縄文塾通信
炭素でできた地球で低炭素社会だって?
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──二酸化炭素悪玉説の不思議 米島 勉
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地球上の動植物が炭素を骨格とする有機物で構成されていることは中学高校教育で教えるところでしょう。地殻としての地球は各種元素とその化合物を含む無機物から成り立っているかもしれませんが、地表と海、空気中に充ち満ちている生物と、地表を覆う植物、さらには海中の藻類など何らかの生命を維持しているものはすべて有機物から構成されています。2500メートルの深海の熱水チムニー周辺に住む生物も、メタンや硫化水素を利用して炭素の有機骨格を形成しています。云ってみれば地球を生命あふれる惑星としているのは有機物、すなわち炭素化合物なのです。SFの世界では、ケイ素を骨格とした生物を登場させていますが、現実には無理でしょう。
結局、地球は炭素を主体として生きている、といえます。空気中の二酸化炭素は植物の同化作用によって有機化し、その植物を取り入れて多様な動物が地上に、海中に、そして空気中に生存することになったのです。動植物が死ねばバクテリアがそれを処理して最後には二酸化炭素まで分解、二酸化炭素の循環が成立しているわけです。動物自体も、それぞれ一種の内燃機関を内蔵しているわけで、何らかの形の炭素化合物を食糧として取り入れて、それを緩やかな条件で酸化燃焼させてエネルギーに変えているのです。爆発的燃焼でないところが自動車エンジンと異なるところですが、呼吸の排気は二酸化炭素に違いありません。
そんな地球で産業革命以後の化石燃料の燃焼によって生じた二酸化炭素を,地球温暖化の主原因だから減らそうと、「低炭素社会」なる奇妙な言葉が流行り始めました。二酸化炭素悪玉説の大合唱です。しかし、炭素で成り立っている地球でそんなことが可能なのでしょうか。すべての炭素化合物が酸化すれば究極的に二酸化炭素になるのです。洞爺湖温暖化サミットで「低炭素社会」、二酸化炭素60%削減を訴える福田首相も、亡くなれば荼毘に付され「千の風になって」二酸化炭素に還るのです。究極のリサイクルです。
産業革命以前の地球では、排出される二酸化炭素の量と、植物や水に吸収される二酸化炭素の量が微妙にバランスしていました。動的平衡状態を保っていたのです。それが産業革命以降の石炭、さらには石油の利用とともに排出する量が吸収する量を上回るようになったのは事実でしょう。しかし、それは人類の発展には不可避でした。今後も人類の総人口が増え、より文明化すれば二酸化炭素の排出量が増えるのは確かです。それを無理して低炭素社会などというものを現実化しようとすれば必ずひずみが出ます。
化石燃料に代わるものとして内燃機関用バイオアルコールなるものが生産開始され、そのためもあって食糧としてのトウモロコシ、小麦、サトウキビなどが高騰して貧困国では飢餓が現出しつつある、などがひずみの表れです。アメリカの穀倉地帯は、バイオアルコールブームに沸いて空前の好景気を謳歌しているそうではありませんか。彼らは地球のためにバイオアルコールを作っているのではありません。単に食糧用よりも儲かるから作っているのです。
こんな低炭素社会なるものは、人類に本当に資するのでしょうか。たとえ100年後に3℃程度の気温上昇があったとしても、そのときの文明が必ず克服できるでしょう。「低炭素社会」とやらを実現しようと、いたずらに原発を増設し、風力発電を増やせば、かならずそのひずみが現れます。テロリストが核爆弾を手に入れ、風力発電の鉄塔が腐食して次々と倒壊する危機がやってくるでしょう。あと60年程度しか保たないと云われている石油埋蔵量を考えれば、打算で動く政治家の云うなりになって無理をすることはないのではないでしょうか。温暖化のマイナス面ばかりを強調する報道には眉に唾を付けましょう。
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■□■ 需給逼迫で募るコメ高騰
━━━━━━━━━━━━━━━
小尾 拓也
「コメが足りない」とあるコメの卸売業者は困惑しき
りだ。コメの在庫量は、例年の初夏と比べて1~2割も少
ない状態が続く。農協や同業他社に何度問い合わせても、
「そんなに融通するコメがない」と断られて終わりだ。
