☆甦れ美しい日本☆ | 日本のお姉さん

☆甦れ美しい日本☆

◎塚本三郎の「今を斬る」独裁の独善と民主の偽善 
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人間は生きている限り、欲望も、感情も、理性も、持っている。ゆえに善と悪、正と邪の、双方を備えているとも考えられる。その持っている能力を、どう活用するかが、その人の幸、不幸を決定づける。人間は個人として生活するよりも、集団で共同生活を行なう生きものであるから、国家は、政治が不可欠である。その政治の指導体制が、独裁か民主かを論じられて来た。しかし未だに結論を得ていない。日本は民主主義を指向している。

独裁政治と共産主義
ソ連のスターリンは、レーニンの共産革命をうけ、自らの権力を確立する為に、旧支配階級に連なる権力者を、革命の名で皆殺しにした。そして、自らの権力を確立したあと、さらに敵視しそうな同僚をも倒した。彼は猜疑心の塊であったようだ。ロシアの共産革命は、レーニンによるものであったが、その成果はすべてスターリンが手中に収めた。やがて身内とも呼ぶべき、革命の同志の大部分をも亡ぼして、飽くなき権力の追求に狂奔した。その姿を見届けた彼の娘は、やがて父の死後、その弟子達が!牙をむいて、自分に向かって来ることを承知してか、スターリンがもっとも警戒していたアメリカに亡命した。革命後、スターリンの指示と支援によって、中国の毛沢東は、日支事変を手がけた。その着手はまず「西安事件」からと伝えられる。即ち張学良を使って蒋介石をとりこにして、国民党と共産党が合作して、対日戦争を仕掛け、日本軍との敵対を誓わせた。 

張学良は、父張作霖を爆殺したのは日本軍と誤信していた。仕掛け人が、毛沢東派と判明したのは戦後のことである。日本人の殆どは当時、日本人の仕業と信じていた。また、米国のフランクリン・ルーズベルトは、第一次大戦後、日本が統治した南洋群島支配によって、太平洋に於ける日本の勢力拡大を恐れた。更に同大統領側近の、ハリー・ホワイトの策に乗せられて、日本が大東亜戦争に踏み切らざるを得なくせしめた。 あの元凶、「ハル・ノート」は、ホワイトの独断であった。

ホワイトは、後日、秘密共産党員であることが判明し、昭和十九年米国で死刑となった。ソ連と、支那と、アメリカの三国の策略に乗せられた日本は、幾度か、支那大陸紛争の泥沼解決の機会を逃した。それはソ連共産勢力の、飽くなき謀略の結果であった。第二次大戦直後日本の敗戦について、ソ連のスターリンは、「日露戦争の仇討ちが出来た」と宣言した。火事場泥棒として、日本の敗戦直後、日ソ中立条約を侵して満州に侵略した。その時叫んださきの豪語は、国際政治の冷厳なる事実である。

独裁政治を非難するとしても、それが起こり得る、時代的背景を抜きにしては真実を語ることが出来ない。レーニンがロシア革命を行ない得たのは、ロマノフ王朝の、飽くなき貪欲と腐敗が、人民を苦しめ、更に日露戦争での、ロシアの敗戦が原因にあった。中国の毛沢東が、共産革命を達成しえた背景には、欧州各国及び日本が、支那大陸に対して、分割し、植民地の如く支配しており、独立国家としての統一を欠き、無政府状態で、人民の不満が拡大していた日本は条約による合法的であったが)。

第二次大戦で、日本軍の敗戦の結果、所持していた大陸の武器、弾薬を、ソ連軍が強奪し、毛沢東軍に渡し、国民党との内戦に勝利した。それが共産主義中国の今日である。毛沢東が政権奪取後行なった、悪名高き、「文化大革命」と呼ぶ人民大虐殺の犠牲者は、数千万人とも云われ、その対象は自国内の知識人が中心であった。

第一次大戦の敗北によって、ドイツは、国家の一部を、勝者によってムシリ取られただけではなく、莫大な賠償金を要求され、ドイツ国民は、貧窮の極に達しており、生存の危機に追い詰められていた。ワイマール憲法の下で、ドイツ国民の救世主として、政権を握ったヒトラー総統は、ドイツ国民の期待の星として出現した。

