秋葉原の惨劇と兵隊の使い捨て(その2) (外交と安全保障をクロフネが考えてみた。) | 日本のお姉さん

秋葉原の惨劇と兵隊の使い捨て(その2) (外交と安全保障をクロフネが考えてみた。)

ようちゃん、おすすめ記事。↓
▼秋葉原の惨劇と兵隊の使い捨て(その2) (外交と安全保障をクロフネが考えてみた。)

前回秋葉原の惨劇と兵隊の使い捨て (06/14)のつづき。それではどうしたら良いか。
まず何より国家は国民の幸福のために存在するのであり、「皆(国家)は一人(国民)のために。一人(国民)は皆(国家)のために」という良き国家・良き国民の基本に立ち帰ることである。

日本の指導者が靖国に参拝して国のために献身した者を大切にする、日本政府が北朝鮮に拉致された国民を是が非でも取り返し、奴らに罪を償わせるというのは言うまでもない。国民の幸福を第一に考えると、さまざまな面で日本社会はバランスが崩れすぎている。

1)特に国民の仕事(ワーク)と生活(ライフ)のバランスが悪すぎるのではないか。

もともと労働にその時間のほとんどを取られている結果、家族団らんや子供のしつけの中心に父親がいない。家に沢山お金を入れて何不自由ない生活をさせてやっているのに、どうしてそれが問題なのかという父親もいるかもしれない。だが、お金で家族同士の絆や相互理解を買うことはできない。それには時間と手間ひまをかけることが欠かせない。家族がバラバラに生活する結果、親とさえうまくコミュニケーションがとれない孤独な子供が増える。

2)人間社会の最小単位は家族であり、家族関係がうまくいかなければ社会とうまくやることも難しくなる
人間は群れで生活する生き物であり、家庭や社会から孤立して一人クヨクヨ考えていてもロクなことは無い。秋葉原無差別殺人事件の犯人のおそるべきネガティブ思考にもそれは表れている。さらに、社会全体における仕事量と所得の分配のバランスも悪い。
大蔵省・日銀の政策の失敗でバブル経済が崩壊して長期不況が起こるとそれまでの終身雇用が崩壊、企業はいわゆるリストラを敢行して正社員の雇用を減らす一方、数少ない人員でそれまでの仕事を回すようになった。極端な例を出せば、片や所得はそれなりにあるが、左に過労死、右にうつ病自殺という谷の間を綱渡りしながら猛烈に働き続けるなかなか家に帰れない正社員と、会社から声がかかった時だけ働く、家族を持つのさえ厳しいほど低所得の派遣社員。
もちろん猛烈に働いても家族が持てないというパートタイマー・アルバイターも沢山いることだろう。

世代間の格差も大きく、高度経済成長期に働きざかりを迎えて資産を形成し、日本の金融資産の大半を所有する、子育ても終わってあまり消費する必要の無い高齢者に富が集中する一方、結婚・子育てなど本来消費を増やさなければならない青年層は失われた10年の影響をモロに受け、バブル崩壊以後の長期不況や雇用の減少・所得の伸び悩みの影響で状況は楽でない。それが少子高齢化・内需の伸び悩みに影響している。

さらに言えば、これまで日本の隣に中国という巨大なデフレの塊(膨大な人口でを持つので、労賃の低下を促進した)があり、日本一国ではデフレ不況をどうすることもできなかった。

*デフレ不況で苦しむ中、日本企業の競争力を支えてきたのが他ならぬ派遣社員・パートタイマー・アルバイターなどの低賃金労働者であり、企業側もそれをじゅうじゅう承知の上で雇用してきたのに、やれ「負け組」だの「生産性やスキルが低い」だの「ちゃらんぽらんで不真面目な若者たち」だのと叩かれて「兵隊の使い捨て」にされたのでは、どんなに温和な日本人だってキレるだろう。*