そんな状況にも拘わらず、スーパーの仕入れ担当者か
らは「早く届けてくれ」と矢の催促が来る。まさに八方
塞がりなのである。
現在、全国でコメの品薄感が強まっている。コメの消
費量は減少の一途を辿っているが、その一方で供給量は
変わらずに増え続けており、2007年度の収穫量は約870
万トンと、前年度と比べて約16万トンも増加した。まさ
に「コメがダブついている」のだ。
それにも拘わらず、ここに来て何故「コメ不足」なの
か。
その要因の1つは、小麦価格の高騰により、供給過剰
で価格が割安となっているコメの人気が再燃しているた
めだ。
「店頭でのブランド米の売れ行きは年初比1~2割増え
ている。冷凍食品の値上げが続くなか、コメ需要アップ
は大きな追い風」とホクホク顔で語るのは、都内杉並区
のスーパー関係者。
直近では、麦の替わりに「米粉」を使ったパンやうど
んなども市場に出回り始めた。
とはいえ、コメの1人当たり消費量は今年3月に前年同
月比+0・6%とマイナスからプラスに転じたばかり。冒
頭の卸売業者が感じる品薄感は「いささか大げさ過ぎる
」と言える。
しかし、実のところそれは大げさな話ではない。コメ
が不足している最大の要因は、政府が大量の「備蓄米」
を積み増していることにある。
06年度と比べて10%を超える価格下落に歯止めをかけ
るため、政府は昨秋、「米緊急対策」を発動。国内の余
剰米34万トン(07年度の収穫量の1割以上)を市場から
買い取った。
そのため、主食用の備蓄米は今や100万トンにまで積
み上がり、コメの流通量が一気に減った。そこへ小麦価
格の高騰によるコメ需要の底上げが重なり、需給がタイ
ト化しているのだ。
この備蓄米、実は「政局」に大きく左右される傾向が
ある。長らく続いた供給過剰で疲弊し切った全国の農家
の懐事情は、まさに「火の車」。昨年はそんな農家から
の「怒涛の突き上げ」が農水省を悩ませた。
言うまでもなく、農家は自民党の「大票田」だ。そこ
で、「昨年の参議院選挙で大敗した後、農家との選挙協
力体制を磐石にするため、コメ価格を安定させようと買
い上げが行なわれた」(コメ市場に詳しいアナリスト)
と見られている。
問題は、需給逼迫に対していまだ抜本的な対策が行な
われていないことだ。これまで毎月行なわれていた備蓄
米の売り出しはストップしたまま。政府はここに来て6
月から緊急放出を行なうことを発表したものの、「それ
だけで需給が改善するのか」という不安は根強い。
長期的に見ればダブついているとはいえ、しばらくこ
のような品薄状態が続けば、今後コメの需給が一時的に
大きく悪化する可能性もある。
すでにその兆候は出始めており、コシヒカリが年初と
比べて一時3~4割も上昇した地域さえあるほどだ。卸売
業者がコストアップに耐えられず、小売店に価格転嫁を
始めれば、消費者の懐が直撃されるのは明らかだ。
それどころか、関係者の間では「最悪のシナリオ」さ
え囁かれている。「政局に左右され易いコメの価格が本
格的に高騰するのは、福田内閣が解散総選挙に追い込ま
れるとき。
それまでにある程度備蓄米が放出されても、いざ選挙
となれば再び買い上げが始まるのではないか」(卸売業
者)。
むろん「他愛もない憶測」と言ってしまえばそれまで
だが、裏を返せばこんな話がまことしやかに囁かれるほ
ど、市場の危機感は強まっている。
食糧不足に喘ぐ海外に目を転じれば、すでに「米騒動」
は日常茶飯事である。長らく国家に守られてきた日本の
コメも、もはや例外ではない。
備蓄米のコントロールといった一過性の対応だけでな
く、食糧供給システムの抜本的な改革が求められている。
(5月29日11時23分配信 ダイヤモンド・オンライン)
************************************************
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
http://www.chosunonline.com/editorial/
社説・コラム欄より
<中村のコメント>
「日本憎し」で凝り固まったコリアン・マスコミとい
う印象が強かったが、「朝鮮日報(日本語版)」は、公
平且つ冷静な視点で日本のことを取り上げている。それ
もローカル新聞ではなく、コリアで350万部という大
新聞なのである。もっとも本国でも同じような比重で日
本を取り上げているかどうかは不明である。この新聞の
