斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」vol.35・宮崎正弘の国際ニュース・早読み | 日本のお姉さん

斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」vol.35・宮崎正弘の国際ニュース・早読み

ようちゃん、おすすめ記事。↓斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」vol.35

□□□□ 天皇を学ぶべきだったネパール □□□
240年に及んだネパールのグルカ王朝が先月末、廃止されました。制憲議会が王制廃止、共和制樹立を圧倒的多数で決議したと伝えられます2001年のビレンドラ国王暗殺事件の血生臭い国王交代劇も異常でしたが、今回の王制廃止を主導したのが武装闘争を展開してきた共産党毛沢東主義派だというのも異様に映ります。

▽毛沢東主義者の時代錯誤
第一次大戦、第二次大戦を経て、君主制が民主制に取って代わられ、さらに革命運動を経て社会主義社会が実現される、というような社会発展説が無邪気にも信じられた時代がありましたが、20世紀には逆に革命国家のソ連が崩壊しました。それどころか、いまロシアで起きているプーチンの強権政治は、まるでツァーリズムの先祖返りです。プーチン「王制」が支持されているのは、ロシア人自身が潜在意識の中で「王制」を欲しているからではないか、とさえ私は思います。マルクスの唯物史観はいまや博物館のかび臭い陳列物だ、と思っていたら、あにはからんや、ネパールでは今ごろになって、毛沢東主義者が王制を打倒したというのですから時代錯誤は否めません。国王を中心にしてさえ1つにまとまれなかった国民が、みずから国の中心を捨て、なおかつ、民主主義の経験のないところから、どうやって安定した統一的社会を築いていくのでしょう。誰の目にも、前途は多難です。

▽王権の制限
ひるがえって、日本の天皇は少なくとも千年以上の歴史があり、1つの王朝が続いています。何が違うのか。指摘できるのは、まず、王権の制限の有無かと思います。哲学者の上山春平先生が指摘しているように、日本は古代律令制の時代、すでに権力の制限が行われています。天皇がみずから権力を振るったのではなく、権力は官僚機構の頂点にある太政官に委任されました(『日本文明史』など)。近代においても、明治元年の五箇条の御誓文は最初に、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ、と議会主義を宣言しています。さらに上山先生は指摘します。プラトンは君主制と民主制とを兼備していなければ善い国家とはいえない、とし、アリストテレスは多くの国制が混合された国制ほど優れている、と書いた。つまり、奇しくも日本では、絶対君主制とは異なる、望ましい混合体制が古来、実現されてきたのでした。

▽卓越した臣下を用いる
王権の制限は、君主個人の統治能力の問題と関わっています。ネパール王制に見るように、君主の親政は当然、君主の統治能力によって政治が左右されます。しかし世襲の原理に基づく君主に、何代にもわたって優れた統治能力を期待できる保証はありません。

日本では例外的に英明な君主が歴代、続いてきたということではありません。実際、古事記、日本書紀は、統治者の適格性を大いに疑われるような天皇を正直に記録しています。それでも天皇は天皇であり、皇位は継承され、国の歴史は続いてきました。日本の天皇は、みずから統治者として卓越した能力を発揮してこられたのではないからです。優れた能力を持つ臣下を用いたのが日本の天皇です。

▽熱狂が冷めたとき
血統原理によって王統を維持し、国の歴史的連続性を体現し、社会を安定させ、一方、現実の政治においては、能力ある官僚たちを登用し、善政を行わせる。じつに優れたシステムです。アメリカでは民主党の予備選挙がようやく決着しましたが、莫大な時間とお金をかけ、自分の能力や政策の優越性をこれでもかと主張し、他候補との対立をあおり、醜いまでの多数派獲得工作を展開し、期限付きの地上の絶対者を選び出すアメリカの民主主義には、日本の天皇のような謙虚さや清らかさがありません。いったん深まった国民間の溝を修復するにも多大なエネルギーが必要で、どこまで優れた制度といえるのか、疑問です。

