裁判所職員が陳謝(宇都宮地裁)(瀬戸弘幸)
ようちゃん、おすすめ記事。↓
▼裁判所職員が陳謝(宇都宮地裁)(瀬戸弘幸)
昨日は雨が降る最悪の天気でしたが、それでも15人ほどの人が参加をしました。栃木県宇都宮市は関東圏ではありますが、高速道路を使っても2時間近くはかかるので、朝早くからの公判はかなり時間的にきついものがあります。この日は朝早く起きて、7時までに『主権回復を目指す会』の事務所より2台の車で向かいました。地裁前における街宣活動は西村修平氏と私の二人が行ない、公判の開始時間前には法廷に入りました。我々のような素人には、何が行なわれているのか…? まったく分かりません。原告側、被告側が互いに書類を出し合っているだけで、やり取りは5分くらいでいつも終わっています。後は原告側の左翼弁護士のスケジュール合わせです。次回の期日を決めるのに、反日左翼弁護士は忙しいのか、いつも裁判官が最初に尋ねる日時から大きく伸びてしまっています。今回も裁判官が7月上旬を指定したのに、結局は7月31日という結果になってしまいました。本当に反日左翼弁護士というのは忙しいようです。彼らは我々と違ってしっかりとお金を稼いでいるようです。
裁判が終わって、いつものように駐車場の出口で反日弁護士・鬼束忠則弁護士を待って、糾弾の声を皆で挙げ、そして我々も駐車場に引き返しましたが、実はこの後に〝大事件〟が発生しました。まぁ~大事件というのは大げさかも知れませんが、考えられないようなことが起きたのです。その前に、この裁判には前回から労働組合の人間達と見られる者どもが姿を現していました。今回も10名ほどの人間がつめかけていました。これは左翼弁護士も動員をかけて来たというわけです。いずれ、その連中とのトラブルが起きるのではないかという懸念があったことは事実です。我々が抗議活動を終え、裁判所の駐車場に向かって歩き始めた時でした。西村代表に向かって一人の男が近づいて罵声を浴びせたのです。「お前ら出てけ!」と暴言を吐きました。西村代表もこの言葉に対して「出て行けとは何だ!? お前は誰だ!?」と返して、それから小競り合いとなったのです。
守衛の何人かが西村代表をつかむようにして、この男を逃がしてしまいました。この男は小雨が降っているのに傘もささずに、驚いたことに背広の上着も身につけておらず、裁判所の中へと消えてしまいました。我々は10名ほどの守衛と裁判所の職員に取り囲まれた。私が「今の男はあなた方の知っている人間か? それとも初めて見る男か?」と何度尋ねても答えようとしません。私は当初はこの男は鬼束弁護士を支援する人間ではないか―と疑いを持って訊いたのですが、どうも返答しないので裁判所の職員ではないのか?そのような疑いを持って全員が裁判所に戻り、総務課が用意した部屋において、その暴言を吐いた人物が「一体何者なのか? 裁判所の職員ではないのか―?」と問い詰めました。
裁判所側は我々の厳しい追及に「当方の民事部の職員です」ということを認めた。「何のために我々にそのような暴言を吐いたのか? 左翼弁護士に味方をして、我々に対して敵対しているつもりなのか?」そのことを明らかにするように迫りましたが、その返答は余り信用出来るものではありませんでした。この総務課長が言うには「裁判所の警護のために要請した者で、本人はそのような暴言を吐いてはおらず、拡声器やプラカードが見えたので、注意を促したに過ぎない」ということでした。しかし、これはまったくの詭弁であり、自分の言った暴言の事実を認めずに、いい加減な誤魔化しを言っているに過ぎません。我々はこの暴言を吐いた人物が直接我々の前に顔を出し、説明するように求めました。総務課長が困ってこの職員と話をして、最終的には西村代表と私に対して謝罪を行なうということで話が決着しました。私は直接暴言を受けた訳ではなかったので、西村代表一人が別室において、この職員から謝罪を受けました。
今回の問題で裁判所の余りにも杜撰な対応ぶりが明らかとなりました。先ず、この暴言男が警備を裁判所総務課から依頼されて外に出ていたというのに、警護班を示す腕章をしていなかったことです。これでは、どこの誰であるかが、さっぱり分かりません。我々が外部の人間であると誤解しても何の不思議もないのです。我々も当初、鬼束・左翼弁護士の手先と勘違いをしたくらいです。腕章はたくさんあり、足りなかったということではないことも、総務課長は認めており、これは面倒臭がってこの職員が腕章もせずに外に出ていて、我々に暴言を吐いたということでした。次に問題とされるのは、守衛が我々の「あの人物は誰ですか?」との質問に「裁判所の職員です」と答えていれば、少なくとも混乱はある程度で収まった。何者かを言わない以上、我々が鬼束弁護士の手先と勘違いして、厳重に抗議したことは当然であり、今後このようなことがないようにお願いしたいと思います。