記事から教わるものは大きい。
メディアは違え、薄っぺらな「韓流ドラマ」にうつつ
を抜かすNHKとは大違いである。考えてみれば日本の
新聞に同様なスタンスでコリアを取り上げたものがあれ
ば教えて欲しい。
■□■世界から見た韓国の位置
━━━━━━━━━━━━━東京=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)
韓国企業が世界の薄型テレビ市場で旋風を巻き起こしているというニュースに触れ、今更ながらに驚いた。わずか数年前までは「テレビ」といえば「ソニー」という答えが返ってくるのが常識だった。ところが最近、世界の勢力地図は「サムスン→ソニー→LG→シャープ」の順になっているという。
時代の流れを読み違え、液晶技術をないがしろにしたソニーがトップの座を追われるようになったのは、分からないでもない。しかし、シャープの低迷はやや意外だった。シャープは40年前から世界最高の液晶技術を保有してきた日本企業だ。世界で初めて液晶技術と液晶テレビを商用化させたのも、何を隠そうシャープだった。それに引き換え韓国の液晶技術の歴史は、長くて20年にすぎない。これが逆転してしまった理由は一体何なのか。
液晶テレビの部品の中で品質を左右する最も大切な部分は、映像を表示する「液晶パネル」だ。バックライトの光を通過させることで、映像を作り出している。この液晶パネル部門に韓国企業がいち早く着目したことが、市場を大きくリードするきっかけになったという。少しでも大きいテレビをできるだけ安く供給することで、大型化していくテレビ市場を手中に収めていったのだ。それでは一体、液晶パネルはどうやって作られているのだろうか。
まずバックライトから放たれた光は、液晶パネルの内部で「偏光板→ガラス板→液晶→カラーフィルター→ガラス板→偏光板」の順に通過する。ちょうど浄水器のフィルターが水道水をろ過するように、これらの部品が光をろ過して映像を作り出しているのだ。今年1月1日付の日本経済新聞の記事を引用すると、次のようになる。
まず偏光板は、日本の日東電工と住友化学が世界市場の75%を占めている。次にガラス板は、米国のコーニングが50%、日本の旭硝子と日本電気硝子が45%を占めている。液晶は、日本の植民地時代に韓国に水豊水力発電所を作った日本窒素とドイツのメルクがそれぞれ40%を占めている。このほかカラーフィルターも、日本の凹版印刷と大日本印刷が70%を占めている。何も韓国電子産業の技術力を低評価しようというのではない。同じ部品と同じ装備を使いながらも、より安く、より質のいい製品を作り上げる技術に関しては、韓国が日本を上回るケースもある。しかし、部品や素材面で相変わらず日本を頼りとしなければならない構造は、今も昔も変わらない。
このように日本の技術力がなければいつでも崩壊してしまうという貧弱な基盤は、何も薄型テレビ分野に限ったことではない。数年前から「韓国が世界最高」と誇っている半導体分野でも、実は同じことが言えるのだ。「韓国電子産業がいよいよ日本を追い越した」と浮き足立っていた間に、対日貿易赤字は1990年の59億ドル(約616億円)から2007年には298億ドル(約3兆992億円)へと5倍にまで膨らんだが、この数字がすべてを物語っている。シャープがリードしてきた40年間にわたる液晶技術は、裾野が広い日本の部品、素材メーカーを土台としている。つまり、ここ数年で韓国が作り上げてきた金字塔は、日本の技術的土台の上で築き上げられたものなのだ。
考えてみれば「20年の技術力が40年の技術力をしのぐ」などという虫のいい話は、そもそも存在しないのかもしれない。サムスンが日本で「SAMSUNG」ブランドをひた隠しにしてまでも自らを低めなければならない姿勢から、われわれは多くのことを悟らなければならない。こうした日本の深さに追い付いていくためには、日本が傾けてきた数十年、数百年にわたる努力は欠かせない。しかしこれまで韓国は、こうした過程をすべて省略し、自らを誇示することだけに夢中になってきたのではなかったか。
海外から見れば、韓国は依然として弱小国にすぎない。強い国の技術力、強い国の外交力、強い国の資本力、強い国の消費力を頼りとしていく以外には、生存していくことができない小さな国でもある。だからこそ外に向かっていく場合には限りなく謙虚でなければならないし、限りなく忍耐しなければならないのだ。これが韓国の宿命であるとともに、繁栄に向かう道なのではないかと感じる。少なくとも外から見れば、そうなのだ。
