キングメーカー「清和会(町村派)」は分裂するか?次期総裁選が近づき、激化する「中川秀直と町村信孝
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▼キングメーカー「清和会(町村派)」は分裂するか?次期総裁選が近づき、激化する「中川秀直と町村信孝」の主導権争い。(じじ放談)
戦後自民党の党内闘争で最も有名なのは「角福戦争」といわれる田中角栄と福田赳夫の総裁選挙である。双方が死力を尽くして多数派工作を仕掛け、田中角栄が総裁に就任した。敗れた福田赳夫が「カネの力に負けた」といったのは周知のとおりだ。福田赳夫としては「主義・思想並びに憂国の情において、さらに自民党国会議員の信頼では負けていないのに、田中角栄がばらまいたカネで、勝敗が逆転した」と言いたかったのであろう。
田中角栄は、5億円の収賄を行ったとされるロッキドー事件で逮捕され刑事被告人になったから「利権型政治家の代表」というイメージが強い。田中角栄の子分であった浜田幸一がテレビ番組で「田中角栄は権力を濫用し集めたカネを、数百万円単位で、与野党問わず気前よく配った」といっていた。田中角栄は権力を活用して便宜を図る見返りに、業者等から莫大な裏金を収受していたのであろう。汗水たらして稼いだカネは気前よく配ることはできないから「濡れ手に粟」のぼろい稼ぎをしていたという世間の評価は間違ってはおるまい。
福田赳夫は、田名角栄が「世紀の利権屋」という不名誉な看板を背負ってくれたから「清廉潔白」のイメージが強い。しかし福田赳夫は、自民党第2の派閥を率いていたのであるから、あちこちから集金したはずだ。カネがなければ子分の面倒を見ることはできないし、派閥を運営できない。福田赳夫も世間が考えているほどに清廉潔白であったとはいえない。田中角栄の如く「裏金をつかんで配る」という荒業はできなかったであろうが、企業献金等のカネ集めに苦労したのではなかろうか。
政党政治は、もともと「選挙民の即物的欲望を政治に反映させる仕組」であるから、その本質が「利権的色彩を帯びる」のを避けることはできない。国会議員は選挙民の即物的欲望を充足するための代表という性格から逃れることはできない。選挙民は「理念や理想」だけで国会議員を選ぶことはないから、国会議員はどうしても「地元、団体、業界」の欲求が実現するように働かざるをえない。これを怠ると「次回の選挙で落選する」のは必至であるからやむをえない。代議制度は「利権屋の代理人」である国会議員を選ぶシステムである。「国民全体の奉仕者」は公務員であってを国会議員ではない。国会議員は人口数十万の選挙区住民の利益代表に過ぎない。
*「国民や民族の利益第1」で行動する政治家を求めるのであれば、地方選挙区又は小選挙区を全廃して、参議院全国区個人投票制の如き選挙制度を導入すべきなのだ。「近年は大物政治家が出てこない」という意見があるが、小選挙区制度では大物政治家が生まれる余地はない。重箱の隅をつつく小物政治家しか当選できにくい仕組ができているからやむをえない。田舎の市長選挙よりも狭い地域から選出した国会議員が「天下国家第1」で動くと期待する方が間違いなのだ。山に上って「海の魚を釣りたい」といっているに等しい。
以上、代議制度の構造から見て、「利権型政治家」「憂国の政治家」「売国的政治家」という政治家の違いは、単なる「濃淡が若干違う」程度の差異と考えて間違いない。利権型政治家であった田中角栄が、中東戦争勃発で、アラブ湾岸諸国から「日本はアラブの敵だ。」と見なされ、原油輸入が途絶えそうになった時、それまでのイスラエル支持一辺倒政策を転換し、中東湾岸諸国との関係改善を図ったことがあった。その結果、我が国は堺屋太一がいう「油断」という事態を回避できた。田中角栄は「憂国の政治家」として、米国のユダヤロビーを敵に回した。ユダヤ系のキッシンジャー米国務長官から「ジャップめ」と罵られた。ロッキード事件を仕掛けられ、失脚させられたという謀略説もある。
(自民党最大派閥「清和会(町村派)の現状を概観する)
清和政策研究会(町村派)は自民党最大派閥である。4代連続して総裁・総理を送りだしてきた。今や「キングメーカー閥」として不動の地位を築いている。だが、閥内は紛争続きだ。お世辞にも一枚岩とはいえない。6月5日付け日本経済新聞は「中川勉強会が発足:町村派内33議員が出席」と題する以下の記事を掲載した。
1.自民党の町村派で4日、代表世話人である中川秀直元幹事長を囲む勉強会が発足した。同派の政策委員長である杉浦正健元法相らが呼びかけた。中川氏の近著「官僚国家の崩壊」をテキストに、増税に頼らず経済成長で財政再建を目指す「上げ潮派」の政策提言を目指す。同日は33人の同派議員が出席した。
