《Web熱線ーアジアの街角から》 | 日本のお姉さん

《Web熱線ーアジアの街角から》

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▼▽ 硬派的題目 ▽▼               by OJIN

☆ 北京オリンピックの成功を願う! ――――――― 2008/06/30

ーーー最近考えるようになりました。他の国はいざ知らず日本(人)は、中国(人)と一緒になって北京オリンピックが成功するよう願い、行動すべきではないのか?ーーーついに OJIN は老人ボケ!?
・・いやまあ、本人はそう思っておりませんのですけれども、(^^;ーーーどうしてそんなふうに考えるようになったのかといいますと、

ここ暫く、チベット問題での各国からの非難に対して、中国は「オリンピックと政治問題を絡めるべきではない」と反駁しているのに対し、ーーー今まで自分が散々台湾問題でボイコットを繰り返してきたくせに、なにをシャラクサイ屁理屈をこきやがる!チベット人権問題が改善されなければ、オリンピック開会式なんかボイコットしてしまえ!ーーーと叫ばれてきましたけれども、しかし、これではなんだか、過去に中国が台湾問題を理由に何度も参加をボイコットしてきた、のと、同じようなレベルの話になってしまうのではないでしょうか?

同列に扱うべき問題じゃないぞ!とーーー言われるかもしれませんが、でも、やっぱりそうでしょうか? 先般、調査捕鯨の鯨の肉が横流し(?)されている証拠を掴む為という名分で、配送途中のものを盗むという事件がありましたがなんだか、チベット問題で俺達のいうことを聞かないならボイコットするぞ!と強要するのは、、目的の為なら手段は関係ない・・・そんな、傲慢でピント外れのこういう考え方と同じレベルなのではないか?ーーーそう感じるようになりました。オリンピックは平和の祭典、とか綺麗事を言ってみたところで、実際には政治に振り回されている現実は、常識ある大人であればみんな分かっていることだと思います。

ーーーだからといって、そのままでいいというわけではないでしょう。
ボイコットをチラつかせて別の要求を呑ませようとするならば、2016年に東京オリンピック招致に成功したとして、中国が「中国の領土である尖閣諸島を認めないなら、東京オリンピックをボイコットするぞ」と脅してきた場合、ではグーの音でも出せるんでしょうか?
他の国々はいざ知らず、品格ある我が日本だけでも、ミソもクソも一緒の如き北京オリンピックとチベット問題を切り離して、チベット問題には厳しく声を挙げながらもそれはそれとして、北京オリンピックは中国人民と足並みを揃えて成功を願い、喜び合う態度で臨むべきではないのか?

ーーーいや、むしろ、むしろ逆に、天皇陛下に政治的に動いて頂くのは真に畏れ多いことではありますが、例えば天皇陛下が開会式にご出席、ということになれば、中国政府は、その光景を必ずや大々的に全中国、いや、全世界に向けて報道しまくることになるでしょう。

もしも欧米の国々が元首の開会式をボイコットしてくれれば、中国庶民の屈辱・口惜しさ・怒りは如何ばかりに燃え盛ることになるでしょう。ーーーそこに日本から天皇陛下が出席されて、オリンピックを慶祝するお姿お言葉が何度も何度も報道されれば、

----中国庶民というのは、ある意味単純素朴な人々です。ーーーそれは今回の四川大地震での、日本からの緊急救助隊に対する感謝のうねりが沸き起こったことでも実証されました。逆の事態を想像なさって下さい。日本で初めてオリンピックが開催される。そのとき日本国民はどれほど誇らしく、沸き立つ嬉しい気持で成功を願うことか。ーーーそんなときに、様々な懸案を抱えているとはいいながら、今まで自分たちが絶対に敵わず、畏敬と嫉妬を感じている国から、初めて開催できることになった嬉しい行事にイチャモンをつけて水を差されたとしたら、日本の輿論はどんな反応に沸きかえることでしょう?

