頂門の一針 | 日本のお姉さん

頂門の一針

ようちゃん、おすすめ記事。↓(6月7日の記事です。)

過去官僚・現在官僚
━━━━━━━━━山堂コラム:219
渡辺喜美・行革担当大臣が執念でとりまとめた「公務員改革法案(国家
公務員制度改革基本法案)」を骨抜きにした功労者は誰か―――

霞ヶ関の官庁街で役人らが今こぞって表彰しようとしているのが町村官
房長官、二橋副長官、伊吹自民党幹事長の3人。他にもいるのだが、こ
の3人が最大の功労者。いずれも政府与党の中枢にいる超要人である。町村が通産、二橋は自治、伊吹は大蔵の各省出身。この3人、永田町担当のブンヤの間では「過去官僚」(昔、官僚だったという意味?)と呼ばれている。

「過去官僚」?オラに言わせればとんでもない買い被り。「国会に天下
りしただけの立派な現在官僚」だ。別に官僚出身の国会議員であってもそのこと自体は構わない。官僚の立場を脱皮して国民というか、国全体の立場でものを見て政治に携わればそれでいい。

ところがだ、この3人はいまだに官僚の権益だけを守る者として政治に
携わっている。国民の利益代表ではなく官僚たちの利益代表。だから問
題なのだ。

国の政治(まつりごと)―――、教育、福祉にしても外交、防衛にして
も、これらを実効に移すための要員として官僚は存在し、彼らの給与・
生活費は税金で賄われる。

戦前は軍閥官僚が寡占化・肥大化して国家予算の大部分が軍事費と戦争
の遂行に費やされた。まさに国家滅亡寸前にまで立ち至ったのであるが、「昔陸軍、いまは官僚」。いまやわが国は官僚機構が戦前の軍閥以上に増殖・肥大化した。

国家予算が教育や福祉といった政治(まつりごと)本来の方途に使われ
るのでない、官僚とその天下り先の組織の維持のために大部分が使われ
るようになった。これぞ本末転倒の時代の到来。国家衰亡の兆し。

「税金は自分たちのもの」とばかりの官僚の傲慢さ。それはさらにエス
カレートして健保に年金に失業保険、郵貯まで。

つまり国民から預っている金までも、全てテメエらのものだと思い上が
ってのやりたい放題。○○機構に○○ピア。天下り先をジャブジャブつ
くり、後期高齢者の歳になっても官僚だけは高給食んで業者とつるんで
ノーパンシャブシャブ。

総理の私的懇談会が今回の「公務員改革法案」で示した目玉は、「国家
公務員が政治家と接触すること」ならびに「天下りの」制限であった。
而してその両方とも見事に骨抜きになった。渡辺喜美(ミッチーの子)
が切歯扼腕するも宣(む)べなるかなだ。現状よりも大幅後退、公務員
の「焼け太り」。

それにしても同法案、骨抜きになった途端に民主党が賛成に回ったのも
笑える。なぜ笑えるか?修正協議は実は喜美を完全に埒外、蚊帳の外に
おいて自公民の「国対関係者」らで進められた。

修正案そのものが民主党の主張を聞き入れる形で合意されたというので
あって、何のことはない、民主党も骨抜きに加担しただけ。

「官公労抱えるから同じ穴の狢(むじな)」などとは言わぬまでも、政
府与党の「過去官僚」たちはそれで大満足。かくしてわが国の官僚天国、ますます百花繚乱の大盛況。年金も医療も崩壊必至。(了)

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挑発的・冒険的な中国の軍拡(中)
━━━━━━━━━━━━━━━━翻訳:平井 修一

米上院外交委員会でのカート・キャンベル博士の講演の抄訳を続ける。
・・・・
日本の外交官は最近こう書いています。「中国の軍拡が不透明なまま現
在のペースで続くならば、東アジアに関心をもつ諸国は多かれ少なかれ
中国を安全保障上の脅威として認めざるを得ない。