ドイツのヒトラー総統の権力確保は、暴力革命による政権の確立ではなかった。二十世紀で最高の民主憲法と呼ぶワイマール憲法下で、合法的手段で政権を手中に収めた。彼は、民主政治を逆手にとって、独善態勢を敷き、全欧州を席捲した。結果は、アメリカの参戦によって、日本より先に敗戦を迎えた。金正日の北朝鮮は、拉致と核を巡って全世界を振り回し、全アジアを混乱させている。独裁者の出現は、常にそれなりの時代的背景を無視することが出来ない。国民が苦衷を脱した時には、国民の動向と、周辺国の事情を見定める冷静さが必要である。しかし、独裁者にそれを求めることは無理である。頤いのおもむくところ、自らの独断と、周囲の声に耳を塞ぐことが、独裁者にとっては宿命だから。

民主主義の宿命
第二次世界大戦でフランスはドイツに簡単に負けた。これについて、仏の詩人アンドレ・モロアは次の様に述べている。当時のフランスは、いわゆる人民戦線の勝利で「自由をわれらに」のスローガンがものをいう時代であったから、政府の統制力は非常に弱かった。ところが、隣国のドイツはヒトラーの強い政府が、絶対の権威をもって国民を指導しており、戦争準備も完成し、いわゆる電撃作戦で、フランス自慢の要塞マジノ線を突破し、フランス国内に侵入してきた。これに対するためフランス側も、急ごしらえの強い政府では、うまく事が運ばず、報道管制も、報道の自由になれた新聞は、政府の言うことを聞かず、秘密がドイツ側にもれたり、間違った報道が、人心を惑わすだけであった。パリが危なくなると、市民たちは家財をつんだ車で、われ先に避難を始め、公道の交通は全く途絶え、軍隊や物資の輸送も、移動も不可能だった。個人の自由と権利が認められていることは、自由社会と民主制国家の長所であるが、その長所がまた弱点ともなった。アメリカ民主主義の一端を、週刊『世界と日本—』で次の如く論じている。

米兵が、日本の横須賀でタクシー運転手を殺した。グリーンカード(米国永住権)を保有しているに過ぎないナイジェリア人と分かって、驚いた日本人は多かった。米国籍を持たない兵士が、なぜ米軍に加わっているのか。合法移民の証拠であるグリーンカード保有者の場合、通常五年で米国の国籍取得申請が可能になるが、平時の兵役従事者は、これが三年に短縮される。

このため、毎年約八千人のグリーンカード保持者が、市民権と引き換えに入隊する。自由の女神像は、「恵まれないものでも、米国の理念に賛同するものは誰でも歓迎だ」というメッセージを世界に向けて発信してきた。その呼びかけに応え、米国移民になろうとするものは後を絶たない。ケネディ元大統領は、有名な就任演説で「国家が何をしてくれるか聞くな。国家に対し、自分に何ができるかを問え」と喝破した。グリーンカード兵士はこの精神の延長線上にあるといえよう。        宮本倫好 六月二日 参照

広い領土と無限の資源を保有する北米大陸は、恵まれない人種にとっては、あこがれの大地である。それは即ち民主主義アメリカ合衆国の歴史そのものである。その力は、全世界の覇者を自負し、民主主義の伝統を誇示し、必然的に民主主義の擁護者であることが、米国にとって無限の力と共に重荷となっている。

歴史に学ぶ 
一体日本はどうなってしまったのか。毎日毎日、眼にしたくない、殺人事件が頻発する。世界一治安の良い日本が、どうして、こんな堕落した国家になり下がってしまったのか。凶悪犯罪だけではない。肉屋、餅屋、菓子屋、料理屋、食品関係の堕落したインチキ表示の食品。それでも中国の毒餃子よりはまだ良い、とでも言訳するのか。また、お年寄りの好意を逆手にとり、息子や孫の可愛さを悪用しての「振り込め」サギ。独裁政治を否定し、徹底した民主政治を行ない、穏健な国家と認められる日本の社会となった。しかし、その代償が、この民主政治と云う、堕落国家の仲間入りをしてしまったのかと愚痴を言いたい。今更、民主政治を非難して、全体主義にするつもりはないが。

