クライン孝子の日記 ・ 太田述正 有料メルマガ
ようちゃん、おすすめ記事。↓
■2008/06/11 (水) 日本で出会ったカキつくりの方のお話
■2008/06/11 (水) テレビ出演のウラ話、「BS11」のこと
■2008/06/11 (水) 日本での講演では?
昨日、ドイツへ 帰って参りました!日曜日、六月八日、友人と秋葉原へでも出かけようかなと思っていたところへあの惨事!あとで、友人と、我々が被害に遭っていたかもね、と電話で話していたところでした。それにしても、今回日本で感じたことは、政治の低迷!です。町の声を聞くと、皆、かんかんに怒っている。なのに永田町には、一向に通じない。若いタクシーのドライバーなど、「革命」を起こしたいって。そのこころ意気に共鳴して、思わずチップをはずんでしまいました。
さても私の定宿は20年来、「虎ノ門パストラル」でここは農林中央金庫が経営していましたが、売りに出され来年9月には閉鎖されます。このホテルを気に入っていた最大の理由は、ここには土のにおい、素朴な田舎の臭いがするからで、今回も朝食の時、ある広島の女性の方(業界団体の会長さん)と知り合いになりました。
広島は牡蠣(カキ)の名産地で、ご夫婦でカキの養殖をなさっているとのこと。朝は2時半に起床し、カキむきを行う。それが終わるのが5時半ごろ。その後はカキの養殖場に紛れ込んできた新鮮な魚を、(一部は刺身にして)家々を周り、小売りする。それが終わるのが6時半。7時半には沖へ出てホタテを取る。夕方17時にやっと仕事を終え、帰宅する。この生活を3月ごろまで毎日繰り返す。3月後に取るカキは味が落ちろからだそうで、彼女は娘3人、皆大学まで出して、近くに住み、娘婿など病院勤務の合間をぬって、忙しく立ち働いている老夫婦のために、毎日料理を作って届けてくれるのだそうです。老体ではあるけれど、働ける間は働き、つつましく暮らしながら老後の金をせっせと貯めている。
とのこと。私がドイツに住んでいると話をすると、まあまあと言いながら涙を流して、感激した下さいました。ついでに彼女と私は一つ違い。彼女の方が1歳年下でした。お互いに戦後の荒波をかいくぐってきた同世代だけに、何かしら、通じ合うものがある。こんな出会いも、このホテル閉鎖で消えるのかと思うと、寂しくなりました。
■2008/06/11 (水) テレビ出演のウラ話、「BS11」のこと
今回は二つテレビ出演を致しました。一つはチャンネルhttp://www.ch-sakura.jp
で水島社長とお馴染みの「クライン孝子の言いたい放談」出演後、久しぶり(5~6年ぶりかな)評論家の西部ススム氏と3人で雑談しました。氏の最初の挨拶は「おい、オタカさん、元気かよ」偶然我々二人は同年1939年年生まれ。氏は3月、私は12月ですから、氏の方がやや兄貴と言う感じ。面白かったのは氏は6人兄弟で、父は早死し母親の手で育てられた。東大に合格し、北海道から上京、すぐ学生運動に参加、岸元総理の安保強行採決で、学生たちが激昂しデモが過激化し、その一人東大生樺美智子が圧死すると言う事件が起きた。その全学連の幹部で、逮捕され5ヶ月独房にぶち込まれたとのこと。そんな話をしてくれ、大いに沸きましたが、何と運命って不思議なものですね。今や氏、岸氏の孫安倍前総理の指南番の一人で、水島氏らと意気投合して何か、大きな働きかけをするらしい。(私も陰で支えると約束しました)いやはや、歴史って不思議なものですね。
次は6月4日(水) デジタルテレビ「BS11」のインサイドアウト
小西 克哉(国際ジャーナリスト)金子 秀敏(毎日新聞論説委員)にテーマ「欧州から見た国際情勢」に初出演しました。毎日映画社のプロヂューサー富賀裕之氏と事前に打ち合わせをしましたが、ざっくばらんに発言してほしいということで、カットなし。結構好評だったみたいです。中には、度肝を抜かれた視聴者もおられたとか。(私の性格は今さら替えようがないので仕方がないのですが)。
その後BS11山科誠社長のご招待で、神田のこざっぱりとしたすし屋さんに社員の二木啓孝、鈴木哲夫、佐藤敦子氏らと合流、談笑しました。
山科社長は、バンダイという玩具会社の2代目社長で一躍大企業に育てた人物。さっと身を引いて、今度は日本の堕落したテレビにメスいれようとつい最近、「BS11」を立ち上げられました。お話していてその知識の豊富さ、視野の広さに脱帽してしまいました。社員も山科社長の人となりに魅せられ、この人の下でテレビの夢よ、もう一度と一同はせ参じたとのこと。さもありなんと思いました。こういう人物こそ経団連のトップに選出すると日本も大いに変わるのにと思ったものです。
http://yamashina-chaya.info
http://www.bs11.jp/
■2008/06/11 (水) 日本での講演では?