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昨日は雨が降る最悪の天気でしたが、それでも15人ほどの人が参加をしました。栃木県宇都宮市は関東圏ではありますが、高速道路を使っても2時間近くはかかるので、朝早くからの公判はかなり時間的にきついものがあります。この日は朝早く起きて、7時までに『主権回復を目指す会』の事務所より2台の車で向かいました。地裁前における街宣活動は西村修平氏と私の二人が行ない、公判の開始時間前には法廷に入りました。我々のような素人には、何が行なわれているのか…? まったく分かりません。原告側、被告側が互いに書類を出し合っているだけで、やり取りは5分くらいでいつも終わっています。後は原告側の左翼弁護士のスケジュール合わせです。次回の期日を決めるのに、反日左翼弁護士は忙しいのか、いつも裁判官が最初に尋ねる日時から大きく伸びてしまっています。今回も裁判官が7月上旬を指定したのに、結局は7月31日という結果になってしまいました。本当に反日左翼弁護士というのは忙しいようです。彼らは我々と違ってしっかりとお金を稼いでいるようです。
裁判が終わって、いつものように駐車場の出口で反日弁護士・鬼束忠則弁護士を待って、糾弾の声を皆で挙げ、そして我々も駐車場に引き返しましたが、実はこの後に〝大事件〟が発生しました。まぁ~大事件というのは大げさかも知れませんが、考えられないようなことが起きたのです。その前に、この裁判には前回から労働組合の人間達と見られる者どもが姿を現していました。今回も10名ほどの人間がつめかけていました。これは左翼弁護士も動員をかけて来たというわけです。いずれ、その連中とのトラブルが起きるのではないかという懸念があったことは事実です。我々が抗議活動を終え、裁判所の駐車場に向かって歩き始めた時でした。西村代表に向かって一人の男が近づいて罵声を浴びせたのです。「お前ら出てけ!」と暴言を吐きました。西村代表もこの言葉に対して「出て行けとは何だ!? お前は誰だ!?」と返して、それから小競り合いとなったのです。
守衛の何人かが西村代表をつかむようにして、この男を逃がしてしまいました。この男は小雨が降っているのに傘もささずに、驚いたことに背広の上着も身につけておらず、裁判所の中へと消えてしまいました。我々は10名ほどの守衛と裁判所の職員に取り囲まれた。私が「今の男はあなた方の知っている人間か? それとも初めて見る男か?」と何度尋ねても答えようとしません。私は当初はこの男は鬼束弁護士を支援する人間ではないか―と疑いを持って訊いたのですが、どうも返答しないので裁判所の職員ではないのか?そのような疑いを持って全員が裁判所に戻り、総務課が用意した部屋において、その暴言を吐いた人物が「一体何者なのか? 裁判所の職員ではないのか―?」と問い詰めました。
裁判所側は我々の厳しい追及に「当方の民事部の職員です」ということを認めた。「何のために我々にそのような暴言を吐いたのか? 左翼弁護士に味方をして、我々に対して敵対しているつもりなのか?」そのことを明らかにするように迫りましたが、その返答は余り信用出来るものではありませんでした。この総務課長が言うには「裁判所の警護のために要請した者で、本人はそのような暴言を吐いてはおらず、拡声器やプラカードが見えたので、注意を促したに過ぎない」ということでした。しかし、これはまったくの詭弁であり、自分の言った暴言の事実を認めずに、いい加減な誤魔化しを言っているに過ぎません。我々はこの暴言を吐いた人物が直接我々の前に顔を出し、説明するように求めました。総務課長が困ってこの職員と話をして、最終的には西村代表と私に対して謝罪を行なうということで話が決着しました。私は直接暴言を受けた訳ではなかったので、西村代表一人が別室において、この職員から謝罪を受けました。
今回の問題で裁判所の余りにも杜撰な対応ぶりが明らかとなりました。先ず、この暴言男が警備を裁判所総務課から依頼されて外に出ていたというのに、警護班を示す腕章をしていなかったことです。これでは、どこの誰であるかが、さっぱり分かりません。我々が外部の人間であると誤解しても何の不思議もないのです。我々も当初、鬼束・左翼弁護士の手先と勘違いをしたくらいです。腕章はたくさんあり、足りなかったということではないことも、総務課長は認めており、これは面倒臭がってこの職員が腕章もせずに外に出ていて、我々に暴言を吐いたということでした。次に問題とされるのは、守衛が我々の「あの人物は誰ですか?」との質問に「裁判所の職員です」と答えていれば、少なくとも混乱はある程度で収まった。何者かを言わない以上、我々が鬼束弁護士の手先と勘違いして、厳重に抗議したことは当然であり、今後このようなことがないようにお願いしたいと思います。
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ようちゃんの意見。↓
