韓国、クーデターの可能性 (杜父魚文庫ブログ・平井修一) | 日本のお姉さん

韓国、クーデターの可能性 (杜父魚文庫ブログ・平井修一)

▼韓国、クーデターの可能性 (杜父魚文庫ブログ・平井修一)

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我が国には朝日新聞など容共左派の言論が満ちあふれている。日本新聞協会に加盟する109紙の2007年度の一般紙発行部数は4696万部で、産経と読売に代表される「保守派・どちらかというと保守派」は1500万部ほどだから、3分の2は容共左派だろう。しかし、共産主義を正面から唱える新聞はまずないだろう。共産主義は煎じ詰めれば「一党独裁」で、民主主義は圧殺される。言論の自由はなく、権力者に合わせて口をパクパクするだけである。中共のネット紅衛兵のように。韓国の民主主義と言論の自由はここ20年の歴史しかない。つまり戦後の40年間は北の共産主義と厳しく対峙していたため主に軍事独裁政権下にあった。この間、北は韓国に工作員を送り、あるいは洗脳し、強力なネットワークを作ったろう。北から学資を得ていたと見られる二人の大統領、金大中、ノムヒョンはほとんど北の代理人であった。政権トップがアカだから政権中枢や行政府などは学生運動の前科者も多数採用された。アカは、選挙に勝って政権をとるなんて絶対に考えない。政権は銃口から生まれるという「暴力革命」であってこその共産主義である。反対者を皆殺しにして党と人民を純化し、屍と焦土の上に鉄の団結を築くのが正統派である。「帝国主義の内部崩壊を待つというのは、マルクス主義の本質的なダイナミズムを無視したものである。革命家は、忍耐強い傍観者として資本主義の瓦解を待つことはできない。革命家の役割は、最終的危機を促進することである」(P&M.ファーブル「マルクス以後のマルクス主義」)

韓国のアカは「李明博政権はあと少しで倒れる、手を緩めるな、苦しいけれど、奴らも苦しいのだ、押して押して押しまくれ!」と思っている。共産主義に無知・無防備だから、北を良い国、日米を悪い国と考える国民は多いのだ。民度が低いと民主主義と自由は暴走する。

東亜日報6月28日社説「暴徒と化したデモ隊にいつまで踏みつけられるのか」。
<デモ隊は暴力デモを批判した新聞社と記者にも無差別に暴行を加えた。レインコートとマスクで顔を覆ったデモ隊は、世宗路にある東亜日報と朝鮮日報および系列ホテルの社屋に押し寄せ、出入り口のガラスの窓を石で割り、制止する戦闘警察隊とホテル職員に暴行をはたらき、建物の社名のロゴを引きはがした>

大陸のDNAなのだろう、面目躍如の狂牛ぶりで、<建物に汚物を投げつけるだけでは足りず、出入口にごみを捨て、小便をかけたりもした。彼らは東亜日報の社屋前の掲示台から太極旗(韓国国旗)と社旗を引き下ろし、ごみ袋をつるして拍手し歓呼したアカにとっては牛肉なんてどうでもよく、危機を煽って混乱させ、内乱を起こして革命政権を樹立、北主導で南北統一を図るのが大戦略なのだ。敵を血祭りにする。<一部デモ隊は、デモ現場を取材していた本社写真部のピョン・ヨンウク記者をつかまえて殴りつけ、記者が逃げるとまたつかまえて「服を脱がせて殺せ」と叫び踏みつけた。ピョン記者は失神し病院に搬送された。25日夜には朝鮮日報の記者がデモ隊につかまって1時間暴行を受けた。紅衛兵の人民裁判と大差ない蛮行だ>アカはすっかり戦闘モードである。ソウル市役所前の広場と光化門交差点が2ヵ月にわたって暴力デモに制圧され、6月5日から始まっているはずの国会も開けない状況だ。「それどころか国会議員の一部は国会に背を向け、不法デモの現場へ出向いている」という。煽動しているのだろう。<狂牛病国民対策会議は「政権退陣運動も辞さない」と公言した。デモの現場では「非暴力を主張するなら家に帰れ」という言葉が公然と聞こえる。ポータルサイト・ダウムの討論ルームには「まだ闘いは終わっていない。生半可な非暴力の論理でお茶を濁ごすのではなく、決定的な瞬間に公権力を完全に無力化しなければならない」といった主張も溢れている>