(私は、非正社員のなかにも自分の仕事に誇りを持っている真面目な労働者はいくらでもいると思っているし、犯罪を起こす人がいくらでもいることからもわかるように「社長だから・正社員だからみんな真面目だ」とは思わない。彼ら非正社員労働者がいるおかげで今の物価が形成されているのであり、大げさに言えば、「フリーターはけしからん連中だ」ということで彼らすべてを正社員化して所得を上げ社会保険を負担すれば、GSでレギュラーガソリンを入れたらリッター400円になったとか、ファーストフード店のハンバーガーが一個800円とか、ファミレスでちょっと食事をしたら一人5000円オーバーなんてことになるかもしれない)

今の日本に求められるのは社会の最小単位である家族の立て直しであり、そのためには、まずお父さんを家庭に返すというところからはじめなければならない。

せめて夜7時の食卓を家族みんなで囲んで、子供と「今日は学校で何か楽しいことがあったか?」というような会話ができるようにしたい。(お父さんを家庭に返せばそれで終わりではない。そこからが始まりである)その際に参考になるのはワークシェアリングという考え方で、ぶっちゃけて言えば、たとえば求職者が3人の国があったとして、そこの雇用は正社員2人分しかなかったとする。当然1人が確実に失業することになるが、その人は所得も無く家族も持てず、かなり高い確率で犯罪者となる可能性があり、その犯罪によって普通に働いている2人の生活と安全が脅かされかねない。ただその国が価値観の多様化した先進国だったとすると、正社員のうちの1人が「多少所得が低くなっても良いので、自分の趣味や奥さん・子供と一緒に過ごすのに時間を使いたい」という希望を持つようになったりする。そこでその人を週3~4日だけ働くパートタイム労働者になってもらい、失業していた人をパートタイマーとして雇用して残りの3~4日を働いてもらう。これで求職者3人すべてに雇用と所得を与えて社会全体の利益と安全につなげようというのが、ワークシェアリングという考え方の根本にあるものだ。

ワークシェアリングで有名なオランダでは、週3~4日ぐらいしか出てこないパートタイム管理職(日本で言うと係長クラス)が存在していたり、夫婦両方がパートタイマーであっても子供1人が育てられるぐらいの所得が保証されているという。家族を立て直す、父親を家庭に返すというところに話を戻すと、日本人というのは他人のことが気になってしょうがない性格で自分1人が突出するのを極度に嫌うし、横並びで一斉にやらないと改革が骨抜きになりかねない。

そこで改革のラフスケッチとしては、まず、大企業から中小企業まで横並びで、労働基準法の週40時間労働を厳守させて父親を家庭に返してやる。それについて一切の抜け道を許さず違反した企業には厳罰を与える。それで労働力が足りなくなった場合は、正社員のサービス残業という名のタダ働きで埋めるのではなく、パートタイム労働者で補う。(正社員ならなお良い)その場合、国・自治体は税制や社会保険制度上の優遇措置を講じてインセンティブを与える。

・パートタイマーであっても夫婦が共働きをすれば、子供を育て家庭を築けるぐらいの所得や社会保険制度を国や企業が保証する。父親を家庭に返して家族を立て直し、若者層の所得を上げ購買力をつけるために、商品や各種サービスの価格上昇や、夜7時以降や土日にお店や会社が閉まってしまう等の不便(公共交通機関や飲食店など一部業種をのぞく)を理解し許容する。

・若者の所得水準に下降圧力を加える外国人労働者の積極的受け入れ策は取らない。(ますます秋葉原のような事件が起こりかねない)
日本の金融資産が高齢者に集中していることは先ほど述べたが、彼らを含めた富裕層や高額所得層それに儲かっている企業に累進的に課税して、所得は低いが、これから家庭を築き子育てをしていこうとしている若者層に厚く分配する。

・低所得層ほど負担が重くなり、内需に縮小圧力を加える消費税は最低でも現状維持。「欧州が20%前後だから日本もそれくらいにしないといけない」といった、白人猿マネ主義のようなバカな主張に惑わされてはいけない。

以上、日本立て直しのラフスケッチを提案してみたが、国・雇用者・労働者・消費者など日本全体の理解と協力がないと実現は不可能だろう。
特に雇用者・経営者は自社の利益のみならず、天下国家のことも考えて欲しい。自社の利益を極大化するために兵隊(労働者)を使い捨てにすれば、そのしっぺ返しは必ず自分たちに振りかかってくることは、購買力の低い非正規社員の増加で、観光旅行や自家用車など各方面の日本市場が縮小し販売不振につながっていることからも明らかではないだろうか。

