【政論探求】国家の責務は危機管理だ
【政論探求】国家の責務は危機管理だ(5月20日の記事です。)
中国・四川大地震の被害は、底知れぬ広がりを見せている。地震大国・日本も他人事ではないが、国家の究極の責務は「危機管理」なのだ、という思いを新たにする。
地震は「天災」だから避けようがないのだが、いったん起きてしまうと「人災」の要素が一気に噴き出す。耐震の備えがあったのかどうか、救助システムは完備されていたのか、対応の遅れはなかったか、といった点である。
中国の現状を見る限り、「備えあれば憂いなし」にはほど遠かったようだ。温家宝首相に続いて胡錦濤国家主席も現地入りした。国家の枠組みそのものを揺るがしかねない事態なのだという深刻さを象徴しているように見える。
ひるがえって日本はどうか。平成7年1月の阪神・淡路大震災は6300人余の犠牲者を出した。自衛隊の出動要請が遅れ、当時の村山富市首相の「なにぶんにも初めてのことですので」という国会答弁が顰蹙(ひんしゅく)を買った。
そのときの状況からどれほどの改革が行われてきたのだろうか。
たしかに、平成10年に内閣危機管理監が新設された。だが、イージス艦「あたご」の漁船との衝突事故の報告がただちに首相官邸に入らなかった事例などを見る限り、危機管理対応は万全とはいえないようだ。
日本政府は北朝鮮の工作員による日本人大量拉致事件を許してしまった過去を持つ。米政府にはテロや災害に即応する機関として、CIA(中央情報局)、FBI(連邦捜査局)、FEMA(連邦緊急事態管理局)などがあるが、日本にはこれに相当するセクションがない。国家システムの基本的欠陥といって過言ではないようにも思える。
日本版NSC(国家安全保障会議)の創設構想も、福田政権になってどこかへ消えてしまった。安全保障と危機管理は同レベルの国家的使命であるはずなのだが、「のどもと過ぎれば」がまかり通っている。
「国民の生命・安全を守る」が国家の至高の役割であって、「小さな政府」論も突き詰めればそこに行き当たる。誤解をおそれずに言えば、ガソリンの値段を1カ月だけ下げるぐらいのことで大騒ぎする政治の現状はあまりに寂しい。
(客員編集委員 花岡信昭)ご意見などは次のブログへどうぞ http://hanasan.iza
ne.jp/blog/