により拙文を読み直してちょっと驚きました。単行本収録の際になおします。
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平成20年(2008年)7月1日(火曜日)
通巻第2235号 (6月30日発行)

 今年最大級の暴動は貴州省へ飛び火した
  党幹部の横暴に民衆は公安ビル焼き討ちで応酬、市街戦の様相
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中国語圏の新聞各紙が伝えた。6月28日、貴州省甕安(おうあん)県で15歳の少女が強姦された挙げ句に殺された。それ事態は珍しい事件でもないが、地元公安局の処理が公平を欠き、犯人が共産党幹部の関連者だったのに、すぐに釈放されたため、抗議の輪が数万人に膨れあがり、暴動となった。軍と警察が出動、銃撃により1人が死亡、200名が拘束されたという。

当該公安は、少女が強姦され、殺害されて川に投げ込まれた真相を伏せて「少女は自殺したのだ」と家族に説明したため、納得せず、地域住民に怒りが広がった。博訊新聞網(6月30日)によれば「抗議行動は市内繁華街の幹線道路を埋め尽くし、およそ十万名が怒りを露わにした。
パトカー十数台もひっくり返されて焼かれた」と伝えている。

この暴動は公安局ビルを焼き討ちしたため、鎮圧に出動した軍と警察が1500人の規模に及んだ。催涙ガスを撃ち込んで民衆を蹴散らし、その過程で発砲したらしい。

「このような不公平な政府のもとで、我々は忍従の生活を余儀なくされ続けるのか。この独裁政権の下では、我々は能力を発揮することさえ出来ず、団結とか中華統一とかの寝言を聞いているだけ。中国政府が十三億国民の代表だ等と僭称するのはやめろ」(博訊新聞にでた「棹紅軒主人」という筆名の投書)。甕安県は人口約44万人。ミャオ族が多い。
   
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 ♪貴州省で数万人の暴動、公安局のビルを焼き討ち
http://www.dwnews.com/gb/MainNews/Forums/BackStage/2008_6_28_18_3_31_204.html

(貴州省甕安県での暴動、公安ビル焼き討ち事件の写真 ↑)
http://www.peacehall.com/news/gb/china/2008/06/200806300254.shtml
同県公安局の緊急通達の写真 ↑)