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──二酸化炭素悪玉説の不思議 米島 勉
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地球上の動植物が炭素を骨格とする有機物で構成されていることは中学高校教育で教えるところでしょう。地殻としての地球は各種元素とその化合物を含む無機物から成り立っているかもしれませんが、地表と海、空気中に充ち満ちている生物と、地表を覆う植物、さらには海中の藻類など何らかの生命を維持しているものはすべて有機物から構成されています。2500メートルの深海の熱水チムニー周辺に住む生物も、メタンや硫化水素を利用して炭素の有機骨格を形成しています。云ってみれば地球を生命あふれる惑星としているのは有機物、すなわち炭素化合物なのです。SFの世界では、ケイ素を骨格とした生物を登場させていますが、現実には無理でしょう。
結局、地球は炭素を主体として生きている、といえます。空気中の二酸化炭素は植物の同化作用によって有機化し、その植物を取り入れて多様な動物が地上に、海中に、そして空気中に生存することになったのです。動植物が死ねばバクテリアがそれを処理して最後には二酸化炭素まで分解、二酸化炭素の循環が成立しているわけです。動物自体も、それぞれ一種の内燃機関を内蔵しているわけで、何らかの形の炭素化合物を食糧として取り入れて、それを緩やかな条件で酸化燃焼させてエネルギーに変えているのです。爆発的燃焼でないところが自動車エンジンと異なるところですが、呼吸の排気は二酸化炭素に違いありません。
そんな地球で産業革命以後の化石燃料の燃焼によって生じた二酸化炭素を,地球温暖化の主原因だから減らそうと、「低炭素社会」なる奇妙な言葉が流行り始めました。二酸化炭素悪玉説の大合唱です。しかし、炭素で成り立っている地球でそんなことが可能なのでしょうか。すべての炭素化合物が酸化すれば究極的に二酸化炭素になるのです。洞爺湖温暖化サミットで「低炭素社会」、二酸化炭素60%削減を訴える福田首相も、亡くなれば荼毘に付され「千の風になって」二酸化炭素に還るのです。究極のリサイクルです。
産業革命以前の地球では、排出される二酸化炭素の量と、植物や水に吸収される二酸化炭素の量が微妙にバランスしていました。動的平衡状態を保っていたのです。それが産業革命以降の石炭、さらには石油の利用とともに排出する量が吸収する量を上回るようになったのは事実でしょう。しかし、それは人類の発展には不可避でした。今後も人類の総人口が増え、より文明化すれば二酸化炭素の排出量が増えるのは確かです。それを無理して低炭素社会などというものを現実化しようとすれば必ずひずみが出ます。
化石燃料に代わるものとして内燃機関用バイオアルコールなるものが生産開始され、そのためもあって食糧としてのトウモロコシ、小麦、サトウキビなどが高騰して貧困国では飢餓が現出しつつある、などがひずみの表れです。アメリカの穀倉地帯は、バイオアルコールブームに沸いて空前の好景気を謳歌しているそうではありませんか。彼らは地球のためにバイオアルコールを作っているのではありません。単に食糧用よりも儲かるから作っているのです。
こんな低炭素社会なるものは、人類に本当に資するのでしょうか。たとえ100年後に3℃程度の気温上昇があったとしても、そのときの文明が必ず克服できるでしょう。「低炭素社会」とやらを実現しようと、いたずらに原発を増設し、風力発電を増やせば、かならずそのひずみが現れます。テロリストが核爆弾を手に入れ、風力発電の鉄塔が腐食して次々と倒壊する危機がやってくるでしょう。あと60年程度しか保たないと云われている石油埋蔵量を考えれば、打算で動く政治家の云うなりになって無理をすることはないのではないでしょうか。温暖化のマイナス面ばかりを強調する報道には眉に唾を付けましょう。
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■□■ 需給逼迫で募るコメ高騰
━━━━━━━━━━━━━━━
小尾 拓也
「コメが足りない」とあるコメの卸売業者は困惑しき
りだ。コメの在庫量は、例年の初夏と比べて1~2割も少
ない状態が続く。農協や同業他社に何度問い合わせても、
「そんなに融通するコメがない」と断られて終わりだ。