君主制にはそんな無駄は不要ですが、畏敬する市村真一・京大名誉教授が指摘するように、いったん王制が廃止されれば、ふたたび歴史の振り出しに戻って正統性を再構築しなければならないのは欠点です(「君主制の擁護」=『教育の正常化を願って』創文社、昭和60年所収)。そのための労力と時間がどれほど国民の負担となるか、ネパールの人々は王制打倒の熱狂が冷めたとき、噛み締めることになるでしょう。

ネパールは毛沢東主義ではなく、日本の歴史に学ぶべきだったのです。
□□□□□□□□ ネパール小史 □□□□□□□□
伝説によると、同国が位置するネパール谷(カトマンズ盆地)はかつては湖だったといわれます。それが中国から巡礼にやってきた文珠師利菩薩によって峡谷が開かれ、湖は大地となりました。菩薩は中国に帰りましたが、残った弟子のダルマルカルがネパール最初の王となったといわれています。その後、次々と王朝が起こったといわれますが、存在が確実なのはリッチャビ王朝(4、5世紀~9世紀後半)からとされます。

1742年、西ネパールにいたプリトビナラヤン・シャーはその昔、イスラム教徒の侵入によって故国を追われ、ヒマラヤに移ってきたといわれるグルカ勢力の王となり、さらにネパール谷の諸王国に対して闘いを挑みました。やがてネパール谷を征服した王は1768年、新しい王朝を築きました。これが現在のグルカ王朝のルーツといいます。

1846年、ちょうど日本では孝明天皇が即位された年に当たりますが、ネパールでは王宮大虐殺事件が起きました。軍務大臣だったジャン・バハドゥールが政敵を一挙に殺害し、実権を握ったのです。バハドゥールはラナ姓を名乗り、国王に準じた大王を号しました。ラナ家は世襲の宰相となり、王権は有名無実化したとい われます。このラナクラシーに終止符が打たれたのは、百年余りたった第二次大戦後の1951年でした。インドに亡命していたトリブバン国王が帰国し、ネパール会議派を中心とした勢力によって王政復古がなり、政党政治が始まりました。同時に19世紀以来の鎖国も解かれました。

しかし4年後、トリブバン国王が崩御、マヘンドラ皇太子が王位を継承します。ネパール最初の選挙が実施され、新憲法が公布されたのもつかの間、1960年、国王は突然、国会を解散し、政党政治を廃止し、国王親政を敷きました。その理由は政府の無能と腐敗に対する不満で、国民の間に不信が高まったからだとされています。1962年には新憲法が公布され、独特のパンチャーヤット体制が確立されました。

そのマヘンドラ国王が亡くなり、即位されたのがビレンドラ前国王でした。インド・ダージリンのセント・ジョセフ・カレッジやイギリスのイートン校で近代教育を受け、さらにアメリカのハーバード大学、日本の東大で学ばれました。今上天皇とも親しく、親日家として知られていました。
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
    平成20年(2008年)6月11日(水曜日)
通巻第2215号 


綿陽市が水没の危機、いまだ去らず
  次は青蔵鉄道のチベット永久凍土での沈下
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怖い話がロンドン『エコノミスト』(6月7日ー13日号)に紹介されている。特集のタイトルは『融解するアジア』。
主眼は地球温暖化によりヒマラヤの雪が溶け始めると下流域のインド、バングラデシュ、ミャンマー、ラオス、カンボジアなどが大変の事態となるだろうという警告だが、問題は中国の項目だ。青蔵鉄道は青海省のゴルムトからチベットのラサへと至るが、平行して高速道路が50年代に造成され、夥しいトラックが通過した。排ガス(温暖化)によって既に永久凍土が溶け出しており、随所に道路が陥没している。また全体の道が沈んでいる」。