日本、米国、中国の間の三者間の安全保障対話は、そのような脅威認識
を最小にする1つの方法だ」。アメリカの関与は、信用を構築し、緊張を減らすこうした努力の鍵です。これらの軍拡は何も驚くべきことではありません。列強は強い軍隊を持ちたがるもので、アメリカもこの論理を享受しているのですから。

しかし、列強はしばしばその能力をもって現状を打破しようとします。
ロバート・ゲイツ国防長官は、中国軍の近代化への用心深いながらも懐
柔的なアプローチをしました。彼の訪中は成功との評判をとっています
が、軍隊同士の協力の範囲を広げ、危機を回避するために米中の直接的
な軍事ホットラインを確立しました。

紫禁城でゲイツ長官は、協力関係を進展させる必要を強調し、それは地
域でのアメリカの戦略的な目的と一致するとの見解を表明しました。
訪中と米国太平洋司令部の一貫した努力は、良き役割を果たしたいとい
う中国の意向の宣言への第一歩でした。

アメリカは不確実性ではなく透明度こそが将来誤算を避けることへのキ
ーであると人民解放軍リーダーに信じさせる必要があり、特に海軍能力
ではそれが求められています。

残念なことに2007年の感謝祭では空母キティーホークの寄航が拒絶され、さらに掃海艇の活動を拒絶するという中国の決定は、北京が挑発的にふるまい始めていることを示唆しています。

続く1月の宇宙衛星破壊テストの成功を含めて、これらの事件と、米国
政府短期国債の大規模な買い付け、そしてペンタゴンと他の米国のコン
ピュータシステムへの厳しいハッキングは、アメリカに対する潜在的に
冒険的な中国の軍の政策を際立たせています。個々に、これらの出来事はおそらく重要でありませんが、要するに中国の行動が変化していることを示しています。

推奨する政策:
テロとの戦いと同時に台頭する中国に耐えるというふたつの挑戦は、全
く異なる努力と能力を必要とします。どちらも大きな脅威ですが、それ
が一緒になっているのですから圧倒的な脅威です。

イスラムジハード戦士との戦いは現在のアメリカの外交政策の避けられ
ない課題ですが、中国との関係では協力と競争の複雑なミックスで、必
ずしもむき出しの敵意に変質する定めというわけではありません。

アメリカの政策担当者は、近視眼的な外交政策の危険を理解し、南米か
ら中東、アジアまでバランスある政策遂行が望まれます。

アメリカの戦略家にとり、これらの同時的挑戦に対処する方法を考慮す
ることには慎重さを求められます。たとえば、テロとの戦いにおける中
国の協力は、北京に対するアメリカの外交戦略の主要テーマであるべき
です。

アメリカ同様に中国にとってもジハード戦士の成功から失うものは大き
いのです。東南アジアは穏健なイスラム教徒と急進的なイスラム扇動者
との戦いの主要な戦場になりそうですが、中国は前者が勝つために大き
な役割を担うべきです。

さらに、政策担当者は現実的かつ実際的な中国政策を明瞭に表現しなけ
ればなりません。消費者の安全から重要な景気の失速についてまで北京
への高まる関心は、自由貿易協定を延期しようという議会の懐疑論者を
勢いづかせています。

中国の秘密主義の軍の近代化プログラムと、例えば2007年の人工衛星撃
墜テストのようなあからさまな挑発は、外国の保守的な政策担当者の間
に相当な懸念を引き起こしました。

アメリカの戦略的な中国政策は、懐疑論者と保守派、封じ込めと協働・
調和の間でバランスがとれていなければなりません。

効果的な中国政策を実施することは、北京との相互作用以上に多くのも
のを含みます。アメリカは貿易関連の問題について相互的な意見交換と
協力に努めなければなりませんし、北京の貿易標準、知的所有権につい
て必要な調整をさせ、中国元の再評価も求める必要があります。

より重要なことは、北京とワシントンが軍隊同士の接触を促進すること
です。2カ国間でホットラインをつくるというゲイツ長官の前向きの決定
は、アジア太平洋の全域で誤算・誤解による危険を減らすためのもので
す。(次号完結)
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「宮中祭祀廃止論」の愚
━━━━━━━━━━━須藤 尚人