2.会合では中川氏が主張する霞が関改革を支持する意見が続出。伊藤公介氏が「(中川氏の政策を)町村派の政策にしよう」と訴えた。ただ、玉沢徳一郎氏は「この考え方で町村派を統一するのは反対だ」と強調。今後も継続的に勉強会を開いて、臨時国会前の政策提言を目指すことを確認した。会合には、坂本剛二、中山成彬、長勢甚遠各氏らも出席、議員33人以外にも20人の秘書が代理出席した。派閥の中に派閥をつくる(派中派)今回の勉強会立ち上げは、清和会町村派内の中川秀直グループが、団結を固め、独自の行動をとると宣言した事と同じだ。清和会の後継争いが本格化した。6月6日付け日本経済新聞は「首相の足を引っ張るな:森元首相、中川秀直・町村信孝両氏に苦言」と題する以下の記事を掲載した。
3.森喜朗元首相は5日、最高顧問を務める町村派の総会で、福田康夫首相の出身派閥として首相をしっかり支えるよう異例の呼びかけをした。中川秀直元幹事長や町村信孝官房長官ら同派幹部の活発な活動や発言に苦言を呈したものとみられる。
4.町村派では、中川氏が政界再編やポスト福田を視野に発言を繰り返しているほか、町村氏も減反政策の見直しに言及するなど、党内に波紋を広げている。
総裁・総理を支えるべき清和会(町村派)の内紛は、即、日本の政治に反映するから軽視できないものがある。民主党を例にとれば、小沢一郎グループの山岡賢二国対委員長が小沢一郎と対立し、民社協会グループと共謀して謀反を起こすようなものだ。弱小派閥の内紛は「そうですか」といって見過ごすことができるが、キングメーカー閥の内紛は「政局に直結する」から看過できない。「吠える犬は咬みつかない」という諺がある。中川秀直も「わんわん、きゃんきゃん」と吠えるから咬みつかない」という見方もできる。だが、物事には「はずみ」ということもある。「咬みつかない確率が高い」といっても「もしかしたら」ということもある。だから「吠える犬でも咬みつくかもしれぬ」と警戒する必要があるのだ。中川秀直64歳。慶応大法卒。日本経済新聞記者となるも、1976年32歳で義父の地盤を引き継ぎ、新自由クラブ公認で初当選。2回目の選挙で落選後、自民党に鞍替え、さらに1回落選。1993年政界復帰後は村山内閣首相補佐官、自民党国対委員長、政調会長、幹事長などを歴任。人権擁護法案の積極推進派でもある。目下、中国共産党胡錦涛(共青団閥)や王前駐日中国大使等との個人的関係が深い。
(清和会の内分と分裂は、跡目相続がらみが多い?)
その1.1991年の三六戦争
安倍晋太郎死去に伴う派閥の主導権確保を巡って、三塚博と加藤六月が対立した。きっかけは、三塚博が総裁選に出馬、宮沢喜一を推す加藤六月がこれに反発。派閥内抗争が激化した。三塚博を応援したのが森喜朗、塩川正十郎、小泉純一郎、玉沢徳一郎、中川秀直ほかで、加藤六月を応援したのが、亀井静香、平沼赳夫、中川昭一、町村信孝、尾身幸次ほかである。派閥内抗争に敗れた加藤六月及び加藤の側近であった田名部、山岡賢次(現、民主党国会対策委員長)、古賀一成、倉田寛之ほかは派閥から離脱し「加藤グループ(政眞会)」を結成した。
その2.1998年亀井静香グループ離脱
自民党総裁選に小泉純一郎を擁立することを決定した森喜朗グループに反発した亀井静香グループが派閥を離脱。中山太郎元外相、平沼赳夫、中川昭一などが亀井・中山グループを結成。1999年、同グループと中曽根派が合流して「志師会」(現在の伊吹派の前身)を結成した。2005年夏の郵政民営化選挙で、亀井・平沼らが自民党を除名されたことは周知のとおり。(以上、ウイキぺディアから抜粋した。)
自民党田中派(経世会)から離脱した一群が、民主党代表小沢一郎、幹事長鳩山由紀生、元代表岡田克也ほかである。福田派(清和会)から離脱したのが、国民新党の亀井静香代表代行、無所属の平沼赳夫、民主党国対委員長の山岡賢次ほかである。「角福戦争」の当事者が今なお強い影響力を持っている。跡目相続争いで内紛が発生するのは自民党の派閥だけではない。広域暴力団「山口組」では、必ずといってよいほど抗争が発生している。「一和会との戦争」の如き大規模な紛争に発展したり、新組長を襲撃して死亡させることもある。比較的穏やかに代変わりすることもある。清和会の歴史を見ると、福田赳夫→安倍晋太郎、森喜朗→小泉純一郎→森喜朗の跡目相続は円滑に運んだ。だが、森喜朗の跡目相続は未だ決まっていない。中川秀直と町村信孝の勢力が均衡していて後継者を決めることができない。そこで、臨時的措置として3人の代表世話人をおいた。
(清和会の派閥内抗争は派閥分裂まで進むか?)