地球温暖化予防が洞爺湖サミットのテーマだが、
「青蔵鉄道も永久凍土の上を走っており、沈下は不可避的である」。
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♪(読者の声1)貴誌2214号(6月6日付け)にある貴見、「1982年に或る日米シンポジウムで、小生がこのポイント(日本の特許公開制度に機密保持条項がない)を突くと米国人学者らが一様に驚き、また通産省関係者が、そうですよねぇ、と嘆いた。爾来、四半世紀の歳月が流れ、ようやく経済産業省が動き出して、防衛特許の機密条項の検討に入った。といっても国会の論議にまでは至っていない」(以上貴論引用終わり)。この現実をいかんとす。財務省など役人への缶ビールとおつまみを用いたタクシー運転手接待を摘発するのも野党議員の仕事でしょうが。物事の軽重は何処。(SJ生)

(宮崎正弘のコメント)立場の弱い個人タクシーに、たかり初めたのは財務相の役人のほうからでしょう。役人は下の者に威張ることにかけては天才的なんです。反対に、かれらより知的レベルでは劣ると推測される政治家にぺこぺこしています。その政治家どもが大手マスコミのちんぴら記者にぺこぺこしています。その大手マスコミはぺこぺこしているのは誰? 北京中南海にいる異星人?

♪(読者の声2)昭和元禄の御世には、三島由紀夫、そして福田恆存がおりました。正論7月号の遠藤浩一氏の連載『福田恆存と三島由紀夫の「戦後」』は恆存の『私の国語教室』を取り上げています。
『私の国語教室』の主旨は歴史的かな遣い擁護論です。
単にかな遣いを論じているものでない恆存の洞察と思索の深さには感動します。言葉に宿る「狂気」、これを操ろうとする安直なかな遣いの改変は狂信である、と鋭く説くのです。鬼気迫る迫力があります。
恆存の説く「翻訳」の営為の本質と孤独も感動的です。
「翻訳は常に自国語によつて他国語の領土を掠め取り、さうすることによつて、自国語の語義や語法を拡張しようとする文化的・平和的掠奪行為である」と「翻訳」の本質を突くのです。
翻訳者は母国語・他国語を裏切り、その両者から裏切られる。その孤独に堪えることが自国語とその精神世界を拡げることに通じると看ているのです。孤独に堪えて他国の文化的領土を掠奪してやるという覚悟と気概なしに、「翻訳」という行為は成り立ち得ないのです。感動します。
しかし恆存は、そして三島はそれぞれ、昭和元禄の御世を眺めて遣る瀬ない想いを抱き漠々とした心境を抱いて静かに、賑やかに逝きました。
国際社会でかつての勢いを失った日本、その平成不況の御世では、精神的な荒みが更に深く進行しています。荒みと感じないアパシーが拡がっています。宮崎さんの仰言る通り、「白石も宣長」も居ない空っぽな空洞のような平成の御世です(HN生、横浜)

(宮崎正弘のコメント)福田全集も配本五冊目に入ります。三島全集(新しい方ですが)は、ついに置く場所がなく、友人の植田剛彦が替わりに全部購入し、事務所に飾っておりますが。。。

♪(読者の声3)貴誌「(読者の声4)、しなの六文銭」様の投書についての意見です。
1.佐藤優氏の評価:しなの様は高く評価していますが、私は彼が日本の核自衛に反対しているところにロシア側の立場を見て根本的な不信感を持っています。
2.なお>或る人が「マルクスは神に直結している。彼の思想は、云わばキリスト教の土壌に咲いた徒花。神がいなければマルクスの思想そのものも生まれなかった」と述べています。鋭い省察です」とありますが、まず神はゴッドとかエホバとすべきでしょう。日本語の神概念ではないからです。たしかにマルクスの唯物史観は、ユダヤ、キリスト教の歴史観(千年王国論)に酷似しています。マルクスは19世紀のユダヤ人でありユダヤ、キリスト教文化の枠から出ることが出来なかったと思います。(MARU)

♪(読者の声4) ネオコンの論客ロバート・ケーガンが新作を出したようです。その題名も『歴史の復活』。

ネパール元国王が王宮明け渡し、声明で亡命は否定

カトマンズ=永田和男】ネパールのギャネンドラ元国王(60)は11日夜(日本時間同)、夫人のコマル元王妃(57)と共にカトマンズ中心部のナラヤンヒティ王宮から退去した。