政府は拱手傍観、ほとんどなす術がないようだ。李明博は元活動家の前科者(国家内乱扇動罪)という負い目もあるからアカの暴力を力でねじ伏せるという決断ができない。今はビジネスマンで思想性が希薄なために商談はできても腕力の喧嘩はできない。アカから死人が出ればアカは大喜びで、一気に攻め立てるというのが伝統的戦法であるから、これを恐れているのだろう。政府が決断できず、国会が開けないとなれば、軍事クーデターで事態を沈静化するしかない。これは韓国の伝統的なやり方で、1961年5月16日、後に大統領になる朴正煕少将(第2野戦軍副司令官)による「5・16軍事クーデター」は10万人の赤い学生デモを鎮圧した。文民の張勉内閣にはこれを抑える力がなかったという。1979年10月26日、その朴大統領と車智澈大統領府警護室長が金載圭韓国中央情報部(KCIA)部長に射殺された。金載圭は、反政府学生らが釜山の米国文化館を占拠した事件について、朴大統領らから学生運動の弾圧が生ぬるいとして無能をしばしば叱責されたため犯行に及んだもの。朴大統領暗殺後、韓国は「ソウルの春」と呼ばれる民主化ムードが続いていたが、軍部は保守派と民主派に分裂していたようである。1979年12月12日、全斗煥陸軍少将が、戒厳司令官の鄭昇和陸軍参謀総長を逮捕し、軍の実権を掌握した(粛軍クーデター)。全国各地で反軍部民主化要求のデモが続いていたが、全斗煥の新軍部は1980年5月17日、全国に戒厳令を布告し、野党指導者の金泳三、金大中や、旧軍部を代弁する金鍾泌を逮捕・軟禁した(5・17非常戒厳令拡大措置)。これに反発した活動家ら1980年5月18日から27日にかけて全羅南道の道庁所在地、光州市で韓国軍と衝突し、多数の死傷者を出した(光州事件)。