今回の主な目的は、仲良しの日本商工会議所女性会会長吉川稲美氏の
お口添えで、「アルカディア桜栄会」にてお話をさせて頂くことでした。日本経済は90%以上の中小企業で成り立っています。この会も私学を中心にその周囲でお仕事をなさっている人たちの会で、講演後の懇親会では、この業界をしっかり支えてこられた先輩や若い人たちと歓談し、お互いに日本をよくしようと言う結論に至りました。
そこで
<<本日はアルカディア桜栄会平成20年度定期総会で御講演して下さいまして有り難うございました。本日の講演内容「ヨーロッパから見た日本」を拝聴し、日本の中からは聞けないお話がたくさん盛り込まれており、非常に勉強になりました。桜栄会は財団法人私学研修福祉会及びアルカディア市ヶ谷(私学会館)とお取り引きのある業者で構成された組織で、共に繁栄を目指して協力して行こうと日々頑張っております。
業者の役員の方も多数出席しており、非常に良いお話で良く伝わったと思われます。私個人としましては、昨年10月に元NHKモスクワ支局長の小林和男氏の講演を主催(青山学院経済学部同窓会主催)し、
http://oikos-nomos.com/report/lecture/000045.php
日本とロシアのプーチン像の違いドイツとロシアの関係などの話しが今回と関連しており、とても興味深かったです。
小林氏の著書「狐と狸と大統領」の中にも出て来ますが、日本の外交の駆け引きの未熟さを残念に感じる部分はドイツから見た今回のお話で指摘されている事とまさに一致しております。現在、NHK大河ドラマ「篤姫」が放送中ですが、幕末の開国間近の話ですが、長期安定成長を約50年程続け、端境期にある現在の日本の姿に重ね合わさる感も今回の話で強く感じました。
日本の良い部分を強く持ち世界へ主張して行く姿を示さないと、なし崩し的に日本の価値が下がって行く流れに現在はあり、今までの経済大国というブランド効果が無くならない内にうまく障害を避けて前へ進んで行く知恵と実行が必要だと感じました。
狭い私の面識の中では、「世界の中の日本の位置と評価」の様は事で
クライン様と小林様の対談/パネルディスカッションなどが実現できれば面白いと感じました。もっと世界から見た日本の姿を国民に広めることができれば良いですね。取り急ぎ御礼まで。芝市商店 中根 紀弘>>
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1 始めに
今回は、ちょっと趣を変え、米国の原罪の根深さとこれを克服する必要性に焦点をあてることにしました。
2 1967年まで存在した恐るべき黒人差別法制
(1)ラビング夫妻の悲劇
1960年代までの米国がどんな唾棄すべき社会であったかをお教えしましょう。1958年、23歳の白人の大工のリチャード・ラビングと17歳の黒人の愛人で妊娠したミルドレッドは、2人が住んでいたバージニア州カロライン郡から車で90マイル離れたワシントン市に行き、そこで結婚しました。カロラインに戻り、同居生活を始めていた2人の家を郡保安官が午前2時に訪れ、二人をバージニア州の人種間通婚禁止法(Anti-miscegenation law。同州の法律の名称はRacial Integrity Act。)違反の廉で逮捕・勾留し、同州地区裁判所の裁判官は、一年間の刑、ただし、同州を25年間離れることを条件に執行猶予を言い渡したのです。判決文にいわく、「全能の神は白人、黒人、黄色人、マレー人、そして赤色人を創造したもうた。そして、それぞれを異なった大陸に配置された。よって、神ご自身がそう思し召された場合を除き、かかる<人種間の>結婚は根拠がない。神が人種を分離されたことは、神が人種が混淆することを意図しておられなかったことを示している。」と。そこで、ラビング夫妻は1959年にワシントン市に引っ越しをしました。しかし、都会生活が合わなかった夫妻は、5年後に故郷に戻りました。そして、ただちに再び逮捕・勾留されてしまいました。彼らは、こんなことは1964年に成立した市民権諸法に反するのではないか、と時の司法長官、ロバート・ケネディに手紙を書いたところ、米市民的自由連合から国選弁護人が派遣され、裁判が提起されました。