動物の世界でも「力の差が歴然」であれば、喧嘩にならない。負けると分かっている方が「尻尾をまいて軍門に下る」から喧嘩が起こらない。ところが、複数の後継候補者がいて、双方の力量が拮抗している場合、双方とも「勝てるのではないか」と考えるから喧嘩が起こりやすい。町村信孝と中川秀直はいずれも代表世話人で力が拮抗している。中川秀直は「町村が官房長官になったならば、派閥の会長は自分(中川)が就任できる」と楽観していたふしがある。予想に反し、町村信孝が中川秀直会長案に同意せず反対したから、中川秀直は清和会会長就任をお預けになった。派閥のオーナー森喜朗は困惑し、調整もできず「代表世話人3人」という緊急避難措置で懸案事項を先送りした。「当然、派閥会長になれる」と考え、閥務に専念している中川秀直は「早く派閥会長を決めてくれ」というハラであろう。森喜朗の煮え切らない、問題先延ばしの無策に腹をたてイライラしてきたはずだ。今回、中川秀直が清和会内同志を集め「派中派組織」である勉強会を立ち上げた狙いも、清和会の主導権を確保し、次期会長を射とめる存念であろう。最大派閥を押さえた上で、総裁・総理の椅子を狙うという2段階作戦であろう。これを察知した町村信孝並びに町村の側近が危機感を募らせ対抗措置を取り始めたということか。
(中川秀直の勢力はどの程度の人数か?)
勉強会の初会合に国会議員33人が出席、20人の秘書が代理出席した。清和会は衆議院議員61人、参議院議員26人の計87人であるから、中川秀直が集めた53人は過半数を超える。参加者並びに代理出席者がすべて「中川秀直シンパ」ということもなかろうから、中川秀直が計算できる戦力は約30人程度ではなかろうか。「上げ潮ムード」に乗っている中川秀直は「過半数はいける」と読んでいるかもしれぬ。だが、中川秀直は2回も落選している。幹事長時代は「歴史的大敗」を喫したこともある。もともと戦争に強い男ではない。現状分析も相当甘いというべきであろう。
清和会の勢力図を客観的に見ると、中川秀直、町村信孝、安倍晋三が3分の1づつというところではないか。さらに、森喜朗名誉顧問と小泉純一郎(無派閥)の意向次第では勢力図が大きく変動するのではないか。もし、森と小泉が「反中川」という態度」を示せば、中川と一緒に派閥を離脱するものは10人前後に激減するのではあるまいか。加藤六月の乱に同調した者の内、派閥を離脱したものは一桁に止まった。「寄らば大樹の陰」というのは、一般庶民だけではなく、国会議員各位の世渡りにとっても欠かせない判断基準である。最大派閥から離脱するのは「断崖絶壁から飛び降りるほどの勇気がいる」といってよいから、誰もが真似のできる技ではない。「謀反グループから脱落者が続出する」と見るべきであろう。赤穂義士の討ち入りも47人に激減した。
(なぜ、清和会(町村派)は分裂せざるを得ないのか)
清和会が分裂したのは、派閥の継承を巡る主導権争いが総裁選挙候補者選定とからんでいたからだ。今回は、総裁・総理候補が「町村信孝と中川秀直」の二人いるから、「また紛争が起こるのではないか?」と外野席は期待する。目下、次期自民党総裁の本命は麻生太郎である。国民の人気度もナンバーワンである。中川秀直と町村は「麻生の後を狙っているのか」といえば、そうとも言い切れない。安倍前総理の突然の辞任で、派閥談合で作り上げた「福田内閣」の前例がある。中川秀直が「派閥をまとめ上げれば、麻生太郎を追い落として、先に総理大臣になれるかもしれぬ」と考えても不思議ではない。自己顕示欲がとびきり強い政治家が「二番手止まり」で満足すると期待すべきではない。我々大衆は「身の程」を知っているから無理はしないが、政治家は誰でも「総理になって権力を思う存分振舞ってみたい」と考えている。中川秀直は幹事長を、町村信孝は外相と官房長官を経験している。総理の椅子が手の届くところまで来ている。「欲をかくな」という方がおかしい。彼らの立場になれば、誰でも「夢を見る」のではあるまいか。次期総裁選挙が近づくにつれ清和会は、中川秀直グループと町村信孝グループの主導権争いが激化する。さらに、麻生太郎を推す安倍軍団が加わり三つ巴の抗争が起こるかもしれぬ。
(清和会抗争の帰趨を読み解く)
三つ巴の戦争は「2対1」になり易い不安定な構造である。つまり連合した側が勝利する確率が高い。中川・町村・安倍の三角関係を読み解いてみたい。