★この権威主義の塊みたいな 役所では なんでも脅かしておけばそれで 自分たちの意のままに 事が運ぶと思い ずっと それでとおってきたんでしょう。なにしろ裁判所の間違いを 訴えるところがないんじゃないのかな。あったってどうせ 元裁判官が やってるところでしょうから。瀬戸さんたちには せいぜい騒いでもらって いろいろ問題点を報告してほしいです。
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▼『反貧困』 湯浅誠:著 昔は貧乏でも家族や地域があった。(株式日記と経済展望)
◆『反貧困』:湯浅誠:著
◆湯浅誠さんの講演「“溜め”のない若者と貧困」 ひらのゆきこ 2008/05/20
これまでは、失業者や高齢者といった労働市場から排除された人たちが相談にきていたが、いまはすでに働いている人たちが相談にきているそうです。いまのところ、正規社員の相談は1つもないが、正規労働者も一枚板ではなく、労働環境が劣悪な名ばかり管理職や、正規でも収入が生活保護基準以下の人たちもいるので、相談に来はじめてもおかしくない状況であるとの認識を示しました。 なぜ相談にこないのか。正規で働いている自分が生活できないはずはない、との思いがあるからではないか、と推測しながら、「正規は勝ち組、非正規は負け組みというのが嘘っぱちであることがわかってきた。いずれ相談にくる」と述べ、貧困が拡大している状況に警鐘を鳴らしました。
生活と労働の両方の問題を抱えている
連合や全労連は非正規の人を仲間にいれるための働きかけをしているが、現在は、働いているのに食べていけない、生活と労働の両方の問題を抱えており、この二つを切り離すと現状に追いついていかない、と述べ、現場で起きていることに目を向け、労働問題だけでなく生活の問題にも対応できるかどうかが問われている、との認識を示しました。
ーーーーーーー(中略)ーーーーーーーーーーー
若い人たちの貧困化は構造的な問題
湯浅さんは、若い人たちが貧困化した理由について、「若い人たちはセーフティネットから落ちて行く構造になっている。そこで貧困が生産された」との考えを示しました。去年、テレビで報道された「ネットカフェ難民」や「ワーキングプア」に言及しながら、若い人たちの貧困化は構造的な問題であり、「なるべくしてなった」と述べ、非正規で働いている人が全員そうなるのではなく、(貧困化しているのは)セーフティネットがきいていない人たちであると語りました。 月収10万でも親と同居している人は貧困状況にあるという自覚はないが、頼れる人がいない人が10万の場合は最低生活で、アパートを出てネットカフェで暮らす人が生まれます。家族が社会的セーフティネットの肩代わりをしているため、家族に異常な負担がかかる。鬱病や引きこもりの場合、親子関係が険悪な場合が多く、家にいると余計悪くなるが、(生活ができないので)出られない。家族の負担も増える。児童虐待が問題になっているが、児童虐待の問題と結びついているのは貧困であり、家族が全部抱え込む。
湯浅誠さんのお話 4
自立とは介護保険を使わずできるだけ家族で介護をすることなのか
福田首相が総理大臣になったとき、「自立と共生」についてコメントを求められ、「自立」について「(介護保険を使わないで)できるだけ家族内で介護をすること」と答えたことに対し、湯浅さんは、「介護保険はなんのためにつくられたのか」と疑問を呈しながら、総理大臣自ら露呈したように、老老介護の問題など、セーフティネットの脆弱さのしわ寄せを家族が受ける社会になっていることに警鐘を鳴らしました。 湯浅さんは、貧困の背景として「五重の排除」があると述べ、こういう視点をもつことが必要であると主張しました。公的扶助のネットから落ちて行く人は、穴をまっさかさまに落ちて行く。貧困の問題は、「落ちて行く人の身になって考えることが必要」と述べ、そのためには、マクロだけでなくミクロの視点が必要であると強調しました。
自己責任論は本質を見誤る
テレビで貧困の問題が報じられていると、頑張って働いているのに生活ができない人を見て、可哀相だと同情しながら、隣で一緒にテレビを見ているフリーターの息子に対しては、「お前は自己責任」と切り捨てる父親がいるが、そのようなとらえ方は本質を見誤る、と湯浅さんは指摘しました。組合はあるが脆弱であり、相談にくる人はテレビに出ているような立派な人ばかりではないので、相談員のシニアのおじさんが、本人の精神状態や現れ方を理解しないと、上記の父親のように「自己責任」と切ってしまうことになりかねないと述べ、危惧していることを明らかにしました。
五重の排除