民主政治がすべて善ではない。愚民が多すぎるし、堕落した生活の甘味も、堪え難い魅力を持っている。その人間の弱さに迎合する、悪徳商人も決して少なくない。政治を志す為政者の中にさえ、偽善者が少なくない。人道の美名の下に、死刑の廃止を叫び、福祉の美名の下、減税、介護、老人擁護等々、快い平和と、温かい思いやりを重ねてきた政治家が、支持を失うことなく、善政を重ねた結果が、日本の国家財政の破綻と、犯罪多発の社会を造ってしまった、とは言い過ぎか。それでも、民主政治をあきらめないとすれば、それには、どうすれば良いのか。

日本人には、日本人としての生き方が在った。日本が戦争の連続であったことは否定しない。まして軍事力が幅を利かして、敗戦になったことも否定し難い。それでも、そうせざるを得なかった、時代的背景が在ってのことだ、と先に理由を述べた。日本のすべてが悪だ、と「東京裁判」は過去の日本の歴史の、殆どを否定した。その結果、魂を失った民主主義が、こんな堕落した日本を育ててしまったのではないか。中国四川省の大災害で、テントが欲しいと云うから、早速、大量に大形輸送機で空輸の準備をはじめたら、自衛隊機では困ると云う。ならば無料であげるから取りに来なさい、となぜ云わないのか。わざわざ日航機をチャーターして送る日本は、中国の属国か。

日本は独立国としての自負心と、国際常識を確立しなければならない。最近テレビで、マンネリ化した漫才のドタバタ劇に対して、チョンマゲものが、依然として根強い人気を博している。水戸黄門、遠山の金さん、暴れん坊将軍など、「大人の子守唄」と評されているが、何れも「勧善懲悪」のシナリオである。江戸時代の、封建的気風を批判出来ても、庶民の心の中に根付いた、勧善懲悪の気風が、農耕民族日本人の生き甲斐であった。そして、邪な悪代官を懲らしめる勇者の出現を信じ、安心してその番組を視ることが出来る。それが本来の日本人である。かつて、連続テレビ放映で、日本人の眼を引き付けた「おしん」が、全アジア人に親しまれたのは、やさしく、忍耐強く、磨き上げた魂が、ほんものの日本人である。我々は今から明治維新を拓き築いた、志士の面々の伝記を読み直そう。あまり知られていないが。戦国時代に一時代を築いた北条早雲は「神仏を信じなさい」。大きな仕事をする人は、神仏に助けられる、人間の力を過信してはいけないと人生訓で説いた。
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2.奥山篤信 
 北方領土を本土から見て
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北方領土を眺めるために北海道に来た。
まず僕は網走刑務所で処刑されたと理解していたあの戦争犯罪人尾崎秀実やゾルゲへの「逆レクイエム」で見学に行った。囚人虐待で有名な刑務所であり、政治犯や極悪犯罪人が繋がれていた場所である。

ちなみに山縣有朋の「懲戒主義」すなわち囚人を懲らしめて二度と刑務所に来たくないとの抑止力が大切だ。刑務所の方が待遇が良いので自ら入りたくて犯罪を犯すなどケシカラン。(現在シナ人が日本の刑務所をエンジョイしていることと重ね合わせると面白い。)との発想が基本にあった。ところがあの篠田正浩監督の「スパイ・ゾルゲ」のラスト・シーンで僕はそう思ったのだが、処刑されたのはどうも巣鴨拘置所であり、あの映画は敢えて網走にしたようである。

それはともかくこの尾崎が日本にばら撒いたコミンテルンの指令の毒こそが、その尾崎の偽善面の「反戦平和」と裏腹に日本を無駄な戦争に導き、戦後は尾崎が浸透したいわゆる左翼知識人の跋扈を許した。まさに近衛を始め松本重治などの偽善者の群れである。その流れがいまだに日本のサヨク(自民党も含めての)に引き継がれている。こんな尾崎を反戦平和の英雄として取り上げる篠田正浩の映画があること自体が、尾崎の系譜がいまだに日本に奥深く浸透しているということである、

北方領土は解決の目途もないまますでに戦後60年以上ロシアの不法占拠を許している。まさにコミンテルン指令の尾崎の亡霊が日本の政治をこの問題でもロシアに対して無力化してきたのである。

僕は直に体感として北方領土を見たいと思い、網走より知床半島を横切り羅臼を通過して、国後島の最も近い標津(しべつ)町と通り海岸線を厚床(あっとこ)町まで来て根室市を通って納沙布(ノサップ)岬まで行った。ここが歯舞諸島に最も近いスポットであり、その貝殻島までわずか3.7キロの距離である。