2008年6~7月の危機を李明博は乗り切れるのか、それとも軍事クーデターが起きるのか。元アカの小生が思うに、北の勢力=デモ隊は今のチャンスを逃したら赤化統一は大きく遠のくと覚悟しているから絶対に引かない。街頭デモとゼネストでソウルを制圧するだろう。小生が韓国軍の幹部なら同士を募って連判状を作るだろう。小生が大統領なら革命またはクーデターが起きる前に最高司令官として戒厳令を布告するが、どうなるのだろう。目が離せない政局になってきた。(参考:ウィキ)
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ようちゃん。↓
韓国の民主主義と言論の自由はここ20年の歴史しかない。つまり戦後の40年間は北の共産主義と厳しく対峙していたため主に軍事独裁政権下にあった。この間、北は韓国に工作員を送り、あるいは洗脳し、強力なネットワークを作ったろう。
・・・・韓国のアカは「李明博政権はあと少しで倒れる、手を緩めるな、苦しいけれど、奴らも苦しいのだ、押して押して押しまくれ!」と思っている。共産主義に無知・無防備だから、北を良い国、日米を悪い国と考える国民は多いのだ。民度が低いと民主主義と自由は暴走する・・・・アカにとっては牛肉なんてどうでもよく、危機を煽って混乱させ、内乱を起こして革命政権を樹立、北主導で南北統一を図るのが大戦略なのだ。敵を血祭りにする・・・・李明博は元活動家の前科者(国家内乱扇動罪)という負い目もあるからアカの暴力を力でねじ伏せるという決断ができない。今はビジネスマンで思想性が希薄なために商談はできても腕力の喧嘩はできない。アカから死人が出ればアカは大喜びで、一気に攻め立てるというのが伝統的戦法であるから、これを恐れているのだろう。政府が決断できず、国会が開けないとなれば、軍事クーデターで事態を沈静化するしかない。>こんなことの 繰り返しだから まともな 人は いなくなるのだ。
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▼韓国の衝突激化、400人負傷 先鋭化に警察、強硬姿勢に(iza)
米国産牛肉の輸入制限解除を発端に韓国ソウルで続く政府への抗議行動は28日夜から29日未明にかけ集会参加者と機動隊が鉄パイプや警棒で相手を攻撃するなど衝突が激化、双方の話を総合すると、計400人以上が重軽傷を負った。集会参加者は26日の牛肉輸入手続き再開前後から行動を先鋭化。警察側も強硬に抗議行動の押さえ込みを図る政府方針に従っており、状況は悪化している。輸入再開後、初の週末となった28日は主催者推計で20万人、警察推計で1万8000人が集会に参加、一連の集会で過去2番目の規模になった。参加者は当初平和的にデモ行進していたが、機動隊のバスにさえぎられると様相は一変。集会側の数十-数百人がバスを壊し横転させようとし、機動隊は放水や消火器噴射で対抗。約3時間後に機動隊数千人が鎮圧に着手した。
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▼攻撃なら石油施設に反撃も イラン革命防衛隊司令官(iza)
イラン革命防衛隊のジャファリ司令官は、米国やイスラエルがイランの核施設を攻撃した場合は「石油が武器として用いられる。行動の一部はペルシャ湾とホルムズ海峡で行われるだろう」と述べ、反撃として米国などが関係する同湾の石油施設やタンカーなどを攻撃する可能性があることを示唆した。28日付のイラン紙のインタビューで語った。米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は19日、イスラエル軍がイラン核施設に対する空爆作戦の大規模な演習を実施したと報道している。司令官はインタビューで、「(イランの)核施設は分散して配置されている」として攻撃が困難との見通しを示した一方、攻撃を受けた場合には、「イランのミサイルはイスラエル全域を射程に収めており、反撃は素早く破滅的なものになる」と強調した。
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■(陳胡痒のコメント):イランなんて偉そうなことを言っていますが、自国で消費する石油精製製品すら自国で精製できない国なのです。その理由は、製油所が老朽化していることと、政府が国民の不満を押さえるために補助金を出してガソリンをミネラルウオーター以下の価格に押さえている からです。そのため身の丈を越えたモータリゼーションが進んでガソリンその他の燃料を大量消費する社会になっています。そのため、ガソリン灯油などの外国からの輸入は、国内消費の40%を越えています。言葉を換えれば、今のイラン軍にはイライラ戦争の時のような戦争継続能力はありません。アメリカ軍なり、イスラエル軍が核施設と同時に製油所を空爆すれば、豊かな産油国という化けの皮が剥がれて北朝鮮のような崩壊した経済しか残りません。イランの革命防衛隊の司令官なんて言わせておけばいいのです。むしろペルシャ湾のタンカーなりを攻撃するためになけなしの戦闘機や特攻艇を出してくるなら、まとめて米帝が水漬く屍にするだけです。革命防衛隊の将兵がいかに勇敢でも海の上では隠れるところはありませんから。先日アメリカ軍が革命防衛隊の自爆特攻ボートの接近を許したのは、知っていたけど戦時ではないから先制攻撃ができなかったからです。
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ようちゃん。↓
★いつもながら 簡明な解説ですね。一方、イスラム教徒の佐々木良昭氏は、下記の記事から ・・・戦争を意識しなければならない状況が、相変わらずある。
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▼アメリカによるイラン攻撃の懸念拡大(中東TODAY ・佐々木良昭
ここ数日、外国の報道を見ていると、アメリカが昨年イランを攻撃することを躊躇したために、イランの核開発が進み、現在では阻止が困難な状態に、陥っているという記事や、イスラエルがなんとしても、イランの核開発を阻止しなければならないと考えている、といったニュースが増えてきている。他方、相変わらずアメリカはイラク、アフガニスタンと二つの戦争で苦戦しており、しかも膨大な戦費を使っていることから、三つ目のイランとの戦争を出来る状態にはない、といった判断をしている専門家もいる。 しかし、状況は戦争無しとする人たちが考えるほど、心配ないのだろうか。これまでのマケイン大統領候補の湾岸諸国訪問、チェイニー副大統領の湾岸諸国訪問、ブッシュ大統領のエジプトのシャルム・シェイクで開催されたダボス会議や、湾岸諸国訪問での発言などを読んでいると、戦争を意識しなければならない状況が、相変わらずあると考える方が正しいのではないか。
イスラエルはここに来て、イランに対する攻撃は空爆であり、そのターゲットも限定したと言い出している。もちろん、イスラエルがイラン攻撃に踏み切れば、アメリカは放置するわけには行くまい。アメリカがイスラエル同様に、イランとの戦争に踏み切ることになろう。その戦争の期間を、アメリカはせいぜい1ヶ月程度と考えていようが、それはあくまでもイラン国内で、既に展開している内部での破壊工作と、イラン国民のイスラム体制からの離反が、効果を出せばのことであろう。しかし、アメリカが空爆だけでイランとの戦争にけりをつけようとすれば、相当数の爆弾を投下しなければならないだろう。そうなれば、当然ことながらイラン国民の多数が犠牲となろう。もし、アメリカがイランとの戦争でもたつくようなことになれば、戦争の影響は周辺諸国にも及び、イスラム諸国の国民の間には、イランに対する同情も広がろう。そうなれば状況は悪化し、戦争や紛争、暴動が周辺諸国にも拡大することを、考えておかなければならないのではないか。私が抱いているような懸念を、日本政府は抱いているのだろうか。述べるまでもなく、戦争になれば湾岸諸国からの石油輸入は、当分の間(数ヶ月かそれ以上の期間)止まることも考えておかなければなるまい。そのような最悪の事態に対処する方法を、政府は検討しているのだろうか。イランをめぐる状況は、決して楽観できるものではない、ということを強調しておきたい。もし戦争にならなければ、それは幸運だったとし、戦時下での日本の対応を考えたことが、無駄だったと考えるべきではあるまい。
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