「五重の排除」というのは、「教育課程」「企業福祉」「家族福祉」「公的福祉」「自分自身」の排除であると述べ、この中でとくに問題なのは「自分自身」の排除であると語りました。 生活保護の申請をすると追い返される。わらにもすがる思いで相談に行くと、けんもほろろに追い返される。そのような体験をした人たちの話を聞くと、だれもが「尊厳を踏みにじられた」「人間扱いされなかった」と語るそうです。正社員の採用試験に何度も落ちた男性は、落ちるたびに社会から要らないと言われているような気になると語っていたそうです。 最近はベンチに横になっているだけで、警備の人がやってくる。隅田川では24時間ガードマンが巡回しているので、横になることもできない。追い込まれていくと、最後は「自分自身」の排除。生きていてもしょうがない、どうでもいいという気持ちになる。弱いとかガッツがないとかそういう問題ではなく、人間、だれでも4つの排除を受けると、最後はそういう気持ちになる、と湯浅さんは訴えました。
弱者を追い詰め、死に追いやる社会
自殺者3万人(年間)のうち、1万人は経済的理由による自殺だそうですが、湯浅さんは、「生活が逼迫すると、生きていてもしょうがないという気持ちになって自殺をする」と自殺に追い込まれる人たちの心情を代弁しました。 去年、北九州市で「おにぎりが食べたい」と言い残して餓死した52歳の男性は、「生活困窮者は早く死ねということか」とノートに書き残していました。現在の「姥捨て山制度」と言われている「後期高齢者医療制度」について、自民党の堀内光男議員は「高齢者は死ねということか」と言っています。生活困窮者や高齢者など弱い立場の人たちを追い詰め、自ら死に追いやるような現在の日本の政治と、それを許している社会に対し、湯浅さんは次のように述べました。 「だれかが、お前なんか死ね、と言ったのではない。本人の受け止め方がそうなっている。働いても暮らせない。死ねと思うように、社会が仕向けている。それが、自分自身の排除になる」 ーーーーーーーー(中略)ーーーーーーーーーーーーーーーー
貧困は“溜め”がない状態
湯浅さんは、貧困問題について考えるとき、“溜め”がない状態として考える必要があるのではないか、との見解を示しました。 人間は“溜め”に包まれており、大きい人も小さい人もいるが、お金の“溜め”、親や親戚など人間関係の“溜め”、自分に自信がある精神的な“溜め”。全体としてそういうものが失われるのが貧困であるとの考えを示しました。「貧乏と貧困は違う」としたうえで、“溜め”が小さくなった状態から“溜め”を大きくしていくことが必要であるとして、次のように述べました。
“溜め”を増やしていく社会をつくる
「“溜め”は目に見えない。一人ひとり“溜め”の大きさは違うが目に見えない。成功している人は自覚がない。頑張ればなんとかなると平気で言っちゃう。子どもを大学まで行かせた場合、だいたい2000~2500万円かかるといわれている。私立はもっとかかる。日本の公的教育費は29位で先進国のなかでは最低。親が出さないと出てこない。貧困が世代間で受け継がれていく。
条件のない人に言っても暴力になる。その人にはその条件がない。本人が自分の“溜め”を自覚してから、お前も頑張れと言ってほしい。団塊の世代の人は、昔はみんな貧乏だったと言う人が多いが、昔はお金がなくても人間関係が現在のように脆弱ではなかった。大企業は住宅や福利厚生が充実していたし、中小企業や零細企業なども、たとえば、住み込みの従業員などに対しては、結婚の相手を世話するといった、煩わしい面もあったが、周囲の支えがあった。
昔は貧乏でも家族や地域があった。いまは経済的に頼れる人間関係や精神的な“溜め”のレベルが違う。昔はみんな貧乏だったとか、頑張ればできる、という話で終わる。そういう話で終わらせると社会的サポートをする必要がないということになる。“溜め”を大きくしていかないし、自己責任も問えない。選択肢のない人に対し、あたかも等しく選んだかのように言うのが自己責任論の嘘である。
“溜め”を増やす長いプロセスをどうやって増やすか。生活保護、信頼できる友人、空間、温かく見守っていくことが必要。一般論でただケツを叩くだけでは、自立から結果的に遠ざける。“溜め”のない人に“溜め”を増やしていく社会を作っていくことが大事。 イギリスで始まったニートの問題は、この人たちは社会のセーフティネットがないという反省から始まったもの。それが日本に輸入される過程で、自己責任論に引っくり返った。条件を社会的にどうつくるのか。学校やNPOなどで取り組みを始めないといけない。「お前、なにやってんだ」、ということでは、切り捨てられる状態をとめることはできない。
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(私のコメント)