 5月28日の制憲議会で王制廃止が決まり、元国王は15日以内の王宮明け渡しを求められていた。

 元国王は退去前、王宮内で記者団に声明を読み上げ、「国民の判断を尊重する」と述べ、王制廃止決定を受け入れる考えを表明した。声明では、主要政党を王制打倒で結束させる転換点となった2005年の直接統治導入にも触れ、「良い意図を持って始めたことだが、良い結果をもたらせなかった」と述べ、無念さもにじませた。

 ナラヤンヒティ王宮は今後、博物館となり、元国王は王冠など宝物類も展示用に明け渡した。ただ、これまで別邸として使用していたカトマンズ北西のナガルジュン宮に当分の間、滞在することが認められた。

 また、元国王の継母(82)と、祖父トリブバン元国王の側室だった女性(91)は、これまで通り王宮敷地内で生活する。

 声明で元国王は、「ネパールを離れない」と亡命を否定。個人資産数十億ドルと言われる富豪でもあり、王制廃止を主導したネパール共産党毛沢東主義派のプラチャンダ議長が「国内に投資して雇用を創出してほしい」と述べるなど、引き続き動向に関心が集まっている。

6月11日23時1分配信 読売新聞

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080611-00000058-yom-int

http://sankei.jp.msn.com/world/america/080608/amr0806081007002-n1.htm 上サイトに在米の高浜賛氏が紹介しています。で、6日(金曜日)のミッキー安川の番組に出演された宮崎さんが、この新刊を誰よりも早くに話題にされて解説されていました。早耳ですが、どういうニュース・ソウスでしたか?(GY生、水戸)

(宮崎正弘のコメント)わが“順風耳”に寄らず、じつは『タイム』(6月9日号)に出ておりました。見所はフランシス・フクヤマの怪しげな『歴史の終わり』を皮肉って、十八年ぶりにクレムリンで軍事パレードがあり、ロシア軍国主義が復活し、中国が軍拡路線まっしぐら、まさに歴史は繰り返す、の日々という現実の認識です。ケーガンは慧眼にも政治のリアリズムを知っているようです。ところでこの新作、世界で翻訳がでますが(前の作品も世界24ヶ国語に翻訳されました)、我が国では、どの出版社が版権を抑えたのか、まだ小生の“順風耳”は掌握しておりません。

♪(読者の声5)我が国の「H28年度食料自給率45%」との計画、何を考えているのですかね。農業版・「産業再生機構」の設立を望むものです。「会社更生法」の名を変えた「産業再生機構」は、株式会社産業再生機構法に基づき、2003年3月に誕生し、2007年3月に解散しました。もともと、産業と金融を再生させる使命を担った組織で5年間の時限組織だったのですが、約4年間の活動期間中に41件(カネボウ、ダイエーなど)の企業の事業再生を進め、約1年前倒しでの解散となりました。その成果は、資本金500億円でスタートし、清算終了時には残余財産額940億円、国庫納付金432億円の大幅黒字を計上しています。再生目的とした「産業再生機構」は農業分野にも活用できれば、日本の農業はキット甦るのではないかと思います。また夕張市の財政破綻、大阪府の財政再建問題など、このアイデアは各分野に活用できるのではないかと思っております。農林水産省が計画中の「21世紀新農政2008」(H20年5月発行)は、民間の経営感覚をどれだけ取り入れられるかがポイントではないかと思いますがどうなるかが気になります。上記の「21世紀新農政2008」では、H28年度食糧自給率45% 欧米では、フランス(130%)、アメリカ(119%)、ドイツ(91%)、イギリス(74%)というように、食料は安全保障なのです。現実には、世界的な人口増、資源(含む食料)争奪戦争による諸物価の高騰を考えれば、国力が衰退していく日本では「食は最重要な安全保障」との認識が当然と思うのですが、食の輸出国のことを思いやる官僚では、こういう発想は出来ないのですね。 (愛知TK生)以上
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