ミルチャ・エリアーデ『聖と俗:宗教的なる物の本質について』(法政
大学出版局)を読むと、「無神論」というものは「宗教的感情の一形態」に過ぎない事がわかる。

現代社会であっても我々の日常は宗教的儀式に満ちていて、無神論的な
考えを自覚的に持っている人間でさえ、いろいろな宗教的儀式に無意識
に従って生きている。人は生まれてから死ぬまで様々な宗教的な起源をもつ儀式に囲まれて生きている。

人は生まれるとたくさんの人に誕生を祝ってもらい、100日のお食い初め
の儀式、桃の節句、端午の節句、誕生日の祝い、七五三、成人式、結婚
式、葬式・・・・。新年を祝うのは世界中で宗教を問わず行なわれており、新年の祝いが「死と再生」「生命の更新」の象徴であるというのは広く知られている。

それら「日常の習俗や伝統」を軽視してきたことにより、現代人は精神
の安定を失い、価値観を喪失し始めている。かつて一世を風靡した動物行動学者のコンラート・ローレンツはハイイロガンの観察を通して習慣と儀式について考察し、次の様に述べている。

「もし約束を結ぶ相手が、儀式となった犯しがたい習慣の土台を自分と
共有していなければ、誓いは立てられず、条約は効力を持たないだろう。

この習慣を破れば、その人は、わたしの小さなマルティーナ(ハイイロ
ガン)があの時玄関の階段の5段目で襲われたあの不思議な破滅的な不
安に襲われることだろう。」(「攻撃」みすず書房、p120)

伝統的な習俗や行事を総て拒否して生きられる人間は貴重だが、ただの
馬鹿である。

「人知を超えたもの」「人間の有限性」について謙虚な気持ちを持って
いれば、「唯物論」だの「無神論」だのの限界がわかる。

私の家は真言宗だが私は特に熱心な宗教を持っているわけではない。し
かし、自然の中に「八百万」の神を感じた日本人の謙虚さは受け継いで
いるつもりだ。そういう、日本人の宗教観を支える祭司として天皇は存
在してきた。

昭和10年代以降、特に戦時中の「現人神」信仰は日本の国家危機の時代
に現れた一種のヒステリー状態だった。しかし、日本の危機に際して日
本人を結集させる象徴として機能したことをむしろ評価すべきだ、と私
は思っている。

それをもって「皇室制度」を否定するのは、ものごとの判断のための適
正な尺度をもっていないか、政治的な思惑があるのだろう。

戦前、戦中の国家戦略や個々の戦闘・戦略についてはよく議論すべきだ
し、反省すべきことも多いだろう。

しかし、「宮中祭祀」は日本人の宗教の祭司としての天皇の存在意義そ
のものの根幹に関わる問題だ。「宮中祭祀廃止論」は皇室制度不要論と
同じである。

日本の皇室は世界で最も長く続いており、国際儀礼上の歓待序列(世界
的な元首の冠婚葬祭などの席順)は世界最高位といわれている。そして、それは日本という国の国力や国際関係上の評価とも関わってい
る。

公式の場でローマ法王のとなりに座って話ができる人間は日本の天皇だ
けだとも言われている。

中国や韓国は日本よりも文化的には先輩国家であるという自負があるが、国際儀礼上の歓待序列ははるか下である。その理由のひとつは天皇制にある。

だから、日本の天皇制は彼らにとっては面白くないし、天皇陛下を悪し
様(あしざま)に言う気持ちはわからなくもない。長い間続いてきた、守ってきた、ということはそれだけで価値のあることだ。屋久島の縄文杉に価値があるのはそういう事ではないのか?

日本の皇室制度は「世界の文化遺産」として継承していく義務が日本人
にはあるのだ、と私は考えている。だからこそ、「皇室の政治利用」は
できるだけ控えるべきだ、とも思う。

古代インドや古代ギリシャ、古代中国の哲学者が人間の成熟度として現
代人より劣っていたわけではない。

1000年後、2000年後に人類はこの時代をどのように振り返るか、そうし
て「皇室制度」をどのように評価するだろうか?「皇室制度」は政治的な問題としてだけでは測れない。