バブル崩壊以降、日本では国民生活もだんだんと過去の蓄積を食い潰して預貯金なども減って来ている。国民一人当たりの年間所得もじりじりと落ち続けている。企業業績が回復して景気は上向いているとテレビなどでは言っているが、人件費を削って利益を上げているのであり、それに反比例して給与水準は下がり続けている。これではGDPの6割を占める消費が伸びないのであり、石油などの一次産品が値上がりしても商品価格に転嫁できない状況が続いている。つまり景気が回復したといっても輸出企業の業績は回復しても、国内企業や消費に波及しないから景気の回復感はあるわけがない。企業は業績を上げるためにリストラに取り組み続けていますが、正社員を首にすることは難しいから、新規採用をストップして穴埋めに派遣社員やパート従業員に切り替えて行った。その結果、業績のいい輸出企業も半数が非正規社員となり給与も半分に減らしてバブル期並みの好業績を上げている企業もある。このような企業経営の犠牲になっているのが若年労働者であり、特に若年層は半分近くが非正規雇用であり、フリーターなどの生活を余儀なくされている若者も少なくはない。日本は豊かな国なのだからフリーターなどは好きでやっているような事を言う人もいますが、大企業で正社員になる道はごく限られた割合でしかない。
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◆非正規雇用が最多 労働者の32.9% 若年層46% 2005年11月30日(水)「しんぶん赤旗」
私自身は銀行勤めをしていたのはバブル前の入社であり、その頃から過剰雇用ではないかと感じていた。男子の銀行員の多くが営業と称する預金集めをしていたのであり、護送船団方式で預金高を競い合う事が銀行経営のバロメーターになっていた。土地を担保に貸していれば回収は確実であった。しかしバブル崩壊で土地担保貸出は機能しなくなり、だから銀行は土地担保でも金を貸さなくなった。だからバブルから脱却するのは土地の値段が底を打って上がり始めるまで無理だろうと直ぐに分かった。しかし政府は土地税制を改める事はせず、固定資産税も高くなったままだ。
だから銀行もメガバンクに集約されて、今では預金集めをしている銀行員を見かけることはあまりない。窓口も派遣と思われる女子従業員が多くなり職員の合理化は進んでいるようだ。しかし正社員であっても1人で何人分もの仕事をこなす為に身体を壊して辞める人は多い。赤旗によれば三分の一が非正規雇用であり、二十代前半の若者は半数が非正規雇用だそうだ。秋葉原で無差別殺人をした加藤容疑者も非正規雇用であり例外的な若者というわけではない。だから年金を納められる人も半数しかいないわけであり、年金の崩壊も健康保険の赤字も若者の非正規雇用が原因なのだ。
◆独身男性で年収600万以上の男性はわずか3.5%しかいなかった 2006年9月3日 「株式日記」
私自身も銀行を辞める時は年収600万以上あったから3,5%の内に入っていたのですが、今ではバブルの崩壊で年収は銀行返済でほとんどが消えてしまう。最悪の時は冗談だが加藤容疑者のような自暴自棄になり大蔵省へ自爆テロを考えた時もあった。加藤容疑者も数百万の借金を抱えていたようですが、職も無く借金を抱えていれば自爆テロを考える事もあるだろう。これからは、どうせ自殺するのなら無差別殺人で世の中に復讐してから死んでやろうという自暴自棄な加藤容疑者のような若者が次々出てくるだろう。今年はすでに無差別殺人テロが3件も起きている。
このように若者の雇用状況は悲惨なものですが、公務員だけは別格であり、地方公務員の平均年収は730万円だ。いまや地方でまともな収入のある職業は地方公務員しかないのであり、タクシーの運転手の300万円と比べるといかに現実離れしているかが分かる。これでは日本の経済がおかしくなり、回復が遅れるのも無理はない。湯浅氏の「反貧困」という本は読んではいませんが、昔は貧しくても家族や社会で支える仕組みがあった。だから昔に比べれば今の若者は恵まれているように見えるが、いったん人生のコースから外れればいくらもがいても這い上がる事は難しくなる。加藤容疑者もトヨタの正社員を目指したようですが競争が厳しくて落ちた。私も銀行を辞めたからドロップアウトした気分はよく分かる。これからはまともな人生は歩めない事は覚悟した。昔は家族や親戚が支えてくれたが、今では家庭に引き篭もった若者は160万人にも及ぶと言う事ですが、非正規雇用で働いている若者はまだましなのだ。親が元気な内はまだいいが親がいなくなったら誰がヒキコモリの面倒を見るのだろうか?このように日本社会はガタガタな状況であり、秋葉原の無差別殺人事件は起こるべくして起きた事件であり、昨日の勝谷氏が言うようにこれからこのような事件が起き続けるだろう。それに対して政府や国会議員たちのゴタゴタは見るに耐えない。世の中がどうなっているのか分かっていないのだろう。だから秋葉原のような事件が起きるとビックリして驚くのだ。