この裁判は最高裁まで行き、1967年6月12日、バージニア州のこの法律は、白人のからむ人種間結婚だけを禁ずる白人至上主義に基づくものであり、違憲であると、全裁判官が一致して、1883年の判決を変更したのです。
(2)まとめ
米国が発足した時の全13州が人種間通婚禁止法を持っていました。先の大戦が終わった時点でも、なお全米で30州が人種間通婚禁止法を持っていました。この判決が下された時点においてすら、依然バージニア州を含め、16州が人種間通婚禁止法を維持していたのですが、この判決を受け、そのすべてが撤廃されました(注1)。
(注1)人種間通婚禁止法の中には、結婚だけでなく、同棲することや性的関係を持つことすら禁止するものがあった。人種間通婚禁止法を施行したのは、米国以外に、ナチスドイツ(1935~45年)と南アフリカ(1949~85年)がある。言うまでもなく、米国の施行期間が飛び抜けて長い。
現在は、全米で430万組もの人種間夫婦が存在しており、時代は確実に変わりました。ところで皆さんは、これは黒人だけの話だと思っておられませんか。しかし、バージニア州の裁判官は、「黒人、黄色人、マレー人、そして赤色人」すべてが白人との結婚を禁じられていると判示したことにご注意下さい。 そして、これはバージニア州だけではありませんでした。州によって違いはあるものの、ほぼすべてで、黒人とともに、少なくともアジア人(Asians。黄色人種とマレー人)との結婚が禁じられていたのです。もちろん、アジア人、就中黄色人種の中に日本人は入ります。戦前、米国で日本人がいかに法的に人種差別の対象とされていたか、以前(コラム#254、1110)で記したところです。戦中の日系米人の強制収容は、その論理的帰結だったのです。そして戦後も、引き続き日本人は上記のように法的に人種差別の対象にされていた、ということです。
3 オバマに対して続く陰湿な攻撃
(1)ファラカン・ライト・オバマ攻撃
ヒッチェンスのような戦闘的無神論者にしてリベラルの権化のような人物が、ファラカンをこきおろした上で、ライトがファラカンに敬意を表し、そのライトを師とするオバマがファラカンに師(minister)をつけて語ったと批判した。)には心底がっかりしました。これほどまでに、リベラル連中からもこきおろされるファラカンとはどんな人物だったのでしょうか。米イスラム教徒団体、Nation of Islam (NOI)の事実上の主宰者である、黒人のファラカン(Louis Farrakhan。1933年~)が、米国のユダヤ人団体から「黒いヒットラー」呼ばわりをされるようになったきっかけは、ジャクソン(JesseJackson)師が民主党の大統領予備選に出馬した1984年に、オフレコでニューヨークはユダヤ都(Hymietown)だと言ったのが公開されて問題になった時に、ファラカンが、ジャクソンに何かあったらタダじゃ置かないめいた発言をしたことです。
ファラカンが、その後、「ヒットラーがユダヤ人に対して行った悪業は誉められたものではないが、そんなことは誰でも知っている。しかし彼はドイツを無から立ち直らせた。」と述べたことにより、ファラカンは反ユダヤの人種主義者だ、という汚名が確立してしまったのです。
しかし、この種の発言など、どうってことないじゃないですか。私には、ファラカンを非難する連中の方がよっぽど人種主義者(黒人差別主義者)に見えます。面白いのは、ファラカンは若かりし頃、名バイオリニストであったことです。事情があってバイオリンを何十年も封印してきたファラカンは、1993年、メンデルスゾーン(ユダヤ人!)のイ短調バイオリン協奏曲をコンサートで弾いて、ニューヨークタイムスの絶賛を浴びました。また、今年2月には、オバマ候補について「全世界の希望の星であり、米国は変化しより良くなるだろう」と演説しました。
オバマ自身は、大慌てで、ファラカンを(師という尊称をつけつつ)批判し、その支持などいらないと言明しましたが・・。(続く)
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■2008/06/11 (水) テレビ出演のウラ話、「BS11」のこと
■2008/06/11 (水) 日本での講演では?