(1)外交問題
中川秀直は中国共産党胡錦涛指導部と個人的結びつきを強めている「親中派」。町村と安倍は「親米、親台湾の自主外交派」である。
(2)内政問題
中川が規制緩和の小さな政府と人権擁護推進派、町村と安倍が人権擁護法反対派である。規制緩和と小さな政府では中川と安倍は近い。
(3)人脈
加藤六月の乱で、中川は森・小泉らと共に三塚博の応援団。町村は平沼赳夫、中川昭一らと共に加藤六月を応援した。安倍晋三が晋太郎の秘書だった時、晋太郎は「加藤六月を最も信頼していた」というから、安倍の心情は町村に近いのではないか。なお、町村信孝は東大法学部卒業後、通産省に入省。通産大臣であった安倍晋太郎に見染められ政界入りしたといわれる。その恩返しなのか、安倍晋三が総裁候補の立候補した時、町村信孝が選挙対策責任者になったことがある。なお、安倍晋三は中川秀直、町村信孝両名とも昵懇な間柄という。安倍は、中川と町村との関係では等距離中立という立場を保っているが、両者の抗争が激化し二者択一を迫られた場合は町村信孝と組む可能性が高い。ということで、中川秀直が謀反を起こしても「勝ち目はない」といってよい。加藤六月、亀井静香と同様、若干の手兵を率いて派閥から離脱する可能性が高い。中川秀直が「多勢に無勢」と矛を収めるならば、当面、清和会の分裂は回避される。同時に、清和会を一致団結させることのできる安倍晋三が「清和会会長」に浮上する可能性が高い。
(まとめ)
「中川勉強会」というのは、世をはばかる仮の名称であって実体は「中川秀直を総裁・総理に押し上げる会」というものだろう。福田内閣の寿命がそろそろ尽きると考えた中川秀直並びに側近が、「そろそろ準備をしなくっちゃ」と考え立ち上げたものであろう。清和会(町村派)では、代表世話人の中川秀直が側近を集め「分派活動」を始めたから、緊張が走っているのではないか。「中川秀直の謀反を阻止するか?」又は「中川秀直に謀反を起こさせるか?」が検討課題になっているはずだ。
民主党小沢一郎代表も「虎視眈眈」、清和会分裂の帰趨を見守っているのではなかろうか。うまく行けば、福田内閣はレームダックに陥ると見て、密かに「中川秀直の謀反を期待している」かもしれぬ。
森喜朗名誉顧問と小泉純一郎は「中川秀直謀反」の動きを察知して、切り崩し工作を開始するはずだ。中川秀直の盟友小池百合子を切り崩す担当は小泉純一郎が請け負うことになろう。「機を見るに敏」の小池百合子が中川秀直と心中するとは思えないから「一抜けた」ということになる。次々と同志が墜ちるから、中川秀直の謀反は腰が砕けに終わる可能性が高い。又は中川秀直はわずかの手兵を率いて脱走するかもしれぬ。加藤六月と同じように。
安倍晋三は泰然自若として動かない。頼まれるまで動くことはない。安倍晋三の同志は、志師会(伊吹派)会長代行中川昭一、無所属の平沼赳夫、麻生太郎ほかである。安倍軍団は山崎派の甘利明(通商産業相)、古賀派の菅義偉(選挙対策副委員長、前総務大臣)ほか派閥横断型である。財界や保守本流のバックアップもある。安倍晋三が清和会の内紛程度のことで汗をかくことはあるまい。「火中の栗を拾って火傷をしてもつまらない」と考えるのではないか。「頼まれたならば、会長職を引き受けてもよいが」という心境ではなかろうか。
筆者は、中川秀直が謀反を起こしてくれることを期待している。「親中派の古参代議士を10人ばかり引き連れて脱走してくれないか」と考える。民主党に寝返っても結構であると思っている。中川秀直は「女性スキャンダル」と「麻生クーデターの謀略情報を流した」ことで著名人になった。先般は、小池百合子を伴って北京を訪問して「顔つなぎ興行」を行った。自民党並びに清和会にとって中川秀直は「獅子身中の虫」なのだ。ここらで駆除しておかないと、さらに大きな害をなす。中川秀直が「権力奪取という欲に目がくらみ、謀反を起こしてくれた」ならば、これを絶好の機会とみなして活用すべきだ。さて、どうする?森喜朗、小泉純一郎の手の内を眺めてみよう。
戦後自民党の党内闘争で最も有名なのは「角福戦争」といわれる田中角栄と福田赳夫の総裁選挙である。双方が死力を尽くして多数派工作を仕掛け、田中角栄が総裁に就任した。敗れた福田赳夫が「カネの力に負けた」といったのは周知のとおりだ。福田赳夫としては「主義・思想並びに憂国の情において、さらに自民党国会議員の信頼では負けていないのに、田中角栄がばらまいたカネで、勝敗が逆転した」と言いたかったのであろう。