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★この権威主義の塊みたいな 役所では なんでも脅かしておけばそれで 自分たちの意のままに 事が運ぶと思い ずっと それでとおってきたんでしょう。なにしろ裁判所の間違いを 訴えるところがないんじゃないのかな。あったってどうせ 元裁判官が やってるところでしょうから。瀬戸さんたちには せいぜい騒いでもらって いろいろ問題点を報告してほしいです。
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▼『反貧困』 湯浅誠:著 昔は貧乏でも家族や地域があった。(株式日記と経済展望)
◆『反貧困』:湯浅誠:著
◆湯浅誠さんの講演「“溜め”のない若者と貧困」 ひらのゆきこ 2008/05/20
これまでは、失業者や高齢者といった労働市場から排除された人たちが相談にきていたが、いまはすでに働いている人たちが相談にきているそうです。いまのところ、正規社員の相談は1つもないが、正規労働者も一枚板ではなく、労働環境が劣悪な名ばかり管理職や、正規でも収入が生活保護基準以下の人たちもいるので、相談に来はじめてもおかしくない状況であるとの認識を示しました。 なぜ相談にこないのか。正規で働いている自分が生活できないはずはない、との思いがあるからではないか、と推測しながら、「正規は勝ち組、非正規は負け組みというのが嘘っぱちであることがわかってきた。いずれ相談にくる」と述べ、貧困が拡大している状況に警鐘を鳴らしました。
生活と労働の両方の問題を抱えている
連合や全労連は非正規の人を仲間にいれるための働きかけをしているが、現在は、働いているのに食べていけない、生活と労働の両方の問題を抱えており、この二つを切り離すと現状に追いついていかない、と述べ、現場で起きていることに目を向け、労働問題だけでなく生活の問題にも対応できるかどうかが問われている、との認識を示しました。
ーーーーーーー(中略)ーーーーーーーーーーー
若い人たちの貧困化は構造的な問題
湯浅さんは、若い人たちが貧困化した理由について、「若い人たちはセーフティネットから落ちて行く構造になっている。そこで貧困が生産された」との考えを示しました。去年、テレビで報道された「ネットカフェ難民」や「ワーキングプア」に言及しながら、若い人たちの貧困化は構造的な問題であり、「なるべくしてなった」と述べ、非正規で働いている人が全員そうなるのではなく、(貧困化しているのは)セーフティネットがきいていない人たちであると語りました。 月収10万でも親と同居している人は貧困状況にあるという自覚はないが、頼れる人がいない人が10万の場合は最低生活で、アパートを出てネットカフェで暮らす人が生まれます。家族が社会的セーフティネットの肩代わりをしているため、家族に異常な負担がかかる。鬱病や引きこもりの場合、親子関係が険悪な場合が多く、家にいると余計悪くなるが、(生活ができないので)出られない。家族の負担も増える。児童虐待が問題になっているが、児童虐待の問題と結びついているのは貧困であり、家族が全部抱え込む。
湯浅誠さんのお話 4
自立とは介護保険を使わずできるだけ家族で介護をすることなのか
福田首相が総理大臣になったとき、「自立と共生」についてコメントを求められ、「自立」について「(介護保険を使わないで)できるだけ家族内で介護をすること」と答えたことに対し、湯浅さんは、「介護保険はなんのためにつくられたのか」と疑問を呈しながら、総理大臣自ら露呈したように、老老介護の問題など、セーフティネットの脆弱さのしわ寄せを家族が受ける社会になっていることに警鐘を鳴らしました。 湯浅さんは、貧困の背景として「五重の排除」があると述べ、こういう視点をもつことが必要であると主張しました。公的扶助のネットから落ちて行く人は、穴をまっさかさまに落ちて行く。貧困の問題は、「落ちて行く人の身になって考えることが必要」と述べ、そのためには、マクロだけでなくミクロの視点が必要であると強調しました。
自己責任論は本質を見誤る
テレビで貧困の問題が報じられていると、頑張って働いているのに生活ができない人を見て、可哀相だと同情しながら、隣で一緒にテレビを見ているフリーターの息子に対しては、「お前は自己責任」と切り捨てる父親がいるが、そのようなとらえ方は本質を見誤る、と湯浅さんは指摘しました。組合はあるが脆弱であり、相談にくる人はテレビに出ているような立派な人ばかりではないので、相談員のシニアのおじさんが、本人の精神状態や現れ方を理解しないと、上記の父親のように「自己責任」と切ってしまうことになりかねないと述べ、危惧していることを明らかにしました。
五重の排除