北海道民にとって、ロシア(ソ連)がまさに目の前に不法占拠しているという重圧を感じて来られたことに深く同情する次第である。晴れた日ならともかくあの巨大な国後島が悪天候の中、どす黒く漁船や海岸線に迫っていることを想像するがよい。さらにこれらの島のあわせた面積は千葉県や愛知県と同等であること、そして択捉島や国後島はそれぞれ沖縄本島より大きな面積であることを今一度噛みしめるべきである。

こんな問題に日本政府は何をしてきたのであろうか?昭和20年終戦後にソ連軍が不法占拠したこの島を、いまだに取り戻せない日本の政治。この岬にも「平和」や「祈る」などの自虐史観のスローガンがプンプンしているのである。とられたものも取り返せない、拉致そして領土まさに、要するに日本は力なき外交でバカにされているのである。小学生の作文が飾ってあったが、「平和的な話しあい」でなど優等生の答案で埋め尽くされている。「誰か力には力で取り返せ!」と、「僕たちはなめられてるんだよ!」と書くぐらいの元気な真っ当な小学生が居てほしいものである。

僕はここに断言する、これらの島は今の日本が続く限り永久に戻ってこない。そこの問責された福田さんよ!北海道でサミットするのは北方領土の不当をロシアの前でサミット国に訴える絶好のチャンスなのよ!
やるわけないよな、この総理!プーチンさんの御機嫌そこねてはね!それにこの人、正義に燃えるような誇りも怒り感じない冷血人間で「人ごと政治」だからな!納沙布岬と展示場で独り泣いている老婆の姿が僕の瞼から離れない!
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3.奥山篤信 
 こんな最高裁はいらない!ー借りた金は返せ!ー
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こんな驚くべき判決が出た。最近の最高裁の判決は冤罪事件をはじめ、裁判員制度導入などもう日本の司法制度への懐疑心を募るばかりであったが・・・

「山口組系・旧五菱会のヤミ金融事件の統括者に対して愛媛県内の借り手11人が損害賠償を求めた訴訟で、最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)は10日、「著しく高い金利で違法な貸し付けをした業者からは、利子だけでなく元金も含めて借り手が支払った全額を損害として取り戻せる」との初めての判断を示した。

そのうえで、「借り手がヤミ金に支払った総額から、元金分を差し引いた金額」しか損害として認めなかった二審・高松高裁の判決を破棄。損害額を確定させるため、審理を高裁に差し戻した。 訴えられていたのは、「ヤミ金の帝王」とも呼ばれた梶山進受刑者(58)=組織的犯罪処罰法違反で有罪確定。原告の借り手11人は、年利数百~数万%の高利で借金と返済を繰り返した。返済した元金と利息に加え、脅迫的な取り立てを受けた慰謝料などを合わせ計約3500万円の損害賠償を求めていた。」朝日新聞より

ヤミ金融の問題についてはここで議論しない。しかし金が必要となりまともな銀行などが貸してくれない事情の下で借主は自らのリスクでヤミ金融より金を借りたものである。金利とは需要と供給の上になりたち、リスク要因を入れて設定されるのが経済原理である。従って財務悪化した企業が借りられるのは高い金利であることが経済原則であることを忘れてはならない。

金を借りた以上、その条件に沿って返済するのは当たり前の商道徳であり、人間としてのの社会道徳である。悪質な貸し手ではないかとの想像は、ある程度借りる段階から読めるはずである。それでも納得の上借りたのである。つまり借り手にもそれなりの責任はあるわけだ。

それをこの判決は一切貸し手の犯罪責任だけを追求し、これでは借り手は元本借りて返さなくて良いという、坊主丸儲けの不当利得を得ることを承認しているのである。最高裁の指導の下に、なんという商道徳の堕落であろうか!「弱者面した被害者意識」に迎合する数々の裁判判決、まさにこれでは人間社会のプリンシプルまで破壊させているのである。

借りた金は返さねばならないという人間のモラルまで否定している最高裁の判決であり、絶対に容認できない。勿論暴力的に脅迫されたそれに対する慰謝料について僕は借り手の権利を否定するものではない。それと元本踏み倒しの問題は別である。借りた元本は返さねばならない。
この場合は暴力団という分かりやすいケースであったが、こんな踏み倒しを認めたら、これを良いことにこの判例に縋りつく借りてがわんさと現われること間違いない。まさに
さモラル・ハザードである。