田中角栄は、5億円の収賄を行ったとされるロッキドー事件で逮捕され刑事被告人になったから「利権型政治家の代表」というイメージが強い。田中角栄の子分であった浜田幸一がテレビ番組で「田中角栄は権力を濫用し集めたカネを、数百万円単位で、与野党問わず気前よく配った」といっていた。田中角栄は権力を活用して便宜を図る見返りに、業者等から莫大な裏金を収受していたのであろう。汗水たらして稼いだカネは気前よく配ることはできないから「濡れ手に粟」のぼろい稼ぎをしていたという世間の評価は間違ってはおるまい。
福田赳夫は、田名角栄が「世紀の利権屋」という不名誉な看板を背負ってくれたから「清廉潔白」のイメージが強い。しかし福田赳夫は、自民党第2の派閥を率いていたのであるから、あちこちから集金したはずだ。カネがなければ子分の面倒を見ることはできないし、派閥を運営できない。福田赳夫も世間が考えているほどに清廉潔白であったとはいえない。田中角栄の如く「裏金をつかんで配る」という荒業はできなかったであろうが、企業献金等のカネ集めに苦労したのではなかろうか。
政党政治は、もともと「選挙民の即物的欲望を政治に反映させる仕組」であるから、その本質が「利権的色彩を帯びる」のを避けることはできない。国会議員は選挙民の即物的欲望を充足するための代表という性格から逃れることはできない。選挙民は「理念や理想」だけで国会議員を選ぶことはないから、国会議員はどうしても「地元、団体、業界」の欲求が実現するように働かざるをえない。これを怠ると「次回の選挙で落選する」のは必至であるからやむをえない。代議制度は「利権屋の代理人」である国会議員を選ぶシステムである。「国民全体の奉仕者」は公務員であってを国会議員ではない。国会議員は人口数十万の選挙区住民の利益代表に過ぎない。
*「国民や民族の利益第1」で行動する政治家を求めるのであれば、地方選挙区又は小選挙区を全廃して、参議院全国区個人投票制の如き選挙制度を導入すべきなのだ。「近年は大物政治家が出てこない」という意見があるが、小選挙区制度では大物政治家が生まれる余地はない。重箱の隅をつつく小物政治家しか当選できにくい仕組ができているからやむをえない。田舎の市長選挙よりも狭い地域から選出した国会議員が「天下国家第1」で動くと期待する方が間違いなのだ。山に上って「海の魚を釣りたい」といっているに等しい。
以上、代議制度の構造から見て、「利権型政治家」「憂国の政治家」「売国的政治家」という政治家の違いは、単なる「濃淡が若干違う」程度の差異と考えて間違いない。利権型政治家であった田中角栄が、中東戦争勃発で、アラブ湾岸諸国から「日本はアラブの敵だ。」と見なされ、原油輸入が途絶えそうになった時、それまでのイスラエル支持一辺倒政策を転換し、中東湾岸諸国との関係改善を図ったことがあった。その結果、我が国は堺屋太一がいう「油断」という事態を回避できた。田中角栄は「憂国の政治家」として、米国のユダヤロビーを敵に回した。ユダヤ系のキッシンジャー米国務長官から「ジャップめ」と罵られた。ロッキード事件を仕掛けられ、失脚させられたという謀略説もある。
(自民党最大派閥「清和会(町村派)の現状を概観する)
清和政策研究会(町村派)は自民党最大派閥である。4代連続して総裁・総理を送りだしてきた。今や「キングメーカー閥」として不動の地位を築いている。だが、閥内は紛争続きだ。お世辞にも一枚岩とはいえない。6月5日付け日本経済新聞は「中川勉強会が発足:町村派内33議員が出席」と題する以下の記事を掲載した。
1.自民党の町村派で4日、代表世話人である中川秀直元幹事長を囲む勉強会が発足した。同派の政策委員長である杉浦正健元法相らが呼びかけた。中川氏の近著「官僚国家の崩壊」をテキストに、増税に頼らず経済成長で財政再建を目指す「上げ潮派」の政策提言を目指す。同日は33人の同派議員が出席した。