昨日、ドイツへ 帰って参りました!日曜日、六月八日、友人と秋葉原へでも出かけようかなと思っていたところへあの惨事!あとで、友人と、我々が被害に遭っていたかもね、と電話で話していたところでした。それにしても、今回日本で感じたことは、政治の低迷!です。町の声を聞くと、皆、かんかんに怒っている。なのに永田町には、一向に通じない。若いタクシーのドライバーなど、「革命」を起こしたいって。そのこころ意気に共鳴して、思わずチップをはずんでしまいました。
さても私の定宿は20年来、「虎ノ門パストラル」でここは農林中央金庫が経営していましたが、売りに出され来年9月には閉鎖されます。このホテルを気に入っていた最大の理由は、ここには土のにおい、素朴な田舎の臭いがするからで、今回も朝食の時、ある広島の女性の方(業界団体の会長さん)と知り合いになりました。
広島は牡蠣(カキ)の名産地で、ご夫婦でカキの養殖をなさっているとのこと。朝は2時半に起床し、カキむきを行う。それが終わるのが5時半ごろ。その後はカキの養殖場に紛れ込んできた新鮮な魚を、(一部は刺身にして)家々を周り、小売りする。それが終わるのが6時半。7時半には沖へ出てホタテを取る。夕方17時にやっと仕事を終え、帰宅する。この生活を3月ごろまで毎日繰り返す。3月後に取るカキは味が落ちろからだそうで、彼女は娘3人、皆大学まで出して、近くに住み、娘婿など病院勤務の合間をぬって、忙しく立ち働いている老夫婦のために、毎日料理を作って届けてくれるのだそうです。老体ではあるけれど、働ける間は働き、つつましく暮らしながら老後の金をせっせと貯めている。
とのこと。私がドイツに住んでいると話をすると、まあまあと言いながら涙を流して、感激した下さいました。ついでに彼女と私は一つ違い。彼女の方が1歳年下でした。お互いに戦後の荒波をかいくぐってきた同世代だけに、何かしら、通じ合うものがある。こんな出会いも、このホテル閉鎖で消えるのかと思うと、寂しくなりました。
■2008/06/11 (水) テレビ出演のウラ話、「BS11」のこと
今回は二つテレビ出演を致しました。一つはチャンネルhttp://
次は6月4日(水) デジタルテレビ「BS11」のインサイドアウト
小西 克哉(国際ジャーナリスト)金子 秀敏(毎日新聞論説委員)にテーマ「欧州から見た国際情勢」に初出演しました。毎日映画社のプロヂューサー富賀裕之氏と事前に打ち合わせをしましたが、ざっくばらんに発言してほしいということで、カットなし。結構好評だったみたいです。中には、度肝を抜かれた視聴者もおられたとか。(私の性格は今さら替えようがないので仕方がないのですが)。
その後BS11山科誠社長のご招待で、神田のこざっぱりとしたすし屋さんに社員の二木啓孝、鈴木哲夫、佐藤敦子氏らと合流、談笑しました。
山科社長は、バンダイという玩具会社の2代目社長で一躍大企業に育てた人物。さっと身を引いて、今度は日本の堕落したテレビにメスいれようとつい最近、「BS11」を立ち上げられました。お話していてその知識の豊富さ、視野の広さに脱帽してしまいました。社員も山科社長の人となりに魅せられ、この人の下でテレビの夢よ、もう一度と一同はせ参じたとのこと。さもありなんと思いました。こういう人物こそ経団連のトップに選出すると日本も大いに変わるのにと思ったものです。
http://
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■2008/06/11 (水) 日本での講演では?