もちろん秋葉原のような事件の発生も憂慮すべきことだ。もしこれまで述べたような改革が実現すれば、物価上昇や利便性の低下などいくつか”デメリット”はあるものの、父親を家庭に返してやることで日本の家族を立て直し、若者に家族を持てるぐらいの雇用と所得そして将来への希望を与えることで秋葉原のような凄惨な事件の発生を防ぎ、正社員の父親に消費のための時間を与え、非正社員の若者にも子供のために必要な物を買えるようにしてやれば、消費が増え内需が拡大して日本経済の発展にも寄与する一方、少子化を防ぐこともできるかもしれない。秋葉原の事件は、日本が先進国となったことで1990年代ぐらいには制度疲労を起こして通用しなくなった、欧米に追いつけ追い越せでやってきた高度経済成長期の社会システムが未だに社会の各方面で存続し、「日本が欧米に追いついて一応は先進国となった。じゃあこれからどういう社会を理想として追求していくか、本当の豊かさとは何なのか」ということを日本社会全体が真剣に考え行動してこなかったという事実を、あらためて日本人全員に突きつけたと思う。

(繰り返すが、「だから秋葉原の犯人はゆがんだ社会の被害者だ」みたいな世迷言を言うつもりはさらさらない)
今の日本のどうしようもない行き詰まり感は、これまでの日本社会の慣行を守れなくなったからではなく、福田政権以降、本当の意味で豊かな新しい日本社会建設へ一歩を踏み出す動きが完全に無くなったことが原因ではないだろうか。ただ、前述した改革案のベースにあるのはやはり競争原理である。競争原理をベースにしつつ、所得と労働が偏りすぎず競争原理がうまく働くよう少しだけ手を加えてやるというのが本意である。

「成功へのチャンスの平等」は支持するが、「結果の平等」は支持しない。濃密に働いて高額所得者となる正社員と、家族と過ごす時間や趣味・生きがいを大切にしたいから、あえて所得が低くなってもパートタイマーを選ぶという人の共存を許す社会である。(日本人が他者との違いを認め、他人のことが気になってしょうがなく他人と同じでなければ不安でしょうがないという日本人ひとりひとりの性格・考え方を変えていく必要もあろう。だいたい勝ち組・負け組なんて馬鹿げた考え方は、「すべての人間が同じ価値観を持っているからたった一つのモノサシで幸・不幸は比較できる」という誤った前提がなければ生まれないだろう)そりゃ、”敗者”をつくらないように「いっせいのせ」で皆で一緒にゴールする社会の方が筆者もどれだけ楽か知れない。

しかしそれをやったら日本社会全体がダメになる。政治・経済・外交・軍事・文化・スポーツありとあらゆる分野でこの国は競争力を失い外国に食われてしまう。
共産主義の二大聖地であったロシアも中国も、「結果の平等を保証」した共産主義なぞとうの昔に捨てさって、日本よりひどい弱肉強食の社会になっている。
資本主義の問題点は恩恵の分配の不平等にあり、共産主義の問題点は不幸の平等な分配にある。そのどちらがマシかは今さら言うまでも無い。<了>

-------------------------------
世界各地のお祭りは、五穀豊穣やコミュニティの安寧を祈願するだけでなく、たいてい若者の出会いの場となっている場合が多い。しかし、日本の場合(特に都会で)は家族はもちろん地域コミュニティも機能せず、そうしたお見合いシステムも失われたように思える。そこで日本各地にムダに充実している公民館や文化センターといったハコを、金曜土曜の夜あたりにナンパしたい若者とナンパされたい若者に開放したらどうだろうか。駅前などで警察に追っ払われながら歌ったりダンスしたりしているアマチュア・アーチストにも来てもらい、自己表現の場を提供するとともに雰囲気づくりに協力してもらう。軽い飲食ができるとなお良い。若者の「出会いの場の提供」も大事なコミュニケーションです。
~~~~