2.会合では中川氏が主張する霞が関改革を支持する意見が続出。伊藤公介氏が「(中川氏の政策を)町村派の政策にしよう」と訴えた。ただ、玉沢徳一郎氏は「この考え方で町村派を統一するのは反対だ」と強調。今後も継続的に勉強会を開いて、臨時国会前の政策提言を目指すことを確認した。会合には、坂本剛二、中山成彬、長勢甚遠各氏らも出席、議員33人以外にも20人の秘書が代理出席した。派閥の中に派閥をつくる(派中派)今回の勉強会立ち上げは、清和会町村派内の中川秀直グループが、団結を固め、独自の行動をとると宣言した事と同じだ。清和会の後継争いが本格化した。6月6日付け日本経済新聞は「首相の足を引っ張るな:森元首相、中川秀直・町村信孝両氏に苦言」と題する以下の記事を掲載した。
3.森喜朗元首相は5日、最高顧問を務める町村派の総会で、福田康夫首相の出身派閥として首相をしっかり支えるよう異例の呼びかけをした。中川秀直元幹事長や町村信孝官房長官ら同派幹部の活発な活動や発言に苦言を呈したものとみられる。
4.町村派では、中川氏が政界再編やポスト福田を視野に発言を繰り返しているほか、町村氏も減反政策の見直しに言及するなど、党内に波紋を広げている。
総裁・総理を支えるべき清和会(町村派)の内紛は、即、日本の政治に反映するから軽視できないものがある。民主党を例にとれば、小沢一郎グループの山岡賢二国対委員長が小沢一郎と対立し、民社協会グループと共謀して謀反を起こすようなものだ。弱小派閥の内紛は「そうですか」といって見過ごすことができるが、キングメーカー閥の内紛は「政局に直結する」から看過できない。「吠える犬は咬みつかない」という諺がある。中川秀直も「わんわん、きゃんきゃん」と吠えるから咬みつかない」という見方もできる。だが、物事には「はずみ」ということもある。「咬みつかない確率が高い」といっても「もしかしたら」ということもある。だから「吠える犬でも咬みつくかもしれぬ」と警戒する必要があるのだ。中川秀直64歳。慶応大法卒。日本経済新聞記者となるも、1976年32歳で義父の地盤を引き継ぎ、新自由クラブ公認で初当選。2回目の選挙で落選後、自民党に鞍替え、さらに1回落選。1993年政界復帰後は村山内閣首相補佐官、自民党国対委員長、政調会長、幹事長などを歴任。人権擁護法案の積極推進派でもある。目下、中国共産党胡錦涛(共青団閥)や王前駐日中国大使等との個人的関係が深い。
(清和会の内分と分裂は、跡目相続がらみが多い?)
その1.1991年の三六戦争
安倍晋太郎死去に伴う派閥の主導権確保を巡って、三塚博と加藤六月が対立した。きっかけは、三塚博が総裁選に出馬、宮沢喜一を推す加藤六月がこれに反発。派閥内抗争が激化した。三塚博を応援したのが森喜朗、塩川正十郎、小泉純一郎、玉沢徳一郎、中川秀直ほかで、加藤六月を応援したのが、亀井静香、平沼赳夫、中川昭一、町村信孝、尾身幸次ほかである。派閥内抗争に敗れた加藤六月及び加藤の側近であった田名部、山岡賢次(現、民主党国会対策委員長)、古賀一成、倉田寛之ほかは派閥から離脱し「加藤グループ(政眞会)」を結成した。
その2.1998年亀井静香グループ離脱
自民党総裁選に小泉純一郎を擁立することを決定した森喜朗グループに反発した亀井静香グループが派閥を離脱。中山太郎元外相、平沼赳夫、中川昭一などが亀井・中山グループを結成。1999年、同グループと中曽根派が合流して「志師会」(現在の伊吹派の前身)を結成した。2005年夏の郵政民営化選挙で、亀井・平沼らが自民党を除名されたことは周知のとおり。(以上、ウイキぺディアから抜粋した。)
自民党田中派(経世会)から離脱した一群が、民主党代表小沢一郎、幹事長鳩山由紀生、元代表岡田克也ほかである。福田派(清和会)から離脱したのが、国民新党の亀井静香代表代行、無所属の平沼赳夫、民主党国対委員長の山岡賢次ほかである。「角福戦争」の当事者が今なお強い影響力を持っている。跡目相続争いで内紛が発生するのは自民党の派閥だけではない。広域暴力団「山口組」では、必ずといってよいほど抗争が発生している。「一和会との戦争」の如き大規模な紛争に発展したり、新組長を襲撃して死亡させることもある。比較的穏やかに代変わりすることもある。清和会の歴史を見ると、福田赳夫→安倍晋太郎、森喜朗→小泉純一郎→森喜朗の跡目相続は円滑に運んだ。だが、森喜朗の跡目相続は未だ決まっていない。中川秀直と町村信孝の勢力が均衡していて後継者を決めることができない。そこで、臨時的措置として3人の代表世話人をおいた。
(清和会の派閥内抗争は派閥分裂まで進むか?)