中国が、チベットを侵略し支配したのか、権力側の一方の要請に基いて解放し併呑したのか、どちらなのかは措いて、現実に実効支配し、武力で干渉しない限り覆る可能性など微塵もない。そんな状態で、さらに日本には何の利もない事案に対し、ただ声を挙げるしかない干渉運動を行っても、結果はお互いの庶民感情を険悪なものにするだけの現在のやり方で、得るものが何かあるのでしょうか?何か問題があって、世界中の他の国々がソッポを向く中で、自分たちが嫉妬しながらも畏敬する国から、万世一系の、世界中が認める元首が来てくれて祝ってくれたら、

中国庶民は「大歓呼」して迎えることでしょう。
その国民庶民の歓呼歓喜の心は、中国政府が施してきた反日教育など瞬時に吹き払ってしまうでしょうし、庶民がそうした気持になってくれれば、政府の思惑とは別の、ーーー恐ろしい変化のウネリが始まるかもしれません。そしてそのほうが、声を荒げて“中国に人権を!”と叫ぶ今のやり方よりも、遥かに早く簡単にその目的を実現させてしまう結果になるかもしれません。

ーーー天皇陛下にはそれだけのインパクトがあります。
なら福田首相では?ーーー中国庶民は誰も感動なんかしないでしょう。
いろいろ批判もあり、また、粘り強く交渉を重ねてきた関係諸官の努力は勿論ですけれども、今回の東シナ海大陸棚資源の共同開発程度、の譲歩(ご褒美?)を引き出すのがせいぜいのところでしょう。--- OJIN は、今回の合意成立はご褒美だと確信しています。たぶん天皇陛下か皇太子殿下のご出席ももち掛けられていて、その場合には更なるご褒美が提案されているんじゃないかと疑っています。中国ならそのぐらいの交渉テクは当たり前。が、福田首相はさすがに世論が怖くて言いだせないのでしょう----

いま日本が為すべきは、ただ感情的にチベット人民可哀相と叫ぶのでもなく、また、欧米に阿て同調することでもなく、外交の世界的常識からするならば、同調するフリをしながら各国元首の開会式出席ボイコットを煽り、中国を更なる苦境に追い込んで人民を憤激させておいて、

様々に駆け引きして、中国との諸懸案に出来るだけの好条件を引き出しながら北京オリンピック成功の演出を助け、確りとタップリと、その果実をもぎ取らせてもらう。

ーーーそれが、国益のため日本として考えるべき当たり前の考え方でしょう。尖閣諸島日本領承認、南京大虐殺記念館廃却、靖国等内政干渉停止、反日教育廃止、(中国軍が遺棄した)旧日本軍化学兵器問題再検討・・・----これだけでは、ただマイナスからゼロに戻すだけですから好条件ではないですね。(^^;
ーーー台湾は、SF講和条約以後「帰属の未定な地域」となっているままだが、中国も「中国の固有不可分の領土」と主張しているけれどその根拠薄弱、日本も一応領有権を放棄はしたけれど中華民国に譲ったわけではないのだから、ここはお互いに矛を収めて、現在の住民の意志に任せる、と承認しようじゃないの。ーーー旧満州地区全体を、
永久一国二制度特大経済特区にして、そこに、軍事・外交以外の日本の如何なる権利をも容認して、漢・日・満・蒙・朝、五族協和の楽園を築こうじゃないの!それが成功したら、中国全土に拡大していきましょう!‥‥‥でも共産党の君臨は日本が必ずバックアップしていくから

~~ーーースクラムを組んで、
中国は(ロシア)沿海州の返還を、日本は千島列島・南樺太の返還と、不法シベリア抑留の賠償に北樺太とカムチャッカ半島の割譲を、一緒に要求していこうじゃないか!
ーーー中国はシベリアに1億ぐらいの(不法)移民を送り込んで、そのうち住民自決選挙で中国領にしてしまいなさいよ~♪
日本も(密かに)応援するからさ~ーーーなあに、日米中がスクラムを組んで、EUがロシア資源を不買すれば、ロシアなんざーたちまち膝を屈するから、難しくなんかないよ~~(^з^;!チベットに人権を!では、
日本の国益には些かの、なにほどの利益をも齎しはしません――――。
冷酷と わらわばわらえ 将来の 孫子の幸に 思いいたさず
----ただですね~、媚中、屈中精神でこれをやったら、ただのアホマヌケ---- = おわり =
┌―――――――――――――――――――――――
▼▽ 心が元気になる話 ▽▼          by hideおじさん