そんな状況にも拘わらず、スーパーの仕入れ担当者か
らは「早く届けてくれ」と矢の催促が来る。まさに八方
塞がりなのである。
現在、全国でコメの品薄感が強まっている。コメの消
費量は減少の一途を辿っているが、その一方で供給量は
変わらずに増え続けており、2007年度の収穫量は約870
万トンと、前年度と比べて約16万トンも増加した。まさ
に「コメがダブついている」のだ。
それにも拘わらず、ここに来て何故「コメ不足」なの
か。
その要因の1つは、小麦価格の高騰により、供給過剰
で価格が割安となっているコメの人気が再燃しているた
めだ。
「店頭でのブランド米の売れ行きは年初比1~2割増え
ている。冷凍食品の値上げが続くなか、コメ需要アップ
は大きな追い風」とホクホク顔で語るのは、都内杉並区
のスーパー関係者。
直近では、麦の替わりに「米粉」を使ったパンやうど
んなども市場に出回り始めた。
とはいえ、コメの1人当たり消費量は今年3月に前年同
月比+0・6%とマイナスからプラスに転じたばかり。冒
頭の卸売業者が感じる品薄感は「いささか大げさ過ぎる
」と言える。
しかし、実のところそれは大げさな話ではない。コメ
が不足している最大の要因は、政府が大量の「備蓄米」
を積み増していることにある。
06年度と比べて10%を超える価格下落に歯止めをかけ
るため、政府は昨秋、「米緊急対策」を発動。国内の余
剰米34万トン(07年度の収穫量の1割以上)を市場から
買い取った。
そのため、主食用の備蓄米は今や100万トンにまで積
み上がり、コメの流通量が一気に減った。そこへ小麦価
格の高騰によるコメ需要の底上げが重なり、需給がタイ
ト化しているのだ。
この備蓄米、実は「政局」に大きく左右される傾向が
ある。長らく続いた供給過剰で疲弊し切った全国の農家
の懐事情は、まさに「火の車」。昨年はそんな農家から
の「怒涛の突き上げ」が農水省を悩ませた。
言うまでもなく、農家は自民党の「大票田」だ。そこ
で、「昨年の参議院選挙で大敗した後、農家との選挙協
力体制を磐石にするため、コメ価格を安定させようと買
い上げが行なわれた」(コメ市場に詳しいアナリスト)
と見られている。
問題は、需給逼迫に対していまだ抜本的な対策が行な
われていないことだ。これまで毎月行なわれていた備蓄
米の売り出しはストップしたまま。政府はここに来て6
月から緊急放出を行なうことを発表したものの、「それ
だけで需給が改善するのか」という不安は根強い。
長期的に見ればダブついているとはいえ、しばらくこ
のような品薄状態が続けば、今後コメの需給が一時的に
大きく悪化する可能性もある。
すでにその兆候は出始めており、コシヒカリが年初と
比べて一時3~4割も上昇した地域さえあるほどだ。卸売
業者がコストアップに耐えられず、小売店に価格転嫁を
始めれば、消費者の懐が直撃されるのは明らかだ。
それどころか、関係者の間では「最悪のシナリオ」さ
え囁かれている。「政局に左右され易いコメの価格が本
格的に高騰するのは、福田内閣が解散総選挙に追い込ま
れるとき。
それまでにある程度備蓄米が放出されても、いざ選挙
となれば再び買い上げが始まるのではないか」(卸売業
者)。
むろん「他愛もない憶測」と言ってしまえばそれまで
だが、裏を返せばこんな話がまことしやかに囁かれるほ
ど、市場の危機感は強まっている。
食糧不足に喘ぐ海外に目を転じれば、すでに「米騒動」
は日常茶飯事である。長らく国家に守られてきた日本の
コメも、もはや例外ではない。
備蓄米のコントロールといった一過性の対応だけでな
く、食糧供給システムの抜本的な改革が求められている。
(5月29日11時23分配信 ダイヤモンド・オンライン)
************************************************
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
http://
社説・コラム欄より
<中村のコメント>
「日本憎し」で凝り固まったコリアン・マスコミとい
う印象が強かったが、「朝鮮日報(日本語版)」は、公
平且つ冷静な視点で日本のことを取り上げている。それ
もローカル新聞ではなく、コリアで350万部という大
新聞なのである。もっとも本国でも同じような比重で日
本を取り上げているかどうかは不明である。この新聞の
記事から教わるものは大きい。
メディアは違え、薄っぺらな「韓流ドラマ」にうつつ