動物の世界でも「力の差が歴然」であれば、喧嘩にならない。負けると分かっている方が「尻尾をまいて軍門に下る」から喧嘩が起こらない。ところが、複数の後継候補者がいて、双方の力量が拮抗している場合、双方とも「勝てるのではないか」と考えるから喧嘩が起こりやすい。町村信孝と中川秀直はいずれも代表世話人で力が拮抗している。中川秀直は「町村が官房長官になったならば、派閥の会長は自分(中川)が就任できる」と楽観していたふしがある。予想に反し、町村信孝が中川秀直会長案に同意せず反対したから、中川秀直は清和会会長就任をお預けになった。派閥のオーナー森喜朗は困惑し、調整もできず「代表世話人3人」という緊急避難措置で懸案事項を先送りした。「当然、派閥会長になれる」と考え、閥務に専念している中川秀直は「早く派閥会長を決めてくれ」というハラであろう。森喜朗の煮え切らない、問題先延ばしの無策に腹をたてイライラしてきたはずだ。今回、中川秀直が清和会内同志を集め「派中派組織」である勉強会を立ち上げた狙いも、清和会の主導権を確保し、次期会長を射とめる存念であろう。最大派閥を押さえた上で、総裁・総理の椅子を狙うという2段階作戦であろう。これを察知した町村信孝並びに町村の側近が危機感を募らせ対抗措置を取り始めたということか。
(中川秀直の勢力はどの程度の人数か?)
勉強会の初会合に国会議員33人が出席、20人の秘書が代理出席した。清和会は衆議院議員61人、参議院議員26人の計87人であるから、中川秀直が集めた53人は過半数を超える。参加者並びに代理出席者がすべて「中川秀直シンパ」ということもなかろうから、中川秀直が計算できる戦力は約30人程度ではなかろうか。「上げ潮ムード」に乗っている中川秀直は「過半数はいける」と読んでいるかもしれぬ。だが、中川秀直は2回も落選している。幹事長時代は「歴史的大敗」を喫したこともある。もともと戦争に強い男ではない。現状分析も相当甘いというべきであろう。
清和会の勢力図を客観的に見ると、中川秀直、町村信孝、安倍晋三が3分の1づつというところではないか。さらに、森喜朗名誉顧問と小泉純一郎(無派閥)の意向次第では勢力図が大きく変動するのではないか。もし、森と小泉が「反中川」という態度」を示せば、中川と一緒に派閥を離脱するものは10人前後に激減するのではあるまいか。加藤六月の乱に同調した者の内、派閥を離脱したものは一桁に止まった。「寄らば大樹の陰」というのは、一般庶民だけではなく、国会議員各位の世渡りにとっても欠かせない判断基準である。最大派閥から離脱するのは「断崖絶壁から飛び降りるほどの勇気がいる」といってよいから、誰もが真似のできる技ではない。「謀反グループから脱落者が続出する」と見るべきであろう。赤穂義士の討ち入りも47人に激減した。
(なぜ、清和会(町村派)は分裂せざるを得ないのか)
清和会が分裂したのは、派閥の継承を巡る主導権争いが総裁選挙候補者選定とからんでいたからだ。今回は、総裁・総理候補が「町村信孝と中川秀直」の二人いるから、「また紛争が起こるのではないか?」と外野席は期待する。目下、次期自民党総裁の本命は麻生太郎である。国民の人気度もナンバーワンである。中川秀直と町村は「麻生の後を狙っているのか」といえば、そうとも言い切れない。安倍前総理の突然の辞任で、派閥談合で作り上げた「福田内閣」の前例がある。中川秀直が「派閥をまとめ上げれば、麻生太郎を追い落として、先に総理大臣になれるかもしれぬ」と考えても不思議ではない。自己顕示欲がとびきり強い政治家が「二番手止まり」で満足すると期待すべきではない。我々大衆は「身の程」を知っているから無理はしないが、政治家は誰でも「総理になって権力を思う存分振舞ってみたい」と考えている。中川秀直は幹事長を、町村信孝は外相と官房長官を経験している。総理の椅子が手の届くところまで来ている。「欲をかくな」という方がおかしい。彼らの立場になれば、誰でも「夢を見る」のではあるまいか。次期総裁選挙が近づくにつれ清和会は、中川秀直グループと町村信孝グループの主導権争いが激化する。さらに、麻生太郎を推す安倍軍団が加わり三つ巴の抗争が起こるかもしれぬ。