最高裁よ出鱈目な判決はやめたまえ!人間借りた金を返すという、普遍的な倫理を破壊するなかれ!!この判決を見て僕はあの「ベニスの商人」ユダヤ人の金貸しシャイロックへのベニスの法廷の不条理な判決を重ね合わせた。
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4.松永太郎 
本の紹介  「ブッシュ家の崩壊」 クレイグ・アンガー  The Fall of the House of Bush Craig Unger Scribner 2008
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著者のアンガーは、ボストン・マガジンの編集長で、前作「サウド王朝とブッシュ王朝」はベストセラーになった。本書は、ピュリッツアー賞候補になっており、アメリカのジャーナリズムの到達点を示すものである。
この本のポイントは、最近、非常に勢いを増してきている、アメリカ「福音派」キリスト教徒たちの連合と、いわゆる「ネオコン」が、息子のブッシュ政権の時代に手を組んだ、ということである。「福音派」の中でも特に「再生派」とよばれる人々は、ブッシュ大統領もそうであるが、キリストを信じることで天国での永遠の生を得る、という信仰を持つ人々である。私たちにわかりにくいのは、この人々が、いわゆる「黙示録」の予言にある「アルマゲドン」(「神と悪魔の最終的な戦い」)を文字どおり、実際に起こりえると信じていることである。 さらに「ラプチュア」(昇天)とよばれ、未来のある時点で、信者は瞬時に現世から姿を消し、キリストともに天国で永遠に生きる、という信念もわかりにくい(残された人々はアルマゲドンに参加して戦う、とされる)。この教徒たちは、TV福音派とも呼ばれ、著名な説教師たちが「メガ・チャーチ」で説教し、自分たちのスーパーマーケット、学校、大学などを持っている。富豪も多く、共和党の支持基盤の一つである。
そしてブッシュ大統領はじめアメリカ政権の高官たちも、この信者が多い、と本書の著者アンガーを始め、著名な政治評論家ケヴィン・フィリップス(「アメリカの神政」<セオクラシー>)などは、報告している。
むろん現代は宗教的な自由の時代であって、誰が何を信じるのかは自由である。しかし、宗教が政治と結びつくとき、しばしば厄介な問題となるのは、昔から同じである。
一方、「ネオコン」は、レオ・シュトラウスという難解な知識人の弟子たちが多い。つまりは純粋な「ポスト・モダン」の知識人たちである。彼らの多くは、元共産主義者であり、そのなかでもトロッツキストが多い。共産主義に幻滅して、「新」保守派に鞍替えしたのだが、もともとイデオロギーにかぶれやすい体質なのだろう。彼らは、「歴史の終焉」を書いたフランシス・フクヤマのように、ソヴィエトが崩壊して、自分たちの戦略が正しかったことが証明された、と思い込み、アメリカが単独の帝国になったからには、以後、世界政治の現実は自分たちで自由になると考えて、その「中東戦略」を推し進めようとしたのである。彼らの中東戦略と、異教徒は悪魔の徒であるとみなす福音派のなかでも極端な人々の世界観は一致していた。これが本書のポイントである。
ネオコンを自在に操ったのが、副大統領のディック・チェイニーであった。彼は父ブッシュの時代には、穏健な感じの国防長官であったが、実は、父ブッシュの周りにいるパワフルな連中、国務長官のジェームス・ベイカー、安全保障担当のブレント・スコウクロフトらにのけ者にされたという意識を持ち、彼らに深い怨恨を抱いていたとされる。さらに最初の湾岸戦争のとき、統参謀本部議長パウエルが、功(および国民的な人気)を一身に集めたことだけは絶対に許さなかったといわれる。
チェイニーは、実は純粋な権力主義者で、9.11事件を機会に、巧みに権力を自分に集め、ネオコンを使って偽宣伝工作(「ディセプション」)を行い、あっという間にアフガンをかたづけ、イラクへ侵攻した。この戦略こそ、ネオコンが長年温めてきた中東戦略であり、イラクの次はイランに侵攻、もって中東全体の「民主化」をはかろうとするものだった。そのため、政権の要所に「ネオコン」(ポール・ウオルフォウイッツ、ダグ・ファイス、スクーター・リビイら)を配し、宿敵スコウクロフトの愛弟子であったライス安全保障顧問を黙らせ、最初のイラク戦争でフセインを始末しなかった「主犯」であるパウエルを無力化したのである。この経過はまるで国際陰謀小説そのものである。
「9.11」事件を起こした「アルカイダ」とイラクのフセインとはまったく何の関係もなかったし、大量破壊兵器もなかった。アメリカがイラクに侵攻する理由はまったくなかった。父ブッシュ、ベイカー、スコウクロフトらは、フセインを始末してしまうとイラクは想像もつかない混乱に陥ると考え、あえて温存したのだったが、父よりも偉大な大統領を目指す子のブッシュは、チェイニーの助言を入れ、ブッシュ家の長年の友人であるスコウクロフトの助言を無視した。むしろ罵倒した、といわれる。
「ネオコン」は、一時「世界は我がもの」と酔いしれたが、その後の経過は、そうはならなかった。だが、彼らのさまざまな力や人脈(その多くは、イラン・コントラ事件、ニカラグアの虐殺事件など、アメリカ外交の影の部分を担ってきた)は無視できない。私は、オバマ氏は、仮に当選すれば暗殺の危険があるという多くのアメリカ人の懸念は、本書のような本を読む限りにおいて、根拠のないものではない、と考えている。
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5.松永太郎 
論評:ジェームス・ファローズの「人民元とドル」
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 アメリカの雑誌「アトランティック」(WWW.THEATLATIC.COM)の2月号で、評論家のジェームス・ファローズが、「1.4兆ドル問題」と題して、論文を書いている。

