自分にあった学歴を身につけるということ(江草乗) ユーロサトリ取材日記 技本の品格 (清谷信一) | 日本のお姉さん

自分にあった学歴を身につけるということ(江草乗) ユーロサトリ取材日記 技本の品格 (清谷信一)

ようちゃん、おすすめ記事。↓

▼決定的に変化した戦争の形態(オルタナティブ通信)
アフガニスタン戦争、イラク戦争での米軍の軍事行動は、コンサルタント会社マッキンゼーが作戦計画を作り、 軍事技術の指導をチェイニー、アルワリド、李嘉誠のブレーン=アクセンチュアが行い、 軍事施設の建設をチェイニーのハリバートンが行い、 武器・弾薬・食糧・水・燃料の補給をハリバートンが行い、 こうした軍事物資の調達をヒラリー・クリントンが顧問弁護士を務める、スーパーマーケット・ウォルマートが担当し、 兵士の大部分は、チェイニーの傭兵会社ブラウンルート社が提供した。 戦争は「民間企業が行う時代」になり、そこには「国益、国家、国軍」と言う物は、もはや存在しない。戦争は「国家が行うものでは無くなっている」。 何故なら、戦争はロスチャイルドのように世界帝国を運営する者が主体となって起こすからであり、そのために国軍ではなく、傭兵会社が兵士を「派遣する形」が作られている
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ようちゃんの意見。↓
★完全に米国では戦争は民営化されて、利潤の追求のために戦争を行うのが常時普通の日常に変わってるのですねー。戦争屋と言う部門の商売で、各種の関連専門企業が能率よく、遂行する方が早くて便利で安上がりの戦争になると考えてるらしい。
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▼自分にあった学歴を身につけるということ(江草乗)
秋葉原の無差別殺人事件を起こした加藤智大容疑者は、青森県下随一の進学校、青森高校を卒業したという。少なくとも中学までは優等生だったはずの彼の中にどのような変化が起きたのか。オレはあれこれと想像するのである。かつて、加藤容疑者と同様に高校入学と同時に挫折を味わった者の一人として。

オレは大阪府立生野高校に入学した。第七学区で最上位の進学校だった生野高校には中学校でクラスで1番だったような生徒ばかりがきていた。その中で全然授業の予習もせずにサイクリングに熱中して、毎日家に帰るとロードレーサーにばかり乗っていた自分が成績で太刀打ちできるわけがなかった。オレはクラスで最下位に近い成績を取り続け、深く潜行した。オチこぼれだったオレの面倒を見てくれて、オレに勉強することの充実感や達成感を教えてくれたあの恩師に出会わなかったら、きっとオレはオチこぼれのまま高校生活を終えていただろう。現役で京都大学文学部に入学することなどありえないことだったはずだ。よくオレは「あなたみたいに優等生だった人はオチこぼれの生徒の気持ちなんかわからないでしょう」と言われる。しかし、オレのように天国と地獄の双方を体験してる生徒はそうそういないはずだ。オレは高校時代、500人近い生徒の中で下位10人くらいに入ったことも上位一桁に入ったこともある。

そこでオレが改めて感じるのは、人は自分の素質に見合った学歴をつけるべきだということなのだ。せっかく進学校に入ったのに挫折してしまい、偏差値の低い大学に入ったり高卒で就職したりした場合、「ここはオレの居場所じゃない」「オレはこんなアホの中に居る人間じゃない」という屈辱感を生涯抱えながら暮らしていくというみじめなことになってしまうのである。だったらどうすればいいのかというと、ちゃんとそれなりの学歴を身につけよということなのだ。自分の通う高校の、普通の生徒が普通に入学していくレベルの大学にちゃんと入れるようになれということなのだ。それだけの学力を身につけられないのはひとえに自己責任じゃないのか。

加藤容疑者の母親は才媛(さいえん)とうたわれて青高へ進んだが、「地元の弘前大に行くくらいなら……」と県外の国立大を受けたが、かなわず、金融機関に就職したという。なぜ弘前大ならだめだったのか。そして大学進学が思うようにならないのならいっそ青森高校卒で就職した方が地元では通りがいいというあたりに屈折した学歴コンプレックスの片鱗を感じてしまうのである。父親は普通の県立高校出身だが、仕事は熱心でそれで出世したという。母親は長男である加藤智大容疑者をちゃんとした大学に入れることが悲願であり、自分が果たせなかった夢を叶えることでもあったのだという。加藤容疑者がそれに応えることができなかったことはいったい誰のせいなのか。オレはそこになんとも言えない重苦しいモノを感じてしまうのだ。高校入学後に加藤智大容疑者は成績不振になったという。そのときに夫婦仲も冷え込んだらしい。これはオレの邪推なんだが「あんたのタネだったら賢い子どもは生まれない」なんて母親が夫を罵倒したのなら最低だ。両親が彼にいったいどんな関わり方をしてきたのかとオレは思うのである。