(清和会抗争の帰趨を読み解く)
三つ巴の戦争は「2対1」になり易い不安定な構造である。つまり連合した側が勝利する確率が高い。中川・町村・安倍の三角関係を読み解いてみたい。
(1)外交問題
中川秀直は中国共産党胡錦涛指導部と個人的結びつきを強めている「親中派」。町村と安倍は「親米、親台湾の自主外交派」である。
(2)内政問題
中川が規制緩和の小さな政府と人権擁護推進派、町村と安倍が人権擁護法反対派である。規制緩和と小さな政府では中川と安倍は近い。
(3)人脈
加藤六月の乱で、中川は森・小泉らと共に三塚博の応援団。町村は平沼赳夫、中川昭一らと共に加藤六月を応援した。安倍晋三が晋太郎の秘書だった時、晋太郎は「加藤六月を最も信頼していた」というから、安倍の心情は町村に近いのではないか。なお、町村信孝は東大法学部卒業後、通産省に入省。通産大臣であった安倍晋太郎に見染められ政界入りしたといわれる。その恩返しなのか、安倍晋三が総裁候補の立候補した時、町村信孝が選挙対策責任者になったことがある。なお、安倍晋三は中川秀直、町村信孝両名とも昵懇な間柄という。安倍は、中川と町村との関係では等距離中立という立場を保っているが、両者の抗争が激化し二者択一を迫られた場合は町村信孝と組む可能性が高い。ということで、中川秀直が謀反を起こしても「勝ち目はない」といってよい。加藤六月、亀井静香と同様、若干の手兵を率いて派閥から離脱する可能性が高い。中川秀直が「多勢に無勢」と矛を収めるならば、当面、清和会の分裂は回避される。同時に、清和会を一致団結させることのできる安倍晋三が「清和会会長」に浮上する可能性が高い。
(まとめ)
「中川勉強会」というのは、世をはばかる仮の名称であって実体は「中川秀直を総裁・総理に押し上げる会」というものだろう。福田内閣の寿命がそろそろ尽きると考えた中川秀直並びに側近が、「そろそろ準備をしなくっちゃ」と考え立ち上げたものであろう。清和会(町村派)では、代表世話人の中川秀直が側近を集め「分派活動」を始めたから、緊張が走っているのではないか。「中川秀直の謀反を阻止するか?」又は「中川秀直に謀反を起こさせるか?」が検討課題になっているはずだ。
民主党小沢一郎代表も「虎視眈眈」、清和会分裂の帰趨を見守っているのではなかろうか。うまく行けば、福田内閣はレームダックに陥ると見て、密かに「中川秀直の謀反を期待している」かもしれぬ。
森喜朗名誉顧問と小泉純一郎は「中川秀直謀反」の動きを察知して、切り崩し工作を開始するはずだ。中川秀直の盟友小池百合子を切り崩す担当は小泉純一郎が請け負うことになろう。「機を見るに敏」の小池百合子が中川秀直と心中するとは思えないから「一抜けた」ということになる。次々と同志が墜ちるから、中川秀直の謀反は腰が砕けに終わる可能性が高い。又は中川秀直はわずかの手兵を率いて脱走するかもしれぬ。加藤六月と同じように。
安倍晋三は泰然自若として動かない。頼まれるまで動くことはない。安倍晋三の同志は、志師会(伊吹派)会長代行中川昭一、無所属の平沼赳夫、麻生太郎ほかである。安倍軍団は山崎派の甘利明(通商産業相)、古賀派の菅義偉(選挙対策副委員長、前総務大臣)ほか派閥横断型である。財界や保守本流のバックアップもある。安倍晋三が清和会の内紛程度のことで汗をかくことはあるまい。「火中の栗を拾って火傷をしてもつまらない」と考えるのではないか。「頼まれたならば、会長職を引き受けてもよいが」という心境ではなかろうか。
筆者は、中川秀直が謀反を起こしてくれることを期待している。「親中派の古参代議士を10人ばかり引き連れて脱走してくれないか」と考える。民主党に寝返っても結構であると思っている。中川秀直は「女性スキャンダル」と「麻生クーデターの謀略情報を流した」ことで著名人になった。先般は、小池百合子を伴って北京を訪問して「顔つなぎ興行」を行った。自民党並びに清和会にとって中川秀直は「獅子身中の虫」なのだ。ここらで駆除しておかないと、さらに大きな害をなす。中川秀直が「権力奪取という欲に目がくらみ、謀反を起こしてくれた」ならば、これを絶好の機会とみなして活用すべきだ。さて、どうする?森喜朗、小泉純一郎の手の内を眺めてみよう。