「チャイナのリーダーは、この4半世紀、故意に国民の生活水準を下げ、それによってアメリカを支えてきた」とある。いわずと知れた、チャイナによるアメリカ国債の買い集めである。買い集めといっても、要するに、めちゃくちゃに安価な労働力(労働階級を搾取して<笑>)をアメリカのグローバル企業に提供する。どんな労働市場も、チャイナには勝てない。その支払いは、ドル建てで行われ、しかし、チャイナ国内では、ドルをそのまま使えない。チャイナでは人民銀行のみが、ドルを元に換えることができる。そのレートは、もちろん政府が決めている。アメリカのみならず、ほかの国も決済はドルで行われるので、人民銀行には、各企業に支払われたドルがたまるばかりであるが、政府は、これをもっとも安全な方法、つまりはアメリカ国債を買う、というやり方で溜め込んでいるわけだ。

 なぜ、安全な橋や道路を作ったり、学校を建てたり、病院を建てたり、クリーンな(環境にやさしい<笑)工場を作ったり、あるいはもっといろんな方法で、国民に還元しないのだろうか。ファローズは、そんなことをするとハイパーインフレが起きるとチャイナ政府が恐れていると説明している。しかし、ほんとうにそうだろうか。単に「太子党」(プリンスリングス)、つまりは共産党のボスたちの関係者による企業が強奪したいだけではないのか。いずれにしろ、貯蓄率50%というのは異常な数字である。

 アメリカは、自分たちが生産するよりもはるかに多く消費している。一方、チャイナは、自分たちが生産するよりも、はるかに少なくしか国民には還元しない(貯蓄率)。このアンバランスは、ひとえにチャイナ政府が国民を搾取している結果である。いくらチャイナがリッチになった、といっても、国民のほとんどがその日暮らしであり、その一方、想像を絶するような富豪が生まれているのは、どう見ても共産党支配者と「プリンスリングス」の「強欲」の結果である。そして、このアメリカとチャイナの経済関係は、非常に不健全であるし、危険ある、とかつてのアメリカの財務長官であったローレンス・サマーズは言っている。

 かつて日本の橋本総理が、アメリカ国債を売りたい誘惑に駆られると、例の気取った言い方で言ったときでさえ、ちょっとしたパニックがアメリカ株式市場を襲った。同じようなことをチャイナの財務関係者が言えば、パニックは本物になるだろうとファローズは指摘している。このパニックは、サブプライム・ローンどころの騒ぎではなくなるだろう。