大学受験というのはそんなに高いハードルなのか。今は地方の国立大は昔に比べてものすごく易しくなった。偏差値50以下、つまり全受験生の平均以下の成績で入れる国立大の学部もかなり存在する。18歳人口が減少したのに大学の定員は逆に増加したせいで、大学生のレベルは昔に比べてかなり下がってるのである。受験のハードルもどんどん低くなった。今の状況というのは端的に言えば「えっ、こんな問題ができないレベルでもこの大学に入れるの!」という感じなのだ。加藤智大容疑者にちゃんと受験勉強させ、希望する進路に進めるように導くために欠けていたことはいったい何なのか。かつて公立高校の進路始動係を務めていたこともあるオレは、もしもオレが直接彼に関わることができていれば、このようなことにはならなかったのではないかと考えてしまうのである。

同じ大学に入学しても「オレはもっといいところに行きたかった」と思ってる学生と「がんばった結果ここに入れたから嬉しい」と思う学生がいる。自分の居場所に満足できている学生の方が少ないという。それはいったいどういうことなのか。なぜ自分の居場所に人は満足できないのか。

大学受験に失敗して浪人することになった場合、たいてい人は昨年の受験校よりももっと偏差値の高いところを受けようとする。せっかく浪人してるのにこんなところじゃカッコがつかないという理由で難関校ばかり受け、その結果2浪するものもいる。2浪した場合、学力はかなり下がることが普通だ。人は2年間もそんな緊張状態を維持できないことが多いからだ。受験勉強なんかできるだけ短期間で終えてしまうべきだ。しかし、2浪した受験生は「2浪もしてるのだからいいところに入らないと」と焦ってしまう。2浪しているという時点ですでに他の受験生よりも自分がかなり学力レベルで劣ってるということに気がつくべきなのだが、そうではない受験生が多いのである。2浪もしたのに、ほとんど競争率もない受験者がほぼフリーパスで入れるような大学にしか合格しない者もいる。そこで学生生活を始めると、回りの学生たちが全く勉強する気がないことに気がつく。しょせんそんなレベルの大学なのだ。しかし、少なくとも自分はこんな連中と同じじゃないという自負心があるから溶け込めない。そのうちに引きこもりになってしまう。

進学校での激しい競争から脱落した加藤智大容疑者の手に入れることのできた人生の幸福とは一体何だったのか。「イケメンではないから彼女ができない」という彼の自己否定は、彼女ができない理由が容姿云々ではなくてもっと性格の奥深いところにあったのに、それに目をそらして「イケメンでないから」という理由に逃げこんでしまっただけではないのか。そんなことをオレは想像するのである。オレなどはまぎれもなくイケメンだったのに20歳になる頃までちっともモテることなどなく、自分には生涯彼女なんかできないのじゃないかと恐れ、それでも必死で片想いしてはふられ、連敗記録を更新していたのである。ネットという広大な世界の中で、これほど多くの出会いが存在しながら、加藤智大容疑者の持っていた心の闇に向き合ってくれるような存在が一人もなかったことをオレは残念に思うのだ。
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▼ユーロサトリ取材日記 技本の品格 (清谷信一)
今回のパリ滞在は世界最大の陸戦兵器見本市、ユーロサトリの取材です。昨年までは四日間の開催だったのですが、今回は五日間の開催の長丁場です。しかも前日にはプレス向けのデモもあったので、実質的には六日間です。

さて、本日取材中に技本から来た陸将と佐官の二人を見かけました。事前に今回は防衛省からは陸が中心に10人ぐらいのデリゲーションが来るという話も聞いておりました。で、挨拶をし、名乗ろうとすると、民間人とは口を利かない、ノーコメントといって、さっさと去っていきました。別に取材させて欲しいとも言わないうちにです。まあこっちも過去例のない程の人数のデリゲーション(というのが本当ならば)何か理由があるのだろう察するわけです。その理由とは何だろうと知りたくなるのが人情でしょう。 特に自衛隊の場合基本的には、相手国からアゴアシ付きで招待されないと視察に行かなというのが基本的なスタンスです。情報収集には金をかけないと。故に商社に過度に情報を頼るわけです。それが情報力の弱さだけではなく、昨年の守屋元次官のスキャンダルなどにもつながっているわけです。身銭を切ってまで視察にいかないという通例が転換したとなればこれは商売柄気にはなります。

まあ、別にノーコメントでもいいのですが、名刺の交換ぐらいするのが社会人としての礼儀ではないでしょうか。その上で取材は受けられない、というのであれば深くはこちらも聞きませんし。ぼくが名乗ったところで「ああ、清谷さんね。あなたとはお話することはありません」でも別にいいんです。ただどこの誰とも知らないウチから逃げるようにして去っていくのは如何なものでしょうか。まさかお母さんから知らない人と口を利いちゃいけませんと、いわれるような年齢じゃないでしょうし。少なくとも他所の先進国のデリゲーションならば自国のメディア関係者にそのような態度はとりません。
 