「五重の排除」というのは、「教育課程」「企業福祉」「家族福祉」「公的福祉」「自分自身」の排除であると述べ、この中でとくに問題なのは「自分自身」の排除であると語りました。 生活保護の申請をすると追い返される。わらにもすがる思いで相談に行くと、けんもほろろに追い返される。そのような体験をした人たちの話を聞くと、だれもが「尊厳を踏みにじられた」「人間扱いされなかった」と語るそうです。正社員の採用試験に何度も落ちた男性は、落ちるたびに社会から要らないと言われているような気になると語っていたそうです。 最近はベンチに横になっているだけで、警備の人がやってくる。隅田川では24時間ガードマンが巡回しているので、横になることもできない。追い込まれていくと、最後は「自分自身」の排除。生きていてもしょうがない、どうでもいいという気持ちになる。弱いとかガッツがないとかそういう問題ではなく、人間、だれでも4つの排除を受けると、最後はそういう気持ちになる、と湯浅さんは訴えました。
弱者を追い詰め、死に追いやる社会
自殺者3万人(年間)のうち、1万人は経済的理由による自殺だそうですが、湯浅さんは、「生活が逼迫すると、生きていてもしょうがないという気持ちになって自殺をする」と自殺に追い込まれる人たちの心情を代弁しました。 去年、北九州市で「おにぎりが食べたい」と言い残して餓死した52歳の男性は、「生活困窮者は早く死ねということか」とノートに書き残していました。現在の「姥捨て山制度」と言われている「後期高齢者医療制度」について、自民党の堀内光男議員は「高齢者は死ねということか」と言っています。生活困窮者や高齢者など弱い立場の人たちを追い詰め、自ら死に追いやるような現在の日本の政治と、それを許している社会に対し、湯浅さんは次のように述べました。 「だれかが、お前なんか死ね、と言ったのではない。本人の受け止め方がそうなっている。働いても暮らせない。死ねと思うように、社会が仕向けている。それが、自分自身の排除になる」 ーーーーーーーー(中略)ーーーーーーーーーーーーーーーー
貧困は“溜め”がない状態
湯浅さんは、貧困問題について考えるとき、“溜め”がない状態として考える必要があるのではないか、との見解を示しました。 人間は“溜め”に包まれており、大きい人も小さい人もいるが、お金の“溜め”、親や親戚など人間関係の“溜め”、自分に自信がある精神的な“溜め”。全体としてそういうものが失われるのが貧困であるとの考えを示しました。「貧乏と貧困は違う」としたうえで、“溜め”が小さくなった状態から“溜め”を大きくしていくことが必要であるとして、次のように述べました。
“溜め”を増やしていく社会をつくる
「“溜め”は目に見えない。一人ひとり“溜め”の大きさは違うが目に見えない。成功している人は自覚がない。頑張ればなんとかなると平気で言っちゃう。子どもを大学まで行かせた場合、だいたい2000~2500万円かかるといわれている。私立はもっとかかる。日本の公的教育費は29位で先進国のなかでは最低。親が出さないと出てこない。貧困が世代間で受け継がれていく。
条件のない人に言っても暴力になる。その人にはその条件がない。本人が自分の“溜め”を自覚してから、お前も頑張れと言ってほしい。団塊の世代の人は、昔はみんな貧乏だったと言う人が多いが、昔はお金がなくても人間関係が現在のように脆弱ではなかった。大企業は住宅や福利厚生が充実していたし、中小企業や零細企業なども、たとえば、住み込みの従業員などに対しては、結婚の相手を世話するといった、煩わしい面もあったが、周囲の支えがあった。
昔は貧乏でも家族や地域があった。いまは経済的に頼れる人間関係や精神的な“溜め”のレベルが違う。昔はみんな貧乏だったとか、頑張ればできる、という話で終わる。そういう話で終わらせると社会的サポートをする必要がないということになる。“溜め”を大きくしていかないし、自己責任も問えない。選択肢のない人に対し、あたかも等しく選んだかのように言うのが自己責任論の嘘である。
“溜め”を増やす長いプロセスをどうやって増やすか。生活保護、信頼できる友人、空間、温かく見守っていくことが必要。一般論でただケツを叩くだけでは、自立から結果的に遠ざける。“溜め”のない人に“溜め”を増やしていく社会を作っていくことが大事。 イギリスで始まったニートの問題は、この人たちは社会のセーフティネットがないという反省から始まったもの。それが日本に輸入される過程で、自己責任論に引っくり返った。条件を社会的にどうつくるのか。学校やNPOなどで取り組みを始めないといけない。「お前、なにやってんだ」、ということでは、切り捨てられる状態をとめることはできない。
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(私のコメント)