今回の主な目的は、仲良しの日本商工会議所女性会会長吉川稲美氏の
お口添えで、「アルカディア桜栄会」にてお話をさせて頂くことでした。日本経済は90%以上の中小企業で成り立っています。この会も私学を中心にその周囲でお仕事をなさっている人たちの会で、講演後の懇親会では、この業界をしっかり支えてこられた先輩や若い人たちと歓談し、お互いに日本をよくしようと言う結論に至りました。
そこで
<<本日はアルカディア桜栄会平成20年度定期総会で御講演して下さいまして有り難うございました。本日の講演内容「ヨーロッパから見た日本」を拝聴し、日本の中からは聞けないお話がたくさん盛り込まれており、非常に勉強になりました。桜栄会は財団法人私学研修福祉会及びアルカディア市ヶ谷(私学会館)とお取り引きのある業者で構成された組織で、共に繁栄を目指して協力して行こうと日々頑張っております。
業者の役員の方も多数出席しており、非常に良いお話で良く伝わったと思われます。私個人としましては、昨年10月に元NHKモスクワ支局長の小林和男氏の講演を主催(青山学院経済学部同窓会主催)し、
http://
日本とロシアのプーチン像の違いドイツとロシアの関係などの話しが今回と関連しており、とても興味深かったです。
小林氏の著書「狐と狸と大統領」の中にも出て来ますが、日本の外交の駆け引きの未熟さを残念に感じる部分はドイツから見た今回のお話で指摘されている事とまさに一致しております。現在、NHK大河ドラマ「篤姫」が放送中ですが、幕末の開国間近の話ですが、長期安定成長を約50年程続け、端境期にある現在の日本の姿に重ね合わさる感も今回の話で強く感じました。
日本の良い部分を強く持ち世界へ主張して行く姿を示さないと、なし崩し的に日本の価値が下がって行く流れに現在はあり、今までの経済大国というブランド効果が無くならない内にうまく障害を避けて前へ進んで行く知恵と実行が必要だと感じました。
狭い私の面識の中では、「世界の中の日本の位置と評価」の様は事で
クライン様と小林様の対談/パネルディスカッションなどが実現できれば面白いと感じました。もっと世界から見た日本の姿を国民に広めることができれば良いですね。取り急ぎ御礼まで。芝市商店 中根 紀弘>>
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1 始めに
今回は、ちょっと趣を変え、米国の原罪の根深さとこれを克服する必要性に焦点をあてることにしました。
2 1967年まで存在した恐るべき黒人差別法制
(1)ラビング夫妻の悲劇
1960年代までの米国がどんな唾棄すべき社会であったかをお教えしましょう。1958年、23歳の白人の大工のリチャード・ラビングと17歳の黒人の愛人で妊娠したミルドレッドは、2人が住んでいたバージニア州カロライン郡から車で90マイル離れたワシントン市に行き、そこで結婚しました。カロラインに戻り、同居生活を始めていた2人の家を郡保安官が午前2時に訪れ、二人をバージニア州の人種間通婚禁止法(Anti-miscegenation law。同州の法律の名称はRacial Integrity Act。)違反の廉で逮捕・勾留し、同州地区裁判所の裁判官は、一年間の刑、ただし、同州を25年間離れることを条件に執行猶予を言い渡したのです。判決文にいわく、「全能の神は白人、黒人、黄色人、マレー人、そして赤色人を創造したもうた。そして、それぞれを異なった大陸に配置された。よって、神ご自身がそう思し召された場合を除き、かかる<人種間の>結婚は根拠がない。神が人種を分離されたことは、神が人種が混淆することを意図しておられなかったことを示している。」と。そこで、ラビング夫妻は1959年にワシントン市に引っ越しをしました。しかし、都会生活が合わなかった夫妻は、5年後に故郷に戻りました。そして、ただちに再び逮捕・勾留されてしまいました。彼らは、こんなことは1964年に成立した市民権諸法に反するのではないか、と時の司法長官、ロバート・ケネディに手紙を書いたところ、米市民的自由連合から国選弁護人が派遣され、裁判が提起されました。