☆ 緑の革命(1)~世界の農を拓いた日本人 ―――――2008/06/30
= 農業共済新聞参照 =
田舎の田んぼ道を、リュックを背負いバイクで走り回る一人の老人がいた。通り過ぎる人に気軽に声を掛け、にこやかに走り回るその姿はごく普通のじいさんにしか見えない。みな彼のことを「リュックのゴンジロさん」と呼んでいた。

しかし、この老人がかつて「世界の16億人以上の命を救った」とまでいわれた技術者であることを知っている人はいない。老人の名は「稲塚権次郎」「世界の農を拓いた人」とまでいわれている。東京帝国大学農学部を卒業した若き権次郎は、当初稲の品種改良に苦闘していた。彼の努力で生まれたのが「陸羽132号」、そして後のコシヒカリや秋田小町というブランド米を生むことになった「農林1号」である。

結果だけをみると華々しいようであるが、品種改良という作業は地味以外の何物でもない。富山生まれの百姓の息子権次郎は、ことのほか農業が好きで苦労を感じなかったという。その後、岩手県農事試験場に移り、小麦の品種改良に取り組むことになるのだが、結果からいうと世界の小麦のほとんどが権次郎の小麦の筋を引いている。

昭和10年、権次郎は小麦農林10号を育成した。
この小麦は「日本の農民のようだ」とも言われた。ーーー背が低くて頑丈で、骨太でいくら穂をつけても倒れない、まさに百姓のような小麦であった。しかし日本の多雨条件ではその真価が発揮できず、当時はあまり普及しなかった。
「農林10号」が日の目を見るのは、皮肉にもアメリカで、であった。
終戦後、GHQ農業部が農林10号に目をつけ、持ち帰ったのが始まりであるが、ボーローグ博士らによって他種と交配、その結果生産量が飛躍的に伸びたのである。

この新種農林10号が世界中に送り込まれ、1960年代中ごろ大規模な飢餓が予想されたインド・パキスタンでは、それまでより小麦生産量が4倍にも増え、数千万人の命を救うことになった。

これは「緑の革命」と呼ばれ、この成果によってボーローグ博士は1970年ノーベル平和賞を受けることになる。

権次郎も翌年、その労が報われ、勲三等瑞宝章を贈られたが「リュックのゴンジロさん」は変らず飄々としていたという。

現在、農林10号の筋を引く品種は世界中で500以上に及び、50ヶ国で栽培されている。世界中の飢餓克服に大きな力となったのをはじめ、アメリカ・ヨーロッパなど主要小麦生産国の生産性を飛躍的に向上させた。みなこの小麦を、愛情を込めてこう呼ぶ「ノーリン・テン」

権次郎は、昭和63年、91歳でこの世を去ったが、翌年ノーベル賞を受賞したボーローグ博士が彼の故郷を訪れこう感謝の言葉を述べ頭を下げた。┌--------
稲塚先生の業績は、全世界の人々が高く評価し、心から感謝している。多くの国々で食糧問題の解決を可能にして下さった。 何十億という人々を代表し、ありがとうございました。
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現在、日本は小麦のほとんどを外国から輸入している。それが権次郎の小麦の子孫というのは、なんという皮肉であろうか。激減してしまった日本の麦作を権次郎はどんな想いで見ているのだろうか。日本の若き百姓の息子が作った一本の小麦が、今までの、そしてこれからの人類の食糧確保にいかに貢献しているのか、私たちは覚えておきたい。