すでに四川大地震において、チャイナの民衆は政府に文句を言うことを覚えた。そして、このドルと元の関係も、少し目先が利くものはすぐにわかってしまう。チャイナが30億ドル投資したアメリカの投資機関ブラックストーンのチャイナ・ホールディングスが10億ドル、損失を出したとき、チャイナのブログ、新聞、トークショーは騒然となったという。するがしこく、強欲なアメリカ人にしてやられたのではないか、というわけである。ブラックストーンのCEO、スティーヴン・シュワーツマンが、ブッシュの大口献金者で、イエールの同窓生の一人であることも、たちまち伝わってしまった。自分たちがひどい眼にあうのは、外国のせいだというのは、チャイナ人の癖であるが、実際は、政府に対して文句が言いたいのだろう。

 ショックは必ず来る、とファローズは言っている。この人の言うことは、割合にあたるので、そうだろうと思う。
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◎関西零細企業経営のオッサン 悔し涙を流すの記 (13)      
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ー後期高齢者に尊厳をー
           
JR大阪環状線には戦前からのレンガ積みの高架に狭い歩行者用トンネルのある昔のままの状態があちこちに見られる。そんな高架下に時々僕が喉の渇きに耐えかねて飛び込む同じく古い居酒屋があり、母親とその娘が切盛りしている。最初に飛び込むずーっと以前から其の店はあった記憶があるし、店の前を飾る提燈すだれの状態からも長い歴史が推察できる。

行く度に母親の方にむかって、おばちゃん70にしてはいつも若く見えるねー、とまず声を掛け、嫌やわー又そんなこと言うて、と返事が返ってはいビールとなる。このおばちゃん実は92歳なのである。

背筋はしゃんとして、動作も危ない所は一つもなし、何よりも耳も口も達者で、何時もこぎれいな服装で客と冗談を交わしている姿に70は決してお世辞ではない。

先日も、幾らなんでも92歳じゃ次に来る時はもう会えんかも知れんなー、と僕が言うと、何言うてんのまだまだ来年も頑張るよ、とやる気満々である。

絶対にこの女将を後期高齢者と呼んではならない。

一方、僕の母親は先日90歳の誕生日を迎えたが老齢による脊椎変形の痛みで殆どベッドが住まいの全てとなり、老人介護施設に入って三年目になる。頭はしっかりしているが耳が遠く他人との会話にトンチンカンが多くなり、唯一の楽しみである読書もこの頃は目が疲れて読むのがしんどい、読む気がしない等と次第に遠ざかりつつある。当然運動もしないから食欲もなく、腕も骨と皮に痩せている。

本人はそんな姿を人に見られたくない為、娘や息子以外の来客を拒み、僕が行く度にこんなに面倒見の良い施設にいる限り早く幕を閉じたくても閉じれない、お前は孝行の積りで次に来る時はコロッと死ねる薬でもこっそり持ってきておくれ、と言い続ける。聞けば姉や弟にも同じことを訴えているらしい。

要するに母はこれ以上生き続ける事に意義を感じないのだ。自分が多少でも元気な身体になり昔のように出歩いたり、生を楽しめる日々は決して戻らないことを悟っているのだ。僕はそんな状態でも意識がしっかりしている限り母には生き続けてもらいたい。これは単なる息子のエゴである。

母が本気で今の内にコロッと往きたがっている事は良く判っている。
もしそんな薬が合法的に手に入るなら、一晩添い寝してあれこれ世間話でもした朝にそっと母親に手渡して部屋を出たい。それが息子の義務だと思う。母は躊躇うことなく服用し、夫や友人の待っているあの世に旅立つだろう。

今、国の健康保険制度が破綻しつつあり、高齢者の保険料云々が議論と言うか政争の具にされている。

高齢者から保険料を頂戴しなくても、92歳の居酒屋の女将のように元気で意欲の有る限り出来るだけ安心して長生きし、楽しんでもらえる社会を目指すのは望む所である。一方この社会に僕の母のように、もう充分だ一刻も早く幕を引きたいと思っている或はそう思う意識さえ無い本当の後期高齢者がどんなに大勢いる事だろうか。この人達が意識の有るうちに自ら死を選択する事を許す社会であってはいけないのか。体中を管が這い回り、意識も無く、尊厳ある人間から只の植物に成り果てるまで待たせなければいけないのは何故なのか。

真の後期高齢者の意思を本気で尊重するならば、実は本人が望んでもいない膨大な医療費の浪費も無くなり、結果として健康保険制度の問題は改善される事だろう。人の命は地球より重い、人の命に軽重は無い。これは真っ赤な嘘の綺麗ごとである。この事を我々は真剣に考え議論しなければならない。了   2008.06.13
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