この手のショーでは自衛隊からのデリゲーションの方とは色々とお話することも多々あります。挨拶すら拒否しようというような自閉的な態度をとった人はいませんでした。ハッキリ言って異常です。将軍ともあろう立場の人間としてはいささかコミュニケーション能力に問題あり、でしょう。とりあえず記録の意味もあって某社のブースで説明を受けていた二人の顔を撮影しておきました。あとで然るべき筋にこのことについて問い合わせをするときに誰か特定できないと困りますから。

ところが佐官の方が写真に撮られた分かったらしく、途端に顔色が変わったのが分かりました。まあどこかの記事やこのブログで彼らの顔を晒しても別にいいのですが、なにせぼくもオトナですからそこまではやりません。現場には日本のTV局も取材に入っていました。ぼくのとったような態度をテレビクルーにもとって、日本で放映されたらそこれそ色々と差し障りがあったでしょう。で、そこで佐官の方とお話をしてみました。「ブンヤ風情と口を利くなと上の方から指示があったのですか?」(実際はもう少し上品なものいいでしたが)と尋ねました。まあ、上からメディアと接触するなという指示があれば彼らに非はないことになります。ところが佐官氏はそんな指示は受けていないといいました。先ほどの振る舞いは彼らの判断ということです。この手の見本市では好む好まざるとメディアから接触はありますから、その対応のためのマニュアルや一応の想定はして備えておくべきでしょう。

全部ノーコメントというと一見楽で一番安全に見えます。ところがここは話していい、これはダメということを自分の頭で考えて判断するという習慣を奪います。そういう人がメーカーに接触すると自分たちが何を知りたいか、何を欲しているかをひたすら隠したりすることが多々あります。そうすると向こうの的確な説明ができないし、また必要以上に隠し事をするとまともに相手をしなくなります。
つまり「ガキの使い」になりやすくなります。
逆にこの手の人達はいったん話しだすと話してはいけないこともまで話したりします。ハニートラップにかかりやすいのもこの手の人達です。かつての帝国陸海軍は「生きて虜囚の辱めを受けず」というタテマエの元、捕虜になった際に何を話していいか、悪いかを教わっていなかったために捕まるとペラペラと軍機に関わることまで喋ってしまって戦局を悪化させる一因となったわけですが、そのような教訓がまったく活かされておりません。

逆にぼくらメディア関係者を上手く利用して情報を取るぐらいのことはやって欲しいものです。ぼくの場合だとこの手のショーはあれこれ行っていますが、何が新しいかとか、見るべきものはどれだとか、色々とお話することはできるのですが。例えば仏陸軍と海兵隊はアフガンでの作戦で●●を大量に導入する予定だとか、○●が××だとか。まあ記事に書けないことでもお話できることは多々あるのですが。自分たちに殻に引き籠もっていては、せっかく多額の税金を使って視察にきても充分な成果がえられないのでないかと老婆心ならがら心配してしまいます。 防衛省、自衛隊は情報収集やメディアのとの対応に関してはもう少し研究したほうがいいでしょう。あたごのときも広報は迷走しましたが、意識の改革が必要です。
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ようちゃんの意見。↓
★防衛省、自衛隊の人々」だけの事では無い様に思います。近頃の若い人とか、若手官僚とか、大手の会社に所属してるとか言う、大学から直ぐ組織の担い手と言うか幹部候補生諸氏は、全て、自分で社会の普通の人と混ざって情報を収集すると言う他人・他業種、他社など異種社会所属の人々とコミニュケーションを採ることが出来ないのです。人見知りする、田舎モノと同じなのですよ。悪く言えば餓鬼根性が抜けないのです。誰か上からの指示、それも手取り足取り懇切丁寧、馬鹿に言い聞かせ、やって見せして、教えても半分出来れば・・・・ってとこがオチ。子供の頃から、そういう大手会社、国家官僚、などになるべく国立大学目指してる同士で無いと、何となく動物的カンで見分けてか 近ずかないし、周囲に溶け込めない体質が染込んでるのでしょう。そういう猪突猛進型の狭い視野での育ち方ですから、直すのは難しいと思います。我が家の艦長など、昔の豪傑型でも秀才型でも無い、得体の知れない放浪癖を今も持つ、正体不明の所がある人間も居るから・・。一概には言えない。本心は何時も深く秘めてる。表面は泥恵比寿で笑顔が絶えないが、心中は怒りで満杯だと思う。指先が小指から順に親指へと逆順で折り曲げ運動してるから、顔とは違う考えだと推察して、誰も寄り付かないようにして、逃げる。時間で慣れて来ると家族の癖は見抜ける。会社の近くに居る人間も大体、話さないでも、様子で分かるモノです。初対面と言うのは意外と判断出来ないものです。