バブル崩壊以降、日本では国民生活もだんだんと過去の蓄積を食い潰して預貯金なども減って来ている。国民一人当たりの年間所得もじりじりと落ち続けている。企業業績が回復して景気は上向いているとテレビなどでは言っているが、人件費を削って利益を上げているのであり、それに反比例して給与水準は下がり続けている。これではGDPの6割を占める消費が伸びないのであり、石油などの一次産品が値上がりしても商品価格に転嫁できない状況が続いている。つまり景気が回復したといっても輸出企業の業績は回復しても、国内企業や消費に波及しないから景気の回復感はあるわけがない。企業は業績を上げるためにリストラに取り組み続けていますが、正社員を首にすることは難しいから、新規採用をストップして穴埋めに派遣社員やパート従業員に切り替えて行った。その結果、業績のいい輸出企業も半数が非正規社員となり給与も半分に減らしてバブル期並みの好業績を上げている企業もある。このような企業経営の犠牲になっているのが若年労働者であり、特に若年層は半分近くが非正規雇用であり、フリーターなどの生活を余儀なくされている若者も少なくはない。日本は豊かな国なのだからフリーターなどは好きでやっているような事を言う人もいますが、大企業で正社員になる道はごく限られた割合でしかない。
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◆非正規雇用が最多 労働者の32.9% 若年層46% 2005年11月30日(水)「しんぶん赤旗」
私自身は銀行勤めをしていたのはバブル前の入社であり、その頃から過剰雇用ではないかと感じていた。男子の銀行員の多くが営業と称する預金集めをしていたのであり、護送船団方式で預金高を競い合う事が銀行経営のバロメーターになっていた。土地を担保に貸していれば回収は確実であった。しかしバブル崩壊で土地担保貸出は機能しなくなり、だから銀行は土地担保でも金を貸さなくなった。だからバブルから脱却するのは土地の値段が底を打って上がり始めるまで無理だろうと直ぐに分かった。しかし政府は土地税制を改める事はせず、固定資産税も高くなったままだ。
だから銀行もメガバンクに集約されて、今では預金集めをしている銀行員を見かけることはあまりない。窓口も派遣と思われる女子従業員が多くなり職員の合理化は進んでいるようだ。しかし正社員であっても1人で何人分もの仕事をこなす為に身体を壊して辞める人は多い。赤旗によれば三分の一が非正規雇用であり、二十代前半の若者は半数が非正規雇用だそうだ。秋葉原で無差別殺人をした加藤容疑者も非正規雇用であり例外的な若者というわけではない。だから年金を納められる人も半数しかいないわけであり、年金の崩壊も健康保険の赤字も若者の非正規雇用が原因なのだ。
◆独身男性で年収600万以上の男性はわずか3.5%しかいなかった 2006年9月3日 「株式日記」
私自身も銀行を辞める時は年収600万以上あったから3,5%の内に入っていたのですが、今ではバブルの崩壊で年収は銀行返済でほとんどが消えてしまう。最悪の時は冗談だが加藤容疑者のような自暴自棄になり大蔵省へ自爆テロを考えた時もあった。加藤容疑者も数百万の借金を抱えていたようですが、職も無く借金を抱えていれば自爆テロを考える事もあるだろう。これからは、どうせ自殺するのなら無差別殺人で世の中に復讐してから死んでやろうという自暴自棄な加藤容疑者のような若者が次々出てくるだろう。今年はすでに無差別殺人テロが3件も起きている。
このように若者の雇用状況は悲惨なものですが、公務員だけは別格であり、地方公務員の平均年収は730万円だ。いまや地方でまともな収入のある職業は地方公務員しかないのであり、タクシーの運転手の300万円と比べるといかに現実離れしているかが分かる。これでは日本の経済がおかしくなり、回復が遅れるのも無理はない。湯浅氏の「反貧困」という本は読んではいませんが、昔は貧しくても家族や社会で支える仕組みがあった。だから昔に比べれば今の若者は恵まれているように見えるが、いったん人生のコースから外れればいくらもがいても這い上がる事は難しくなる。加藤容疑者もトヨタの正社員を目指したようですが競争が厳しくて落ちた。私も銀行を辞めたからドロップアウトした気分はよく分かる。これからはまともな人生は歩めない事は覚悟した。昔は家族や親戚が支えてくれたが、今では家庭に引き篭もった若者は160万人にも及ぶと言う事ですが、非正規雇用で働いている若者はまだましなのだ。親が元気な内はまだいいが親がいなくなったら誰がヒキコモリの面倒を見るのだろうか?このように日本社会はガタガタな状況であり、秋葉原の無差別殺人事件は起こるべくして起きた事件であり、昨日の勝谷氏が言うようにこれからこのような事件が起き続けるだろう。それに対して政府や国会議員たちのゴタゴタは見るに耐えない。世の中がどうなっているのか分かっていないのだろう。だから秋葉原のような事件が起きるとビックリして驚くのだ。
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ようちゃんの意見。↓
★優雅な公務員には わからない!公務員は すべて 派遣社員とするとか やれば 派遣法も まともになる?
★優雅な公務員には わからない!公務員は すべて 派遣社員とするとか やれば 派遣法も まともになる?