を抜かすNHKとは大違いである。考えてみれば日本の
新聞に同様なスタンスでコリアを取り上げたものがあれ
ば教えて欲しい。
■□■世界から見た韓国の位置
━━━━━━━━━━━━━東京=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)
韓国企業が世界の薄型テレビ市場で旋風を巻き起こしているというニュースに触れ、今更ながらに驚いた。わずか数年前までは「テレビ」といえば「ソニー」という答えが返ってくるのが常識だった。ところが最近、世界の勢力地図は「サムスン→ソニー→LG→シャープ」の順になっているという。
時代の流れを読み違え、液晶技術をないがしろにしたソニーがトップの座を追われるようになったのは、分からないでもない。しかし、シャープの低迷はやや意外だった。シャープは40年前から世界最高の液晶技術を保有してきた日本企業だ。世界で初めて液晶技術と液晶テレビを商用化させたのも、何を隠そうシャープだった。それに引き換え韓国の液晶技術の歴史は、長くて20年にすぎない。これが逆転してしまった理由は一体何なのか。
液晶テレビの部品の中で品質を左右する最も大切な部分は、映像を表示する「液晶パネル」だ。バックライトの光を通過させることで、映像を作り出している。この液晶パネル部門に韓国企業がいち早く着目したことが、市場を大きくリードするきっかけになったという。少しでも大きいテレビをできるだけ安く供給することで、大型化していくテレビ市場を手中に収めていったのだ。それでは一体、液晶パネルはどうやって作られているのだろうか。
まずバックライトから放たれた光は、液晶パネルの内部で「偏光板→ガラス板→液晶→カラーフィルター→ガラス板→偏光板」の順に通過する。ちょうど浄水器のフィルターが水道水をろ過するように、これらの部品が光をろ過して映像を作り出しているのだ。今年1月1日付の日本経済新聞の記事を引用すると、次のようになる。
まず偏光板は、日本の日東電工と住友化学が世界市場の75%を占めている。次にガラス板は、米国のコーニングが50%、日本の旭硝子と日本電気硝子が45%を占めている。液晶は、日本の植民地時代に韓国に水豊水力発電所を作った日本窒素とドイツのメルクがそれぞれ40%を占めている。このほかカラーフィルターも、日本の凹版印刷と大日本印刷が70%を占めている。何も韓国電子産業の技術力を低評価しようというのではない。同じ部品と同じ装備を使いながらも、より安く、より質のいい製品を作り上げる技術に関しては、韓国が日本を上回るケースもある。しかし、部品や素材面で相変わらず日本を頼りとしなければならない構造は、今も昔も変わらない。
このように日本の技術力がなければいつでも崩壊してしまうという貧弱な基盤は、何も薄型テレビ分野に限ったことではない。数年前から「韓国が世界最高」と誇っている半導体分野でも、実は同じことが言えるのだ。「韓国電子産業がいよいよ日本を追い越した」と浮き足立っていた間に、対日貿易赤字は1990年の59億ドル(約616億円)から2007年には298億ドル(約3兆992億円)へと5倍にまで膨らんだが、この数字がすべてを物語っている。シャープがリードしてきた40年間にわたる液晶技術は、裾野が広い日本の部品、素材メーカーを土台としている。つまり、ここ数年で韓国が作り上げてきた金字塔は、日本の技術的土台の上で築き上げられたものなのだ。
考えてみれば「20年の技術力が40年の技術力をしのぐ」などという虫のいい話は、そもそも存在しないのかもしれない。サムスンが日本で「SAMSUNG」ブランドをひた隠しにしてまでも自らを低めなければならない姿勢から、われわれは多くのことを悟らなければならない。こうした日本の深さに追い付いていくためには、日本が傾けてきた数十年、数百年にわたる努力は欠かせない。しかしこれまで韓国は、こうした過程をすべて省略し、自らを誇示することだけに夢中になってきたのではなかったか。
海外から見れば、韓国は依然として弱小国にすぎない。強い国の技術力、強い国の外交力、強い国の資本力、強い国の消費力を頼りとしていく以外には、生存していくことができない小さな国でもある。だからこそ外に向かっていく場合には限りなく謙虚でなければならないし、限りなく忍耐しなければならないのだ。これが韓国の宿命であるとともに、繁栄に向かう道なのではないかと感じる。少なくとも外から見れば、そうなのだ。