この裁判は最高裁まで行き、1967年6月12日、バージニア州のこの法律は、白人のからむ人種間結婚だけを禁ずる白人至上主義に基づくものであり、違憲であると、全裁判官が一致して、1883年の判決を変更したのです。
(2)まとめ
米国が発足した時の全13州が人種間通婚禁止法を持っていました。先の大戦が終わった時点でも、なお全米で30州が人種間通婚禁止法を持っていました。この判決が下された時点においてすら、依然バージニア州を含め、16州が人種間通婚禁止法を維持していたのですが、この判決を受け、そのすべてが撤廃されました(注1)。
(注1)人種間通婚禁止法の中には、結婚だけでなく、同棲することや性的関係を持つことすら禁止するものがあった。人種間通婚禁止法を施行したのは、米国以外に、ナチスドイツ(1935~45年)と南アフリカ(1949~85年)がある。言うまでもなく、米国の施行期間が飛び抜けて長い。
現在は、全米で430万組もの人種間夫婦が存在しており、時代は確実に変わりました。ところで皆さんは、これは黒人だけの話だと思っておられませんか。しかし、バージニア州の裁判官は、「黒人、黄色人、マレー人、そして赤色人」すべてが白人との結婚を禁じられていると判示したことにご注意下さい。 そして、これはバージニア州だけではありませんでした。州によって違いはあるものの、ほぼすべてで、黒人とともに、少なくともアジア人(Asians。黄色人種とマレー人)との結婚が禁じられていたのです。もちろん、アジア人、就中黄色人種の中に日本人は入ります。戦前、米国で日本人がいかに法的に人種差別の対象とされていたか、以前(コラム#254、1110)で記したところです。戦中の日系米人の強制収容は、その論理的帰結だったのです。そして戦後も、引き続き日本人は上記のように法的に人種差別の対象にされていた、ということです。
3 オバマに対して続く陰湿な攻撃
(1)ファラカン・ライト・オバマ攻撃
ヒッチェンスのような戦闘的無神論者にしてリベラルの権化のような人物が、ファラカンをこきおろした上で、ライトがファラカンに敬意を表し、そのライトを師とするオバマがファラカンに師(minister)をつけて語ったと批判した。)には心底がっかりしました。これほどまでに、リベラル連中からもこきおろされるファラカンとはどんな人物だったのでしょうか。米イスラム教徒団体、Nation of Islam (NOI)の事実上の主宰者である、黒人のファラカン(Louis Farrakhan。1933年~)が、米国のユダヤ人団体から「黒いヒットラー」呼ばわりをされるようになったきっかけは、ジャクソン(JesseJackson)師が民主党の大統領予備選に出馬した1984年に、オフレコでニューヨークはユダヤ都(Hymietown)だと言ったのが公開されて問題になった時に、ファラカンが、ジャクソンに何かあったらタダじゃ置かないめいた発言をしたことです。
ファラカンが、その後、「ヒットラーがユダヤ人に対して行った悪業は誉められたものではないが、そんなことは誰でも知っている。しかし彼はドイツを無から立ち直らせた。」と述べたことにより、ファラカンは反ユダヤの人種主義者だ、という汚名が確立してしまったのです。
しかし、この種の発言など、どうってことないじゃないですか。私には、ファラカンを非難する連中の方がよっぽど人種主義者(黒人差別主義者)に見えます。面白いのは、ファラカンは若かりし頃、名バイオリニストであったことです。事情があってバイオリンを何十年も封印してきたファラカンは、1993年、メンデルスゾーン(ユダヤ人!)のイ短調バイオリン協奏曲をコンサートで弾いて、ニューヨークタイムスの絶賛を浴びました。また、今年2月には、オバマ候補について「全世界の希望の星であり、米国は変化しより良くなるだろう」と演説しました。
オバマ自身は、大慌てで、ファラカンを(師という尊称をつけつつ)批判し、その支持などいらないと言明しましたが・・。(続く)
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